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#003 教室《ゆめ》と異世界《げんじつ》

『――ギャハハハッ』


 どこかで笑い声が聞こえる。寝てるはずの俺の耳にも、否応なしにその下品な音が入ってきてしまう。

 正直、やめて欲しい。不快だ。


『何それマジウケるんですけど~?』


 いつの頃からだろう。

 教室で。電車の中で。街角で。本屋で。

 背後で誰かが笑っている声を聴くと、俺は内心で酷く怯える。

 もしかして俺って何か変なんだろうか、なんて不安がよぎる。

 それが例え、小さな小学生の子供でも……自分の母親ぐらいの年齢の女性でも。

 とにかく、誰かが遠くで笑っていると、俺は不安になるんだ。


『マジでアイツって何考えてんだかさっぱりわかんね~よねぇ?』

『ああいうスカしたのに限って内心ムッツリとかじゃね?』

『うわっ、それキモッ!?』

『きゃははははっ』


「…………」


 場所、変えようかな。

 突っ伏してた自分の机の上からゆっくり頭を上げると――


「――鈴木、マジやめて。わたしそういうの嫌い」

「え、あ、ごめ。深山って下品なネタ嫌いっぽいもんね……?」


 ――深山さんが、あの話をしているふたりの席のところに立っていた。


「そうじゃない。勝手な想像で誰かを汚すのが好きじゃないの」


 微動だにせず、相手を真っすぐ貫くように見据えている。

 その瞳には怒りのような感情は見て取れない。軽蔑もない。

 ただ、ありのままを真っすぐに見届けている。

 それはもしかしたら、侮蔑より相手には重圧があるかもしれないと思った。

 そう……きっと、あれは見定めているんだ。相手の魂の品位を。


「……ジョ、ジョークじゃん? ただの? 深山姫もマジギレしすぎ……」

「だから……ごめんって……!」


 急に咎められた鈴木が、今にも泣きだしそうだった。


「――……うん。岡崎の言う通りかな、わたし言い過ぎたかもしれない。謝るよ、ごめん」

「いやいや待って待って! マジ待って! こっちが超悪かったからぁっ!!」

「うん。許してくれてありがとう。岡崎も指摘してくれてありがとう」

「ぅ……うん……ぐすっ……ひゃ、ははっ……」

「い、いやぁ……そこで感謝されちゃうと……そのぅ……うへへっ……」


 変な声で取り繕うように愛想笑いをしている鈴木と岡崎。

 毎度のことだがあんな調子で、どうして教室で孤立しないのだろうかと俺が勝手に心配する。俺なら無理だ。

 実際、俺が知ってるだけでも3回ほどクラス全体を巻き込むような大きなトラブルがこの一年間で発生していた。

 その内の1回……最初のトラブルの時は、深山さんがほとんど虐めにあっているような状態だった。

 でも、それでも深山玲佳は微動だにせず、淡々と学校に来て、淡々と自分の正当性を主張して戦い、淡々と教師や相手の親と話し合い、長い時間を掛けて今のポジションに来ている。

 道理として、社会常識的な正義を掲げている彼女が最終的に支持されるのはわかる……わかるけど、そんな『正義』なんて綺麗事はいくらでも捻じ曲げられることがあることも俺なりに知っている。人間っていうは弱いからだ。

 ……ああ、そう言えばその最初のトラブルの相手って、まさに今、そこで話している岡崎だったな。

 彼女は逃げない。

 彼女は屈しない。

 彼女はどこまでも高潔だった。

 逆説的に言えばそんな深山玲佳だから、結果として信用に足る人物として人の輪の中心に立つのかもしれないな。


「くすっ……わたし、そういう飾らない鈴木や岡崎のこと、好きかも」


 そして屈託なく笑う。

 まるでコントラストを際立たせる演出かのように、教室中に停滞していたピリピリとした空気はその瞬間、あっけなく爽やかに流れる。


「うぇーん……深山姫ぇ~!」


 シビアな話をするなら、きっと深山さんにとってはあの不快で身勝手な会話を阻止出来て……そしてたぶん今後は、少なくとも深山さんのいる教室の中では大っぴらにはああいう会話をやらないだろうという見解を得た段階で、解決している。

