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#051 傷を恐れぬ勇気

「この人の赤ちゃんが欲しいだけですので……どうか安心してください」


 すみの淡々としたその一言によって、容易に周囲の空気は凍り付いた。まるで砂漠のように荒れ果てた吹きさらしの地面に舞う風の音だけが、しばし聴覚を支配する。

 ……あまりのことに、頭を抱えたい気分だ。

 結局は二年前のあれから何も変わって無いどころか、むしろよりその意識は強固に先鋭化されていた。

 こちら側が明確に拒絶したその反動で長期の険悪な状態に入り、今となっては憎まれている――あるいは嫌われているとすら思っていたのに。


「ちょっ……そのっ、未、ちゃん?」

「はい」


 最初に口を開いたのは、凛子だった。


「えっと……その。兄妹、だよね?」

「架空のゲーム内では単なるプレイヤー同士です」

「じゃあ、ログアウトしたらっ……?」

「はい。血の繋がった正真正銘の兄妹ですね」


 さも当然という風に言い切る未。

 もちろん未にとってこれが『何でもないこと』ではないだろう。ただ人一倍、平然としているフリが上手いだけの話。

 例えどんなに無表情であったとしても、決して感情が無いわけではない。

 傷もつくし、恐れもする。

 当たり前だが未もひとりの人間だ。


「そ、そ……ですかっ」


 気圧されたのか、凛子はそれ以上何かを言うでもなく引き下がった。

 そして凛子を筆頭に深山と岡崎も自然と俺へ視線を送る。


「……」


 いや。正直、俺にコメントを求められても困る。

 未が勝手にそう言ってるだけであって、当然俺はそういうつもり毛頭無いし、ましてやましいことなんてした覚えも無い。

 ……なので気が重いが、少し肩をすくめて『困ってるんだ』という風なジェスチャーをして見せた。


「……未」

「はい。何ですか、孝人こうと


 問われると、べったりと俺へと身体を擦り寄せたまま今にもキスしてしまいそうなぐらいの顔の距離で、正面から俺を見据える妹。


「とりあえずその『孝人』は止めてくれ。聞き慣れないどころの騒ぎじゃない」

「じゃあ……孝人、さん?」


 俺から大昔に言われた通り、不自然なほど首を傾げて『疑問』の感情を表して見せている。


「いつも通りに『兄さん』でいいだろ?」

「――はい……わかりました。兄さん」

「ん?」


 ……何か、こう。違和感。

 いつも口論になると最終的に未から折れてくれることが多かったのは事実だが、しかしこうも素直だとさすがに不自然さを感じる。


「……」

「兄さん……どうしましたか?」

「とりあえず兄妹でこの密着は不自然だろ。離れてくれるか?」

「はい」


 またしても、従順に言われたまま身体を離す未。

 いよいよもっておかしい。

 先日あった脱衣所でのあの一件の通り、屁理屈を捏ねて一通り抵抗するまでがある種の予定調和のようなものだったのに。


「……未。誓約紙を出してみてくれる?」

「はい」


 未は素直にその場で誓約紙をポップさせる。


「あ」

「……」


『素直になる。』


 真っ白な紙面に、その端的な一文だけが書かれていた。

 ……なるほど。KANA――いや、神奈枝姉さんにいきなり切り掛かった行動も、『死ね』『消えて』というあの発言も、そして先ほどの独白も過激な発言も全てこれがトリガーなのか。


「……ダメでしたか?」

「ダメっていうか……うーん……」


 『なぜ未はこの一文をEOEに来た直後、書き入れたのだろう?』とそこまで想像してみて…………返事が難しいと感じた。

 つまり、たぶん。

 体質として自分の感情を自然に表現することが困難な未は内面で深く傷つき、屈折して、最終的には絶望の中、現実世界で心を半ば閉ざしていた。

 まるで剣山のような強固で鋭い障壁を作り上げてしまった。

 ……そこに対して未なりに思うことや後悔があったのだろう。

 だからEOEの誓約紙のシステムを知って、真っ先にこれを入力してみた。

 きっと、希望をそこに見出した。

 仮想世界だからというその免罪符も相成って、雁字搦がんじがらめになって固着していた現実世界とは違う『理想とする自分』へとリセットしたい――そういう考えが透けて見えた気がした。

 決して、それは間違った方向じゃない。

 未なりの勇気ある一歩と思う。だから、否定したくない。


「なあ……この誓約の文、未自身が入れたんだよな?」

「はい。もちろんです」


 ……否定したくないのだけど……深山や俺が苦労している『負の誓約』に近いものをわざわざ自分から設ける必要はあるのだろうか?と、そういう意味での抵抗感も確かに存在していた。


「この文だと、誰に対しても素直になってしまうのが問題かな。『味方に対しては』という文字を文頭に追加して、書き直してくれないか?」

「……はい、わかりました」


 せめてこれぐらいの防衛処置はしておこうと指示すると、やはり素直に応じてしまう未。この場ですぐに修正してくれる。


「これで良いですか、兄さん」

「……うん。ありがとう」


 確認すると、言われた通りに『味方に対しては素直になる。』と改めての一文が記入されていた。


「もっと褒めてください」

「え。あ、ああ……未は偉いな」


 俺自身もうっかり忘れそうになるが、一応この未からの言葉からは『求められた物はすべてを差し出す』というあの誓約によるプレッシャーのような強制力が、俺の内側から軽く働いていた。

