#042 PVP
「では改めまして、こんにちは。話の続きをしに来ましたよ?」
「――……アクイヌス……」
あまりに都合の悪いこの状況に、俺は内心で舌打ちをしていた。
せめて深山の魔法が使えるなら。
せめて凛子に『どうして主力なのか』の説明をしていたら。
せめて、こんな何も遮蔽物の無い砂漠のような場所ではなく、逃げ隠れの可能な場所だったなら。
「話の続き……?」
「面倒な駆け引きはヤメにしましょう。香田孝人。あなたが創造したというシルバーマジックとやらの譲渡と情報の開示の件です」
こういう展開を想像出来なかった己への、危機感の欠如に軽く苛立ちを覚えた。
『疲れてた』なんて言い訳にもならない。昨日、帰還した段階でどんなに遠くても遮蔽物の多いここより安全な場所まで移動するべきだった。
「いや。そんな大層なものでもないが」
「ハァ……参りましたね。『面倒な駆け引きはヤメにしましょう』と伝えたばかりなんですがね?」
アクイヌスが手にしている長く複雑に捻じれた杖のその先端にある、一見すると装飾と見間違いそうな巨大な結晶体が不意に禍々しいほどの赤い光を帯びて輝く。
あれが、深山の所持していた杖と同じ『魔力を貯めるための宝石』だと言うのなら……色も大きさも、あまりに違う。体積にして軽く20~30倍の差がありそうだった。
「――その価値は、こちらで決める。こちらが下手に出ているからと言って、あまり調子付かないほうがいい」
初期レベルの、初期魔法の『ファイアボール』ですらあれだけの破壊力があるのだ。レベル130のアクイヌスがあの杖から放たれる魔法の威力は……想像するに余りある。
それこそ一瞬でこの3人の肉体が消し飛ぶほどのものだろう。
――『3人』。
さすがにアクイヌスの意図することではないだろうが、しかしその事実は強烈に俺へと圧力を与えていた。
「――バウンダリィ・フィールド」
「っ!?」
警戒したところでまったくの無意味。
躊躇なく唱えられたアクイヌスのその呪文によって、紫色の霧のような『何か』が見る見る間に膨張して俺たちを包む。
「……っ……?」
直径50m程度だろうか?
その紫色の薄い霧は俺たちだけではなくアクイヌスと剛拳王までも飲み込み、ドーム状の空間を創り出しているようだった。
「ハハハ。どうぞ呼吸してくれて構わない。初心者の君のために教えてあげるとね、これは毒や麻痺などの作用があるわけじゃない。ただ単にこの空間の中は範囲指定だけが外界から隔離されている状態なんだよ」
「範囲指定だけが、隔離……?」
「そう。簡単に言えば外界を指定出来なくなる。その逆もしかり。例えばチャットによる外界からの連絡などが一時的に届かなくなるという、重要な交渉事ではお約束の無害な闇属性魔法のひとつさ」
最初の印象から何も変わらない。
相変わらず饒舌にしゃべる魔法使いだ。
「つまりは、助けを呼べなくするための魔法だろ……?」
俺は凛子と深山に後ろへ下がるよう手で指示を出しながら、アクイヌスへと一歩近づく。
「察しが良くて助かるよ。あと先に伝えておくと、この空間の中では当然ながら移動アイテムを使っての外界への脱出や、自主的なログアウトによるリアルへの脱出も不可能となる。『リアル』もまた外界のひとつという認識だ。元々は持ち逃げ防止のための魔法だが……気を付けたまえ」
皮肉なことに凛子以外には関係ないが、たぶん一番最後の『ログアウトによる脱出の防止』がアクイヌスにとっての最たる目的だろう。
「交渉事か……処刑の間違いじゃないのか?」
「いやいや、人聞きの悪い。この魔法に物理的な干渉は一切無いのだから、危険ならそのまま走って逃げればいいじゃないか」
「……良く言うよ」
まったくこういう人種は皆、似たような陰湿なことを言う。
レベルが2桁も違うのだから、走って逃げても大人と幼児の鬼ごっこほどにもならないだろうことぐらい、この俺にも理解出来るというのに。
「さあ、もういいだろう? 具体的な交渉に入ろうか」
「交渉……ねぇ」
ボリボリと頭を掻いて……考えを巡らせるその時間を作り出す。
この苦境に対し、明確に何かの策が必要だった。
