#004 ささやかな追加報酬
「……わかりました。そっち行きます」
『りんこ>ありがとうございますっ……!!』
罠である可能性も、当然ある。
それを想像しないほど俺も馬鹿じゃない。
俺は片手でダガーを構えて、マップを確認しながら慎重に近づいた。
そう、EOEはこうしてマップを絶えず確認していたら、基本的に不意打ちを食らわないゲームだ。
「あ」
邪魔な草木を払いながら進むと道のような少し開けた場所に出た。
そしてそのちょうど境目辺りに、倒れている女の子の姿があった。姿からして、盗賊とか弓使いとか、そんな感じの軽装。
身長は現代だと中学生にも満たないかもしれないと思うほどに小柄だった。
どうでもいいが、肩ぐらいまでの長めのツーサイドアップってのは個人的にかなり好みだ。
「あっ……『香田』さん、ありがとうございますっ……!」
レベル8の『りんこ』さんへとネーム表示が実際に現れるほど近づいたところで、抑えられた声量で彼女が顔を少し上げて感謝の意を伝えてくる。
それに対してまず最初に思ったことは『ずいぶん可愛い子だなぁ』だった。
リアルではどうだか知らないが、少なくともゲーム内の彼女の容姿はアイドルグループのメンバーのひとりだと自己紹介されてもそのまま信じそうなぐらい、愛くるしくて整っていた。
「えと。足……それ」
「はいっ……やっちゃいましたっ……」
たぶん獣にでも噛みつかれたのだろう。右脚が膝から下、赤く染まっている。
動けなくて、だから俺を呼んだということか。
確かに彼女の現状でモンスターと出くわしたら即アウトだろう。
「それで、俺にどうして欲しいわけだ?」
「その……もしお持ちでしたら、食料を分けてくれませんかっ……」
「食料?」
言われてようやく気が付いた。腹が減っていないことに。
というか、この仮想空間で腹は減るのだろうか?
「あっ……初心者さん、でしたかっ……」
俺のレベル表示を見て確信したのだろう。ちょっと恥ずかしい。
「EOEでは、食事をすることで……回復速度、上がるんです……」
見るからに落胆の色が顔から見て取れた。
「ごめんなさい……そんな立派な武器持ってるから、勘違いしちゃって……もしかして防具とかも全部売ってそれ買ったんですか?」
「え。あっ……はは、まあそんなところ……物々交換みたいな感じだけど」
そういや俺、身ぐるみ全て剥がされていたんだった。
このダガーを持ってなかったらかなり貧相に見えていただろうなぁ。
「へぇ…………あの、でしたら……その……」
「うん?」
「せめてもうちょっと……安全なところ、ご存じではないですか?」
「あー……安全かは保障できないけど、数時間仮眠を取って大丈夫だったところなら、この近くに」
「……すみません。そこまで……連れて行ってくれませんか?」
「……」
「あっ、いえ! タダとは言わないですっ! 50E.で……どうですか?」
どうでもいいが、この通貨単位は『エリム』と呼ぶらしい。
「ふえぇ……っ……ごめんなさい、私、スレイヴだからあまり持ってなくてっ」
通貨単位で妙な感心をしていたのを勝手に勘違いしたらしい。
大慌てでそんな謝罪をする『りんこ』さん。
「スレイヴ?」
「えとっ……つまり、こういうことですっ……!!」
そういうと横たわったままのその姿勢で、手の上に白い紙をポップさせていた。
その浮かび上がる白い紙は……そう。誓約紙。
彼女は指でその浮かび上がった紙をつまむと、しばし恨めしそうに眺めて。
「……これ、読んでみてもらえますか……?」
「えーと」
『貴重と思うアイテムは全て<えくれあ>に渡す』
『<ミルフィーユ>から抜けるには<えくれあ>の承諾が必要』
『得た経験値は相手に殴られることで10%ずつ奪われる』
『嘘をつくことは一切できない』
……安易に感想を述べられないほどの、酷い内容の数々だった。
スレイヴ――つまり、本当に奴隷ってことだ。これは。
「これは……酷いな……」
「あうあうっ」
この世界の誓約紙の使い方を、改めて理解した気がした。
そして、アクイヌスの言葉がふと蘇った。
『あるいは、ひとりでも多く経験値を差し出す下僕を増やすべきなんだ』
……なるほど。
つまりこうやってねずみ講のように下から下から吸い上げて、経験値をかき集めることが可能ってことなのか。
