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#045 その席に座る資格

「――……は、はじめましてっ……佐々倉凛子、といいます……おじゃま、してまふっ」


 惜しい。

 最後の最後に噛んでしまったが、しかし演じない素の凛子が極度の緊張の中で頑張って挨拶をしていた。

 それに対峙する父さんはと言うと。


「ああ、いらっしゃい。母さんから話は聞いてるよ」


 それだけ言い残すとさっさと居間を抜けて雨で少し湿った背広を脱ぎに行った。


「誠一さん、お風呂にしますか?」

「いや。皆を待たせているらしいし、先に飯にしよう」


 扉の向こうのそんな俺の両親の会話を耳にしながら、なおも凛子は石のように硬直し続けていた。


「香田パパ……だった」

「へ? あ、ああ」


 ちょっと、よくわからない感想。


「不愛想に見えるかもしれないけど、あれでも父さん、結構歓迎してる感じだからな?」

「う、うんっ」


 普段の父さんなら『ああ』とか『そうか』ぐらいの一言で終わるのは確実だ。元々表情に出るタイプじゃないし、勘違いしないようにそんなフォローを凛子にしておく。


「……凄い、なぁ」

「?」


 何が凄いのだろう?


 ◇


「――さ、お待たせ~! 今夜は麻婆茄子よぉ♪」


 どーんっ。

 テーブルの真ん中へと置かれる、大きな皿に盛り付けられた麻婆茄子の山。

 これが香田家のスタンダード。

 ここから各自の小皿やご飯の上に載せて食べるのだ。

 突然連れて来たのだし、このメニューについての異存は無い。

 食べ残しや汚れる食器の数を考慮しての、この効率重視なスタイルも普段なら特に問題無いのだが……しかし。


「……母さん。お客がいる時は分けて出した方が――」

「お客様? どこに?」

「ほへ?」


 キョロキョロと周囲を見回す母さんの一言で凛子がキョトンとしてる。


「――……その先は言わなくていいから」


 これはもう、臭い台詞が飛んでくること必至だ。


「いーえ。言わないと凛子ちゃんに失礼だと勘違いされちゃうわ! あのね、凛子ちゃん」

「あ、はいっ!」

「申し訳ないけど凛子ちゃんのこと、お客様とは思ってないの。将来の家族と思って『よそいき』は止めることにしたの。だから許してね?」

「…………はい?」

「やーねっ! だから、孝人の、お・く・さ・ん!」

「ふへっ!?!?」


 案の定、凛子が顔を真っ赤にして絶句していた。


「あのさ……母さん。初めて連れて来た高校生の彼女相手に『それ』はずいぶんと重たい発言だと思わないか……???」

「あらやだ。どうする凛子ちゃん? 孝人ったら凛子ちゃんのこと、遊んで飽きたら将来捨てる気満々よぉ!?」

「そんなこと言ってないって!!」

「必死になって否定するとこ、怪し~」

「兄さん……不潔」


 ここぞとばかりに便乗してぼそりとつぶやくすみ

 頭が痛い。なぜ俺が悪いみたいな扱いになっているのか。


「――あのっ……止めてくださいっ……!!」


 ガタッ、と食卓テーブルと対になっている椅子から立ち上がって、唐突に凛子が真剣な声を張り上げた。


「……あら」


 やり過ぎたかしら、と母さんは口元に手を当てて少し驚いてる。


「あの……違う。私、香田の……奥さんじゃない、です。恋人じゃないし、お嫁さんでもない。そういうのじゃ……ない」


 この凛子の言葉を、俺の家族はどう受け止めるのだろう?

