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#054 それは血の味がした

 ――こん、こん。

 ぼくはあいているけど、でもドアをたたく。

 だってそれが『れいぎ』だから。


「すみ……なにしてるの?」

「んーん……なんでもない……」


 すみはまどから『て』をはなしてぼくへとふりかえる。


「またあかくなっちゃうよ。こっちおいで」

「ん……ごめんなさい……」


 すみはいつも『すなお』だ。

 ぼくのいうことをなんでもきいてくれる。


「おそと……でたいの?」

「んーん……にぃに……いるから、いらない」


 ぼくはこんな『すなお』なすみが、だいすきだ。


「ありがとう」


 ぼくは、かなしいけどわらう。

 だってそれが『れいぎ』だから。


「……にぃに?」


 ぼくは、どうしたいんだろう。

 すみをこまらせるだけなのに。それなのに。


「どこみてたの……?」


 『ダメ』なのに、どうしてもききたかった。

 ちょっとだけまどのそとをみる、すみ。


「ん…………ずっと、むこう」

「ずっとむこう……?」


 ぼくもみる。


「あ」


 ぼくはいままで、きがつかなかった。

 だって『おやすみのひ』はいつも『そこ』にあそびにいくから……みなれてるから。

 だからじぶんちから、そこをみてみようとおもったことがなかった。


「……うみ」

「ん……」


 とおくのとおく。

 いえの『すきま』と『すきま』に……かがやく『すいめん』がちらっとみえた。


「…………」

「……」


 ぼくが『だまる』とすみも『だまる』。

 ぼくはどういえばいいのか、わからなかった。

 きっとすみも、おんなじ。

 あんなところいったら……すみ、しんじゃう。

 ううん。いくまえに、たおれちゃう。

 だから『だまる』をしてる。

 すみもわかってる。

 だから『だまる』をしてる。


「ふぇ……」

「あ、すみっ」


 こまらせちゃった。おにいちゃんなのに。

 ぼくはすみのたったひとりのおにいちゃんなのに。

 すみには、ぼくしかいないのに。


「さわってぇ……さわってぇ……」

「う、うん」


 『はだ』のよわいすみは、ちょっとつよくさわるだけで、すぐにあかくなっちゃう。

 だから『さわったらダメ』っていわれてるけど。

 だからすみは『さわって』ってぼくにいうんだ。

 ぼくもわかる。

 おねえちゃんがこの『かみ』をなでてくれるとうれしいんだ。


「えへ……えへへ……くすぐったい……にぃに……くすぐったい……」


 ぼくはあかくならないように、さわる。

 やさしく、やさしく。だって、たいせつだから。

 するとすみはきまってわらうんだ。こうやって『くすぐったい』って。


「や……だめっ……にぃに……くすぐったい、よぅ……」


 『ダメ』なんていわれちゃうと、ぼくはもっとしてあげたくなっちゃう。

 だってすみ、ほんとうはいやじゃないの、わかるから。


「…………」

「……にぃに……?」


 そうだ。

 『ダメ』だから、してあげたい。

 『ダメ』だから、いってみたい。

 おんなじだ。


「……すみ」

「うん?」

「よる……おきてて」

「どして……?」


 ぼくは、おしえてあげない。

 だってそれが――



   ◇



「――ぅだくんっ……香田君っ……!!」

「……ん、ぁ……深、山……?」

「起きてっ、香田君起きてぇっ!!」


 俺の目覚めにまだ気が付いてないのか、目の前で取り乱してる深山が俺の胸元を鷲掴みにして激しく上下に振り回してる。


「お、起きてるっ、起きてるからっ、深山っ」

「香田君っ……ごめんなさいっ……!!」

「ど、どうした?」

「凛子ちゃんが――」

「っ!!」


 まだ話は終わってないが、しかしすでに有り余るほど不穏な空気は感じられてて、それだけで俺は素早く立ち上がった。


「どっちだ、深山!」

「こっち……!!」


 とりあえず、向かう。

 その俺の意思を理解してか、深山も手短にそう返事をすると先頭に立って駆け出した。

 気絶する前、確か深山からは凛子のところまで1kmも無いような説明を受けた。つまり全力で走れば数分で到着するぐらいだろうと軽く予想をつける。


「それでっ!?」

「ついさっき凛子ちゃんからチャットが来たの! 『襲われてるから助けて』って……!!」

「っ……!!」


 ――……ズドォォンン……ッッ!!


 細かい振動と共に、何かが倒れるような重い音が夕暮れに染まる森の中に響き渡る――そう、夕暮れ。


「くそっ……そんなに意識失ってたのかっ……!」

「ごめんなさいっ……香田君、起こさなくてごめんなさい……!!」


 こっちを振り返りながらハラハラと涙を落とす深山。


「気にしないで! というかこっちこそ気絶しててごめんっ! 俺――」


 ――きゃあぁぁ……っっ!!


 まるで俺の言葉を遮るかのように遠くから届く、甲高い悲鳴。

 その声は、凛子……だろうか?