 そこから先は相手にとって一番ふさわしい『深山玲佳』を徹底して用意しているだけだ。

 深山玲佳を敵に回すとめんどくさい。

 人望の厚い深山の勢力から外されると、立場が弱くなる。

 ……だからあの鈴木や岡崎からしても、この話は早く収束させたいに違いなく、こういう結論に必然的に素早く落ち着くわけだ。


「――凄い女王だよな、実際」


 一難去って、俄かに緩くなった空気へと呼び寄せられるように、周辺の人たちが集まってくる。

 たぶん誰も特に用事があるわけじゃなくて、単に今までの空気を『無かった』ことにしたくて。

 彼女はそれをあえて使ってる。

 自分が与える影響と立場を正しく理解して、それを適切に利用してるんだ。

 こうしてこの教室は深山という女王によって健全に統治されていた。


「ははっ。深山さんってほんと、直球ストレートって感じでカッコイイよネ」

「……高井、ちゃんと会話聞いてた? わたし『ごめん』って謝ってる側の立場なんですけど?」

「あははっ、高井さんってばサッカー部なのに野球の話をしてるっ」

「ああそっか~、久保さんの言う通りシュートって言わないと僕はダメか!」


 ……めでたしめでたし、と。

 サッカー部の副キャプテンをしてる高井と深山さんがこうして並んでると、王子様とお姫様って感じで、あまりに収まりが良くて怖いぐらいだな。


「あ、そうか。姫、だったか」


 さっき『女王』と言ってしまった独り言を訂正しておいた。

 深山姫、と誰が最初に言い出したのか論じるのが馬鹿馬鹿しくなるほど、多くの人から見て彼女とは、まさにそんな感じのようだった。

 整った顔立ちの中で印象的に存在する澄んだ大きな瞳に、まず大抵の人が吸い込まれるような印象を受けるのだろう。

 流れる長い黒髪は制服の紺色と凄くマッチしていて、完璧だった。

 ブレザーやスカートから覗く色白くてきめの細かい肌。

 そしてすらりと伸びた長い四肢。

 基本はモデルみたいに細いのに、でも胸は大きくて髪には大きな髪飾りがついてて、だから気取ったモデルと言うより華やかな芸能人のようなイメージ。

 アイドルグループのセンターに立ちそうな、圧倒的なヒロイン感。

 とにかく清楚で、見るからに清潔そうで、良い香りがしてそう。

 あの性格の通り真っすぐな努力家だから、当然、勉強はかなりの上位に位置していて、しかし運動は平均以下。というか病弱。

 体調を崩すことがちょくちょくあって、周りをハラハラさせる。

 ……なかなか絶妙なバランスだ。

 もはや女王でも姫でも何でもいいが、その揺るがない高潔な魂と容姿が相成って、まさに人の上に立つ王族とかそんな類のカリスマ性を帯びていた。


「ん?」


 そんな深山が一瞬だけこちらを見た。視線がぶつかる。


「……」


 偏った感情とかで濁らせていない澄んだ瞳のままの深山さん。

 不意を突かれた俺も、視線を今さら外せる訳なくて……しばし時が止まる。


 深山さんが、こくん、と小さくうなずくと、再び視線を戻して周りの人間と談笑を始める。

 それで俺の中での時が再び動き出した。


「――……はぁー……」


 己の心の弱さを思い知る。

 俺も、深山さんのようになれたらどんなに良い人生を歩めるだろう。

 サッカー部の高井より、むしろ異性の深山さんに嫉妬しそうだった。


 俺も、深山さんみたいに相手へと真っすぐに――


 ◇


「――……ぅ……」


 ゲームの中でも寝るのかと、まずはそこを素直に感心した。

 いうなればゲームの中にダイブするなんてのは夢の中へとダイブすることと同意に感じるが、その中でさらに夢を観るとか軽いマトリョーシカ状態だ。


「……今、ここで深山さんかよ……」


 なぜだろう。

 あまりの自分の不甲斐なさに、彼女なら原口にも毅然とした態度でもっと言い返せた……とか思ったのだろうか?


「いやいや。そもそも彼女ならあんな憎まれないって」


 アホらしい例えをしてしまったもんだ。


「――……?」


 そこで、何かが引っかかる。

 取っ掛かりもなくてどんなに考えても判明することは不可能だと思うけど、でも確かに今の一連の思考の中で、違和感のような『何か』がトゲのように刺さり、心の中で引っかかった。


