#037 光
こんにちは。中村ミコトです。
急転直下の第三章が終わり、これより第四章の開幕です。
個人的にはようやくここまで書けたなぁ……という達成感が凄いです。
実は私こと中村ミコトは先月、骨を二本折る大怪我をしておりまして、本業の仕事がままならず持て余す時間と創作意欲をここにぶつけていたのですが……いやしかし、三章までの約一ヶ月間で40万文字強。文庫四~五冊分の執筆ですか。やれば出来るもんだ。うん。
では風雲急を告げる第四章『Update』をどうぞ!
初心者専用サーバーという名の揺りかごの中で守られたまま街にも出てなかったこの物語も動き出し、オリジナルの魔法という武器も携えて、いよいよこれから本編スタートです(二回目)。
宜しければ第五章の冒頭でまたお会いしましょう。
ぼくは『まっくら』がきらいだ。
くらくらするから『まぶしい』もきらいだけど。
でもぼくは『まっくら』がいちばんきらいだ。
「――にぃに……おうち、かえろ……?」
「うん。すみごめん。もうちょっとだけ、いい?」
「んー…………」
ぼくたちは『まっくら』のなかにいた。
とおくにきこえる『なみ』のおと。
たかいたかいかべ。
このかべのむこうに、おねえちゃんがいるはずなんだ。
「おねぇちゃ――ん……!!」
ぼくはまたさけぶ。
『なみ』にまけないぐらいおおきなこえで。
「おねぇちゃんっ……!!」
ぼくは『て』をのばす。かべのむこうへ。
『まっくら』のむこうへ。
「にぃに……もう、かえろ……?」
すみをむししてぼくはさけぶ。
なんかいも、なんかいもさけぶ。
『まっくら』はなにもかわらない。
「おねぇ……ちゃ……」
ぼくは『まっくら』がきらいだ。
なにもつかめない。
なにもとどかない。
でもいまだけは『まっくら』でよかった。
すみに、ないてるのばれないでくれる。
「もう……いらない……」
「え?」
ちいさなすみのちいさな『て』がぎゅっとにぎってくる。
「……いらない」
すみ、そんなかなしいこといわないで。
せめて『いない』っていって。
「あのひと……いらない」
ぼくは『まっくら』がきらいだ。
まわりがみえないぶんだけ。
「いらない」
こころのなかがみえてしまいそうで――
◇
「――ああ、すっかりお待たせしてしまったね……」
あれから……どれぐらいの時間が経過したのかも定かではない。
1時間後なのか、それとも2日後ぐらいなのか。
どうやら意識を失っていたこともあってか時間の感覚が完全に麻痺しているその中で、不意にそんな声が耳に届いた。
「ぁ……?」
声を出してもエラー音は鳴らない。それはそうだ。
あの時は狼狽して『to りんこ』と設定したまま叫んでいたから送信不可能でエラー音を吐き続けていただけであって、ソフトウェアキーボードを閉じてしまえば無音となる……果たしてそれが俺にとって良いことなのかは不明だが。
「CODERか……何度聞いても嫉妬するほど良い名だ」
その声で、意識がはっきりした。
無意識に俺はその暗闇へと真っすぐに手を伸ばしていた。
「――えっ」
「大丈夫かい?」
「あ……あなた、は?」
光。
頭上の暗闇の中に、まるで炎の揺らめきのように強弱を絶えずつけている光の塊がいつの間にか浮いていた。そこから声が聞こえた気がする。
「こっちではまだ名が無い……まあ便宜上、N.Aと名乗っておこうか。EOE開発者のひとりだよ」
「エヌ・エー……」
ずいぶん簡素な名前だ。イニシャルだろうか。
「どうしても君とコンタクトを取りたくてね。無理をして済まなかった」
「ここは……どこですか? ゲームオーバー後の世界に見えますが」
「その直感はほぼ正解だ。より正確にはEOEと現実との境目と言える場所だ」