「……っ!!」


 とにかく、もう声の発生源は近い。

 遠くてもせいぜいあと3~400mってところだろう。


「くそっ……」


 なのに、このステータス最弱の身体が恨めしい。

 もどかしい。

 すぐに息が切れ始め、ガクガクと足が震えてもつれてくる。


「み、深山っ……先っ、行ってくれぇ……っ」

「は、はい!!」

「無理は、するなよっ……!?」


 最後の俺のその言葉に返事は無いが、しかし小さくうなずくと俺を置いて森の向こうへと深山はそのまま駆けて行った。


「はぁ……はぁ……っ……!!」


 とうとう隠れステータスであるスタミナの残量が底に到達したのだろう。完全に足が止まってしまい、そのまま倒れそうになって太い幹にもたれ掛かった。


「はぁ……はあっ……く、そっ……」


 ダンッ……!!

 拳を握りしめて、そのままこの大木に八つ当たりをするしか無かった。

 もうこれで何回目だ、取り残されるのは?

 何がランク三位だ、と少し調子付いていた貧弱な自分に唾棄したくなってくる。


「くそぉ……くそっ……糞がぁ……っ」


 ここはデジタルが支配する0か1の世界。

 どんなに気合いを入れてもミラクルは起きない――わかってる。わかってるが、それでも自分の脚に動けと心で命じ、叫ぶ。


 ――ズバァァンンッッ……!!!


「っ!!」


 耳に届く鋭い炸裂音。あれはきっと、深山の呪文だ。

 たぶん『ファイアボール』。

 それからその炸裂音は断続的に続いていた。


「せめてぇ……深山の、誓約紙……書き直して、おけって……俺っ」


 ようやく少しだけスタミナが回復してきたらしい。

 ヨロヨロと身体を少し起こし、引きずるように脚を動かす。


「――あ……」


 感謝というより、尊敬した。

 この突然なトラブルの最中、深山が俺をパーティに登録してくれた。

 そういう通知表示と共に――


「何だ、これ……」


 ――マップに現れた無数の赤い丸の表示を見て、愕然とする。

 ウラウロゴスのようにとんでもなく巨大なモンスターがそこに居るのかと一瞬見間違うほど密集してて……数は……よくわからない。軽く100とか行ってそうだった。


「……っっ……!!」


 これが、一般フィールドか。

 初心者専用の『始まりの丘』なんかとても比べられないこの状況に戦慄が走る。


「くそっ……くそっ!」


 俺が行っても、役に立つのだろうか?

 むしろ足手まといになるのでは?

 ――そうも考えるけど、でも俺は動かない身体に鞭打って精一杯に向かう。

 目の前の背丈ほどもある大きな雑草をかき分けると、視界が一気に広がる。

 これで、ようやく俺はみんなの元に戻った。


「凛子ちゃん、左っ!」

「あいよぉ!!」

「うひーっ、マジかよ!?!? ウィンドォ……!!!」


 ちょうど俺の立つこの草むらを背にして三人が、扇状に群がってくる大型犬ほどのサイズの、無数のネズミのような毛むくじゃらのモンスターたちと対峙していた。西日の逆光の中、黒々とした影となっているその塊が細かくうごめいている。

 次に目についたのは、幹が折れて倒れている太さ1mほどもありそうな大木。

 ……もしかしてこれが、さっきの振動と重たい音の正体だろうか?

 それがガードレールのようにモンスターたちの移動を遮り、一ヶ所へと誘導させる役目となっているようだった。


「――ファイアボール……!!」

「それっ……!!」


 深山がまず魔法でけん制して集まっているそのモンスターの集団を怯ませ、それでも突っ込んでくる個別のモンスターを時間差で凛子の弓が順次潰している。

 岡崎はたぶん、風を巻き起こして妨害しようとしているみたいだが、正直その効果はほぼ無さそうだった。

 確認するとモンスターの名称は『ズィータ』。レベルはある程度まばらだが……ほぼ10前後。凛子の弓が効いているところから見ても、個体ひとつひとつはさほど強い能力では無いらしい。ただとにかく――