「あぁ……昨日のこと、か??」


 そういや原口と深山さんはすでに昨日の放課後、会っていてその場で軽く対立していた。

 つまり、あの深山さんでも原口の恨みを買うことは普通にありそうなわけで、さっきの自分の出した安直な答えに自分で反論したかったのかもしれない。

 正直何が正解もわからないので、無理やりそういうことにしておいた。


「――さて……」


 俺は仮眠していた大きな岩の上で身体を起こし、周囲を確認する。

 まばらに木々が生えている広い丘全体が、朝の陽ざしを受けて輝いていた。

 少し湿気の含む爽やかな風からは、森林特有の香りが届けられる。


「……ほんとにこれ、ゲームかよ」


 俺を貶めるために嘘ばっかりだった原口の話だったが、EOEの凄さだけは本当だった。

 空気に匂いがある。

 陽ざしに暖かさがある。

 握るナイフに重みがある。

 寝ていた背中に鈍い痛みがある。

 ――俺は確かに、今、ここで生きている気がした。


 パシ……パシ……と手に持つ武器で手のひらを軽く叩く。

 これは昨晩、原口のキャラが死ぬ直前に手から滑り落としたダガーだった。

 原口に略奪された上に目の前ですべて破壊されたと思っていた装備だが、こうして結果的に武器だけは立派なものを手にすることが出来た。

 正直を言えば、あの原口が愛用していた武器と考えると持つのも嫌悪感が生まれるが、しかし丸腰でいるわけにも行かず、背に腹はかえられない。


「……キラーエッジ」


 操作モードのアイテム欄から装備しているダガーの名称を確認してみる。

 威力:530、間合:8、重量:60、強度:240、制御:300。


「じゃあこれは……?」


 足元の拳ぐらいのサイズの石を拾って手に取る。

 威力:50、間合:2、重量:30、強度:170、制御:5。


「うーん……威力が石の約10倍」


 石をポイッと捨てて、ダガーを握り直す。

 これがスペックとしてどれだけのものかは比較対象が転がってた石だけなので少しわからないが、まあ、そこそこ良い武器な気がする。

 ナイフにしては刃が長い分だけ重たくて、振り回されそうではあるが。


「ついでに俺自身のステータスも確認しておくか……って、うげ…………」


 確認するまでもない、というのはまさにこのことを表す言葉に感じた。

 1、1、1、1、1、1、1、1……。

 開いてパッと目に飛び込んでくる『1』のオンパレード。

 認めるしかない。これは酷い。


「ステータスに割り振った30あるポテンシャル値も全部無し、か……」


 それでなくても、デフォルトの『一般市民』という基本性能低く戦闘不向きで魔法も使えない酷い職業な上に、ステータスも全部最低。

 もっと言えば装備はこのダガーだけで所持金は0。

 しかも今日始めたばかりの超初心者。

 不具合で承認ウィンドウが開けないから、各種の設定やモードを変更することもたぶん出来ない。

 ……もうこれ以上、どうやって弱くすればいいんだ?

 こんなの確認するまでもなく、俺がこのEOE界で最弱キャラなのは明白だった。


「って、お? 50!?」


 ひとつだけステータスが飛び抜けている数字があった。

 慌てて確認すると――『重量ボーナス:50』。ただし、赤字で。


「……もしかしてこれって……」


 改めてダガーを構えて、腰を入れて全力で振り下ろして――。


「ぐあっ……!!!」


 ダガーの重さに振り回され、そのまま立っている岩の上で転んでしまった。

 ……間違いない。これはマイナス補正だ。

 マニュアルを確認するまでもなく、自分の筋力に不釣り合いな武器を無理に装備しているから、ペナルティーが発生していると直感で理解した。

 っていうか、マイナスなのにボーナスとはこれ如何に。表記に納得がいかない。


「はぁ……もうこれは一撃必殺、かな……」


 つまり相手を一撃で殺せないなら体勢が崩れるのでこっちが死ぬ、という武士道も真っ青な捨て身攻撃しか出来ないってことだ。


「ははっ……本気で酷いな、これ……」


 何か、一周まわって面白くなってきた。

 こうなったら開き直って、意地でも今日一日生き残ってやろうと思う。

 原口に蹴られて真っ赤に染まっていた体力ゲージを回復しようと、一度仮眠したことも副産物で良い方向に作用したみたいだった。

 スッキリしたおかげで、ずいぶんと気持ちが前向きになっている。


「うしっ、明るくなってきたしマニュアル読むか」


 操作モードから、マニュアルのアイコンをアクティブにして展開する。

 どうやら全280ページもあるらしい……こりゃまずは重要そうなところから掻い摘んで読む必要がありそうだった。頭から読んでたら下手するとマニュアル読んでるだけで日が暮れてプレイが終了してしまう。


