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#052 たった一言『可愛い』と伝えるために本気で悩む男の子の物語

「あの……香田君……?」


 俺に手を引かれ、森の中へと進む深山はキョトン、としていた。


「こっちこっち」

「香田君、あの……あのっ」

「うん? 何?」


 立ち止まり、振り返る。

 ……そこには今にも泣きそうになっている深山の濡れた瞳があった。


「わたしのことは……いいから、その――」

「――意地悪なこと言っていい?」

「ふぇ?」

「深山のことは、どうでもいいの?」

「……」


 しばらくの沈黙の後に。


「……ごめんなさい。良く、無いです……」

「うん。俺の宝物を侮辱したら許さないからな?」


 ぐいっ、と人差し指でうつむきがちな深山のおでこを持ち上げるように突く。


「あぅ……っ」


 痛いというより、痛いところを指摘されたという感じで深山はそう唸った。

 そう、これはまんま深山が以前言っていたセリフそのものだからだ。


「……」

「……えっと……その」


 黙って深山の様子を正面から観察すると、深山の視線が左右にふらふらと逃げ回る。

 理由はどうでもいい。

 とにかく、深山がピンチなんだと改めて察知する俺だった。

 ――完全に俺の中でスイッチが入っていた。

 思考がフル回転している自覚がある。

 考える。

 俺は深山の心を想像し、思い量る。

 もちろん『どうしたの?』と質問したらきっと深山は正直にありのままを伝えてくれるだろう――誓約によって。

 だから俺は、決して安易に問わない。

 そんな無理やり聞き出すような手段は、最後の最後だ。


「……あ。そ、そうだ……魔法!」

「うん?」


 会話に窮していた深山が絞り出すように突然そう言いだした。


「あのね、香田君! 呪文唱える前に、宝石が勝手に光るようになりました……!」

「え? あ、うん。更新の変更点の話?」

「は、はい……えっと。『媒体に取り出す』という部分がそれなんだと思います! これ、魔法使いとしてはすごく怖いです! 『これから唱えます』って相手に知らせることになっちゃうし、不意をなかなかつけなく――……」

「……?」


 一気にまくし立てるように報告していた深山が、はたと我に返ったのか突然そのボルテージを下げて。


「……不意、つけなくなっちゃうから……気を付けなきゃ、って思いました……以上です」

「うん。貴重な情報、ありがとう」

「……はい」


 また、うつむかれてしまった。


「唐突に、ごめんなさい……忘れない内に伝えなきゃ、って思ってて。つい」

「謝らなくていいよ。むしろ感謝してるよ?」

「……うん」


 小さくため息をついて肩を落としている。

 もしかして……もっと俺が喜ぶと思ってくれていたのかな?

 もちろん有り難いし、その気持ちも含めて嬉しい。

 でも前後の流れを無視するほど不自然に取って付けて喜んで見せても、それはそれで深山が『気を遣わせてしまった!』なんて勘付いてしまって逆効果だしなぁ……正直、アクイヌスの呪文発動の時、すでにその挙動は見ていたから事実確認の意味合いぐらいしか無いのも事実だし。

 ――それじゃ、深山に有効じゃない。


「うーん……」


 深山の誠実さは好きだけど、さすがにこれは不器用だなぁって思う。

 教室の『深山さん』なら、そこらへん自分を突き放して考えてて、どうやれば自分の言動が有効に伝わるかって上手に判断していたと思うけど。

 それが出来ないぐらい、今は余裕が無いのかな?


「? 香田、君?」


 ……いや。それは『演じていた』からかもしれないな。

 もしかしたら、そういう作為的な演出を入れると偏向性の高い『偽物の評価』になってしまうと危惧でもしているのだろうか?

 つまり裏返せば、俺からの評価をそれぐらい重んじているって理屈にもなる。

 バイアスが掛かった結果に、意味など感じないと言うわけか。


「なあ、深山」

「は、はいっ……!」


 はてさて。

 果たして本気になっている今の俺は、上手にこの深山の失敗を活かせられるだろうか?


「デートって……何をしたらいいんだろうな?」

「えっ、え!?」


 ――話を戻そう。

 俺は、決して安易に深山へと、様子がおかしいその理由を問わない。

 そんな無理やり聞き出すような手段は、それこそ不器用過ぎる。

 だから俺はもっと違うアプローチを考えた。

 『理由はどうでもいい』。

 ……もう一度、こんな風に理屈っぽい自分に言い聞かせる。

 そこに固執するな。

 違う。そこはゴールじゃない。


「実は恥ずかしいことに……俺ってまともにデートとかしたことなくて」

「っ……!!」


 俺の今回の最終目的は、深山を安心させること。

 ……いや、もっと具体的に行こう。

 深山のことを『可愛い』と言いたい。褒めたい。喜ばせたい。

 これは以前にようやく気が付いた要点ポイント

 深山が求めている言葉は『綺麗』じゃなくて『可愛い』だったのだ。


「さっき咄嗟とっさにデートとか言ったけどさ。ははは……どうしようか?」


 だからまずはその外堀づくり。

 せっかくなので教訓を活かしたい。


「……ほんとに?」

「うん?」


 まず一つ目に、何より思うこと。

 深山は前後の流れや関係性を重んじる性格だということ。

 そこから生じる意味合いに、ものすごく敏感だ。


「香田君……ほんとにデート、したことないの……?」


 今のこの確認もたぶんそう。

 本当に俺がデートしたことも無いのか事実を確認することは、例え相手に失礼になってでも深山にとっては絶対に外せない必要な情報のようだ。

 ――正確な情報でなきゃ、意味が無い。

 その事実によって、今後の意味合いも大きく異なるってことだろう。

 さっきの不器用な報告も、たぶんそれ。

 俺に喜んでもらうために自分が望む環境を整えて歪めては、真の価値を得られないと考えている節がある。

 つまり、誘導や演技じゃ何の意味も無いってことだ。


「……うーん。厳密には深山と岡崎がふたりきりで話し合う時、凛子に『デートでもしようか』って誘ったことはあったけど……でもあれって結局、そこら辺の草原でゴロゴロしてただけで、単なるその場を離れる口実でしか無かったしなぁ」


 なのでここはテキトウな返答はNGと踏んで、ありのまま正直に答える。


「今のこれは……口実じゃないの……?」


 どうやら本当に重要な情報らしい。


「深山にはそう感じる?」

「…………だって……突然で……」


 そして二つ目に思うこと。

 ――今の深山の不器用なやり方を、反面教師にしたい。

 俺は、深山じゃない。

 目的のためなら手段などたやすく妥協する反対側の人間だ。

 偏向性? 操作? 演出?

