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#044 ウサギ

「――孝人ぉ~、お風呂空いたからいいわよ~」

「あ、はーい」


 なんだかんだ言われた通りに結局は軽く自分の部屋掃除した後、余った時間で溜まりに溜まっていたメッセージの山に軽く目を通していた俺。

 もはや『§2A放課後会§』に至っては溜まっているメッセージの数が表示上限を超えていて停止カンストを起こしている始末だった。

 ……普段から教室で顔を合わせているだろうに、どんだけ盛り上がっているんだ。この人たちは。


「とりあえず……」


 読み飛ばして岡崎宛に手短にメッセージを入力すると。


「――ックシュ……うぅ……本気で風邪引きそうだ」


 着替えを手にして自分の部屋を出た。

 もちろん風呂に入る前に着替えてもいいんだが、微妙にすでに半乾きだったし、脱いで、新しい服を着て、また脱いで風呂に入って、また着て……と繰り返すのが作業タスクとして美しくなくて変に無理してしまった。

 ほら、湿ってる身体で乾いてる服を着たら台無しだろ?


「……誰に言い訳してるんだか」


 自分の効率至上主義っぷりに自分で少し呆れた。


「お。凛子」


 階段を降りて脱衣所に向かう途中、扉のガラス越しに居間の凛子を見つけた。

 ニコニコ上機嫌な母さんに背後からドライヤーを掛けてもらっているその最中で、耳元の騒音が凄いのかこちらの気配に気が付いていない。


「ぷ……まるで借りて来た猫みたいだな」


 必要以上に背筋を伸ばして椅子に座り、目を丸くして両手を自分の膝の上に置いたまま、身じろぎひとつしていない。

 ちょっと微笑ましい情景だった。


「あ。すみの昔の服、借りてるのか」


 何年前の服でもオリジナリティーの高いデザインだから見れば一発で解る。

 よくぞ未のやつ、袖通すことを許可したな。


「うぅ……ヤバイ、ヤバイ……!」


 ぶるっ……と寒気から不意に大きな震えが起きて、俺は慌ててすぐそばの脱衣所に飛び込むと。


「――……」

「……」


 そこに、今しがた感心していた我が妹である、未が居た。


「……悪い。未が、入るのか」


 出来る限り自然に、それとなく視線を逸らして手短に謝る。

 まだ幸い全裸ではないが……しかし細かなレースが全面に施されたシルクの真っ白な下着が生々しくて眩しい。

 『汚い目で見ないで』ぐらい罵られ――


「兄さん。人と話す時ぐらいこっち向いたらどうですか。失礼でしょう……いやらしい」

「あ、ああ。すまない」


 ――何も気にせず普通にしてろ、とそっちの方向で叱られてしまった。

 なるほど。

 確かに兄妹間で異性みたいな対応するほうが確かに『いやらしい』。

 俺は謎の気合いを入れて未へと真っすぐに向き直る。視線は決して顔から外さない。外すわけがない。うん。


「って、あれ?」


 目の前で黙々と今脱いだばかりの服を再び着始める未だった。


「兄さん、ついでに背中のファスナー閉めて下さい」

「え。ああ……触っていいのか?」


 未は長い髪を自分で掻き揚げて、無防備な背中の肌を俺に差し出す。


「当然、触っていいのはファスナーの金具だけです」

「お、おう」

「いいですか? 肌とか間違っても触らないでください。汚れます」

「……わかってるって」

「あと服を傷めないようにしてください」

「注文が多くて地味に難しいぞ」


 ファスナーの小さな金具だけ無理に引っ張ると服の生地を傷めそうだ。


「……自分でファスナー閉めるのも難しいとか、なんでこんな構造なんだよ」

「兄さんは馬鹿ですか? そんなの可愛いからに決まってます。正面にファスナーなんてあったらジャージみたいで最悪じゃないですか」


 ジャージ、別に悪くないじゃん。

 全国のジャージ派に謝れと言いたい。

 しかし……。


「……」

「何ですか?」


 ……こんなに未と砕けた会話をしたのがあまりに久しぶり過ぎで、内心で少し戸惑っている俺だった。


「あ、いや。髪濡れてないが……本当に風呂上りなのか?」


 はぁ……。

 物凄~く憂鬱そうなため息を露骨に吐き捨てられてしまった。


