#072b 彼女なりの償い
――コンコン……。
「へぇーい、どっぞぉ~」
ノックに呼応してそんな気の抜けた声が扉の向こうから届いてきた。
鍵は掛かってないみたいなので遠慮なく開けて中を覗き込む。
「お邪魔するよ」
「うへぇ!? コーダじゃんっ!?」
ベッドの上でゴロゴロと寝転がっている岡崎と目が合った。
ぴょんっ、と跳ねるようにベッドから降りて扉の前まで駆けて来る。
「何だよ、その『うへぇ』って」
「にししっ……マジびっくりしただけだって! んでんで、何?」
半分開かれた扉にもたれ掛かるように身体を預けながら岡崎が上目遣いに俺の顔を覗き込む。
ずいぶんと暇を持て余していたのだろう。その目は刺激を求めて期待に輝いていた。
「まっ、まっ、取りあえず入って入って! まあ何もないけどぉ~」
「……いや入らないよ」
「むっ」
本人の預かり知らぬところで現在、岡崎へのヘイトがちょっと溜まっている俺は自然と少し突き放したような表現をしていたのだろう。
それを鋭く察知してか、さっきまでの緩んでいた岡崎の顔はにわかに警戒の色を帯びる。
「悪いけど俺の部屋まで集まってくれるか? みんなと明日のことで打ち合わせしたい」
「へぇーい」
特に盗まれる物もないからだろう。
鍵を掛けるでもなくそのまま部屋を出て俺の後ろについてきた岡崎は。
「……あのさ、コーダ」
「ん?」
視線を床に落としたまま俺を呼び留め、そして立ち止まる。
それは『少しここで話をしたい』という意思表示に感じた。
「アタシ……何かコーダに怒らせること、した?」
「いや、悪い。俺の個人的な事情だ。岡崎は何もしてない」
「でもぉ」
どうしたもんやら、と少し悩むけど……まあ、勘の良い岡崎にこうして悟られてしまった以上は『気にするな』というのも酷な話に思えた。
そしてまるで八つ当たりをしているかのように受け取られてしまいそうで、それはそれで嫌な感じだった。
「やっぱ、ちょっと岡崎の部屋で話すか」
「…………はい」
神妙な面持ちでうなずき、Uターンするように岡崎から自分の部屋の扉を開いた。
「お邪魔するよ」
「はい」
「……何だよ、それ」
「え?」
「死刑の判決でも聞くような顔してるぞ?」
「し、仕方ないじゃん……」
ほんと岡崎は察しが良い。
「――だからちょっと頭来てる」
「ひえっ!?」
おっと。
まだ少しばかり心の防波堤が機能してないみたいだ。
上手くコントロールしなきゃ。
「や、やっぱアタシ、何かやってんじゃんっ!? さっき、コーダから部屋奪っちゃったの……怒ってんの……?」
「いや、そういうことじゃない。そんな話じゃない」
どうしたもんだか。
こんなに自分の感情が上手く処理できないのも珍しい。
もう呑み込んだはずで、過去として水に流したはずなのに。
「俺の個人的な事情で悪いが、ちょっとだけ付き合ってくれ」
「……はい」
岡崎は自分の服をぎゅっと握り、下をうつむくばかり。
その顔を見て『やっぱり何でもない』と流すべきなのか、とか今さらちょっと迷ってしまう俺。まあ察知されている段階でそれは無理なんだろうけど。
「岡崎ってさ、話してみると良いヤツだよな」
「へっ!? あ、ありがと……コーダもさ、話してみると思ったよりノリがいいっていうか――」
「――やっぱり深山にやったことは、度が過ぎてたと思う」
そんな雑談をしたいわけじゃないので、意図して岡崎の言葉を遮った。
「…………はい」
「もう深山自身が許してることだから、こんなの本来は当事者じゃない俺がとやかく言うことじゃない。勝手に腹を立ててるだけだ」
「……」
何と返していいのかわからないようで、岡崎は黙ってしまった。
構わず俺は言葉を続ける。
「こんなこと、今さら蒸し返してすまない」
ぶんぶんっ、と頭を横に振り回してそれには否定してくれる岡崎。
「さっき……未から『正直に何でも話さなきゃいけない』という誓約を課せられて、一時的にだけど深山と似たような境遇に立たされた。それで改めて思い知ったんだ」
深いため息をついて俺は腕を組み、背中を背後にある扉に預ける。
「正直……怖かった。抵抗できない絶対的な弱者って、こんなにも恐怖するものなんだと思い知った。未は決して酷い命令はしてこなかったけど……もし、これが悪意のある人間相手で好き勝手に心を傷つけられていたら――と考えると、今でも震えあがる」
「…………ごめん、なさい」
「俺に謝ってどうする? それは深山に伝えるべき言葉だろ? そして……もう岡崎はちゃんとそれを伝えたよな?」
こくん。
声もなく、少し震えてうなずいていた。