「現実との境目……」
以前、EOEを夢と例えたことがあるが、言うなればここは寝ぼけた世界……あるいは半覚醒のまどろみの世界と言えるのかもしれない。
「コンタクトって……確かEOEでは、GMは不介入じゃなかったんですか? プレイヤーの自主性に任せる、とか言ってませんでした?」
「君のその認識はふたつ間違えている。まず私は開発者であり管理者ではない。また、ここはEOEのゲーム内でもない。だから規定には抵触しない」
「……それ、都合のいい方便じゃないですか?」
「否定はしない。君とのコンタクトが許されるギリギリの危うい選択をしているのは事実だ」
何となくの直感だが、この人とはちゃんと会話が出来ると思った。
だからこんな強制的に不当な扱いを受けたにも関わらず、さほど敵対心はない。
また、どうあれあんなすごい世界を作り上げた開発者でもある。ひとりのプログラマー見習いとして、自然とこんな態度になってしまうのも仕方なかった。
「……それで、どんな用件でしょう?」
「そうだね。まずは賛辞と、そして謝罪。最後にお願いといこうか」
「賛辞は結構です。あんなのたぶん貴方の足元にも遠く及ばない」
「いやいや。プログラムの技術うんぬんではなくてね。私が込めたメッセージを受け取ってくれた初めての適合者だからね。よくぞ読み取ってくれた、とやはりそこは賛辞を贈らねばなるまい」
「ああ……『魔力を取り出し』の部分ですか」
「そういうことだ。塩梅が難しくてね……誰でも気が付けるようではダメだし、誰にも気が付かれないようでもやはりダメだった」
わかるような、でもわからないような主張だった。
「そして謝罪だ」
「ここに強制的に連れて来たことですか? それならもういいです」
「いやいや。そうではなくてね」
「?」
「悪いが君の創ったあの魔法は――いや。魔法を創ることで得られる効果に、一定の制限をこれから設けようと考えている。せっかく創ってくれたのに、すぐに規制を入れて済まないね?」
「ああ……そういうことなら納得出来ます。あれはマズイ。すでに威力も自主的に10%まで落としてますし」
「それはまたずいぶんと落とし過ぎじゃないのかい?」
「……結構な無茶言いますね、開発者なのに。そんな強力ではゲームバランスおかしくなりませんか?」
「いやいや、壊してくれて結構。私が規制を入れる理由はもっと別にある。実はミャアというあのプレイヤーの『威力』ステータスが『2』であることが救いだったんだ」
「もしそれ以上だと……?」
「……軽く計算してみたところ、たぶん『5』ほどあればEOEの世界が崩壊していただろう。物理演算上で範囲内のすべての物質が蒸発し、分解していた。そしてそこまでバラバラになって膨大な演算が一気に押し寄せたら、ハードウェア的に負荷に耐えられなく全体のダウンは免れなかっただろうね」
「あぁ……なるほど。納得しました」
「同じ畑の人間だと説明が簡単で助かるよ」
正直、こんな凄い人と同列に扱ってくれることが内心とても嬉しかった。
「ではそのお詫びに、何かシステム関係でそちらからの質問にひとつ応じよう。例えば誓約紙で実現可能な範囲を――」
「いえ。結構です」
「――おや。こういうのは魅力的ではなかったのかい?」
「むしろ逆です。自分で解析する楽しみを取らないで欲しいです」
「ハッハッハッ! そうかいそうかい。それは無粋なことを言い出して済まなかったね」
「じゃあ全然違う方向性ですが、ひとつ」
「おや。どうぞ?」
「実は視点誘導のカーソルが画面端まで及びません。その一周り内側で止まってしまいます。原因って何だと思いますか?」
「あぁそれは……もしかして今の君のその瞳は、現実世界でもそのままの色ではないのかい?」