「ヤぁあぁっっ、多いっ、多いってぇぇ……!!!」


 ――そう、数が尋常じゃない。


「もう無くなっちゃうよおっ!?!?」


 凛子が叫んでる。たぶん弓矢の本数のことを言ってる。

 今まで意識したことも無かったが、確かにそれが深山の魔法とは全然違う、弓最大の弱点だと理解した。


「あっ、コーダ来たぁ!!!」

「悪いっ、遅く、なった……!」


 相変わらず勘の良い岡崎が、真っ先に背面に居た俺の存在に気が付いて叫ぶ。

 ちょうど良い。

 一番戦力として影響の少ない岡崎へと端的に状況を尋ねた。


「未は……!?」


 そう、俺の妹の姿が見当たらなかった。


「後ろぉ……!! その草むらの中で寝てるよぉ!!!」

「えっ」

「起きないのっ、未ちゃん起きないのっ……!!」


 凛子も、こちらを向かず弓を構えたままで説明してくれた。


「ああ……そっか」


 未は一度寝ると、まるで電源が切れたみたいに深く眠る。

 それこそどんなに強力な目覚まし時計が鳴り響いてもビクともしない。

 たぶん、一種の睡眠障害――いや。心の問題。


「未っ……!」


 だから未を起こすには、その原因を理解した上でちょっとした工夫が必要だった。

 これはあまり多用が出来ない裏技。


「未……っ……」


 草が大きく倒れており、すぐにこの騒音と殺伐とした空気の中でも静かに横たわって寝ている妹の姿は見つけられた。


「おい、未……未っ!」


 念のため身体を揺らして声を掛けてみるが、やはり目覚めない。

 もう躊躇している暇はない。

 諦めて俺は、寝ている未の耳元へと口を寄せて。


「未……こっそり、海に行こうか?」


 そう呟いた。


「――……ん……にぃに……いくぅ」


 たったそれだけで、未はあっけないほどに薄っすらと瞳を開く。

 たぶん意識してのことではない。

 きっと『現実』に戻りたくないという深層心理が、まるで閉じた貝殻のように未の心の蓋となって覚醒を防いでいる――俺はそう考えている。

 その証拠が、これだった。

 未がまだ『人形』になってしまう前の話題で語りかけると、その当時の未が目を覚ましてくれるのだ。

 これはあまり多用するべきことじゃない。

 きっとその分だけ、未の心の傷に触れてしまっている。


「未、ごめん。起きてくれ。緊急事態なん――」

「――……嬉しい。やっと兄さん……その気になってくれましたか」


 今回は特に、こじれる前の未が出て来てくれて助かった。

 無事にその昔の『すなお』な未は、こうして連絡役として今の未へとすぐに意識をバトンタッチしてくれた。


「すぐに起きて……お、おいっ」


 寝ぼけている様子の未は、俺の首に巻き付いて抱き心地を味わうように顔を埋めていた。


「さ……兄さん。いつでも良いです。未はとっくに覚悟、出来てますから」

「ああもうっ」

「あ」


 抱き付いてくれたのを利用し、未をぶら下げるようにして強引に立ち上がる俺。


「未、敵が襲って来てるからっ! 助けてくれっ!」

「…………嫌です」


 抱き付かれているこの体勢では見えないが、たぶん相当不機嫌な瞳の色をしているんだろうな。


「お前も襲われるぞっ!?」

「兄さんに……?」

「巨大なネズミにっ!!」

「……」


 黙った。


「――……兄さん、ここ、どこ?」

「EOE! ゲームの中っ!!」

「ああ…………そういう、こと」


 ようやく本当の意味で起きてくれたようだ。

 この雑草の向こうはどんな状況になってるかわからないが、まだ魔法の炸裂音は聞こえているから全滅ということは無いだろう。

 ――最悪、深山さえ無事ならそれでいい。

 凛子の矢が切れた瞬間、みんなが肉の壁となって深山を逃がすという最終手段も考えているが……今はまだその段階じゃない。

 決戦兵器みたいな切り札が、今ここに居る。


「ほらっ、未、助けてくれっ」

「……ご褒美は?」

「そんな悠長な――」

「――いやらしいこと、してくれますか……?」

「しないっ!! 絶対にしないっ!!」

「……」


 不機嫌になろうが、それは応じるつもりが一切無い。

 どんなに困ってても、それだけは匂わすだけでもダメだ。可能性とか感じさせるだけ酷だ。


「兄さん……困ってるのでしょう?」


 いやらしいこと、か。誓約の効果が絶大だと改めて痛感するなぁ……素直で、自分に正直で、まるで二年前の未と話しているかのようだ。


「なんだよ、未。お前にとって()()はそんな安いことだったのか? こんなことの代価として釣り合うんだ? その程度の話なわけだ??」

「…………いえ。その通りです」


 ぼそりとつぶやくと、ゆっくり未が起き上がった。


「まあ、報酬は……帰ってからふたりで決めて、まとめて支払ってもらうと約束もしてましたね」

「……そうだな」


 どんな恐ろしい報酬を求めてくるのやら。

 果たして落としどころが見つかるのか、交渉の内容を想像するだけで今から頭が痛くなりそうだった。


「――……それにしても、ずいぶんと楽しそうな戦場」


 ちょっと首を傾けて草の隙間から外の様子を観察している未。

 そのまま手ぶらで出ようとしている様子だったので、慌てて俺は呼び止めた。


「未……これ、使うか?」

「……はい。借ります」


 『キラーエッジ』。

 俺が所持する刃渡り50センチほどのそのダガーを未へと手渡すと。


「頼む」

「うい」


 ――未が、少し笑った気がした。

 俺にその瞳を見られたくないのか、そのまま背を向けて草むらの中から飛び出す。


「――海、行きたいです……」


 俺へ、そんな言葉を残して。


「あ、未ちゃん!! そっち行っ――」

「……はい」


 防衛ラインを突破した一匹のズィータが、レベル1で防具も一切装備していないという、見るからに餌のような未へとさっそく飛び掛かる。


「……軽い」


 それは、まるで自殺行為に見えた。

 微動だにせず真正面から迎え撃つ未は、渡されたダガーを眺めながらそんなことを呟いたかと思うと。


「――……」


 無言でその巨大なネズミとそのままぶつかった――ように見えた。

 正確には、紙一枚ぐらいしか間が無いほどギリギリの回避でれるように交差する。元いた自分の位置に、ダガーの刃を立てて。


 ピギィィと高い鳴き声を微かに上げ、それでそのズィータは横たわり、そのまま光の粉となって消滅する。


「……次」


 そこから先、残りの皆は唖然となってほとんど眺めているだけだった。

 2~3秒に一体ほどのハイペースで次から次へと引き裂かれ続けるモンスターたち。

 ここに居合わせた全員が、近接攻撃を主とする『戦士』の存在意義を再認識した。

 こうして複数の敵との乱戦になった時、DPS(ダメージ効率)が比較にならない。

 弓と違い、攻撃回数に限りは無い。

 魔法と違い、詠唱のような前準備も無い。

 そして死角から多少噛みつかれても、何も問題は無い。

 レベル1の防具未装備状態ではあるが、しかしそれでなくても打たれ強いはずの戦士がさらに筋力へ極振りしているという未のその肉体は、この程度のモンスターに対し、相対的に生きた鋼に近い強度を誇っていた。

