#063 壁の向こう側
「――お待たせ。深山が指摘した部分の記述、直してみたよ」
深山からの何気ない一言で次に創りたい新規魔法への大きなブレイクスルーを果たし、その勢いのまま夜を徹してプロトタイプの制作に没頭していた俺たち。
今は互いにアイディアを出し合いながら少しずつ構想が現実で成立可能かの小規模で部分的なテストをさっきから行っている。
この新規魔法、アイディア自体は至極シンプルなんだけど……実現させるのは地味に難易度が高い。部分的なテストだというのにさっそくトライ&エラーで何度も誓約の記述を書き直す作業を繰り返していた。
「これは思っていたよりタイミングを合わせるのが難しいかも。以前みたいに魔力を大量に捻出できるなら簡単なん――……あれ?」
ようやく返事がないことに気がついた俺は、深山のほうを見やると。
「……すー……すー……」
案の定、待ちくたびれたのかベッドの上でうつ伏せになって小さな寝息をたてていた。
「……暇させちゃったね。ごめん」
寒くもなく暑くもない適温だが、念のため薄手のブランケットのような寝具を寝ている深山の身体に掛けて、俺は立ち上がる。
「ん~……ふぅ」
一度大きく身体を伸ばし、吐息をひとつ。
まだブレイクスルーの達成と創作意欲に支えられている俺の精神力は途切れてなく、疲労感は多少あるものの眠気がまったく訪れて来ない。
なのでもうちょっと記述を整える作業を続けたく、俺は寝ている深山を残して206号室の部屋を静かに出た。
「そろそろ夜も明ける、か」
廊下の窓から街の景色を眺めると、遠い彼方の空が白み始めている。
吹き抜けから見下ろせる一階の酒場も、すでに閉店しているのかすでに客の姿はひとりも見当たらなかった。
――……コン、コン。
俺は斜向かいにあるヨースケの部屋の前まで行くと、扉を小さくノックする。
たぶんヨースケは居なくて未なら起きているだろうと判断しての行動だった。
『どうぞ』。
扉の向こうから未の声がわずかに届いてきて、それを確認してから俺はゆっくりと部屋の中に入った。
「兄さん……まだ起きてましたか」
「そういう未こそ、まだ剣の仕様書作ってたのか?」
「いえ」
否定されてしまったので改めて未の手元を見てみると、その手には誓約紙が握られていた。
机の上には変わらず俺の誓約紙も広げられている。
つまり、未は自分の誓約紙を取り出していたってことになる。
「この誓約紙というの……面白いですね」
「面白い?」
どうやら未は俺と会話をするつもりのようだった。
ならば、と俺も未が座る机のとなりまで歩み寄り、そのままベッドの端に腰掛けてそれに応じた。
「色々な可能性を感じます……」
「ふぅん」
やはり血の繋がった兄妹、ということか。
「どういうところに、どんな可能性を感じる?」
「例えば、こんな雁字搦めの未の心……素直にしてくれています」
その言葉自体がすでに誓約の作用を表しているように思えた。
「自閉症など発達障害の人の心のリハビリに活用とか、どうでしょうか?」
「なるほど」
正直そんなこと、考えたこともなかった。
自分の感情を表に出すことが困難な未だからこその意見だし、その可能性の示唆だと思えた。
「未はこのゲーム……とても気に入りました」
「そうか、それは何よりだ」
「呼んでくれてありがとうございます。兄さん」
「…………ああ」
以前に似たような会話を交わした記憶があるが、全然悪い気がしない。というか、もうちょっと気の利いた返事をすれば良かった。
正直を言うとまだ素直な未に慣れてなくて、戸惑いのほうが強い。無駄にテレてしまって上手く言葉が出て来ない。
……なので少し会話を逸らすことにした。
「なあ未、ついでだしちょっと実験に付き合ってもらっても良いか?」
「はい?」
「その机の上にある俺の誓約紙、手に取ってくれるか?」
「構いませんが……絶対に持つな、という話だったのでは?」
「ああ。どうなるか予測が出来なかったからな。だから、改めて実験」