 それらは俺にとっては、むしろ有効な手段とすら感じてる側面がある。

 極論で言えば『どうでもいい』ぐらいに表現しても構わない。

 でもだからこそ――


「どこまでが口実で、どこまでが本心かわからないけど……深山のことをもっと知りたいって思って。ふたりきりになりたくて、そういう表現を()()()()口にした。迷惑だった?」


 ――俺は、極力本当のことを伝えようと思う。

 たぶんそれが正解。

 聞こえの良い嘘を言っても、きっと深山に察知される。

 何故ならその部分にとても敏感だからだ。

 『どうでもいい』と思ってる俺なんかでは到底隠し切れないだろう。


「う、ううんっ……迷惑なんて……! その、嬉しい……です」


 さて、次はどう進めるべきだろう?


「じゃあ、ふたりで考えようか」

「えっ……?」


 とにかくさっきの通り、最終的なゴールはもう定めている。


「深山は俺とデートするとしたら……どういうことをしたい?」

「え、ええっ……えっと……えっと……」


 でも、いきなり『深山って可愛いね!』なんて言っても、そんな取って付けた言葉は深山の心に届かない。有効じゃない。

 敏感な深山のためにも、何より俺自身がそう思えるシチュエーションが必要なんだ。

 だからこれは深山のためじゃない。俺のために必要なこと。


「そういうのを想像したことは無いの?」

「香田君と……デートの想像??」


 まず、外堀を埋める。状況を整える。


「…………」

「そんなに悩むこと?」


 そして嘘や社交辞令じゃなくて、本当に心から『あ。可愛いなぁ』と思う瞬間にそれを伝えたい。


「だってぇ……」

「だって?」


 それで、きっと喜んでくれるはず。


「想像の中の…………こ、孝人君って――」

「――ああ。かなり犯罪スレスレなヤツだったか。そりゃデートどころじゃないよなぁ」


 なぜそう思い込まれていたのか、その理由はわからない。

 今はどうでもいい。


「違うっ!! 違いますっっっ!!! ただ、ほ、ほんのちょっと強引で、乱暴なだけだから……っっ!!!」


 何かの都合で深山が今、落ち込んでいるなら、それを吹き飛ばすのにきっとその言葉が一番だと俺は判断したんだ。


「ぷっ」

「笑いごとじゃないですっ!!! そこっ、とっっっても大事なところだからっ……!!!」


 演技だろうが演出だろうが、そんなことは俺にはどうでもいい。


「どうして? 大して変わらないだろ?」

「全然違うっ……そうじゃないっ……孝人君のこと、酷い想像で勝手に汚して……わたしの都合の良いように、利用してっ、改変もしたけど……! そんなわたしが言えたことじゃないけどっ……!!」


 押して、引いて。


「……けど?」

「だけどっ……香田君は、犯罪者なんかじゃないっ……!!!」


 深山の固まって沈んだままの心を揺り動かして、引き出す。


「だって合意の上じゃないんだろ? それ、実質的に――」

「――違うのっ!!! 孝人君は、そのっ、すごく洞察力に長けていてっ……わ、わたしの願望とか全部お見通しでっ……だから、だからっ、そこを察して、能動的に乱暴にしくれていたのっ……!!!」