 結果、むしろ未にとっての自分の身体は確実に刺し殺すための良い撒き餌、ぐらいの認識でいるようだ。『どうぞ』と言わんばかりに空いている左手を差し出して、あえてかじらせようとしているぐらいだった。


「次……」


 無防備に身体を晒したままゆっくりと近づき、ただ目前に迫る敵を線でも引くかのように薙ぎ払っていくだけの簡単な作業が続く。

 何度見ても、未のその立ち振る舞いは人間の領域を凌駕しているとすら思える。

 どんなゲームであっても基本、何も変わらない。

 はたから見れば冷や汗が出るぐらいに際どいタイミングで、擦れ擦れの間合いで、絶えず致命傷(クリティカル)だけを与え続けるという、曲芸のような()()()()プレイスタイルが繰り広げられる。

 本人の意図とはまた別かもしれないが、事実として言えるのは『戦闘の鬼』。

 内面のことはさておき、外面上では決して揺るぎない。

 どんなに咄嗟とっさでも。どんなに不意を突かれた状況でも。

 例えどんなに痛く苦しくても、どんなに恐ろしく足がすくむような窮地であっても、未の手元がそれで微塵も狂うことは無い。

 ただ淡々と、機械のような確実さで、一切の躊躇も無く最大の効率性を求めたシンプルな行動のみで処理されていくモンスターたち。

 ……そう。

 未が例え、俺と同じ『一般市民』だったとしても充分に戦力になりうると考えていたその根拠はこれだった。

 その曲芸のような効率を追求したプレイスタイルも当然ながら称賛に値するが、最も評価したいのは恐怖やプレッシャーによって行動のエラーを起こさないその『強度』だ。

 それはチームプレイをする上で、これ以上無いほどの精神的な支柱になることを意味する。

 突然のアクシデントひとつで簡単に思考停止となってしまう俺なんかじゃ比較にもならないほどの、この絶大な安定感がもたらす作用は貴重だ。

 ――例えば。

 もし核ミサイルの発射ボタンを誰かひとりに託す権利があるとしたら、俺は間違いなく未に預けるだろうと思う。

 それぐらいに、俺の中での未の評価は絶対だった。

 微塵の不安も無く、自分の背中を任せられる。


「ひゃっ……!?」


 敵わないとでも悟ったのか、賢い一匹のズィータが標的を切り替えて凛子へと突然に突進した。


「凛子っ!」


 茫然と修羅場を傍観していた凛子は、無意識に弓の構えを解いていた。

 深山が魔法を詠唱するのもとても間に合わない。

 岡崎に至っては、それを阻止する手立てすら無い。

 いまだスタミナが回復していないステータス最低の俺はもちろんのこと、そんな俺と同程度に敏捷性が低い未もまた、ズィータ以上に素早く移動することなんて出来ない。

 ――だからきっと凛子は、噛みつかれることを刹那に覚悟していただろうと思う。


「リン」


 未はまったく迷う様子も無く、手に持っていた唯一の武器であるそのダガーをあっさりと手放して、凛子へと突進するズィータの胴体へと投げつけた。

 確かにそれが唯一、凛子を無傷で救う手段だった。

 刃渡り50cmによる、重く鋭い矢のようなその一撃は大型犬ほどのそのズィータを一撃で簡単に絶命させる。しかし。


「……兄さん」

「え」


 そう呼んで涼しい顔で俺へと真っすぐに手を伸ばす未。その瞬間、ここぞとばかりに唯一の攻撃方法を失ったそんな主力格である彼女へと群がり、そのまま覆い被さるようにズィータたちが一斉に襲い掛かった。


「ひっ……!?」

「未ちゃん……っ!!」


 黒いズィータの体毛の中へと見る見る埋もれていく真っ白な未の身体を目にし、声を上げて軽くパニックを起こす深山と凛子。

 まるでそれはズィータの、食の宴。

 死肉に群がる飢えたハイエナのような惨劇の一幕。


「未ちゃん、早く……早くログアウトしてぇぇ……!!!」


 堪らず凛子が絞り出すような声で叫んでいた。

 すでに俺へと差し出していたその白い手だけがズィータの黒い体毛の山から僅かに見えるだけで――


「――あ」


 ワンテンポ遅れ、未の言いたいことをようやく理解した俺は地面にしゃがみ込んで泣き叫んでいる凛子を置き去りに、駆けだした。


「お、おいコーダ!!」


 わかってる。俺が行ってもただ死にに行くだけだ。そうじゃなくて――


「――未っ!」

「ん……」


 すでに光の粉となって消え去ったズィータの辺りに転がっているダガーを拾い、その場ですぐに渾身の力で投げ返す。

 まるで矢のような未の軌道とは違い、回転しながら緩やかに山なりとなって落ちて来るそのダガーを、未の白い手が受け止める。

 アクション映画ならここで快音を鳴らしながら剣柄(グリップ)を気持ち良く掴み取るのだろうが……現実はそうじゃない。

 タイミングと姿勢、そしてズィータの隙間からの限られた視界の中では刃の部分を鷲掴みで受け止めるのが限界だったのだろう。そのまま未の手のひらに深くめり込む、ダガーの刃。むしろその細い指が千切れ飛ばなかったことを幸運と喜ぶべきと感じた。


