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#074c 臆病な手探り

「――んんん~、あぁ……生き返るわぁ……♪」


 身震いしながら身体を反らし、歓喜の声を上げるKANAさん。

 それでなくてもあの高級車で颯爽と現れて、この美貌とスタイル。

 さらにはその絵に描いたような綺麗なお姉さんが牛丼を片手にこんなセクシーな甘い声まで出しているんだ。

 ……そりゃまあ、店内の全員から視線を集めるのも必然だった。


「リアルに戻ってきたら30円引きセールのCMがTVで流れててね? これは食べに行かなきゃ!って車飛ばしてたら孝人くんからも連絡もらえちゃうし……お姉ちゃん今日すごーくハッピ~♪」

「……」

「――あ。やだっ、ごめんなさい……ひとりではしゃいじゃった?」


 そう言われてむしろ俺が我に返る。

 小盛しか頼んでない俺はすでに食べ終わってて、ただ茫然とその色っぽくて幸せそうな食べている姿を近くから眺めてしまっていた。


「え? い、いえ……ちょっとびっくりっていうか……」

「ん? びっくり?」

「KANAさんにもそんな一面あるのかって感じで」

「うん? じゃあ孝人くんは、お姉ちゃんのことをどんな風に思ってくれていたの~?」

「え」

「ねえねえっ、聞かせて欲しいな?」


 カウンター席しかない狭い店内で横に並んで座っている俺たち。KANAさんは俺の顔を覗き込むように肩を寄せて話してくる。

 その度にたわわなその胸が俺の二の腕にぐいぐいと当たってきてて……それにはもう、気もそぞろになってしまうしかない。


「いえ……こう、優しくて」

「うんうんっ!」

「思慮深くて」

「ほうほう!」

「大人の女性……って感じ」

「ん~! 残念っ」

「残念?」


 自分の唇に人差し指を当てて少しテレ臭そうにしながら。


「お姉ちゃん、そんなにおばさんじゃないんだけどなぁ~?」


 首を傾げ、目を細めて笑ってる。


「あ、いえ。おばさんって意味じゃ――」

「――でもたしかに子供っぽくはしゃぎ過ぎかも? 自重しますっ♪」


 俺の唇に人差し指を当てて強引に黙らせるKANAさん。

 ついでに俺の口元についていたらしい食べカスを指先で拾うと。


「んっ」


 小さく舌を伸ばして美味しそうに指先のそれを食べてしまった……。


「……」

「はーい、ご馳走様でしたっ」


 ぱんっ、と両手を合わせてKANAさんは満足そうに笑う。


「それじゃお待たせしました~、孝人くん行きましょっ♪」

「え、あいやまだお会計――」

「店員さん、そこにお金置いてまーす。お釣りとレシート結構ですっ♪」

「――ちょっと、KANAさんっ?」

「あ……ありがとうございましたぁ……」


 腕を捕まえられてしまい、そのままぐいぐいと店の後へと連れ出されてしまう。珍獣でも発見したような目の店員に見送られ、俺たちは牛丼屋を後にした。


「ふぅ~、お姉ちゃん満足満足っ! 孝人くんとデートできて幸せっ」

「デートって……」


 牛丼屋デートとか聞いたことないなぁ。


「あのKANAさん、お代――」

「さあさあ車乗って♪」

「――話を少しは聞いてくださいっ!」

「聞いてる聞いてる~ぅ♪ ほらほらっ、座って♪♪」


 絶対聞いちゃいねぇ。

 ハイテンションさがまったく衰える様子のないKANAさんに背中を押され、またあの高級車の助手席へと半ば強引に座らされる俺だった。

 って、車のキーでこのドアは自動で開閉されるのか。すげぇな……。


「ねえねえ、孝人くんはまだお時間あるのかしら~?」

「え……はい。18時までなら」


 そう言うと同時に車のエンジンが掛けられ、唸るような音と共にナビ画面に時間の表示が現れる。

 現在16:48――つまりあと一時間少々なら、という感じか。


「そう……じゃあお姉ちゃんひとつだけワガママ言ってもいい?」

「はい?」

「孝人くんと軽くドライブしたいなっ♪」


 そんな無防備な笑顔で言われちゃったら……断れるはずがなかった。



   ◇



「――……」


 見上げると頭上には海鳥が気持ちよさそうに風を受けて旋回していた。

 視線を右に運べば、そこには防波堤の向こうで輝く海。

 KANAさんが運転するスポーツカーが海沿いの国道を走り抜けている。

 真夏の海の爽やかな風を頬に……そして心地良いエンジンの振動を背中に感じる。

 オープンカーって想像以上に気持ちいい。

 たった天井がないというそれだけで、こんなにも開放感が溢れるのかと内心すごく感動していた。

 そして思う。

 これは贅沢だなって。


「孝人くん、付き合ってくれてありがとう」


 さっきまでのハイテンションも少し落ち着いたらしい。いつものおっとりとしたテンポの優しい声が隣から届く。


「……いえ。俺こそお礼言いたいなって思ってました」

「お礼? どうして?」

「色々あります。募集に応じてくれたこと。店まで迎えにきてくれたこと。飯、おごってくれたこと。こうしてドライブに連れ出してくれたこと」

