#073c 大変な一夜
深夜の自室。
照明も点けない暗闇の中で、俺は目前のPC画面を凝視していた。
「zipファイル……?」
妹の未によってデスクトップ上にあるすべてのショートカットが消されたと嘆いていたが……よくよく見れば圧縮されたファイルがひとつだけ画面端に残されていたのだ。
もしかしたらこの中に元のショートカットが封じ込められている……?
とりあえず解凍して中身を確認することにしてみた。
『解凍するためのパスワードを入力してください。』
「またかぁ……」
げんなりしてしまう。
ログインに続いてどうしてこんな面倒なことを……ああ、いや。
ある意味でとってもこの頃の未らしいか。
今ではEOEの誓約の力も手伝って素直に何でも話してくれるようになった未だけど、これを用意していた当時の心持ちはちょっと違う。
俺との関係とほぼイコールだが……メチャクチャに捻じれてて酷かった。
まあそりゃそうだ。
二年前に未を残酷な態度で拒絶して、深く傷つけてしまった。
なのに同じ家で毎日食事の度に顔を合わせて……俺も気まずかったが、未はその比じゃないほどつらい日々だったと思う。
逃げ出したくても、外に出ることも満足に叶わない弱い身体。
それでなくてもコンプレックスの塊となっていた未は、もうどうすることもできなかったのだろう。
つい先日。
EOEでの未からの赤裸々な告白を聞く限りだと、その後もずっと……諦めきれず俺を好きでいてくれていたらしい。
そしてそれを断ち切るために、わざと嫌われるような振る舞いをしてみたり……あるいは振り向いて欲しいとアピールしたりと自己矛盾を抱えたまま、延々とあがいていたらしい。
「むしろ……優しいよな、これって」
本当は自分を表現することが普通の人より極端に下手な未が、それでも頑張ってくれた。
振り絞るように、強い意思で声を出してくれた。
その気持ちまで内側に閉じ込めて、何もないフリをしなかった。
ちゃんとそのやり切れない思いとストレスを俺にぶつけてくれたのは、今思うと本当に救いだったと感じる。
多少複雑な構造になっちゃったけど……しかし少なくともパンクせずに、今も未の心はある程度の健全さを保てている。
暴力的な行動に出るでもなく、一方的に関係を断つでもなく。
本当はつらいはずの未なりに上手に繋がりを維持してくれていた。
……それが優しさじゃなくて、何だというのか?
さっきの『最低』とか『いやらしい』というメッセージだって、半分は自分自身への批判で……俺へのSOS信号でもあったはずだ。
もちろん兄妹だから迎え入れることはできない。それはダメだ。
でも、年上の兄としてもうちょっと違う形ででも受け止めてあげることはできなかったのか……と、過去の幼い自分に少しばかり憤りを覚える俺だった。
「ほんと……可愛いもんだよ、こんなの」
こうやって嫌がらせをするのもまた、当時の『かまって』『こっち見て』という未の声に思える。
あるいは『怒って欲しい』という反対の願いだったのかも?
