表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/120

#035 続・暗い駐車場の片隅で

「――ふええぇぇっ……ご、ごだぁ……ごぅだぁ……ゆるじ、でぇ……っ」


 もうすっかり合田さんになっちゃってる俺。

 今は駐車場の片隅に停めてあるパステルカラーの凛子カーの中。

 比較的広い助手席に腰掛けている俺の首にしがみついて、膝の上で一時も離さない様子の凛子だった。


「甘えん坊さんは、だーれだ?」

「ひぐっ……私っ、私、ですぅぅ……っ…………えぐっ……」

「一ヶ月会わない?」

「ヤだああぁぁっ、死んじゃうっっ、死んじゃうーっっ……!!!!」


 ぎゅうううううっっ……。

 凛子なりに小さい身体で、力いっぱいしがみついてくれる。

 ぐりぐりと痛いぐらいに涙でびしょびしょに濡れてるその顔を俺の首元へ埋めて、1ミリでも深く隙間なく密着したいと身体で表してくれていた。

 あー……いつものオレンジみたいな凛子の匂いだ。これ、好きだなぁ。


「……うん、俺も死んじゃう。凛子とこうしてたい」

「香田ぁ……っ……ごめんっ、ごめんなさいいいっっ……!!!!」


 不謹慎かもしれないけど、やっぱり嬉しいなぁ。

 ずっとこうして、凛子に必要とされる俺でいたいなぁ。

 凛子がいつもこの関係を指して「利用している」と自分を批判しているけど、その後ろめたい気持ちが少しわかってしまう俺だった。

 つまり互いに互いで利用し合っているこの関係はこれ以上無いぐらい利害が一致してて最強で、もはや引き剥がせない磁石の+と-みたいになってしまっている。


「ぎゅーってしてくれてありがとう。凄く嬉しいよ」

「ごめっ……!!!」


 何を勘違いしたのか、慌てて離れる凛子。


「離さないで。どっか行っちゃうよ?」

「やだああっっ……!!!!」


 ポロポロと次々に涙を落として、凛子は両手で顔を覆う。

 さっきのお返しで、俺からそんな凛子を胸の中にしまい込むことにした。


「寂しかったぁ……寂しかった、よぉ……っっ……!!!」

「一日だけだろ?」

「うーっ……香田にはっ……えぐっ……そう、なのかも、しれない、けどぉ」

「凛子は違った?」

「…………ん。死にそう、だったっ……!」

「大げさだなぁ」

「だってぇ……今頃、香田っ……深山さんとっ……えっちなことしてるんだろうなってぇ……!!」


 無意識に俺は呼吸を止めてしまう。


「……じゃあ、やっぱりあんなこと言い出すの、もうやめよう? 俺、もちろん凛子を選ぶよ?」

「だめぇ!!! 絶対、だめぇっ……!!!!」


 うーん。この展開の先はもう、痛いほどわかってる。

 全然宜しくない方向だ。


「あうーっ……違うっ、こんなはずっ、じゃなかったのにぃ……!!」


 凛子も似たような見解らしい。

 どうにかこの路線から外れたいと抵抗してくれた。

 こうして取っ掛かりを与えてくれるのは、非常に有り難い。


「じゃあ、どんなはずだった?」

「笑顔でっ……香田にっ……えぐっ……深山さんは気持ち良かった?ってぇ」

「――いやそれ。絶対泣いちゃうパターンだろ? 無茶するなよ」

「だってぇ……っ……だってぇ……私、ちゃんと香田からもらってるもんっ……あの手紙で私、充分だったもんっ……すごくすごく嬉しかったもんっ……!!」

「……ああ、手紙」


 返したお弁当の中に密かに入れておいた、俺の手書きのラブレターのことを思い出した。

 だから『私も好き』ってさっき電話で言ってくれたのか。


「嬉しかったっ……すごく嬉しくてっ……昨日、何回も何回も読んでっ……私、全然寂しくなかったもんっ……!!!」


 さっきと矛盾してるけど、それを指摘するほど野暮じゃない。

 どうやら俺、絶妙なタイミングでファインプレーをしたみたいだ。

 ……いや、そんな偶然の産物でもないか。

 ただお弁当を貰うだけじゃなくて、あの肩叩き券みたいなチケットと凛子からのラブレターまで貰って、それで何も返さないほうがむしろ人として不自然だ。


「どうだ? 俺の気持ち、ちゃんと受け止めてくれたか?」

「…………うん……ぐすっ……香田、可哀想だなって……」

「はい? ラブレター読んで、どうしてそうなるっ!?」

「だって、香田…………ひっく……重度の変態ろりこんじゃん……?」

「おいおいっ」

「ごめんな、さいっ……ほんとはっ……ほんとは、ちゃんとそういうの治すべきなのにぃ……私、そんな香田の病気、利用してっ……変態ろりこんのままでいさせようとしてるぅー……」