「……はい。少し赤いです」
「だとしたらハードウェア的なクリアの難しい問題だろう。視線誘導のために瞳孔の相互位置調整を初期段階で一度行うのだが、いかんせん眩しくならないよう不可視光線を用いる必要がある。紫外線は論外だから当然ながら残る赤外線となるわけだが――」
「――赤いから、正しく読み取れない、と」
「そういうことだね。赤い光で赤い物を上手く読み取れるはずがない。完全に読み取れないわけでもない様子から察するに、その瞳に含まれる赤み具合が視野範囲の測定に対してごく小さな誤差を生じさせているのだろう。ただの推論だが、まあ間違いない」
「色付きコンタクトレンズではダメですかね?」
「試してみる価値はあるが……たぶん難しいだろうと思うよ。上手く騙さない限り今度はエラーを吐いて『メガネやコンタクトを外してくれ』という指示が出るはずだ。あるいは上手くパス出来ても、今度はEOEの世界でまったくカーソルが合わなくなる可能性も考えられる。試すならそのリスクは考慮しておいてくれ」
「…………わかりました」
光の向こうからため息が聞こえてくる。
「何から何まで済まないね? その上でこれから君にお願いごとまでしなければならない。さてはて、困った」
「願いごと……ですか。とりあえず聞かせてください。やれる範囲であれば応じます」
「そうかい? 済まないね? では端的に伝えよう」
「はい」
さっきから『済まない』を連発しているこの開発者のことがあまり嫌いになれなかった。たぶん向こうとしても、色々と不本意なのだと感じるからだ。
「――現在1位を独占している『KANA』の順位を落としてくれ」
「それを主催側が言ってしまいますか?」
「だから私はGMや公式ではないのだよ。単なる一介の開発者だ」
「では一介の開発者がどうしてゲーム内のことに口を出すんですか?」
「それは簡単な話だ。彼女がこのゲームのガン細胞だからだ」
「ガン細胞……?」
「非常に困っている。このままではシステムが緩やかな死を迎え、計画がとん挫してしまう」
「では追放したらどうですか……って、開発者でしたね、そういえば」
「そう。私は単なる開発者。管理者ではないからそんな権限はない。これはEOEというシステムの生みの親として憂いでいる。とても個人的な感情だ」
「俺みたいにこうして直接呼んで説得したらどうですか?」
「……したよ。もうとっくに」
「ダメですか。KANAさんってそんな話のわからない人じゃないと思うんですけど……むしろ俺が尊敬する人です」
「ああ見えて彼女は酷く頑固者なんだよ。昔から、本当に本当に手を焼かせてくれる」
まるで父親が気の強い娘に手を焼いているみたいな、どこか親し気な空気を感じさせる言い方で、ちょっと微笑ましい。そしてKANAさんのプレイヤーとしての歴史の長さも感じた。
「……ちなみに」
「何かね?」
「今、こうして俺を呼ぶのはその管理者の権限を行使しているわけじゃないんですか?」
「君なら何となく理解出来るかな。今は更新中であり、ここはゲーム外。つまり『想定外の動作』でひとりのプレイヤーが処理の遅延を起こし、つまみ出されて停止中。私は開発者として現在その緊急対応をしているところなのだよ」
「……ああ、わざとバグらせてますか」
「なのでそろそろタイムアップだ。さすがに不自然になってきている」
「はい。戻してもらえるならそれで」
「KANAの件、頼めるものなのかい?」
「正直、KANAさんは尊敬しているし、恩義もある。あるいはあなたからのお願いに見合う報酬も用意されてない。だから応じるつもりはありません」