どちらにせよ、傷だらけの未からの精一杯なメッセージ。
本人からすると不本意かもしれないが、今はそれがすごく愛しい。
「――どれ」
今度こそ、あのパスワードの出番だと思う。
俺は解凍するため『20130303』と数字を入力した。
「ビンゴ」
エンターキーを押した途端、解凍の進捗表示が現れる。
「……でかい?」
そのバーの伸びる速度から、最低でも数GBはありそうと察する。
つまりこれ、圧縮されている中身はファイルサイズが極小なショートカットなんかじゃないってことだ。
まあいいか。元のプログラムが残ってるなら、ちょっと面倒でもショートカットの復旧自体は手作業で充分に可能だ。
それより今は、この解凍されるファイルのことが気になる。
そのまま5秒……10秒、と待たされて焦れながらも画面を見つめる。
「おっ」
進捗表示が99%からまさに今、100%となり――
「――……動画?」
『sumi.mp4』。
拡張子で瞬時にそれは理解できた。サムネイルの表示は真っ黒だ。
「……」
ファイル名から察するに……この動画には未が映っている気がする。
何だろう。すごくクリックすることに勇気が必要だった。
もしかしたらそれは今の素直な未にもう慣れちゃったものだから、今さら動画の中で昔の罵詈雑言を口にする鋭い瞳の未の姿を見るのが……すごく痛々しくて、つらい予感がしたからかもしれない。
「……そういや、募集出しておかないと」
正直に白状すると、これは軽い現実逃避。
クリックする勇気がないもんだから、とりあえずって感じで例のEOEマッチ専用の非公式掲示板、通称『イーマチ』を開くためブラウザを起動してしまう俺。
「ブックマークも全部ないのか……」
未の嫌がらせも徹底しているなぁ。
仕方ないので携帯の中にある凛子のメッセージ履歴からリンク先を見つけ出し、手打ちでアドレスを入力する。
それで無事に『イーマチ』のページを開くことができた。
「さて……俺から募集掛けなきゃダメだよな?」
ざっと書き込みを見ると、相手を選ばなければほど良い募集はすでにいくつか掲示板に見かけられた。
しかしここに申し込みはできない。
なぜなら岡崎と合流する必要があるからだ。
例えばふたり募集のところに俺だけ登録して『仲間がログアウトするはずだから残りひとりの募集を打ち切ってくれ』なんて要請を出しても、まず通用しないだろう。
そんなの四人揃わずログインできないというリスクがあり過ぎる。
むしろ見知らぬ野良同士なんだから、面倒なこと言い出す俺ごと弾かれるのが関の山。
……というか、俺が逆の立場なら間違いなくそうするだろう。
「えーと……待ち合わせは東トレーラー前、時間は午後11時半、と。レベルとか職業はどうでもいいよな。不問で、無言」
凛子から以前教わったアドバイスを元に募集内容を決める。
「二名を募集します……と。まあこんな感じだろう」
ざっと改めて読み直してから『送信』ボタンを押す。
後は募集を見て応じてくれる人が来ることを祈るばかりだ。
「……そういや、メール」
ちらりと未の残した動画のファイルを尻目に、今度はメールチェックを進めるチキンな俺。
「ってアイコンないのか」
デスクトップにショートカットのアイコンがない以上は仕方ない。
プログラムファイルを直接――
「――……あ~……」
どうやらこれ以上の現実逃避は許してくれないみたいだ。
そうだった。
メールの保存先であるDドライブを丸ごとロックされていたんだった。
「またか……またしてもか」
Dドライブをアクセスしようとして再び現れる『パスワードを入力してください』の表示に頭を抱えた。
ログイン、zipファイルに続いてこれで三度目。
嫌がらせにしても手が込み過ぎだろう。
どうしてここまで階層的にする必要がある?