 深山の魅力を引き出す。


「ははははははっ、俺、エスパーかよっ!?」

「違うの、天才なのっ! 優しいのっ、思いやりがあって、思慮深くてっ、そんな孝人君が強引にしてくれたのっ……!!!」


 嘘もつくし、あるいは必要なら本心すべてを伝えてもいい。


「ははははっ、もういいもういいっ、ありがとっ、深山!」

「ああもうっっ……!! ぜんっっぜん、伝わってくれてないっ……!!!」


 それら総動員してでも、深山の笑顔を取り戻す。


「伝わってる、伝わってるっ。イメージ出来た。共有されたよっ」

「もうっ…………!!!!」


 顔を真っ赤にして膨れている深山を見て、俺は今、ようやく確信した。


「そうやって、顔を真っ赤にして膨れている深山って……本当に可愛いな」

「――えっ、ち、ちょっ……!!」


 深山の期待には応えられない。

 俺は深山の想像していた『孝人君』と違う。

 そんな……相手の意思を無視して強引に奪うようなことは出来ない。

 自分の欲望を相手にぶつけるような短絡的な思考は、俺じゃない。

 どんなに深山に求められても、それは出来ない。

 ……違う。


「そうやって誠実であろうと、真正面から逃げずにぶつかってくる不器用な深山のこと、好きだよ。すごく可愛いと思ってる」


 これが理屈っぽい俺なりの精一杯の気持ちの応え方。

 気持ちの表し方。


「――……っっ…………!!!!」


 ……うん。

 ちゃんと伝えられたみたいだ。良かった。


「……」

「そこで黙っちゃう深山も可愛いな?」

「ちょ、ちょっとっ、香田君っ!? 急に、ど、どうしたのっ!?」

「可愛いと感じた時に可愛いって言って、何か悪かったか?」

「か……かわっ……!?」

「そうやって目を丸くしてるの、すげぇ可愛い」

「はっ、う」

「うるうるしちゃってるのも可愛い」

「……っ」

「綺麗な深山がそうやって取り乱していると、ギャップで本当に可愛いなぁ」

「ま……待ってっ……香田君、ほんとっ、ど、どうしたの……? そ、そんなに可愛いって……わたし、言ってほしい顔……してたの……?」


 ――ちょっと考えて。


「うん。自覚無かった? 『可愛い』って言った時の深山の反応は異常だったけど」


 やっぱり本音で話すことにした。

 ここまで想定してこそ揺るがない外堀を埋めたのだから、ご破算になってしまうことを今さら恐れるのはナンセンスと思った。


「ごめんなさいっ……恥ずかしい……そ、そんな露骨に顔に出してたなんてっ……」

「そうなんだよ。だから苦労した」

「……え?」


 さて。

 総決算と行きますか。


「こうして本当に心の底から深山を可愛いと思う瞬間まで、『可愛い』って言うのを我慢してるのは、苦労だったよ」

「――……っっ……」


 ……さ、敏感な深山さん。どうだ?

 今の俺の言葉に、微塵でも嘘やお世辞を感じるかい?


「まるで催促されたから仕方なく言った、みたいに誤解されたら不本意だからな」


 きっと蛇足と思うぐらいでちょうど良い。

 不安を微塵も与えないぐらい、丁寧に伝えよう。


「いやはや……深山が喜んでくれるのわかってたからさ。さっきからそれを安易に言いたくて仕方なかったよ……ほんと」


 前後の流れや関係性を重んじる性格の深山にとっては、地味にこっちのほうが重要な情報なのかもしれない。

 『可愛い』という言葉ではなくて。

 『可愛い』という言葉を伝えたい俺が居ることを、知らしめる。

 100%嘘の無い俺の本音を、ちゃんと整えて用意する。

 きっとそれは――


「う……嬉しいっ……」


 ――掛け替えのない意味合いと説得力を深山にもたらすと信じている。


「また可愛いって思ったら……その時に言ってもいい?」

「ぜひお願いします……!!!」

「はははっ、そうやって自分に正直な深山も可愛いよね、ほんと」

「あっ! こ、香田君もカッコイイですからっ……!!」

「へ?」

「言わせてばっかりでっ……ううん。それだけじゃなくて、いつも香田君からばっかりですみませんっ。これでも反省してるんです……」

「ぷっ……はははっ」


 本当に不器用だ。

 外堀とかタイミングとか度外視も過ぎるだろ?

 まるでそれじゃ、言われたから仕方なく言った、みたいに受け取られてしまいそうじゃないか?