「ハハハッ。それは確かにその通りだ。では見合う報酬とやらを用意しよう。私の権限で可能な範囲なら何でもかまわない。それに応じよう。例えば類を見ないほど強力な武器なんかは必要ないかい?」
「チートアイテムとかそういうのは一切いらないです。でも――」
「……でも?」
俺は、ひとつの可能性を思い浮かべていた。
「誰かを強制的にログアウトさせることは、可能ですか?」
「不可能だ。それは管理者権限の範疇だよ」
「ああ、そうですか――」
「――ただし」
「!」
「強制ログアウトをさせる何らかのアイテムなら、技術的に制作可能だ」
「あっ」
「もしそれをやってしまうというのなら、君からも説得しなくてはならないだろう」
「説得? 誰を?」
「当然、上を……だよ。強制的にログアウトさせてしまうなんていう、とんでもないそのメタアイテムの企画を押し通す必要があるわけだ」
「言葉を返すようですが、それ、一介のプレイヤーの範疇を越えてます」
「そうでもない。何せお客様は神様だからね?」
「いやいや……そんな勘違いしたクレーマーにはなりたくありません」
「大丈夫だ。プレイヤーが本当の神様になれる瞬間が、このゲームにはあるのだよ。そしてそれはKANAの順位を落とすという私の願いとも相容れる条件でもある」
「プレイヤーが……神様……?」
「それは――……ああ、もうタイムオーバーだ。まあラウンジには招待されているんだ、時機にすぐわかるだろう。そっちで確認してくれ」
光の揺らぎが大きくなって。
「どうか頼むよ――」
それで突如、光は消えた。
◇
「――香田君っ……!!」
「ん……あ、れ……深山……?」
「はぁ……良かった良かった~。おはよっ、孝人くん♪」
「KANAさん?? え。あれ??」
どういう組み合わせ、これ?
というかどこ? ここ??
知らない豪華なシャンデリアの見える天井――そう、天井!
「室内っ!?」
俺は慌てて身を起こした。
つまり今まで横たわっていたその事実を、この瞬間に理解する。
「……っ……」
見渡すと、まずは……深山が輝いて見えた。
なんというか、すごく似合ってる。この煌びやかな空間に。
緩やかな曲線を持つ上品で高級そうな調度品の数々。
格式高そうなクラシックの流れるBGM。
輝くシャンデリアに、赤いカーペット。
……まさに絵に描いたような豪華な人たちが住みそうな屋敷の中だった。
そして少し遠巻きに、10数人のギャラリーに取り囲まれている状況の俺。
「香田君、大丈夫……?」
「深山……ここは? いやその前に、どれぐらい倒れてた……?」
頭がクラクラしてる……まるで酔ってるみたいだ。
足腰に力が入らなくて上半身を起こすだけで精いっぱいだった。
「えっと……たぶん10分ぐらい。そしてここは――」
「――ラウンジよ? ようこそ、選ばれた者たちの秘密の空間へ♪」
話の続きは頭上のKANAさんがしてくれた。
……正直、顔は半分ぐらいそのやたら大きな乳房に隠れてて下から見えないけど。
「ま。簡単に言うとキミはラグってたんだね、レベルワン」
ラグ……同期失敗。
ネットゲームとかでたまにある、周囲との同期が取れず動かなくなる現象。
つまりそれに俺が巻き込まれて10分ほど停止していた……ということか。
……10分?
いや、とりあえず目の前の人に挨拶をしようか。
「レベルワン……って俺ですか。あなたは?」
「レベルスリーハンドレット。いやいや冗談。『ソラテス』と申す者だ」
見た目としては40超えたぐらいの痩せこけた男性が挨拶してくれた。
職業は服装からして、賢者とか司祭とかそういう系統だろうか。
この人のほうがずっと年齢は上だけど、でも少しアクイヌスと似た知的な雰囲気がある。
ソラテス……どこかで聞いた名だけど……どこだったかな?
