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#039 ありがとう

 ――もうちょっと違う状況を想像していた。

 クラウン授与式が終わって、ラウンジから強制的に元の場所へと転送される表示がカウントダウンと共に目前へと現れた時、俺は少しばかり憂鬱だった。そして気持ちが急いてもいた。

 『きっと取り残された凛子、泣いているだろうな』って。

 だから――


「おかーえり~っ!!」

「凛子ちゃん、ただいま戻りましたっ」


 ――両手を挙げて大はしゃぎで俺たちの帰還を歓迎してくれていた凛子の様子を見て、少しばかり戸惑っていた俺だった。

 ……あれ?


「番組観てたよーっ! 香田、テレビ映り良くてびっくりしちゃったぁ! 録画機能あったら絶対に永久保存してたのにぃ!!」

「……」

「深山さんもナーイスッ! あのブッ倒しちゃる発言、カッコ良かったよーっ!!」

「そ、そう? えへっ……なんか恥ずかしいなぁ」

「こうっ、スカッとした! 打倒おっぱいーっ!!」

「え、あっ。凛子ちゃん、大会に参加するの許してくれるの?」

「もちろんだよぅ! 痛くないらしいしっ、死なないしっ! 香田の創った魔法が大活躍するなら私も応援したいしっ!!」

「うんっ、ありがとう♪」


 深山と凛子、ふたりで笑い合ってる。


「……」

「ほぇ? どったの、香田……?」


 きょとんとした顔で俺を見上げてる凛子。

 黙ったまま、俺は――


「ふ、ふおおぉぉっっ!?!?」


 ――たまらない気持ちで、その小さな身体を抱きしめていた。


「こ、香田っ!? どったのっ!? う、嬉しい、けどっ!!!」

「……独りにさせて、ごめん。寂しかった?」

「えっ、えっ?? う、ううんっ、全然だよっ!? ランキング入りしたから公式にふたり呼ばれたんだなーって、すぐわかったし、ば、番組にもインタビューで出て来てたし……うーっ……し、幸せすぎるぅ……っ!!」

「そっか……寂しい思い、させてなかったなら……良かった」

「ううん、全然っ」

「ははは。無駄に大げさに心配しちゃったなぁ。驚かせてごめん」


 急に恥ずかしくなって凛子を解放――……は、させてくれなかった。


「待って……香田」

「うん?」

「ごめんなさい……今、離したくない感じ……私なんかに、ぎゅーっとされて嫌かもしれないけど……もうちょっとだけ、こうしたい……」

「もちろん。俺も嬉しいから、凛子が望むだけこうしてるよ?」

「そんなこと言っちゃったら、ミイラになるまでこうしてるよ……?」

「ははは……ミイラか。それはさすがに困るかな?」


 それでも笑ってる俺の首を、ぎゅー……っときつくきつく、最大限に抱きしめてくれる凛子。


「――……ヤ。嘘、ヤ」

「え?」

「香田が笑いたくない時……無理に嘘ついて笑うの、ヤ」

「……」


 何か突然、真剣な声で慎重に言葉を掛けてくれる凛子。

 正直俺は全然意味がわからなかった。


「ね……香田、どうしたの……?」

「うん?」


 それは俺の台詞だ。


「…………怖かった? それとも疲れちゃったの?」

「ごめん、意味がちょっと――」

「――わかってあげられなくて、ごめん……でも香田、そういう顔してる」

「……え?」


 今、俺、どんな顔をしてるんだろう?


「どしたの……? すごくすごく無理してる感じ、するよ?」

「えーと……」


 どうしたものか。

 そんな自覚も無いので、戸惑うばかり。


「ね……調子、悪いの?」


 一度俺の首から少し離れて、凛子が俺を見つめる。

 その瞳には少しばかりの涙が浮かんでた。


「……いや。凛子と会えてホッとしてるだけ、だよ?」

「ね、香田。もっかい……ぎーゅって、していい……?」

「うん」


 ぎゅー……っ。

 凛子の心地良い締め付けが、心に染みるようだった。


「……怖かったの?」

「え? いや……まあ緊張はしたかも知れないけど。インタビューとか苦手だし、上位ランカーたちに囲まれたし……」


 ふと、それで確かに自分の心が今の今まで張り詰めていたことに気がついた。

 ラウンジに入って意識を取り戻してからずっと……心が落ち着かなかった。

 まるで高熱で倒れている時みたいな感じ。

 じっとしているだけでもつらくて、考えが全然まとまらなくて。

 ひたすら落ち着かなくて。

 そういやKANAさんも最初、高熱の患者への接し方みたいな対応をしてくれていたな。

 ……どうしちゃったんだろう。俺?