「ほ、本当ですからねっ!? 香田君カッコイイですから……!!!」

「うん、わかってるっ……ありがとうっ」

「もうっ……ほんとに……わたしってばぁ……」


 頭を抱えて落ち込む深山。

 それが深山の心の問題――今回の『理由』だったのかはわからない。

 どうでもいいや。だって。


「そうやって悩んでる深山も可愛いな」

「ううぅ……わたしって……単純……っ……」


 俺のそんな些細な一言で、顔を真っ赤にしてこんなに喜んでくれている。

 さっきまでの陰りはどこかに吹き飛んでくれたのだから、それでいい。


「……それで?」

「はい?」


 一段落ついたし、話を進めよう。


「どういうデート、しようか?」

「え。あっ」


 確かに目的は果たしたけど……でも俺の本音として、もうちょっとだけこうして深山と話がしたいと心からそう思っていた。

 物理的にも、精神的にもしばらく深山のことを放置してしまったことを俺も内心悔いている。

 このままUターンしてあの三人の元に戻るのは、あまりに惜しい。


「……あの、香田君」

「ん?」

「本当の本当に……デート、したことないの?」

「デートの定義が俺の中であやふやではあるけど……たぶん」


 一瞬、凛子とバイト先(バルエルローザ)で食事した時なんかはそれに相当するのか?とも思ったけど……あれはあくまでログインするための待ち合わせでしか無いしなぁ。

 本当に定義があやふやだが、たぶんデートってのは、『デートしよう』と誘って互いに意識している中で行われてこそ、初めてデートとして成立すると思う。

 深山じゃないが、その前段階を踏まえて初めて意味が生じると思う。

 ……だって『誘うアナタを恋人の対象として意識しています』という勇気を込めた意思表示にこそ一番の意義があるからだ。

 そこを度外視してしまうと、極論、偶然同じ電車に乗り合わせただけで『デートしている』ってことになりかねない。そんな訳が無い。


「どうしてそこまで疑う?」

「……香田君、女の子の扱いが上手過ぎるもん……」


 まあこうして何度も確認している深山が真に知りたいのは、『EOEを始める以前に誘うような異性が俺に居たのか?』ってことだろう。

 だからどっちみち凛子のことはこの問いの中に含まれていない気がした。


「それは姉から英才教育を受けた上に、手ごわい妹にも試され続けて、無駄に鍛えられただけだからっ」

「ほんとに……?」

「本当だって。そういう深山はどうなんだよ?」

「えっ」

「モテモテだったクラスのアイドルは、男子とカラオケとか行ったりしなかったのか?」

「――――……っっ……!!!」


 あ、行ったな。これは。


「ち、違うのっ!! わたし、騙されてっ……呼ばれたら、男子がそこに居て……!!!」

「うんうん、そんな感じだろうね~」

「やぁんっ!! ちゃんと話、聞いてっ!!!」

「……っ」

「え?」


 ……しまった。

 深山の『やぁんっ』があまりに色っぽすぎて、つい生唾を飲んでしまった。


「……香田君?」

「あ、いや。何でもない」


 何かを察知した深山が、ずいっ、と一気に間合いを狭めて来る。


「香田君……ね? 今の、何?」

「だから、何でも……」


 上目遣いに下から覗き込む深山は、たぶん無意識に自分のウェストを抱き締めて胸の谷間を強調してて――ああ、見ちゃダメだ。


「香田君? ね……今、異性として意識してくれてるよね……? それ、どうして? ヒントだけでも、教えてくれないの……?」

「深山っ……待てっ、待て」

「待ちませんっ」


 ずいっ、と更に間合いを詰めて……真剣に見つめる深山。

 その綺麗な宝石みたいな瞳にはいつの間にか輝く光を宿し、微塵もぶれたりはしていない。

 いやはや、良かった良かった……なんて自分の心すら誤魔化していると。


 ――むにゅっ……。


 しまいにはそのまま、その豊満な胸を俺の胸板辺りに押し当てて、まるでキスをせがむみたいに顔を近づけて来る深山だった。


「……っ」

「……」


 視線など外せるはずが無い。

 ただひたすらの、しばしの沈黙の後。


「――……ごめんなさい……また、わたしから……求めてて」

「い、いや……そこはあまり気にしなくていいけど」


 深山から視線を外してくれて、ようやくこの金縛り状態から解放される俺だった。


「では……香田君はどうなんですか?」

「うん?」

「デート……ふたりで考えてくれるんですよね……?」

「ああ、うん」

「ほら……わたしとデート……してくれるんですよね? 香田君はどういうデート、したいですか?」

「……うーん」


 さっき微妙にチクリとした胸の痛みを思い出して。


「深山とカラオケ行きたい、かな?」


 ……そんなことをふと、つぶやいてしまう器の小さい俺だった。


「うん……香田君とカラオケ、行きたいかも」

「そういや深山の趣味はカラオケだっけ。歌うの、好きなの?」


 まるでお見合いみたいに自己紹介し合ったあの夜をちょっと思い出す。

 今は、その後の展開は意識的に思い出さないようにしないとな……。


「あはっ……うん。下手の横好きだけど」

「へえ~。ぜひ聞きたいなぁ」

「良いのっ!?」

「え?」

「えっ?」


 互いに目をパチパチさせて驚いた。

 なるほど。俺にとってはカラオケってのはストレス発散の場だけど、深山にとってはたぶん人に聴いてもらえる発表の場、なのだろう。

 だとすると『好き』の意味が全然違う。


「ここだと……オケもマイクも無いけど?」

「あっ、そ、そうだね……そんな微妙なの聞かされても困っちゃうよねっ……」


 しょんぼりと目に見えて落ち込む深山だった。

 なんというか……俺とは根本的に心の構造が違うんだなぁと感心してしまう。


「――よし。じゃあカラオケ行こうか!」

「え? えっ!? その……いつかログアウト、したら?」

「何言ってるの。ほら、こっちこっち」

「香田君っ!?」


 そのまま深山の手を引っ張って、もっと森の奥へと進む俺たち。


「はい、到着」

「……?」


 生い茂っている自分の背丈ほどの大きな雑草を手で横へと払いながら。


「ウィーン」


 人工的な効果音を口にして、一歩踏み込む俺。


「ぷっ……あはっ……ピンポーン♪」


 俺の意図をすぐに理解した深山も、店内に入る音を口にしながらその中に足を踏み入れた。


「二名、三時間でお願いしますっ」


 ちょっとした小芝居までしてる上機嫌な深山。


「香田君、101だって! こっちこっち!」

「お、おうっ」


 すっかりノリノリになってる深山が久しぶりの満開の笑顔で、今度は俺の手を引っ張ってさらに奥へと進む。

 反対の手は……たぶんマイクの入っているカゴでも持っているつもりなんだろう。そんな抱えているジェスチャーまでやっていた。


「おっ。深山、101ってあそこじゃないか?」

「あ、うん!」


 おあつらえ向きに平坦で小さな空間に倒木があるのを見つける。


「さあっ、歌うんだから~っ!!」


 ご丁寧に個室のドアを開ける仕草までして、その空間にぴょんと跳び込む深山だった。


「あ。ドリンク頼まないとな」


 倒木に腰掛けると、インターフォンを探すふり。


「いいのいいのっ、まずは駆けつけ一曲行きまーすっ!」

「おーっ」


 深山は手頃な大きさの木の枝を拾うと、それをマイクに見立てて軽くステップを踏み始める。


「たん、たっ、たん、たっ♪」


 140ぐらいのちょっと早めのテンポで小さくステップを刻む深山。俺も臆せずそれに合わせて軽く手拍子を合わせる。


「――……今、輝けるこの瞬間~……♪」

「っっ……!!」


 素で、びっくりした。

 たったその1フレーズで瞬時に理解する。


「キミとボク、ただ、見つめ合うのぉ~……♪」


 ――上手い。べらぼうに、上手い。

 まるで冷や水でも頭から掛けられたみたいに衝撃的だった。


「Ah、離れて~、ねぇ、気付いて~……♪」


 ご丁寧に全身で振り付けまで実演してくれている。

 その整った容姿とファンタシーな衣装も相成って、まさにアイドルPVでも眺めているみたいだ。


「I need you. Me,too もう離さないでぇ~……♪」


 何度も練習しているのか、その動きもまたプロレベルで指先まで完璧に神経が行き届いていてキレッキレである。


「ああ、なるほどねぇ」


 今さらながら、『四門オールアラウンド円陣ゲート・イン・ザ・火竜サークルドラゴン』のポーズにやたらこだわっていた深山の姿と重なって見えた。

 純粋に好きなんだな、こういうの。


「恋しくて、もう、I just feel really hurt……♪」


 ――パチパチパチパチ……!!