「いくら嫌いな兄さん相手でも……濡れて風邪引きそうな人に譲るぐらいの常識はあります」

「あ、ああ……サンキュ……」


 またしても、こうだ。

 心底嫌そうにしているけど、配慮もしてくれる。

 こうして色々と彼女なりに接点を持ってもくれるが――


「いつまでファスナーを持って固まってるんですか……いやらしい」


 ――同時に、こういう苛烈なまでの手厳しさも混在してて、その矛盾に日々距離感が掴めない俺だった。

 いや。もうとっくに答えは出ているか。

 基本的にずっと一貫して、俺を拒絶している。

 その上で同じ家で暮らす者として必要以上の確執が起きないよう、我慢して配慮してくれている。そういう感じだった。


「仕方ないだろ……強引にしたら未の服、痛めそうだ」

「……はぁ。もういいです」


 いつものように淡々とした表情のまま、俺から離れると。


「――……」

「何ですか?」

「いや」


 服を着るのを諦めた未のヤツは、再び俺の目の前で服を脱ぎ始めた。


「……あの人は?」

「え」

「兄さんの連れて来た人」

「あ、ああ……服、貸してくれてありがとう」

「返事になって無いのだけども。……どこで知り合った、誰?」


 本当に珍しい。

 いつもは早々に会話を切ってくるというのに、むしろ今日は自分から積極的に話題を提供してくれていた。


「ゲーム内で知り合った……俺の、恋人」


 ピクッ。

 俺の最後の一言に、脱いでいる途中の未がその動作を静止させた。


「何それ? ネトゲでナンパ……?」


 未の瞳の光が鋭い刃物みたいに俺を貫く。


「知り合ったキッカケがそれってだけ」

「でもリアルで会おうとか、そういう会話あったんでしょ……? ゲームの中でそんな会話するとか、信じられない」


 『そういう人、実際に居るんだ?』と心底軽蔑しているようだった。


「ダメなのか?」

「仮想と現実を混同してるとか……気持ち悪い」

「いやいや。ゲームもリアルの一部だろ?」

「ゲームはゲームです。兄さんは小説や漫画の主人公が実在しているとか、画面の中の女の子と恋愛しているとか……そういう思い込みをする危険人物なんですか?」

「NPCじゃないんだぞ? ゲーム内と言っても相手は同じ人間だ」

「ゲーム内で殺したり、奪ったりしないんですか?」

「…………必要であれば」

「ほら。兄さんもどこかで認めてるじゃないですか。『ゲーム内だからそういう行為が許される』って、架空の非現実性を」


 さすが俺の妹だけはある。

 淡々と一切の感情を載せず、論理的に攻めてくる。


「それはゲーム内のルールに則った振る舞いでしかない。例えば演劇の舞台の上で『人を殺す』という役を演じることは、そんなに『非現実』的なのか? 演じている人間は実在する。それと空想上の二次元のキャラクターを混同して、境界線があやふやなのは未のほうだろ」


 ……何故俺は、半裸で脱衣中の妹相手に熱いトークバトルを繰り広げているのだろう?と頭の片隅で首を傾げつつ、しかし正面から正々堂々と対決する。


「詭弁です。どんなに精一杯に自分を正当化しようとしてても、ゲームはゲーム。その例えで言うなら、舞台の中で『恋愛ごっこ』を演じていただけなのに、自分の役にのめり込み過ぎて、舞台が終わっても『恋愛ごっこ』を現実まで引きずってるだけでしょう?」

「ストーリーがあるなら、その通りだ。でも実際はただのMMOで、何かを演じているわけじゃない。ゲームの中だけど、ひとりの人と出会ったというそれだけの話だ」

「……本気で気持ち悪い。どうせ『エメンタール』とか名乗って、真っ黒な服装で、またいつもみたいに炎の魔法ばっかり使ってるのでしょう……? それのどこがリアルの兄さんですか? 演じてないと言うなら、現実でも『それ』をやったらどうですか?」


 ……なかなか痛いところを突いてくれる。

 EOEでは不具合でそうならなかったから実際は違うが、しかし当初、その通りでプレイする予定だった。

 だから、未のその攻撃は当たってないけど、痛い。


「何度でも言いますが……ゲームはゲーム。人殺しでも強奪でも許される架空の世界で、現実ではありません。あんなドット絵やポリゴンの集合体で現実と混同するとか、理解に苦しみます」