 EOEに風邪とか、無いよな??


「まあ、知らない場所に突然召喚されて、びっくりした――」


 ――ああ……そっか。

 知らない場所に突然、か。

 ようやくようやく、俺は自分を取り戻しつつあった。


「凛子……俺からも、ぎゅっと……していい?」

「うん、いっぱい、して」


 凛子を俺からも壊れそうなぐらい抱き締めて、その柑橘系の甘い香りに包まれる。顔を埋める。

 そうして、強張った心が少しずつ少しずつ、弛緩されていく。


「……怖かった」

「ん」


 それは、ラウンジの上位ランカーが……とかそういう意味じゃない。

 俺はいつの間にか、心を閉ざしてそれより以前のことを思い出さないように思考を封じていた。

 怖かった。

 そう。怖かった……俺は、本当に怖かったんだ。

 死ぬより、ずっと恐怖していた。


「怖かった……すごく、すごく怖かった……っ……」


 急に、俺の全身がガタガタと震えだした。

 ようやく心が『ここ』に追いついてくれた。


「――暗くてっ……誰も、いなくてっ……」

「ごめんっ……香田が怖がってる時、近く、いられなくて、ごめんねぇ……っ」


 凛子は、俺の身に訪れた恐怖のことなんて全然わからないはずだ。

 でもきっとそんなことは、彼女にとってはどうでもいい。

 大切なのは、怯えてこうして強張っている俺のこと。

 『それほど恐怖していた』というその事実だけで、もう充分なのだろう。

 だから深くは聞かないでくれていた。

 助かる。正直俺にも、上手に伝えられる自信が無かった。

 あんなの……ただの闇でしかない。

 あんなの、ただの広々とした空間でしかない。

 ただ、ほんのちょっとの間、何もないだけの空間に取り残されただけ。

 軽くパニックになって、そのまま気を失っただけで。

 それでこんなに震えて、泣きそうになってて……子供みたいで恥ずかしい。


「……っ……」


 ――でも、ダメだ。

 あれだけは絶対にダメだ。

 あんな何も無い空間に独りとか、人は簡単に狂ってしまう。

 ……いや。実際、少しの間、俺は自覚出来ないほどこうして狂っていた。

 心の歯車が噛み合わないでいた。


「香田っ……すぐわかってあげられなくて、ごめんね……?」


 思い出して震えてる背中を、何度も擦ってくれる凛子。

 そっか……俺、凛子が『寂しそうにしていて』欲しかったんだ?

 それで慰めるふりして、こうして抱きしめ合いたかったんだ。

 ……つまり、寂しかったのは、俺のほうだったんだ。


「……ありがとう」


 あの時は恐怖からの解放と同時に、ラウンジという知らない場所に突然放り込まれて。

 わけがわからなくて。

 極度の緊張と情報の洪水の中で、俺は目の前の現実に立ち向かうため、必要に迫られて一時的に感情を閉ざしていたのだろう。

 そしていつの間にか、心をどこかに置き忘れてしまっていた。

 精一杯に平常なフリして演じていたけど、でも同時にインタビューのマイクを向けられるだけであんな取り乱してしまうぐらいには、すでに限界まで弱まっていた。


「ううん……ごめんねっ……?」

「ありがとう、凛子」


 繰り返される同じような会話。その度に俺は救われて行く。

 こうして凛子が察知してくれたおかげで、ようやく自分を取り戻せた気がした。


「――深山」

「は、はいっ!」


 深山なりに思うことがあったのだろう。

 うつむいたまま暗い顔をしていた深山に声を掛けると、慌てて顔を上げて表情を取り繕ってくれた。


「……危険なことをさせて、悪かった」

「え……?」

「ウラウロゴス、だっけ。あんな巨大なモンスター相手に単独で行かせて、テストすらしてない魔法を唱えさせて……本当に悪かった……あまりに軽率だった」

「ううんっ、ううんっ! わたしがお願いしたの! わたしがやってみたかったの!」

「もう二度と深山をあんな危険な目には合わせない。そうさせない」

「…………はい」


 ――もし。

 もしあの時、他のプレイヤーからの攻撃を深山が食らっていたら?

