#067a ポテンシャル値
「――す、未ちゃん、そそ、そおいうのはぁ、いけないと思うんだっ……!」
「そういうの、とは何ですか?」
「だ、だからぁ、兄妹で、キ、キキス、とかぁ……!!」
リアルの暦でいう7月25日。
宿屋のダブルベッドの上で折り重なり合うようにチーム全員が寝ていたそんな朝。
俺の右隣で腕にしがみつく凛子は顔を真っ赤にして片手をばたばたと振り回し、そう叫んでいた。
「はい? LaBITと香田孝人は赤の他人ですが?」
ちなみに俺のリアル世界での実の妹、未は絶賛俺の腹の上に馬乗り中。
両手は俺の両頬を包んだまま頭部をがっちり捕まえて離さない。
「リアルでは血の繋がった兄妹じゃんっ!?」
「ゲームの世界にリアルを持ち込むのはどうかと思いますが……リンは虚構と現実の区別もつかない人なんですか?」
「うっ」
「しかも単なるポリゴンの重なり合いをキスだなんて……いやらしい」
「うー、うーっ……!!」
どうやら屁理屈バトルは未に軍配が上がるようだった。というか、正直相手にもなってない感じである。
「未、もうそこらへんにしなよ」
「…………未、ではないです」
「じゃあもう『未』って呼ばないことにするのか? 正直俺は『LaBITさん』とかまったく呼びたくないんだけど」
「………………」
めっちゃ考えてる。
「愛着があるし、未のことはこれからも未と呼びたい」
「……わかりました。未って呼んでください」
ちょっとばかり卑怯な自覚はあったけど、やっぱり『愛着』という単語は未にそれなりの効果があるようで最終的には引いてくれた。
「ただし未は兄さんの妹ではありません。『兄さん』と呼んでるのも兄さんからの要望に応えているだけで、本意ではありません」
どうしてもそこだけは譲れない一点のようだった。
涙目の凛子が口を尖らせながら……
「香田の妹ポジションとかっ……超うらやましいのにっ……!」
そうボヤいていると、未がやれやれという感じのジェスチャーをしながら提案する。
「ですから、差し上げます……どうぞリンが兄さんの妹になってください」
「……香田が、私のお兄ちゃん……!」
「こらこら。あげたりもらったりできる権利じゃないって」
「にゃははっ」
「……つまんない」
俺から極々当たり前なツッコミを入れて、それで話は一段落ついた。
未と唇を重ねてしまったことに……そりゃまあ、ドキドキはしているが、それを動揺として表に出すのは負けだ。未を喜ばせてしまうだけ。
よって俺は『何でもない』という風に軽く流してしまうことにした。
「えーと……じゃあみんな、ちょっといいか? 今後のことでちょっと話がしたい。深山も」
「あ、はい!」
今まで黙っていた左隣の人のことが気になって彼女のほうを向きそう問いかけると、少しびっくりしたように背筋を伸ばして姿勢を正す深山。
「おーい岡崎……岡崎ぃ~……ほら、起きろっ」
「はひっあ!?」
次に岡崎。
こんなにやかましいのに俺の足首を枕にして熟睡を続けていた彼女を起こすため、スッと足を引いて頭の下から突然抜き取った。
当然、岡崎の頭部は支えを失ってベッドへとほんの15cm程度だが落下して、それでさすがに目を覚ました。
「え? あ? うんっ???」
「おはよう」
「……あ、コーダ! ちぃーっす!」
どうやら寝起きは良いみたい。
置かれている状況がわからない様子の彼女へ挨拶すると、すぐさま片手を上げてそう挨拶を返す岡崎だった。
「よし、これで全員起きたな。今後のことで相談がある」
「そ~だん?」
キョロキョロと周囲を見回して現状確認に努めながら岡崎が問う。
声には出してないが、俺を取り囲う美女三人も同じように興味と疑問の瞳を俺に向けていた。
「決闘大会の予選まであと五日。出場する本戦まであと六日になる。それに向けて可能な限りでベストを尽くしたい」
「はいっ」
うん、深山らしい真っすぐな良い返事だ。
「とはいえ、他の出場するプレイヤーとのレベル差は調べるまでもなく歴然で、正攻法ではまともに勝つことは出来ないだろう」
「……にゃはは……未ちゃんの9が最高レベルだもんねっ」