「……わかりました」
相変わらず何も恐れず何も疑問に感じてないかのような涼しい顔で、ゆっくりと机の上に置かれた俺の誓約紙へと手を伸ばす未。
「――……? あれ……」
「なるほど。そうなるのか」
たかがA4サイズほどの紙切れが一枚そこにあるだけなのに、未は決してそれを手に取ることが出来なかった。
透けて指が通り抜ける、とかそういう感じではない。
まるで机にピッタリと接着しているかのような感じで、机と紙の間に指が入らない様子なのだ。
「兄さんこれ……くっついてるのですか?」
「いや。ただ置いてあるだけだよ。じゃあ息を吹きかけてみて」
「? はい」
ほとんど無意識にだろう、垂れている長い髪を手で押さえながら遠慮がちに机へと屈み、ふー……と弱く息を吹きかける未の仕草は、やけに色気を感じさせるものがあった。
「……これ、どういうことですか?」
その吐き出された弱い吐息ひとつで机に接着されているかのような俺の誓約紙は、ひらりと宙に浮いて床に落ちた。
「んーと……つまり、システム的な干渉なんだと思うよ」
実の妹相手に、何を考えているんだか。と内心げんなりしながら俺はそう答え、床に落ちた自分の誓約紙を拾う。
「システム的な干渉……」
「つまり『奪うことは出来ない』という管理者側からの誓約、みたいなモノかな。一番最初のチュートリアルで伝えられていたけど、誓約紙だけは他人が奪えないとシステム的に定められている」
「奪えない……手に、持てない」
「そう。手にした瞬間消えてなくなるとか色々な可能性を考えたけど、一番無難で現実的な振る舞いをするみたいで安心したよ。じゃあこれは? 未、手を出して」
「え……はい」
拾った誓約紙を差し出すと、そのまま未の手のひらの上に置いた。
そう、置けた。
「? 兄さん、これは?」
「うん……持ててるね」
ちょっと意外な振る舞いだった。
例えば手のひらの上をつるんと滑り落ちるとか、未の手のひらをすり抜けるとか、宙に浮くとかすると思っていた。
――あ、いや。
忘れていたけどまったくこれと同じことを俺は過去実際にしていた。
そう、アクイヌスの足めがけて。つまり。
「未。そのまま歩いてみて」
「はい…………ん? あれ……あれ……?」
「動けないか」
「はい」
未の手のひらの上に誓約紙が乗ったのは、『俺が置いた』から。
その段階では『奪う』にはならないってことだ。
そして手のひらの上に乗せたまま、未が動こうとした。その瞬間『奪う』という判定になってその行為が禁止された、と内部の処理を想像する。
「じゃあ未、それを捨ててみて」
「はい……あ、出来た……」
あっけないほど容易に、はらりと誓約紙が再び床に落ちた。
「なるほど。面白い」
『奪うことは出来ない』というルールを逆手に取ったこの特殊な振る舞いは、対処を知らない人への良い嫌がらせが出来そうに思えた。
再び誓約紙を拾いながらも、俺の思考は進む。
「他のルールはどうだろう?」
確か他にも……偽装やねつ造、自らの破棄が禁止されていた。
『フェイクメーカー』で誓約紙を増やすことが抵触しないことは当時、少し意外だったが、まあ、『複製』は偽装やねつ造とは違うってことだろう。
偽装とは、例えば誓約紙をただの紙切れのように裏面まで真っ白に塗りつぶして隠すような行為のことだろうし、逆にねつ造というのは機能しないただの紙切れをまるで誓約紙のような見た目に造る行為、ってことに思える。
『フェイク』なんて紛らわしい名称だから誤解してしまいそうだが、ちゃんと誓約紙としての機能が伴い、見た目を偽るわけじゃない立派な『複製』はこれらと似て非なるモノということだ。
これについてはさしあたっての応用はパッと思い浮かばないが……じゃあ『破棄』についてはどうだろう?
というか『破棄』と、机の上に一部を『置く』ことは何が違うのか?
例えば一定距離より離れたり、一定の時間が経過したら『破棄』とみなされて強制的にアイテム欄に戻るのだろうか?