「あは」


 不意に、そんな声が聞こえた。


「あはは、はははははは……」


 そうか。

 そんなに楽しいか、未。

 日頃、完璧に抑え込まれて封殺されている未の感情の露出。

 神奈枝姉(KANA)さんと対峙したあの時と同じだ。


『発動中は強化バフするほど自分の意思で身体のコントロールが困難になって行きます』


 未の説明していたその言葉を思い出す。

 『身体のコントロールが困難』とは、(すなわ)ち感情の暴走。

 理性に縛られていた本能の解放を意味していると理解する。

 誰彼構わず近寄る全てを切り刻む、一匹の獣となるのだろう。

 そして俺は、なぜ未がこの職業に魅了されたのか――本人すらも意識してなかっただろうその根源的な理由も、正確に理解した気がした。


「邪魔……っ……」


 未は、握ったままの刃をそのまま斜め横へと払い上げる。

 まるで黒い山がえぐり取られるように、その薙ぎ払いによって未の上半身が一気に露わとなった。

 ――それは、紛れもなく魔眼。

 ゆらゆらと揺れる炎のように真っ赤な鈍い光が未の瞳から溢れていた。

 もはや疑うまでも無い。

 未の狂戦士としてのジョブスキル――狂撃乱舞バーサーカーモードが発動している。


「ふぅ……足りない……」


 左の手首に噛みついたままのやや小型なズィータの頭部を空いている右手で鷲掴みにすると、そのまま握り潰して地面へと投げ捨てる。


「もっと……」


 噛みつかれていた手首から滴る自らの血を舌先で執拗に舐め取りながら、手のひらに刺さったダガーを右手で抜き取る未。

 その顔には――妖艶、と言う言葉こそふさわしいと感じる僅かな微笑みが浮かんでいた。


「もっと、欲しい……っ……」


 手首だけでは物足りないのか、ダガーによって開かれた左手の傷にも口を当て、そのまま血をすすっていた。

 ――あるいは、もっと知性のあるモンスターなら恐怖していたのかもしれない。

 しかし今の未以上に本能(おもむ)くまま行動しているズィータたちには状況の変化など察知することも出来ず、再び恍惚となって微笑む未へと興奮状態で群がり始めていた。


「んん…………あはっ……」


 それら全部を無視して、未のその真っ赤な魔眼は……俺を流し目で捉えていた。

 口元からは真っ赤な鮮血があごを伝って滴り落ち、その純白の服の胸元を染めている。

 ――戦慄するような、美しさ。

 形容するなら、そんな言葉こそが最もふさわしいと思う。


「見てて……兄、さん……っ……」


 狂喜に歪む、ルビーのような未の瞳。

 次の瞬間――未の身体は消えて無くなっていた。


「あはっ、あはははははは……!!」


 違う。単純に目でその姿が追えないだけだった。

 爆発的な一瞬の跳躍で、いつの間にか未はもっと視界の左端でズィータを三体まとめて切り伏せていた。


「見て……見て……!!」


 その願いはすでに叶えられている。

 見開かれ、ギラギラとした未の瞳へと吸い寄せられる俺の視線。


「楽しい……楽しいの、兄さん……!!!」


 その表情とは裏腹に、まるで癇癪かんしゃくを起こした子供のようだった。

 感情のまま乱暴に破壊し、踏みつけ、薙ぎ払う。

 そのみなぎる衝動のおもむくまま、刃を突き立て、切りさばき、力任せにぶつ切りにしていく。


「あはっ……あははっ……!!!」


 泣いていた。

 未は心から狂喜の声を挙げ、泣いていた。

 それは解放の感涙か。それとも理性の悲鳴か。

 ――そんな俺の心情などお構いなしに未は飛躍的に強化(バフ)された全身を使い、人間を超越した動きで躍動する。

 破壊の限りを尽くし、その圧倒的な暴力で近寄るあらゆるモノを本能のまま殲滅していた。


「――兄さん……」

「っっ……!!」


 気が付いた時には、すでに目の前に未が立っていた。

 ――いや、すでに俺は馬乗りになって押し倒されていた。それぐらいの瞬間的な出来事で、認識が追いつかず時系列が乱れる。


「兄さんっ、兄さんっ……!!」

「す、未、おちつけっ……」


 荒い息で俺の胸倉を掴み、興奮した表情で俺の顔を食い入るように見つめる未。

 まさに今すぐにでもその口で噛み千切られそうな恐怖を感じた。

 ……いや、それぐらいのお釣りは払うべきだろうか。

 ダガーを投げるために誰よりも近くに居た俺は、すでに未の攻撃対象としてロックオンされているようだった。


「ははっ……た、楽しい……みたいで、良かった……よっ」


 今日、もうログイン出来ないのか。

 どうしようか。皆にはこのまま先に街へと進んでてもらうべきなのかな。でも俺、始まりの丘にしか――


「――うんっ」

「え」


 無邪気な、満面の笑顔の未がそこに居た。

 15歳の女の子。

 変な話だが……ふと、そんなことを最初に意識した俺だった。


