#048 深山玲佳の物語Ⅱ
これはわたし――深山玲佳が、香田孝人君の恋人になるまでの果てしなく遠い道のりの、まだ序盤の物語。
「――……わかんなく、なってきちゃった……」
まるで砂漠のような何も無い広大な砂地の、大きな岩が連なるその陰で膝を抱えて座り込むわたし。
それでなくても真夜中なのに、さらにこんな場所に隠れているわたしの視界はほぼ暗闇に覆われていた。
「どうしたら良いんだろ……わたし」
足元の砂を手のひらに載せては、サラサラと地に還し……と繰り返しながらそんな自問自答を続けていた。
今、ここに香田君が居ないことは少しだけ有り難かった。
整っていない心で、表情を作って、無理に平気なフリをしないで済む。
もうこれ以上には香田君の負担になりたくない。
……どんなに迷ってても、それだけは間違いないことだった。
「香田君は……どんな風にわたしを見てくれてるんだろ?」
いつも香田君からは称賛の言葉をもらえる。
『すごい』って。『強い』って。
……本当はこんな感じで、独りで悶々としていることが多いのに。
ただ、見栄っ張りで取り繕うのが上手なだけなのに。
これが悪循環の源。
本当のわたしから、次第に乖離しちゃっている気がする。
「本当のわたし……か」
つまり香田君は、わたしを正しく把握していない。
そして同時に、わたしも香田君のことを正しく把握出来ていない。
それが今……わたしにとっての最大の問題点だった。
「……」
ショック、だった。
顔にはおくびにも出さないように努めていたけど……それはたぶん上手に出来ていたけど、でも本当は泣き崩れたいぐらいにショックだった。
「あんなに……いっしょに居たのに、なぁ」
香田君の様子がおかしいことを、わたしは微塵にも察知出来なかった。
クラウン授与式の時も。ラウンジから出て戻った時も。
わたしはずっと隣に立っていたはずなのに、気が付かなかった。
……凛子ちゃんは会ってすぐ、一目で気が付いたというのに。
それは会っている時間の長さなのかな?
それとも、通わせている心の繋がりの深さ?
あるいは――
「――……っ……!?」
わたしは思考を中断して、ハッと我に返った。
――……おかしいなぁ。ここらへんだと思うんだがなぁ?
「……」
誰か、男の人が独り言をつぶやきながら近づいてくる。
わたしは無言で岩陰のさらに奥へと身を隠し、震える手で杖を構えた。
今、香田君の創ってくれた魔法は使えない。
だからどこまで通用するかはわからないけど、せめて呪文の用意をする。
「――……っっ!!!」
杖の装飾部分――上部の宝石から眩しい光が溢れ、慌ててわたしは手に持つその杖をアイテム欄へと強制的に戻した。
たぶんこれは、香田君が言及していた魔法への修正箇所。
『媒体に取り出す』という追加された工程によって、術者――わたしの意思とは関係なく、自動的にこの現象は発生するのだと理解した。
「……ふぅ」
幸い、発見は免れたらしい。
目前まで迫ってきた男の人の気配が次第に遠くなって行くのを確認して、軽く胸を撫で下ろすわたし。
修正となって媒体の容量が二倍になったことを『ずるい』『卑怯だ』とラウンジで誰か叫んでいたけど……本当にそうなのかな?
『媒体に取り出す』という工程が追加されたことによって、こうして自動で勝手に光ってしまうのだから、結果的に呪文を放つ直前という一番無防備な瞬間に否応なく周囲から目立ってしまう。
それって防御力のまったく無い魔法使いにとっては、物凄く不利に働いてしまうんじゃないかな……?
「……」
香田君が戻ってきてくれたら、真っ先にこれは報告しよう。うん。
……喜んでくれるかな?
「もう……わかり易いんだから、わたし」
こうやってポイントを稼ぐことばかり考えている限り、どうやっても凛子ちゃんには敵わない気がする。
それでなくてもあんなに可愛くて、思いやりがあって……お料理も上手で家庭的で、リアルの世界でもふたりきりで会えて、香田君も心を許してて……ううん。香田君の『恋人』で。
わたしが入り込める隙間なんてやっぱり無い気がする。
「……本当に、どうしたら良いんだろ」
また思考が堂々巡りしちゃった。
そう……もうわたしは、ずーっとこの考えに囚われてしまっている。
『そろそろ辞退したら?』って、理性的なわたしが耳元で囁いている。
でも本能――っていうとまるで獣か何かみたいよね。
えーと……『本音』で良いのかな?
