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#008 彼女の嘘、本当の顔

「無礼を許してくれ。でもまだ俺は、あなたを信用することは出来ない」


 俺はお手製の武器を構えて、彼女にハッキリと宣言する。

 それがこの世界に来て獲得した、数少ない教訓のひとつだからだ。


「え、えーと……その……どうして?」

「俺を助けるメリットが、あなたに無さすぎる」

「……ええと。困ってるから助けたい……じゃ、だめなんですか?」

「足りない」

「うーん。困ったわ……みゃあ」


 何その、取って付けたような語尾!

 ――っていかんいかん。だからそれが相手の術なんだってば。

 いい加減学習しろ、俺。


「どうしたら、信じてもらえますか、みゃ……?」

「じゃあ、あなたの誓約紙を見せて欲しい」

「――っっ……!!!」


 途端に硬直するミャアさん。

 これからが肝心。集中。

 取り出して、見せるまでの相手の視線と動作を絶対に見逃さない。


「え、えへっ……えへへっ、困ったみゃあ~」


 『俺の誓約紙も見せるから』とは言わない。

 そんな不利になることは絶対に自分から言い出さない。


「本当に……見せないと、ダメ……?」

「見せられないなら、当然疑うだけだ」

「うぅ……」


 むしろその渋る反応は、ごく自然で納得できるものだった。

 安易に見せるほうが怪しい。

 そして狙ってこうやってごく自然な演技をしているのだとしたら、安易に見せるヤツよりもっと手ごわい相手ということにもなる。


「――ひぐっ……」

「いっ!? ちょ、ちょっと!!」


 正直それは、想定の範囲外だった。

 突然涙を見せてくる彼女。

 大きな瞳から、突然ポロポロと大粒の涙が零れ落ちた。


「香田君も……そうなのぉ?」

「そうって――」

「えぐっ……わたしのことっ……実は嫌い、なのっ……?」

「いやいや、それはさすがに……」


 泣き落としにしても、ちょっと演出過剰な気がする。

 つらい過去がありましたって設定なのかもしれないが、たかだか数分前に出会った初対面の相手に訴える内容じゃない。

 あり得ない。さすがにこれは。


「うぁ――んっっ……ひぐぅ……っっ……!!」


 いや……そうじゃないっ!

 これ、泣くことで誓約紙見せるのを誤魔化してないか!?


「ふえぇ……っ……ぐすっ……えぐっ……!」

「……」


 演技でここまで泣けるって、正直凄い。

 騙す・騙される関係を超越して、ひとりの人間として尊敬すらする。


「えぐっ……あの、ね……?」

「お、おう」

「実はぁ……わたしもっ、香田君と……同じ、なのっ……!!」

「?」

「わたしもっ……嘘、つけない、のぅ……!!!」


 そうして彼女は観念したかのように、ようやく誓約紙をポップさせる。

 ――凄い。まったく不自然な動きは見て取れなかった。

 あるいは本当に、何も手を付けずに出したのかもしれない。

 だとしたら、ここまでの会話を想定していたということになる。

 つまりまだ相手の手のひらの上だ。

 気を緩めるな、俺。


「ちょっと失礼……」


 そこには、こう書いてあった。


『・ミャアからの魔法は、自由に受け取れる』

『・ミャアは質問には事実を正確に話して、全部説明しなきゃいけない!』

『・ミャアは質問に沈黙つかって逃げれない』

『・ミャアはログアウトできないw』


 まず最初、直感的に思ったのが『これを書いた人は言葉を扱うのがあまり上手ではない』ってことだ。やけに不必要だったり怪しい表記が目立つ。

 あと正直よくわからないものも混じっているが……とにかく、2行目は彼女の言う通りだった。

 確かに『嘘は言えない』に近い内容が書かれている。

 ……まあこっちもそれは想定していた。

 ある意味で『はいはい、待ってました!』ぐらいの気分だ。


「どうしてこんな不利になるの、見せる?」

「だってぇっ……香田君が見せろってぇ……っ……それに……ぐすっ……見せたらわたしのこと、信じてもらえるかなってぇ……嫌われないかなってぇ!」


 まだ俺にこれを見せ続けたまま、彼女はそれを言っている。

 俺の知らないトリックでも存在してない限りは、つまり彼女は事実を正確に話して、全部を説明していることになっている。


「ぐすっ……それに――」

「ん?」

「――騙したまま、近寄れるかなって…………」


 言ってる本人が、顔を真っ青にしていた。

 ……えーと。まさにこれこそ、語るに落ちるってヤツ?