 もし深山の魔法で、俺たちのように深山自身も死んでいたら?

 それで深山が、あんな暗闇の中で二ヶ月近くも幽閉されていたら?

 ……とんでもない。

 ダメだ。

 絶対にそれだけは、ダメだ。

 その恐怖と絶望をほんの少しだけ味わった今の俺は……過保護と思われるかもしれないけど、だから以前の何倍も深山を守りたい気持ちが強まっていた。


「――……はぁ……言うように、確かに俺……疲れているかも。ごめん、凛子。ちょっとこのまま座っていい?」

「あ。うんっ、座って! 座ってっ!」


 昨日の夜は深山のことで、苦しみもがいて。

 昼間はずっと魔法を創って。

 夜はウラウロゴスと戦って。

 夜中は一度リアルに戻って、凛子と合流して。

 ……それだけですでに目まぐるしいほどの濃い内容だが、実際はそれだけじゃない。

 遅延を起こしてゲームの同期から外れ、静止しているその間、ずっと俺は暗闇の中で絶叫して、もがいていた。

 果たして実際の時間がどれだけの長さだったのかは定かじゃないが、しかし体感としてはまるで無限のような苦しく長い時間だった。

 直後ラウンジの一件もあって……そりゃ、まあ……疲れるよなぁ。


「ね……香田君。眠たい?」

「あ。いや、大丈夫。まだ、クラウンアイテムとか確認してないし……」

「それ、明日ゆっくり確認しませんか?」

「うんうんっ」


 ふたりして物凄い心配そうな顔でこっちを見ている。


「じゃあせめて、横になって身体を休めませんか? そして眠くなったらそのままどうか眠ってください」

「はは……見事に返されてしまったな」

「うんっ」


 まんまこれ、一日前の眠そうな深山へ掛けた俺からの言葉である。


「ん~。ブランケットでもあればいいのだけど……」

「そこまでなぞらなくていいからっ」


 何か妙に恥ずかしい。


「んむ? 毛布欲しいの?」

「えっ。凛子ちゃん持ってるの!?」

「もっちろーん♪」


 そう言いながら実際に毛布をポップさせる得意げな凛子だった。


「おお……」

「きゃーっ、凛子ちゃん先生すてきーっ!」

「ふふふーんっ♪ じゃあ、香田! さっそく寝て、寝てっ!」


 相変わらず俺にしがみ付いたままの凛子が、自分の体重を掛けて強引に俺を寝かしつけようとしてくれていた。ついでに深山まで俺の腕を引っ張る。


「お、おいおい……」


 せめてこんな何も無いところじゃなくて、もっと落ち着ける場所に……と一瞬思ったが、そもそも見渡す限り焼野原というか砂漠みたいなこの一帯に、そんな都合の良い場所は無さそうか。