それで月に1000万円とか稼ぐ、エグい組織が存在しているってことを暗に意味しているようにも感じられた。
「……どうかしましたか?」
「あ、ごめん。これ見てて無性に腹が立って。他人事に思えなくて」
「香田さんは……いいひと、ですね」
「はははっ。EOE向きじゃないかもしれないけど」
「くすっ」
軽く笑い合う俺たち。
「――いいよ、連れて行ってあげる」
「本当ですかっ!? ありがとうございますっ……!!」
今にも泣きそうな顔でりんこさんが感謝してくれた。
「じゃあさっそく――」
「あ、あのっ、あのっ……!」
「うん?」
手を伸ばすと、ビクッとりんこさんが身を縮ませた。
「その武器……下げてもらえませんか……?」
「え、ああ……でも……」
彼女の主張はもっともだ。
彼女から見たら、俺が危害を加えてくる悪人である可能性を否定できない。
……でも、それは俺にとっても同じわけで。
「約束する……あなた<香田孝人>に私<りんこ>は一切の危害を加えない」
「え、あっ」
まるで契約書のように妙に厳密に言うなぁ、と考えて、思い出す。
彼女は『嘘をつくことは一切できない』のだった。
「<香田>さんの物を奪ったりしない。<香田>さんを傷つけたりしない」
「うん」
彼女の目は真剣そのものだった。
「私……今のパーティは抜け出せないけど、でも、香田さんのこと助けるから。絶対に嫌な思いをさせないように気を付けるから……損させないからっ」
「うん……わかった。ありがとう、そこまで言ってくれて」
同じパーティになることはできない。でも、そんな登録はどうでもいい。
今のこの最悪な状況を打破する仲間が手に入るなら、それで充分だった。
俺は素直にダガーの刃先を下げて、アイテム欄に――
「ううん……香田さんはちゃんとその武器を手に持っていて」
「え?」
「突然モンスター出てきたら、困るもんっ」
「あー……そっか。了解」
俺より先のことをちゃんと考えている人だった。
「改めて。では行こうか。はい」
武器を持たない左手をりんこさんへと差し出す。
「あ……ありがとう、ございます」
りんこさんも俺の手にしがみついて身体を起こした。
「――あ、きゃっ……!?」
「っと」
突然、彼女の足の力がガクッと抜けて再び倒れそうになったものだから、俺はとっさにその小さな身体へと腕を回して軽く受け止める。
「あ、すみません……ありがとうございます……」
「いや、別に――」
と言い掛けて、恥ずかしながら言葉を失ってしまった。
――ふにょ。
二の腕辺りに伝わってくる、信じられないような柔らかい感触。
彼女は華奢で小柄な体格なんだけど、でも確かに伝わってくる。
「……?」
固まってる俺を見上げて、りんこさんは大きく首を傾げて不思議がっていた。
「あの。どうかしました……?」
「い、いや……その」
「?」
凄いな、このVRMMO……などと妙に感心している自分を置き去りにして、そろそろ気持ちを整えることにした。
「ごめん、もうちょっと、その。身体を起こして。胸が当たって正直困ってる」
「え」
自分との接点を改めて見下ろして確認するりんこさん。
『きゃあ、変態っ!!』なんて漫画みたいな大げさな反応は特に無くて、むしろ淡々と『だから何?』みたいな目をしてた。
そりゃそうだ。彼女からしたら乳房なんてのはただの脂肪の塊でしかない。
俺が自分の頬の肉をつまんでも、何も特別な感情を抱かないのと同じだ。
……あぁ……童貞丸出しだなぁ、俺。
でも仕方ないだろ、こんな可愛い子の胸なんだから……とよくわからない討論が内心で展開される。
「……このままでいいですか? この姿勢だと足が楽で」
「じゃ、じゃあこんな感じで」
コアラのように俺の腕にしがみついているりんこさんを解き、彼女の背中に腕を回して体重の半分ぐらいを受け持ち、支えることにする。
「……うん、ありがとうございます」
「すみません」
なぜか謝ってる俺だった。
強いて説明するなら、向こうは全然気にしていないのに、こっちがエロいこと意識している罪、というヤツか。
「……」
「え、何?」
気が付くとじっとこちらを見ているりんこさん。
心が見透かされているような気がして、冷や汗が自然と出てくる。
「香田さんってクールな感じなのに、意外と顔に出るんですね」
「……すみません」
また謝ってしまった。