 途中からは手拍子も忘れて聞き惚れていた俺は、曲が終わったことに気が付いて慌てて拍手を贈った。


「すげぇ! 深山、本気で歌上手いなぁ!!!」

「え、えへへ……そんなそんなっ」


 恥ずかしそうに自分の髪を撫でながら頬を染める我がクラスのアイドル。


「いや本当にっ! アカペラでここまで歌えるのかよっ!?」

「も、もおっ、香田君褒め過ぎぃ~!」


 顔真っ赤にして両手で口元を隠す深山が――。


「――あ。その仕草、メチャクチャ可愛い!」

「っ!!」


 公約通り、感じた時に正直に伝えることにした。


「なあ、深山。本気でどこかのアイドルのオーディションとかに申し込みしたりしたらどうだ?」

「し、しませんっ……!!」

「えー」

「絶対に、絶対にしませんっ……!!」

「もったいないなぁ。こんなに可愛くて歌が上手くて綺麗でプロポーション良くて性格も――」

「――待って待って!? い、いくらなんでも褒め過ぎですっ!!!」


 マイク持ってないほうの手をぶんぶん振り回して涙目になってる深山。


「別に俺、自分の思ったこと正直に言ってるだけだし?」

「あうぅ……」

「アイドルになったら俺、全力で応援するぞっ?」

「しませんっ……絶対にならないもんっ」


 ぷくっと頬を膨らませて抵抗してるその表情もまた可愛い。


「どうしてまた? 歌うのや踊るの好きそうだし、まんざらでもないんだろ?」

「だって…………香田君と……自由に恋愛出来なくなっちゃうもんっ……」

「お、おう」


 なんか、蓋を開けてみたらすごい理由だった。


「あの。も……もう一曲だけ……良いですか……?」

「いーや! 一曲とは言わず、深山の得意なレパートリィ全部聴かせてくれよ!」

「う、うんっ……!!」


 そんな感じで、しばし深山オンステージが繰り広げられた俺の昼下がりだった。



   ◇



「――はぁ……幸せ……っ……」


 もうかれこれ10曲余りに及ぶオンステージが終わると、俺の隣に腰掛ける深山。その満足気な笑顔を眺めるだけでも伝染してこっちまでニコニコになってしまいそうだ。


「……ありがとう、香田君」

「いやいや。こちらこそ」


 知らない曲ばっかりだったが、全然暇しなかった。


「はいっ、遅くなりました! 香田君の番!」


 そう言いながら、深山は手に持つマイク――のような木の枝を差し出して来る。


「いやいや……俺は遠慮しておくよ」

「ぷーっ」


 さすがに深山の後じゃ、つらすぎる。


「じゃあ次は?」

「え?」

「デート、これで終わりなのか?」

「あ、う、ううんっ……! まだ、ですっ……!!」


 慌てて俺の腕にしがみついてくれる深山だった。


「じゃあ深山、リクエストをどうぞ」

「ううん。今度は香田君が――」

「――いやいや、それは違う」

「え?」

「カラオケってリクエスト言ったの、俺だからな?」

「あっ……」

「ほら、今度こそ深山が決めてくれ」

「……」


 ちょっと強引な展開かもしれないが、これには理由があった。


「何ならデートじゃなくてもいい」

「え?」

「純粋に、俺は深山の願いを聞きたい」

「わたしの……願い?」

「そう。俺にもう少し甘えてくれないか?」


 つまるところ、俺はずっとこれが言いたかったのだ。

 深山は『自分ばっかりしてもらってる』と言ってたけど……俺はあまりそうは思っていない。

 どちらかというと、凛子に遠慮してか深山はすぐに引っ込んでしまって……結果的に負担とストレスを掛けさせてしまっている。

 以前からそういう構図が見て取れていた。

 それは俺の本意から、あまりに遠い状態だ。


「香田君に……甘えるって……」

「もっと俺にワガママを言ってくれないか? こんな感じで、もっと楽しい思いを深山にさせたい」

「……っ」


 ――そう。俺は誓ったんだ。

 ログアウト出来ないこの気の毒な状況を救えないなら、せめて深山にとって楽しい60日間にしなきゃダメなんだ、と。


「で、でも……それこそわたしばっかり……」

「じゃあ俺も深山にその分、甘えるから」

「えっ」

「交互に甘えるなら……ダメか?」

「――っっ……!!」


 ……うん。上手く行きそうだ。

 俺のその提案で、目に見えて深山の瞳が輝いた。


「ほ……本当に香田君も……わたしに甘えてくれますか……?」

「もちろん。深山に迷惑がられない程度には」

「ううんううんっ……絶対にそんなこと、あり得ないから……!」

「じゃあ決まりだ。以後は交互に甘えるルールにしよう」

「……は、はいっ!!」


 本当は深山と色々確認したいことや語りたいこともあるんだけど。

 でも今、最優先にするべきは『ここ』だと思う。

 だから俺側の抱いている考えや感情はこの際、度外視しよう。


「じゃあ、はい。深山から」

「……」

「どんなことでも良いよ? 俺に求めたりして甘えてくれ」

「…………香田君に……甘える……」

「そう」


 それでいよいよ真剣に悩み始める深山だった。


「…………ううぅ……」

「?」


 頭を抱えて唸ってる深山の苦悩が正直良くわからない。


「……どうしよう、香田君」

「どうした?」

「香田君に……ドン引きされちゃうようなことしか……思いつかないの」

「ほう? 例えば?」