有利・有効なポイントを必死に探す。
「魔法提供の見返りは確か――」
「――以後は君たちを許そう。それが見返りだよ?」
「……は? ずいぶんと条件が前と――」
「――チャンスを自らふいにしたのだから、当然だろう? さっき言ったよね? 『あまり調子付かないほうがいい』と」
いちいちこちらの言葉へと被せてくるアクイヌスからは、『四の五の言うな』という強烈な封殺の意思が伝わってくる。
言葉自体は丁寧だが、それを発している声には明確な苛立ちが乗っていた。
「言っておくが……これでもかなり君を尊重してあげてるんだよ? こうして『交渉』の体にしてあげているだけで、感謝してもらいたいぐらいだ」
「……武力行使も辞さない、と?」
「ま、それでもいいんだけどね? でも殺しちゃ君から情報を引き出せないだろ? もっとスマートな方法があるのをお忘れかい?」
アクイヌスが嘆息混じりに言葉を繋ぐ。
「こちらとしては、君を縛る誓約を利用して……『差し出す』ように要求してもいいんだけどね?」
「――……」
恥ずかしい限りだが、完全に失念していた。
俺のあの誓約のことを知っている他人は、書いた本人の楽だけじゃなかった。当たり前だ。そのやり取りを傍観していたアクイヌスと剛拳王も当然、その記述された内容を把握していたに違いなかった。
「ほら、君の自主性を尊重しているだろう……?」
詭弁だ。
これはたぶん精神的な優位性を考えている。格付けと言ってもいい。
武力や誓約で『仕方なく』差し出すのと、心を折って『自分の意思で』差し出すのでは全然意味合いが違ってくる。
そしてそれはたぶん、今後をアクイヌスは見越しているのだ。
また俺が何かランクインするほどの偉業達成をした時、再び容易に搾取出来るよう、奴隷のような関係性を今から刷り込みたい――そんな意図が伺えるような気がした。だから俺は。
「――わかった。譲渡しよう」
「へえ? 正直意外ですが……まあ、それならそれで好都合です」
それに素直に応じる。
俺は俺で、この状況をフルに利用する方向に舵を切った。
「念のため……パーティの仲間ふたりの同意を得てからで良いか? 見るからに不満そうだ」
「まあ、構いませんが……剛拳王。見張りをお願いします」
「……ああ」
そのままこの領域から逃げ出すことを警戒してのことだろう。剛拳王がその筋肉隆々な肉体を揺らして近づいて来る。
「ちょっ……香田っ!? いいのっ!?」
「……わたし、反対です」
剛拳王には構わず無防備に振り返り、ふたりの元に近づくと一斉にそんな反対の声が届いてきた。
「仕方ないんだ……痛い目をみるだけ馬鹿らしいだろう。こんなの」
苦笑いをする俺。
「ヤだ! 私、戦う……!!」
「香田君……見損ないました……!」
「納得、してくれないんだ?」
「出来ませんっ!」
「出来るわけないじゃんっ!!」
はぁ……と深くため息をつくと。
「――じゃあ、もういい。パーティはここで解散だ。ミャアへのシルバーマジックの提供も終了。以後、俺はそこのアクイヌスに提供する」
「ちょっと!? 何、勝手に決めてんのっ!!!!」
「そんな……香田君っ……!!!」
「ほら、元リーダー。俺をパーティから今すぐ外してくれよ?」
「ううぅ……っ……」
「あとりんこ。預かってたアイテム、返すぞ」
「ちょ、ちょっとぉ!? 人がプレゼントしてあげたの投げて返すとかっ、最低っ!!!」
やっぱりこのふたりって演技が上手だなぁ。感心してしまう。
当然こんなのは茶番。ただの時間稼ぎ。
こうやって会話をしているその裏で。
『――という感じで、進めたい。許してくれる?』
『はい』
『うー……ヤだけど、ご主人様の命令だって言うなら(´・ω・`)』
『そう。これは絶対の命令だから』
水面下で文字チャットを交わしている俺たちだった。
アクイヌスの出した『バウンダリィ・フィールド』という魔法の効果は外部からの隔離らしい。だから隔離されているその中の者同士であれば、こうして問題なくチャットを交わせるわけだ。
『いい? まずは深山の安全確保が最優先』
『ん』