「まだ少し意識がぼやけているみたいね? 孝人くん、大丈夫……?」
「え。あ、はいっ、大丈夫ですっ」
風邪でもないのにKANAさんは俺のおでこに手のひらを乗せて、心配そうに顔を覗き込んでいた。
俺は見ない。その目の前にぽろんと零れ落ちそうな肉の塊は、見ない。
「少し視点が定まってないわね……気持ち悪い?」
「あ、いえっ。少しクラクラするだけで、気分までは悪くないですっ」
「立てそう?」
「……もう少しだけ、時間下さい。上手く力が入らないや」
「そう。じゃあ落ち着くまでこうしてましょ♪」
「え」
――まるで、そこはシルクで包まれたマシュマロの世界。
力なくKANAさんの胸の中へと顔を埋めている俺だった。
「うふふふっ……可愛いっ♪ お姉ちゃん、このままお持ち帰りしたいかも~?」
「あ、あのっ!!!!」
俺の髪の毛を撫でてうっとり上機嫌そうなKANAさんの爆弾発言。
後ろで顔を真っ赤にして物申している深山の声。
「……」
でも俺はそれより、この耳へうるさいほど届くその鼓動に意識の大体を持って行かれていた。
――ドクドクドクドクドクッッ。
まるで100m走のゴール直後みたいだ。
正確な心拍数まではわからないけど……とんでもなく速い。
「ん~? どうしたの、孝人くんっ♪」
余裕たっぷりなそのKANAさんの笑顔との噛み合わなさに、戸惑うばかりだった。
「ふふふっ。ミャアちゃん大丈夫よぅ、強引に奪ったりしないから♪」
「香田君は物じゃない!」
毅然とした態度でこの世界の王者へ対峙する深山。
……なんかこのシチュエーションは教室の中を思い出すな。
というか――
「香田君を、開放しなさい」
――まんま、今の彼女は教室の『深山さん』そのものだ。
助けられているこの状況も含めて、ちょっとした懐かしさまで感じる。
「あら、これはただ具合の悪い人を介抱しているだけよぅ?」
「ありがとうございます。では続きは同じパーティのわたしがやります」
「いえいえ。遠慮しないで~?」
「いえいえ結構です!」
鋭い視線で睨む深山に、笑顔を崩さずニコニコ余裕のKANAさん。
「ね。じゃあ交渉」
「……はい?」
人差し指を一本立てて。
「あたしの1位の座と、あなたの孝人くんに寄りそう権利、交換してみない?」
「はあっ?」
見るからにイライラしている深山がその提案に声を荒げる。
いや、それだけじゃなくて、俺たちを取り巻く10数人ほどの周囲の人間からもザワッ……とした声が届いてきた。
「悪い条件じゃないと思うのだけど~?」
まだ覚醒していない意識の中で、それは俺もそう思った。
1位は……1000万円だっけ?
あと、たしかクラウンの称号と、クラウンのアイテムも貰えて。
……それは悪い条件どころか破格だろう。
「ふざけないで!!」
一考するまでもなく断る深山。嬉しいけど、ちょっともったいない。
「あら。ふざけてないわよ?」
「――いや、ふざけるのはそこまでにしろ。鳴神!」
「あらっ、剛拳王くんまで孝人くんを狙っちゃうの~?」
「ハァー……」
清水――剛拳王さんが一歩立ち寄り、頭痛を抑えるようにこめかみに指を当てて深く息を吐いていた。
「剛拳王……お久しぶりです」
「――……鳴神。クラウン1位というのはそんな軽いモノじゃない。この世界を取り仕切るその立場というのをもう少し自覚しろ!」
完全に俺のことは無視されてしまった。
「もう~、剛拳王くんまでそんな意地悪言わないよぅ。1位なんて何度でも取れるじゃない? だから孝人くんのほうがずーっと上だもん♪」
「クッ……!!」
片方の頬をピクピクと痙攣させて剛拳王が沈黙してしまう。
きっと最高に煽られているのだろうな。これ。
「ハハハッ。まあまあそこまでにしようか剛拳王。お久しぶりだね、香田孝人。正直驚いたよ?」
「……アクイヌス」