「いやいや。実際に未もEOEをやってみればいい。そうすれば――……」


 ……ふと、目の前の妹がパーティメンバーとして誘うその候補だと今さらながら話していて思い出した。


「……EOE? もしかして兄さん……アレに手を出してるんですか?」

「え。知ってるのか?」

「当然です。そうですか……兄さんは、そこまで到達してしまった変態なマニアでしたか……」

「酷い言われ様だな!?」


 半分はツッコミのようなノリで。

 残り半分は、正直ちょっと真剣に怒っていた。

 それは俺がどうこう……というより、あれだけの類を見ない革新的なゲームに対して偏見で馬鹿にされていることがプレイヤーとして無性に腹立たしかった。


「プレイ料金1回1万円でしたっけ……? しかもゲーム内で痛みを実際に感じるとか……頭おかしい。兄さんって基本サド側と思ってましたが……むしろドMでしたか……はぁ……」


 まるでいかがわしい変態な店に出入りしているのがバレてしまったかのようなこの雰囲気……納得が行かない。しかしいくら言ってもあの世界の凄さは伝えられないだろう。

 だからこそ、俺は提案する。


「未。折り入って頼みがある」

「……いいですよ」

「え? 俺、まだ何も――」

「どうせそのゲームで、また困ってるのでしょう? プレイ料金払ってくれるなら別に手伝いぐらいは構いません……暇ですし」


 最後の一言が全てだろうと思う。

 そしてそこに少しの罪悪感みたいなものが伺えた気がした。

 これはもしかして、未なりの詫びのつもりなのだろうか?


「――ああ。うん……そう。手伝って欲しい。でも、ちゃんとリスクも含めて説明するから、それを聞いてからもう一度判断してくれるか?」

「別に構いませんが……たかがゲームで、ずいぶんと大げさですね」


 珍しく目が笑ってる。


「たぶん未が思っている以上に、EOEは本当にリアルなんだ。痛みも感触も、匂いも味もある。没入感がハンパない」

「……恋人、見つけてくるぐらいの『リアルさ』らしいですからね?」


 ちょっとからかわれてしまっているが、気にせず話を進める。


「未が指摘したように、PK上等の世界だから殺されたりとか、強奪とかもあり得る。時に気分を害するようなことが起きるかもしれない」

「兄さん……本気でそれを、この私に言いますか?」

「言うよ。未もひとりの人間で、感情のあるひとりの女の子だ」

「……」


 返事は無い。

 少なくとも否定はしないでくれる。


「もう一度言う……現実の半分以下だけど、でも痛みや苦しみがある」

「……」


 さて。

 そして肝心の、最大のリスクを伝えよう。


「――あともしかしたら、ログアウト出来ないかもしれない」

「……何それ? ふざけてるの? その開発者、VRMMOの小説でも読み過ぎてるの?」


 いや、あのさ。未。

 話に夢中で、もうすっかり自分の姿を忘れているのかも知れないけどさ……話を聞いててうすら寒くなったのかも知れないけどさ。

 そうやって自分の身体を抱くみたいに両腕をウェストの辺りに置いてぎゅ……っと身体を狭めると、メチャクチャ胸の谷間が強調されるんだけど。

 ブラの肩紐が浮いて今にもズレ落ちそうになってるんだけど。

 ……いや。

 兄妹でそんなの意識してしまう俺が一方的におかしいだけなのか。これ。


「……そうじゃない。俺の瞳の色だと機械の不具合が起きて、自分からログアウト出来ないんだ。だからもしかしたら兄妹の未も同じ不具合を――」


 ずいっ、とまるでキスするみたいに一気に顔を近づける未。


「いっしょにしないでください。ほら……良く見てください。私の瞳って、兄さんの少し赤み掛かったブラウンみたいな色をしてますか?」

「いや、まあ……全然違う色、だけど」

「そもそも矛盾してます。兄さんはいよいよ頭がおかしくなってきてるんですか?」

「……矛盾?」


 頼むから、そうやって間近で首を傾げないでくれ。

 本気でキスする予備動作みたいだ。


「兄さん、今、こうして目の前にいますよね?」

「……それが?」

「はぁ……ログアウト、出来てるじゃないですか?」

「あー」


 未のヤツは、いつまでこの姿勢でいるつもりなんだろうか?