 まあそんなものが無くてもそれぐらいは応えるつもりだから、結果的に返答の内容は何も変わらないが。


「偉い未は好きですか?」

「……ああ。好きだよ」

「嬉しいです」

「そっか。それは良かった」


 俺への呼び方は『孝人』から『兄さん』に戻してくれたけど、自分の呼び方は『私』から『未』に変更されたままだった。

 ……そういや昔って、自分のことをそう呼んでいたっけ。

 わざわざそこまで直させるのも気が引けて、スルーすることに決めた。


「好きになったなら、未に子を授けてくれますか?」

「それは無い」

「……悲しいです」


 淡々と落ち込む『素直』な未。深山の『質問には事実を正確に話す』より一段階優しい誓約内容だが、しかしこれはこれで地味にやっかいそうだなぁ……。


「ねえねえ、コーダ! 集まったけど、この後ってどーすんのぉ?」

「ん? ああ……そうだな」


 絶妙なタイミングで今まで黙っていた岡崎が助け船を出してくれた。

 正直、周囲の冷え切った空気はなかなか解消されていないみたいだったので有り難い。


「この後か。さて、どうしたものか」


 やるべきこと、確認したいことが山積し過ぎてもはやどこから手をつけようか悩んでしまうレベルだが――


「――うん、とりあえずは……凛子」

「ほへっ?」


 ひとりでうんうん唸っている俺を興味深そうに眺めていた小さな女の子へと声を掛けた。俺が思うに、この中で一番可愛い女の子。


「このまま南の街へみんなで目指そう。クロード……だっけ。ここから50キロぐらいの距離があるから、その他のことはすべて街に向かいながら話し合って決めたいと思う」

「はーいっ」

「道案内、お願いして良い?」

「あいあいさーっ!」


 いつもみたいに凛子が敬礼をひとつして、俺の手を軽く引っ張る。


「こっちこっち!」


 深山の魔法で街へと続くあの小道もすでに消し飛んでいるが、それでも迷う様子もなくズンズンと進んで行った。

 たぶんマップでも確認しながら純粋に方角だけで進んでいるのだろう。


 ……しかし、50キロか。

 『フルマラソンよりちょっと遠いぐらいの距離』と言えば何だか3時間ほどで到着出来そうな気になるが――いやいや。42キロ余りを2時間そこそこで走るあの人たちが異常なだけだ。

 ここはゲームの世界で、腹も減らないし水分も特に補給しなくていいし、たぶん靴ずれも筋肉痛も発生しないというヌルイ環境にも関わらず、とてもじゃないがそんな時間で着ける自信などまったく生まれてこない。

 こうして歩くだけでも憂鬱になる。

 ましてそんな距離を走り続けるなんて、想像するだけで心が折れそうだ。

 すごい。

 マラソン選手ってメンタル含めて本気ですごいと思う。


「ね、香田! 街に着いたらお買い物して良いっ?」

「え? ……ああ、うん。もちろん。凛子は服が欲しいんだっけ」

「うんっ♪ えへへっ……やった!」


 すでに街に着いた時のことでも考えているのだろう。ニコニコと上機嫌に微笑んでる。

 ……うん。凛子の心の調子を取り戻すことが出来て、本当に良かった。

 昨日とは全然違うその様子に俺まで嬉しくなってしまう。


「深山は、何が欲しい?」

「え……わたし、ですか?」


 まるで想定外だったかのようにキョトンとした表情で自分を指さし確認している深山。俺が思うに、この中で一番綺麗な女の子。そしてたぶん俺が世界で一番に守りたいと思っている女の子。


「ああ。何が欲しい?」

「……いえ。わたしは、何も……」


 そう、世界で一番。

 決して口外することは無いが、しかし事実としてあの凛子すら差し置いてしまっているのがすべてだ。俺の今までの言動がそれを証明してしまっている。

 ……どうしてだろう? いまだその答えは自分の中で導けていない。


「じゃあ俺からプレゼントしたいものがある」

「……香田君から……?」

「実用的なモノだからあまり期待しないで」

「ううん、ううんっ……!! すごく嬉しい、です」


 俺しか助けられないからだろうか? それとも俺を慕ってくれているから? あるいはクラスの中で助けてくれたその恩義……?

 もしくは、心の秘密を無理やり聞きだしてしまったその罪の意識……?

 わからない。

 それら全部なのかもしれないし、どれも違うのかもしれない。

 ――まあいいや。無理に今、その答えを出す必要も無いか。


「待って……コーダ、ちょーっと待ってよぅ!」

「ん~?」


 後ろから少し離れて叫んでる岡崎。

 ついでにコイツのことも改めて考えてみようか?