 結局ふたりに押し倒されるようにして、座り込んでいるこの砂地の上へと倒れ込んでしまう俺だった。


「それーっ」


 ばふっ、と凛子が俺の上へとすかさず厚手の毛布を掛けてくれる。

 決して寒いわけじゃないけど……そういう問題じゃなくて、やはり人としてこの包まれる感覚は心惹かれるものがあった。


「ほら、凛子ちゃんも入って入って!」

「え。ちょ、ちょっと! 深山さんっ……!」


 横たわる俺の胸の中へと凛子の小さな身体をグイグイ押し込む深山。


「み、深山さんもっ! 深山さんも入らなくちゃダメ!」

「わたしはいいです……昨日、香田君とふたりきりで眠ったもの。だから今日は、凛子ちゃんとふたりきりで眠って?」

「ダメッ! 深山さんだけ独りとか、寂しいじゃん!!」

「……ふふっ、ありがとう。でも大丈夫」

「ダメ! ヤだ!! 3人でいっしょに寝よっ!?」

「そうだな。深山もいっしょでなきゃ、ダメだな」

「えっ、香田君……?」

「深山を独りにはさせられない」


 寝ている間に夜襲で深山が殺されたりしたら、たまったものじゃない。

 ……そういう理由にしておいた。


「うんうんっ。ほらっ、そういうわけで深山さんも入った入ったっ!」


 毛布をバンバン叩いて深山に指示する凛子。


「じゃあ……その。凛子ちゃんの隣なら」

「ほぇ?」


 そんなこんなで俺たちは『川』の字になって並んでひとつの毛布の中に入ることになった。

 凛子が中心で、その左手側に俺。右手側に深山という感じ。


「何これ! 超楽しいんだけどっ!?」


 まるで修学旅行のノリである。

 やたらハイテンションな凛子だった。


「わたし……入ってて本当にいいの……?」

「もちろんっ! ほんとは香田が真ん中、左右が私たちのほうがベストだと思うんだけど――」

「――だめ。それならわたし、出ちゃいます!」

「うーっ……じゃあ、ごめんね?」


 そう言って謝る凛子。

 そういや凛子、俺に触れないようにしているようだった。

 平和なそのやり取りをぼんやり眺めていると――


「――ふぁ……」

「あ! 香田、寝て寝てっ!!」


 ついついあくびが止まらなくて漏れてしまう。

 慌てて睡眠をうながしてくれる凛子だった。


「断る。俺も楽しいから、もうちょっと……こうしてる」


 まるで夢の中みたいなEOEというゲーム中でも眠いというのは、結局、脳を休ませたいという身体の本能レベルの欲求なんだろうなぁ。

 まどろみながらそんなことをぼんやり考える俺。


「それより凛子……こっちおいで?」

「え」


 いつまでも遠慮したままの凛子を見かねて、俺から誘うことにした。


「ぎゅー……ってしたい」

「うううううーっ!!」


 頭を抱えて苦しんでる凛子。


「ほらほら、凛子ちゃん?」


 並んで寝ている深山も文字通り背中を押してくれていた。

 凛子の中では後ろめたさが大きかったのだろう。

 深山のその言葉が決め手となって。


「そ、そのっ……お、おじゃま……して、いいのっ……?」

「俺が、そうしたいの。おいで」

「うーっ……」


 恐る恐る、という感じで毛布の中の、俺の胴体手前辺りに空いてる空間へと潜り込む凛子だった。


「いらっしゃい」

「は、はうっ!!!」


 まるで待ち構えた罠が発動したように、近寄った小さい凛子の身体を両手で胸の中にしまい込んだ。


「や、やばいっ……こ、これっ、やばいっ……!! 死んじゃうっ、私、幸せすぎてこのまま死んじゃうっ……!!!」


 目を丸くして顔を真っ赤にして、でも幸せそうに何度も俺の胸に頬ずりを繰り返す凛子。

 いつもぎゅーってしているから基本は何も変わらないはずなのに、確かに横になって毛布の中だと、何か特別な感じが俺にもした。


「うん……俺もヤバイぐらい幸せかも」

「やーんっ、やんやんっ……はうあうっ……!!!」


 可愛いな、大はしゃぎしてる。


「やぁんっ、香田パパぁ~、あったかーい♪」

「パパって……おいっ」


 念のための確認だけどさ。貴女のほうが年上ですよねっ?


「ねぇ、パパぁ、凛子、お家欲しいなぁ……!」


 もしかしたら幼少の頃にこうして父親と寝ていたのかな?

 凛子には他意は無くて純粋に童心に帰っての言葉なのだろう。

 しかし、だ。

 横になって寝具の中で抱きしめ合いながら高額の物をおねだりとか、その『パパ』はちょっと意味が違って聞こえる気が……。


「お家……どうしてこのタイミングで?」

「だって、そのほうがもっともっと落ち着くもんっ……!」

「ああ、それは納得」


 間接照明とかつけた、ちょっと手狭な寝室とか思い浮かべてみた。

 それは完璧だ。まさに理想のリラックス空間になりそうだ。

 そうだな……いいな。家。


「なあ深山ママ。高額で売れそうなアイテム拾ったんだけど、本当にそれ売って家、買っちゃおうか?」

「――えっ!? ええっ!!!」


 遠巻きに眺めてた深山にふざけた感じで話し掛けると、やたら大げさに驚いていた。

 どうでもいいけど深山ママって語呂が悪いなぁ。『みやママ』ぐらいにしておくべきだったか?


