#072a 自分にできること
――ガチャ……。
ヨースケの部屋の内側から鍵を解除して扉を開くと、外には神妙な顔をした凛子が少し緊張したような顔をして立っていた。
「えっと……香田、ごめん。そのぉ……邪魔しちゃったっ……?」
「いや、そんなことないよ。心配してくれてありがとう」
「う、うん……すっごい声が聞こえてきたけど……」
気になる様子で凛子がチラチラと部屋の中の未へと視線を送っている。
「部屋、入る?」
「え……いいのっ?」
「はい。問題ありません」
質問はどちらかと言えば未に対して向けられたものだからだろう。それに対する返事も未が行っていた。
「えへへっ……おじゃましまーす。ね、ふたりで何を話してたのっ?」
「え」
何と返事したらいいのやら。
「兄さんとちょっと今後のことを相談してました」
「今後のこと……?」
「はい……未は明日から大会当日まで、あのダンジョンに籠ってレベル上げをすることに決めました」
「ええっ!? あと五日はあるけどっ!?」
「いえ。実質あとたったの四日です。何年もプレイしている人たちと直接剣を交える未としては……全然足りません」
確かにその通りだと思う。
タンク役として敵からの攻撃を直接防ぐ役割を担った未には渡り合えるだけの相応のレベルというのが確かに必要そうだった。
物理的な攻撃への耐性……そればっかりは誓約なんかの創意工夫でどうにかできる範疇ではない。
「ありがとう、未」
「……いえ。報酬を先払いで頂いたので、感謝は不要です」
「ははは……先払い、ね」
そうか、あれって報酬だったんだ?
もちろんあれで支払いの全部ってわけではないだろう。というかそれではさすがに俺が納得いかない。
深山のためにここまで動いてくれているのだから、大会の結果に関係なく終わった後には未への報酬というのは真剣に考えなければならないだろう。
「……まあ、子種はあり得ないが」
「ほへ?」
「あっ、いやっ!?」
――危ない、危ないっ。
心の防波堤があまり機能してない。ちょっと油断したら思ったことをなんでも口にしてしまいそうな感じだった。
「――あ~っ! そーだっ、未ちゃんっ! 報酬って言えばぁっ!!」
「リン、どうしました……?」
「ビックリカメラのおつかいっ!」
「……ああ。もしかしてもう買いに行ってくれたのですか?」
「ま、まさかあんなモノだったなんてぇ……!!」
「品物は?」
「車の中に持ってきてるけどっ! あ、あ、あっ、あんなのっ……!!」
「凛子、どうかしたのか?」
「ひゃあっ!?」
顔を真っ赤にして肩を震わせ、今にも怒り出しそうなその様子に心配になってしまった。
「未が凛子に、何か迷惑でも掛けちゃったのか?」
「あっ、え、えとっ……そのっ……!!」
「ん?」
不思議な取り乱し方をしてる。
よくよく見れば怒ってるというより、恥ずかしがってる……って感じ?
「こ、こっ、香田、はぁ……ちょっ……深山さんのとこ、行っててっ?」
「え。おい」
返事も聞かずにぐいぐいそのまま俺の背中を押し、部屋から追い出そうとしている凛子。
「ごめっ、未ちゃんと……そのっ、だ、大事なお話あるからっ……!」
「えー」
気になるなぁ。
未の屁理屈は天下一品だから優しい凛子のほうがいいように言いくるめられてしまわないかと、そういう意味でも少し心配してしまう。
「お、女の子同士だけの秘密のお話なのっ……!!」
「……まあ、いいけど」
凛子がそう言うなら無理強いもできないか。
「じゃあ深山のところに先に行ってる。話が終わったらふたりも一度集まって欲しい」
「あいあい!」「……はい」
ふたりの返事を確認してから、俺は部屋を出る。
――それで未ちゃんっ……!! な、なんてモノを――
「おっと」
さっそく閉じた扉の向こうから厳しい叱責の声が届いてくる。
どうやら凛子お姉さんがお説教でも始めるみたいだった。
内容がかなり気になるけど、わざわざ俺の同席を嫌がった凛子の意思を尊重して盗み聞きみたいなマネだけはしないでおこう。
大人しく吹き抜けをはさんで斜向かいにある、深山の居るだろう206号室へとそのまま向かった。
――コン、コン。
「あ、はい」
「お邪魔するよ」
念のためノックをして深山の声を確認してから部屋の扉を開ける。
「香田君……未ちゃんとのお話、無事に終わりました?」
「あれって『無事』って言えるかわからないけど、まあ一応」
「ふふっ、お疲れさまです」
暇つぶしにベッドの上でマニュアルでも読んでいたのだろう。