「岡崎はちゃんと反省した。深山も許した。どうやら深山にも悪いところがあったみたいだ。だからこれはもうとっくに過去のことで……俺が何かを言える立場じゃない。だからもし謝るとしたら、たぶん俺のほうだ」
「……そんな、こと……ない」
いつも気分屋のリベラルな岡崎だけど、でもこういうところの芯は強いなと思う。
決して感情に委ねて簡単に泣き崩れたりしない。
「もう終わった話を何度も悪い――でも、もう少し岡崎とこの話をしたい。どうしてあんなことをしてしまったのか、ちゃんと説明して欲しい」
まだ、足りない。
もう一歩踏み込む必要があると感じて、言葉を付け足した。
「俺は岡崎のことを、ちゃんと仲間だと思いたい。そのために知りたい」
「――……っっ……」
まるで弾かれるそうに岡崎が涙をいっぱいに溜めたまま視線を上げる。
「ごめんっ……」
「だから俺に謝るなって! むしろ部外者の俺が謝る場面だから!」
「でもっ……コーダぁ……アタシ、のことっ……仲間……にして、くれる、ってぇ……」
「じゃあせめて感謝にしてくれ!」
「うん…………ありがと……っ」
がしがしと頭を掻いて、たぶんテレ隠しをする俺。
「岡崎、お前って良いやつだよなっ? なあ、じゃあどうしてあんなことをした……!? 仲間が仲間にあんな酷いことをして、俺は腹が立って仕方ないんだよ!!」
結局、謝らせてしまう俺だった。
「ごめんっ……ごめん、なさいっ……」
岡崎は漏れそうな嗚咽を呑み込み、決して叫ぶようなことはせずにその場に座り込み、両手で顔を覆って静かに泣いていた。
ずっとため込んで、我慢していた言葉と感情をようやく吐き出せて……なんだか俺まで泣きそうな気分になってしまう。
「欲しかった、のぅ……」
「……何を?」
岡崎はゆっくり手を伸ばす。
そこには何もない。ただの空間に、手を伸ばす。
「わかんないっ……何か……何か、欲しかっ、たのっ……」
そのまま、空気を握り潰す。
当然、指の間から空気は抜けて岡崎の手のひらには何も残らない。
「アタシってさ……ほら……何もなくてぇ……誰かに認めてもらえるモノとか、なくて……スカスカしてて……」
その握る拳を、反対の手で包んでいる。
「何か……欲しくて……何でもいいから欲しくてっ……いっつも誰かのうしろについてて……いっつも誰かの顔色、確認してて…………必死で」
その何も握られていない両手を自分の胸の中に押し込み、大事そうにしまい込む。
「ぶっちゃけ……深山姫のこと……そこまで恨んでなかった、と思う」
背中を丸め、岡崎の独白は続く。
「突然睨まれて……腹が立って……いっぱいのモノを持ってる深山のこと、うらやましくて、嫉妬して…………でも、そうじゃない。それじゃない」
はぁ……と一度大きく息を吐いて、岡崎は観念したように顔を上げる。
「……麻美が初めてだったんだ……アタシに本当のこと話してくれて……相談して、頼ってくれたの……」
「え? 麻美……?」
「あ、ごめっ、鈴木っ!」
鈴木麻美、か。
今さらアイツの下の名前を始めて知った俺だった。
「…………好き、だった」
「うん?」
「アタシ……実は鈴木のこと、好きだったんだぁ」
「……知ってる。口調や髪型や、雰囲気までどこか真似てたもんな?」
「ううん、コーダは何も知ってない」
「?」
涙でぐちゃぐちゃになりながら、でも岡崎は笑った。
「にしし……好きだったの。キス、したいぐらいっ」
「――……っ……!」
ようやく岡崎が言いたいことを、俺は理解した。
そして気が付く。
取り乱した鈴木を慰める時の、岡崎の、あの特別に優しい仕草を。
らしくないほど必死に俺を説得していたあの姿を。
「キモいこと言っちゃって、ごめっ……にししっ……初めて話すの、まさかコーダだなんて……思いもよらなかったなぁ……」
痛々しいほどの笑顔。上手く言葉が出てこない。でも。
「――好きな人の、役に立ちたかった?」
「…………うん」
確かに一貫して、岡崎は鈴木のことを最優先にしていた。
思い返せば深山に対して自発的に岡崎が起こした行動というのは特になく、絶えず徹底して鈴木の行動の補佐に回っていた。
そしてその後も、決して鈴木を悪者に仕立てて『つき合わされた』みたいなことは口にしなかった。
むしろ俺と鈴木の間を積極的に取り持って、和解させようと努力していたようにすら感じられた。
……もしかして。
岡崎が俺についてきて深山と同じチームに入ったのも、決裂している鈴木と深山の間に立って橋渡しをしようと彼女なりに考えての判断ではないだろうか?