『はーい……(´・ω・`)』
『大丈夫、後は任せて。凛子、合図を確認したら頼むよ?』
『うん……言われた通りにやってみる(´・ω・)』
不慣れな深山は当然、入力がバレないよう極力短文だが……それにしても顔文字まで入れてくる凛子が地味にすごい。
不満そうに目を伏せたり首を左右に振ったりして、入力している瞳の動きを悟らせないように演技しているのは今後の勉強になった。
ちなみに俺は剛拳王へと無防備にも背中を向けているので、その苦労が一切無い。
「ミャア! 外せって言ってるだろ!?」
「こ、香田君のっ……ばかっ……!!!」
「香田なんか、香田なんかっ……し、死んじゃえーっ……!!!」
凛子がボロボロに泣きながらそう吐き捨ててこの場を去って行く。
……あーあ。あれ、絶対に後まで引きずるパターンだよなぁ……。
「――フンッ……じゃあね!」
深山も言葉少なく背を向けて走り去った。
しかし予想通り、『バウンダリィ・フィールド』の範囲外である紫の霧の向こう側へと去って行く凛子や深山を追う様子は、向こうに一切見られなかった。
これがまず、俺たちの有利なポイント。数的な優位。
ここでバラバラな方角に去って行く凛子と深山を剛拳王が追えるはずがない。しかもふたりしかいない彼らが今ここで分断したら、その隙に肝心の俺を逃がしてしまう可能性が高まってしまう。
彼らにとって逃してはならない存在というのは、俺だけだ。
『ミャア』という存在はむしろ謎の魔法を唱える邪魔な脅威でしかなく、『りんこ』に至っては警戒する対象にも入っていないことだろう。
……そう。あのふたりは絶対に凛子を軽んじてる。
それもまた、こちらにとって有利なポイントだった。
「待たせたな。恥ずかしいところを見せた」
「ふむ……まあ確かにパーティの登録からは外されたみたいですが。しかしそんなの、いくらでも後から戻せますからねぇ……?」
周囲の様子を明らかに警戒しているアクイヌス。
まあつまり、一度離れたふたりが遠方からの攻撃をしてくるかもしれないと考えているのだろう。
しかしその疑いもすぐに晴れる。遠くへと真っすぐに去って行く凛子と深山のふたりの後ろ姿はそれぞれ豆粒ほどまで小さくなってもまだ見えており、すでに200m以上離れている。
あれでは魔法はおろか、さらに射程の長い弓矢も含めて一切の攻撃がとても届くレンジではない。
これがもうひとつの、有効なポイント。見渡す限り遮蔽物の無い平坦な地形。
「ここは範囲指定から隔離されているんだろ? つまり俺の解釈が間違って無ければ、お前の警戒するシルバーマジックでもここの範囲を指定することが出来ないはずだが」
「それはまあ、そうなんですけどね……」
それでも警戒を怠らないアクイヌスは、中指で細いフレームのメガネをクイッと押し直すと。
「剛拳王。弓師もいますので、念のため目を離さないでおいてくれますか」
「おう」
内心、俺は正解を引き当てたと確信してニヤリと笑う。
どうやら『遥か遠くに居る』という視覚的な保証はそれ以上の疑いの芽を摘んでくれたようだった。
「ではさっそく、そのシルバーマジックとやらの譲渡に入りましょう。属性の影響下に無い点……あるいは一般市民というふざけたその職業で創造出来た点から察するに、魔力の注入によって発動する『マジックアイテム』の類だと推察してますが……?」
「……詳しい説明より先に、相談がある」
「相談?」
「提供の時期についてだ。……来月からの提供ではダメだろうか?」
「ああ、つまり決闘モード大会以降にしたい、と?」
「そういうことだ。提供することを確約した文章を誓約紙に書きこんで構わない。準備する時間をくれ」
「はてさて……どうしたものやら」
「シルバーマジックは、そんな万能なものじゃない。個人の特性を活かしてカスタマイズする必要があるんだ」
「……」
仮面のようなそのアクイヌスの表情。何を考えているのか、正直さっぱりわからなかった。
「――嫌ですね」
だから結局は事前に推測することも叶わず、その冷酷な声でのみ思考の結果を知らされた。
「君は、自分の立場をわきまえてない」