「兄さん……好き」

「未?」

「兄さん、好きなの。どうしても好きなの。兄さんでなきゃダメなのっ……!」


 これ以上ない笑顔で、でも同時に涙を俺の頬へと落としている俺の妹。


「好きなのっ、好きなの、好きなのっ!!」

「う、うん……」

「好き――」

「ちょ、す、未――」


 ステータス最弱の俺なんかが、今の解放されている未へと抵抗出来るはずが無かった。

 まるで万力のように俺の身体を押さえつけた中、一切の抵抗も許されず。


「――んんっ」


 唇を強引に、奪われてしまった……。


「ん、んんんっ、んんっ、んんんん……っ」


 本当にコイツ、これがファーストキス、かよっ。

 まさに『凌辱』という感じ。

 思わず咄嗟とっさに口を閉じてしまい、未の舌先を噛んでしまったというのに、そんなのもお構いなしだった。

 俺の咥内に未の舌が滑り込み、その全てを蹂躙していく。

 間接的に未の血の味が口の中いっぱいに広がる。

 存分に……今までの鬱積したモノを吐き出すように味わっている。

 もう限界で歯と歯がガチガチぶつかってるのに、それでも1mmでも深く結び合おうと唇をねじ込み、俺の唾液を飲む。そして未の唾液が注がれる。体液を交換し合っている。

 俺の舌を舌で絡め取り、愛しさを伝えるように甘噛みされてしまう。

 同時に、押し倒されて横になっている俺の膝に自分の身体をグリグリと押し付ける未。露骨なまでの求愛行動。

 情熱的な深山より遥かにその行為の内容が激しくて、ただただ圧倒されてしまう俺だった。


「――ちょっ、す、未っ……!!」


 もしかして、満足したから?

 そう思ってしまうほど、とある瞬間から突然、フッ……と押さえつける未の力が緩まり、俺は慌てて妹の身体を押しのけて叫んだ。

 そこには――


「……つまんない……もう、終わりですか」


 ――いつもの、淡々とした無表情の未がそこに居た。

 怖ろしいほどの眼光も収まっている。

 つまり、スキルの発動が終わった……?


「ね……兄さん、今、ムラムラしましたよね。このまま子作りをしましょう」

「しない、してないっ」


 苦笑いをして誤魔化す。

 実は今……ほんの少し。ほんの少しだけ、その。()()()()()のだけど。

 いや、気のせい。気のせいだから。なあ、落ち着け、俺の身体。


「…… 千載一遇(せんざいいちぐう)のチャンスと思ってましたが……そうでしたか。残念です」


 いつものように口ばかりで、それ以上は何もしてこない未。

 さっきの本能が解放されている未が全開の10だと言うなら、『素直になる』という誓約が効いている今の未は6ぐらいだろうか?

 ……当然、現実の毒舌の未は1や2となる。

 じゃあ二年前の未は、8ぐらいかな。


「では、すみません……コントロールが利かない状況とはいえ、迷惑を掛けてしまいました」

「……おう」


 ぺこり、と頭を下げて謝る未。俺は『気にしないで』と言うわけにもいかず、そんな返事をするしか無かった。


「恥ずかしい」

「……」


 その顔のどこがだよ、と思わずツッコミを入れたくなってしまう。


「……まあ、未に噛まれたとでも思って流してください」

「実際……噛まれたけど」


 まだ生々しい舌先の感覚。

 口の中に残る、未の唾液と血の味。

 ……ああ、いかん。またじわっ……と悪寒が込み上がってくる。


「す、す、未ちゃん……!!」

「あ」


 どうやら本当にあれだけの敵を未は一匹残らず殲滅したのだろう。

 戦闘経験の豊富な凛子が弓をしまいながら、血相を変えて駆け寄ってきた。


「リン」

「未ちゃん……助けてくれて、ありがとう……っ」


 ――あ、そっちなんだ?

 兄妹で繰り広げられてしまったしばしの間の情熱的なキスには触れず、真っ先にそう感謝している凛子だった。

 ちなみに凛子の後ろで立っている深山は、隣りの岡崎とふたり並んでドン引きしてる……そりゃそうだ。そっちが普通の反応だ。


「ありが、とう……?」

「うんっ……私を助けるために武器投げちゃって……その後、未ちゃん大変なことになっちゃった……!!」

「そう。では感謝してますか……?」

「してるようっ!」

「本当に?」

「ほんとにっ!!」

「……」

「……?」


 じ……っと黙って凛子を見詰める未。瞳からその感情を読み取れる俺とは違い、きっと凛子は今、相当に戸惑っていることだろう。

 ちなみに凛子、注意しとけ。

 今、未の瞳にはよからぬ色が浮かんでいるぞ?


「じゃあひとつだけ、リンにお願い……良い?」

「うんっ、もちろんっ!」


 大丈夫かなぁ。

 俺を譲れ、とか言い出さないだろうか?


「おつかい……お願いして良い?」

「んん? おつかい……??」


 ……?