 まるで負けたみたいな気分になりそうで、どうやっても視線が外せられない。

 まるで芳醇な葡萄のような、甘い未の匂いが――……って、だから妹だってば。しっかりしろ、俺。


「自分から、ログアウト出来ないだけだ。死んでゲームオーバーになれば自動でログアウトになる」

「……つまんない。デスゲームじゃないんだ。中途半端ね、その開発者。マニア向けを豪語するなら、いっそ行き付くところまで行って欲しいわ」

「ムチャクチャ言うなよっ」


 むしろ未こそ現実とゲームを混同してないか、と思わず言いそうになってしまう。無駄にご機嫌を損ねたくないので言わないけど。


「くす……そんなのが『リスク』? むしろちょうど良いぐらいのスパイスじゃないの。兄さんのその設定、真剣にプレイ出来るから少しうらやましいぐらいだわ」

「いや、つまり故意にゲームオーバーにでもならない限りは、下手すれば何日間もずーっとログインしたままになるわけだけど……大丈夫か?」

「はぁ……兄さん、それはもしかして嫌味で言ってるんですか? さっき言いましたよね? 『暇ですし』って」


 どうやらまったく問題ないらしい。

 『暇』か。


「……ああ、悪い。もうひとつだけそんなすみ限定のリスクがある」

「私限定……?」


 そう、これは俺の妹限定のリスク。


「すでに何日か留守にしているからもう察しているかもしれないが……EOEは家でプレイ出来ない。専用の施設まで出向く必要がある」

「――……っ……」


 こうも目前だと見間違うわけがない。未の瞳に乗る感情が一瞬で歴然と変化していた。


「……無理か?」

「馬鹿にしないで」


 近いっ。未、マジで近いって!!

 今、詰め寄られた時、とっさに俺が頭を後ろに反らさなかったらどうなってたんだよ、これっ。


「兄さんは知らないでしょうけど……私、これでも曲がり角の自動販売機まで、夜中にジュース買いに行ってるんですよ……? 馬鹿にしないでください」

「そ、そうか……それは、凄いな……」

「当然です」


 未のヤツ、本気で怒ってるっぽいから我慢するけど……しかし『ぷっ』と吹き出さないでいるのが、こんなに難しく、苦しいとは……。


「……車で、1時間以上掛かるぞ? 向こうで受付の人と、話すぞ?」

「それが……何か? 問題でもあるんですか?」

「……いや。何も」


 少しばかり未の瞳がうるうるしている気がするけど……気のせい、ということで。


「当然、ゲーム内にはたくさんの人がいるけど、それは?」

「しょせん、ゲームはゲームです。それこそまったく問題ありません」


 これは本心に思えた。

 良くも悪くも、未は本気でゲームと現実を完全に別物と捉えているようだった。


「それで目的は何ですか? レベル上げですか? クエストのクリアですか?」

「今回はそれ含めての複合的な内容だな。ある程度レベルを上げて、装備を整えて……最終的にはパーティ戦のPVPの大会で優勝したい」

「ネトゲで優勝って……馬鹿ですか?」

「ちなみに俺、月例のランキングで現在のところ3位。同じパーティには6位の仲間も居る。だから予選は免除されていきなり本戦のトーナメントに出るから、そこまで非現実的な話でも無い」

「まったく……ウチの兄がそんなガチ勢の廃人だったなんて、知りませんでした」


 呆れたように……しかしどこか愉快そうに未がボヤいてる。

 というか。


「もしかして、未、凄く乗り気?」

「……否定はしません。少しばかり、興味が湧きました」


 それは基本的には非常に有り難い。

 そしてやはり未なら乗ってくれると確信していたその通りの反応だった。

 だからこそいつも、真っ先に候補としてこの妹が上がっていたわけだし。


「――ただし、条件があります」

「ん? 報酬の話か? いくら欲しい?」

「今回は特別です……兄さんのワガママを複合的に聞き入れるのですから、兄さんも、私のワガママに複合的に従ってください」

「わかった。具体的にはこちら側は今のところ『未のキャラを育てて』『大会に参加する』のふたつだが、それで良いか?」

「ずいぶんと大雑把ですね……簡単に言ってますが、その『キャラを育てる』にどれだけの労力が必要か、まったく不明ですよね?」

「それは確かに」

「実の妹相手に詐欺まがいの勧誘ですか……酷い兄ですね」

「悪かったって」


 今日は本当にグイグイと来る。

 未がこんなに固執するのは初めてだ。

 いつもは『別にただの暇つぶしだし……』って感じで内容も聞かずに軽く引き受けるし、報酬も俺が一方的にアルバイトで稼いだお金を使って未にお小遣いを押し付けているぐらいだったのに……いったいどうしたんだろう?


