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#043 止まない雨

「――……はぁ……」


 頭上に浮かぶ大きな『GAME OVER』の文字を眺めながら、俺は思わず深々と息を吐いていた。

 それは直前まで感じていた激痛と緊張感からの解放という意味と。

 あと、遅延ラグによって長時間閉じ込められたあの一件が新たなトラウマとして蘇りそうになったことと。

 そしてもうひとつ――


「よし」


 ――これから連絡するには、心の整理が少しばかり必要だったから。

 俺はソフトウェアキーボードを展開すると、送信先に『to りんこ,ミャア』と入力して言葉を掛ける。


「凛子、深山……無事か?」


『あっ、香田君……!! は、はいっ……おかげさまで……無事、です』


 主に『深山を助けるため』が今回の死の理由だったからか、真っ先にそう少し恐縮したような声で深山からの返信が届いた。


「そうか、それは良かった。あのふたりは?」


『……身体が大きい鎧をつけていた人は、香田君といっしょに消えました。もうひとりのメガネの人は、たぶん何かのアイテムを使って、どこか遠くに移動したと思います……』


「なるほど……深山は念のためすぐにその場を離れて、可能なら身を隠せるようなところを探して」


『はい。わかりました』


 少し声が震えてるけど、でもはっきりと受け答えをしてくれる深山。

 それに対して……さっきから返信が無い凛子のことが気がかりだ。


「凛子は?」


『はい…………その、今、ここで泣いてます』


「……そっか」


 たぶん深山に慰めてもらっているのだろう。

 俺は少し考えてから。


「凛子……ごめん」


 でも、端的にそれしか告げられない俺。

 取り繕えば取り繕うほど、嘘が塗り重ねられそうだった。

 可能なら剛拳王あたりに殺されることを密かに期待していたのだが、理屈で考えてその可能性は低いと見ていた。だから凛子には『大きくて白い物体が現れたら剛拳王を攻撃してくれ』と伝えて、死ぬための保険にしていた側面があった。

 『俺は撃ってくるタイミングがわかるし、上手に避けることが出来るから』なんて、もっともらしい嘘までついて。

 だからこれは、その嘘についての謝罪。


「……」


 それを見透かされてしまっているのか、凛子からの返事は無かった。

 それでもしばらく待ってみたが、そろそろタイムアップだ。

 頭上のカウントダウンされていく数字が10を切る。


「…………じゃあ深山。すまないけど明日の夜まで帰らないつもりだから、ふたりで安全そうなところに――」


『――やだあああぁぁ……っっ!!!!』


「っ!!」


 肺から絞り出すような悲痛な叫び声が唐突に耳に届く。

 嫌だと言われても、仕方ない。今から蘇って凛子のそばに居てあげたいけど、それは無理だ。だから――


「――……嫌な思いをさせて、ごめん。凛子」


 せめて改めてそう心から謝罪して、それでタイムオーバーとなった。

 まるで電源が落ちたテレビのように、世界が暗く閉ざされる。


 ◇


「――……あれで、良かったんだ」


 自分を言い聞かせるように、俺はつぶやく。

 まともに戦って勝てる見込みは無かった。

 とても逃げられるような状況じゃない。

 用事があるのは、俺だけだった。

 ……だから、俺が囮になるのは、間違いではない。

 そして死をもって脱出とするのが、唯一の逃亡方法だった。


「威力も確認出来たし……相手の腹の中も探れた……」


 俺が知っている中で一番レベルが高く、性能の高そうな鎧を身に着けている剛拳王は最高の実験対象だった。もし主力となる凛子の攻撃がアイツに通用するなら、あらゆるプレイヤーにとっての脅威となり得る。