凛子のその苦笑い混じりの状況説明に一同は黙り込む。
現状、言うように未がレベル9。凛子が8で、深山が3、俺と岡崎が1ずつ。
こんなのでレベル数百のパーティ相手に戦うとか、正気の沙汰じゃない。
「……兄さん。ミーぐらいのレベルで中堅なのでしょうか?」
「いや、むしろ彼女はほぼ最高位。何せこのゲームが開始される前からのプレイヤーなぐらいだからね。大会では200前後のレベルのプレイヤーが中心だと思っていいと思う」
「そう」
「……香田、『みー』って?」
「ああ、ポーションを売ってくれた露店の店主だよ」
「そ、そおなんだっ? にゃ、にゃははっ……」
「?」
明らかに様子のおかしい凛子へと未が告げる。
「リン……安心して。リンより小柄で、兄さんのこと『お兄さん』って慕うただの人懐っこい可愛い幼女だから……」
「それだめじゃん!? 私の存在意義が無くなっちゃうじゃんっ!?」
「ツインテールの金髪幼女……」
「うぎゃああああっ!!! だめーっ、だめだめっ! 香田は重度のロリコンなんだからそんな危険な子、近づけたらだめぇっ……!!!」
むぎゅうううううっっっ、って力の限りに俺の腕にしがみ付いて泣きそうになりながら腕にほおずりを繰り返す凛子だった。
「そう……兄さん、重度のロリコンだったんですね……?」
「断じて違う」
「……ここにも、いたいけな15歳が」
「断じて違うから。むしろ年上が好みだから」
「……!」「っ!!」
目の前の未だけじゃなくて、微妙に隣の深山まで反応しているようだった。
「やーだーっ、香田ぁ、やだやだぁ……っ!!!」
「いやあのな? 凛子は自分が年上な自覚あるのか……?」
ぶっちゃけ凛子を想定してそう言ったのに、当の本人が一番ショック受けてるって何なの。
「あのおっぱいだけは、だめーっ!!!」
「あ。そっち?」
「そうですか……あの犯罪者のことですか……」
『おっぱい』だけで一発で未に通じてしまうのが恐ろしい。
「やーい、フラれてやんの、深山姫ぇ!」
「もうっ。何を嬉しそうにしてるんですか、岡崎さんっ」
「いいじゃんっ!? 深山さんはエッチな身体してるから一切何も問題ないじゃんっ!?」
「え、えっち、ってぇ……」
頼むから深山、ちらちらと俺の顔を確認しないでくれ。
「――ほら、そろそろこの話ヤメヤメ。話題を戻すぞ?」
「へーい!」
さっきから意外なんだけど、こういう時真っ先に応じて補佐してくれるのはどうやら岡崎みたいなんだよな。
会話の舵取りをしている側としては非常に助かる。
「さっき凛子が言ったように俺らのレベルは初心者クラスで、上級者たちにはとても敵う状況にない……ないけど、それでも可能な限りレベルは上げておいたほうが良いだろう。特にタンク役になってもらう未には頑張ってレベル上げをしてもらいたい」
「……はい」
「ねえねえコーダ。アタシってレベル2に上げられるけど、今すぐ上げたほうがいーのぉ?」
「ああ。この話の後にすぐお願いしたい。他のみんなも上げられるだけ上げて欲しい。凛子は9に。深山は8にそれぞれ上げられるぐらい貯まっているんだっけ?」
「あ、いえ。わたしは10に上げられます」
深山が訂正してくれた。
「……え? いつの間に?」
「森で四門円陣火竜を撃って貯まりました!」
「あー!」
レベル20の大きな敵を撃退したのもあるだろうけど、もしかしたら更新によって改定されたルールに則って内容を変更したことにある程度の評価点が加算されたかもしれない。
新たなルールでシルバーマジックを使った、という事実は『偉業の達成』に違いないのだろうから。
……むしろ強い敵を倒し、それだけのことをやって、レベルが2つしか追加で上がらないことのほうが少しおかしいとすら思えた。
「ねえねえコーダ、レベルが上がるとどんないーことあるのぅ?」
「さあ? 悪い、俺は実際にレベルを上げたことがないからな。凛子か深山に聞いてくれ」
「はい。ではわたしから……」
すっかり頼れる助手的なポジションに定着してきた深山から詳細の説明をしてくれるようだった。