「……わかりました。ではその実際の労力に比例して、後にこちら側の内容を検討します。ログアウト後に支払ってください」

「あ、ああ……じゃあそれで」

「兄さん。くどいようですが、これ、詐欺じゃないですよね……?」

「後払いに応じないことを心配してるのか? 同じ家に住む家族だろ? そんなの騙して逃げ切れるもんじゃないだろ」

「それはまあ……そうですが」

「じゃあ逆にこっちからも確認するが……その後払いの内容って、さすがに現実的に不可能な内容なら拒否出来るよな?」

「私を、そんな吹っ掛けるような人間に疑ってるなんて……残念です」

「人を詐欺かと疑ってる人間がそれを言うか。じゃあ、ちゃんと俺と相談して内容決めてくれるんだよな?」

「……もちろんです。そもそも、そんな大層なことを想定していません。せいぜい兄さんのいらないゴミでも報酬で貰おうか、ぐらいにしか現段階では考えてませんから」

「さすがにゴミを報酬と言い張って押し付ける気は無いよ……ちゃんと相応のモノを支払う」

「ええ。まあ結局は、兄さんからの願いの内容次第ですからね」

「それは……確かに」

「ちなみに――」


 淡々と、無表情に未は言う。


「――私の裸体が見たいとかそういう気持ち悪い願いを出したなら、兄さんの死をもって報酬としますので注意してください」

「いやいやいや。無いから」


 一気に血の気が失せる。

 というか、俺、その設定だとすでに半殺しにされる条件なような……?


「じゃあ……契約は成立ですね」

「ああ。じゃあ頼むよ。さっき言った俺の恋人は……同じパーティの仲間でもあるんだ。後で会って紹介しても良いか?」

「ええ。挨拶ぐらいは構いません」


 ……たぶん『これから同じパーティになる』という大義名分が無ければ拒否されていたと思うけど、しかし応じてくれて良かった。

 これで俺がわざわざ意図してログアウトした目的ミッションのひとつは無事にクリアとなりそうだった。


「それで……兄さんはいつまでそうやって我慢して突っ立っているつもりですか」

「え?」

「私が詰め寄った分だけ……どうして引き下がらないんですか。我慢してこんなに顔を近づけて……気持ち悪い」

「ムチャクチャ言うなよっ。未からだろ、近づいて来たのは!」

「それを言うなら……服を脱いでいるその途中で突然一方的に押し入って来たのは兄さんですよね?」

「……悪かったよ。確認もしないで慌てて入って。雨に打たれて身体を冷やしててさ」


 それは確かに俺が悪かった。素直に謝るとする。


「……そうですか。ではどうぞ先に入ってください。譲ります」

「ああ、さっそく入るよ。ありがとう――…………ん?」

「? どうしました?」

「いや。その、さっそく入る、から」

「ええ。どうぞ」

「……」

「……?」

「出てくれない?」

「何故ですか? 勝手に押し入って散々私の下着姿眺めておいて、自分はシャットアウトですか?」

「……見たいのか?」

「そういうのやめてください。気持ち悪い」


 ……わかんない。俺の妹が、さっぱりわからない。


「あっそ……もういいや」


 面倒になって、構わず湿ったままの上半身の服をシャツごと一気に脱ぎ捨てる。


「――は? 何やってるんですか……?」

「……へ? 何? どうした?」

「私が抜いだのは上着までですよね? その仕返しをするためなのに、どうして下着までいっしょに脱ぐんですか? ただの露出狂の変態ですか?」


 眉ひとつ動かさず、淡々と吐き捨てる我が妹。

 ……ああ、これ、仕返しだったのか……。

 俺にも恥ずかしい思いをさせたかったってことか?

 つまり、やっぱりあれって未も恥ずかしかったんだ……?