「ママ……わたし……香田君の……奥さん……っ……?」


 ぽ~っとうわ言のようにつぶやいている深山が地味に可愛い。


「ちょっ!? 私、深山さんと香田との間に生まれた子供設定なのっ!?」

「俺のことパパって呼んだの、凛子からだろ?」

「違うっ、深山さんはパパの愛人っ!」


 ……子供と愛人とでいっしょに寝るとか……無駄に複雑な家庭環境っぽい設定だなぁ。


「そもそもパパじゃありませーん!」

「うーっ、ヤだ……今だけはパパがいいっ……!」

「……」


 妙にそこにこだわる凛子。

 ちょっと考えて。


「もしかして凛子のお父さんって、もういないの……?」


 俺と凛子との間柄なら許されるだろう。

 あえて踏み込んだ話をしてみた。


「へ? 全然元気だけど??」

「そ、そうか……」


 俺は完全に読み違いをしたみたいで――


「……ま。しばらく会ってないから、しらないけどね?」


 ――いや。そう大きな読み違いでも無かったらしい。

 続くその言葉は少しばかりの寂しさが含まれていた。


「しばらく会ってないの?」

「あぅ…………ごめん、今の、無しっ」

「ほらほら、パパに話してごらん?」

「うーっ……ヤだ」

「どうして?」

「違うもん……違う。パパって言ったのただの冗談で、違う。香田は香田。パパの代わりなんかじゃないし……」


 もぞもぞと毛布の中に頭を入れて顔を隠す凛子。


「…………ごめん、なさぃ」


 そして今にも消えそうな声で、そう謝っていた。

 俺は……ちょっと悩む。

 デリケートそうな話だし、無理やり聞きだすのは悪いだろうか?

 せっかくの楽しい空気を壊すのはマイナスだろうか?

 ただの俺の自己満足にしかならないのでは?


「わかった。俺は凛子の父親の代わりじゃない」

「……うん」

「その上で……大事な凛子のこと、もっと知りたい」


 でも、出した答えはこれだった。

 とても大事な話に思えたから、もっと踏み込むことにした。


「凛子と……これから先もずっといっしょにいたいから、知っておきたい」

「……」


 黙ってしまう凛子。

 果たして今、どんな顔をしているのだろう?

 毛布の中に隠れて様子がわからないから、無理にそれ以上は問えなかった。


「……こうしてると、姉さんのこと思い出すなぁ」

「ふぇ?」


 ぴょこ、っと毛布の中から顔を出す凛子。

 やっぱりというか、ちょっと泣いていたみたいだった。


「小さい頃、孤独が苦手で、暗いのが嫌いな泣き虫だった俺は……いつも姉さんにこうしていっしょに寝てもらっていたんだ」

「香田、お姉さんいるんだ……?」

「ううん。昔、『いた』んだ。もう6年近く前の話」

「え――……あ」


 意味を理解した凛子は、反応に困って息を呑んでいた。

 俺は変に謝罪されたくもなく、あえて無視して話を進める。


「懐かしいな……この感じ。温かくて、心が落ち着く」


 『どうしよう』なんて戸惑って慌ててる様子の凛子の髪を撫でながら、俺は精一杯に微笑んで見せていた。

 たぶん凛子には見透かされてしまっている。

 まだ、俺は姉の死の呪縛から脱却出来ていない。未だに受け止めきれていない。

 俺の中の最も弱い部分のひとつ。

 普段は心に厚ぼったい壁を作って封じている、その中身のひとつ。

 それをちょっとだけ無理して、こうして口にしていた。


「香田……ごめん」

「ううん。全然」


 ……当然それは、凛子の父親のことを知りたいから。

 一方的に聞き出すなんてフェアじゃないから、俺から出すことにしてみた。

 だからたぶんその意図まで理解して、凛子は謝ってくれた。


「――……覚えてない」

「え?」

「パパと直接会ったの……もう、記憶に無いんだ……誕生日プレゼントとか送ってくれるから、今も元気なんだと思うけど」

「海外で暮らしてるの?」

「ううん……あはは。よくわからない言い方してごめんなさい。そうじゃない。パパとママは結婚してなくて――あう……ダメだなぁ。私、この話、人に言ったことないから、すっかり誤魔化すことに慣れちゃってて……」