岡崎が反省しているのは、疑わない。
深山に謝罪したい気持ちも本当だったと思う。
そしてその上で、自分たちの行いが過ちだったと岡崎なりに思ってのこの自発的な行動だとすると、色々納得がいきそうだった。
「岡崎は認めたくない話だと思うけど……でも、正確な状況を知りたい。つまり鈴木が深山を恨んでて……だから岡崎はその手伝いをしたってことでいいのか?」
「深山姫のこと嫌いで…………虐めてたの、アタシだしぃ」
「岡崎」
「……」
決して認めない。でもその沈黙だけで充分だった。
「なあ、だとすれば疑問なんだが……一年の時に衝突していた岡崎ならまあ理解出来るけど……でも鈴木は、どうしてあんなに激しく深山を恨んでいたんだ?」
「言えない」
「岡崎」
「例えコーダでも……絶対に言わない。言えない。鈴木本人に聞いて」
「鈴木は――……」
あんなにボロボロになっている彼女のことを好きな岡崎に伝えるのはあまりに酷な気がして、言葉を続けられなかった。
「アタシさ…………嬉しかったの……」
「うん?」
「…………鈴木が、あんなに取り乱してさ……アタシのこと、頼りにしてくれてさ…………深山のことなんか本当はどうでも良かった……この機会に、もっと鈴木の近くに立てないかって……そんなことばっか、あの時は考えてた」
「まったく酷い話だな、それ」
「うん…………酷い……ほんと……酷い」
俺も岡崎のように床へと座り込む。
過剰に怯えている様子の岡崎を安心させたくて、その頭に手を置く。
「なるほど……それは、なかなか正直に言えることじゃないな」
「……その。このこと――」
「わかってる。誰にも言わない。鈴木にも、深山にも」
「…………あり、がと」
「いや、こちらこそありがとう」
「へ?」
「正しく岡崎のことを理解することができそうだ」
「……そ、なの?」
「ああ。程度の違いはあっても……たぶん俺でも岡崎と似たようなことをするだろう」
「え、えええ……っ?」
「そんなに意外か? 俺ってそんな清く正しい人間に見えるか?」
「……う、うん」
苦い笑いが漏れる。
「いやいや。例えば……そうだな。例えば凛子へと害を成す敵になら、俺はどんな酷い誓約の文章を記入することもいとわないだろう」
土下座を強要されているえくれあの姿が脳裏に浮かんだ。
「例えば、深山を傷つけるような相手になら、俺はそいつの心がボロボロになるまで追い込むことに何のためらいもないだろう」
今度は馬乗りになって殴り続けた鈴木の泣き顔が思い浮かんで……チクリ、と胸が痛くなった。
「――だから俺は、岡崎を許す。その行動は決して褒められたものじゃないけど、同じ人間としてその感情は理解できる」
そして岡崎は、初めて呼吸を乱して泣き崩れた。
「あり……が、とっ……ぅ……」
肺から絞り出すように嗚咽と声を漏らし、肩を震わせる。
俺は岡崎が泣き止むまで、ただひたすら頭を撫でて待ち続けた。
◇
「――なぁさ……岡崎。もうひとつ疑問なんだけど」
「へ?」
パタン、と岡崎の部屋の扉を閉めながら俺は問う。
「目の前で好きな人が殴られて、岡崎はどうして俺に恨みや憎しみを抱かなかったんだ?」
「だってコーダ、その仕返しですぐ殺されてたじゃん?」
「いやあれは久保だろ?」
ぽりぽり……と岡崎は視線をあさっての方角へと向けながら頭を掻いていた。
「アタシは……もう、ずーっとドン引きしてただけ」
「殴ってる俺をか?」
「いや、そうじゃなくてぇ――…………なんでもない」
「はあ? わかるように話してくれないか」
「本人がいいって言ってるんだから、もうそれでいいじゃん?」
「えー」
なんか無理やり煙に巻かれてしまった。
「ま……あまりのド変態さで、さすがにドン引きって感じぃ?」
「ああ、なるほど」
「え゛っ!?」