「もうっ……だから、ドン引きされちゃうから言えなくて悩んでるんですっ!」

「わからないぞ? 全然大丈夫かも知れないぞ?」

「…………無理」


 とうとう両手で自分の顔を覆って縮こまってしまう深山。


「えーと……もしかして」


 びくっ、と深山の肩が揺れた。


「…………エッチなお願い、とか?」


 こくん、と黙ってそのままうなずいてくれる。

 それで深山の『無理』が二重の意味だとようやく気が付いた。

 恥ずかしくて無理だし……そもそも誓約的にも無理なのだ。


『香田君に、えっちなお願いをしない。』


 そう。そんな酷な誓約を深山は自分自身に課したのだった。


「……うーん」


 俺は、ちょっと違うことを考えていた。

 そりゃまあ、深山から間接的にそんなお誘いをしてくれている現状は、かなりドキドキしてしまうけど……それより、事態は深刻だと悩んでいた。


『<ミャア>は心身いずれかの状態が特にバランスを欠いて不調な時、<香田孝人>へ余すことなく全てを報告しなければいけない。』


 こんな誓約があったのに、全然報告してくれなかったのだ。

 つまりあそこまで落ち込んで様子がおかしいというのに、深山側の認識としては『特にバランスを欠いて不調な時』では無かったということだ。

 ――それじゃ事実上、安全装置のつもりで設けたこの誓約は機能していないってことになる。

 『特に』なんて曖昧な定義をしてしまったのが失敗だった。

 もっと明確な線引きが必要そうだ。


「…………あの、甘えて、良いですか……?」

「え。あ、うん。もちろん。何?」


 その問いに、思考が急ブレーキ掛かった。集中する。


「どんな風に甘えて良いのか、わからないの……」

「わからないって……別に、自分のしたいように相手に求めたらそれで良いだろ?」


 相変わらず両手が顔を隠してうつむいたまま、深山が細かく首を左右に振っていた。


「…………わからないの。どうしたら良いの?」

「うん?」

「甘え方…………わからない……」


 お金持ちの家のお嬢様で一人っ子だからか、深山はどこか独善的で、無意識の中で他人からしてもらうことに慣れている節は確かにある。

 それも一種の『甘え』だとは思う。

 言うなれば、受動的で居ることの甘え。

 黙っててもまわりからエスコートしてもらえる状況への甘え。

 ……なんともお姫様らしい。


「甘え方、か」


 でも……自分から一方的な利益を得ようと『○○して欲しい』と強請ねだる、能動的な甘えというのはまた別だ。

 むしろこっち側の甘えは、ほとんど深山から発信されたのを見たことが無い。

 プライドが許さないのだろうか――いや、違う。

 ……軽く想像してみた。

 あの夜に聞いた話の限りでは、深山の家は相当厳しくて、色々なものを両親から厳しく求められていたようだった。

 つまりそもそも、幼少の頃から甘えることをほとんど許してもらえなかったのでは無いのだろうか?

 ――以前、似たような答えを得たことがある。

 『深山って、どういう生い立ちの中で育ったんだろう? もしかして、愛情、全然足りてないんじゃないのかな』……なんて、そんな疑問を抱いたことのある過去を、ふと思い出した。


「あっ」


 ようやくここまで考えを進めて、直面していた問題と繋がった気がした。

 甘える方法がわからない。

 だから深山は、すぐに飲み込む。引っ込める。我慢する――そう、深山の心の構図を理解した気がした。


「なるほど……なるほど」

「?」


 だとすると、深山から甘えてもらうことは、結果的に深山を守ることに繋がる。

 俺はそう確信するに至った。


「いや。ごめん、ただの独り言。それで? どんなことを俺に求めて甘えることにする?」

「あぅ…………」

「ほらほら。遠慮しなくて良いよ?」

「……その」

「うん」

「じゃあ…………香田君から、先に甘えて見せて欲しい、です」

「おいおいっ」

「ね? こういうのも……香田君へ『甘えてる』って状況だと思うのだけど……こんな理屈はダメ?」

「はははっ。なるほど。一応理屈としては通ってるな」


 上手に受動的な甘えを能動的な甘えにコンバートされてしまった。

 あと、甘えるのが下手なら、見本を先に見せてあげるという考え方自体も確かに悪く無いと思った。


「じゃあ、俺から深山に甘えて見せようか?」

「は、はいっ……!」


 途端に瞳をキラキラ輝かせる深山。


「うーん……」


 どういうお願い、してみようか?

 せっかくなら普段なかなか得られないモノが欲しいなぁ。

 俺が深山に求めるモノか――


「――うん……決めた。深山、お願いがあるんだけど」

「はい……!」


 ずっと気になっていたことがあった。


「少しの間……教室の『深山さん』として俺に接してくれないか?」

「えっ」

「深山があまり好きじゃないのは知ってる。だからこそこういうお願いってのは『甘え』じゃないかなって思って……もちろん嫌なら」

「――別に嫌じゃないけど?」

「お」


 さっそく実演してくれていた。

 すごい。一見してわかる。全然違う。


「おお……深山さんだ」

「何、それ?」


 少し恥ずかしそうに頬は赤く染まってるけど、でもその少し鋭い表情も、自分を強く見せようと威嚇するようなポーズも……間違いなく教室で、俺の左前に座っているあの深山玲佳さんだった。