――いや、時間は可能性低いか。もうあれから数時間は経過してる。
それより誓約紙本体であることを考慮するなら、さっきの『奪う』と同様に『破棄しよう』という意識が持ち主に生まれるとそう判定される……ぐらいの仕組みが妥当だと思えた。
つまりこれを応用するなら――
「兄さん……?」
「――ああ、ごめん。色々考えちゃった」
「いえ。生き生きとしている兄さんを見られて……悪くないです」
ちょっと深山っぽいことを未にも言われてしまった。
俺が悩んでる時って、よっぽど特異な顔でもしているのかもしれない。
「悪くない……か」
「気持ち悪いことを言いました。忘れてください」
「…………全然そんなことないよ」
『人形』が未にとってのNGワードだというのなら、『気持ち悪い』はたぶん俺のNGワード。
特に未からそれを聞くと……たまらない気持ちになってしまう。
「兄さん……では未も実験してみたいです。手伝ってもらえますか?」
「ん? いいよ?」
さっき俺の実験を応じてくれた手前断れるはずもなく、気を取り直してそれに応じた。
「誓約の実験か?」
「ええ……そうですね」
しばし口元に手を当てて悩むポーズをして見せる未。そして。
「では『未に子を授ける行為をする』と書いてくれますか?」
「……」
よくもまあ、しゃあしゃあと涼しい顔で言ってくれる。
リアルとは真逆と言えるぐらい、隙あらばそっち系の話に振って来る困った俺の妹だった。
「これは実験です」
「……」
「崇高な知の探究ですから」
「いいよ」
「また兄さんはそうやってはぐ――……え?」
あっ、これは珍しい。
今、わずかに未が目を見開いた。
つまり未の内心はまるで天と地がひっくり返ったみたいな前代未聞の大騒ぎ状態なのだろう。
「構わないよ。それを誓約紙に書けばいいんだろ?」
「……」
「未?」
「目の前で書いて――いえ。未に書かせてください」
よっぽど疑われているらしい。
まあこれはこれで結果的に未の求めるモノを与えられそうだから、悪くない展開だろう。
「はい、どうぞ」
辞典か電話帳ほどの厚さがある俺の誓約紙aをそのまま取り出して机の上にドン、と置く。
ついでだから手前から10枚ぐらいざっくり開いて、真っ白なページを提供してあげた。
「……」
「どうした? 書かないのか?」
やけに素直に俺が提出するものだから、警戒心が高まっているようだった。
「いえ……書きます。少し、その……なんといいますか……心の準備が……出来てなくて」
うつむいてぎこちなく言葉を繋いでる未。
もちろんそれで頬が紅く染まったり、手が震えたりはしてないけど。
「……では」
しばし間があったが、ようやく未は視線入力で俺の誓約紙に記述を入れ始めた。
まあ今さら言うまでもなく――
「――え……え? あ、れ……え?」
当然ながら『未に子を授ける行為をす_』でカーソルは止まる。
「どういうこと……? じゃあ……」
『香田考人はLaBITに、今すぐ妊娠させ_』
まあ内容を確認するまでもなく文は完成しないだろう。
「そろそろいいか?」
「待って……これ、どういうことですか? えっと」
「実行不可能なことは書けないの。チュートリアルで聞いてなかったか?」
「どうして……赤の他人なのに……」
「そういう問題じゃなくて、物理的に不可能なの。服は脱げないし、そもそもそういう部位が俺の身体に備わってない」
「え…………」
そんな絶望色の瞳で俺を見つめなくていいから。
「……酷い。兄さん……騙しましたね……」
「何も騙してないだろ? ほら、良い実験になっただろ?」
「騙すなんて酷い……こんなの、許されない……なんて面の皮が厚い悪魔……」
「酷い言われようだ」
しかし面の皮が厚い世界チャンピオンに輝く未からそれを言われるのは、実はちょっと嬉しかったりして。
「許さない……」
「お?」
『嘘がつけない』。
未はあてつけのように素早くそれを入力していた。
……まだまだ甘いなぁ。文末に句点がないので、俺が指先で触るだけでそんなのあっさりと――
「ダメ」
「え」
――……訂正する。甘いのは、俺だった。
「ダメ……近づかせない」
「っ!!」
俺の伸ばした手を掴まえ、未は潰れない程度に強く握る。
まるで万力で固定されたみたいに、一切動けない。
甘い。甘かった。
レベル1の一般市民が……レベル9の狂戦士に敵うはずがない。
「さ……兄さん質問です。今、何をしようとしましたか……?」