「好きな人が殴られてる姿を見て興奮してしまう、ド変態ってことか」
「ちょっ…………あ、あぁ……もぅ……」
一度岡崎が頭を抱えて。
「あはははは……あはっ……」
何かを諦めたように清々しい笑顔を見せる岡崎だった。
「だって麻美――ううん、鈴木。コーダのことちっとも恨んでないんだもん。なら、アタシがコーダを恨む理由もないじゃん?」
「それは……まあ」
確かに鈴木はあの雨の夜の日、俺へ恨みと言うべき感情を特にはぶつけてこなかった。
ただ消衰し切った顔で、『傷付けて欲しい』と自傷にも等しい要望を俺に出してきただけ。
あの会話からは……彼女からの『後悔』のような重苦しい感情しか受け取れなかった。
「っていうかさぁ」
「ん?」
俺の横に並び、ニヤニヤと笑っている目で俺の顔を覗き込む。
「JKに馬乗りになって殴るコーダのほうが、アタシよりよっぽど変態っぽいんじゃネ?」
「俺は好き好んでやってないっ!」
「どうだか……あの時ってばコーダ興奮してたしぃ?」
「そりゃ人を殴ってりゃ、興奮もす――……ぐっ」
「やーい、変態へんたーいっ!」
「……断じて違う」
「にしししっ」
なんか調子狂うなぁ。
「ほら。じゃあ下の部屋に行こうか。たぶんみんな待ってる」
「はいよぉ~」
階段目がけて歩き始める俺たち。
「なあ、最後に追加の質問があるんだけど」
「え~、もういいじゃーんっ!」
「まあまあ。これはただの雑談だ」
階段を降り、吹き抜けを覗き込むと今夜も一階の酒場は大賑わいの様子が見て取れる。
「どうして、今もそこまで協力してくれる?」
「へ?」
「深山はもう許してくれた。鈴木は引っ込んだまま出てこない……じゃあとりあえずは関係を築けたし、それでいいじゃないか」
「……邪魔?」
珍しく読み違いをしてる岡崎。
もしかしたら不安の感情のほうが強かったのかもしれないな。
「まさか。すごく頼りにしているよ」
「アタシって、レベル2の使えない風魔法使いじゃん?」
「それを言うなら俺はレベル1の、魔法も使えない一般市民だけど?」
「そ……そりゃあ……そうだけどさぁ」
「いつも影からフォローしてくれてありがとう」
「ちょっ……く、くすぐったいっ! マジ勘弁してよぅ~!」
テレ臭そうに手を振ってる岡崎の仕草を見てると、自然と笑いが込み上がってくる。
「はははっ。なあ、だからどうしてそこまでしてくれるんだ?」
「ええぇ~…………参ったなぁ。アタシ、こういうの……苦手ぇ」
「いいから。罰ゲームだと思ってさ。ほらほら」
顔を赤くして岡崎はうつむくと。
「…………アタシの居場所……用意、してくれたから……っ」
ぼそりとつぶやいてくれた。
「そうかそうか。じゃあ岡崎にはもっと重大な役目を色々与えよう!」
「うへぇ!? アタシにぃ!?」
「ああ。今度の大会の隠れたキーパーソン、ってやつだ」
「でもアタシ、そよ風を吹かせるぐらいしかできないじゃん……?」
「なんだ、良くわかってるなぁ。そう、それそれ」
「はぁ??」
「ははははっ」
こんな風に気さくに話せる岡崎って、あまり異性を感じさせない緩い空気があっていいよな。多少のムチャなお願いも遠慮なく言える感じがする。
「もう…………アタシってば、こんなとこまで真似しなくていいのにぃ」
「ん? 真似?」
「なーんでもありませーんっ! 罰ゲーム、いくらでも受けまーすぅ!」
慣れないことにもう参っているのだろう。耳まで真っ赤である。
「――ああ、そうだ。今夜はもうひとつ重要な役目を与えよう。これは罰ゲームだから拒否権はないと思ってくれ」
「はぁーい……もう何でもいいよぉ」
ヤケ気味にそう返事してくれた。
ちょっと良心の呵責がないわけじゃないけど……確かにこんなのを頼めるのは岡崎しかいない。
「じゃあ俺を殺してくれ」
「はへっ!?」