「は――……ぐっっ……!?!?」
唐突な衝撃と……圧迫。キリキリと割れるように頭が痛い。
「条件を出せる立場にあるとでも?」
俺の身体がゆっくりと浮かび上がる。
一瞬、アクイヌスの魔法か何かだと勘違いした。――ではなく、背後から剛拳王によって頭を鷲掴みにでもされているようだった。
鉄製の籠手から伸びる爪のような鋭い鉄の指先が頭皮にめり込み、強烈な激痛をもたらしていた。
「ははっ……わきまえてない、のは……お前、だろっ……」
「おや? まだ虚勢を張れますか?」
「ぐああぁぁ……っっ……!!」
――割れる。頭が、割れる。
「こ、殺した、ら……終わり、だろうがっ」
「そうですね。ご明察の通り強制ログアウトされてしまう。それはログアウトのアイコンを押しての自発的な脱出とは違い、強制処理なので不可避です」
「なら――」
「さて、その先は……面倒ですがせっかく君をブックマークしているのですし、ログインの知らせと同時に、ただの平坦な荒野となってしまったこの『始まりの丘』周辺で待機としましょうか。そしてまた見つけ次第、このように――」
「がああぁあああっっ……!!!!!」
ミシミシと、文字通り頭の中に頭蓋骨が割れていく音が響く。
……実際の半分以下の痛みで、これかよ。
覚悟していたが、それでも確かに心が折れそうだった。
「――何度も何度も剛拳王に頭を潰してもらうことにしましょう。うん、その硬い頭も何度か潰せば、少しは柔らかくなることでしょうね?」
「ぐっ……じゃ、あ、早く……やれよっ……」
「やれやれ。覚悟でも決まってしまっているのか、強情だ。面白くない」
面白くない――……ああ、つまり、これはアクイヌスの趣味なわけだ。
何だよ、楽のこと言えた立場じゃないだろ。
絶対的な優位から相手の心を折るのが趣味とか、最悪だろ。
「では仕方ない。趣味ではありませんが……ガクチの誓約でも使いましょうか」
「……っ」
ここから先、確証は無い。
『だろう』とか『たぶん』なんて要素がいくつか含まれてる。
でも仕方ない。
俺の自覚の足りなさによって、最悪のタイミングで不意を突かれてしまった以上、その程度のリスクは責任として負わなければならない。
そして深山を安全なところに退避させられたのだから、もうすでに現段階で成功の範疇だ。贅沢は言えない。
「香田孝人。君の所有する<シルバーマジック>を求めます。ここに差し出しなさい」
「……」
しばしの沈黙。
これは『当然』ながら、強制力が働かない。
『求められた物はすべてを差し出す。』
楽の記述した誓約の文章には明確に『物』と書かれている。
悪いが、それは物なんかじゃない。よって強制力など働くはずが無い。
……これはずっと以前、初めて会った時に『りんこさん』が試したことだった。
「……参りましたね。そういえば正式名称がありましたか……ゲート……ドラゴン……はて。何でしたか?」
「ぐっ……答える、はずが無いだろっ」
そう。アクイヌスが本当に欲しているのは『シルバーマジック』ではない。それは俺が創作した魔法のヘッダー部分であり、記述を共通化して圧縮する意味で最初に宣言しているだけの、何の攻撃力も持たないひとつの『鍵』だ。
「剛拳王……潰さない程度に頼みます」
「ああ」
「――――~~~っっっ……!!!!!」
俺の後頭部を掴んでいるその太い幹のような腕を両手で必死に捕まえるが、ビクともしない。そもそもにおいて、鉄製の籠手に包まれているその腕を、筋力最低な俺の素手でどうにか出来るはずもない。
だからこれは条件反射的な行動。
あまりの激痛に生命の危機を感じて、身体がエラーを吐いているだけ。
「知る、かっ……!!!」
振り返って思う。
どこまで狙ってああいう名称や構成にしたのかは知らないが、結果的に深山のファインプレーだった。
一見して覚えられそうもないあの長い正式名称は、こうして指定の妨害に充分役立っている。
「ではこうしましょう。香田孝人……君の所有する全てのアイテムを差し出しなさい。私は求めます」
「――……ぷっ……」
堪らなくなって、俺は吹き出す。
確かに俺のアイテムが3つ、強制的にポップされた。しかし。