一度ゆっくりと瞳を閉じて操作モードを終わらせている深山。
俺はその横に寄り添うようにうつ伏せでベッドの上へと倒れ込んだ。
「きゃっ」
「……はぁ……本気で、疲れた……」
別に体力もスタミナも数値上では変化ないのだろうけど、とにかく心の何かがガリガリと削れてゲージが真っ赤になっている感じである。
許されるならこのまま眠りたいぐらいな気分だ。
「ん?」
「……迷惑、ですか?」
「いや……すごく嬉しい」
そんなうつ伏せになって倒れている俺の頭に手を置いて、髪を解くようにゆっくり撫でてくれる深山。
……ほんと不思議だ。凛子じゃないけど変な声でも出そうなぐらいに気持ち良い。
別に神経なんて辿ってないのに、どうして人に髪を撫でてもらうとこんなにも心が落ち着くのだろう。
「なあ、深山は美容室で髪を洗ってもらうと……やけに気持ちいいって感じたりしない?」
「くすっ……はい、それは思います。不思議ですよね、あれ。自分で髪を洗っててもあんな感じじゃないのに――きゃっ」
撫でてくれている深山の白い手を取った。
「じゃあこういうマッサージって、どう?」
「わ、わかんないです……普段してもらうことって……ないから」
「自分で押しててもそこまで気持ち良くなったりしないよね。でも人に揉んでもらったりすると、すごく気持ち良い」
「…………はい」
ほんと良くできたゲームだと思う。
仮想空間だけど、痛覚がある。触覚がある。
こうして親指でぐいぐいと深山の手のツボを刺激すると、ぴくぴくと反応して快感を受け取ってくれているようだった。
「人に何かをしてもらうって、それぐらい特別なんだなぁ……って思う」
「……はい。わたしも、そう……思いっ、ます……」
「あ、ごめん。痛かったっ?」
「えっ、あ、あ、いえっ!」
顔を赤くして何かを我慢しているような顔になっていたもので、慌てて深山の手を離した。
「…………もぅ」
「?」
ぷー、と少しほおを膨らませて不満そうにしてる。
やっぱり痛かったのか……? いまいちその本心が読み取れなかった。
「……」
「……香田君?」
「あ、ごめん。何でもない」
――危ない、危ない。
今、俺……とんでもないことを少し考えそうになっていた。
『本心が聞けないとか、不便だな』なんて……ほんとにとんでもない。
特に深山はどんな質問にも正直に答えなければならない誓約が入っているわけで、本心を聞き出すことの罪の深さは計り知れないというのにな。
「……」
本心を聞きだされる側の心境も、今の俺はもう理解できているはずだ。
未からの容赦のない質問責めに、最初からギブアップの連続だった。
途中まで本当につらかった。逃げ出したかった。
――でもあれって、未だからこそあの程度で済んでいる、とも言えた。
未自身も同じ誓約を課せられているというフェアな関係だったし、むしろ未のほうが俺より遥かに赤裸々な告白をしてくれていた。
俺を傷つけようという悪意のある質問も一切なかった。
その点においては恐怖や不安はなかった。
だから、俺の心理的なプレッシャーはかなり軽減されていたはずだ。
「…………深山って、大変だったんだなぁ」
「はい?」
でも深山は全然違う。
相手は家族でも何でもなくて。
露骨な敵意を向けられて……一方的に告白を強要された。
それはもう、処刑に近い。
いや……片想いをしていた人に、最もプライベートな恥部を聞かれてしまうことのほうが、さらにそれよりずっと過酷だったろうと思う。
きっと俺なら、耐えられない。
もう二度とその人の前には立てない。絶対に。
「深山を……心から尊敬するよ」
「も、もうっ。突然どうしたんですかっ?」
「何か、俺にできることってない?」
「ありません……会話、全然噛み合ってません」
「ははは。ごめん」
『さっきまで未と誓約を使って赤裸々な告白合戦をしていたんだ』とはなかなか言い出せず、こんなちぐはぐな会話となってしまった。
「――……香田君には……むしろしてもらってばかりで……」
「そうか?」
「そうです……もうどんなお礼をすればいいのかわからなくて、毎日悩んでるぐらいなんですよ?」
「俺は俺で、ずいぶんと得な役をさせてもらっていると思ってるけど?」
「謙虚過ぎますっ! ……もっと、甘えてくれてもいいのに……」
「それこそ俺の台詞なわけだが」
どうやら見解は完全に平行線のようだが、構わず俺は俺なりの主張を貫こうと思う。
「もうちょっと深山は、我を出してもいいんじゃないか?」