「へ、へぇ……騙す、ねぇ?」

「これっ、違っ……!!!」

「じゃあ質問。違うんですか? それとも本当に俺を騙すつもりでしたか?」

「――はい……騙すつもりでした」


 正直拍子抜けだ。いやここまで来ると、もはや『間抜け』か。

 かなり警戒してたのにあっけなさ過ぎる。


「ふえええっっ……違うっ、違うのぉ……っっ……!!!」


 いやいやと首を何回も左右に振り回して泣き崩れるミャア。

 はいはい、違う違う。


「ついでだから確認しておくか。どうして俺が『嘘が言えない』と思った?」

「ぐすっ……文字までは見えなかったけどっ……会話、聞こえてたからぁ……」

「そんな前からあそこで話を聞いてたんだ?」

「はぁいぃっ……木陰でずっと様子を見てましたぁ……!!」

「語尾の『みゃあ』はどうした? 無理なキャラ作りか?」

「ひゃううぅ~、無理なキャラ作りでぇすううぅぅ……っっ……!!!」


 ヤバイ。主導権を握るとこんなに楽しいものなのか。

 調子に乗ってしまったりんこの気持ちが、わからなくもなかった。


「――さて、じゃあそろそろ本題に入ろうか?」

「っ?」


 軽くこれから言う質問の内容を頭の中で精査して、問題ないかを確認。

 ……うん、問題ないと思う。


「俺を騙して近寄って……それで結局、どうするつもりだったんだ?」

「うぐっ……むぐぐっ……」


 とっさに両手を使って口を塞ぐミャア。俺は慌てない。

 誓約紙の強制力ってのは、そんなもので簡単に阻止できるほど甘くないことを、俺はよくよく知っているからだ。


「んくっ……んんんっ」


 おお。頑張る、頑張る。

 でもあと数秒も持たないだろう。ほら――


「――香田君と、友達になりたくてぇ……!!!」

「はい??」


 訳が解らない。

 なんでそんな――……いや、違う。


「それ、『近寄りたい』を言い換えているだけだろ?」

「違いますっ……ほんとにっ……ほんとにぃ……っ!」


 嘘はついてないんだろうけど……正直、全然釈然としない。


「改めて質問だ。じゃあ俺と友達になって、どうする? その先にどんな狙いがあったのか、ちゃんと全部を説明してくれ」


「――っっ!!」


 今度こそいよいよ、彼女の顔は血の気が失せていた。

 この世の終わりみたいだった。


「だめええっっ……だめぇっ……わたし、何も、考えちゃだめぇ……っ!!」


 頭を抱えて震えるミャア。

 無理だろう。

 確かに『全部』という概念がどこからどこまでなのか、その範囲は所有者の主観に委ねられることになるのだろうけど、あそこまで明確に質問したらその先を言及しないで済む訳がない。


「こっ……こ、こっ……」

此処ここ?」


 とうとう抗えないのか、彼女は大きく息を吸って――


「香田君のっ、こ、恋人になりたかったんですううぅぅっっ……!!!!」


 ――絶叫した。

 俺は…………その。はい? 恋人……ぉ??

 嬉しい、とかそういう気持ちより先に『何で?』が百倍ぐらい強い。

 本気でまったく訳がわからない。それ以上の感想を一切持てない。


「……えーと?」

「うああぁぁああんんんっっっ…………!!!!」


 号泣する彼女の横で、俺はただ首を傾げるしかできなかった。

 俺っていつの間にそんな、通りすがりの女の子を無言であっさり落とすほどのイケメンになってた訳だ?