「くすっ……そんなことでお礼言ってくれちゃうんだ?」

「まだまだあります」

「あぁん。嬉しくなっちゃう~、聞かせて聞かせてっ?」

「何も知らない俺にアドバイスしてくれたこと。驕っていた考えの足りない俺に注意してくれたこと」


 自分で言ってて自然と頭が下がる。

 お世話になってばかりだ、これ。


「――あと、ひとりの深山を守ってくれました。ありがとうございます」

「いえいえっ、それは孝人くんちょっと買いかぶり過ぎよぅ?」

「……買いかぶり過ぎ?」

「孝人くんが守りたいお姫様がどんな子か、お姉ちゃんとしてはとっても気になっただけ」

「どうして、ですか?」


 そんな慎重な探りを入れる言葉を耳にして……ちらり、と流し目で視線を送って俺の顔を確認するKANAさん。


「……もぅ」


 色っぽくため息を小さくついて、KANAさんは唐突に車を停めた。

 ふと見ればそこは高い防波堤のふもと。

 海と陸とを(わか)つ、その狭間。


「海岸、ちょっと歩きましょ?」



   ◇



「んんん~……気持ちいい風~♪」


 そろそろ陽が沈み始め、目前に広がる海面は黄金色に輝いていた。

 海から流れ込む潮風で軽く肩に掛けているだけのKANAさんのサマーニットがなびき、その下に着ている体のラインが強調されるようなワンピースが鮮やかな夕日の色に染まっている。


「孝人くんもこっち来ればいいのにぃ~!」

「……いえ」


 正直俺は、あまり海が好きではない。

 家の窓から遠くに海が見えるぐらい近くなのに、年に一度の大切な日しか訪れない程度には好きではない。

 引いて行く波を見ていると、何か無性にどこかへと連れ去られそうな感覚に襲われるのだ。

 だから今も、防波堤を背にして波打ち際から距離を取っていた。


「KANAさん」

「ん~? なぁに?」

「……答えてください。どうしてですか?」

「えーとぉ……何の話だっけ?」

「深山のこと確認したいって――……いや。そもそもどうして俺のこと、あんなに良くしてくれるんですか?」

「えー? 最初にちゃんと言ったじゃない? お姉ちゃん、孝人くんのこと気に入っているって」

「無理があります。ちゃんと説明して欲しいです」


 靴を脱いで、さく、さく、と湿った海辺の砂を歩いているKANAさんはうつむいたまま優しく笑っている。


「じゃあ、まずは孝人くんからやめなきゃね?」

「……やめる?」


 打ち寄せてきた波の音とちょうど重なり、KANAさんの声が少し聞き取りにくかった。それで思わず聞き直す。


「きゃっ……冷たいっ♪」


 波が砂浜へと流れ込み素足だった足元まで到達して、KANAさんは無邪気にちょっと飛び跳ねている。


「KANAさん――」

「――それ」

「?」

「いつまでそんな他人行儀なの? 孝人くん」

「……」

「お姉ちゃんの名前、ちゃんと呼んでくれるまでは教えてあげませんっ」

「…………だって」


 俺は、その言葉の続きを上手く言語化できない。

 それを再び口にすると、もう何が何だかわからなくなってしまいそうで……距離感がわからなくなってしまいそうで、怖かった。


「もぅ……いつまでたっても甘えん坊なんだからぁ。孝人くんにそんな顔されちゃうと、お姉ちゃん困っちゃう~」


 潮風にもてあそばれている自分の髪を手で押さえながら、困ったようにKANAさんは眉を下げている。


「ね……ただの気まぐれの偶然だと思う?」

「え?」

「この海岸に来たこと。この場所に立っていること」

「……」

「孝人くんが離れたそこから一歩も動けないのも、ただの偶然?」

「…………」

「もぅ……頑固ねぇ。はいはい、負けました! お姉ちゃん全面降伏ですっ! もち待ちきれません!」


 そうぼやくような言葉を口にすると自分の身体の後ろで腕を組み、胸を張るように背を伸ばして小さく首を傾げ――


「――……ただいま、孝人くん。ずっと会いたかった」


 そう、少し悲しそうに目尻を下げて静かにつぶやいた。


「……」

「これでも足りないの?」

「…………」

「呼んでくれないの?」


 俺はまだ、上手く言葉が出てこない。

 手探りで慎重に距離を詰めようとしていた臆病な俺は、まだ心が定まっていないままだった。

 知りたい。それは間違いのない俺の心の声。

 ――でも知るのが怖い。これもまた真実だった。


「……っ、くっ……」

「こらっ、泣いてちゃわからないぞっ?」


 どうしても正しい言葉が出ない。詰まってしまっていた。

 『居ない』ことにしてきた。

 『存在しない』ことに慣れてしまっていた。

 現実を直視しないで逃げ回っていた。

 これはそのツケだった。


「――どうして死んだんだよ、神奈枝姉ちゃん……っ!!」


 ようやく開いた口からは、そんな言葉が飛び出す。

 見るからに生きている人に向けて思わずこんな支離滅裂なことを言い捨ててしまう俺だった。

 ……でも仕方ないだろ?