 岡崎は俺にとって…………うーん。憎めないヤツ、なのかな。

 正直を言えば、どこかまだ許していない部分がある。

 でも本人があれだけ深く反省しているのだから、俺もこの気持ちは上手く折り合いをつけていかなければならない。

 そうしないと負のスパイラルが延々と続いてしまう。

 だから……そうだな。

 やはり失礼を承知で、コイツのことは『ペット』と思おう。駄犬だ。

 すぐに後先考えずに気分で噛みついてしまうダメなヤツ。

 でも同時にどこか憎めなくて、単純で人懐っこい。

 そんな風に俺の中でポジションを与えてしまえば、意外なほどすんなりと折り合いはつけられる。

 そして――


「どうした?」

「まだ……その。深山に、許してもらってないしぃ……」


 驚くほど一途というか、こういう風に筋を通そうとするところなんかは嫌いじゃない。

 そういや教室でもアイツからわざわざ接近してきたっけ。


「岡崎さん、ずるい」

「へっ?」


 深山がぷくっ、と頬を膨らませて露骨に非難の視線を岡崎へ送っていた。


「香田君の前だと、そういうしおらしい態度になるんだ? わたしにも悪いところあるって言って、散々喧嘩したくせに」

「し……しかたないじゃん。だから基本的にはアタシがマジ悪かったってぇ!」

「基本的にぃ~?」

「…………アタシが悪かった、よぅ……」


 半分、話し方に教室のあの『深山さん』が入ってる印象。

 もしかしたら岡崎に対しての深山は、むしろそっち側のほうが自然なのかもしれないな。


「違う違う。それ逆!」

「へ???」

「わたしは『お互い様だったね』って言いたいの! それぐらいわかってよ……もぅ!」


 腕を組み、ぷいっとまた頬を膨らませて岡崎から背を向ける深山。

 それは必然的に俺と視線を合わせることになり。


「……な、なん、ですか……?」


 たぶん俺は無意識に笑っていたのだろう。その表情を咎められてしまった。


「いや。じゃあ深山には悪いけど、お互い様というならこのまま岡崎もチームに入ってもらう。深山を救うために必要な戦力だ」

「はい……もちろん、異存無いです」

「ありがとう」

「あっ」


 深山のさらさらな髪の上に手を置いて撫でる。

 まるで子ども扱いみたいで、プライドの高そうなお姫様の深山には恐れ多い行為……とつい一週間ぐらい前までの俺ならそう考えていただろう。


「……っ」


 でも実際はそうじゃない。

 むしろ深山には、これぐらい俺から踏み込んだほうが良い。

 俺は深山に対等なパートナー的なポジションを求めがちだけど、深山は俺の後ろについてくるぐらいのほうが安心するみたいだった。

 『横に並びたい』と言っていた深山の理想とはちょっと矛盾している気もするが、そこには特にこだわらない。だって人間って元々グチャグチャで、そんなシンプルに出来てないからだ。


「あーっ、深山さんずるーいっ!」

「え、えへ。ごめんなさい、凛子ちゃん」


 というか……そうだな。

 何気に、自分のことを『召使い』なんて称する凛子のほうが、実は俺の横に並びたがっている傾向にある。承認欲求も強い。

 でもそれと凛子が抱いている自分自身への女性としての自信の無さというのはまた別の問題で……これまたとても複雑だ。


「それで岡崎。悪いがお前は同じパーティには入れられない。それは我慢してもらうけど良いか?」

「へっ? うん、もちろん。アタシは大会だかの助っ人っしょ?」

「そう。悪いが大会まで付き合ってくれ」

「はいよぅ、任せて任せて!」


 よし、こんな感じで良いだろう。


「――兄さん」


 この中で俺と一番長く時間を共にした、大切な家族……互いに互いのことを知り過ぎて、一周回って他人よりむしろ理解が進まないやっかいな妹が、妙にフラフラとした足取りで会話へと割り込むように声を掛けて来た。


「どうした?」

「今、死にます……」

「お、おい? 急にどうした? さっきの頭の傷かっ!?」

「兄さん、お忘れですか……未は、夜型です」

「――ああ! 未にとっては今って深夜状態かっ」


 今はどれぐらいの時間だろう?