「……どういうことですか、これは?」
それは、ただのそこらへんに転がっていた石ころの破片に、道端に落ちていた木を添えただけの、糞アイテム。
「どういうって……俺が半日掛けて作った、自信作だけどっ……?」
それでも疑ってマジマジと観察しているアクイヌス。
堪らない。ナチュラルハイで、今にも爆笑しそうだった。
「他に何か隠し持ってないのですか……?」
「はははっ、誓約紙の強制力を疑うのかよっ!?」
フン、と視線を切ってアクイヌスは砂の地面に俺の自信作を捨てる。
「つまりマジックアイテムの類では無い、と?」
「見当外れもいいところだ。くくっ……アンタ、実は頭悪ぃだろ??」
自分をインテリとか勘違いしている相手には、これぐらい下種なほうがプライドを刺激して地味に効く。
なぜ解るかと言えば、そりゃ当然、俺自身がそうだからだ。
そういう人種から言われる度に、貧乏人から『あんたは貧乏だね』と笑われるような不条理さが込み上がるのだ。
「調子付いたガキが、よくしゃべる」
「――ぐがあああぁぁああっっっ!!!!!!」
背後の剛拳王が空いている手で俺の手首を取り、そのまま決して曲げてはいけない方向に肘を曲げる。
抵抗するだけの余地すらなく、まるで小枝でも折るようにポッキリと俺の右腕が簡単に折れた。
……何となく、アレだ……クリスマスに食べたチキンを思い出した。
あの裂いた関節の間にある軟骨、美味しいんだよなぁ……。
「ひ、はぁー……はあっ……ぐ、あぁ……っっ……」
「……やれやれ、仕方ない。では残された可能性として、拝見するとしましょうか」
ため息混じりにアクイヌスは細かく首を左右に振り、肩をすくめると。
「――香田孝人。君の誓約紙をここに出しなさい。私はそれを求めます」
「くっ、はははっ……シロウト、かよっ!」
頭部の皮膚が裂けて顔には血が滴っているが、知ったことじゃない。
頭だけで掴みあげられて今にも首が千切れそうだが、それがどうした。
俺は心から楽しくなってきてそう叫んだ。
もうそれも『りんこさん』が試した方法だっての!
「くくっ……誓約紙は、他人に差し出せない、んだよっ……そんな基本も知らなかった、かいっ……?」
「……」
冷めたその視線が逆に痛快だった。
「……では誓約紙に記述されたシルバーマジックに関する情報を差し出しなさい。求めます」
「ぐはっ、はははははっっ……いいぜ? いいよっ、一字一句間違えず正確に伝えてやるからよーく聞けよっ!?」
すう……と一度大きく息を吸うと、一気に吐き出すようにその内容を口にした。
「スクエアエスブイエム、ブレイス、アットマーク、コールレスザン、イニシャル、グレーターザン、エンター……!」
「……は?」
これはもうひとつの、深山の超ファインプレー。
『どうしても』とこだわってつけたシルバーマジックと叫ぶ冒頭の宣言部分は必然的に魔法本体からの記述分割化の処理となり、まるで『鍵』と『扉』のような関係性になってくれている。
さらに『鍵』は俺の誓約紙に。『扉』は深山の誓約紙にそれぞれ分離して記述されているから、どちらかだけ奪われたり情報が開示されても、実行はおろか解析することもまず不可能なのだ。
結果、深山が出してくれたあのムチャクチャなお題の数々は、今、こうしてすべてに意味が生じていた。
「どうした? まだ1行目だぞ? あと30行はこれが延々続くから覚悟しとけ! お前の頭じゃまったく理解出来ないだろうけどなっ!!」
俺は爆笑しながら2行目を思い出して呪文のように唱える。
「はははははっ!! ほら2行目! ワン、ピリオド、アットマーク、変数定義、レスザン、レフトスクエアブラケット、ピーダブル、ライトスクエアブラケット、イコール、スリ――……ぐはあっ!!!!!」
ミチミチと音を立てて俺の手首が握り潰される。
「もう結構……まったく。ふざけてて埒が明かないですね」
「ぐ、はっ……それっ……思考、停止っ……取り繕うにもっ、もう少しマシな言い方、無い……のかよっ……?」
ありがとう、凛子。
もうずっと……すごく我慢してくれてるよな……?