 本気でわからなかった。


「はぁ」


 最後に落胆したのか見損なったのか、俺に向けて露骨に深いため息を吐き捨てると、未は静かに脱衣所から出て行った。


「わ……わかんねぇ……」


 俺はいつになったら、自分の妹のことが理解出来るのだろう?


 ◇


「――……ふぅ」


 いつも思うが、風呂というのは素晴らしい。

 心まで癒されて温まるようだ。

 風呂から出てすっかりご満悦な俺は、まだ髪も乾かさずに居間に入って凛子の様子を――


「あっ、香田っ!!」

「お、おお……」

「ほへ?」


 ――未の、あれはたぶん数年前の『まだ始めたばかり』の頃の服だが、妙に凛子に合ってて感嘆の声を漏らした。

 今の洗練させた感じのデザインじゃなくて、少し過多な古典的なのがまた良い。


「いや、可愛いなって」

「うんっ」


 お。凛子、すっかり元気になってくれてる。

 やっぱり連れて来て良かったなぁ。


「この服……オーダーメイドなの……? 凄い可愛いっ!」

「あ。そっちの意味に取ったのか。俺は、着ている凛子が可愛いって言ってるの」

「は、はぅあっ…………あ、ありが、とっ……!」

「あれ? 母さんは?」


 こんな時、真っ先に冷やかしに来るはずの母さんの姿が見えない。


「あ、うん。香田のお父さんを迎えに行くって」

「ああ、そういや酷い雨だもんなぁ」


 この一階の居間からでも強い雨音はしっかり拾えた。


「そっか。ひとりで待たせてごめんな? 暇しただろ……?」

「ううんっ、え、えへへへ~っ!」


 デレデレニヤニヤと溶けそうな笑顔の凛子。

 本当に超ご機嫌だけど、いったい――


「これ、香田のお母さんが暇つぶしにってぇ♪」

「――う、ぎゃ……ぁ……っ……」


 それは、俺にとってはまさに悪夢の塊だった。


「この香田、ちょー可愛い~っ!!!!」


 俺の7歳頃の写真を指さし、凛子は高揚した様子で叫んでいた。

 今時アルバムなんて珍しいが、これはアナログ信仰の母さんならではのアイテムだ。

 紙で保存しておくと安心するのよねぇ……なんて言ってたが、いざこういう場面に遭遇すると、確かに紙の利便性とお手軽さには痛感する。

 1秒で10年前の画像をピックアップするなんて、デジタルではとてもじゃないが困難だ。


「凛子。そんなことより、ちょっといいか?」

「うーっ……全然『そんなこと』じゃないっ!」


 アルバムを奪われる気配でも察知したのか、胸の中に抱いて隠す凛子。


「……じゃあ後でゆっくりそれ、眺めてていいから」

「ほんとっ!?」

「本当。なんなら横で俺が写真の解説してあげるから」

「うんっ……!!」


 キラキラ輝く凛子の瞳。

 そんなに喜んでるなら……まあ、過去のトラウマと対峙するのも良いだろう。

 あの夜、凛子の過去を聞かせてくれたそのお返しとして考えたら、自分でも驚くほど簡単に覚悟が決まった。


「悪いけど今のうちに紹介しておきたい人が居る。先にそっちからで良い?」

「紹介したい人? ……もしかして妹さん?」

「ああ。その服を作った人」

「えっ」


 自分の着ている服を改めて見下ろして確認する凛子。

 それでまだ『始めたばかり』の頃の服だと知ったら、きっと二度驚くだろう。


「……反応が、ある意味で楽しみだ」

「?」


 凛子ならきっと大丈夫。

 きっと未を偏見の目で見たりしないし、きっと未も凛子になら敵意を抱かないでくれると信じられる。


「……香田?」

「あ、ごめん。じゃあ二階に行こう?」


 俺の緊張を察知されてしまったらしい。少し心配そうにしてくれる凛子の小さな手を取って、二階へと誘うことにした。


 ◇


「――……おお……ここが、香田んちの二階……っ!!」


 何の変哲も無いただの民家の二階ですでに大興奮の凛子。

 ちなみにアルバムは胸に抱いたまま決して手放さない。


「こっちが俺の部屋ね」

「はうっ……!」


 その扉の前を素通りするだけで凛子は顔を真っ赤に染めていた。

 ……理由は問うまい。


「んで、こっちが俺の妹の部屋……ひとつ、約束してもらえる?」

「んむ? ――ひあっ!?」


 決して聞こえない小声で凛子の耳元に囁く。


「……『人形』だけはNGワードだから。絶対に、口にしないで」

「え……う、うん……」


 戸惑うばかりの凛子だが、素直に小さくうなずいてくれる。