 EOEの世界において、月と同じように太陽もまたその位置する角度で時間を示していると仮定するなら、ほぼ真上にある太陽から察してちょうど正午頃という理屈になる。

 つまりリアルでは俺が登校するぐらいに未はいつも寝るのだから、すでに今は就寝時間を4~5時間は過ぎているわけだ。


「昨夜……大変だったので……」

「?」


 その言葉の意味は良くわからないが、しかしそれでなくても昼間に外出したり、知らない人と会ったり、さっきは神奈枝姉(KANA)さんと戦ったりもしている。

 もはや精根尽き果てそうなのは想像に難くなかった。

 道理でさっきから静かなわけだ。


「凛子、ごめん」

「あ。うんっ」


 引かれていた凛子の手を離し、遅れつつあった未に駆け寄った。


「そういや直射日光を浴びているけど大丈夫か?」

「ええ、それは……しょせんゲームの中、ですから」


 色白で肌の弱い未は、直射日光を長い時間浴びると赤く腫れあがってしまう。

 元々はそれが学校に行けないひきこもりの生活が始まった理由。

 ちなみに俺もあまり長い時間の強い日光は……例えば海水浴やマラソンなんかは避けたほうが良いのだが、EOEで特に症状が出たことは無い。

 だからこれは心配というより、未も同じかの確認の意味が強かった。


「兄さん……もう無理」


 相変わらず無表情のまま、そうあっさり絶望的なコメントをする未だった。

 パッと見では全然大丈夫そうだが、しかし未がそう言う以上はたぶん本当に限界。あと数分もしないで倒れるのだろう。


「未、すまない。ここは悪い意味で見晴らしが良すぎる。せめて向こうに見える森林があるところまで起きててくれるか?」

「…………わかり、ました」


 小さくうなずくとゆっくりと再び歩き始める。


「ああ、言い方が悪かったな。起きてるだけでいい」

「?」

「俺が未をおぶって行くよ」

「実の妹相手に…………いやらしい」

「おいおいっ。おぶっていくのは別にいやらしくないし、そもそも赤の他人なんだろ?」

「…………そう、でした。うっかり、してました」


 ふらふらと頭が泳いでる。ああ、こりゃ本当に秒読み状態だな。


「ほら」


 俺はしゃがんで背中を未に見せると。


「未が他人なら……お姫様抱っこが良いです」

「ワガママ言うなよ。無駄に疲れるだろ」

「……はい。ワガママ、言いません」

「お?」


 素直な未のその反応の理由はもう知っているが、しかしやっぱりちょっと戸惑ってしまう慣れてない俺。


「……触ります」

「どうぞ」


 静かに俺の背中に身体を預けてくる。

 他人のはずなのにな。未のほうがむしろ慎重そうだった。


「よ、っと」

「……そんな重そうにしないでください」

「実際それなりに重たいし」


 身体の弱い未は華奢で折れそうなぐらい細いけど、いかんせん一般の女の子の平均よりやや高い背丈によってもたらされるその体重は、かなり小柄な凛子の比じゃない。

 もう少し言うと、今の俺ってステータス最弱だしなぁ。


「……」

「こ、こらっ!?」

「こうしないと、落ちてしまいます」


 背後から俺の首に腕をまわして頭部を抱きしめると、ぐりぐりと露骨に身体を押し当ててくる未。


「ほら兄さん……お尻に手を当てて支えないと、落としてしまいますよ?」

「当てない、当てない」


 膝の裏に手を回すと、軽く気合いを入れて未を背にして立ち上がる。

 本人の意図はさておき、しっかり密着して一体化してくれているから思っていたよりかは重く感じなかった。


「よし、行こうか」

「うんっ」「はーい」「へいっ」


 これなら数キロぐらいなら耐えられそうだと自分の体力に目算もつけられて、すぐに歩き始めた。


「……いやらしい」


 首に抱き付きながら、歩いている俺の耳元へと俺にしか聞こえない小声でそんなことを囁く未。


「兄さんが上下に動く度に、未の身体の色々なところがこすれて……本当にいやらしい……」


 まあ当然のことながらガン無視である。

 実の妹をそんな性的な目で見たり意識したり、しない。


「兄さん……未が服を脱いでいた時に入って来て……あの時、胸元をいっぱい見てくれましたよね……あれが今、ここに当たっていますよ……?」


 見てない、見てない。

 あの時は特に努力する必要もなく、まったく見てないし。


「……もしかして実の妹相手に興奮したりしてませんか? そんなの最高に気持ち悪い、ただの変態ですよ……?」


 本当に好き勝手やってるなぁ。

 誓約をフル活用して自分に『素直』になっている未は、心のたがを外してその自由を謳歌していた。

 ……まあ、これが今までの抑圧の反動と言うなら、少しぐらいは我慢――


「お望み通りのことをして、ちょっと黙らせてみませんか? 調子付いているこの妹もしょせんただの処女ですから、きっと『もうやめて』って泣き出しますよ……?」


 ――……いい加減にしろ。おい。


「うー……」


 嫉妬心が強い凛子のその非難の目も、今は良い助け船だった。

 ノリノリな未を無視してすかさず話し掛けることにした。


「凛子は昨日やっただろ? しかもお姫様抱っこだったろ?」

「ふえっ!? いつ!?!?」

「俺の部屋でアルバム眺めていた時。そのまま寝潰れたのは記憶に無いのか?」

「う、うん……何も――……ふあっ!?!?!?」


 突然そんな突拍子もない調子で大きな声を出す凛子。


「…………」


 あ。

 ここにも、今にも死にそうな女の子がひとり発生していた。

 言わずもがな、深山玲佳その人である。


「こ、香田君……今…………何、て……?」

「えーと」


 さて。参ったぞ、これは。


「深山さん……ごめんなさいっ!」

「ううん……別に……あは、はは……気にしないで……そ、そう。凛子ちゃん……香田君のお家で……お泊り、したんだぁ……お姫様抱っこ……ア、アルバム、いいなぁ~……」


 顔は真っ青で、目は虚ろ。声まで裏返っている。

 ……よっぽどショックなのだろう。

 普段の深山とはまるで別人みたいだった。


「……凛子ちゃんばっかり、ずるい……なぁ……」

「深山さん……ごめん、なさい」


 今にも泣き出しそうな深山の震えた声。

 でも一考した俺は、それには安易に同調しない。


「おいおい。凛子は雨に打たれてびしょびしょだったし……そもそも深山はこの世界から出られないんだから、言っても仕方ないだろ?」

「……はい」

「ちゃんと、話はしておいてあるから」

「はい?」

「今度は深山を俺の家に連れて行くこと、ちゃんと俺の親に説明してあるから」

「――……っっ……!!!」

「うんっ、そうそう! 香田、確かにそんなこと言ってたっ」


 これを提案したのは凛子なんだけど……それを深山に伝えるべきか凛子本人にアイコンタクトで確認してみるが、すぐに首を横に振って凛子は『必要無い』と否定してくれていた。


「そこまで非難するんだから、今さら深山に拒否権は無いぞ? ログアウトしたら嫌でも来てもらうぞ?」

「も、もちろんです……!!」


 一気に顔色を良くして即答してくれる深山。そしてすぐに頭を下げて。


「あの。凛子ちゃん……さっきは『ずるい』なんて身勝手なこと言っちゃって……ごめんなさい」

「あははっ……面白いね?」

「え?」


 凛子は後ろで自分の腕を組んで、少し首を傾げて優しく笑っていた。


「ううん。私こそ、深山さんにあやまらないとっ」

「……どうして?」

「私も……深山さんばっかりずるいって……そんなこと、言っちゃった」

「わたし、ばっかり??? ずるいって?」


 それでなくても大きな深山の瞳がまんまるになってる。


「香田、いつも『深山が、深山が』って深山さんのことばっかり心配してるんだよ?」

「……嘘」

「あのねぇ……香田がどれだけ深山さんのために全力で頑張ってるか、ちゃんと深山さん自身はわかってるのっ?」

「……」


 黙ってしまう深山。


「今、こうしてEOEに来てるの、深山さんのためだよ? 大会で優勝するなんてムチャクチャな目標立てて頑張ってるのも、仲間を集めてるのも、ぜーんぶ深山さんのログアウトをちょっとでも早めるためだけの理由なんだよっ???」

「……はい」

「そこをもっと理解して、自覚しなきゃ……香田、可哀想だよ……?」


 いや。俺自身はそこに不満は無いんだけどな?