 まったく酷い言われようである。


「はいはい、どうせ俺は重度の変態ロリコンさんですよー。だから凛子の可愛いおっぱい、揉ませて欲しいな~?」

「やあっ……!!!」

「……嫌なの? 俺、凛子の胸、すごく触りたいよ?」


 ここだけは大事。

 ふざけちゃダメなところ。

 真剣に発言しなきゃいけない。


「だってぇ……深山さんのふわふわ、おっぱいの後じゃあ……こんなぺったんこ、比較されちゃうとぉ…………えううぅぅ……っっ……!!!!」

「比較も何も、深山の胸は揉んでないし」

「――は、はあっっ!?!? 嘘、やだっっ!!!」

「嘘じゃないってば。深山の胸……一切触ってないぞっ?」


 本当のことだから、それは明確なアピールをしておく。

 俺、この一言のために超我慢してたんだから。

 意識して深山の胸、まったく触らないでいたんだから、これぐらいは言わせてもらう。


「で、でもっ、深山さんと、ちゃんとえっちなことしたんだよねっ!?」

「……いや、そんな大層なことは」

「何で触ってないのっ!?」

「何で……って言われても。胸は……どうしても凛子のこと、思い出すし」

「香田、頭おかしいのっ!? 深山さんとふたりきりなのにおっぱい触ってないなんて、そんなのっ、そんなの、ステーキハウス行ってステーキの肉抜き注文するみたいなもんじゃんっ!?!?」


 面白い。凛子、それ面白い。

 確かにそれは酷い。そんな注文するやつは頭がおかしい。


「……なるほど」


 つまり凛子における胸を揉む――正確には手を置く、というあの行為が『エッチ』のすべてなのだろう。

 その他は付け合わせのポテトや人参ぐらいの位置づけなのか。

 あの深刻なコンプレックスからの解放も含めて、凛子の胸を揉むという行為は、もはや愛の確認そのものだと、そう改めて思った。


「じゃあ凛子の胸、揉みたいな……?」

「『じゃあ』って全然意味わかんないっ、だめっ!!!」

「……だめなの?」

「だめっ!!! 先に深山さんのふわふわおっぱい揉んでっ!!!!」

「俺、凛子のおっぱいがいいんだけど……?」

「変態ろりこんが過ぎるよっ!? 重篤で死んじゃうよぉっ!?!?」


 そうか……ロリコンは死に至る病だったんだ……?

 っていうかそのロリコン連呼している貴女、俺より年上ですよね……?


「深山さん可哀想過ぎでしょっ!?!? ……酷いっ、香田それはあまりに人としてむごいよっ!?!?」

「……そんな、俺を鬼か人でなしみたいに言わんでくれ」

「だって深山さん、めっちゃ香田に揉んでもらたがってたしっ!!!」

「そ、そう、なのか? そんなこと深山、言ってたのか……?」

「ううん。私の勘!!」


 勘かよっ!?