「……」
俺は、質問に必ず答えなきゃいけない深山じゃない。
嘘がつけないなら、黙ればいい。
「加筆しましょう」
「おいおいっ、待ってくれよっ!?」
俺の手首をガッチリと固定したまま、視線入力で未が新たにもうひとつの誓約を入れる。
『沈黙で誤魔化すことが出来ない』。
……まだまだ甘いけど、しかしなかなか有効な記述である。
「くそっ」
「ほら答えてください」
「せ、……ぐっ……誓約を、消そうとした……」
「どうやって?」
「……指で触れて」
「指で触れれば誰でも該当部分を消せるのですか?」
「ぐっ……」
「ほら、兄さん?」
これに数分耐えられる深山って……本当にすごいと思う。
全然ダメだ。どうしても勝手に口が動いてしまう。
「違う……句点などを入れて文を完成させてない、から……記述者の権利を上書きして……消すことが出来る……」
「よくわかりませんが……まあいいです。ほら、兄さん。こっち来てください」
「お、おいっ」
文字通り引きずられ、俺の身体はベッドの上にポイっと軽く投げられてしまう。
「未っ――」
「――逃がさない」
そしてそのまま、俺の胸元へ手のひらを押し付ける未。
あまりの圧迫にミシミシとこの身体が悲鳴を上げ、マットレスの中へと半分ぐらい沈み込む。
「ぐ、はっ」
「……ごめんなさい。痛くした?」
「ああ、痛いっ」
嘘がつけない俺は、ありのままの感想を述べる。
「……こうする」
「っ……はぁ……はあっ……」
俺の身体に馬乗りになって、両手首を掴まえる未。
胸の圧迫は消えてようやくまともに呼吸が出来た。
「兄さん、ごめんなさい」
「謝るならやめてくれよっ」
「嫌です……」
年下の妹にいいように押さえ付けられているこの状況、兄として――
「――カッコ悪ぃ……」
沈黙で誤魔化せない俺は、本音をそのまま口にしていた。
「兄さんは、カッコ悪くありません」
「それはどうも。いつも気持ち悪いと言ってる未に褒められて嬉しい」
沈黙で体裁を整えられないの、地味につらい。
「それは…………」
「そうだったな。自分に対しての言葉だったよな」
待て。ちょっと待て、俺。
そこらへんは未にとってはナイーブな部分だぞ。
そんなさもわかってる風に指摘するのはあまりよろしくない。
「……はい、そうです。未は気持ち悪い子だから……」
「傷つけて悪かった」
嘘がつけない俺に、素直な未。
それによってとてもじゃないがリアルでは成立しない会話が交わされていた。
「ああ、こんなの誓約で強制的じゃなくて……素の時に言いたかった」
「どうして?」
「どうしてって……それは誠実じゃないから」
「ううん、そんなことない……今、すごく嬉しいです」
「全然そんな風に見えないけどな」
待て。
俺、待て。ヤバイ。
「……人形みたい?」
「ああ。まるで人形みたいだ」
「……」
それで黙ってしまう未。
「いや、わかってる。未の内側はとても人間らしいって。感情豊かなんだって。だからこれは単なる見た目についての話だ」
精いっぱいに取り繕う俺。
「……感情、豊か?」
「ああ。未は感情豊かな人間だ」
「未のこと、嫌いじゃない?」
「嫌いじゃない」
こっちもこっちで雲行きが怪しい。
地雷だらけの荒野を走り抜けている気分だった。
「じゃあ……好き?」
ほら、来た……。
「好きだよ」
「妹として?」
「ああ。妹としても好きだよ」
「……も?」
ヤバイ……だから、ヤバイって。
いや、『ヤバイ』と思っている段階で、俺はある意味もう認めている。
「女の子としては……どう?」
「……」
俺は、黙る。
それこそ血がでそうなぐらいに顎に力を入れて、歯と歯を合わせる。ああ……こうやるのか……『しゃべらない』という意思では抗えない。そうじゃなくて、物理的にしゃべることが出来ないよう身体で抵抗するのが正しいやり方なのだと理解した。
こうやって深山は精いっぱいに抵抗していたのだろうな。
そして俺は知っている。
「女の子としては……未のこと……魅力を感じませんか……?」
「う……ぁ……」
この抵抗は、大して長持ちしないってことを。
「ぐ、が……っ……かっ……か……か、か……」
「答えて……兄さん」
たぶんこれは、未のことを見た目だけでも『人形』と思ってしまっている俺へ与えられた罰だ。そう思うことにする。
「か…………感じ、て、る…………女の子、と、して……魅力的……だ……」
せめてもの抵抗で、俺は目を閉じた。