 同時にアクイヌスの行動原理や腹の底も伺えた。

 だから機会をフルに活用したこの作戦は、間違いじゃない。

 決して間違いじゃない。しかし。


「じゃあ……この言い訳の羅列は、何だよっ……」


 たまらない気持ちになって、ガンッ、とカプセルの丈夫そうな内壁を一度叩き、再び大きく息を吐き捨てた。


「はぁ……そろそろ、いいか……」


 充分に時間を潰してから小さなカプセルを抜け出た俺は、フラフラとした頼りない足取りでそのまま巨大な倉庫の出口へと向かった。

 きっとこれは副作用的なものなのだろうけど、気分が優れない。

 酷い乗り物酔いに近い。


「お客様……大丈夫ですか?」

「え、ああ……はい……気にしないでください」


 上の空の中、受付で荷物を受け取って外に向かう。

 新鮮な外の空気を吸えば、少しは気分が良くなるだろう。


「……え。あれ……」


 ――ザアアアァァァ……。


 雨。スコールのような、大きな雨粒。たぶん屋内でもその雨音はとっくに聞こえていたはずだろうけど、その事実は目の当たりにするまで気が付くこともなかった。


「参ったな」


 口ではそう言っていたけど、内心ではまんざら悪く感じなかった。

 この少し淀んだ心には、心地良いシャワーになる気がした。

 優れないこの気分や罪悪感を少しは洗い流してくれそうな気がして、俺は迷わずそのまま倉庫から出た。

 構わない。どうせ、ここから最寄り駅の20キロほどは徒歩なんだ。


「あっ、と……一報入れておくか」


 確か俺の携帯は防水だったと思うが、しかしあまり長時間の間、雨に打たれるべきでもないだろう。

 手短に現在時間を確認しつつ溜まっている着信やメッセージを無視して母親にこれから帰ると知らせを短く入れると、背負っているカバンの中に再び携帯を戻す。


「今が、午後2時過ぎだから……急げば陽が沈む前には着けるかな……」


 そこまで急ぎじゃないけど、身体を冷やさないためにも駅まで走ってしまおうか。雨雲を眺めながらそんなことを考えていると。


「――だぁぁ……」


 強烈な雨音にそのほとんどがかき消されながらも、背後から僅かにこの耳へと悲痛な声が届いた。俺は条件反射的に身体を翻す。


「こぉだぁぁぁ……えぐっ……ごぉ、だぁ…………どこ、ぉ……っ……」


 携帯を片手に立ち尽くす小さな女の子の姿。

 ボリューム感のあったそのツーサイドアップの髪の毛は雨に濡れてぺったりと萎み、着ている可愛い服も見るからにずぶ濡れになっていた。


「――え、あっ……凛子っ!!!!」


 俺は剛拳王とのリアルでの鉢合わせが嫌で、長いことカプセルの中で時間を潰していた。それがあだとなって……こんなにも凛子を放置させてしまっていた。


「ごめん、凛子。ログアウトして追いかけてくれていたんだ……? 独りぼっちにさせて、本当にごめん……」

「ご、ごぉ、だぁ……っ……えぐっ、ふぇ……ふぇええええぇぇ……っっ……」


 もうすっかり濡れて冷え切ってしまっている凛子の小さな身体を胸の中にしまい込むと、凛子からも泣き叫びながらしがみついてくれた。


「お……おい、てっ……いかない、でぇぇ……っ…………」


 俺の服を強く強く握る凛子。

 その震えている手は、背中は、きっと雨の冷たさによるものじゃないって、そう思えた。


 ◇


「ひぅ……えぐっ……ひっく……えぐ……っ……」


 凛子の軽自動車の助手席に腰掛けて、こうして膝の上の凛子を抱きしめて温めてから……もうどれぐらいの時間が経過したのだろうか?

 厚い雨雲に遮られてて太陽の位置もわからないが、しかし凛子の濡れた長い髪が撫でている間に乾くほどの時間……というぐらいしかわからない。

 そんなきっと長い時間が経過してもなお、凛子はずっと俺の胸の中で泣き続けていた。

 そしてこの雨もまた、凛子の心のようにずっと止まないままだった。


「ひっく……こ、こぅ、だ……ひっく……ごめっ…………も、もう……だい、じょぶ……だからぁ……」

「……だめ。もう少し、こうしてたい」

「ひぐっ…………ん…………こう、して……たぃ……っ……」


 せめて呼吸が整うまで。

 この背中の強張りが消えるまでは、俺がこうしていたい。


「ひぅ……ぅ……」


 今回のことは特に凛子に強いダメージを与えてしまったようだった。

 ――想像してみる。

 まずは凛子を連想させる仔猫からやってみた。

 愛くるしい仔猫をライフルで撃って殺したりしたらどんな気分だろう?