 凛子の話は続くみたいだし、俺は静観するしか無かった。


「香田には……もっとふさわしいステキな人が居ます。深山玲佳、というとても綺麗な優しい人です。きっと――」


 ちらり、と俺を見やる凛子。


「――その人が、香田の、将来の奥さんになる人です」

「ええ~? 母さん、そんな知らない人より目の前の凛子ちゃんがいいわぁ」


 凛子は礼儀正しく深々と頭を下げる。


「お願いしますっ……せめて……せめて深山さんに会って下さい。そしてそれから判断して下さい……深山さんに、チャンスを上げて下さい。お願いします」

「…………何か、ごめんなさいね?」


 さすがの母さんもテンションを下げて謝ってくれた。それぐらい深く頭を下げたまま顔を上げない凛子から、真剣な強い意志が伝わっているようだった。


「でも……孝人のこと、好いてくれてるのよね?」

「……大好き、です」

「ん~?」


 腑に落ちない様子の母さん。


「私には……その資格が無いんです」

「……」


 『資格』。

 恥ずかしいばかりだが、その表現で、ようやく俺は凛子の心境を真に理解することが出来た気がした。

 きっと自分の身体のことで、凛子は自分に資格が無いとそう勝手に決め込んでしまっている。

 ……個人的には色々言いたいことはあるけど。でも今ここで話す内容じゃないと判断して納めることにした。


「凛子。座って」

「ん……すみません、でした」


 顔を上げずに凛子が静かに自分の席に座り直す。


「お母さん……ご飯、冷える」

「え。あ、そうね! まずは食べましょうっ」


 こういう時、淡々としている未の存在はむしろ救いだった。

 そのある意味で空気を読まない無感情な一言で、この気まずい雰囲気は少しばかり軽減された気がした。


「凛子ちゃん、と呼んで良いのかな」

「え。あ、はいっ……!」


 無事に食事が始まり、テーブルを挟んで反対側に座る父さんがそこで会話に加わった。


「もう遅い時間だが、家族の人への連絡は?」

「あ、私……寮の生活なので」

「そうか。じゃあ今日は酷い天気だし、このまま泊まって行くといい」


 有り難い。

 俺から切り出そうと考えていた話題を前倒しして父さんから許可という形で口にしてくれた。


「はいっ……ありがとう、ございます」

「ん~。じゃあ未の部屋で寝てもらおうかしら?」


 ちなみに我が家に客間は無い。


「お母さん……私、夜に寝ないけど」

「あら。たまには良いじゃない?」

「意味不明……眠くならないのに、良いも悪いも無い……」


 正直そこが論点で内心結構驚いていた俺だった。

 凛子を自分の部屋に泊めること自体は、構わないんだ?


「ん~……じゃあいっそ、孝人の部屋に泊まっちゃうっ?」

「母さん」


 俺や凛子がどうこう言うより先に、恋愛ゲーム脳の母さんを真顔でそう咎める常識人の父さん。


「……はぁい……じゃあどうしましょう。うーん?」

「あのっ、廊下とかでも別に」

「ダメよぅ!? そんなの絶対に許しませんっ!」


 凛子のその提案は許可しない母さん。やっぱり何だかんだでお客様だった。


「私のベッドを譲って……私が、兄さんの部屋に行けば解決」

「あ! それねっ!」

「え゛」

「……何? そんなに嫌ですか……?」


 冷めたジト目で俺に問う未。


「だってお前」

「もちろん指先ひとつ触れるのも禁止ですからね……?」


 おいおい。

 一晩中起きているだろう未の監視の中で、俺は寝なきゃダメなのか?

