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#073b パスワードが違います

「――二週間、か」


 俺は郊外を走り抜けるタクシーの中で、真っ暗な深夜の風景を窓越しに眺めながら時間の流れの早さに思いを馳せていた。

 さっき携帯スマホの画面で確認したが、今日は金曜日らしい。

 週末――そこから連想することは容易だった。

 これから週末の休暇を迎えようとしていた金曜の放課後。

 『原口楽』という昔遊んでいた友人が突然教室に現れ、EOEというゲームの存在を知ってから、二週間。

 怒濤のように起きた数々のことを考えると、あまりにも遥か昔に感じられてもはやピンと来ないのが正直なところだった。


「マジか……」


 ”じゃあ、一週間前の金曜日は何をやっていたのだろう?“


 そう考えが進んで日々あったことを少しずつ振り返り、指折り数えてさかのぼると軽く絶句した。


「先週の金曜って……深山が初めて創作魔法(シルバーマジック)を使ったあの日かよ」


 何度数えても間違いない。

 まだ更新より以前で、深山とふたりで魔法の研究を一日中していた。

 その夜にウラウロゴスという山のようなイベント専用モンスターが現れたあの日が…………まだ『ほんの一週間前』ということになる。


「濃すぎだろ」


 以前トレーラー前で待ち合わせをしていた時にも実感したことだが、EOEでの出来事を振り返るとその内容の濃さにはいつも圧倒される。

 別に異世界とかじゃないから時間の流れる速度自体は現実リアルと何も違わない。一日は24時間だし、ちゃんと一日8時間前後の睡眠もゲーム内でとっている。

 ……そうじゃない。純粋に濃密なのだ。

 ただぼんやりと教室の中で椅子に座って黒板を眺めている日々とは過ごす時間の質がまったく違うだけ。

 例えばEOEを始めるその一週間前を日記に残すとしたら、こうだ。


 ”普段と変わらない学校生活を一週間過ごしました。“


 ――その一行で正直事足りてしまう。

 強いて何か書こうとするなら、深山と視線が合ってドキッとしたとか、やっぱり未には無視されてしまったとか、カレー美味かったとか……そんな些細なことを並べることぐらいしかできそうにない。

 それに比べてこの一週間であったことを並べると――

 まず、深山とふたりで魔法をひたすら創って。

 それを使って深山が数十kmの空間を焼野原にして。初めて死んで。

 楽のやつと再会して、多少は和解して。

 車内で凛子を召使いって認めちゃって、いっしょにお弁当を食べて。

 ログインして合流したら深山が激しく反省してて。

 更新日が訪れて。N.Aと話して。ラウンジに転送されて。

 クラウンアイテムもらって。そのアイテムを組み合わせて増殖させて。

 直後にアクイヌスたちが襲ってきて。戦って。また死んで。

 凛子に負担を掛けてしまって、トコトン泣かせちゃって。

 いっしょに自宅に行ってアルバムを凛子と並んで眺めたりして。

 そして未をEOEに誘って――……そろそろやめようか。

 金曜から土曜までの()()()()()()で、この有様だ。

 きっちりと出来事を並べたらもうきりがない。


「しかしそれにしても……一週間で三回も死んだのか、俺」


 いくらなんでも死に過ぎだ。

 さすが最弱の一般市民は伊達じゃないな。

 ついつい1ブロックほどの高さから落ちるだけであっさりと死ぬゲームキャラとか連想してしまった。

 ちなみにこの独り言でタクシーの運転手がギョッとした目でバックミラー越しに俺を見ていたが、それはあえて無視しておく。


「ま、上等だ」


 レベル1のゲーム内最弱だから、何だ?

 戦闘スキルのない一般市民だろうが何だろうが知ったことじゃない。

 俺が持つすべてを費やし、あらゆる創意工夫を武器にして抗うだけだ。

 EOEという世界の頂点に登り詰め、神にも等しい権利を勝ち取る。

 それで俺は深山を助ける。

 ――いや。俺が、深山を助ける道を創る。

 エゴでも偽善でも打算でも何でも構わない。

 それで俺のモチベーションがこんなにも高まり、限界まで頑張れるならいくらでも自己陶酔してやろう。

 目指すものが明確な今の俺のこの『意志』だけは、無敵で最強だ。


「お客さん……着きましたが」

「あ、どうも」

「もう終電行っちゃってますよ?」

「いいんです。あとは歩いて行きます」


 俺は深夜料金が加算されたバカ高いタクシー代を払い、車を降りた。


「……母さんに殺されてしまうからなぁ」


 自宅前までタクシーで行ってもしそれがバレたりしたら、『学生が何様のつもりだ!』って今度はアキレス腱固めでも食らいそうだ。

 ……リアルは痛覚200%以上なんだろ?