 こんなの、酷い嫌がらせだ。

 わざわざ自分が死んだとされる、その場所に立って笑ってるなんて。


「やっと呼んでくれたっ」


 まるで聖母のように優しく笑う。


「どうしてっ……どうして今まで連絡……っく、し、してくれなかったんだよ……!?」

「孝人くんがその理由、一番わかってくれている人じゃないの?」

「わかんないよっ!? 俺はっ……俺は違うっ! 俺だけは否定しない! 神奈枝姉ちゃんは、香田香奈枝だ……鳴門なんて苗字じゃない!!」

「ううん……鳴門神奈枝よ?」

「――っっ……!!」


 本人にまで否定されてしまった。

 これで本当に、もう、KANA――ああ……そろそろ認めろ、俺。

 香田神奈枝、は……この世に存在する証明を失ってしまった。

 アルバムにも居ない。

 戸籍にも明記されていない。

 あんな食卓テーブルの椅子の数だけで、何の証明もできない。

 そうなると俺はもう、必死だった。


「姉さんは居たんだっ……姉さんは居た!! 確かにウチに居て、ウチでいっしょに暮した!!」

「……そして、罪を犯してどこかへと逃げ出した」

「――……っっ……!!」


 どうしてそんな平然とした顔で、それが言えてしまうんだ?

 どうしてそんなに平気なんだ?


「あの時はただの居候が、調子にのっちゃってごめんなさいね……?」

「そんな悲しいこと言うなよぉっ……!!!」


 一方の俺は、もうぐちゃぐちゃだった。

 もう子供みたいに泣き叫ぶだけで、現実も受け止められなくて。


「姉さんはっ……姉ちゃんはぁ……家族だからっ……!!」


 今でも思い出す。

 あの土砂降りの雨の日、玄関の前で小さく丸まって泣いていた神奈枝姉ちゃんの姿を。

 酷過ぎる。あり得ない。あんな惨いことをできる親がこの世に存在することを、俺はいまだに信じられない。


『香田この子をよろしく頼む』


 そんな無責任な短い手紙を自分の幼い子供の手に持たせ、友人に押し付けてそのまま逃げ去る親なんて、あってはならない。悪魔の所業だ。

 居候なんかじゃない。違う。

 本人、そんなことは何も望んでなかった。

 神奈枝姉ちゃんは、悪意の中、意図して捨てられてしまった人なんだ。

 俺の家に頼るしかなかった。他に選択肢なんて存在していない。

 ――それでも幼い姉ちゃんは、迷った。

 雨の中、ずっとずっと玄関の前で立ち尽くして……違う家庭の中に入り込むなんて出来ないと悩んで泣いていた。

 そんな境遇の人を……可哀想な人を俺は『居候』なんて邪魔者みたいな言葉で呼びたくなんかない。

 家族だ。

 一緒に旅行して、遊んで、毎日挨拶してご飯を食べて!

 あれが家族じゃないわけがない……!!


「ごめんなさい……孝人くん。こんな言葉じゃ何も償えないことはわかってます。でも謝罪させてください。ごめんなさ――」

「――謝るなよぉ……っ!!!!」


 もう、頭の中……ぐちゃぐちゃだった。

 ずっとずっとブロックしていた思考と感情が、(せき)を切ったように流れ込んで来てもう訳が解らない。とても整理できない。

 もはや自分でも、どうしてこんなに取り乱しているのか良くわからなかった。


「何もっ……何も悪くないっ……俺……何も嫌じゃなかった……っ!」

「そう洗脳しちゃったの」

「違うっ! 俺の意思だ!!」

「ううん、何も違わない。未ちゃんが言うようにただの犯罪者よ? 何も知らない幼い孝人くんを騙し、幼い孝人くんを絡め捕り――」

「姉ちゃん……!!!」


 その先は決して言わせない。

 俺は阻止するように叫んで姉の元へと駆け寄り、乱暴に抱きしめる。


「…………ごめんなさい。こんな変わり果てた姿になっちゃったけど……帰ってきちゃいました」


 俺は前がちゃんと見えないぐらいにぐしゃぐしゃになって泣いているというのに、当の神奈枝姉ちゃんは涙を一粒も落とさず呼吸も乱さず、やっぱりそう優しく俺の耳元で囁く。


「っ……お……」


 情けない。せめて一瞬でいい。

 ちょっとぐらい、カッコつけたい。

 あれから少しは成長したことを証明したい。

 俺は精一杯に震える身体に力を入れ、肺から絞り出すように告げる。


「おかえり……神奈枝、姉さん」

「はいっ」


 神奈枝姉さんからも嬉しそうに俺へと抱きついてくれた。

 あれだけ嫌だった海が……さざ波の音が、優しく感じる。

 『俺の大切な姉を連れ去った』とあれだけ憎んでいた足元の波しぶきが、今は冷たくてただただ気持ちいいだけの存在だった。


「ふふ……予定よりずっと早くに、お迎えに来ちゃいましたっ」



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