 ましてそれが自分の愛する女の子で……実際に強烈な痛みと恐怖をその子に与えるとしたら、どうだ?

 ……つまり俺は、その想像力が欠如していた。


「凛子、ごめん」


 たまらない気持ちになって、もう一度謝る。

 深山に何度も何度も叱られてなお、俺は自覚が出来ないらしい。

 どうしても、俺は俺が傷つくことについて無頓着になってしまう。

 周りへの影響を軽視し過ぎてしまう。

 大切に想われているその事実が、未だに受け入れられないでいた。

 ほんと根深いなぁ……これ。


「……ごめっ……こぅだぁ……ごめ、んなさ、ぃ……っ……」

「謝ってるの、俺だよ?」

「ちがっ……ちがう、のぉ……っ……」

「うん?」


 凛子は俺の胸に顔を埋めて、決してこちらに向けてくれない。

 俺にその涙を見せようとしない。


「も……もぅ……むり…………」


 その小さな背中が震えてる。

 こんなに近くなのに、遠く感じた。


「わ、わた、しっ……もう……EOE……行けない……っ……」

「え?」

「香田、がっ……傷つくのっ……えぐっ……見たく、無い……っ……」

「――……」


 その主張は、あまりに正しくて否定が出来ない。

 そもそもEOEっていうのは極まったマニア向けの内容で、リアルさを追求するあまりに苦痛まで再現してしまっている、頭のイカレたゲームだ。

 だから凛子の主張は、ごくごく普通な感覚の言葉だろうと思う。


「……そっか。うん、わかった。じゃあ凛子はこっち側で見守ってて。俺だけで深山をどうにか――」

「深山、深山ってぇぇぇ……っっ!!!!!」

「――……っっ……」


 正直、びっくりして言葉が咄嗟に出なかった。


「今回の、ことだってぇ、そうっ!!! 香田は、いつもっ、深山がっ、深山が……って、そればっかりっっ!!!! そんなに深山さんのことっ、大事なんだっ!?!?」


 突然顔を上げて、涙でぐしゃぐしゃになってる凛子が俺に詰め寄った。


「……うん。大事だよ」

「――――っっっっ!!!!!!」


 俺は可能な限り冷静になって、その問いに答えた。

 でも凛子は目を見開いて、憤りに我が身を震わせていた。


「じゃ、じゃあ!! 私なんか捨てておいてっ、深山さんのとこ――」

「――凛子」


 たったその一言で、呼吸まで含めて凛子がすべての動作を止める。

 こちらの伝えたいことを理解してくれる。

 ……いや。たぶん間違ったことを口走ってるなんて、そんなの凛子は最初からわかってる。

 だから俺もそれ以上に咎めるつもりは無かった。

 むしろ俺は、痛いほどの彼女の心のSOSが届いて来たって、そう受け止めているだけだった。

 これはきっと理屈じゃない。

 何が正しいとかそういうのを超越してて、きっと凛子が抱えきれないだけの感情が勝手に溢れてしまっただけのこと。


「――……ぁ……ご、ごめぇ……っ……」


 感情に流されてぐちゃぐちゃになってしまっている凛子の頬に手を添えて、その絶えず流れ落ちる涙を親指で拭う。

 凛子は機械じゃない。

 絶えず正しい答えを導けるわけがない。


「凛子……もう1回、ぎゅーって、しよう?」

「……ゃ……」

「凛子。ほら」

「や、やぁ……っっ……」


 それが本心じゃないことぐらい、さすがの俺にだってわかる。

 言葉と裏腹にまったくの無抵抗な凛子をもう一度胸の中にしまいこむと、雨に濡れて乱れているその髪に痛いぐらい頬ずりを繰り返した。


「さいてぇ……わ、私……最低っ…………!!!」

「ううん。とっても人間らしいよ」

「でもぉ……っっ……!!」

「そういうところも含めて、俺は凛子が大好きなんだから」

「っっ……ひ、うぅ……っっ……」


 限界まで自分の身を縮ませて震える凛子を抱きしめて包みながら、俺はぼんやりと凛子の生い立ちのことをなぜか考えていた。


「……大好きだよ。凛子の存在が、俺には必要だ」


 望まれず生まれて来たって、言ってたっけ。

 父から見捨てられたって、きっとそう思っているのだろう。

 実の姉からも虐げられて。

 不運にも、身体も大きく育たなくて。

 でもきっと凛子は頑張って、それでも潰れず今までを前向きに生きて来た。

 虐げられてきたから、誰かを虐げるのじゃなくて。

 裏切られた分だけ、誰かを裏切るんじゃなくて。

 自分が寂しいと思う分だけ、他人には優しくしたいって祈って。

 裏切られた痛さを知っている分だけ、約束は守ろうと強く願って。