 それならいっそ――


「――ああ。それで解決か。うん、未が俺の部屋で一夜過ごす方向で行こう。俺の部屋のパソコン使ってていいから、そのかわり凛子に自分の部屋の鍵を貸してやってくれ」

「……はい」


 相変わらず感情を読むのが難しい未は、無表情のまま静かに小さくうなずいている。


「俺は居間のソファで寝てるよ」

「え。兄さん……何ですか、それ」

「未こそどうした? 俺が居たほうが良いのか?」

「………………居ないほうが、良いです」

「だろ?」


 という訳で凛子が未の部屋で寝て、その間、未が俺の部屋で過ごし、俺は居間で寝る……というリレーのような不思議な対応が決まった。


「あら未、良かったわねぇ? 孝人のベッドとか使いたい放題よぅ!」

「……お母さん。そういう気持ち悪いこと、言わないで」

「母さん。今日の麻婆茄子、美味いな」


 茶化す母さんに、辛辣な妹。そしてマイペースな父さん。

 今日も香田家はこんな風に平常運転だった。


「……」

「凛子?」

「え……あ、ごめっ」


 ごしごしと手の甲で慌てて自分の瞳に浮いている涙を拭う凛子。

 ――そう、涙。凛子は俺たちのやり取りを眺めながら、静かに泣いていた。

 それを当然、家族全員が気が付いていて……だからこそ誰もそれを気にしない風に、いつも通りな会話を続けていた。


「あのっ……香田のお母さんっ」

「うん? なぁに?」

「ご飯……すごく美味しい、ですっ」

「そう、それは良かった。またいつでも食べにいらっしゃい♪」

「はいっ」


 テーブルの下……みんなから見えない物陰で、俺の手を強く強く精一杯に握ってくれていた凛子だった。



   ◇



「――ねえ、香田っ。これはこれはっ!?」

「ん~? ああ、これは家族で父さんの実家に帰省した時の写真だな。俺はこの時、10歳だっけ?」

「きゃわいいい~、きゃわきゃわぁ♪」


 居間の一角にある毛足の長い絨毯ラグの上で寝転がりながら俺たちは母さん所有の昔ながらのアルバムを広げて眺めていた。

 すっかりとリラックスしてて上機嫌な凛子は、まるで猫みたいに身体を擦り寄せ、俺の身体に肩からもたれ掛かっている。

 対する俺は、凛子に気付かれないように取り繕いながらも、今か今かと訪れるであろうトラウマとの対峙に内心で身構えていた。


「何、この……何???」

「ははは。たぶんそれは母さんの趣味の写真だな。着ぐるみとか好きで全国で出会う度に撮りまくってる」


 タコみたいな真っ赤な着ぐるみのドアップ……しかも酷いピンボケの写真を指さして困惑している凛子に解説してあげた。


「ふわっ!? こ、この香田ぁ……尊い~っ!!!!」

「……何だよその『尊い』って表現」


 今度は浮輪をつけて海の浅瀬で泳いでる9歳頃の俺の写真。


「ふへへへっ……お姉さん、この頃の香田と出会ってたら可愛くて仕方なくって、そのまま誘拐(お持ち帰り)してたかもぉ!」

「おいおい、犯罪者か」

「だってぇ、超~可愛いんだもおぉーんっ!!」


 ゴロゴロと寝転がって身悶えしている凛子こそ可愛いと思う。


「それは、俺だから?」

「んむ?」

「誘拐するのは俺の小さい頃だから?」

「うん……香田、だから」


 並んでうつ伏せになってアルバムを眺めていた俺の、胸の下のわずかな隙間に潜り込んで甘えてくる凛子。

 ぴったりと密着している凛子の小さな背中は温かった。


「もういいからYOUたち結婚しちゃいなYO」


 ラッパーかよ。それこそ俺がこの写真の頃にちょっと流行ってた古臭い言い回しで、母さんが遠くから冷やかしてくる。

 ……まあ俺は、別に凛子とこのまま結婚してもいいんだけどな?


「そんでもって早く孫の顔を見せてくれYO」

「うー……」


 つまるところ凛子側の問題だった。

 まるで物陰に隠れるように俺の胸に顔を埋めて小さく唸ってる凛子。


「……凛子、俺の部屋に行こうか?」

「ふぇ?」

「OH! さっそく子作り実践かYO」

「ほら、ここは似非ラッパー(母さん)がうるさい」

「あら酷い扱い!」


 今さら非難する身勝手な似非ラッパーだった。


「……いいの……?」

「もちろん」


 大事そうにアルバムを胸に抱いている凛子の手を引いて、居間から出ることにした。



   ◇



 ――……パチン。


「……ふあああぁ……っっ……!!!」


 二階に上り扉を開き、真っ暗な自分の部屋の照明を点けた瞬間に凛子がそんな感嘆の声を出していた。


「凄いっ……凄いっ!!」

「何が?」

「全部、香田だっ……!!」

「さすがに意味不明だぞ?」


 興奮気味の凛子はアルバムを両手で抱えながらぴょんぴょん跳ねてその感情を表してくれていた。


「部屋からすっごい香田の匂いがしてくる……!!」

「…………何か、ごめん」

「ううん! ヤバイ!!」


 そんな臭いかなぁ……ああ、そういえば雨降ってるから換気してなかったなぁ。


「ほらほら、入って」

「お、おうっ」


 目を丸くして紅潮させて凛子が俺の部屋に入ってくれた。


「こ、これ……全部、香田のモノ!?」

「そりゃそうだろ……俺の部屋なんだから」

「つまりっ、香田が気に入ってるモノや、大切なモノばかりっ!?」

「そういうことになるな」


 妙にこっちまで気恥ずかしくなってくる……。

 そうか。確かに部屋っていうのは言わば自分の心の具現化に最も近い存在なのかも知れない。レイアウトも、装飾品も、転がってるゲームソフトも、捨ててあるゴミすらも、すべて俺という情報の欠片だ。


