#073a ログアウトしますか?
「――ゥダ~、コーダァ……!!」
「お……っと」
頭に直接響くその声で、俺は意識を取り戻した。
周囲を見回す。
……もはや当然ながら、果てしない暗黒が目前に広がっている。
そして俺の頭上には巨大な石碑のような『GAME OVER』と『ログアウトしますか?』の自己主張激しい表示。
その下には『はい』『いいえ』のボタンも浮かんでいるという、もうお馴染みのあの光景がそこにあった。
「コーダーァ!!」
「はいはいっ、起きた起きたっ!」
「ぐすっ……だいじょぶなのぉ?」
「ははは。俺はそれにどう返事をすればいいんだ?」
死んだ人相手に『大丈夫?』と問われても困ってしまうぞ。
「なあ、一応確認だが経験値10000は無事にそっちへ渡ってるか?」
「へっ? あ、うん、ちょーっと待ってて」
ちらりと頭上の数字を確認すると、すでに10を切っていた。
9、8、7……とカウントダウンが刻々と進んでいく。
どうやら思ったより死んでから意識を失っていた時間は長かったようだった。
頭部を潰すという衝撃的な死に方だったからなのか――いや、違うか。
おそらく疑似的にとはいえ脳が潰されたことにより、その部位が復元される時間が意識を取り戻すまでのタイムラグとして追加で発生していたということだろう。
「あ! うん、確かにもらっちゃってまーすぅ!」
「よしよし。じゃあさっそくレベルを上げてみようか」
6、5、4……。
カウントダウンが進むにつれ、俺の心臓がエモーショナル・エフェクトでバクバクと激しい脈を打ち始めている。
……邪魔臭いな。どうやらさっき自分から死を選ぶ時より、遥かに俺は緊張しているようだった。
「へーい! にししっ……どんだけ上がっちゃうんだろ、これぇ!」
大丈夫。きっと、大丈夫。
心臓の辺りのシャツを鷲掴みにして、自分に言い聞かせる。
3、2、1――
「っ……!!」
俺は意を決し、視線誘導のカーソルを使って『いいえ』のボタンをアクティブにした。
――ログアウトしない。
そう、俺はあえてその選択を選んだのだ。
「うっひょ~っ! まだまだ上がるぅ!!」
「……」
岡崎はチャットの向こうでひとり盛り上がってるようだ。
譲渡された経験値を使ってレベル上げを繰り返す作業に没頭している。
そんな中で俺は。
「――はああぁぁ……っっ……」
深い深い、安堵のため息をひとり密かに落とした。
目の前には『ログアウトしますか?』の表示が選択後も依然として現れたまま。
だが、もちろん違いはある。
『GAME OVER』の表示とカウントダウンされるあの数字はどこかへと消え去っていた。
「第一関門、クリア……と」
いや、まあこんなの普通に考えたら当然なんだけどね?
『ログアウトしますか?』とシステムが確認を取っている以上、ここで『いいえ』を選んだ人がもう二度とログアウトできないなんてハメみたいな愚かしいフローチャートにするはずがない。
他に行動に対する選択の余地がない以上、選択後も任意のタイミングで自由にログアウトできるはずなのだ。
――はずなんだけど……やっぱり俺は緊張してしまった。
「まだまだトラウマ……残ってるんだなぁ」
更新直後、システム管理者のN.Aに召喚される形で暗闇へと一時的に幽閉されたあの出来事は、心に強い傷跡を残したようだった。
『もしこのまま、あの時みたいな状況になったら』。
……そう考えると、今でも悪寒と共に鳥肌が立ってくる。
「ん? コーダ、どったのぉ?」
「あ、いや。何でもない……それでレベルは?」
「にししっ……16!」
「あれ? そんなもんなのか」
予想では20~30は行くと思っていたので正直かなりの肩透かし。
そして同時に自分の暗算の精度の低さを改めて思い知るのだった。
「ポテンシャル値は?」
「10も上げられちゃいまーすぅ♪」
「……へぇ」
幸運っていう隠しパラメータでもあるんだろうか?