 深山は俺に対してちゃんと感謝してくれている。そこに疑問や不安も無い。

 だから『可哀想』なんて表現には正直、反論を唱えたいけど……たぶんそれは無粋なのだろう。

 きっと凛子も俺と同じように深山の様子がおかしいことを察知している。だから単に『ごめん』と謝るだけに留まらず、真に深山のためになることをこうして伝えているのだと理解した。


「……」

「ほら、深山さん。香田に大切にされてること、ちゃんと自覚してっ?」

「う……うん……」


 ちらちらと俺のほうへと視線を送る深山。

 それは俺に何かの反応を求めているというより、『迷惑そうにしてないかな?』みたいな確認作業に思えた。


「深山さんは、香田に大切にされてる! はいっ、復唱!」

「えっ!? わ、わたしは……香田君に、大切にされてる……?」

「声が小さーいっ、もう一回!」

「は、はいっ。こ……香田君は、わたしを大切にしてくれてる……!!」

「ん。それそれっ」


 きっと凛子は、俺なんかより深山の心が手に取るようにわかるのだろう。

 どんな気持ちで、どういう言葉を必要としているのかよくわかっている。そんな感じ。

 だから俺もそれに乗っかって――


「ああ。俺は深山が大切だ」


 ――ちゃんと伝えた。


「ふぇ……っっ……ほ、ほんと……ですかっ……!?」

「本当だよ。最優先にし過ぎて、そこの凛子を泣かせちゃったぐらいには」

「えへへっ」


 ばつの悪そうな顔で笑う凛子。


「ありがとう……ございます……っ」


 目じりに涙を浮かべ、深々と深山は改めて頭を下げてお礼を伝えてくれた。

 実はこんなの、深山をどうしても助けたいという俺自身の都合でしかないんだけど……でもそんなことはやっぱり深山には関係ない。


「どういたしまして」


 深山の望む俺でありたい。

 だから居心地は悪いけど、そのまま甘んじて言葉を受け止めた。

 これでこの件は一区切りついたように思う。


「そうそう。深山さん、深山さん~! 香田のアルバム、本気でヤバイからっ。超~楽しみにしてて良いよっ!?」

「も……もうっ、凛子ちゃんずるーい! 自慢ですかっ!」

「えっへっへっ」


 そういやこのふたり、以前と比べて自然な感じのやり取りになってきたと思う。すごく良いことだ。


「……ねえコーダ。ちょっといい?」

「ん? 何だ、岡崎」

「あのさぁ……ほんとにその何とか大会とかいうのに優勝とかできんのぉ? アタシやコーダって、レベル1の初心者じゃん?」

「する。そして深山を助ける」


 断言している俺に飽きれているのか、ほにゃほにゃと何か言いたげな微妙な表情で苦笑いしていた岡崎だった。


「えーと……ごめ。そこがちょっち繋がって来ないっつーかぁ……」

「――ああ、そっか。説明不足で悪かったな。ほら、未も聞いて?」

「ぅ……ん?」


 いつの間にかうつらうつらと意識を薄めていたらしい背中の未も、そんな小声で返事してくれた。


決闘デュエル大会っていう、正確には九日後にあるチーム戦のイベントで優勝するのが、この集まりの目標だ」


 昨日――そう、まだ昨日なのだ。

 あのEOEの更新の日、ラウンジで『えりりん』と名乗る解説者が伝えたルールのことを思い出していて、内心そっちに素で驚いていた。

 まだあれから暦の上では一日しか経過してないとか……とんでもない密度である。

 EOEを始める前のぼんやりとしていた何でもない日々の体感時間と比較して、もはやこれは呆れるレベルだった。


「優勝……というか、第1位となったチームの代表者には、このゲームのルールについて意見を言える特別な権利が与えられる」

「……何、それ」


 プレイヤー個人がゲームデザインやシステムに介入出来るとか、確かに聞いたことも無い。どうやら開発・運営側との相談というか承認も必要みたいだが、しかし一歩間違えれば糞ゲー待ったなしだ。