「くすっ……ううん、なんか安心しますっ」
「ははは……ども」
ゆっくり俺たちはあの岩へと向かうことにした。
「香田さんはお仲間さん、どうしたんですか?」
「え……ああ、うーんと……」
ちょっと考えて。
「ひとりは死んで、残り2人には見捨てられた」
「酷いっ!!」
即答で彼女が俺の代わりに怒ってくれていた。
まあ……実際はもっと酷いのだけどね。
「EOEって奪い合いのサバイバルみたいなところがあるゲームだけど……でもだからこそ、そういう仲間の裏切りだけは……絶対に許せないっ、ですっ!」
「……何か思うことがあるんだ?」
「だって、仲間ですよっ!? 友達ですよ!? そうやって互いを認め合って、許し合ったはずの相手から裏切られるなんて……悲しすぎます。じゃあ、もう誰も信じられないってことになっちゃうじゃないですか……っ」
その瞳には、並々ならぬ強い意志のようなものが灯っているように見えた。
「そっか。そうだね」
「永遠に独りなんて……私は、ヤです……」
それは本当にその通りだと思う。
奪い合いのサバイバルみたいなゲームだと、彼女はそう言った。
そういう過酷な世界観であればあるほど、信頼できる仲間が必要に感じた。
独りでやれることには限界がある。
いや、そんなことより、心が休まらない。
同時に、もし本当に心を許せる友達と……こんな信頼できる仲間と冒険出来るなら、そんな楽しいことは無いとも思えた。
「……りんこさんと仲間になれたら、凄く心強そうだ」
「もう……困らせないでください。私、パーティを抜け出られないんですよ」
彼女を縛る酷い誓約の一文を思い出した。
「ははは。ごめん。ただの俺の素直な感想だ」
「……」
凄く悲しそうに俺をじっと見つめるりんこさん。
それから視線を落として、しばらく考えるような表情をして。
――ややしばらくしてから、いやいやと首を小さく何度も左右へと振っていた。
「ごめん。困らせたか」
「ん……ちょっとだけ」
苦笑いを零す彼女。
「そうやって真剣に悩んでくれただけで凄く嬉しいよ。ありがとう」
「どうしてキミってさ――」
「うん?」
「――……ううん、ごめん、なさい。何でもない。気にしないでください」
はぁ……と小さくため息を落としてうなだれると、うん、と小さくうなずいて、そしてりんこさんは急に真剣な表情になった。
「ね……香田さん。もうひとつだけ……可能なら、お願いがあります」
「え?」
「香田さんは初心者だから、仕方ないと思うけど……このEOEの世界は相手の誓約紙を見せてもらう時って、必ず自分の誓約紙も相手に見せるものなの。これはルールというより常識的なマナー、みたいな感じ」
「あっ」
今さらだが、物凄くアンフェアなことをしていたことに気づかされる。
自分の誓約紙を見せるっていうのは、まさに彼女が実践してみせたように自分の弱みを相手に曝け出すような行為そのものだ。
それを一方的に握るなんてのは、対等な者同士でやる行為じゃない。
知らなかったこととはいえ、たぶん俺は物凄く失礼なことをりんこさんにやってしまっていたのだ。
「ごめん、失礼した。はい……」
俺も自分の誓約紙をポップさせて、りんこさんに見せた。
「――ぷっ……」
「え?」
「やだっ……香田さんも、すでにスレイヴだったのっ? その内容、地味に私より酷くないっ?」
「あー」
『求められた物はすべてを差し出す。』
改めて読むと、なんか妙に恥ずかしくなってしまう。
『自分は愚かです』と証明してみせているような気分だ。
「頼むから……悪用しないでくれよ?」
「しないしないっ、私そんな酷い人じゃないよぅ~! だってそんなことしたら、香田さんも私に好き勝手し放題だもんっ」
「確かにっ」
自然と笑いが込み上がってくる。
弱い者同士、もう笑い合うしかなかった。
「あぁもうおかしっ……お腹痛いっ……だからEOEやめられないっ!」
「ははははっ」
彼女は身体を細かく震わせて大げさに笑っている。
確かにこういう面白さというのは、特別な気がした。
「……こういう単純な馬鹿を騙すの、やめらんないっ!」
「――……うん?」
その言葉を理解するより先に、本能的にサッ……と血の気が引いた。
「とりあえずその立派なダガー、ちょうだい? 私、それ欲しいな♪」
「何、を――」
言葉を発するより先に、自動的に俺の手が伸びる。