「我……?」
「最近の深山は、ずいぶんと自重してるように見える」
「…………はい」
この指摘はまんざら外れてもないらしい。
小さな声で同意してくれた。
最近わかってきたことのひとつに、自制や自重をしている時の深山は妙に敬語を多用する。対して、心を許して甘えている時にはそれがなくなる。
ちょっとしたわかりやすいバロメーターみたいな感じだった。
「どうして?」
「……香田君の負担に、なりたくありません」
「負担ねぇ」
たぶん俺が気持ち悪くなって、もがき苦しんでいる姿を深山に晒してしまったあの時から彼女のこの自重は始まってしまったのだと思う。
あんなの、気にしなくていいのに。
もっと甘えていいのに。
……そのために俺は今、この世界に居るのにな。
「夕方……凛子ちゃんに伝えたあの言葉……本当にその通りだと思います。すごく心に響きました」
「うん?」
「あまりにも分不相応な都合の良い願いはダメ、という話です」
「あ」
完全に失念していた観点だった。
それは、あの話を聞いている深山の心境という観点。
「本当に……そう。一方的に利用することになってしまうのは、ダメ」
「……」
『ごめん』と謝りたかった。
でもそれも何か、違う気がした。
「あの……香田君。言葉を返してしまうようですみませんが……」
「ん?」
「何か、わたしにできることってないですか?」
ああ、そっか。
つまりどうやら『足りない』のは俺のほうだったらしい。
甘えるべきは、俺なのか。
我を出すべきなのも、きっと俺。
――だって俺は、凛子との会話で明確な答えを得ていたのだから。
与える側からの『何か手伝えることはありませんか?』というような提案でのみ、一方的に与えられる図式というのは健全でいられると確信したのだから。
深山に対して何か大きな貢献をしたいと心からそう思うなら、むしろ深山の負担にならないよう、もっと積極的に俺も甘えるべきなのだ。
「じゃあ深山……」
「はい」
「膝、貸してくれない?」
「えっ」
「この極上の枕、貸してくれっ」
「きゃっ……!?」
倒れ込んでいた俺は少しだけ身体を起こし、半ば強引にベッドの上に座っていた深山の膝の上へと頭を乗せた。
「こ、こ、香田君っ……?」
「はははっ、これは最高だっ」
「も、もうっ……こんなのっ……!!」
「ダメだった?」
見上げた頭上の深山の顔はもう見るからに真っ赤。瞳もうるうるしちゃってて今にも泣きそうだ。
このわかりやすさって、すごい魅力だと思う。
「ダメなわけありませんっ……!! で、でもっ、これじゃ……」
「ん?」
「…………た、ただの、わたしの願望ですっ……!」
両手で顔を覆って嘆かれてしまう。
「いやいや。これは俺の願望で」
「もうっ、香田君はすぐにそうやってぇ……!!」
「じゃあ両者の願望ってことで」
「そ、そんなわけないじゃないですかぁ……」
「えー」
すぐに自分をおろそかにしてしまう俺と、極端に俺を神格化してしまう深山。互いに変なバイアスが掛かってて、ある意味でそっくりだと思う。
「まあまあそう言わず、甘えさせてくれ」
「きゃっ!? ま、待って、香田君、待ってぇ……か、顔を埋めるのだけはだめぇ……っ!!」
「深山の良い香りがしてくる」
「だ、だめええぇぇ……っ!!」
「まあまあ、そう言わず」
「や、やぁんっ……!!」
あのふたりが帰ってくるまでの、たぶん30分足らずの短い時間だろうけど……ちょっと久しぶりにふざけたりして深山とのふたりきりの時間を存分に楽しむ俺だった。
「――俺にできること、か」
深山とふざけ合いながら……ひとつ、自分がやるべきことを思いつく。
いや。正確には「いつか機会があれば」なんて受動的に考えて先送りにしていたことへの覚悟がようやくついた、と言ったほうが正確かもしれない。
そう。これは戦力にならなく、ダンジョンにも潜れない俺が深山にやれる数少ないことのひとつだ。
「え……香田君?」
「深山。明日はちょっと留守をするよ」
「どこかに出かけるんですか? なら、良かったらわたしも……」
「残念ながら深山を連れては行けないなぁ」
「……もうっ」
いつものように不満そうにぷくっと頬を膨らませている深山。
一瞬、そのひょうきんで愛嬌のある顔を眺めて正直に伝えるべきかを迷った俺だが……いやいや。とても誤魔化せる類のことでもないと判断してありのままを伝えることにする。
「ごめん。明日はリアルに行ってくる」