「泣いてるところ悪いけど」

「ひぐぅっ!?」


 そう。ごめんな? この地獄の質問コーナーは、まだ続くよ?


「そもそも『騙したまま』って……何を騙そうとしてたんだよ?」

「――――っっ、や、やあっ!!!」


 ガチガチと歯が鳴るほど震えだす彼女。


「わたっ、わたしっ……、わたっ…………!!!」


 まるで壊れた機械みたいになってる。

 俺は別に急かさない。その必要もなく、黙って言葉の続きを待った。


「うええぇぇんん――っっ……ふえええぇぇ……っっ……」


 とうとう抵抗も限界まできたみたいだった。

 腰砕けのように地面に両手をついたまま、あうあうと子供みたいに泣き崩れてしまった。


「みっ、みゃ、んぐ……ま、あ……っ……」

「?」


 ゆっくりと彼女は、深く被っていた帽子を脱いで――


「――わたし、ぃ…………深山、玲佳、で……す、ぅ……!!」

「は、はああああっ!?!?」


 今度こそ、頭の中が真っ白になる思いだった。

 その告白した内容に、理解が及ばない。


「み、深山さんっ!?『あの』深山玲佳さんっ!?!?」

「えぐっ、えぐぅっ……どの、深山か、わかんなぃ、ですぅ……っ……」

「俺の教室の! 深山姫っ!」

「…………ふぇ…………っ……」


 小さくうなずくだけで彼女は精一杯の様子だった。


 ――ダメだ、まったく結びつかない。

 あの、意思が強そうで、清楚で、真っすぐで。

 いつもクラスの中心に立っている『深山玲佳』と。


「ひっく……ひっく……ふえぇ……っ……」


 この、目の前でボロボロに泣き崩れる魔法使いの女の子が同一人物とは、どうしても思えなかった。

 ……あ、いや……うん。

 基本を崩せないEOEだから当然だけど、大きな帽子を取って初めて見えた顔立ちやファンタジーな服装の上から伺えるプロポーションは、言われてみると確かに深山さんにすごく似てると思う。


「――えぐっ……死にたいぃ……」


 しかしそれでも……今は受けるイメージが違い過ぎるし、そもそもあの深山さんがこんなアングラなEOEでプレイしてるなんてまさかの状況、こうして事実を本人から直接聞いたあとでさえ想像すら難しい。