ごめん。もうちょっとだけ、待っててくれ。
「なぁさ……どうして、アンタ、そんな必死なわけ……?」
「……どういう意味ですか?」
「1位様のくせに、どうして……そんなに、余裕無いんだよっ……こんな最低レベルの初心者がたった一週間で見つけたようなショボい発見、自分で探せないのかよ……それでも、1位様かよ?」
「……ハハハ。無駄、無駄。殺されようと必死に煽っても、残念ながら殺しませんから」
「――……アナザー、か」
「……」
ビンゴ。
突然、アクイヌスの顔から仮面みたいな冷ややかな笑顔が消えた。
「KANAさんは持ってるのにっ……くはっ……ははっ……情けない、ねぇ……アクイヌス? だから怖くて、KANAさんに挑めないわけだぁ??」
「……」
「この世に3個もあるのにっ……1位になっても、まだひとつも手に入ってないんだよなぁ……?? 虚しいねぇ、KANAさんが参加出来ない月、に、逃げてる……立派な、1位様ぁ?」
「――……」
ようやく俺は、本物のアクイヌスと対峙した気がした。
汚物でも一瞥するかのような鋭い眼光。
ギリギリと歯から擦れる音が鳴っている。
「いいね、その表情――……ぶっ…………ぐっ……」
ふと見ると、俺の腹から剣が飛び出ていた。
俺はそれを黙って見下ろす。
痛みを感じていないわけじゃない。そうじゃなくて、アクイヌスに顎の下から掴まれてて、声を出すどころか鼻でしか呼吸が出来ない状態だった。
「ふーっ……ふー……っ……!!!」
「豚みたいな臭い息を出すな、ガキが……!!」
まるで誰にも聞かれないように、耳元でそう囁くアクイヌス。
いいね……ようやく本音トーク、出来そうだ。
まあ、俺の命があとどれぐらい持つか、わからないが……。
「――なあ……お前、何者だ……?」
「??」
残念ながら、その質問の意味が解らない。
「初心者を騙ってるが……さすがにサブ垢だろう、それは。どうやってカプセルの認証を騙して通過している……?」
「ふっ、んふっ……」
まさかここに来て、『2週目』を疑ってくれる人が居るなんてな。
ずーっと昔のあのハッタリを思い出して、思わず吹き出してしまう俺。
しかしこの人、妄想逞しいなぁ……色々思い込みが激しそうだ。
「何が、おかしい……なあ?」
こうやって口を押えられてるのにどうやって返事しろって言うんだか。
「なあ、もしかしてガクチ自体が、罠か……? まんまとハメられたわけか、私たちは???」
「んふんん、んんふんっ」
「ああ……これは失礼。私としたことが」
ようやく口元が解放された俺は。
「知るかよ、馬鹿っ!」
改めてそう言ってやった。同時に――
――ガツンッ……!!