ついそう疑ってしまうほどの良い結果。
そういやレベル2でさっそく1つポテンシャル値を手に入れていたよな。
もしかしたら幸運っていう隠しパラメータとかじゃなくて、単純に岡崎自身の運の良さかもしれないから断言はできないものの……とにかく想定外の良好な状況となった。
「ねぇねぇコーダ、この10はど~使えばいいのぉ?」
「……ちょっと保留。俺がそっちに帰ったら実験しつつ決めて行こう」
「へーいっ!」
レベル16になって、ポテンシャル値が合計11も上がった今の岡崎なら、たぶんそれなりの戦力となるに違いない。
こうなれば岡崎の風属性についても創作魔法を用意するべきだろう。
深山のと共に、新規の魔法を四日でふたつも同時に創り上げて行かなければならないってことになる。
「こりゃ、忙しくなり――」
――ボーン……ボーン……ッ!!
「っ!?」
まるで伝わってくる重い振動に内臓まで震える思いだった。
不意に響くその大音量に、俺は跳び上がりそうになって思わず自分の言葉を呑み込んだ。
「な、なんだっ!?」
「へ? どったの……コーダ」
「岡崎、今のお前は聞こえなかったのか!?」
「今の……ってぇ??」
……そういやそうだった。
こうして普通に会話できるからつい忘れて勘違いしてしまったが、チャットというのは文字がベース。それを音声入力で行っているというだけだった。
もう少し言えば、こうしてしゃべっている時のその意思か口の動きでも読み取って相手に届けているってことなのだろう。
だから俺の声は届いても、盛大なあの環境音は岡崎の耳に届かない。
これはあくまでもチャット。決して中継マイクのような機能があるわけじゃない。
「――……あ……あっ……」
そして俺は遅れて気が付いた。目の前で起こっていた劇的な変化に。
思わず全身が震える。
「コーダ!? どったの、コーダッ!?」
さすが勘の良い岡崎だ。
鋭く感知してか、そんな緊迫の声を上げている。
しばし絶句していた俺は――
「――っしゃああああっ!!!!」
ガッツポーズと共に、歓喜の声を思わず上げていた。
もはやログアウト関係の今回のミッションは、半分以上これでクリアしてしまったことになる。
「そうか、そうかっ、よしよしっ……!!」
「ちょっ!? はっ?? 何っ、ちゃんと説明してよコーダァ!」
「ははははっ、悪い悪いっ!!」
俺は目の前に忽然と現れた巨大な文字表示を眺め、思わず口元を緩めて笑ってしまう。
『フィールドに復帰しますか?』
……暗闇にはそんな文字が輝いていた。
もちろんその下には『はい』『いいえ』のボタンも浮かんでいる。
つまり、ついさっきの――あのまるで古い時計のような鐘の音と共に、午前0時を迎えたということだ。
「……深山がEOEで死んでも大丈夫だっ。今、それを確認できた!」
「へーっ、良かったじゃん!?」
たぶん岡崎はまだ詳しくは理解してないだろう。
でもたぶんそういう部分に余り頓着せず、深山のリスクがひとつ減ったということと、俺が喜んでいるという事実を真っ先に同調して喜んでくれている。それが俺の仲間である岡崎の、すごく良いポイントだ。
「これで心置きなく大会で戦えそうだ……!」
深山が死んだら、もしかしたらずっと暗闇に閉じ込められたままになるかもしれない――それがずっと危惧していた最悪の可能性だった。
誓約によりログアウトすることができない深山は、当然だが死んだ後に現れる『ログアウトしますか?』というあの問いに対して『はい』を選ぶことができない。
つまりさっきまでの俺のような状況に晒されることは間違いなかった。
……そこからが問題だった。
”もし、一度ログアウトしないと再ログインできないとしたら?“
それは充分に考えられる可能性だった。
その仕様だった場合、深山の置かれる状況はもはや絶望的だった。
永遠に暗闇をさまようことになってしまう。
――でも、違う。
こうして午前0時を越えて日を跨げば、ログアウトしなくても復帰することができる。それが証明された。
深山は、無限の暗闇に幽閉されることはない。
こんなのガッツポーズが出るに決まってる……!!