「とりあえず……GMへの連絡方法、かなぁ」


『承認ウィンドウ』を呼べない不具合を報告したいが、しかしたぶんその報告をするためには『承認ウィンドウ』を呼ぶ必要がありそうだった。

 なんという矛盾。

 つまり実質不可能そうだから先送りしていたが、念のため確認しておこう。


「えーと……『GM』、と」


 ワード検索を掛けてみると、1件だけヒット。一見して読む気も失せる長文が続いていた。面倒なので流し読みにしておく。


『■運営方針』

『EOEではプレイ前の注意事項ですでにお伝えしている通り』

『公平性とプレイヤーの自主性を高く尊重しており』

『一般的にGM<ゲームマスター>と呼ばれる立場にある管理者が』

『直接的にゲーム内へと介入することは一切行っておりません』

『また、当サービスはプレイヤー間のトラブルも含めてのゲーム性と』

『醍醐味と考え、一方的な意見を基に特定のプレイヤーのみを』

『救済あるいは処罰するような関与も一切行わない方針から』

『プレイヤー個人からGMへの通知を行う窓口は設置しておりません』

『システムの不具合および改善のご意見については各トレーラーの受付より』

『専用の用紙にて書面で直接スタッフまでご報告ください』

『無論、管理者は全プレイヤーの挙動と各数値を随時厳しく監視しており』

『不正行為が発覚した場合は即座に永久退場等の厳しい処罰を致します』

『どうぞ安心してお楽しみください』


 つまり端的に言えば、どんなことも自己責任だから通報は一切受け付けないよ、よろしくって感じ。


「……凄い露骨に『ゲーム内のことは知らねぇ』ってオーラが出てるな、これ」


 まあ人殺し――いや、PKが許容されているほどのアングラなゲームだから、強奪も裏切りも何でもアリだし、そこから大量に発生するだろう妬みや恨みなんかの面倒な揉め事に管理者として首を突っ込みたくないのかもしれないが……実際、こうしてシステム的な不具合を受けている立場としては完全に不満である。

 ゲーム終わったら、スタッフに直接文句を言ってやろう。


「じゃあ、まあ、気になる単語を個別に当たるか」


 気を取り直して改めてマニュアルを開いた。


「まずは『アナザー』……かな」


 俺の『サムイレイザー』というアイテムを指して、これはアナザーじゃないうんぬんと繰り返し言われていたのが気になっていた。

 今回は、練習を兼ねて画面上のソフトウェアキーボードで文字を入れてみる。


「ア……ナ……ザー……あれ?」


 結論。

 そんな単語はマニュアルのテキスト検索に一切ヒットしなかった。

 つまりはユーザー間で使われている俗称スラングってことになる。


「じゃあ、クラウンは……お?」


 いくつかヒットする。

 めぼしいところをちゃんと頭から読むことにした。

 さしあたっては『■イベント』という項目。


『その上で、EOEでは全体のプレイ意識向上のため』

『クラウンと呼ばれる総合イベントが用意されています』


「――うん、つまりクラウンってのはプレイヤー全員参加型の大型イベントってことになるのか。たしかに小林……いや、『アクイヌス』がライバルは少ないほうがいいとか、そういうことを言ってたしな」


 こういう時にキャラネームで呼ぶのは、日本の社会の常識を引きずらないためにも悪くなかった。

 目上の人を呼び捨てにすることに抵抗感が無かったわけじゃないけど、もう尊敬する相手でも、仲間の関係でも無い。

 自分のレアアイテムを奪い去った相手に敬意を示すとか馬鹿も過ぎるので以後、呼び捨てることに決める。


 次の検索ヒット先へとテキストを飛ばす。


『■総合イベント:クラウンについて』

『毎月20日の時点で経験値をより多く所持している上位10名には』

『ユニークアイテム<クラウン>と共に賞金が与えられます』

『※ただし前月の上位10名および<クラウン>所持者は除外されます』


 なるほど。

 どうやら月毎の定期イベントらしい。

 正直、今の俺としてはあまりに遠い話なのでそれ以上の感想も出て来ず、流し読みで進め――


『賞金は以下の通りです』

『1位:1000万円』

『2位~5位:200万円』

『6~10位:50万円』


「はあっ!? いっせんまんえんっっ!?!?」


 思わず声に出して驚いてしまった。

 ――これ、ゲーム内通貨の話……か? だよな??