「ぶ、ぐっっ……はぁ…………ははっ……効くぅ…………魔法使い、やめて……武道家でも、やったら……どうだ? そっ、ちのほうが……センスあるんじゃ……ないかっ?」
杖の先端の、大きな結晶がついている部分で顔面を横から殴られた。
「はぁ……っ……とりあえず、見せなさいっ……」
「……ん?」
「いい加減、君の誓約紙を、見せなさい。その誓約に掛かれた文を情報として確認することを、私は求める……!」
「ははは……まだ足りないけど、まぁ、いいんじゃないか? 一応、誓約の強制力は働いている感じがするよ……これ、70点ぐらい、かなぁ?」
……ああ。確かに強制力がじんわりと効いてきた。
誓約紙をポップするため、勝手に左手が持ち上がっている。
「香田孝人。覚悟しておくといい……誓約紙を出したら、永遠の奴隷となるような一文をすぐに書き加えてあげよう」
「ははは……そりゃ怖い、怖い」
左手が勝手に胸元ぐらいまで上がり、手のひらを上へと向けている。
同時に、全自動で視界内のカーソルが誓約紙へと移動していた。
「……どんな感じなのか、俺も今から楽しみだよ」
「何?」
「ほら、俺の誓約紙のご登場だ――」
カーソルが誓約紙の上で止まり、俺の左目が閉じる。瞬間。
「――……ふ、ざける、な……何だ、これは……???」
目前のアクイヌスが初めて顔色を変えて狼狽してくれた。
あれだけ煽っても睨んで殴ってくるぐらいしか変化が無かったのだから、目前の光景がよほど衝撃的だったということだろう。満足だ。
「これが。こんなものがお前の誓約紙だとでも言うつもりか……!?」
ポップした俺の手のひらの上の誓約紙を眺めて、アクイヌスが叫ぶ。
「……何か、変か?」
ざっと計算してみようか。
誓約紙の厚さが0.2mmぐらいだったと仮定して。
それの10万倍って、どれぐらいになるだろう?
……暗算って苦手なんだよなぁ。深山にお願いしたいなぁ。
えーと……とりあえず、2万mmってことで。
つまり2000cm? ……おお! 20mか、そりゃ高い!
「なん、ですか……このふざけた……物体は……」
まるでそれは白い柱。
俺の手のひらの上には、電柱なんかより遥かに高い白い柱が天に目がけて真っすぐに伸びていた。
「なあ、アクイヌス。紙って1枚、3~4gぐらいだっけ?」
「は……?」
そろそろ、15秒ぐらいか。
俺はゆっくりとそのポップしている左手を差し出して――
「じゃあ、40万gって、どれぐらいの重さなんだろうな?」
――アクイヌスの胸元で、ポップしている『それ』に触れてやった。
「ぐあああああっっっ!?!?」
……ああ。たったの400kgか。
端数入れても凛子カーより軽そうだ。なら、平気だろ?
「はははっ……ざま、みろっ……」
ビリビリと地面に伝わる重い縦方向の振動。
一矢報いてやった。
まるで鉄筋のように瞬時に地面に突き刺さる頭がおかしくなりそうな俺の誓約紙の塊は、ついでにアクイヌスの足をも巻き込んでいた。
「お前――」
圧倒的な誓約紙の柱にでも見とれていたのだろう。
背後の剛拳王がようやく我に返った様子で、そう叫ぼうとした瞬間。
「――……ぁ?」
それは、音も光も、衝撃すらも無い。
何の前触れも無く唐突に『持って行かれた』。
……いや。正確には遠くで盛大にキラキラ輝いていたし、こうして俺と剛拳王の胴体にそれぞれ拳大ほどの空洞が出来た後に、とてつもない衝撃破と轟音は遅れて訪れていた。
全ての現象は、『持って行かれた』その後に遅れて起きたというだけ。
「ば、馬鹿、なっ……!!!」
身動きの取れないアクイヌスが目前の現象を見て叫んでる。
そりゃそうだろう。ここは『バウンダリィ・フィールド』の中だもんな?
範囲指定の一切が遮断されて、外側からの攻撃はあり得ない。
きっとそう思い込んで叫んでるに違いない。
遠くなっていく意識の中で、それでもあまりに痛快過ぎて笑いが込み上がる。
「……はは……っ……」
やっぱりというか……これは『主力』だ。
このEOEにおける最大勢力への強烈なメタとなる存在。
想定していないところからのまったく前兆が無い一撃なんて、絶対に回避など不可能。冷酷なまでの決定力。
もし弱点を強いて上げるとするなら。
「凛子……嘘ついて、ごめん……な……」
その実行者が……とても優しい子で、傷つきやすいってところ、か――