 それをちゃんと確認してから、目の前の扉をノックした。


 ――……コン、コン。


「未……ちょっといいか? さっき言ってた凛子を、紹介したい」


 返事は無い。

 そのかわりに、『ガチャ』と開錠の物々しい音が届く。

 あれは母さんすら鍵を持っていない、未が自分でつけた錠前。

 ゆっくりゆっくり、扉が開く。

 部屋の中は真っ暗で……奥は窺い知れない。

 俺すらこの先に踏み込んだことはこの数年間無いから、今はどうなっているのか少し興味があった。

 そう。最後にこの部屋に入った時は――……あ、いや。今は思い出すのを止めようか。とてもじゃないが、これから未と会話をする気持ちになれなくなってしまう。


「あ、あのっ……妹さん、こんにちは~! 私、佐々倉凛――……」


 それでなくても緊張した面持ちの、素を出している凛子が挨拶していたのだが……案の定、言葉を失っていた。

 俺にとっては、ごく普通。

 もうかれこれ15年もいっしょにこの家で暮らしてきたのだから今さらその容姿について語ることも無いのだが……凛子の気持ちになって、あえて表現しようと思う。


「……こんにちは。香田未、と申します」


 未は眉ひとつ動かさず、淡々と一切の感情を載せずに挨拶していた。

 会釈と共に、腰どころか太ももほども伸びている銀色の髪がサラサラと流れて手前に降りてくる。

 その長い髪を静かに後ろに払うその手も、まるで雪のように白い。

 ……未は、どういうつもりなんだろうな。

 趣味ですべて自分が作っている、そのゴスロリをベースとしたようなレースだらけの服もまた、真っ白で……きっと凛子の目には、暗闇から現れた幽霊とでも映っていることだろう。


「そう。あなたが兄さんの……恋人、ですか」


 そのまったく崩れない整った顔で、凛子を見下ろす。きっと身長差は20センチ以上あるのだろう。

 未は、たぶん160センチ後半ほどの長身で、手足はどこまでも細くスラリと長い。

 深山が異性受けするアイドル的な体型だとするなら、未は完全に同性が憧れるようなモデル体型。

 その完璧に冷ややかな表情と相まって、独特な空気が絶えず纏う。

 そして何より、瞳が強烈だ。

 ルビーを思わせる深い赤色に染まるふたつの瞳。

 あえて表現するなら『魔眼』とでも言えば良いのだろうか?

 不出来でシマウマな俺なんかでは比較にもならないほど、未は完全に振り切れた容姿なのだ。


 「あ、ぅ……そ、そのっ……」


 時に俺ですら、怖いと感じる瞬間がある。

 その両眼に見据えられて心が揺るがない人など居るのだろうか?

 案の定、凛子はまともに声も出せず立ち尽くしていた。


「はぁ……兄さん……挨拶はこれぐらいで良いですか?」

「え。ああ、未、ありがとう」


 そんな会話に割り込むようにして――


「――綺麗っ……!!!」


 絶叫寸前なほどの大きな声で、凛子が興奮の声を上げていた。

 ……え? 興奮??


「……キレ、イ……?」

「すごーいっ!! 香田の妹さん、超絶綺麗過ぎ……っ!!!」


 アルバムを持ったまま、両手をぶんぶん振り回して興奮を露わにしていた。


「兄さん……この子――」

「いや、お前より3歳は年上だから」

「――え」


 未も未で驚いている様子だった。

 ()()()()顔には一切その感情が出ていない。

 でも俺には解る。

 もうずっと……15年間も未を眺め続けていた俺は、その真っ赤な瞳の奥に隠れた感情が小さく小さく顔を出しているのを決して見逃さない。

 それが唯一の、未から読み取れる素の感情。

 だからそんな未に鍛えられている俺は、絶えずどんな人に対してもまず、瞳を観察している。

 こんなに読み取りにくい未から比べたら、他の人たちの心なんて裸同然だ。

 その感情はおろか、もっと心の根っこの部分まで読み取れる。

 凛子の虚勢や不安はいつもここから察知しているし、そういや深山の高潔さも、俺は最初にあの瞳から受け取っていたと思う。


「そう……兄さんは、こういう小さな体型が好みなんですね?」

「未。それは相手に失礼だ。俺のことはどう言っても構わないが、俺の彼女の悪口は絶対に許さない」

「あ、ううんっ! ううんっ! 私、ロリ体型だし! 香田って重度のロリコンだしっ!!」


 ……凛子。それは果たしてフォローになっているのか???