本気で憎いなら……PCを壊すなりデータを消すなりすれば良いわけで、わざわざこんなことをする未の意図が理解しきれなかった。
まるでこれじゃ、パズルゲームみたいだ。
「本気でゲームのつもりだったりして……ははは……」
どうやら覚悟を決めて動画を見るしかないようだ。
Dドライブには趣味で作っているプログラムデータとかも山ほど保存している。あの努力の結晶たちを無にはできない。
決して未が言うようないやらしい画像のためではない。うん。
「どれ」
時間を稼いだおかげでちょっとばかり心の整理がついた。
というか『動画の内容を知りたい』という興味のほうが膨らんできた。
「ま、愛しい妹からのツンデレな罵詈雑言なら……喜んで受け止めてやるのも兄の責務ってなもんだろう」
……そんなちょっと無理やりな言葉で自分を騙しつつ、動画ファイルへとカーソルを合わせ、ダブルクリックした。
動画の中の未……悲しい瞳をしてなきゃいいなぁ。
――ガガガッ。
真っ暗な画面に、そんなノイズみたいな騒音がいきなり響く。
しばらく画面は暗闇のままだが、しかし確かに動画は再生されている。
「……」
突然、無言の未が部分的に口元だけ映った。
どうやらカメラ位置を調整しているその最中みたいだ。
ガチャガチャとカメラに触れる音ばかりがやけに大きく響く。
少し動画の音量を下げ――いや、聞き逃すことのないよう傍らのヘッドフォンを取り出して手早くPCに接続した。
「……どう?」
どう、と言われても。
まあそのお手製のゴスロリ服姿を久しぶりに見た気がするが、やっぱりすごく似合うなって思った……ぐらいか。
「映ってる……?」
「ああ、そういう意味か」
無表情のまま、小さく手を振って自分が映っているか確認している未。
どうやら動画の中の時間帯も夜のようだ。
真上にある部屋の照明に反射して未の銀色の綺麗な髪が輝いていた。
「ん? これ、俺の部屋?」
見慣れた壁に、見慣れた寝具。
どうやら俺のベッドの上に未は座っていた。
つまりこれ……未が俺の部屋にいたあの夜ってことになりそうだ。
まあ俺のPCへと好き勝手にパスワード掛けるその直前のタイミングとみるのが自然だろう。
「――こんばんは、兄さん……これを兄さんが見ているということは、きっと私がすでにこの世から去った後なのだと思います……」
「は、はあああっ!?!?」
思わず大声を出してしまった。
これ、もしかして遺言のつもりで――
「――とかいうのを、一度言ってみたかっただけです」
見事に引っかかってしまった。
くそっ……意外と面白いから腹が立つ。
俺は大声を出してしまったその自分の口を手で塞ぎつつ、浮いた腰を落として椅子に座り直した。
「そう……これを見ているってことは……私、成功した……?」
何を?
「……うん。成功したはず……だから、それ前提でお話……しなきゃ」
画面の中の未の視線が左右にうろちょろしている。
よっぽど迷うか……あるいは怖がっているようだった。
「…………私、素直に……兄さんに気持ちを伝えた、んですよね……?」
「ああ、そういうことか」
さっきの『成功』の意味を理解した。
「それで……この動画を見るって……どういうことですか?」
「どういうことと言われても」
未の視線が落ちる。
「……わからない。兄さんが、わからない」
「俺もだったよ」
ヘッドフォンで正解だった。没入感がある。
まるで未と今こうして対面しているかのような気持ちになってきた。
「それで……嫌われないで……今、兄さんがここで動画を見てる……? 正直とても信じられません」
画面の中の未は、とても不安そうだった。
視線がどんどん下がっていく。
少し思いつめたようで瞳の輝きも弱く……消衰しているように見える。
「私……その……私……」
「私、か」
そういや自分のことを『未』と呼ばない未のほうが期間としてずっと長いはずなのに、妙なほどの違和感があった。
「私……今でも、兄さんのこと…………好き、です」
「……」
自然と俺から言葉が失われる。
未は小さく震えていた。