 だからその未の反応はすごく理解出来た。


「それを使って、ログアウト出来ない深山を救うための、何らかのルールの改正か追加をしたい。それが最終目標だ」

「――……皆さん、どうかお願いします」


 ふと見れば俺の横に立って、深山は最敬礼で頭を下げていた。


「そのためには、まず街へ向かって装備を整える。ゲーム内通貨はたっぷりと用意しているし、素材も集めている」

「お~っ!? マジか、コーダお金たっぷりかよっ!?」


 岡崎が目を輝かせて声を上げていた。

 この卑しい犬めっ。そういう素直なのは嫌いじゃないぞっ。


「同時に、新しい深山の魔法を創りたい」

「……創る?」


 背中の未がぼそりと問う。


「そう、創る。以前も俺オリジナルの魔法を創って、それでランキングも三位に入ったんだ」

「その香田君の魔法をわたしが唱えて…………この有様、です」

「このアリサマって??? 何も無いけどぉ?」


 そう。岡崎は間違いなく深山の四門オールアラウンド円陣ゲート・イン・ザ・火竜サークルドラゴンを目撃していない。

 何故なら唱えた当日の夜、凛子と共にログインしに来ていたからだ。

 なので番組内の解説者えりりんによって『すごい魔法を使った』という断片的な情報だけを岡崎は把握しているぐらいの認識だろう。


「あはは……うん。何も、無いね……?」

「岡崎。ここは森だったんだよ」

「ほへ?」

「深山がここらへん一帯のすべてのプレイヤー、モンスターと共に森も一撃で消し炭にした」

「……はい」


 神妙な顔つきでうつむいて、隣りの深山もうなずいていた。

 たぶん内心では『そして香田君も消し炭にしちゃったんだよ……?』なんて考えて猛省しているんだろうなぁ。


「す、すっげぇ~……深山、魔王様かよっ!?」

「ううぅ……」

「いや、魔王じゃなくて『殲滅天使』だってさ」

「えー。私っ、『ジェノサイド姫』って聞いたよ~?」

「じぇ……じぇのさいど……」


 深山が泣きそうになってるのでこれぐらいで止めておこう。


「でもでもさ。じゃあ深山のその魔法で大会も一発じゃん?」

「そうでも無いんだ。たぶん強すぎたからだと思うが、規制が入って、もう同じようにはその魔法は撃てなくなってしまった」

「あちゃ~……」

「そもそもアレは前準備がやたら長いし、敵・味方関係なく巻き込むし、動きの遅い個体向けの魔法だから決してチーム戦向きじゃない。なのでダメージ軽くて良いから、もっと連射が利いて命中率高くて複数の素早い敵に対応出来る、そんな新たな魔法を創りたい」

「おーっ、香田かっくいーっ!!」


 それに声を上げたのはノリノリな凛子のほうだった。


「チーム戦だからな。けん制や削りに深山の魔法を使って……要となる敵リーダーへの最後の一撃(フィニッシュブロー)はこの凛子が弓で担当する」

「え。う、うんっ」


 凛子の肩に手を置くと、びっくりしながら慌ててコクコクと何度も凛子がうなずいていた。


「リンの弓は……本当に、この惨状を造り出すようなレイカの魔法より強力なんですか?」

「惨状……」


 いちいち反応して落ち込んでる深山には悪いが、そこはスルーして俺はうなずいた。


DPS(ダメージ効率)で言うなら深山だろう。ただし射程と一撃の貫通力、速度については段違いで凛子だ。結果的にこのゲームの人気職である魔法使いに対するメタにもなっている」

芋砂スナイパー……嫌い」

「うー……香田っ。未ちゃんに嫌われちゃったよぅ!?」

「ははは。まあ近接大好きっ子の未からすれば天敵に近いからなぁ」


 ぽむぽむ、と程良い高さにある凛子の頭に手を置いてついつい笑ってしまった。


「まあそんな感じでウチの主砲ふたりを守るのは……未に頼みたい。こういうチームが踏み込まれたら簡単に総崩れとなるのは、いつも特攻している未なら逆の立場から理解出来るだろ?」

「ええ……守るのは、構いません」


 少しばかり何か含むものがありそうな未のニュアンスだった。


「そういや未。無事に職業を選べたんだな?」


 服装は一般市民とさほどかわらない白い布のワンピースだったが、しかしあの大剣を所持して振り回していたことだけでもその事実は確かである。


「ええ……でも兄さん。このゲームのインターフェイスって非常に使いづらいですね」

「どうしてだ? 視線誘導とか、すごい直感的じゃないか?」

「まるでマウスの感度(DPI)が3200ぐらいある感じで……すごくイライラします……」

「3200ぅ!?」


 俺じゃなくて、凛子のほうがびっくりしていた。

 そう。凛子と未は似た者同士って以前に俺は内心で判断していた。それは自分を『汚い』なんて思ってる自虐性や、あるいは『妹』という家族での立ち位置なんかを指してそう称していたけど……さらにゲーマーなところなんかも共通点として追加出来そうだった。


「凛子、3200って? たぶん速度のことだとは推察できるけど」


 マウスの設定なんていじったこと無いから、その未の例えはいまいちピンと来ない。


「んーと……普通のマウスって、たぶん800ぐらいなの」

「感度四倍かよっ」


 つまり例えば、マウスを8cmほど動かせば画面の端から端ぐらいまでカーソル移動出来ると仮定して……未はたった2cmで同量動かせてしまえることを意味する。

 メチャクチャだ。ちょっと触れただけでカーソルがあっちこっちに暴れまくるだろ、そんなの。


「確かにそれはイライラするなぁ」

「もしかして未だけなんですか……腹立たしい。キャラメイクに、ものすごく時間掛かりました」


 赤色が赤外線の読み取りに支障をきたす、というN.Aの仮説で言うなら……少し赤み掛かったブラウンの瞳の俺は『ほんの一回り』範囲が狭くなる程度のごく小さな影響であり、真っ赤な未の瞳は『根本的な読み取りエラー』の状態なのだと察した。

 結果、意図せず暴れまくる超絶過敏なカーソルとなったみたいだが、しかし勢い余ってかむしろ容易に画面端まで吹っ飛ぶのだろう。無事に『承認ウィンドウ』は表示されて選択することが出来たようだった。


「服のコーデ……もっとこだわりたかった……」


 ぼそりとそう耳元でぼやく我が妹。

 確かに自分で服を作るまでのこだわりを見せる未がただの白のワンピース姿ってのは、らしくない。


「そういや服は良いとして、防具はどうした?」

「……? 初期装備には武器しかありませんでしたが」


 一瞬、最初はそんなものかとも思ったけど――いや違う。

 一般市民であった俺ですら、原口に壊されるまでは防具が備わっていた。

 同じくレベル1だった深山も、鈴木も岡崎も久保も、全員それらしい防具を身に着けて現れている。


「あー……狂戦士っ!」

「凛子ちゃん先生。それも解説を頼む」

「はーいっ、えへへ~。えっとね……マイナーな職業だから軽い知識しかないけどね? 確か戦士が筋力に極振りするとその職業になっちゃうの」

()()()()()……?」


 まるでそれじゃ、ペナルティみたいに聞こえる。


「うん、なっちゃう……たぶん戦士にとって筋力っていうのが一番重要なステータスだから、みんなそればっかり高めることにならないように、こんな設定にしたんだと思うんだ」