「……はぁ~……良かった……本当に」
ずっとこのことは気になっていて、機会があれば確認したいと常々思っていたことだった。
……でも過去、俺が死んだ場面っていうのは急いでログアウトしなきゃいけない状況ばかりだった。
非常に情けない話だが、さすがに痛覚100%の状況でそう安易には自分で死ぬこともできなかった。
深山には悪いと思いながらも、それで確認が後回しになっていた訳だ。
しかし決闘モードがあるなら話は別。
痛覚を最低にできる。
ならば多少の恐怖があっても深山を危険に晒すその前に、こうしてテストしない手はなかった。
「うん、何だかよくわからんないけど、コーダ良かったねぇ!」
「ははは……ありがとう……はぁ……」
すっかり気が抜けてしまった俺は心地良い脱力感に包まれ、無限に広がる闇を見上げながら深く息を一度吐いた。
「――……さて。確認もできたしそろそろログアウトしようか」
「あ、コーダ、ちょっち待って!」
「ん? どうした?」
「これ……どーすんのぉ?」
「……『これ』?」
もちろんだが岡崎と違う空間に居る俺は、その『これ』が何なのかさっぱりわからない。
「これ、って何だ?」
「この白いヤツ……香田の誓約紙ぃ!」
「えっ」
つまり岡崎の居る元の空間――あの路地裏に、俺の誓約紙の塊である4つの柱がいまだ存在しているということだろう。
「あー」
まったくそんなこと、考慮してなかった。
……そうか。
死んだ時に落としたアイテムって、その場に残ってしまうのか。
いつも思うけど、いかにも『PKしてください』と言わんばかりの厳しいゲームシステムだよなぁ。EOEってさ。
「そういやあのダガーも……そうだっけ」
今は未が所持している『キラーエッジ』も、元々は楽のヤツが所持していたアイテムだった。あの時は剛拳王が背後から串刺しにして、それで地面に落ちたから俺が後に拾うことができたのだ。
「ねぇ……どーすんの、これぇ?」
「参ったなぁ」
誓約紙は、他人が奪うことはできない。
それは未との実験で確認済みだ。
だからその場に放置しても誰かが持ち去る心配はない。
文字通り殺人的な重さもあるから、風でどこかに飛んで行ったりも決してないだろう――でも。
「いたずら書きされちゃったら超ヤバイじゃん……?」
「だよなぁ!!」
本気で参った。
もうこのまま大人しくEOEに復帰するしかないのだろうか?