抵抗することすらできない。また、あの時の人形になったような感覚だった。
「はい、ありがと。いただきまーすっ」
「嘘……だって、嘘、をつけ――」
「はいはい、次に所持金~! 欲しいからぜーんぶ出してっ!」
俺の言葉なんて聞いちゃいない。
今まで足を引きずっていた彼女は、ごくごく自然にそのまま立って笑ってる。
「…………はい? もしかして、所持金ゼロ?? あぁ……このナイフに全部つぎ込んじゃったってことかぁ~」
そのままダガーを受け取り、装備して、今度は俺に刃先を向ける『りんこ』。
譲渡が終わったからだろう。俺はようやく体が自由になった。
「だって……さっき……嘘がつけないって――」
「ん~。こういうのって成立するのかな~? ね、<香田>の身体を自由に操作する権限が<欲しい>な?」
「ふざけんなっ……答えろよっ!」
「あれれ? あ~、物じゃない『権限』というただの概念を実際に『差し出す』ことは出来ないから不成立かぁ。これ書いた人って頭、悪~!」
あくまでとぼけた様子で笑ってる『りんこ』。
俺はダガーの刃を恐れず、詰め寄っ――
「じゃあこういうのはどう? <香田>の身体を私に<差し出して>?」
「――っっ……!!!」
そう宣言されてしまった瞬間、俺はまた人形になってしまう。
そのまま両ひざを地面について、まるで胸を張るように背中を反らす。
それで小柄な彼女とほぼ同じ高さに目線が並ぶ。
「なーるほど。それが香田の考える身体の差し出しかた、なんだ?」
笑いながら俺へと平手を軽く打つ、りんこ。
「じゃあ次~。<香田>の所持してる『経験値の数』という情報を、声に出して私に差し出して?」
「…………さ、さん、じゅう……」
「ぷっ……可~愛いっ♪ でもきっちり頂きましょうかっ」
そう言いながら俺の手を取るりんこ。
「ね? <香田>の誓約紙を私に差し出して?」
「――……っっ……」
それは最悪だった。それだけはダメだ……それだけは、マズい……。
「…………あれぇ? 出てこない?」
「えっ?」
俺の手からポップするのを待ち構えていたりんこは、小さく首を傾げてる。
「あ~。誓約紙だけは『奪うことが出来ない』っていう固定アイテムだっけ! えーと、じゃあ『誓約紙を好きに書く権利を差し出して』……うーん。これもただの概念だから無理なのかぁ」
ぺちぺちと好き勝手に俺の頬を叩きながら、りんこが頭を抱える。
「――ま、いいや。たった30だしこのまま許してあげる♪ 香田の命も奪わないであげるね?」
それは嘘だと、こんな間抜けな俺でも見抜いた。
命を奪わないんじゃない。奪いたくないだけだ、きっと。
さっきスータンと戦って理解した。
この世界で生き物を殺すってのは、思ったより大変だ。しかも人間相手ならグロテスクで、相応に良心の呵責に苛まれることにもなる。
ついでに俺はレベルが最低で……だからもし人を殺すことで経験値が得られるとしても、文字通り最低のポイントしか得られないから、割に合わないだけだ。
「それじゃ最後に、答え合わせ」
「?」
そう言いながら、りんこは手のひらから誓約紙をポップさせた。
「はい、よーく見て?」
「……無い」
「そ」
最後の1行が存在していなかった。
『嘘をつくことは一切できない』……そんな文章は、どこにも存在してなかった。
「もしかして、ま~だわかってないとか言わないよね??」
「…………わからない」
「はぁー。ダメだキミ。このEOEに向いてないよ? 酷いことされる前に、今すぐログアウトしちゃいなよぅ?」
「もう充分、されてる……」
「あははっ……うん、確かにっ」
ぺしぺし、とまたしても俺の頬を軽く叩いてるりんこ。
「……いい? チュートリアルの内容、ちゃんと思い出して」
そんな優しい哀れみの目で見ないで欲しい。
「こうやって……自分で入力した文章は――」
彼女の誓約紙に、文字が現れる。今、リアルタイムで入力しているのだろう。
『嘘をつくことは一切できない』。
例の1文が浮かび上がるように現れる。
「あ……」
「そ。さすがに思い出したでしょ? 自分なら好きにいつでも消せるの」
りんこが指先でその誓約紙の1文を触れると、一瞬にして滲むように溶けて無くなってしまった。
「えっ」
当然、操作モードからの削除も可能だろう。ならばこういう物理干渉でも消せるのはなぜだろう?