一瞬だけ『さん』をつけそうになってしまった。
俺たちを遠巻きに取り囲むように眺めていたギャラリーの中から歩み寄って、仮面のような冷たい笑顔のアクイヌスがわざわざ挨拶してきた。
「あら。おふたりの知り合いなの?」
「それはこちらのセリフです。彼が鳴神に目を掛けられているとは思いもよらなかった」
「ランク3位ですもの。当然気になっちゃう!」
「いやいや。それは時系列がメチャクチャですからね? さすがの私でも彼とは以前からの知り合いだと、それぐらいは察してますよ?」
メガネをくいっと直しながら苦笑いのアクイヌスだった。
「それにしても――シルバーマジック、でしたか? やれやれ……また面倒なことをしてくれたものだ」
それは俺に向けての愚痴のようだった。
「面倒?」
「今は対雷撃防御がトレンドだったというのに……どうやらもうひとつ、急ぎ対策を練らねばならない項目が増えたようですね」
今度はちらり、と隣に立つ深山を見やるアクイヌス。
露骨にけん制しているようだった。
……なるほど。
詳しい情報が無い中では、歴代最高の『同時キル数』を叩き出したシルバーマジックなる謎の魔法を無視出来ないわけか。
実際は射程が魔法としては最低レベルで短くて、しかも詠唱にメチャクチャ時間の掛かる『四門円陣火竜』なんて、一瞬で間合いに入られて一撃で殺されてしまうような非実用的なロマン魔法なのだが……限られた情報の中ではむしろ『始まりの丘』を消し去るほど高出力・広範囲・超長距離射程な驚異の大魔法に印象付けられているようだった。
「アレに対策なんて、可能なんですかね?」
なので俺はとっさに不敵な笑いを漏らし、意味ありげな言葉を発した。
「――……そのレベルで、あまり調子に乗らないほうがいい」
「っ!!」
何かが見えたわけじゃない。
でも何かが見えた気がして、俺はとっさに身体を起こす。
「大丈夫」
そんな俺を、ぎゅっ……とKANAさんが優しく抱擁してくれた。
「誓約紙、確認してみて?」
「え? 誓約紙?」
言われるがまま、誓約紙の内容を確認して驚く。
見たことも無い赤い文字が一行目よりさらに上の空白に表れていた。
『ラウンジ内でのあらゆる直接的な攻撃行動は許されない。』
『ラウンジ内では武器・呪文・アイテムを他人へと使用出来ない。』
「ね? ここでは絶対に安全♪」
「え。ええ……」
一応は納得出来た。
戸惑いながらKANAさんの言葉にうなずいていると――
「さぁさ、宴も酣ではございますが……そろそろ宜しいでしょうか?」
「えっ」
取り囲む人の中から、まるで小人のような1mにも及ばない男の人が一歩前に出て来て、俺は思わず声を上げた。
その容姿は一種異様だった。
緑色の肌。
異様に大きな頭部。まるでノコギリみたいな鋭利な歯。
その頭上に表示されているネームプレートが無ければモンスターだと思っていたことだろう。
リアルでの元の姿をデザインのベースとしているEOEにおいて、そんなの基本的にあり得ない姿だったのだ。
しかし俺は、『それ』で声を上げたわけじゃない。
そうじゃなくて――
「では揃いましたので改めてご挨拶を」
――それは、その小人の頭上に輝く『GM』という特別なネームプレート表示に対しての驚きだった。
「ようこそ選ばれた者の集う憩いの場、ラウンジへ。わたくしはEOEのゲームマスター、<雅>でございます。まずは何より……クラウン入賞、誠におめでとうございます」
小さなその腕を胸元に当てて深く頭を下げるGM。
なんとも芝居掛かった挨拶だった。
「ではさっそくではございますが、これより第29回目のクラウン授与式を執り行いたいと思います。グランドサプライズ、オープン……!!」
GMがその小さな身体を誇示するように両手を広げて声を張る。
その瞬間、ゴスペルのような厳粛で壮大なBGMが鳴り響き、同時に。