とにかくもうひとりのわたしは『そんなの嫌だ』って抵抗している。
どうやったって敵わないのに。
そもそも最初から勝負にもなってないのに。
ただ凛子ちゃんが自分の事情から、香田君の隣に恋人として立つのが怖くて……それをわたしは利用して、割り込ませてもらっているだけの話。
そう、香田君の心は一貫して凛子ちゃんだけを向いている。
恋人として選んでいる。
だからわたしは――
「……もう、どうしたらいいのよ……っ……」
――ずっとずっと悩んでた。
『二番目でも良い』。
そう考えてた……ううん。今もそれは基本変わらないや。
少しでも振り向いてくれるなら――拒まれないでくれるなら、それで良い。
それぐらいには香田君への、わたしのこの気持ちは強固で確かだった。
たぶん、ただの同情だと思うけど……でもあの夜……香田君がわたしに触れてくれた時から、そう確信している。
いっしょに魔法を創ってくれた時は本当に幸せで……もうずっとこのままで良いと思った。
きっと怒られちゃうから香田君にハッキリとは言えないけど、むしろこのままログアウト出来なかったらどんなに幸せだろうって、そう考えた。
「そんなんだから……ダメなのよっ」
深く反省する。
でもその後……調子に乗ったわたしが香田君を巻き込んで殺しちゃって。
好きな人の様子がおかしいこともわからなくて。
凛子ちゃんに叱られて。指摘されて。
……そう。自分が『してもらう』ことばかり考えているって指摘されて、急に迷うことになっちゃった。不安になっちゃったの。
単に、こんな身勝手なわたしという存在は迷惑なだけなんじゃないかなって。
「……逆よね、これ」
凛子ちゃんは以前、自分が『囚われのお姫様を救いに来た王子様』というわたしたちの関係性に割り込んできた邪魔者だって……奪う酷い人だって、謝ってくれた。
だから、わたしにその席を譲ろうとしてくれた。
――でも違う。
相思相愛なふたりの邪魔をしているのは、わたし。
だって香田君は凛子ちゃんを選んでるのだから。もうそれは絶対。
例え神様が反論しても揺るがないほどの、絶対的な判決。
だからわたしは、何度も挫けそうになっていた。
退こうって。辞退しようって。
でも、自分から『わたしなんか』と悲観するのも違う気がして。
……そんな『なんか』と卑下するほど酷い存在を、大好きな人に捧げようという考えこそ失礼だなと思って、踏みとどまっていた。
だってそれ、自分で酷いと思うゴミみたいなモノをプレゼントするようなことになってしまうじゃない?
違う。
自信は無いけど、でも、わたしなりに精一杯気に入ってもらえる努力をして、自分なりの魅力を頑張って引き出して、この気持ちを捧げたい。
わたしを、好きになってもらいたい。
香田君は……その。
凛子ちゃんより。
わたし……と、したい、って、言ってくれた。
性的に興味がある対象は、わたしだと言ってくれた。
……うん、それ、事実。事実だもの。
だからもし興味を持ってくれるなら――…………ああ、ずるい。この考えはちょっとずるい。
認めよう。いい加減、認めなさい、深山玲佳。
香田君と……その。そういう部分で互いの願いが合致、す、するのかなぁ……って、改めてお誘いして。
わたしが香田君の隣に立てる理由が欲しくて――……ううん。なんかこれも、ずるい感じがするわよね……。
「ああもう……考えがまとまらない。酷い」
結論。
香田君はああ言ってくれたけど……結果的には、その。
あまり……応じてくれる感じがしなくて。
わたしのことばかり案じてくれていて……ずっと受け身で。
――それが決定打だった。
わたしが香田君の隣に立てる理由を失ってしまった。
それから先は……こうして独り取り残されてからは、ずっと好きだと伝えることも出来ずに自分の汚らしさに自己嫌悪を繰り返していた、半年前の自分がすっかり蘇って来てしまっていた。
もう事実上、これは失恋だろうって。
迷惑だろうから未練がましくしてないで身を引いたら、って。
これ以上は惨めな思いをするだけだ、って。
……でも好きという気持ちは変わらないどころか、いっしょの時間を過ごすほどにもっともっと強くなってて。
また、いっしょに魔法を創ったりして同じ楽しい時間を共有したくて。
また、あの夜みたいなことを期待してて。
また、キスしたくて。
そんな相反するふたりのわたしがせめぎ合ってて、たまらなかった。
「本当に……どうしたら良いの……わたし」
身を引いたら凛子ちゃん、怒るのかな。
……ううん、そこに期待しちゃってる?