 もうそれ考えるだけでも震えあがるほど恐ろしい。


「ははは……毒されてるな、俺」


 すっかりEOE基準になっていることを自覚して、思わず失笑した。



   ◇



「――……ただいまぁ……」


 もちろん聞こえないような小声でそうつぶやくと、裏口から自宅の中へと無事に侵入を果たす。


「おっと」


 身体は正直だな。

 キッチンの横を素通りしようとした時に腹の虫が鳴り、俺を呼び止めた。

 確かに結構な空腹感だ。

 母さんの献立の予定を狂わせることに少々の罪悪感を覚えながらも心躍らせて冷蔵庫を開く。すると。


「……あれ」


 正直なところソーセージの袋でもあれば御の字と考えていた。

 最悪、レタスの玉にかじりつくことすら覚悟していた。

 なのでラップを掛けてあるチャーハンが皿ごと冷蔵庫の中に入っていたのは、かなり意外な発見。


 帰ってくるの、バレてる? ――いやまさか。

 毎日作って用意してくれていた? ――いやまさか。


 どっちもあまり現実的な可能性には感じられなかった。

 まあ強いて言えば……父さんが今日は帰ってこれなかった、ぐらいか。


「いただきます」


 背に腹はかえられぬ。

 こうして目の前に食料があってはもうダメだ。

 レンジに掛けると音で母さんを起こしそうなので――いや違うか。単に待ちきれず、冷たいまますぐに頂くことにする。


「…………うめぇ……」


 泣きそうだ。

 冷たくてもパラパラとほぐれる母さんのチャーハン、マジ美味い。

 米一粒一粒に卵のコーティングがなされているような職人芸。

 刻んで入れてあるジューシーなチャーシューがまた絶品だ。

 母さんは、決して料理全般が上手というわけじゃない。

 どっちかというと単に火で炙ってるだけ……みたいな豪快で大雑把な料理が多い。

 しかしなぜだか、チャーハンだけはこの通りプロレベル。

 よっぽどチャーハンのことをこよなく愛しているのだろう。

 つまり今日は幸運にも『大当たり』だったわけだ。


「――……ごちそうさまでした……」


 思わず無宗教なのに両手を合わせてしまう俺。

 証拠隠滅というより感謝の心を込めて、速やかに皿を洗っておく。


「さて……作業、作業」


 濡れた手を拭いてから自室へと向かうべく階段を静かに登る。

 さすがに自宅は長年暮らしているだけはあり、照明なんか点けなくてもつまづくようなことはなかった。


 ――……ガチャ。


 静まり返った家の中では、慎重に開けたはずの扉の音でもやたら響く。

 自室に入ると細心の注意を払い、今度こそ静穏MAXで扉を閉めた。


「ふぅ……」


 照明もつけず思わず真っ先に自分のベッドへと倒れ込む。

 一気に漂う甘い香り。


「痛っ」


 途端まるでそれを叱るように後頭部へと硬い何かがぶつかった。

 見てみるとそれは一冊のアルバム。数日前にここで凛子と並んで眺めていたあの情景をふと思い出した。


「いかんいかん……すぐに作業開始!」


 地味に時間が少ない。

 とりあえず寝る前にPC(パソコン)関係の作業ぐらいは終わらせておきたい。

 そのまま眠りたくなる衝動へ抵抗して無理やり立ち上がると、机の前にある椅子へと場所をかえた。


「未のやつ……電源を落としたのか」


 シフトキーを押しても復帰しない。

 スリープでいいだろうに……と愚痴りながら足元にあるミドルタワーのPCの主電源を入れた。

 ピポッ、という少し間抜けた効果音と共に微かにファンの回る音が耳に届き、目の前の液晶に起動画面が映し出される。

 暗闇の中だとやたら眩しいけど照明のスイッチを入れに立ち上がるのも億劫で、かわりに目を閉じて椅子の大きな背もたれに身体を預けることにした。


「さてさて。まずは何よりあの掲示板だよな」


 今夜、午前0時と共にすぐにログインしてEOEに戻りたい。

 そのためには頭数を4人に揃えなきゃいけない。

 今ならログアウト直後の人がそれなりに居て『また明日も』と野良相手を探している可能性が高い。

 よって募集をあの掲示板で真っ先にしておく必要があった。

 この機会を失って一日ロスするだけでもかなり痛い。

 あっちでは魔法制作が待っているんだ。

 今回の深山の魔法はとてもシンプルだから創ること自体はたぶん物凄く簡単なんだが、しかし深山の希望を叶えるためにはとにかく調整が鬼のように難しいだろうことも軽く予想できる。