「レベルが1つ上がると、体力・魔力・スタミナという絶えず変動するバイタル値の上限にそれぞれ2%ずつ加算されることになる――とマニュアルに書かれていました。ですからレベルが10上がると、体力が初期状態と比較して二割増える計算になりますね」
「はいはいっ、私からも補足っ! 体力・魔力・スタミナのそれぞれの数値は元になるステータス値から算出されるの。だから同じレベル10でも個人差や職業差が発生しまーす!」
「そもそも職業によって、その初期状態の値から違うって解釈で間違ってないか?」
それはEOEを始める初日、キャラメイクで職業を選ぶ時に目にした数値を思い出して補足していた凛子に質問してみた。
「うんっ、職業毎の『初期値』に、後天的に付加される『ポテンシャル値』。そしてそのふたつが合計された現在のトータルスコアが『ステータス値』って呼ばれるの」
「細かい質問で悪いが……じゃあレベルによって底上げされるのは、その『ステータス値』によって算出された『バイタル値』ってことか?」
「ううん、レベルアップによる加算は『初期値』からの算出になるみたい。そうマニュアルには書かれてました」
今度は深山から補ってくれる。
つまり……【{初期値×(1+レベル×0.02)}+ポテンシャル値】×補正値、って感じが体力なんかの算出された値となるわけか。正確に言えばここからさらにアイテムやパーティから得られる恩恵の適用も入るだろう。非常に複雑だ。
「なるほど。職業によって、体力やスタミナの伸び方が違うってことか」
とりあえずそんな数式は俺の個人的な趣味からくる純粋な興味でしかないので、そこから導かれる結論だけ端的に述べることにした。
ちなみに地味だがスタミナも戦闘では大きな意味があると思う。
全力疾走など、無理な負荷が掛かる運動をすると爆発的にこれが損なわれることを実感している。一度失われたスタミナが回復するまで数分の時間が必要だし、攻撃や移動の連続性に大きな影響を与えることだろう。
つまり一見するとレベルアップで増えるのは体力……つまりは防御力ばかりで攻撃力が増えないように思えるが、実際は攻撃のコンボ数やターン数というDPSは増えるわけで、ちゃんと攻撃力の底上げもここで成されてることになる。
「レベル100で、200%の増加。レベル200で400%の増加……か。元と合わせて5倍、ねぇ」
それは正直、思ったより大きな差ではないと感じた。
そりゃ体力ゲージが5倍ある対戦相手と格闘ゲームをしたら必敗な気がするけどね。
しかし単純なレベル差でいうなら20倍とかあるわけで、それから比べたら差が抑えられているのもまた事実である。
というか――
「――肝心なのは、ポテンシャル値か」
さっきの数式で当てはめて考えれば必然である。
例えば体力の初期値が最低の1だったとすると、単純に体力のポテンシャル値を1上げるだけで、レベル50分もの効果が一気に得られることを意味している。
初期値が2なら、レベル25分か。もしこの設定で体力にポテンシャル値を10ほど極振りしたら、レベル1でもレベル250相当の体力になる計算だ。
あるいは筋力などの防御系の数値を上げたら、ダメージを受けて減る体力量がそもそも抑えられる。つまり、実質さらに体力の上限を増やしているに等しい。
その肝心のポテンシャル値はたしか……基本的にレベル3~4に1つぐらいの確率で得られると凛子から以前に聞いた。
あとはレベル10の倍数の時にボーナス確定的に1つ、か。
「――ああ、なるほど」
「んにゅ?」
「あ、凛子ごめん。レベル9からレベル10に上げるための経験値って、どんな感じ? いつもより多くない?」
「え? んと……ちょっと待って」
これを質問するのは間違いなく凛子が適任だ。
現在レベル8で、レベル9に上げられるほど経験値を貯めてて、しかも記憶力バツグン。
「香田、ごめん……あといくつ必要なのか実際にレベル9に上げてみないとわかんにゃい」
「あ、そういうものなのか。じゃあお願いしてみていい? もしポテンシャル値を得られた時は保留にしておいて」
「はーいっ」