「なんかすっごい難しそうな本があるっ!!」

「ああ、うん」


 きっと凛子にとっては意味不明な呪文みたいに見えるだろうBIOSとかUEFI関連の本を指さして叫んでる。


「……えっちな本は?」

「ありません、ありません」


 どうして母さんといい、そういうのを所有している前提の話をするのだろう。今の時代、そんなのパソコン――……いや、今はいいな。うん。


「香田の机!」

「ああ、そうだな」

「香田の床!」

「……何がしたい」

「こ、こ、香田のっ……ベッド…………」

「どうだ? 寝っ転がってシーツに包まってみるか?」

「しないよおおぉ!?!?」

「ははははっ」


 ……うん、大丈夫そうだ。

 これなら変な空気になりそうにない。


「悪い。俺の部屋にはふたり並んで座れる椅子とか無いから、ベッドに腰掛けてくれるか? 絶対に凛子が嫌がることとかしないから」

「違うっ……嫌とかそういうのじゃないよぅ……!」

「そうか、それは良かった。じゃあ、おいで」

「う、う……うんっ……」


 俺に手を引っ張られて、凛子が素直にベッドに腰掛けてくれた。


「え、えへへへっ……」


 照れ隠しにそんなぎこちない笑いを漏らす凛子だった。


「――……アルバムの続き、見ようか?」

「あ、うんっ」


 今度は並ぶ互いの膝の上にアルバムを広げて、座ったまま眺めることにした。


「……私、ここの席に座っていいのかな……」

「うん?」


 ぼそりと凛子がつぶやく。


「…………こんなの、深山さんに殺されそう」

「物騒なこと言うなよ。深山がそんなことするはずないだろ?」

「んーん……きっとこれ、深山さんこそ……心から願ってた夢。それを私……こうして今、奪っちゃってる……」


 アルバムを眺めているはずの凛子の視線は、もっと遠くを見ているようだった。


「私は……香田の召使いでいいのに……傍に居るだけでいいのに。深山さんこそ、香田のことずっと好きで、恋人になりたいってきっと思ってて……こんな風に香田の家に遊びに来て、妹さんと仲良くなって……ご両親に挨拶して…………結婚、したいんだろうな、って」


 その言葉を聞きながら、きっと凛子と同じように俺もEOEという世界に今、ひとり取り残されたままの深山の背中を思い浮かべていた。

 もう今はあっちも夜か。

 自分のやってしまった過ちで何も無くなってしまった荒野で……真っ暗な闇の中で、今、深山は何を思っているのだろう。

 どうしているのだろう。


「……凛子はどうして、そう思う? 深山だってまだ俺と同じ高校生で、まだそんな先のこと――」

「そう言ってたもんっ……深山さん、妹さんと仲良くなって、こうして香田の部屋に行きたいって、そう言ってた!!」


 それは誓約によって引き出されてしまった深山のあの言葉のことだろう。

 腹黒女だと思われている、と可愛らしく嘆いていた一幕を思い出す。


「確かに深山って……恋愛というより、家庭とかそういうのに憧れている感じは、あるかもな」


 連想して、あの夜のことを思い出した。

 俺とずっと一緒にいたいって。ずっと隣りに寄り添っていたいと告白してくれたあの言葉を思い浮かべる。


「……あのね、香田……あの時、勝手言ったりして、ごめんなさい」

「うん? 俺の家に来たいって言ったこと? それなら俺のほうが――」

「――そうじゃなくて……あの…………ごめんなさい」


 俺へともたれ掛かるように、深く深く頭を下げて、うつむく凛子。


「取り乱して……子供みたいに泣き叫んで、ごめんなさい。深く反省してます……」


 ぎゅっと俺の腕にしがみ付く凛子の手の力が強くなる。


「EOEに行かないなんて困らせるようなこと言って、ごめんなさい。深山さんのことを大切にしている香田のこと、悪く言うような……酷いこと言ってごめんなさい。もう言わない……そんなこと、もう考えないです」