「あぁもういいっ、俺の我慢を無駄にしないためにも実力行使だっ……!!」

「あーっ、今、『我慢』って言ったぁ……!!!」

「うっ……黙れ黙れっ」


 可愛い凛子の小さな身体を180度回転させて、背後から抱き寄せる。

 そしてそのまま、服の上から柔らかな膨らみにそっと手を置く。


「だめっ、腐るっ、腐るう……っ!!」

「酷い言われようだなぁ!」

「香田の……手が腐っちゃう、よぅ……っ……」

「それはもっと酷い! こんな可愛くて、触るだけでドキドキするの、触らないでいられるわけないだろっ、まったく酷い罠だなぁ!?」

「あうっ、ど、どきどき、なんてっ……しないもんっ……」

「するの。だから凛子……もうちょっと触っててもいい?」

「…………い……いいのっ……?」


 拒否の言葉は無かった。


「凛子の、この服……可愛いよね」


 袖口が広く開いてて薄っすらレース模様の入ってるシンプルな白いブラウスに、茶色とオレンジのラインの入ったチェックのミニスカート。

 あと今日は真っ黒なニーソックス。

 いつもよりちょっと大人しいデザインと色合いが、またそそる。


「ごめっ……急いでたからっ……そのっ、普段着でっ」

「嘘だろ、こんな可愛いの毎日着てるのか……凛子を毎日、眺めてたい」

「っっ……うんっ……私も香田のこと、毎日眺めていたい……っ」


 『じゃあいっそ、一緒に暮らそうか?』なんて言いたくなってしまう。

 出来もしないことを口にして、凛子を悲しい思いにさせたくないから今はまだ言えないけど……。


「も、もぅ、いいよぅ……」

「飽きちゃった?」

「意地悪、ヤぁ……っ!!!」

「ごめんごめん。じゃあなんで『もういい』の?」

「…………うーっ」


 いつものように口を尖らせて。


「……香田に、飽きられたくないしっ」

「意地悪言うの、や~」


 凛子のマネをしてみた。


「そ、そんな子供みたいな言い方してないしっ!!」

「そっか。そうだよな。凛子は俺より年上のお姉さんだもんな」

「うーっ…………こんなみみっちぃので、ごめんなさぃ……」


 『みみっちぃ』。

 またまた凛子から、普段俺が決して使わない語句がもたらされる。

 凛子と話していると自分が広がる気がした。

 ――本音を言うと、カッ……と一瞬怒りにも似た感情が飛び出しそうになってた。だからそれを呑み込むため、そんなことを客観視して考えている俺。


「全然そんなことない……凛子は、凄く可愛いよ? 魅力的だよ?」

「うーっ……ごめんなさぃ……今日は……今日こそはっ……香田に面倒掛けさせないようにしようって……笑顔で会おうって、そう決めてたのにぃ……っ」

「そっか。じゃあ会い方が悪かったな?」

「…………嘘ついて、ごめんなさい……」

「うん」


 ぺこり、と俺に包まれたまま凛子が改めて頭を下げてくれた。

 ……ちょっとだけ考えて。


「凛子……俺も、ごめんなさい」

「ふぇ?」


 俺も、深く頭を下げる。


「一度は凛子を選んだくせに、深山のことも好きになりました。大切にしたいと思ってしまいました」

「――うんっ……うん、それが自然だと思う、それで良いと思う……っていうか、元々深山さんのほうが私より先だしっ……!」


 凛子、すっごく我慢してる。

 本当は凄く嫌なのに……でも、同時にたぶん凄く安心もしている。

 きっと凛子の心中はたまらないほど複雑で……いつか分裂してしまわないかと、それを俺は心配していた。


「でもっ」

「うん?」

「でも、香田のこと、ご主人様って思うの、私だけだからねっ……?」


 ――あ。そっか。

 凛子はそんな風に分裂しないための『しっくりくる』落としどころを自分の中でちゃんと見つけてくれていたんだっけ。


「……うん」

「香田のお世話する召使い、私だけだからねっ……!?」

「うん、ありがとう」

「ご主人様っ……香田は私の、私だけのご主人様っ……」


 上半身を捻って、ぎゅ……と俺の首に抱き付く小さな身体の凛子。

 あまりに健気で意地らしくて……やっぱり今でも、恋人として凛子を迎えたい俺の気持ちは明確にある。


「……それで、いいの?」

「ヤぁ……これでなきゃ、ヤぁ……っ」


 震えながら俺に必死にしがみついてくれる凛子。


「いっぱいお世話するのっ……ありがとう、って言ってもらうのぉ……!」


 正しいのかは正直わからないけど、でも、俺の勝手なこの想いを押し付けるのは、今、こうして必死にしがみついてくれているその手を引き剥がすのに等しいほど酷い行為なのだろう。