 愛されることを求めるより先に、誰かを愛そうとしている彼女の姿は、きっと人として美しい。心から尊敬する。

 時にこうして破綻したり、苦しくて崩れたりするけど……きっとそれは、彼女が許容出来ないぐらいに俺のことが大事だからだ。

 俺が彼女の心の中でとてつもなく大きな存在であることを、不謹慎ながらこんな時にこそ強く自覚する。


「……」


 いつか言ってたっけ。『こんなはずじゃない』って。

 きっとその通りで、俺以外にはもっと上手くやっているのだろう。

 自分で『こんなに寂しがりやで、傷つきやすくて、泣き虫で、めんどくさくて』って驚いていたのを思い出した。

 ああ、あと『嫉妬深い』って凛子は自分で言ってたっけ。

 ……うん。確かにその通りだ。

 弱い立場の深山を虐げるのが嫌な心と、俺から愛されたいと願う心はどちらも等しく正しくて、どちらも凛子の紛れも無い本心だ。


「ね……こぅだ……ぐすっ……あの、ね……?」

「うん?」


 凛子が落ち着くまでそっとしておこうとこうして黙っていたのだが、思ったよりずっと早くに凛子から声を掛けられて、内心少し戸惑う。


「――えっちなこと……しよ?」

「えっ」


 それはまったく意外な一言だった。


「私……ひぐっ……絶対に、嫌がらない、からぁ……痛がったり、しないからぁ……っ……だから、こ、香田がしたいこと……して、欲しい……っ」


 正直、そういう気分じゃなかった俺は戸惑うばかり。何より凛子の顔が見えなくて、どうしてそういう発言になっているのかの真意が見えて来なかった。

 簡単に言えば『違和感』。

 まず先にそれが俺の中で膨らんでいた。


「凛子……顔、見せて?」

「ヤ……顔、ぐしゃぐしゃ、でっ……」

「いいから。ほら」

「ひ、うぅ……っ……」


 こうして顔を合わせれば一見してわかる。

 その瞳の色は、明らかな『恐怖』に彩られていた。


「ど……どし、たのっ? ……え、えっちなこと、しない、の……?」

「しない。するわけがない」

「っっ!!!!! そ、それって――んっ」


 勘違いして変なこと口走りそうな凛子の可愛い唇を、先に塞いでおく。

 ……以前のような抵抗感は無い。

 すんなりと、まるで望んでいたかのように俺の唇を受け入れてくれている。


「――……大切な凛子が望んでないのに……そういうこと、するわけないだろ?」

「ヤ、やぁ……の……望んでる、もんっ……」


 俺を見つめる瞳には輝きが少し戻り、頬にはうっすらと赤みがさして生気が満ちる。

 俺がどんなに誠心誠意全力の心で言葉を紡いでも、こんな行為のひとつにあっさり負けてしまう。

 キスの力って、偉大だ。


「私だって……っ……こ、香田の赤ちゃんぐらい……欲しいよっ……?」

「それ、望むベクトルがいきなり目的に向かってるだろ……いや、ある意味ですごく正しいんだけども」


 むしろそのための『手段』については『仕方ないから我慢しよう』って感じが浮き彫りになっている気がした。


「あっ、だ、大丈夫っ、香田に迷惑とか、掛けないからっ……!!」

「いったい何が『大丈夫』なんだか……」


 まあとりあえず言えることは、とてもじゃないがそういう気にはならないということだ。

 だってつまり、それって――


「無理してそんなこと言わなくても……凛子を捨てたりしないよ……?」

「――あ、ぅ……うっ……うぇ……ひうっ…………っ……」


 ――そっちにこそ凛子の本意がある気がしてならなくて、正直に言葉にしてみると……案の定、核心だったのか凛子が再び涙を落とし始める。

 そんな『交渉材料』みたいなのは、嫌だ。

 繋ぎとめるための『餌』みたいなのは、お断りだ。

 そうじゃない。

 ちゃんと凛子の身体と心の準備が整ってから、大事に育みたい。


「香田っ……こぅだぁ……っ……離れ、たく、なぃ、よぅ……っ……いっしょに、居たい、よぅ……っ……!!」


 もしかしたら最後の『切り札』だったのかもしれない。

 それすらも失い、もはや万策尽き果ててただ泣きじゃくり、しがみついて素直にそう訴える凛子。


「……うん。俺もいっしょに居たい」


 そんなの当たり前だ。俺も本心からそう答えた。


「あ、あと1時間だけっ……ねっ、あと1時間だけ、こうして居たいよぅ……!!」

「1時間だけでいいの?」

「ひ、ぅ……じゃ、じゃあ……そのっ……2時間……?」

「2時間だけ?」

「い、意地悪……ヤぁ……っっ……!!!」


 意地悪、ねぇ?