「それで? 具体的にどんな設定――」

「――腕部分のみ、です」

「うん?」


 俺の問いには、未本人が答えた。


「筋力による重量ボーナスの補正は腕にのみ発生する……とあります」

「はい!?!? つ、つまり……えーと。胴体に防具とか、重い装備が出来ない……???」

「そのようですね……どうやら全身に装備する分の重量キャパシティがすべて腕だけに集中されているようです。このテキストを読む限りでは」


 相変わらず淡々と答えてる未。

 どうやら苦労してカーソルを合わせ、職業スキルのテキストを実際に読んでいるようだった。


「な、なるほど……それ、確かに筋力極振りは回避したくなるぞ」

「近接職なのに、防御最低になっちゃうもんねぇ」


 苦笑いし合ってる凛子と俺を尻目に――


「……素晴らしいです。文字通り狂戦士バーサーカー。期待通りです」


 ――うっとりしている、やっぱり頭おかしい俺の妹だった。


「どうしてそうなる……これ、立派なペナルティだろ??」

「兄さんこそどうしてそういう発想になるんです……? 最大級に強力な武器を手にすることが出来るわけじゃないですか」

「いや、俺。タンクになってくれってお願いしたよな???」

「ええ……やります。ちゃんとヘイト集めて、全員を守れば良いんですよね?」


 つまりそれって。


「当たらなければ……それで良い。殺される前に殺せば、問題ないです」


 自信たっぷりにそう断言する俺の妹。

 さっきデコピン一発で気絶スタンしたくせに、よく言えたもんだ。


「……参った」


 魔力容量極振りの深山もそうだけど、どうしてウチのメンバーはこうも尖ったキャラばかりなんだ……?

 一般市民にツイン魔法使いに弓師という偏った構成へ参加する、防御力皆無な狂戦士。

 奇しくも守りガン無視な超前のめりの『バ火力』チームが出来つつあった。


「あ……兄さん。ついでにですが」

「うん?」

「狂戦士には<狂撃乱舞(バーサーカーモード)>という傷付くほど強化バフされていく時間限定のスキルがあるのですが……発動中は強化バフするほど自分の意思で身体のコントロールが困難になって行きますので、そこはよろしくお願いします」

「それ、ダメじゃん!? みんなを守れないじゃん!?」


 もはや俺はツッコミぐらいしか入れられそうに無い。


「ど、どうした未っ!? いつもは淡々と作業をこなす効率重視だったお前が、らしくないだろ??」

「攻撃特化は…………ダメージ効率良いです」

「タンクの効率はどうしたっ!?」

「……」

「黙られるとわからないぞ。怒ってないからちゃんと説明してくれっ」


 それでなくても声から感情が読み取れないのに、今は背負ってるからその瞳からの推察も叶わないのだ。

 だからこうやって言葉で直接問い詰めるしかない。


「……カッコ良かったから」

「うん?」

「傷つくほど強くなるって……カッコ良い」


 ぎゅっ。

 俺の首元を締め付けるように未が強く抱きしめていた。


「カッコ良いって……お前」


 その意外な言葉に唖然としてしまう。

 ……もしかして俺はずっと、勘違いしていたのだろうか?

 実は未って、ロマン派だったのかも――と、その可能性にようやく気が付いた。

 『ゲームとしての駆け引きなど排除した正確無比なコントロールで繰り出される、短時間での封殺』。

 例えばFPSのミリタリー物なら単身で敵勢力に突っ込み、有無を言わさぬ瞬時の散弾銃で死体の山を淡々と築き上げていた。

 例えば格闘ゲームなら逃げられないように懐に飛び込み、相手が対応出来るまでひたすら有効な同じ攻撃を続けて、半ばハメ状態に追い込んで連勝を重ねていた。

 その一見すると淡々とした作業のような冷血なまでの効率重視なプレイスタイルという見方は……雑談すら交わさない寡黙さも含めて、単なる表層的な結果からくる誤解でしかなく、中身はやっぱりロマン溢れる15歳なんだと今更ながら理解した気がした。