システムや設定関係は、基本的に視線を使う操作モード内での処理になっているのに……凄く違和感があった。取って付けた感じ。
例えば開始直後にトラブル続出で、後付けでその機能を無理やり追加したのだろうか?
そういえば原口も俺の誓約紙へと勝手に書き込む時、指先で紙面をなぞっていたことを思い出した。
「だからもし、香田が今後、誰かの誓約紙を見せてもらう機会があるっていうなら……こうやって、指先で文面をなぞらせることを忘れちゃダメだよ?」
りんこはそう言いながら実際に自分の誓約紙に記載されている、他の酷い文面の数々を上から下へと滑らせるようにゆっくり指でなぞる。
……しかしそれらは、消えて無くなることはなかった。
「ね? こうやってちゃんと、ただの馬鹿か、上手い詐欺師かって見分けなきゃダメだよ? 私みたいになっちゃうよ?」
「……じゃあなんで、さっき、俺になぞらせなかったんだよ……?」
そう。俺もりんこ同様に相手を見せただけで、文面を触ってはいない。
「だってキミ、私になぞらせなかったでしょ? もし見るからに初心者の香田にそこまでお願いするなら、つまり仕組みを説明しなきゃならなくなって、結果的に自分の首も絞めることになっちゃうもん!」
悔しいが、すごく納得出来た。
つまるところ、そこまで頭が回らない俺は馬鹿だって話だ。これ。
「それ、博打だろ」
「うん……博打。相手を出し抜くなら、やっぱりそれなりのリスクを負う覚悟は必要だと、私はそう思う」
その言葉には、不思議と覚悟みたいなものが感じ取れていた。
「例えば買い物するにはそれなりの金銭が必要なように、誰かから何か奪うなら、その奪うものに見合うだけの覚悟を用意しなきゃ、釣り合わないでしょ?」
「話はまあ……わかるけど――」
いまだに引かれたまま固定している俺の右手を、りんこは両手で包む。
「大きな手……正直、力だとキミに敵わなそうだもん……横になって怪我してる演技をしてる時、私、すっごく怖かったよ?」
いや、それはたぶん大丈夫だろうと思う。
りんこよりレベル低いし、そもそもステータス最低だし。
「――だから奪っていいって? リスク負ったから当然の権利だって? 勝手な主張を言ってるけど、そんなの良心の呵責に負けそうな弱い自分を許すための耳障りの良い、ただの言い訳だろ!?」
「……っ」
少し動揺している様子のりんこ。
もう今さらこの劣勢は覆らない。だからこれはせめてもの、ささやかな一太刀。
「じゃあこっちの都合はどうするんだよっ!? こうやって唯一の武器を奪われるのに見合うだけのものって俺にあるのかよっ!?」
「えーと……教訓? あ。私が今、話してることって本当だから後で確かめてみて? それってきっと損じゃない情報――」
「足りねぇよ! 全然足りないっ! もう金もなくて、武器もなくて……そんな知識あっても後はただゲームオーバーになるのを待つだけだろっ!? そんな押し売りの情報、糞も役に立たないっ!!」
「――う……」
この人は、原口と違う。きっとそれなりに常識のある人だ。感情に隙があって、少なくともあんな酷い文面を書かれてしまうぐらいには、常識がある。
「うん……そうかもしんない。ごめん。それでも私、この武器は返せない」
「…………勝手にしろ」
さすがに口先だけでそれを阻止は出来そうにない。
「じゃあ、その。追加報酬……えいっ」
「へっ?」
――ふにょ……。
俺の固定している右手が……りんこの、ささやかな胸に押し当てられる。
「えへへー、これ、み、見合うかわかんないけど~」
「……っっっ」
そのリアルすぎる感触もそうだけど、『触らせてあげる』という能動的な彼女の気持ちのほうに興奮して、上手くコメントできない情けない俺であった。
「えっ、なになにっ? こんな小さな胸でドキドキしちゃってるわけっ!?」
嬉々としてりんこがそう煽ってきている。
してるよっ、悪いかっっ!!