ログアウト出来ないこと、かまわないでって言ったら、香田君怒るかな。
……そうなることを、やっぱり期待しちゃってる?
やっぱりダメだ。そんなことを言い出すこと自体が……わたしの勝手。
今まで苦心して助けようとしてくれた香田君への裏切りだ。
そして何より、そういう憂鬱な話題は香田君の負担になっちゃう。
……今は『恋人』の凛子ちゃんが大変なんだ。
それでなくても大変な生い立ちで……心が傷だらけなのに。
凛子ちゃん自身の手によって香田君を弓で射貫いて……あんなに泣いて。
大切な人を傷つけるあのたまらない気持ち……少しだけわたしにもわかる。
今頃、香田君は必死に凛子ちゃんを慰めているのだと思う。
そんな大変な中でわたしまでこんなグチャグチャな部分を持ち出したりしたら、きっと『勘弁してくれよ!』って感じで、香田君もうんざりだろう。
「二番目は……自重しないと」
そう。香田君からするとわたしは『強い人』なんだ。
真っすぐで高潔で――……あはは。うん。
とにかくそういう人で居なきゃ。
泣いたりして困らせないようにしなきゃ。
……そういうのは、全部、凛子ちゃんに席を譲りたい。
「…………はぁ……今、ぐらい……良いよね……っ……」
『どうしよう』への明確な答えは出ないままだけど。
でも、とりあえず今だからこそ出来ることを、しておこうと思う。
「――……わたしだってぇ……泣きたい、よぅ……子供みたいにっ……好きな人の胸、の、中でぇ……えぐっ……泣きたい、よぅ…………!」
泣いて、泣いて。
溜め込んだモノを吐き出して。それでスッキリして、助けに来てくれる香田君を笑顔で出迎えなきゃダメだ。
「ひぐっ……凛子、ちゃん……ばっか、りぃ……ずるい、よぅ…………!!」
せめて迷惑掛けないように……深山は強いなって、心配しなくても大丈夫だなって思われるような人となるために。
いつか香田君の、頼れるパートナーとなるために。
そう。これはとても前途多難な、長い長い物語。
今はまだ、その序盤――
「こんばんはぁ」
「――ふ、ぇ……っ……?」
不意に、ふさぎ込んで泣いていたわたしの耳へと届く甘い声。
慌てて振り向くが、視界にそれらしき人物の姿は見えない。
「くすくすっ……上よ? ねえ、ミャアちゃん。どうしてチャットをOFFにしちゃうのぉ? 連絡出来なくてあたし、ずいぶんと困っちゃったわよぅ?」
「え。あ……ぁ……」
一番最初に考えたことは、香田君への謝罪内容。
どう言い訳をしようかと悩んでいた――つまりわたしは、それぐらい『逃げる』ということに絶望していた。
「だーめっ、逃がさないんだから」
「っ……!?」
大きな岩の上から顔だけ覗き込んでいたその女の人は、そのまま真っ逆さまに滑り落ちて……地表スレスレで身を翻し、足から着地する。
まるで見えない透明な何かがクッションになっているかのような不自然な動き。
そしてその落下地点はまさに今、無意識に逃げようとしていたわたしの背後――岩の隙間の、唯一の退路だった。
「ふふ……ね? 独りで泣いたりしてどうしちゃったの、ミャアちゃん♪ 孝人くんが居なくて寂しかったのかしら~?」
大人っぽいボブの髪型。グラマラスな成熟した身体に、余裕の笑み。
「……何か御用ですか」
「ええ、少し」
……見違えるはずもない。この女性はランキングの第一位、KANAと名乗るあの人だ。そして――
「奇遇ですね……わたしも少しばかり、アナタには確認したいことがありました」
――香田君を気安く『孝人くん』なんて呼ぶ、腹立たしい人。
相手のレベルは250。同じ魔法使い。
だからたぶん無意味だけど、それでも杖を取り出すと、下手すればわたしの二倍ほども年齢が上かもしれない目前の大人へと宣戦布告として構えた。
「あら。挑戦的で良い目。……楽しくなっちゃいそう♪」
凛子ちゃんの言っていたことはきっと正しい。
……わたしも直感で理解する。『この人は敵だ』って。