「はぁ。あのね……香田君?」

「そう。それ! ずっと気になってたんだ!」

「……はい?」

「どうして俺だけ香田『君』なんだ? 深山さん、他に『君』をつけて呼んでいる人、居ないよね?」

「そ、それは……」


 ぎゅっ、と自分の身体を抱きしめて、少し顔を逸らして。でも瞳だけは真っすぐにこっちを向けて――


「す、好きな人だからに……決まってるじゃないの」

「…………っ」

「な、なによその反応っ!?」

「い、いや……思ったより、こう……すごい破壊力、だなって……」

「どういう意味よ」

「…………すげぇ、ドキドキする」

「はぁ? そ、それは……どうも」


 髪の毛を手の甲で軽く掻き揚げながら、困ったように笑ってる。


「……どうしてだろ? わたし、すごーく複雑なんですけど」

「複雑?」

「わたし……わたしに今、嫉妬してる……」

「ぷっ」

「笑いごとじゃない! ああ、もぅ……やっぱり『こっち』のほうが香田君の好みなんじゃないかってわたしの予想……当たっちゃってる気がする」


 はぁ、と憂鬱そうにため息をついているその姿も、やっぱり画になる。

 どこからどう切り取ってもクラスのアイドル、憧れのあの深山玲佳さんだった。


「深山さん。リサーチがちょっと足りないよ」

「え?」

「……さっき言っただろ? 俺だけ特別に『君』をつけてくれていたけど。あれ、実は嫌だった」

「え、えっ……!?」

「そんな死にそうな顔しないで」

「ううぅ……」

「ほら。深山さん、深山さん」

「……はい」


 素の深山に戻ってるのでやんわりと注意。

 悪いが今は、ぜひ深山さんとお話がしたい。


「俺もみんなと同じように『香田』って呼び捨てて欲しかった。何だか保護対象の気の毒な人、みたいに思われているのかなって、そう感じてた」

「…………ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの。でも……差別や疎外感を与えてしまったみたいで……ごめんなさい」


 必要以上と思うほど、丁寧に深く頭を下げてくれる深山さん。


「今からでも遅くないよ」

「え」

「呼び捨ててみて?」

「……ちょっと、難しいかも」

「いいから。実はそう呼ばれることに憧れてたんだ……甘えさせてよ」

「……うん」


 今にも泣きそうになってる深山さんが小さくうなずいた。


「――ね……香田。わたしと放課後、カラオケとか行ってみない?」

「え。俺と?」

「ダメ……?」

「あー……いや。嬉しいけど、ほら。あとで高井に殺されそうで……」

「高井のことなんてどうでもいいの!!」

「っ、は、はいっ」

「絶対だからね!? 付き合ってよっ!?」

「お、おう」

「…………ああ。もういいや」

「ん?」

「その……もうバレバレだと思うけど。その」

「うん」

「わたし、その……香田のこと、ちょっと……気になってるんだ」

「――……」


 すっかり趣旨が変わってしまってた。

 いつの間にか、俺たちは『あの頃』のやり直しをしていた。

 あの頃の俺なら……いや。その表現はおかしいのかなぁ?

 まだほんの10日ほど前のことなのに、やけに昔に感じる。


「まあ……俺でよければ」


 10日前の俺なら、きっとこんな風に返事していた。


「ちょっと……香田。それ、酷くない?」

「え」

「わたし……気持ち、言ってるのに。そこに返事……くれないんだ?」

「あぁ……そっか、悪い。正直に言うけど俺ってさ。こんな髪で……中学の頃は標的にされてたりして。素直に受け取れないっていうか、信じられないっていうか……」


 白髪交じりの自分の髪をぼりぼりと掻いて、気まずさを誤魔化す。


「それ、カッコイイじゃん……わたし、好きだけど?」

「…………うん。ありがとう」

「去年の弁論大会の時とか、マジカッコ良かったよ?」

「ははは……ありがとう。深山さんに言われると恐縮しちゃうなぁ」

「――何、それ」

「え」


 この会話、どこへ行くんだろう?