 これについては俺も凛子と同じで、ただ首を傾げることしか出来ない。

 未はゆっくりと俺から離れて立ち上がる。


「はい。おつかい。……あまり気軽に出歩けない私にかわって、ひとつだけ現実世界で買って来て欲しいモノがあります」

「あっ、そういうことならこの佐々倉凛子にドーンと任せてっ! そんなの車でビューンと買ってきちゃうよっ! そのお店どこにあるの? 遠いのっ!?」

「いえ……駅前のビックリカメラ、です」

「ありゃ」


 車も必要なさそうな家電量販店の名前が出てきて、まるでコントみたいにズッコケる凛子だった。


「も、もしかして重たいとか……?」

「いえ。手のひらに乗るほどのモノです」

「値段、高いとかっ……?」

「いいえ。もちろん私が自分で払います……ただ、そうですね。お金を渡す機会が無さそうなので、商品と交換の後払いでも良いでしょうか?」

「それはもちろん良いけど……」

「では契約成立です。ぜひお願いします」

「うんっ、了解! 任せてっ」


 意外と無難な内容でホッとする俺だった。

 確かに直射日光に当たりたくない――あと、周囲の目に晒されたくない未としては、駅前の家電量販店なんてハードルが高すぎるミッションだ。

 もしかしたらしばらく買えないまま悩んでいたのかもしれない。

 ……俺に『買ってきて』って一声掛けてくれたらそれでいいのになぁ。

 少し拗ねてしまう、心の狭いこの兄だった。


「欲しい商品名は伝達ミスの無いように、チャットで文字として送ります………………これです」

「んむ? これ、いんせすつ……って読むの?」

「ええ。それを紙に書いて店員に渡せば、商品売り場まで連れて行ってくれると思います。どうしても欲しいので……どうか何卒宜しくお願い致します」


 改めて深々と頭を下げてお願いをする礼儀正しい我が妹だった。

 未は、もう長いこと社会から隔離されているような状態だったから心配していたけど……うん。思ったよりずっと社交的な態度が取れるみたいで安心した。

 画面を介してアニメやドラマやゲームから得た知識ばかりだから、どこか少しだけチグハグだけど。


「あわわっ、す、未ちゃん、そんな丁寧に頭下げなくていいからっ! もちろんちゃんと買って来るよっ!?」

「……はい。どうしても欲しいので、リン、お願いします」


 実は気になっていて言うタイミングを伺っていたところだったが、もうこの際だし、年上相手に呼び捨ててるのは不問にしておこうか。

 未、上手にやってる。

 凛子も深山も特に気にしている風じゃないしな。


「明日ログアウトする予定だから、すぐに買ってきちゃうねっ」

「……リン。好き」

「ふおっ!?」


 未のほうが背が高いわけで、自分の胸の中にしまい込むようにぎゅっと凛子を抱きしめていた。

 ……その様子を見て、兄として感慨深いものがある。

 家族以外の誰とも交流が無く、人生の袋小路に迷い込んでしまっていた未のためにも、このEOEに連れて来て本当に良かったなぁと心からそう思った。


「ぐ、ぬぬ……っ……この、ふかふかの、感触、はぁ……確実に、私より……ぐぬぬぬぬ……っ……」


 どんまい、凛子。


「――あの……香田君」

「ん?」


 一段落着いたと判断したのか、遠慮がちに背後の深山が話し掛けて来た。


「反省……してます」

「どうしたの? まあ、とりあえず座って」

「あ、はい……」


 ぽんぽん、と俺の隣の草原を軽く叩くと、そこへと静かに正座する深山。


「ずっと長い時間、起こさなくてすみませんでした……」

「うん? そんなこと? 気にしなくて良いよ。むしろ改めて言うけど、俺のほうこそ長い時間、気絶してて深山を独りにして悪かった」

「ううんううん……心の整理、したかったから……」

「心の整理?」

「もう……あんなこと、お願いしたりお誘いしたりしないから」

「あー」


 深山、そういう答えを出してしまったか。


「もう……もうっ、あんな香田君を苦しめること――」

「――じゃあそれでいいよ。勝手にするから」

「ふぇ……っ?」

「むしろそっちのほうが好都合かもしれないな。うん……深山はぜひ嫌がってくれ」

「え、えっ??」

「そういう嫌がってる深山を、俺は強引に無視するから」

「――――っっっ……!!!」


 背筋をピンッ、と伸ばして目を丸くして一気に顔を赤く染める深山。


「その反応、やっぱり可愛い」

「か、かわっ……で、でもぉ……っ、香田君、あんなに気持ち悪く――」

「――だから。そんなペナルティなんてどうでもいいぐらい、深山が魅力的だってこと」

「ふえぇぇ……っ……」


 何も言えなくなっちゃった深山が、両手で顔を覆って泣き始めてしまった。


「後ね……っ……後ねっ……?」

「うん? 何?」

「呪文を、えぐっ……唱えたい、とかっ……好き勝手、言って……ごめん、なさいっ……」

「どうして謝るの?」

「わかったの……今ので、わかっちゃったのっ……香田君の言う通りだった……もっともっと、実用的な魔法……創らなきゃダメだってぇ……未、ちゃんが居なかったら……きっと今頃……全滅……えぐっ……してましたぁ……っ……」