未を拒絶した俺がそれを言うのかと呆れる。
きっと未は今、殺したいほど俺のことを憎んでいるだろう。
腹を立てていることだろう。
「……」
未が黙り、しばし不意の沈黙が訪れて。
そしてゆっくりと、最悪の駄目押しが俺の耳に届く。
「いやらしいこと……したい……?」
「ははは……酷なこと……質問する、なぁ……」
これは抵抗じゃなくて自然な反応。
俺の真っ先に出た純粋な本音は、こっちだった。
「うん……酷いこと質問してる。だから嫌いになって」
「ん? それでいいのか……?」
「ん……それでいい。嫌われたい。こんな未を、嫌いになって」
俺は特に意識するでもなく、しばし黙ってその言葉を耳にしていた。
それは沈黙で『誤魔化す』つもりがないからだろう。
純粋に理解出来なくて、黙ってしまっただけなのだ。
そして嘘がつけない俺は、やはり理解できないことを理解して、必然的にこう問うことになる。
「どうして」
「どうして……? どうしてって……そんなの当たり前、です」
何かが当たる、冷たい感触。
それで無意識に俺は目を開けていた。
「こんな……こんな気持ち悪い子に言い寄られて……兄さんがっ……気の毒だからぁ……!」
泣いていた。
未が、泣いていた。
顔をくちゃくちゃにして、口を歪ませ、眉を下げて。
俺を掴んでるその手は震え、嗚咽を漏らしている。
「未っ!? 未、お前――」
――ついに感情を表に出すことが、と一瞬そう勘違いした。
そうじゃなくて、これは。
「……ジョブ、スキル……?」
涙をこぼす未の瞳が、その細められている隙間から鈍く紅く輝いていた。
よく見れば、未の二の腕から血が滴っている。
自分で自分の肉を食いちぎり、そして発動させていたようだった。
『素直になる』という誓約に、本能のまま制御ができなくなるという狂戦士のジョブスキル、狂撃乱舞というブーストを乗せ、それでようやく未の心の壁は取り外される。
――それは間接的に、どれだけの厚く硬い壁なのかと思い知る気分だった。
「どうしてもっ……にぃにのこと、どうしても好きでっ……止まらなくて……ぇ……最悪……最悪、こんなの最悪……未、自分でどうすることも出来なくてぇ……矛盾、しててぇ……!」
まるで悲鳴のような声を絞り上げ、未が泣き叫ぶ。
「わかってる……わかってますっ……最悪でぇ、最低でぇ……にぃに、に嫌われることばっかりやっちゃってぇ……! わざと、こんなこと、してぇ……!」
「未……手、離して」
「は、は、ひっ!」
ビクッ……と大げさと思うほど震えあがりながら未が俺の手首から手を離すと。
「うぇぇ……ひぅあぁぁぅ……っっ……」
そのまま両手で顔を覆って、背中を丸めた。
俺の腹の上で、ガクガクと身体を震わせて泣き続ける未。
「――未」
「ひ、は、はいっ……!!」
今度は跳び上がるように背中を無理やり伸ばして萎縮していた。
普段も……内側はこんなに激しいのかな……。
「触っても、いい?」
「っっ……!! 触って、触ってぇ……っっ……!!!」
このやり取り……いつぶりだろう。
あまりのなつかしさに、俺まで目じりが熱くなってしまう。
ガクガクと震えてる未の手を取る。
涙でびしゃびしゃに濡れている。恐怖に強張っている。
「未のこと……好きだよ」
「ふぇ……っ?」
いや、それじゃ足りない。
こうして未が踏み込んでくれたその分ぐらいは、応えなきゃ。
「未のこと……異性としていつも意識してたよ。ずっとそう……たぶんそれは、あの時、未が勇気を出して俺のことを求めてくれた時から」
「え、えっ、ええっ……え、あのっ、えっ!?」
あの日、真っ暗な未の部屋でのことを思い出す。
ずっとタブーとして封じて来た。
それが未のためだと思ってた。
もうすべてが手遅れだと、そう勝手に決め込んでいた。
「それからは、未と、同じ気持ちだよ」
「――――っっ……!!!!」
誓約によって嘘がつけない俺は、ありのままそう告げた。
「でも兄妹だから、しない」
これもまた真実。本音。嘘偽りない俺の気持ち。
「……あ、や、だ……やだっ……待って……やだっ……」
「未?」
「切れちゃうっ……もう、終わっちゃうっ……やっと……えぐっ……やっと外に出られたのにぃっ……!!!」
狂撃乱舞の発動時間が終わるのだろう。
頭を振り回し、それを何とか抵抗しているが……そんなことでシステム的に決められた時間が延長などされるはずがない。