 どうやら凛子は俺の意思を少しばかり甘く見ているようだ。


「意地悪? どこが?」

「香田……そろそろ、お家……帰る、もん……」

「ああ、うん。さっき母さんにも『帰る』って知らせたところだけど」

「ほ、ほらぁ……!!!」


 ――なるほど。

 俺としてはこの凛子カーでこのまま一夜を過ごすぐらいの覚悟を決めていたわけだが……なるほど、なるほど。『そっち』のほうが確かにずっと良い。妙案だ、それ。


「確かにそうだね。じゃあそろそろ陽も暮れるし、家に帰ろうか」

「うーっ……あのっ……お家の前まで、車で送っても……いい? 香田と少しでもいっしょに、居たい……」

「え? 凛子は家の前まででいいんだ?」

「ふぇ??? え、えと……じゃあ……玄関まで……??」

「玄関まででいいの?」

「………………玄関の中?」

「わかった。じゃあ残念だけど、玄関の中までにする?」

「え、えっ、えっ!?」


 そろそろ確かに意地悪だ。改めて俺から提案しよう。


「今夜は、俺の家に泊まりに来ないか? そうしたら、明日までずっといっしょに居られるぞ?」

「――――っっっっ……!!!!!!」


 見違えて瞳を輝かせ驚く凛子のその表情を見て、自分の出した答えが間違いなく正解だと確信する俺だった。


 ◇


「うううううううううぅぅぅぅぅぅ……!!!!!」

「だから大丈夫だって。全然平気だって」

「あっ!! 手土産っ!!! 私、何か買って――」

「――いらない、いらない。手ぶらでどうぞ」

「こ、香田っ、私、何か変じゃないっ??? ふ、ふぎゃっ!? そういやこんな時に限って、普段着で駆け付けたんだった……!!!!」

「全然超OK。MAX可愛いから!」

「髪も雨に濡れてぐしゃぐしゃだしぃ……!!! わ、私、一度帰って着替えて――」

「――あ~、もういいや!」

「ふぎゃああああああっっ!?!?!?」


 凛子カーを近くの有料駐車場に停め、玄関先でこうして凛子の心が整うのをずーっと待っていた俺だったが……さすがにエンドレス過ぎて焦れてしまった。

 凛子の了解を得ず、勝手に自宅の玄関の扉を開け放つ。


「ただいま~」

「孝人っ、もう! 玄関先で何を騒いで――……あら。あらあら!? その子……!!」

「う……うー……」


 雨に濡れているこのシチュエーションも手伝って、まるで捨て猫でも拾ってきたかのような気分になってしまった。


「彼女は、佐々倉凛子」

「は、初めまして……!! 佐々倉凛子といいますっ……!!!」


 まるで油の切れた機械のようにギクシャクとお辞儀をする凛子。

 どうやら『演じない』ことを、彼女は正しく選んでくれたようだった。

 ……うん。俺もそれが良いと思う。


「まあまあ! 可愛い子っ!! ――んで?」


 その問いは、当然俺に対して。


「?」


 ちらり、と凛子のほうを見やると、不思議そうに小さく首を傾げてた。

 その肩に手を置くと。


「俺の彼女」

「はうっ!?」


 まるで意外だったかのような、そんな反応をされてしまった。


「……念のため確認するけど。お歳はいくつなのかしら……?」

「母さんが心配しているような年齢でないことだけは確かだよっ」

「ああっ。やっぱり母さん、孝人って年下が好みだと思ってたのよぅ!」

「嘘つけ」


 この前、清楚なお姉さん系がどうとか言ってたろ。

 というか。


「――……あの、すみません……」

「うんうん、凛子ちゃんだっけ? どうしたのっ?」