「すみませんでした。ではリン……さんでしたか。お返しにどうぞ、私のことも好きに表現してください」


 さっき自己紹介の途中で言葉が途切れたから名前を勘違いしているようだが……まあそれは後々でいいか。

 とにかく驚きだが、あまり社交的ではない未なりに最大限の礼儀を果たしているようだった。

 ちゃんと小さく頭を下げてそんなことを言い出してくれた。

 つまりそれって、未にとっての最大のNGワードである『人形と言っていい』と自ら差し出しているように思えた。


「え……じゃあ、その。失礼だったらごめんなさい。でも――」


 どこか似ているんだ。このふたり。

 容姿は全然違うけど、下着姿を見られたらこっちも見てやろうという未の対決精神と、凛子の深山に対するひたすらフェアであろうとするあの公平精神は、スタンスが少し似てる。

 だから凛子は躊躇しつつも、それにキッチリ応える。


「――ウサギさんみたい……!!」

「はい?」


 無表情なまま、でも『疑問に感じたらこういうポーズをするんだよ』という教えを忠実に守って未が首を傾げて見せた。


「こうっ! 真っ白で! 綺麗な瞳でっ!! まるでウサギ界の女王様って感じ……!!!」


 大興奮の凛子がよくわからないことを口走っていた。

 ほんの一瞬だけ、『お人形さんみたい』に匹敵する新たなNGワードが誕生してしまったかと焦る俺だったが。


「――むぎゅ……」


 小さな凛子を唐突に抱きしめる未だった。

 どうでもいいが、自分で効果音を口にしている凛子が地味に面白い。


「兄さん……この子の服、作ってみたいです」

「え。ああ……まあ、いいんじゃないか?」

「お、おおっ、あわっ、あひゃっ!?」


 俺の許しを得て、胸に抱きしめている凛子の身体のサイズをそのまま計測しだす未だった。

 そうか。『ウサギさん』は気に入ったのか。それは良かった。


「はい……そのアルバム、ここに置いてください」

「お、おおっ、ま、待ってっ、む、胸はぁ、こ、香田にだけっ、触る権利がぁ……!!」

「大丈夫……私も香田です」

「ああっ!?」


 なんか妙に納得している凛子だった。

 とりあえず俺の見立て通り、このふたりの組み合わせは悪くなかった。

 そして予想では……深山と未の組み合わせは、あまり良くない。

 そういう意味で先々不安だが、まずはヨシとしておこう。


「――……ただいまぁ~! 凛子ちゃーんっ♪」

「あ」「お」「ん」


 一階の玄関から突然そんな声と共にバタバタとした物音が響く。

 どうやら母さんが帰宅したらしい。

 音の数からして父さんも無事にピックアップ出来た様子だ。


「……凛子。父さんに挨拶しに行こうか」

「香田パパ……!!!」


 たぶん凛子にとって『父親』というのはきっと特別なのだろう。

 凛子が未の胸の中から顔を出すと、緊張と驚きと期待が混じったような複雑な色の瞳で、そう口にしていた。


「食事だろうから未も――」


 ――ピコン。


 俺のそんな言葉を遮るように、携帯からメッセージ着信の効果音が届く。


「……香田?」


 すぐに内容を確認している俺の様子がちょっと普通じゃないと察知してか、凛子が躊躇いながらも尋ねて来た。

 俺は……一瞬迷ったが、でも。


「いや、何でもないよ。ほら、下に降りようか」


 そう誤魔化して凛子の背中を押す。

 ――そうか、さっそく次の目的ミッションか。


『コーダ! いいよ、今夜会ってやるって鈴木から返事来た……!!』


 俺のポケットにしまった携帯の画面には、そんなメッセージが表示されていた。



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