 100匹はまた極端な経験だったが……しかしそんな中で、複数の敵を相手にする難しさを深山なりに痛感したのだろう。


「わたしっ……甘かった……っ……作業になるのが嫌、とかっ……」

「――いや、それは譲らないよ?」

「ふぇ……?」

「深山が使ってて楽しい魔法を創る。それは絶対に譲らない」

「で、でもっ……!!」

「両立しないなんて、誰が決めた?」


 俺は涙に濡れている深山の手を取る。


「もう一度言ってあげる。どんな素早い敵にも当てられる、実用的で軽くて多段攻撃出来る、魔力消費が40以下の、でも呪文の詠唱をして深山が使ってて楽しい、ちょっと隙のある派手な魔法を創る。それは必ずだ」

「む……ムチャクチャ、だよぅ……」


 ポロポロと大粒の涙を落とす深山に、俺はニッと心からの笑顔を見せた。


「すげぇ実現難しそうで、だから挑むのが楽しみだな!」

「……っ……」

「深山、協力してくれるか?」

「も、もちろん、ですっ……!!!」


 ぎゅっ。

 深山からも俺のこの手を強く強く握ってくれた。

 ……うん。これでいい。俺も覚悟が決まって心が震えて来る。


「――兄さん。盛り上がっているところ失礼しますが」

「きゃっ」

「お、おうっ」


 ぬっ、と俺と深山の間に割り込むように顔を突き出して来る未。

 あれだけ激しいキスをしてしまった後でも……いや、だからか。やっぱりこうして顔が近いとやたら緊張してしまう。相手は妹なのに。


「レベルが8ほど上がりました」

「おっ!」


 それはそうか。むしろ倒したモンスターが100体以上だと考えたら、ずいぶん少ないぐらいだ。

 たぶん倒したモンスターが同種ばかりだから、加速度的に得られる経験値が減退したのだろうな。


「……ちなみにポテンシャル値も3つ上げられる機会があったので、すべて筋力に投入しておきました」

「いや!? さすがに体力とか敏捷性とか、そろそろそっち側にも少し振ろうかっ!?」

「嫌です……」


 ぷいっ、と顔を逸らして俺から教えられた通りに『反抗』の意思をジェスチャーで示す未。

 やっぱりどうも引っかかる。

 ロマンを追い求めるにしても、敏捷性を一切上げないとか未らしくない。

 俺の妹が、こんなに筋力馬鹿なわけが――


「――ん?」


 ふと、()()()()に今さらだが気が付いた。


「待て……未……確か、狂撃乱舞バーサーカーモードってスキル……」

「はい?」

強化バフするほどコントロールが困難になって行く……って」

「ええ。そうですね……何か問題でも?」


 それでとぼけたつもりか?

 まわりの皆は騙せても、この俺にはバレバレだ。


「それってもっと筋力が上がると――」

「――ああ……基礎値が底上げされて、もっと強化バフが入ってしまうかもしれませんね……」


 瞳の色でわかる。キラキラさせてMAX喜んでやがる。


「体力! 今度は体力を上げろっ!!」

「嫌です……ダメージの割合で換算されるのでしょうから、そんなの相対的にせっかくの強化バフの効果が薄れてしまうじゃないですか。スキルの特性を殺そうだなんて……兄さんは本当にバカですね?」


 狂撃乱舞バーサーカーモードってのは、簡単に言えばダメージ受けて死にそうになればなるほど強くなるという、中二病丸出しのロマンスキルである。

 つまりそれは……10のダメージを受けると仮定して。体力が100と200では当然ながら発動効果に二倍の差が生じることになる。

 なかなか『死にそう』にならないわけだ。

 もちろん筋力も能力向上によってのダメージ軽減が考えられるが、物理ダメージではなく魔法などの属性ダメージなら筋力は関係ないだろう。そして未の言うように基礎値が底上げされることで、むしろ強化バフの度合いが高まると考えるほうが自然だ。

 例えば、10のダメージを負った時のこのスキルの補正値が1.1倍だと仮定して。

 筋力と武器による総合的な攻撃力が100なら、110。

 しかし筋力が底上げされて総合的な攻撃力がもし120なら…………えーと。たぶん132、になるハズだ。

 つまり普通に考えれば、+10より、+12のほうがより強化バフしているとシステムから見なされる可能性がある。


「兄さん……またさっきみたいにもし襲ってしまったらすみません。もっとコントロール利かなくなってしまうと……ああ。どうなってしまうのか、未自身にもわかりません。楽しみ――いえ。今から謝っておきます」


 今、絶対にわざと言い間違えやがったぞ!?


「まあ……コントロール出来ないのだから、仕方ないですよね……?」

「……」


 ずいぶん愉快そうだな、おい。


「――ちょっと待って……何、それ」

「え? 深山?」

「バカじゃありませんっ。香田君にバカだなんて……訂正して!」

「嫌です」


 あ、それですか。

 キスは黙認しても、そこだけは譲らない深山が負けじと割り込み直す。


「兄さん」

「ん?」

「ちょっと未ちゃんっ!?」


 おかんむりの深山を無視して、未がさらにさらに顔を寄せて来る。

 やはりというか、妙に対抗意識の強いこのふたりだった。


「未……このゲームのこと、気に入りました」

「そ、そうか。それは良かった」


 自分の唇に中指をあてて、目を細めると。


「身体、元気だし……邪魔な法律は無いし、兄さんと赤の他人だし……」


 まるで面白いオモチャでも見つけた子供かのように、未はキラキラと瞳を輝かせてつぶやく。


「もうこの世界から、出ないかも」


 ――前言撤回。

 未をEOEに連れて来たのは、もしかしたら大失敗だったのかもしれない。



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