 できる限り早く、大会に向けてのリハーサルを――


「――うん?」


『パスワードが違います』


 いかんいかん、考え事しながらだから入力を間違えたか。

 ほぼ無意識に起動を終えたPCへとログインパスワードを入力していた俺は、その表示で我に返った。


『パスワードが違います』


「む……」


 改めて入力しても、やはり弾かれる。

 ――となるとやはり。


「20、13……03、03……と」


 必然的にこのパスワードということになる。

 未から聞かされたあの数字を、少し慎重に入力する。


「ログインパスワードを変更とか、俺の妹は鬼か」


 いや。不在の時に俺がログアウトする可能性をちゃんと考えて自分から教えてくれたのだから、鬼は言い過ぎか。

 小悪魔ぐらいにしておこう。

 ……ちょっと妖艶な感じで何か似合うな、それ。


『パスワードが違います』


「――へっ!?」


 エンターキーを押した瞬間、再び現れたその無慈悲な表示に戦慄する。


「ちょ、ちょっ……!?」


 落ち着け俺。

 入力ミスかもしれない。もう一度――


『パスワードが違います』


「う、ぎゃっ……!?」


 撤回しよう。

 鬼すら生温い。小悪魔なんて可愛いモンじゃない。

 正真正銘の悪魔だった、俺の妹は……!


「マジかよ……」


 まあ最悪、掲示板の募集は携帯スマホで済ませば良いが、その後の作業を考えるとPCがないのはあまりに痛い。


「えーと……どうしたもんだか……0303、とか?」


 未の生年月日を基に四桁のパスワードをひねり出す。


『パスワードが違います』


「…………おい。俺にどうしろと――うん?」


 頭を抱えてため息を落とした時に、ようやく俺は気がついた。


付箋ふせん?」


 部屋が暗いから今まで気がつかなかったが、羊のイラストが印刷されている小さな付箋が液晶画面のフレーム右隅に貼られていた。

 しかし羊とか……まったく自虐的なセンスである。


『いやらしい兄さんがこっちも向かずに観察していたところのサイズ』


「…………何これ?」


 その付箋には、そんな謎のメッセージが書かれていた。

 これ、もしかしてクイズか? っていうか……サイズ??


「…………」


 俺はゆっくり、二桁の数字を入力してみる。


『パスワードが違います』


「知るかよっ!?」


 誤差はおそらく10に満たない。

 こうなれば総当たりだ。


「お」


 予想より1つ数字を増やして入力してみた二度目のトライでさっそく正解を引き当てたらしい。

 パスワードを求めるシンプルなウィンドウが閉じてデスクトップ画面が目の前に展開――


『やっぱり胸を見てたんですね? サイズまで当てるとか本当に最低。』


 ――メモ帳が最大化されており、そこにとびきり巨大なフォントサイズ

でそんなメッセージが残されていた。


「一発で当ててないし……」


 胸を見ていたことは否定できない悲しい俺だった。

 そう、胸のサイズ。

 この仕掛けを未が用意した時期を考えればそう難しくない問題だった。

 何せ、脱衣所で意図せず未の下着姿を見てしまったあの日の夜のことなのだから。


「しかし未のやつ……意外と――いや待て、俺」


 この手のひらへと強引に押し当てられてしまった未の胸の感触をつい思い返してしまう俺。自分の頭を軽く振って正気に戻ると『最低』と罵られているそのメモ帳を閉じる。


「――……」


『いやらしい。』


 もう一枚、その裏にあって思わず絶句。

 メモ帳が複数同時に起動できることをフル活用してやがる。


「ああ、はい、そーですね……まったくいやらしい兄ですねっ!」


 ヤケになりながらそれも閉じる。

 これでようやくデスクトップ画面が――


「――ショートカット……全部消しやがった……!」


 綺麗さっぱり、何もない。

 ショートカットを山ほどデスクトップ画面に置く派の俺としては、まさに絶望の絵図であった。


「ん?」


 ……いや、全部ではなかった。

 正確にはゴミ箱と。


「zipファイル……?」


 圧縮されたファイルがひとつ、デスクトップ上に残されていた。



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