 あ。いや……でも原口に所持金を奪われた時、確か単位は『E.』だった気がしないでもない。

『円=EN』と強引に考えられなくはないけど、やはり『YEN』が自然だ。


「……」


 そう考えると、唐突に、腑に落ちた部分がある。

 なんとなくの直感だけど……剛拳王と名乗るあの体育会系の人はゲームを楽しむこっち側の人では無かった気がしてた。ずっと違和感があったのだ。

 そしてあの殺伐としたやり取りも、これで納得出来る気がする。


「EOEのプレイヤーって全体で何人ぐらいがアクティブなんだろう……?」


 確か俺があの六角形のハッチを開けた時、640ぐらいの数字を見た気がした。

 あと原口の話が本当なら、全国にここと同じような施設が5つあると言ってた。

 仮に600×5としても、3000人ほどがログインしているぐらいは現実的にあり得そうだと思う。

 レベル260の剛拳王がこの世界のプレイヤー全体でどれぐらい上位なのかはわからないが……少なく見積もっても、真ん中より下ってことは無い気がした。


「つまり……1500人程度のレースで、最高1000万円が『毎月』当たるかもしれないってこと?」


 直感する。

 俺がその立場なら、当然アリだ。

 それこそ人生賭けてすべてをEOEに費やしても、おかしくない。

 邪魔なら、くだらない後輩なんて簡単に切り捨てる気がする。


 ただの推測でしかないが、剛拳王にとって実際はもっと割の良いレースな気がする。それこそ300人とか、400人と毎月奪い合ってるかもしれないし、もう何度か1000万円を手にしている状態かもしれない。

 しかも1位になれなくても残念賞で200万円とかだ。

 毎日1万円ずつ払っても、大した博打じゃない気がする……。


「……それ、商売として成立してるのか?」


 ふとそっちも気になって、計算してみる。

 さっきのアクティブ3000人が月に平均して20日ログインしたとしよう。

 3000×20×10000で…………月、6000万円の売り上げか。

 賞金総額約2千万円を差し引き残り4000万円。つまり年間4億8000万円。

 実際はもっとアクティブユーザーは多いかもしれないし、月の平均ログインが20日だなんて廃人限定のゲームと考えたら、甘いのかもしれない。

 人件費と設営費、維持費なんかを含めるとあいまいだけど、少なくとも商売として破綻はしていないだろうと思う。

 というか破綻してるなら、1000万円という賞金の額を下げているだろう。


「……」


 個人的には複雑な心境だった。

 こんな世界初の本格VRMMOが、そういうゲーム目的じゃない人たちによって荒らされている――いや。運営がイベントでそう仕向けているって……何か、すごく勿体ない気がした。

 確かに違法ギリギリなシステムだから、アンダーグラウンドな人たちが集まりやすい性質もあるんだろうけどさ――


 ――ガササッ……。


「っ!?」


 そこまでの思考を強制的に遮断させる、背後からの気配。

 何かが草を擦ったような、移動の音。

 俺は背を伸ばして振り返り、慌ててダガーを手に取った……。


「これは……怖い……」


 操作モードに入るため、3秒間ほど目を閉じることがこんなに難しいとは思わなかった。一度、恐怖心から1秒ほどで目を開いてしまい、無駄に時間を消費してしまった。


「っ……!」


 改めて目を3秒間だけキッチリ閉じて、操作モードを展開した。

 そして視界の左上の片隅――マップへと意識を向かわせると、確かに2時の方角に黄色い丸の表示が現れている。

 この黄色い丸が、存在を察知した際のエネミー表示ということだろうか?


「っ……」


 じりっ、じりっ……と間合いを詰める。

 向こうは加速するでもなく、立ち止まるでもなくそのままこちらへとゆっくり近づいていた。


「――……って……コイツ、か」


 軽く胸を撫で下ろした。

 草むらから無警戒に出てきた者の正体は、ウサギとハムスターを掛け合わせたような動物だった。

 サイズ的には柴犬とかより大きいぐらい。

 実際に目にしたことは無いが、たぶん成長した猪とかと似たサイズ感に思う。


「スータン、ねぇ」


 こうして目視できる距離になると、名前・体力などの大まかなステータスが表示されるようだった。その名前表記が『スータン』。レベルは2。

 ……名前からして、いかにもザコっぽい。

 実際、ダガーを持つ俺とこうして視線がぶつかっても、特に身構えることすらしてこない。

 これはいわゆる、こちらから攻撃してヘイトをつけない限り攻撃もしてこないパッシブモンスターという気がした。


「……まあ腕試しとしては、こんなぐらいから開始でいいのか」


 このゲームはプレイヤーキラー、いわゆるPK上等……という空気であることを開幕で強く思い知らされた以上、防衛対策を持たないとやっていけない。

 経験値を稼いでレベルを上げるのはもちろん大事だが、まずは何より金銭だ。

 このモンスターを倒すことで直接お金がドロップされるかはわからないが、少なくともアイテムは得られるだろう。それを売ることが出来れば小銭は得られるはず。それで良い防具を買おう。