 ぽた、ぽた……と温かい滴が俺の腕に数粒落ちている。

 でも決して凛子の声は乱れない。強い意志をもって、努めて理性的に話してくれていた。


「いや……そう考えることを封じたりしたくない。凛子がそう思うなら、素直にそう話してくれればそれでいい。俺は凛子を苦しめたりしたくない。もし嫌なら――」

「――行きたいっ!!」


 珍しく俺の言葉を制して、凛子が力強く宣言していた。


「私……深山さんのところ、行きたい! 私も、助けたいっ! それは香田がそう考えているからじゃなくてっ……私が、そう思ってるの!!」


 顔を上げたその凛子の瞳は涙で濡れているけど、でも強い意志を持つ光を帯びていた。


「香田、ごめんなさいっ……! 私、これから深山さんのところに先に行って来る!! ひとり取り残したりしてっ……裏で酷いこと言ってしまったって、ちゃんと謝りに行って来る……!!」

「深山が知らないことなんだ。別にあえて無理に言わなくても――」

「――謝りたいの! 私が、深山さんのところに行きたいの……っ!!」


 どこまでもどこまでも、凛子は本当にフェアであろうとする人だなと改めてそう思った。


「そうか。うん……わかった。ありがとう」


 そして俺は、ちょっと悩む。

 深山の身の安全と、凛子の心のバランス。

 あとちょっとばかり惜しいと思っている自分のこの心も含めて、客観的に正しい判断をしたい。

 もうちょっと、冷静になりたい。


「……まったく、酷い雨だな」


 ちらりと窓から覗く、まるで台風のような強い雨を確認して。

 凛子から指摘された通りに深山が、深山が、と過保護な俺でもそれで判断出来た。


「今夜はゆっくりして行きなよ。明日のログインで深山は大丈夫だと思う」


 今回はちゃんと深山に、身を隠してくれと安全を促している。

 だからきっと大丈夫。

 むしろこんな嵐みたいな暗い夜に、寝ずに長距離を運転する凛子のほうが危険だとそう判断した。


「……でも……」

「凛子の服、まだ乾いてないだろ?」

「ああっ!? うー……」


 もっともらしい理由を付け加えると、凛子はそれでようやく渋々納得してくれた。


「よし……じゃあ、この時間を使って凛子にぜひ紹介したい」

「紹介?」


 凛子が持ってきてくれたアルバムを手元に引き寄せて――


「凛子の、あの席に座っていた人のことを」


 ――俺は、自分からその閉ざされていた扉を開くことを決めた。


「え。……あっ」


 そう。4人家族なのに、あの食卓テーブルには5つの椅子が備え付けられていた。それに気が付いた様子の凛子は小さく声を出していた。

 ……これは良い機会だ。

 凛子が隣に居てくれるなら、きっと対峙出来る。

 そして俺の大切な心の欠片を、凛子にひとつ差し出すことが出来る。

 俺が、どうして今の俺なのか、正しく凛子に理解してもらえる。


「……」


 俺は黙ったままゆっくりとアルバムを開くと……恐る恐る、という感じで1枚1枚ページを開き、ひとつひとつの写真を確認する。


「――……ああ、あった」


 それは、ほぼ正方形で……だからすぐに見つけることが出来た。


「んむ? 切れてる……?」

「そう」


 左端が微妙に斜めで、だから凛子もその不自然さに気が付いたようだった。

 それは遊園地で遊んでいる時の写真。

 その中で笑顔になっている、ちいさな俺の右手の先。

 そこにはしっかりと繋がれているもうひとつの手があった。


「紹介するよ。なる――……あ、いや」


 思わず長年の習慣で変なことを口走りそうになってしまった。

 はぁ……と、一度大きく息を吐き捨てて心を整えると。


「香田神奈枝(かなえ)……俺の姉さんだ」


 見切れている繋がれた手の先を思い出しながら。

 ごくわずかに左端に映っている黒髪のポニーテールの先を指さして、俺は凛子に俺の大事な存在を紹介した。


「香田……あの、香田……っ?」

「ははは。ごめん、こんなの、しか無くて……」


 そう、これが唯一、姉さんがこの世に存在していた確かな証拠。

 ことごとく切り落とされて『無かった』ことにされているこの惨い状態も含めて、俺は長年この姉さんの姿を見てあげられなかった。