「深山さん」

「っっ! は、はいっ……!!」

「ほんとに、深山さん?」

「……ええ。わたしは深山玲佳、だけど…………」


 たぶん俺の質問というか、その奥の戸惑いを理解してくれたみたいだった。

 教室で佇んでいる、いつもの深山さんらしい話し方を意図的にしてくれた。


「ごめんなさい……わたしからも、もう一度いいですか……っ?」

「うん?」

「ちゃんと……言いたい、です……もう、取り乱したり、しないです……」


 崩れていた姿勢も正して、正座してうつむくミャア――というか深山さん。


「よくわからないけど……どうぞ」

「はい」


 大きな帽子を胸に抱きしめながら深々と頭を下げて……その姿勢のまま、しばらく止まって。

 それからゆっくり顔を上げて、こっちを真っすぐに見た。

 ――あぁ、うん。

 この瞳は深山さんだ。間違いなく。


「香田君……香田、孝人君」

「はい」

「いつも、もっと近づきたいって、そう思ってました……」

「っ!」


 さっき、赤裸々な告白を聞いたはずなのに。

 あれはどこかゲームの世界のことに思えて。どこか現実とリンクしてなかった。


「友達に――……あはっ……もう、意味ないね、そんなの」


 軽く左右に首を振って。


「もっと仲良くなって……」


 一言一言、噛みしめるようにつぶやく深山さん。そして。


「いつかあなたの隣に座りたい。恋人になりたい、ってずっと思ってました」

「――……っ……」


 さすがの深山さんも、言い切ったあとは視線を外して少しうつむく。

 俺はずっと……どうしても現実感が得られないでいた。

 嬉しいのか、さえ、よくわからない。

 たぶん俺は深山さんのことを憧れてた。

 綺麗だし、その性格には嫉妬するぐらい尊敬してた。


 ――でもだからこそ、かな。

 あまりにも遠くて、眩しくて……彼女のことはテレビ画面の向こうにある芸能界のような、華やかな世界の住人であるとして遠くから眺めていた。

 むしろ『俺なんかが関わっちゃいけない』ぐらい思ってた。たぶん。


「こんな成り行きの中で、一方的に告白してごめんなさい」

「いや……その、何だ……俺……」

「あ、いえっ、そんな今、無理して返事してもらわなくても――」

「? らしくないこというなよ、深山さん」

「――えっ……? らしく、ない?」


 テレ臭くて、ぽりぽりと軽く頬をかく。


「ろくに話したこともない深山さんを、全部わかってるようなことは言えない。言いたくない。でも……返事が怖いのを、そういうお為ごかしで逃げるのは、たぶん深山さんらしくないと思う」

「わたし……きっとすごく過大評価、されてるね……」

「そうかもしれないけど、俺の中の深山さんは、そういう人だ」

「……複雑」


 言うように、少々複雑な空気になってしまった。

 んー……と少し悩んで。


「俺、正直……深山さんのこと全然知らない」

「うん。それって『もっと知りたい』って意味で解釈してもいい……?」

「深山さんっぽい返事だな。いいね」

「あはっ」


 これで一区切り、ついた気がした。


「それじゃ質問」

「――っっ……!!」


 ぴくっ。

 その単語を口にした途端、顔色が変わるミャアこと深山さん。


「大丈夫……もう意地悪な質問とかしないから」

「あ。意地悪っていう自覚、あったんだっ?」

「まあ、多少は」

「もうっ……」


 軽くそんな言葉のジャブを交わして。


「どうしてEOEにいるんだ? ただの偶然?」

「そんなわけないの、わかってるくせにっ……! やっぱり意地悪っ」

「いやそこは本当にわかってない。つまり、必然?」

「……うん。その……ごめんね? 最初は、ただ心配してただけなの」

「心配って――ああ。原口のこと?」

「うん……公園で……酷いことされないかなって……」

「あー」


 もうそれだけで、ある程度は理解した。


「俺と原口の会話、さっきみたいに物陰から聞いてたんだ?」

「……わたし……そういう人だって、思われてそう……」


 げんなりとうなだれてる深山さん。


「それでEOEまでついてきた?」

「うん」

「あれって当日だったろ。よく4人集まったよね? 場所はどうやって?」

「鈴木や岡崎や久保に……費用はわたしが持つからって、無理にお願いして」

「ああ……なるほど」

「なるほど、なの?」

「うん。その3人なら無理してでも、深山さんに付き合ってくれそう」

「………………うん」


 すごく、間があった。


「場所はネットで調べたら、意外と簡単にわかって……タクシーで向かって」

「うっわ……さすがお嬢様」

「っ……それで、このゲームに飛び込みで参加したの」

「へぇ」


 ……あれ? ちょっと違和感。


「結果的に会えたけど……EOEのゲーム内で会える保障ないだろ? この名前だって偶然のトラブルで本名だけど、普通は偽名だし」

「あ。それは心配してなかった」

「どうして」

「公式サイトに注意事項として書いてあったから。このゲームって、顔の基本デザインが変わらないって、事前にわかってたの」


 そうか。

 楽しみが減るからって、攻略サイトとかゲームの説明書とかをあえて極力読まない派の俺はその結果として開始前に色々バタバタしちゃったけど、普通の人は公式ぐらい調べてから開始するものかもしれない。


「初回ログインのプレイヤーが入ってるチームは、必ずこの『始まりの丘』からの開始だって書いてたし……時間合わせたら、いけるのかなって」


 確か、アクイヌスもその名称を口にしていた。

 つまりここは、初心者専用サーバーみたいなところなんだろうか?