 最悪、目に見えるようなモノが何も得られなくても、戦闘経験は得られる。

 それはもしかしたら数値上の『経験値』よりずっと貴重かもしれない。


「さて」


 自ずとダガーを持つ手に力が入る。

 さっきステータスを確認した限りでは、俺のキャラには攻撃に関するスキルなども一切備わっていない。だとすればこのまま、本当に物理的に切り付けるぐらいしか攻撃方法は無いだろう。


「――っっ……!!」


 少し愛くるしいしぐさもあって心が痛まないでもないが、しかし長年RPGをプレイしてきた人間としてはそんなことで怖気づいたりもしない。

 どっちみち振り回すと体勢が崩れるのだから、全力で一気に切り付けた。


 プギィィ……!!

 『スータン』がいかにも獣らしい鳴き声をあげる。


 まず最初に驚いたのは、手ごたえ。

 本当に肉を貫いていると感じる、重く引っかかる感触。

 実際、勢いが落ちたところで骨にダガーの刃がぶつかり、思ったよりずっと攻撃は浅く入った。


「くそっ……!」


 己の筋力をわかってなかった前回と違い、転ぶほど大きく姿勢は崩れなかったものの、やはり武器の重さと切り付けた抵抗に負けて、身体が大きく泳ぐ。


 次に驚いたのは……血についてだった。

 目の前で原口の胴体が貫かれた映像は、まだ生々しく脳裏に残っている。血だけじゃなく、内臓まで飛び出して相当にグロテクスな惨劇が広がっていた。

 しかし今回はそれと明らかに違う。

 ヒットのエフェクトは出るものの、血のような液体はごくごく少量だけで、ほとんど飛び散ることはなかった。

 また、切り付けた部分が薄っすらと光を帯びている。

 親切に『ここにヒットしましたよ』と教えている感じで、つまりいかにもゲームらしい表示になっている、ということ。


 直感して感じたことは、表現の規制――つまりは、モンスターを殺す罪悪感への軽減処置。

 そして遅れて、そうではなくむしろあっちが『PK行為への罪悪感の強化』だったのだろうと考えが至った。

 それでなくてもリアルを追及した結果として、疑似的とはいえ現実と同じように痛みが生じるのだ。であれば、それぐらいの最低限の抑制が入ってしかるべきだ。


 ――フィィ……ッッ!!


 攻撃が浅かったので、仕留めていないことは覚悟出来ていた。目の前の小型モンスターは一度間合いを離して、まるで猛牛みたいにその場で足を地面へと擦り、姿勢を低くして唸る。小刻みに体を揺らしている。


「……来いよ」


 俺も改めてダガーを構えて腰を低く沈めて、どちらかというと防御を主体とした構え方をして応じる。

 ……身近な人から剣道でも習っておけばよかった、とか、ふと思ってしまった。


「っっ……!!」


 特に掛け声とかがあるでもなく、唐突に『スータン』は俺の喉元へと驚くような速度で突進してくる。

 とっさに構えていたダガーの刃を盾にして体を横へと反らすだけ精一杯だった。

 その結果、首ではなく、左肩へと噛みつかれることになる。


「があああっ!!?」


 脳天を貫くような鋭い痛みに思わず声が上がる。痛い、痛い痛い痛いっ!!

 もはや本能的に握っているダガーの柄ごと拳としてスータンの毛だらけの横腹へと叩きつける。


「ぐあっ、ぐっ……ぎぃっ……!!」


 まったく効いてない。

 何度殴っても殴っても、離れず、むしろその噛みつく顎の力は増していた。

 あまりの痛みに意識が遠のく。左上の体力ゲージが見る見る間に半分以下まで落ちていく。あと数秒もせずに俺は――


「っっっ……!!!!!」


 そこからは無我夢中だった。俺は握っていたダガーを手から離し、その空いた右手でさっき切り裂いたスータンの傷口に指先を突っ込んでいた。


 プギィィィィッッ……!!!!


 激痛に見悶えして叫ぶスータン。牙が肩の肉から抜けたその瞬間に俺はダガーを拾い、逃がさないように片膝をもがいてるスータンの胴体へと落とす。


「っ、このっ……!!」


 全体重を掛けて、ダガーをスータンの頭部へと突き立てる。

 ゴリッ……と刃が頭蓋骨を貫通する嫌な感触。

 ほんの数センチほどだが、しかし刃先が脳まで届く。

 その瞬間、スータンの全身は痙攣し、そのまま硬直させていた。


「ふはぁっ……はあっ……くはっ……!」


 ……これで、終わったのだろうか?