現在の経験値でいくつのレベルまで上げられるのかは事前に知ることが出来るみたいだが、そこからさらに次のレベルに上がるにはいくつの経験値が必要なのかは事前にわからないようだった。
「……はい、完了~! ポテンシャル値はあがらなかった……残念っ」
「ありがとう。それでレベル10に上げるために必要な経験値ってどれぐらい?」
「んとね…………はいっ!?」
もうその反応だけで、自分の推測が正解だと直感した。
「にゃ、にゃにこれっ!? あと4950って……レベル9に上げるために必要だった経験値の10倍近いじゃんっ!?」
「ありがとう……なるほど、そういうわけか」
やたらレベルが切りの良い数字の人ばかりな理由、ようやく理解できた。
ポテンシャル値が確実に手に入る10の倍数まで必死に上げたら、人間の心理としてそこでレベル上げは一段落ついてしまいそうだ。
あるいは別の理由も存在するかもしれないが、とりあえず自分の中で納得することができた気がする。
さっきの、深山が実績のわりにレベルが2つしか追加で上がらない理由もこれで合点がいった。
「じゃあ凛子は、レベル10になるまでこのまま経験値を稼ごう」
「あいあい! もちろん大会までに、だよねっ?」
「ああ、そうなるね。深山と岡崎もレベル上げてくれるか? もし発生してもポテンシャル値は割り振らず保留で頼む」
「はいっ」「ほーい!」
深山は少なくとも最低1つ、ポテンシャル値上がることが確定している。
チームの主力の、しかも取り返しがつかない選択だけに……これだけは先々を考えて慎重に決定しなければならないだろう。
「……香田君。ポテンシャル値は2つ上がりました」
「うん、そうか。ありがとう」
少しついてない結果なのは、深山が一番理解していることだろう。
あまり浮かない顔をしていた。
平均的な確率で言うと、1つ足りない。
「コーダ、コーダ! アタシはポテンシャル値っての、1つきたぁ!」
「おっ、それはラッキーだな」
レベル1つだけのアップで1つ得られるなら、こっちはかなりの幸運だ。
「じゃあ深山。改めて魔法使いに関わるサブステータスの項目を全部聞かせてくれる?」
この『サブステータス』というのは、俺の記憶が正しければ職業ごとに追加されている特殊なポテンシャルの項目のことだ。
「あ、はい。効果範囲・詠唱・射程・威力・魔力容量・速度・持続・強度……以上の8つです」
「最後の強度って?」
「ちょっと待ってください…………はい、『属性に対する強度』とマニュアルには書かれてます」
視線が俺には見えない何かを追いながら深山が説明してくれる。
たぶん記憶していない項目だったからか、マニュアルから実際に検索して調べてくれたのだろう。
「往々にして良くあることだけど、あんまり詳しく書かれてないなぁ。属性に対する強度、か……具体的にどういう意味だろう?」
「ごめんなさい……」「うー……」
魔法使いの深山も、経験豊富な凛子も顔をうつむかせて渋い顔をしていた。
「これは……そうだな。例えば苦手な属性の魔法とぶつかりあった時に、どれぐらいで消し飛んでしまうか、とかそういう強度なのかな」
「あ、はい!」「そうかも!」
実際のところは誰にもわからないが、とりあえずはそんな無難な解釈をしておくとふたりも同意してくれた。
「じゃあさっそくだが、岡崎は得たその1を『射程』に入れて欲しい」
「へーい!」
防御力や体力のない岡崎は出来る限り後方で参加させてあげたい。
……実はもうひとつの狙いもあるし、もはやこれは確定だ。
「深山は――」
とりあえずシルバーマジック経由で発動するから『詠唱』は無視するとして……正直を言えば、無難に『威力』に入れたい。
あるいは『速度』とか、『射程』とか。
でもたぶん、そうじゃない。
さっき言ったように、そんな正攻法の使い方じゃ敵わない。
どんなに頑張ってもレベル10がレベル250にまともに魔法を当てられるわけがない。だから。
「――持続、でいこうか」
もう二度と戻れない重要な決定を下す。
この瞬間、次の新規魔法の完成は絶対の命題となったのだった。