「――香田っ……」


 ぎゅっ……と凛子が俺の首にしがみ付いて、力強く抱きしめてくれる。

 そしてそのまま頭なんて撫でられてしまって……まるでそれじゃ、俺が今、泣いているみたいじゃないか。

 泣いてない。俺は決して、泣いてない。泣いているわけがない。

 そんなことは、どうでもいい。


「姉さん……神奈枝かなえ姉さんは、気が強い人でさ……いつも竹刀を片手に庭で稽古してて。当時内気だった俺を、グイグイ引っ張ってくれて」

「うん」

「面倒見が良くて……はは……いや、度が過ぎてて、もうそんな言葉じゃ表現出来ないかなぁ。とにかく俺に小さい頃から『男なら女の子に優しくしろ』って厳しく教えを叩きこまれててさ……」

「うん」

「それを『花婿修行』とか言って……でもそれって結局、姉である自分を優しくしろ、なんてムチャクチャな動機でさ。小学生になったばかりのガキ相手に何を言ってるんだって感じだよなぁ……」

「ね……香田のお姉さん、香田より何歳年上なの?」


 『だったの?』と聞かない凛子は、とても優しい人だと思った。


「えっと……今なら4歳違いかな。8月になると5歳違い。生きてるなら今頃は21歳ってことになるなぁ……」

「……おっぱい、おっきかった?」

「は? はははっ……凛子、面白いこと言うなぁ。もしかしてKANAさんのことでも連想してる?」

「……ん。ちょっとだけ」

「KANAさんとはずいぶん違う人だったよ。性格はもっと強引で、体型もスレンダーで……そもそも年齢が違い過ぎる。全然違う」


 それは、俺自身に対する戒めのような気持ちの乗った言葉。

 KANAさんは違う。姉さんじゃない。

 どこかで同一視したがっている寂しがりやの俺を突き放すため、少しばかり違いを強調し過ぎてしまった。


「――……俺の、せいなんだ……」


 そしてようやく、最後の扉までたどり着けた。


「ん?」

「俺のせいで……俺の過ちで傷つけたせいで、姉さんは、死んだ」

「……」


 凛子は黙って聞いてくれた。

 『そんなことないよ』なんてわかった風なことを言わず、黙ってくれた。


「あの時……手を取ってたら……自分のことだけじゃなくて、姉さんの心配をちゃんとしてたら……あんなことに、ならなかったのに……なぁ」


 深く積もり続ける後悔。

 取り返しのつかない重い過ち。


 きっとこれが、俺の正体。

 深山が、深山がって病的にうるさい俺の心の源。

 あるいは凛子が言う、カリスマホストの本性。

 それを正しく理解してもらいたくて、だから心の根っこの部分を凛子に伝えた。


「そっか……香田、大好きだったんだね……お姉ちゃんのこと」

「――……うん」

「私と、同じだぁ」


 そう言って、再び、強く強く俺を抱きしめてくれる凛子。

 本当に頭が上がらない。どうしてこの人は、こんなに優しいんだろう。


「……うん……うん。そうだね」

「うん?」


 凛子はひとり納得したように何かをつぶやいたかと思うと。


「香田……ごめんなさい……明日、ちょっとひとりでお出かけしてきても良いですか……?」


 なぜか俺の代わりになって泣いてくれている凛子が、申し訳なさそうに眉を下げて俺にそんなお願いをしていた。


「……もちろん。大事な用事でも思い出した?」

「うん……私もお姉ちゃんに、会ってきます」


 真っすぐに俺を見つめる凛子の瞳は、力強い。

 凛子も凛子なりに俺のこの話から得ていたものがあったようだった。

 それだけでもこうして話して良かったと、本当にそう思う。


「そっか。それは確かに、俺はついていかないほうが良いかもな」

「……また土下座させちゃうっ?」

「かも」


 互いにくすっと軽く笑い合って。


「凛子……話を聞いてくれて、ありがとう」

「あっ」


 ――……軽く唇を重ね合い、そのまま小さな身体の凛子を胸の中にしまうように抱きしめる。


「雨……早く上がると、いいね……」


 夢見心地な様子の凛子が、優しく小さくつぶやいていた。



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