 たった数分のことだったと思う。なのに俺は数キロのマラソンでも走り切った後かのような荒い息を落としていた。

 遅れて、原口の時がそうだったようにスータンの全身が鈍く光り、そのまま輝く灰となって四散していった。


「……ド……ドロップ、無し、かよっ…………」


 跡形も無かった。

 そもそもここまでリアルなゲームだ。獣がアイテムをドロップするなんてことは無いのかもしれない。常識的に考えれば、ましてモンスターが人間の使うお金なんて所持しているほうがおかしい。

 遅れて……あの時、原口が真っ先に所持金を差し出すように言った手順の意味を理解した気がした。

 たぶん通常のRPGより貴重なのだ、この世界でのお金は。


「武器……拾わない、とっ……」


 さっき地面に捨てたダガーを這いつくばって拾うが、余りの重さに持ち上げる気にもなれない。


「えー、と……アイテム欄……あれ」


 痛みで無意識に目を3秒以上閉じていたらしい。すでにいつの間にかアイコンが並ぶ操作モードの画面になっていた。


「あぁ……操作、モード中に……戦闘可能、なのかっ……」


 どうでもいいことに感心してしまう。

 逆を言えば、だからこそ視線による操作方法なのだろう。

 多少、画面というか視界に死角が出来てしまうが、左上のマップ情報などがいつでも確認できるし随時こうしているべきかも知れない。


「……?」


 今度は水色の丸い表示が、4時の方向に存在していた。

 ただしさっきのスータン発見時から考えたらあの4倍ぐらいの距離はあるし、その水色の表示は動いてもない。


「水色、だから…………プレイヤー……?」


 黄色がモンスターで、水色がプレイヤー。

 実際は違うかもしれないが、なんとなくそう察した。


「とりあえず……このダガー、収納するには……どうするんだ?」


 マニュアル読めばいいんだろうけど、その気力も今は無い。

 アイテム欄の中でアクティブ状態になっている【キラーエッジ】の項目を、直感でその上からもう一度アクティブ選択してみる。


「お……」


 正解。握っていたダガーが淡い光を放って消え、アイテム欄のキラーエッジの項目もアクティブ状態から解除されて灰色になった。


「痛っ……!!」


 ようやく息が整い、上半身を起こしたところで思い出したかのように左肩の激痛が再び訪れ、少し悶える。

 少々、左肩の肉を噛み千切られたらしい。

 ゲームらしく出血はすでに止まってるけど……インナーシャツは血みどろだ。

 このRPGの世界で、伝染病とか傷の化膿とかあるのだろうか?

 ……無い、と信じたい。今は処置する気力も道具も一切無い。

 まあ、昨日あれだけ原口に顔面を蹴られても腫れ上がっている様子はないし、たぶん大丈夫だろう。

 この、全体の60%ほども減っている体力が回復されるにつれ、傷が治癒していくことを今は願い、信じるしか無かった。


「……アイツ、この周辺で最強モンスター……だと、いいなぁ……」


 実際はたぶん……底辺に位置しているエサみたいな存在だろう。

 そんなモンスターのたった一撃でこのザマだ。


「さすが、は……最弱っ……ははっ……」


 もはや苦笑いしか出て来ない。


「あー……そうだっ、た……」


 思い出す。

 このゲームって4人パーティでのログインがルールで決められているんだ。

 つまりソロを前提にしていない。当然、モンスターもそれ相応に手ごわい設定になっているに決まっている。


「せめて……経験値…………4人分、ゲット、してるよな……?」


 戦闘で貢献した度合い、あるいは最後の一撃を与えた者に経験値を与えられる仕組みであって欲しい。これが、戦闘に参加している者なら貢献度に関わらず一律に与えられる糞みたいな仕組みなら泣けてくる。