 小さく手を上げて、ものすごーく恐縮したまま。


「……私……香田より、年上です……すみません」


 申し訳なさそうにそう伝える凛子だった。


「そうよねっ!? 実はちゃーんとわかってたんですからっ。ふたりを試してたのっ!!」

「嘘つけっ」


 相変わらずその場のノリだけで生きているような母さんだった。


「……ごめん凛子。ウチってこんな感じなんだ。な? だから緊張とかしなくていいだろ?」

「う、う、うん?」


 わかったようなわかってないような曖昧な返事をしてる。

 まだまだ緊張しているみたいだなぁ。


「ああ……誠一せいいちさん早く帰ってこないかしらぁ……孝人の将来のお嫁さんを早く会わせたいわぁ……!!」

「お嫁さんっ!?」


 素っ頓狂な声を出して目を丸くしてる凛子は放置して、とりあえず話を進めよう。


「母さん。ふたりしてズブ濡れだからまずは風呂に入って良い?」

「きゃーっ、ふたりでお風呂だなんていきなり大胆過ぎて母さん興奮してきちゃった……!!!」

「誰もいっしょに入るとは言ってないからねっ?」

「…………っ……」

「凛子もそこで真剣に悩まなくていいからなっ???」


 まあ正直、母さんのいじりがこんな程度で済んで良かった。

 特に問題無く無事に凛子を紹介することが出来――


「――じゃあ、無事に助けてあげられたってことで、良いのよね?」

「え」

「ほら。凛子ちゃんが前に『助けてあげたい』って言ってたその子なんでしょ?」

「……っ……」


 マズイ。

 こうして言い淀んでしまっている段階で、もはや失敗だった。


「あの、母さ――」

「――違いますっ……!!」


 俺が無策のまま咄嗟に取り繕うとしたその瞬間、言葉を被せるように凛子が声を張り上げた。


「違うのっ……私、香田の恋人じゃないですっ……将来のお嫁さんなんかじゃないっ……!! それは全部、その『助けてあげたい』人のものですっ……私は、違うのっ……!!!」

「……」


 あまりのことにキョトンとしている母さん。


「私、なんか、がっ……そんな、のっ……違う……そんなズルイことっ……出来ないっ……」


 凛子は耐え切れず、また涙を落としてうつむいてしまった。

 そうか。凛子にとってこれは『ズルイ』ことなのか。

 深山に対して卑怯だと思ってしまっているようだった。


「んー……」


 母さんはちょっと首を傾げて天井を見上げると。


「青春ねぇ!」


 にかっ、と笑ってこの空気を軽々と一蹴してしまう。

 とてつもない乱暴なその一言で、強引にまとめ上げられてしまった。


「ほらほら、凛子ちゃん。とりあえず上がって、まずはお風呂に入って? 確かに身体冷やしちゃうわっ」

「え。でも、あのっ……!」

「詳しいことは、後で孝人がお風呂入ってる時に、たーっぷり聞きますからっ♪」

「え、あ、あのっ、こ、香田っ!?」

「遠慮しないっ、遠慮しないっ♪」


 玄関先で躊躇している凛子の身体をガシッと捕まえて、そのままお風呂場まで連行していく母さん。

 ああいうマイペースで能天気な性格に今は感謝だが……しかし。


「……嫌な予感しかしない……」


 このままオモチャにされそうなのは、必至だった。


「あ。孝人は今のうちに自分の部屋にあるエッチな本を隠しておきなさーいっ!」

「そんなの無いからっ!?」



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