「好きです…………どうしても気持ちが、変わらない。消えない。兄さんに迷惑掛けたくないのに……気持ち悪いって、思われたくないのに」
ようやく未の視線が上がる。
「ね……気持ち悪いですよね? 兄妹で、こんなこと……気持ち悪い。本当に気持ち悪い。兄さんが嫌がるの、よくわかります」
つらい。覚悟していたけど、やっぱりつらい。
そんなに自分を責めないでくれ。俺が悪かったって、この頃の未に駆け寄って抱きしめたい。
……そしてそうしなかった過去の弱気な自分を、見ている俺も内心で強く責め立てていた。
「不潔で……いやらしい。気持ち悪い」
未の瞳が揺れている。
決してそんなことないのに――
「――ほんと……?」
「えっ?」
まるで画面の中の未と会話が成立したみたいで、一瞬驚いてしまう。
「ほんとに……兄さんは……こんな私のこと……許してくれたんですか? どうしても信じられません……この動画、永遠に見られることはない気がします」
なるほど……と俺は未の意図を理解した。
ここまで階層的に何重もパスワードを掛けたのは、状況に応じて段階的に開示するためなのか。
EOEで和解できなかったら、この動画を見ることはなかった。
そういう未来も有り得たわけだ。
「そう……これを兄さんが見ることはない……見られることはない……」
「残念。バッチリ見てるよ」
未、頑張ったな。
怖かっただろうに……よく、『素直になる』なんて誓約を自分に入れることができたな。
その目論見、大成功だったよ。
ちゃんと俺と徹底的に話して……今、こうして動画を見ているよ。
「――……うん……吹っ切れました」
「お?」
「残念でしたね……兄さんの大切なパソコンのデータ、私が預かっています。兄さんが悪いんですよ? こんな気持ち悪い妹のこと信用したりして。ちゃんと管理者権限のない別のアカウントぐらい用意するべきじゃなかったんですか?」
「……はい、それは後に指摘を受けて俺も深く反省しております……」
さっきの言葉通り『これは見られることがない』と吹っ切れたのだろう。打って変わって憂いのない、少し意地悪な瞳を俺に見せる未だった。
「まったく仕方ないですね……兄さんの大切ないやらしい画像が入ったDドライブを解除するパスワードをこれから伝えてあげます」
「……画像だけじゃないんだけどね?」
とにもかくにも、教えてくれるなら有り難い。
動画だから何度でも見直すことが可能だが、念のためメモ帳を開き――その巨大すぎるカーソルに吹きそうになってしまった。
慌ててフォントサイズの設定を戻していると。
「まず最初の文字は……S、です」
「ん?」
その表現に引っかかり、手が止まる。
「この動画の合間合間に、パスワードを一文字ずつ伝えていきます。ちなみにデタラメな英数字の羅列ですから推測は不可能だと思います……」
「ほんっっっとに、手が込んでるなぁ……!?」
呆れるを越して、もはや感心してきた。
もしかして一夜掛けて練りに練って考案してないか、これ?
「さ……兄さんには悪いですが、最後まで未とお付き合いください」
「ん?」
今、自分のことを『未』と呼んだよな?
つまり一段階、心の壁が解除されて素に戻っていることを意味しているように感じた。
言うなればEOE内の普段の未と同じレベルぐらいだろうか。
「まったく兄さんは……どういうつもりなんですかね……?」
さっきまでの少し緊張していた雰囲気はずいぶんと薄れ、未はリラックスした様子で姿勢を崩しながらボヤき始めた。
この未は『この動画が実際に見られることはない』と心から確信しているのかもしれない。
「未に自分の部屋を譲るなんて……デリカシーのかけらもありません」
さっそくベッドの上でごろんと寝転がる未。
俺の枕を抱き寄せていた。
「好きな人の部屋を一夜独占して自由にできるなんて……どういうつもりなんですか?」
「申し訳ない」
まったく同じ非難を同じ人から時間差で二度受けてしまう俺だった。
「普通になんか……してられないじゃないですか……」
――あれ?
この会話の後って……未、なんて言ってたっけ?