「でも年齢や体格を変更――」

「香田君の顔なら、絶対に一発でわかる自信あったもの!」

「――っ……」


 告白よりこっちのほうが恥ずかしいのは、なぜだろう?

 とにかく彼女は自信満々にそう言い切っていた。


「ね? 実際、遠くから一目でわかっちゃったよ?」

「そりゃ……髪の色から瞳の色まで現実そのまんまだし」

「うんっ、逆にびっくりしちゃった! 名前までそのままなんて!」

「ははは……まあ、色々あってね」

「うん、大変そう……」


 俺のボロボロな身なりを改めて観察して、悲しそうに瞳を細めてくれる。


「それで、ミャアさんとして騙して俺に近づこうって?」

「……はい」

「お金もかかるし、回りくどいなぁ……別に教室で――」

「そんなの無理に決まってるでしょ!? あえてまわりと接点持たないようにしてたの、誰ですか!?」

「――は、はい……俺でした……」

「どんなにアイコンタクトしようとしても……全然こっち見てくれないし」


 視線がちょくちょくぶつかるの……気のせいじゃなかったんだ……。


「わたしから無理に香田君に近づいたら……迷惑かかりそうだったし。だから昨日みたいなトラブルは……ちょっと嬉しくて。こんなチャンス、もう滅多にないって思って、それで思い切って――」

「それはどうも……」


 さっきよりかはずいぶんマシになってきたけど。

 でもやっぱり、現実味はあまりなかった。


「――なあ……どうして俺なんか、その。気になったわけ?」

「えっ」

「言うように接点ほとんど無かったわけで」

「……っ」


 へ!?

 少し、睨まれてしまった。


「そ、そんなに……気楽に質問……しないで欲しいっ……」

「あっ」


 返答への抵抗している深山さん。


「む、昔……1年生の時……凄く助けてくれた……」

「…………?」


 正直、それは覚えてなかった。

 深山さんと同じクラスになってからのこの一年半ぐらいの間に、挨拶程度の軽い会話ならいくつか交わしたことは確かにあったと思うけど。

 ……でも、そんな大層な話はしてないはず。

 あるいは俺が迫害を受けそうになった時、何度か助けてくれたけど。

 ……それこそあべこべな話であって、俺が助けた覚えなんて一切なかった。


「……」


 強制力でも働いているかのように、もう何の質問も出来ず、黙ってしまう。

 ……あ。いや、実際に働いてるのか。強制力。

 『しないで欲しい』と言われていたことに、今さら気が付いた。


「…………」


 彼女からも説明は終わったみたいで……つまりそれが全部ってことか。

 じゃあそろそろ気になっていることに話題を変えようと思う。


「なあ。もうバレちゃったから諦めているんだろうけど、そろそろ消しなよ」

「えっ?」

「ほら、誓約紙のあの一文……っていうか全体的に酷過ぎるから、全部消しておきなよ。さすがに見てられない」

「え…………えっと???」

「ん?」


 ……え?

 何、この……違和感。というか、嫌な予感。


「ほら、誓約紙出して。指使って」

「指……」


 じっと自分の人差し指を眺める深山さん。


「…………その指で、ここの誓約紙の文章をなぞってみて」

「? ……はい」


 従順に言われた通り、しっかりと形が変わるぐらいに誓約紙へと指を押し当てて、深山さんはそのまま紙面を確実になぞる。しかし嫌な予感の通り――


「それで……?」


 ――彼女の誓約紙の文章は、何ひとつとして消えたりは、しなかった。


「……」


 これって、あまりにも酷過ぎじゃないだろうか?