「にぃに、あのねっ、あのね……!!」
「あ、ああ」
見たこともない、必死の表情の未が俺の腕にしがみつき。
「――ほんとのこと、聞けて……嬉しい、っ……!!」
やっぱり見たこともないような、とびきりの優しい笑顔を見せてくれた。
「そっか……未、またいつでも出てきておいで」
「うんっ……!!」
最後の最後、俺の胸にもたれ掛って顔を埋める。
「――…………はぁ……」
それからしばらくして。
俺の胸の中に居る未は、深い吐息を微かに落とした。
それが終わりの合図だと何となく理解出来る。
「死にたい」
「うん?」
いつもの調子で、淡々とした物騒な言葉が耳に届く。
「こっち……見ないでください……恥ずかしくて死にそうです……」
そう言いながら視線を逸らす未の顔は、でもいつものようにとても涼し気だった。
◇
「――じゃあさ、せめてこのヒンジの方向を逆にしようか。一番脆い部分で切るとか構造的におかしい」
その後の未は、満足してくれたみたいで強引なことは何もしてこなかった。
俺の自由を奪ったりはしなかったし、自分を追い込むような質問もしてこなかった。
だから別に消さなくても良かったんだけど――いやいや。『未に対しては』という条件付けがされていないから、やっぱりあの誓約は消させてもらった。
これにて互いの『実験』は一応の終了。
「いえ……それでは切るとき、簡単に元の二つ折りに戻ってしまいます」
なので現在は、未が希望する大剣の仕様書を俺も見せてもらってのブラッシュアップをしていた。
「いや、それで刃を伸ばすとロックされて戻らない構造にするの」
「……ダメです。自由に戻したいです」
「どうして」
「どうしてもです」
何か意図があるのかな。
「なら柄の部分に拳銃みたいなトリガーつけて、それでロック解除ならどうだ?」
「――……ステキ」
お。気に入ってもらえたようだ。
「ついでに二つ折りの時にトリガー引くと、そこからセミオートで弾丸が――」
「おいおいヨースケにそれを作れってか? さすがに無理だろ!」
「――……まったく使えないですね、あの人……」
バッサリと酷いことを勝手に言ってる未だった。
「じゃあ、とりあえずはこんなところか? この仕様書、ヨースケに出して来て良い?」
「はい、お願いします」
小さく頭を下げてる未。
リアルから比較すると、これでも劇的に素直で丸くなってると思うけど……あの内側の未を知ったあとだと、ちょっと物足りないなぁ。
「……何ですか?」
「いや別に」
「ムラムラしました?」
「してない、してない」
「残念です」
ちっとも残念そうに見えない顔でそうボヤく我が妹だった。
「……ねえ兄さん」
「ん?」
「もうちょっとだけ……良いですか?」
「良いって、何が?」
「誓約のこと、もっともっと勉強したいです」
でもその瞳が未知のことに対する興味で輝いていることを俺は見逃さない。
「もちろん良いけど……勉強して、その先は?」
「兄さんみたいに怪しげなプログラミングは出来ませんが……せめて自分のマクロぐらいは自分自身で組みたいです」
「怪しげって……」
なるほど。確かにウチの火竜のメンバーの中では一番素質がありそうだ。
不正が嫌いなガチ勢の未はBOTとか決してやらないが、しかし行動の自動化ならルールで許されているゲームではリアルでも未は自分で組んでいる。
「ダメですか……?」
「構わないよ――いや、むしろ俺から頼みたいぐらいだ。じゃあ凛子たちが戻るまでの間、未に詳しくレクチャーしよう。深山との魔法制作のディスカッションにもおいで。きっと勉強になるはずだ」
「手取り足取り……?」
「そうだな。出来る限り丁寧にノウハウを伝えるよ」
「腰も……?」
「そのオッサンみたいな下ネタ、やめようか」
「……つまんない」
「ははははっ」
俺たちは確かに一歩、心の距離を狭められた気がした。
歩み寄れた。
わだかまりをひとつ、互いに乗り越えられた。
俺の犯した罪による深い傷は残ったままだけど……何もかもが手遅れではないことを知った。それで充分だ。それ以上は贅沢だ。
「兄さん……」
「うん?」
「EOEに誘ってくれて……ありがとう」
これで三度、似たような会話を交わすことになった。
でも。
「うん」
やっぱり全然悪い気がしない。
……今度こそ俺は、もうちょっと気の利いた返事を継ぎ足そう。
「俺も未を誘って本当に良かったと思ってる。来てくれてありがとう」