「こ、香田君っ……あれっ……」
「あ、ああ……」
ラウンジの天井がゆっくりと真っ二つに割れる。
そしてその奥――輝くような青空へと覆うように浮かぶ、逆さまの噴水のような巨大なオブジェクト。
まぶしい光を放ち、複雑に絶えず角度を変えて大量の水を滝のように噴き出していた。
虹が何本も広がり、全体を神々しく包み込んでいる。
リアルに準じて物理法則に従っていたEOEという世界において、その光景は極めて異様だったし、圧巻でもあった。
「これから……何がはじまるんだ……?」
茫然としたまま見上げている俺は、ほぼ無意識にそう口にしていた。
背後から、枯れた男の声が届く。
「まー……身もふたもないが、有り体に言えばレア以上確定ガチャ、かねぇ?」
「ガチャ……??」
振り返るとそこには、三白眼が特徴的な……手足のやたら長い男が口を歪めて軽く笑っていた。年齢は20後半ぐらいだろうか? 鎧などを身に纏っていないところを見ると、戦闘系の職業ではない気がする。
ネームプレート表示には『ジャック』とある。
とにかく見たこともない男だった。
「クラウンアイテムだよ、クラウンアイテム。聞いたことねーかい?」
「え。いや……ありますが……」
確か……3位のクラウンの報酬が、転職出来るアイテムだと以前に耳にしたことがある。
「3位が転職出来るアイテム、とかじゃないんですか?」
「あー……半年前ぐらいに、そういうの引いちゃったヤツいたっけ?」
「ええ。ミニッツちゃんね。懐かしいわ~、元気にしてるかしら?」
俺を抱きしめたままのKANAさんが微笑む。
「そのミニッツを真っ黒焦げにした張本人が、何をおっしゃいますやら」
「だってぇ……つい、ね?」
何故か俺にウィンクしてみせるKANAさんだった。
「まーそういうこと。レベルワン、そりゃ『たまたま』だ」
「……そういうのがたまたまガチャで当たっただけ、ですか」
「そうね。簡単に言うと2位以下は、『マジェスティ』以上のユニークアイテムをもう一度貰えるの」
以前に歴史に残るような伝説のアイテムのことを『レジェンダリィ』と言うのだと凛子が教えてくれた。
今の『マジェスティ』はそのひとつ下のランクとかだろうか?
まあ何にせよ、つまり初回ログインボーナスとして支給されたユニークアイテムみたいなものがまたランダムに貰えるらしい。
「……ん? 2位以下??」
ふと、気になった。
「では第1位KANA様、こちらへどうぞ」
「……ええ。2位以下だけ」
つぶやくと俺を解放してKANAさんが立ち上がり、GMの元へと歩み寄る。
「……じゃあ、1位は……?」
その当然の俺の疑問には、背後の『ジャック』さんが答えてくれた。
「ひとつ、好きなルールを創れるのさ」
「え? ルール??」
「そう。EOEに好きなルールをひとつ、付け加えられる」
「それって……」
素直に、ムチャクチャだと思った。
ただのゲームユーザーが、ゲームのルールを創れるだって……??
そんな神様みたいなこと――
「っ!」
『時機にすぐわかるだろう。そっちで確認してくれ』
――エヌ・エーの言葉がふと頭の中に浮かんだ。
そういうことか。
KANAさんがこのゲームのガン細胞だということ。
俺に順位を落としてくれと頼んだこと。
全部これで繋がった。
たぶん……KANAさんは毎回のように1位を独占して、このEOEを好き勝手に改変し続けている。それが開発者には我慢ならないんだ。
「じゃあ行ってきま~す♪」
1位のKANAさんはこっちに振り返り、にっこり笑って手を振ると。
「……あ」
噴水の水が一気に勢いを増し、KANAさんを包む。
そして水が引いた後には、彼女の姿は忽然と消え去っていた。
「……」
KANAさんは、どんなルールをこのゲームにもたらすのだろう?