 ――なるほど。

 特攻近接マニアなのも、それはそれで一種のロマンなのかもしれない。

 良く考えたらどっちの例えも、ハイリスクハイリターンだ。

 傷を恐れない勇気がそこにはある。

 フェアな読み合いや駆け引きじゃなくて、切るか切られるかというスリルにゲームとしての面白さを見出しているだけ。

 だから『芋砂スナイパー』なんてローリスクさを追及するスタイルは全否定なのだ。


「……傷つくほど強くなる、か」


 傷を恐れない勇気。

 そこに憧れた未の心の根っこの部分を軽く想像してみる。


「兄さん」

「ん?」

「素直に何でも話す未は……嫌いですか」


 さっきの『カッコ良いから』とロマンを語る話も、この質問もそう。

 あの誓約が未に作用しているのは明らかだった。


「…………いや、それ好きかも」

「嬉しいです」


 また、ぎゅ……っと背後から抱きしめられる。

 別に他人に強制されているわけじゃない。

 むしろ未本人の素直な気持ちで、今のこの状態がある。

 つまりあの誓約をわざわざ書いたこと自体もそうだが、未なりに何か素直に話すキッカケが欲しいと日頃から考えてくれていたのかもしれない。

 ……そんなの、泣きたくなるほど嬉しいに決まってる。


「兄さん……に、こうしておんぶしてもらえるの……懐かしい……」

「確かに、そうだな」


 たぶん未も同じ情景を思い出しているのだろう。

 暮れなずむ空。伸びる影。淡い記憶。


「小さい頃、外に出たいって未が言い出して……でも途中で具合悪くなったりして、こうやっておぶって家まで帰ったこと、何度か――……うん?」

「――すぅ……すぅ……」


 とうとう精根尽き果てたみたいだった。

 とりあえずの目標とした森林の目の前までもう来ているのだが、耐え切れず未が寝落ちしていた。


「……安心しちゃったのかなっ?」


 未の寝顔を覗き込むようにして、凛子が優しく微笑んでる。


「ん…………にぃ、に……」


 あれ? それは本当に懐かしいな……。

 未の寝言を耳にして、胸が苦しくなるほどの郷愁に駆られた。

 もちろんまさかここで涙を出すわけにも行かず、くすっ……と鼻で笑って込み上がる自分の感情を上手くやり過ごす。

 辛辣な言葉を並べ、あるいは挑発的な発言を繰り返して、何度も傷つきながらそれでも俺に踏み込んでくる未。決して異性として受け入れることは出来ないけど……でもやはり、妹として心から愛していると、改めて自覚した。


「――うっわ! すっごい不自然……何これぇ?」

「ん?」


 岡崎の声を受け、ふと我に返り目前を改めて確認する。

 緑の深い森林が目の前のとある一線から先、唐突に広がっていた。

 ここには草原から林、林から森……のようなグラデーションが一切無い。

 確かにこれはあまりに不自然。

 パッと見では真っすぐだが、左右の広がりを確認すればこの境界線が全体として巨大な数十キロにも及ぶ円状に描かれているのは明白だった。


「……ああ、ちょうどここが効果範囲の境界線だったんだろうな」


 魔法の炎というのは、実際の燃焼状態とは違う。

 言うなれば魔法によって現れる炎はその発動を具現化し、高熱のステータスを帯びたひとつのわかり易い『表示』でしかない。

 だから魔法の効果が切れた瞬間にその『表示』も瞬時に終わって消え、以後、延々と燃え続けるようなことは無い。

 もちろん魔法の高熱ステータスによって周囲の環境物が副次的に熱せられ、そのまま延焼することはあるだろう。

 実際、深山のファイアを利用して焚火をしたこともあったぐらいだ。

 しかしその副次的な延焼もまた、一定の範囲にしか及ばないことをこの巨大な円状の線が物語っていると感じた。

 簡単に言えば、燃え広がる範囲がシステム的に定められている。

 ……まあ、それはそうか。

 でなきゃ誰か炎の魔法を森で撃っただけで、簡単に何度でも山火事になってしまうだろう。


「ね、香田。ここで休憩?」

「そうだな。少なくとも未が起きるだろう夕方ぐらいまではここで身を隠そう。周囲の警戒は俺がマップで確認しているから、安心してみんなも休んでていいよ」


 寝ている未をゆっくり降ろしながらそう話していると……凛子が背中から受け取ってくれた。


「オカザキ~、未ちゃん運ぶの手伝って~」

「へーいっ」


 岡崎もたぶん同じことでも考えてくれていたのだろう。まるで申し合わせたようにすぐに駆け寄り、だらんとしている未の身体をふたり並んで受け止めていた。


「ありがとう。でもいいよ、俺が未も看てるから」

「んーん……これは私とオカザキでやる」

「へ? あ、うん。そうそう、どーんとアタシたちに任せてぇ!」

「いや、そうは言っても」

「レベル8で敏捷性アジリティが香田より上で、遠距離攻撃持ってる私が見張りには適任だと思わないっ?」

「む……」


 さすが凛子ちゃん先生、伊達に俺と連れ添ってるわけじゃないな。

 俺にはこういう客観的な理屈で説得するのが一番だと、良く良く理解しているようだった。


「こういうのは召使いと、勘の良い忠犬に任せればいーのっ!」

「チューケン???」


 自分のことを言ってることだけは直感で察している岡崎が、自分を指さしながら首を傾げていた。


「だから香田は、そこの深山さんとイチャイチャしてくるのっ」

「――えっ、え!?」


 急に振られてびっくりしてる背後の深山。

 そういや本当に大人しいなぁ……もしかして凛子は、ほとんど会話にも入ってこない深山のことを、俺なんかよりずっと気にしていたのかもしれない。


「そーだそーだ! 深山とちちくりあえばいいじゃん♪」


 便乗して忠犬までそんなこと言う始末である。


「ちちくりあうって……お前の語彙ごいの幅が良くわからん……」

「じゃあ、ふたりで魔法を創ってくるってことで、ねっ!」


 別に操作モードでもないだろうに、豪快にウィングして見せた凛子だった。


「あのっ、凛子ちゃん……岡崎さん。気持ちは嬉しいけど、香田君に迷惑――」

「――深山!」

「は、はいっ」


 なんかその先の言葉を聞くと、少しばかり怒ってしまいそうで思わず自分の声を被せた俺。


「じゃあお言葉に甘えて、ちょっとそこら辺でイチャイチャでもしてこようか?」

「え、ええっ!?」

「デートだよ、デート。ほらっ」


 有無を言わさないと、手を差し出す。


「あらやだ奥様……デートですって……私たちそんなこと言ってないのにぃ」

「ほほほ。コーダったらいやですわねぇざます」


 どこの誰だよ、お前らは。


「……」

「深山?」


 ほんとに深山の様子がおかしい。

 元気が無いというか……酷く落ち込んでいるみたいな印象。

 あんなに真っすぐで輝いていたはずの瞳にも陰りが見えて、まるで宝物の宝石に傷でもついてしまったみたいに悲しい気持ちになってしまう。


「ほら、深山!」

「え、あ……は、はいっ……」


 強引にその手を掴んで、森の奥へとそのまま連れ込むことにする。


「あの……香田君……?」


 ――深山を、助けたい。

 自分の中に組み込まれている心のメカニズムが作動していることを、強く強く自覚する俺だった。



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