 つまりそれって、ソロでもパーティでも得られる経験値が変わらないことになってしまう……。


「どれ」


 さっきから表示されている左上のマップの水色は一応気にしつつ、詳細が表示されるステータス画面を確認する。

 経験値――30。

 ……だめだ。これが多いのか少ないのかもよくわからない。

 強いて言えば、4の倍数ではないから、4人分を単純に独り占めしているわけじゃないことがわかるぐらいか。


「あ」


 『次のレベルまであと 70』という経験値のとなりの表示に気が付いた。

 あと70……このスターンをあと2匹殺しても、まだ足りない。

 つまり、やっぱりあれはそんな強いモンスターではないってことだ。


「……しんどい……」


 一撃で60%ぐらいダメージ食らうモンスターを、あと3匹。

 回復アイテムも無い。


 ソロでプレイはきつい気がしてきた。

 だからと言って、4人でログインが決められているこのゲームで、俺みたいにソロ状態の人なんてほとんどいないだろう。

 強いて言えばソロでも問題ないほど強い人ぐらいなわけで、そんな好き好んで自分からソロになっている人が、わざわざ初心者の俺を仲間に入れてパーティプレイするなんてことはあまり期待できない。


「…………どれぐらい時間掛かるんだろう、これ……」


 じっと観察していると、ドットというか、ミリ単位で少しずつ体力は回復しているようだった。

 肩に痛みは続いてるし、何より実際に筋肉が切れているのか充分には可動出来そうもない。

 つまり治るまでは大人しくしてないと、まともな戦闘も不可能だ。

 今、あのスータンともう一度戦闘状況になったなら、全力で逃げなきゃ今度はこっちが殺される自信があった。

 原口に蹴られた時のトータルダメージは正確には覚えてないが、今と同じかそれ以上だった気がする。つまり最大でも仮眠していたあの長さよりかは短時間で回復するってことだろう。


「……あそこに戻るか」


 さっきまで寝ていた、大きな岩の上に戻ろうか。

 周辺から目立つことになるが、同時に周辺を見渡せることにもなる。

 さっきのスータンみたいなパッシブ系や、一定距離に近づくまで反応しないタイプのモンスターならそれでやり過ごせる。

 少なくとも仮眠の数時間は安全だったわけで、それだけでも選定の根拠となった。


 ――ピッ。


「ん?」


 環境音ではない。もっとデジタルで不自然な効果音が聞こえた。

 どこから……という方角の概念もなく、脳内から直接。

 注意深く観察すると、画面というか視界の下部に文字表示が浮かんでいた。


『りんこ>そこの人……突然のささやき、すみません』


 文字表示と共に、女の子の可愛らしい声が頭の中へと直接的に届く。


「……えーと。チャット、か。これ」


 まずは文字チャットが存在してることに少し驚いた。リアルなVRMMOだし、会話は声だけだと思い込んでいた。

 どうやって返信すればいいんだろう?

 もちろんソフトウェアキーボードを開いて入力すればいいのは理解してる。

 そうじゃなくて……話す相手の指定の問題だ。

 初めてMMOをプレイした時に、誘ってくれた友達に返信するつもりがロビーのオープンチャットで全プレイヤーに送信してしまい、とんでもなく恥ずかしい思いをしたことは今も記憶として鮮明に覚えている。

 もはやトラウマと言ってもいい。

 まして、ここはPK上等のEOEで、俺は最弱だ。

 周辺のプレイヤーにカモられる危険を考えると安易に試すことは出来ない。


「……」


 しばし考える。

『そこの』と呼ばれた。つまりマップ表示範囲内のプレイヤーであると考えるのが自然だろう。あの水色の丸の表示が『りんこ』さんである可能性が高い。

 そして『ささやき』と言った。

 つまりやはり、特定の相手へと指定してのチャットが可能ってことだろう。


「えーと……」


 直感的なインターフェイスを信じて、左上のマップにある水色の丸へとカーソルを重ねる……特に変化はない。

 ぱちっ、とそのままウィンクをして、アクティブ選択をしてみた。


「お」


 ソフトウェアキーボードの上部に『to りんこ』と表示が入った。

 これで大丈夫そうである。


「どう、か、しました、か……と」


 入力していて気が付いた。長文はウィンク連発で疲れる。

 音声入力にしよう。


『香田孝人>どうかしましたか?』

『りんこ>あっ……反応ありがとうございます(;´・ω・)』


「それで?」


『りんこ>その……すみません、助けてくれませんか……』


「りんこさんの、パーティの人は?」


『りんこ>全滅しちゃって……私だけです……(´;ω;`)』


「あー……」


 さっき考えが及ばなかったが、そういうパターンもあるか。

 取り残された人のことを考えると、ソロプレイヤーやメンバーの欠けているパーティは、さっきの想像よりもうちょっとあると考えていいのかもしれない。


「……わかりました。そっち行きます」


 罠かもしれない。

 それぐらいは覚悟をして、俺は向かうことにした。


 ――それでも今は、仲間が欲しかった。



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