きっとあの人のことだから、決して酷いものではないと信じられる。
自分の都合というより、きっと全体にとって良かれと思うルールを用意してくれると思う。
もうこれで1位になるのは、10回目らしい。
……つまりすでに9回もルールの追加があって、それでも今のEOEが無事に成立しているのだから、それが何よりの証拠だ。
「もしかして……指で誓約の文を消せるのとか、ポップしたアイテムを宙に浮かせるのも……?」
ふと、そこに結びついた。
そのふたつの操作感覚が妙に浮いてて『後から取って付けた』ような印象だったことが、ずっと違和感として残っていたのだ。
「ああ、そうだよ。お気に召してくれたかい?」
「え?」
思案を巡らせている俺の横を通りながら、ぼそりと痩せこけた男が問うと。
「第2位、ソラテス様。どうぞこちらへ」
「ああ……そろそろ当てたいねぇ」
そのまま首をコキコキと鳴らし、誘導を受けて逆さの巨大なオブジェクトの真下まで歩み寄って行った。
「……」
しばし、ソラテスは目を伏せて瞑想するように沈黙。
「――来い……!」
右手を高く掲げた瞬間、噴水から大きな水の塊が複数飛び出して。
「ふんっ!」
その中のひとつを、ソラテスはもぎ取る。
……遠くからでもわかる。その手のひらの中には、ほのかに金色に輝く丸い水晶のような透明な物体が握られていた。
「――はぁ~……これも神が与えもうた試練かねぇ? アナザーへの道は果てしなく遠い」
内容でも確認したのか、ため息混じりにソラテスが首を横に振ると、手のひらの中にある丸い水晶のようなそれは光の粒子となって四散した。
「第3位、香田孝人様。こちらへ」
「――え。あ、はい!」
「香田君っ」
俺と同様、知らないこと尽くしのこの急展開にひたすら情報のインプットをしていた深山が我に返ったようで、慌てて俺の名を呼んでくれた。
「頑張って!」
「ははは……良いモノ取れるように祈ってて」
「うん!」
俺ってクジ運かなり悪かったよなぁ、なんて内心少しボヤきながら緑色のモンスターみたいなGMの横に立つと。
「やり方は先ほどのソラテス様のご覧になって、わかりましたか?」
「はい……たぶん大丈夫です」
「そうですか。ではどうぞ!」
うながされるまま、俺は巨大な逆さ噴水のオブジェクト――グランドサプライズの真下まで歩み寄った。
「……」
そうか。ここでアナザー、手に入る可能性があるんだ……?
ちらりと深山を見やる。
「……っ!」
まるで我がことかのように手を合わせて本当に祈ってくれている深山。
やっぱり思う。
困っている深山を、ここで助けてあげたい。
こんな棚から牡丹餅状態、もう2度と無いかもしれない。
……このチャンス、活かしたい!
「頼むぜ、おい」
自分の右手を眺める。
幸福量絶対の法則なんてものは無いのかもしれないが……しかし俺の人生の中でサイコロを振って悪い目が出続けているなら、統計学的にはそろそろ良い目が出るその期待値が高い頃だと、そう思いたい。
確率論のことは、今は考えない。
「来いっ……!」
俺は右手を精一杯に高く掲げて伸ばした。
勢いよく巨大な噴水から輝く水の塊が複数飛び出し、俺へと向かってくる。
「……っっ」
真下からだと良く見える。
水の塊には金色・銀色・赤色・青色。
色とりどりの輝く丸い水晶が内包されていた。
それぞれどんな内容かわからない。
でも、どれかひとつを選ばなきゃいけない。今すぐに。
「――これ……!!」
俺はひとつの光へと、手を伸ばす。
まるでこの手で、未来を掴み取るような気分だった――