こんなの悔しくて、感想なんて言えるわけもない。
「……そうだね。私って弱くてさ。結構、自分勝手でさ」
「くそっ……そうだなっ」
「香田、本気で心配してくれたじゃん? 信じてくれてさ……ちょっとだけ。ほんのちょっとだけ、このままほんとに一緒に組んで冒険とかしたら、あんなギスギスしてなくて、もっと楽しくプレイできるかなーって思っちゃってさ」
「でも結局騙したろ? そういう自分に甘い言葉で、自分に言い訳するなよっ」
「違う、そういうつもりでこれ、話してるんじゃなくて!」
「?」
ゆっくり、俺の右手がそのささやかな胸から解放される。
つまり彼女は俺と少しずつ距離を取り始めていた。
「あ、いや……そっか。そうかも、これはただの言い訳かぁ。あははっ」
「このまま置き去りかよ」
「うん、安心して。私がいなくなれば、対象の私に身体を差し出せなくなって解消になるはずだから。それが誓約に書かれている命令と、その効果の違い」
もし彼女の話が本当ならば、誓約紙の文章による命令はその文が実際に消えるまで半永久的に続くが、その誓約の文章によって発揮された効果は、どうやら条件が成立しなくなったその時点で解消となるらしい。
つまり差し出す命令文は消えないが、りんこに差し出す効果は消える。
「……なるほどね」
りんこはこうしている間も一歩、一歩と後ずさり、距離を離して行く。
「だからこれは言い訳。香田への言い訳」
「……武器奪う言い訳はもういいから」
「ううん、そうじゃなくって……」
「?」
あはは、と軽く頭を掻いて笑うりんこ。
「ほんと私ってば弱いからさ、そういう未練を断ち切るために……騙す側の人間になりきるために、大げさに言っちゃっただけなんだよ。ごめんね?」
「へ?」
最後に礼儀正しく、深々と頭を下げるりんこ。
「単純な馬鹿、なんて勢いで言ってごめんなさい。本心じゃないです」
最後にそう言い残して、タッ……と駆け出して言った。
視界からりんこが消えた瞬間、俺の身体は突然自由になって……背中からそのまま地面に落ちる。
「はぁ……謝るなら、そもそも騙したことをちゃんと謝ってくれよ……」
大の字になって、朝の空をぼんやり眺めながらボヤいた俺だった。
何を言われたって、どんなに謝られたって、騙した事実は変わらない。
強奪した以上、りんこは敵でしかない。許すつもりはない。
「ははは……」
まあでも、そこまで嫌な気分にはならなかった。
ここは現代社会じゃなくて、魔物が跋扈する異世界。
彼女自身が言ったように、互いに奪い合うようなサバイバル前提の生存競争が掛かった厳しい環境。
――そういうロールプレイなゲームなんだ。
原口のイメージがあるから最悪だけど、『盗賊』なんて職業が公式にあるんだから、相手のアイテムを強奪するぐらい日常のやり取りのひとつだろう。
いつか俺も、立場がかわって他に選択肢もなくて相手のアイテムを奪わなきゃならないシチュエーションが来るかもしれない。
……そう考えたら、ただ、考えが足りなかった俺の完敗って話だ。これは。
必要以上の危害を加えず、むしろ情報まで与えてくれてりんこは、決して原口のような悪質なプレイヤーではないと思う。
「……触らせてくれたしなぁ」
にぎにぎと右手を動かして、感触を思い出してしまう年頃な俺だった。
「――さて、どーすっか……」
とりあえず身体を起こして、あの大きな岩の上を目指そうと思う。
武器として、足元の小石やら棒状の枝を拾っておく。
「もっと最弱が、ここにいましたよ、と」
あれで最悪と思っていたが、まだまだ下があった。
肩には大ケガを負って体力は半分以下なうえに、いよいよまともな武器まで失ってしまった。
今、誰かに見つかったら瞬殺される自信がある。
痛みを感じるこのゲームで、それは正直シャレにならない。
「……さ、見つからないうちに戻ろう」
俺はすぐに道を外れて、草木生い茂る林の中へと身を隠した。