 凛子は目を細めて、俺の胸へと頬ずりする。

 俺という存在を確認しているようだった。


「私って……生まれてきちゃ、いけない子だったんだ」


 淡々と告げる凛子の表情は、決して崩れない。

 それは俺を間接的に遠ざけているように思えた。

 だから今は何も、言えない。


「ママはパパの職場で秘書をやってて……その中で、私たち姉妹はたまたま『生まれちゃった』だけの子で」


 ぎゅっ、と胸の中で俺のインナーシャツを握る凛子。


「……香田……ごめんなさい……私、やっぱり嘘ついてたみたい……香田にすごくすごく失礼なこと……してたみたい」

「失礼なの?」

「うん…………さっきやっぱり香田の中に、パパを探したのかも。ちゃんと見たこともないから『こんな感じなのかな』って、想像しちゃってたのかも…………ごめん、なさぃ……っ……」


 ようやくようやく凛子は、一粒だけ涙を落としてくれて、それで俺は凛子の心の中に入ることが許された気がした。


「全然失礼じゃないよ?」

「でもっ……香田は、見たことも無いパパの代わりじゃないし! わ、私、そんなつもりで香田のこと――」

「そういう側面があっても良いじゃないか」

「――ふ、ぇ……?」

「俺は確かに凛子の父親じゃない。応えることも出来ないと思う。でも、俺の中に少しそういう部分が見えたなら、それで良いじゃないか。凛子の心が欲しているものを少しだけでも与えられて、俺は嬉しいよ? 全然、嫌な気分じゃないよ?」

「あ、うぅ……っ……」


 少しずつ少しずつ、凛子の零れる涙の量が多くなって、心配になるけど同時に安心もする。内側にため込まないほうが、きっと良い。


「凛子は、俺に父親の代わりを求めてない。ちゃんと俺自身のことを好きでいてくれている。そこは何も疑ってないから……だから、凛子もそんなに心配しなくて良いんだよ……?」

「ひぅ……良い、の……? 許して、くれるのっ……?」

「許すも何も……だから嬉しいんだって。じゃあさっき凛子とこうしていっしょの毛布の中に入った時、俺は凛子の中に、もういない姉の温かさを感じ取っていたけど…………それはそんなに嫌なことだった? 凛子にとって、それは失礼だって思うことだった?」