深山が死んでも大丈夫っていう、大きな収穫はあったけど……しかし他の用事を済まさず戻るのは少しばかり癪である。
何より、もう大会まで日もない。
どうしても今日、リアルに戻りたい。
「……なあ岡崎。正確にはどんな状況だ? 倒れて四本とも地面に転がってるのか?」
「ううん、地面に突き刺さってるけどぉ?」
その説明を聞いて、アクイヌスの足を潰したあの一件を思い出す。
確かに600kgほどもある質量の塊が一点に集まって落下したら、柔らかい土の地面なんて簡単に陥没するだろう。
「なら……ま、大丈夫だろう」
「へっ?」
それが俺の出した結論だった。
もちろん、多少のリスクは覚悟する。
「なあ岡崎。その白い柱を見て普通の人は誓約紙だって思うか?」
「いやぁ……それはムリじゃネ?」
「だろ? そもそも高さ5m以上もあるその誓約紙に何かを書くためには、わざわざそれの上まで登る必要もある。地面に刺さっている以上、本人以外はそこから動かすこともできない」
地味にそれが決断のポイントだった。
地面に突き刺さっているなら、動かしたり倒したりするには多少なり『持ち』上げる必要があるだろう。だが誓約紙は『持てない』。
――つまりそこから動かすことはかなり困難だと判断したわけだ。
「じゃあそういうわけで、ちょっと行ってくる!」
「ちょっ、コ、コーダぁ!?」
「……ああ。そうだ、岡崎。ひとつお願い事があるんだ」
「ふへ? 何?」
「明日――いや、もう日を跨いだから今日、か。今晩午後11時過ぎにログアウトしてくれないか? 受付の前で待ってる」
「うん……いいけどさ、でもどーして?」
「リアルで合流して、すぐにいっしょにログインしたい」
「???」
「まあまあ、その説明は合流した時にでもするよ。とにかく誰でもいいからいっしょにログインしたい」
「あー! 4人でなきゃログインできないもんねぇ?」
「……そうだな」
微妙に違うけど、まあいいか。あえて否定するほどじゃない。
「じゃあそういうことで、後はよろしく頼む!」
「へーい! かしこまりぃ!」
その岡崎の気さくな返事を一応確認してから、俺は目の前に浮いている『いいえ』のボタンをアクティブにする。
すると次に『ログアウトしますか?』と表示が変化。
続いて今度は『はい』のボタンをアクティブにして選ぶと。
「おっ」
――ブツン……。
それでTVの電源を消したかのように、唐突にこのゲームは終了した。
◇
「はい、香田様のお荷物です。プレイお疲れさまでした」
「ありがとうございます」
もう見慣れた――稲本さん、だっけ?
独特な鋭いイメージを持つ受付のお姉さんから荷物を受け取った俺は、それを軽く肩に掛けて建物からゆっくりと出る。
「ふううぅ……っっ……!!」
背後の倉庫から漏れる少しひんやりとした空気。深夜の新鮮な空気。
えーと……四日ぶり? 五日ぶり?
すでに『久しぶり』と言えるぐらいの新鮮さが、このリアルにはあった。
「はぁ……今日はそこまで頭痛が酷くないなぁ……」
軽い空腹感と気だるさはあるものの、体調はそこまで悪くない。
身体が順応してきたのだろうか?
だとするといかにもEOE廃人まっしぐら、という感じでそれには少しばかり微妙な気持ちになってしまう。
「えーと、今は……あ、別に携帯でいいのか」
ついつい無意識に頭上の月の高さで時間を確認しそうになってしまった。
ポケットに忍ばせていたひんやりと冷たい携帯の電源を入れると……しばし起動に待たされたが、ほどなく現在が午前0時半近くである確認が取れる。
「やれやれ……またずいぶんとメッセージ溜まって――……おっと!」
画面を眺めながらトレーラーのある倉庫前から外の道へと歩いていた俺は、それに気が付いて手を上げながら慌てて駆け寄った。
「すみませんっ! 乗ります!!」
目の前でまさに今、発進しようとしていたタクシーがあったのだ。
これはラッキーと喜ぶほど奇跡的な偶然でもない。
むしろ『絶対にタクシーを捕まえてやる!』ぐらいの考えだった。
だって今は午前0時過ぎ。
一日の内で最もログインするために人が集まってくるタイミング。
過去の深山がまさにそうだったように、仲間と乗り合わせのタクシーでこのトレーラーまで来るパーティもそれなりに居るのは必然だった。
「よし……!」
自動で開かれたドアからタクシーの車内へと飛び込む俺。
これだけで自分の脚で走って帰るよりずいぶんと時間と体力を節約することができる。
自宅に帰れば、やることは山ほど待っているのだ。
「お客さん、どちらまで?」
「中平市の駅前までお願いします……!」