 特に最後の一行だけはダメだ。シャレになってない。

 『ログアウトできない』なんて古典VRMMOモノの設定じゃないんだから、それだけは現実では絶対に許されない。あり得ない。

 俺は信じられないと小さく首を振りながらアイテム欄から自分の誓約紙をポップし、すぐに半分に折って――……


「いや、それじゃダメだよな」

「?」


 一度は折った誓約紙を改めて広げてから、深山さんに見せる。


「いい? これを見て」

「う、うん」


 上の文章がすごく気になるみたいだけど、とりあえず俺の指さす辺りを注意深く観察してくれる深山さん。


 『嘘を言えない』。そう入力して。


「今、俺は嘘が言えない」

「――わたしのこと……好きですか?」


 すかさず質問をしてくる、頭の切れる深山さん。


「はは……わからない。まだ深山さんのこと知らないし、感情が追いつかない」

「ぷーっ」


 俺の変わらない返事の内容に、可愛いく頬を膨らませてる。


「書いた本人だけ書いた文章を消せるのは、知ってるよね」

「うん。最初に説明があったね?」


 深山さんがうなずくのを確認してから話を進める。


「操作モードからでなくても、こうやるだけでも、消せる」

「わっ」


 指でなぞると、それだけで消えることを実演してみせた。


「あーあ……それで香田君は、元通り嘘つきさんになっちゃったの?」

「嘘もつくだけです。騙そうとしていた人が言わないでください」


 ちょっと笑い合う。


「あ! それでさっき、あの人たちを騙してたんだ?」

「そういうこと。深山さんも今後は怪しいと思ったら、まず相手にこれをやらせたほうがいいと思う」

「うん。ありがとう」


 くしゃっ……と前髪を握って、俺は小さなため息を一度吐き捨てると。


「――こうやって、深山さんの誓約紙から絶対に消してもらう」

「え。えっ?」

「何としてもあの酷い文章を書いた人を見つけ出して、絶対に消させる」


 俺は、心に決めた。


「こんなのはさすがにダメだ。遊びの範疇はんちゅうを超えている」

「…………うん」


 さっきまでの明るい雰囲気は消えてしまい、意気消沈という感じにうつむいてしまう深山さん。

 栗色の髪で可愛くおおきなリボンをつけているミャアの姿だけど、そろそろ彼女がいつものあの深山さんだと普通に認識できるようになっていた。


「……質問は、しない」

「うん?」

「深山さんなら、きっと真っ先に当人たちと向き合って、相手が音を上げるまでトコトン正論を突きつけて何としても説得する……そういう人だと思う」

「……香田君の中のわたしって、本当に凄いね?」


 そんな悲しそうな笑顔をしないで欲しい。


「そうしないで……まるで何もなかったかのように我慢しているってことは、それなりの理由があるんだと思う。だから無理には聞かない」

「ん…………ありがとう」

「だからこういう言い方しかできないけど……深山さんに協力したい」

「っ!」

「その酷い文章を消すために、協力したい」

「……っ」

「えーと、その……だから――」

「ん?」


 少しテレる。

 つまりようやく、実感が出てきたってことなんだろう。これは。


「――深山さんの隣りに座ってみても、いい?」

「もうっ……それ、質問っ……!」


 顔を真っ赤にさせて、深山さんが訴えてる。

 つまり俺の言葉の意図は、ちゃんと伝わってくれたのだろう。


「はいっ……喜んで、お願いしますっ……」


 また深山さんは、泣いた。

 でも今度はとても優しい表情で、静かに。


「えへっ……あは、はっ……」


 涙をぬぐって笑顔で取り繕っている。

 誓約なんてこんなゲームシステムに踊らされて、最悪な告白を強制的にさせられて……深山さんにとってこれ以上ない最低な一日だったろうな、と思った。


「――あ、みぃ~つけたっ!」


 この瞬間までは。


「って、うっそうっそ、マジでっ?」

「どうしたんですか、鈴木さん」

「はあ~っ!?」


 背後から、そんなどこかで聞いたことのあるような声が届いてきた。


「あ、ぁあっ……あぁ……!!!」


 深山さんが、見て取れるほど急にガタガタと震えだしていた。

 視線が定まってなくて……明らかに様子がおかしい。


「ひえー……深山と香田とかぁ!? マジであり得なくない~!?」


 俺は後に、酷く思い知る。

 深山玲佳の『最悪な一日』は、まだ始まってもいなかったってことに。



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