「ううん、ううんっ!! 香田が喜んでくれて、嬉しいっ、嬉しかった……!!」

「……うん。だよね? だからと言って、凛子に姉を重ねて、凛子に姉を演じて欲しいと願っているわけじゃない。そんな極論は言ってない。これってきっと……そういう話」

「うんっ……ごめんなさいっ……」

「違う違う。今は謝る場面じゃないよ?」

「香田…………ありがとう」

「うん、どういたしまして。俺こそ、ありがとう」


 お互いにお礼を言い合えて、これで良い落としどころに納まってくれた。

 またひとつ、凛子との心の距離が狭められた気がした。

 失敗しなかった……珍しく、いたずらに凛子の心を傷つけなかった。

 それが純粋に嬉しかった。


「あっ、み、深山さん、ごめんねっ!? 深山さんのこと――」


 慌てて凛子がその背中にいる深山へと振り返ると。


「――すぅ……すぅ……」


 あの大きな瞳を閉じて、安らかな寝息を立てていた。


「あ……っ……むぐっ」


 凛子が慌てて自分の口に手を当てて黙る。

 俺は深くうなずいて見せて、そんな凛子の頭を優しく撫でる。

 『寝ようか』『うん』。

 互いにアイコンタクトで意思を伝え合うと、俺は小さな凛子を胸の中に収めるように大事にしまい込んで、そのまま目を閉じた。


 深山。ありがとう。

 寝てるわけがない深山に、心の中で感謝をして……そして今度こそ疲れ切ったこの心を静かに解放してあげた。

 胸の中の温かい凛子のおかげで、俺はこのまま安らかな睡眠をとることが出来そうだった――


 ◇


「――フッ……! フッ……!」


 びゅんびゅんとふりおろされる『しない』をぼくはみていた。

 そのたびに、おねえちゃんのあせがとびちる。

 あさのひかりでキラキラしてて、ぼくはそれがすきだ。


「ね……おねえちゃん、あきないの……?」

「うん? ふぅ……孝人くんこそ、どうなの?」

「え」


 ぼくはよくわからなくて、へんじができない。


「お姉ちゃんの練習なんて、眺めてて飽きないの?」

「ううん、ぜんぜん」

「どうして?」

「んと……きれいだから」

「あははっ」


 おねえちゃんは『くち』にひとさしゆびをあててわらう。

 おねえちゃんがはずかしいとき、それをするんだ。

 ぼくはまた『はなまる』をもらえそうだった。


「うんうん、孝人くんは良いお婿さんになるなあ!」


 ニコニコわらって。そして。


「ありがとう、孝人くん」


 おねえちゃんがよろこんでくれた――


 ◇


「――ふっふふ――ん……ららら~♪」

「ぅ……ん?」


 耳に届く、この上機嫌そうな声で……あるいはこの眩しい光で俺はゆっくりと意識を取り戻していた。

 スイッチがパチンと切り替わるというより、ゆっくりゆっくり――まるで潮の満ち引きのように曖昧な意識の境目を行き来している感じ。

 まさに、まどろみの中。


「香田様ぁ、香田様ぁ、わったしのわったしの、ご主人様ぁ~♪」


 ……この声。凛子、だろうか?


「優しいわったしぃの、ご主人様ぁ~、大好きわったしぃの、ご主人様ぁ~♪」


 優しい甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 もしかして朝食でも用意してくれているのかな?

 それにしても……この恥ずかしい歌詞は何だろうか。


「好き好きラブラブちゅっちゅっ、ちゅーん♪ イェア!!」


 ――イェア、と来ましたか。

 この召使いさん、ノリノリである。


「ふふっ」


 …………いいなぁ、こういうの。

 特に何かがあるわけじゃないけど、すごく幸せな気分になってしまい、思わず小さく笑ってしまった。


「ふおっ!? こ、香田っ!?!?」

「ふぁ……おはよう、凛子」


 自分から思わず終わらせてしまった以上、仕方ない。

 いかにも『今起きましたよ~』という感じで俺は目を開けて、おおげさにあくびなんてして見せた。


「き、き、聞いて――」

「あれ? もしかして朝食を作ってくれてるの?」


 身体を起こして凛子を見ると、どこから集めてきたのか薪を焚いて、串刺しにしている木の実を炙っているようだった。


「えへへっ……うん。こんなのだけど~」

「いやいや。すごく美味しそう。俺にも食べさせてくれるの?」

「もちろんだよぅ!? ここでご主人様に食べてもらえなかったら用意した意味、全然ないしっ!!」

「ありがとう」

「っ……!! え、えへへっ……ヤバイ……幸せ過ぎて、死んじゃう~っ!!」


 身体をくねくねさせて喜んでくれる凛子だった。

 まったく何回幸せで死ぬつもりなんだろう?

 感謝して喜んでるの、俺のほうなのにな。


「あっ、香田君、おはようございます」

「あ、深山。おはよう……恥ずかしいな。俺だけ寝坊か」

「ううんううん、ご馳走様ですっ」

「へ?」

「香田君の無防備な寝顔、凛子ちゃんとふたりでずーっと眺めてました!」

「ねーっ?」「ねーっ!」


 ……そうですか。

 何ともコメントが難しい話だった。


「はい、こんがり焼けましたーっ!」

「わーっ、凛子ちゃん上手♪」

「いやいやっ、そんな褒められちゃうと恥ずかしいなぁ。こんなの誰でも超簡単でしょ~?」

「…………ソ、ソウデスネ……」


 以前に炭の塊を作ってしまっている深山が密かに悶絶してる。


「むしろこんなの失敗するほうが難しいって感じ? 鼻歌のひとつでも歌ってたら勝手に出来ちゃうし~?」

「ア、アハハ……」


 ちょっと深山が気の毒になってきたな。


「なるほど。ラブラブちゅっちゅっ、とか歌うのが上手に焼く秘訣か」

「うぎゃあああああああああ――っっ!?!?!?」


 ◇


「――ね、香田君……そろそろどうですかっ?」


 食後。

 俺たち3人が幸福感の中でまったりと寛いでいると、深山から不意にそう語りかけられた。


「そろそろって?」

「アイテムの確認!」

「あー、いいね」

「んむ? アイテムの確認?」


 俺の右腕に甘えるように寄りかかっていた凛子が顔を上げて首を傾げていた。


「うん、ランキングに入った報酬で貰ったクラウンアイテムのこと。凛子といっしょに確認したくて、まだチェック入れてないんだよ。深山がそうしようって提案してくれたんだ」