「自分のこと、特別視しないでくれって言ってたくせに……香田はわたしのこと、特別視するんだ……? 深山『さん』なんだ?」

「……そっか、そうだね。ごめん。悪かった」

「あぁもうっ……こんなこと、言うつもりじゃなかったのにっ……どうしてわたしって、いつもこうなんだろ……はぁ」


 俺は少しだけ考えてから。


「……――深山」

「え。は、はいっ……!」


 勘違いした深山が、素の感じで返事してしまったけど。

 でも俺は最後まで貫き通すことにした。


「これからは深山って呼ぶ。悪かった」

「え――……あ、うん……ありがと」

「じゃあ、カラオケ、行ってみる? 親睦を深めるってことで」

「…………待って」

「うん?」


 それから少し間があって。


「……好き、です」


 真っすぐに俺を見詰める深山さん。


「ずっと、ずっと……好きでした。ずっと、香田のこと、見てた」

「――……うん。視線は、気付いてた」

「っ!? ほ、ほんとっ!?」

「ははは……過保護だなぁ、ぐらいでしか解釈してなかったけど」

「鈍感っ」

「だって……憧れてたから」

「え」


 ああ、うん。そっか。

 俺……結局、これが言いたかったのかもしれない。


「俺も、深山に憧れてた。気になってた。でも俺じゃふさわしくないかもって、そんな弱気になってて……『まさかね』なんて思考をそこで終わらせて逃げていた」

「――……っっ……」

「うん……きっと俺も、好きだと思う。まだ自覚が足りなくて……こんな曖昧な返事で、ごめん」

「ううん、ううんっ……嬉し、いっ……マジ、嬉しい……っ……」


 両手で顔を覆って、肩を狭めて泣き始める深山。


「これから、よろしく」

「……はいっ」


 俺から手を差し出すと、深山も差し出して、小さく手を結び合った。

 2-Aの教室の俺たちは、こうして恋人同士となった。

 ifの世界で。


「深山……本当にカラオケでいいの?」

「え?」

「もしそれが口実でしか無いなら、違うどこかでも良いよ? 深山のやりたいことを聞かせて? せっかくならこれからデートでも――」

「――エッチなこと……したい」

「は、え?」

「あっ……ち、違うっ、こ、これ誓約!! 香田君、質問してるから!!」

「あ」


 俺の手は離さないまま、空いているほうの手をぶんぶん振り回して素の深山が顔を真っ赤にして瞳をうるうるして叫んでた。


「ぷっ……ははははははははっ、だ、台無し、だっ……これっ!!」

「あああぁぁぁもおおおぉぉっっっ、わたしのばかああぁぁ……!!」


 そう嘆いている深山も、半分自虐的に笑ってる。

 深山はエッチなお願いが出来ない。

 しかし、俺からの同意があった場合は除く。そういう感じの誓約だったっけ。そういや。


「えーと…………じゃあ、する?」


 もう茹でられたタコみたいに顔を真っ赤にして涙目でぶんぶんと頭を振り回して否定する深山。

 まあその気持ちはわかる気がする。

 せっかくの美しい青春の1ページが、いきなり生々しい感じになってしまう気がした。


「香田君…………ありがとう……」

「うん?」

「……わたし……今、幸せ……」

「そっか。うん。俺もだよ」


 もうすっかり元のいつもの俺たちに戻ったけど。

 あれはただのifで、実際は全然違う形で深山の気持ちを知り、こうしているのだけど。

 確かに俺も……感謝したいほどの何かを得た気持ちになった。

 今更だけど。でも、誓約によって強制的に深山が告白させられて――それでメチャクチャになってしまった順番が、少しだけ整った気がした。


「それじゃ終了。次は深山の番だな?」

「え……ううん……もう充分。わたしは――」

「――こら深山っ。本末転倒なことを言うんじゃなーいっ! 甘え方がわからないからって、俺が見本で実演して見せたんだろ? 深山が充分とかもはや関係ないから! そういうナチュラルに勝手なこと言わないの!」

「ひうっ!? ご、ごめんなさいっ」


 まったくこれだからお姫様は。


「ほらっ。いい加減覚悟して、甘えてくれっ!」

「は……はいっ……」

「それで?」

「う……ううぅ……」

「何も無い? さっき実演して見せてあげたの、無駄だった?」

「ごめんなさい……香田く――……あ……」

「ん? 何か見つけた?」


 いつもみたいに瞳を丸くして、パチパチと何度かまばたきして。


「……」

「?」


 しばらく悩んでから。


「……準備、します」

「うん?」


 パタパタとこの仮想カラオケルームから出て行く深山。

 意味も良くわからない俺は、そのまま倒木の上で腰掛けて待つしか無かった。


「――コン、コン」


 生い茂っている仮想カラオケルームの向こうから、そんな声。


「……コン、コン」

「え。あ、はい。どうぞ」


 とりあえずノックらしいので、戸惑いながらそう答えると。


「日直の深山玲佳です。香田先生……失礼します」

「へ。あ、ああ……」


 ぺこり、と一礼して仮想カラオケルーム――いや。教室? それとも職員室? と、とにかく部屋に入ってくる日直の深山だった。


「香田先生……放課後にお時間頂きありがとうございます」

「お、おう。どうした? 相談事でもあるのか?」


 どうやら俺は先生、らしい。

 先生って言っても色々な先生があると思うが……まあ無難に担任教師、ぐらいの気持ちで入ることにした。

 ……しかし、先生か。

 深山と魔法を創っているその途中、『俺が先生なら楽しく勉強出来そう』みたいなことを言っていたことをふと思い出した。


「はい。その、実は……折り入って、先生に相談があります……」

「そうか。まあとりあえず座ってくれ」


 場所は良くわからないが、まあ職員室ってことにしておこう。

 俺の隣の倒木――いや、椅子を勧めると。


「はい、失礼します……」

「は?」


 おずおずと俺の膝の上に座る深山生徒。


「ど、どうしたっ、深山君っ」

「先生……」


 なんだこれ!?


「先生のことを考えると、胸が苦しいんです……これ、病気なんでしょうか……?」

「そ、そうだな! 専門家に診てもらうといいっ。先生は理数系だからっ」

「……先生に因数分解されたい……」

「ぷっ、くっ……」


 吹き出しそうなこの先生の頬に手を当てて深山君が。


「先生……わたし、真剣なんですっ……!」


 必殺のうるうる瞳で顔を寄せて来る。


「先生には凛子さんってステキな奥さんがいらっしゃるのは知ってます……だから! だから今だけでいいんです……っ……」

「い、いや……凛子はっ……アイツはキミとのことを容認しているのだから、そんな気に病む必要は無いんだぞっ……?」

「愛人……わたし、先生の愛人でいいんですっ……飽きたら捨ててください……それでいいの……!」


 ……俺たちはVRMMOの中で、さらに仮想で何のプレイをしているのだろうか。これ。


「欲しい……わたし、先生が欲しい……!」


 ああ、なるほど。

 これはあくまで演技で――だから本気でエッチなお誘いをしているわけじゃないと、自分を説得出来ているわけか。だから強制力が働いていない。

 ……さすが賢いな、深山君は。


「いや……あのさ」

「はい」

「……深山君の妄想って、いつもド直球のストレートだよねぇ」

「ううぅ……やっぱり先生、ドン引きしてます?」

「いや。ある意味で徹底してて、感心しているっていうか……面白すぎて集中出来ないっていうか……」

「はぁ……やっぱり温泉旅行に来た新婚夫婦のほうが良かったのかなぁ……」


 ぼそりと嘆く深山生徒だった。


「ほんっと深山君って……ユニークだなぁ」

「ぷーっ……全然褒められてる気がしませんっ!」


 深山のナチュラルなひょうきんさには、つくづく感心してしまう。


「はははははっ」

「そ、そんなに笑わないでよぅ……!」


 そして、愛しい。


「深山君。軽蔑してくれて構わない」

「え?」


 わかってた。

 俺も深山のことをとても言えた立場では無いことを。

 『君』と『さん』ぐらいには、似た者同士だってことを。


「……可愛い」


 そうして俺は、愛情表現として自分から深山の唇を奪った。

 これは口を塞ぐためじゃない。彼女の心を癒すためじゃない。

 同情や哀れみじゃない。

 まして求められたから、なんかじゃない。

 そんな建前に逃げた受動的な理由じゃない。

 俺が、したい。

 能動的に、俺も求める。


「――んっ」


 ……ずっとずっと、憧れていた。

 教室の片隅で、いつも遠い存在として眺めていたあの憧れの女の子と、俺は心から望んでキスをしていた――



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