何かこう、衝撃的な――
「兄さんの匂い……久しぶり……昔はずっといっしょに寝てくれたのに」
「……」
未は俺の枕を寝転がったまま、ぎゅっ……と抱きしめていた。
「あの日が最後……でしたね……二年前……いっしょに寝たいって、未から久しぶりに誘った、あの日の夜」
未は、枕へと頬ずりを繰り返している。
話す言葉もつぶやきのように小さくなってて……まるで未の部屋の中を覗き見でもしているような気分。
「二年が経過して……あの頃の兄さんと同じ年齢になって……よくわかります。あの頃の未は、あまりにも幼かった……」
画面の中に、プライベートな空間でリラックスしている未が居た。
いつものような鋭い視線なんてどこにもなくて……少しあどけない瞳。
「あれじゃ兄さん……嫌だって……わかります。あんな子供に言い寄られても……魅力なんて感じてくれるわけ、ありません……」
「お、おい」
思わず声が出る。
未は静かに上半身を起こすと。
「…………少しは……大人になったと思うんです……」
ゆっくりと自分の髪を掻き揚げ、背中へと手を伸ばす。
ジイィ……と、微かにファスナーが降ろされる音が耳に届いた。
「……今なら……少しは可能性、ありますか……?」
「ちょっ――」
恥じらう未の視線がこちら――カメラへと向けられて、俺は息を呑む。
「…………R……」
「っ!?」
まるで停止させようと慌てて俺がマウスを握ったその動作を察知したかのように、未がそう突然つぶやいた。
「今の……パスワードの二文字目です。どうせ見てないと思うけど……でもダメ。兄さんに最後まで見て欲しいです……」
俺の中で『何か』と『何か』がせめぎ合って、思考と行動すべてを停止させているその間にも、動画は流れ続けていた。
「兄さん……見てて……未のこと、見て…………ちゃんと女の子なんだって、知って欲しいんです……」
「――――……っっ……」
画面の中の未は、そうつぶやくとベッドに接する画面奥側の壁に背中からもたれ掛かる。
「兄さん…………見て……ちゃんと未の、最後まで見てて……」
◇
「――あらやだ! 孝人じゃないの!!」
トイレから出ると、ちょうど起きたばかりの母さんと鉢合わせをした。
「あ、ああ……ただいま……」
「久しぶりに帰ってきたと思ったら……一体どうしたのよ? 病人みたいなげっそりした顔をして!」
「いや…………まさか本当に三回も続くとは思わなくて……ははは」
「はぁ???」
「ごめん……徹夜だからこれから寝る。あとごめん、冷蔵庫のチャーハン食べちゃった……」
「あら、いいのよ。あれは作り過ぎちゃった残り物だし、母さんが朝ごはんにでも食べようかと思っていたものだから」
「そっか……ごめん」
「どうしたのよ、ごめんごめんって。孝人らしくないわねぇ?」
「…………ごめん。お休み」
「? ええ、お休みなさい。そういえば今日はゆっくりしていくの?」
「……やらなきゃいけない作業があるから、昼過ぎまでは家に居るよ」
「そう、じゃあお昼ご飯は用意しておくから」
「ありがとう」
「未は?」
「……えっ……」
「未は帰って来てるの?」
「あ、ああ……ううん。向こうでずっとゲームプレイ中」
「あらそう。ずいぶんハマってるのねぇ……母さんちょっと心配で複雑な気持ちもあるけど……でもそうね。あの未が外に出て夢中になってくれるならやっぱり親として嬉しいわ!」
「心配はしなくていいよ……別に危険じゃない」
「そうね、お兄ちゃんがいっしょだものね? 母さん安心だわ~」
「…………」
「ホントにどーしたのよ、孝人。大丈夫?」
「…………ごめん。寝る。つらい」
「ええ。好きだからって、あんまり精を出し過ぎて倒れちゃわないようにねっ? 嬉し恥ずかしの夏休みはまだまだ続くわよぉ~ん?」
「は、はは…………何それ、きっつ……」
「んん?」
「ほんとごめん……おやすみ……」
最後まで母さんと視線を合わせられない俺はそう言い残し、とりあえず階段を登って自分の部屋へと戻る。
あの場所で本当に眠れるのだろうか?
俺だって……人間だ。
『――しますよ……未だって人間ですから』
不意に未の言葉が脳裏に蘇り……それで遅まきながら理解した。
『大変だった』と訴えていたその真の意味を実感する。
『好きな人の部屋で一夜自由にしていいだなんて言われて――』
ああ、そうか。
つまりこれは、ある意味で見事な仕返しと言えるのだろう。
うん……確かに大変だ。
『平常を保てるわけがないじゃないですか……!』
本当にそうだね。
平常なんてとても保てないや。これ。
果たして俺は……ちゃんと眠れるのだろうか?
未の芳醇な葡萄のような、甘い甘い香りの残るあのベッドの中で。