「ほらっ、凛子ちゃんこれこれ!」


 深山は黄色にほのかに光る水晶みたいなアイテムをポップさせて凛子に見せる。


「あぅ……っ……う、嬉しー……っ……」


 胸いっぱいになって目頭を熱くさせている様子の凛子だった。


「ちなみに俺のアイテムはこれ。『フェイクメーカー』だってさ。まだどんな性能かは確認してない」


 名刺サイズの板状のアイテムだった。

 表面には魔法陣のような複雑な模様が中央に入っている。


「おーっ、何かカッコイイ!!」

「ハズレアイテムらしいけど……これで嘘でも上手につけるのかなぁ?」


 万が一にも発動しないよう、手に持たないでポップしたまま凛子に見せると興奮の様子で食いついてくれた。


「ねっ、香田! さっそく確認してみよっ!?」

「……そうだな。まずはこっちから確認してみようか」

「はいっ」


 深山も笑顔で同意してくれた。


「じゃ、アイテム欄でテキスト確認するね。どれ……」

「わくわく過ぎるぅ!」


 一度アイテムを戻すと、カーソルをアイテム欄で合わせる。

 説明文が書かれた小さなウィンドウが現れて、目を通すと――


「――なるほど!」


 俺はそのわかりやすいシンプルな性能に、声を上げた。


「もうっ、香田! 早く早くっ!!」

「うんうんっ!」

「じゃあ読むね……【フェイクメーカー】」


 俺は胸の高鳴りを抑えながら、可能な限り淡々と読み上げる。


「単体のアイテムを対象として性能・名称そのままに、オリジナルを含めて合計2個に模造品を増やすことが出来る」

「ただし『レジェンダリィ』クラスのアイテムを対象には指定出来ない」

「増やした模造品はオリジナルと完全に同じ性能を持つ別のアイテムとなるが、オリジナルが破壊、あるいは消滅すると模造品も同時に破壊あるいは消滅する」

「使用回数は1回。使用後このアイテムは消滅する……以上」


 一拍の間があってから。


「おーっ!?」

「同じアイテムをもうひとつ増やせるのね?」

「うん。すごくシンプルだな。そして何を対象とするかによって、かなり価値が変わってくる気がする」

「当然、貴重なアイテムに使うべきよね……」

「じゃあSS(シャイニングスター)に使っちゃう!?」


 まあ俺たちの現状、一番良いアイテムってそれってことになる。

 あるいはアダマンタイトかな。


「うーん……でもこれって、取っておいたほうが良いのかも? 将来、『これは!』っていうアイテムが手に入った時に後悔しそう……」


 凛子と深山がそんな風に話し合っていた。

 それを言うなら、これから深山が開封するクラウンアイテムも確認してから決めるべきだろう。

 ……でも俺の中での答えは、もはやこの性能を確認した瞬間に決まっていた。

 ある種の運命のようなものを感じる。


「――ごめん。俺、とあるアイテムにすぐ使ってしまいたい」

「え?」

「うんっ、香田のアイテムだもん! それで良いと思うっ!」


 有り難い。

 凛子は『何に使うのか』も確認せずに即答してくれた。


「香田君……何か、アイディアがあるの?」

「ああ。ワガママを言うようだけど……俺の誓約紙を増やしたい」

「あっ……!! うんっ、それ! それが良いと思うっ!!」


 説明したら深山もその場で同意してくれた。

 ……そう。俺は誓約紙のページがもっと欲しかった。

 一般市民である俺の『編集作業』というジョブスキルが、それを可能にしてくれる。

 これで、深山にもっと魔法を創ってあげたい。

 凛子に色々なものを贈りたい。

 つまりは俺の『発想』次第だけど、でもきっとこれが一番、みんなに貢献出来る使い方だと確信している。間違いない。


「ふたりとも、ありがとう」


 そういや昨日の夜から、俺はずっと感謝ばかりしてるなぁ。

 感謝出来るって、すごい幸せなことだと思う。


「――じゃ、ここでクイズです。一発勝負だから、推測の答えでいいよ?」

「ふぇ?」「えっ?」


 指を立てて、唐突にふたりへ問題を出してみる。

 こういうのが最も得意な俺は、自分の導いた答えに自信があった。


「俺はこのフェイクメーカーを使って、自分の誓約紙を何枚に増やすことが出来るでしょうか?」



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