 もういい。

 そっちのトライは散々やって……沢山の傷を凛子に負わせてしまった。

 ここから先は、ただの自己満足だ。

 自分のトラウマだ。こっち側の事情だ。


「――……ああ、じゃあご主人様からの命令だ。どうか俺だけの召使いでいてくれ」

「はいっ……!」


 これ以上ないぐらいに、精一杯に凛子が俺を抱き締める。

 少し痛いぐらいのその抱擁は……俺の胸までも締め付けるようだった。


「ね……ご主人様……」

「うん?」


 耳元で凛子が囁く。

 ようやくようやく……落ち着いた優しい声になってくれた。

 俺の本音とはまた別の部分で、凛子に対してはやっぱりこれで正しいのだと、不本意ながら確信してしまう。


「あの……お弁当、作ってきたけど……食べて、くれますか?」

「ほんとに!? もちろんっ!」

「時間無かったから……お、おにぎりとか……簡単なのしかないよ……?」

「そんなのまったく関係ない! 凛子の料理なら今すぐ食べたい!!」

「う……嬉しー……よぅ」


 ぽろぽろ泣きながら……でも心からの笑顔で凛子が喜んでくれた。


「なあ……先払い、しても良い?」

「え――……んっ」


 あまりの愛しさに、返事も待てずに俺は凛子の唇を奪った。

 気持ちが溢れている俺とは対照的に、身体を瞬時に強張らせる凛子。

 だから俺は、それ以上には何もしない。

 互いに一切動かない、静かな静かなキス。

 その分だけ、息の続く限り長い時間を俺たちはこうしていた――



   ◇



「――あのぅ……凛子さん……地味にこの姿勢、つらいんですけどっ……」

「も、もうちょっと、もうちょっとだからぁ……っ」

「く、首……つりそうなんだけどっ」

「ぐぬぬぬぬっ」


 食後。

 お弁当を平らげてご満悦だった俺へと凛子はすかさず魅力的な追加サービスを提案してくれた。

 なんとそれは――


「痛っ、シ、シフトレバーが腰にっ」

「ごめん香田っ、で、でももうちょっとだけ、頭をこっち側にっ」


 ――耳かきだった。わざわざ耳かき棒まで持参してくれたらしい。

 しかし結論から言おう。

 小さな凛子カーの中でそれは無謀なトライだった。

 助手席に座る凛子の膝の上に頭を置く――までは良いのだが、俺の身体の置き場が無い。

 シフトレバーとハンドルとの狭い隙間に腰を入れて、海老反って運転席側に脚を逃がすこの姿勢は、どんな拷問かと思うレベルだった。

 しかも車内は暗く、中央天井部分で灯るライトへと耳穴を向けねばまともに奥も見えないらしい。

 首がこのままグギッとなりそうな極限状態だった。


「いだだだだだっ」


 しかしそれでも俺は止めない。

 凛子の膝枕耳かきがそこに待っているのだ。

 こんなの止められるハズがない。

 とにかくこの脚の位置が全て悪いのだ。もっとまともな姿勢は……。


「……ああ、コロンブス!」

「ほぇ?」


 発想の転換。

 ――膝枕耳かきの概念を、今、ぶっ壊す。


「なんだ、これで解決か」

「ふぎゃあああああっ!?!?」


 ころん……と180度身体を回転させて、運転席の座席側へと折りたたんだ膝を逃がす。海老反る必要も無く、耳穴もこれでライトへ真っすぐ向けられる。

 そして何より。


「香田ぁ、だめぇ、そ、それだめぇぇ……っっ!!!!」

「うーむ……最高か!」


 これはもう仕方なく、必然的に凛子の股間辺りに顔を埋める俺だった。

 ああ、仕方ない。これは仕方ないのだ。


 ――いつからだ……?

 ――いつから、膝側へと顔を向けるのが正しいと思い込んでいたのだ?

 ――膝枕とはこうあるべき、だと……?


 凛子の細い腰に手を回して、もう逃がさない。


 ――誰がそんなこと決めたというのか? 神か?

 ――良かろう。

 ――ならば俺は、その神に背を向けよう……!!


「こ、こぉだぁっ、だめっ、だめぇっ……これ、だめぇ……っ!!!」


 もじもじしている凛子の腰の動きがダイレクトに顔に伝わってくる。


「……すん、すん」

「匂い嗅いじゃだめえええええええぇぇ――っっ!!!!!」


 その後、こっぴどく凛子に怒られてしまったのは言うまでもない。



   ◇



「――あ~っ! 肉まんズルぃ!」


 凛子と最寄りのコンビニまで軽くドライブしてきた後トレーラー前まで俺たちが戻ると、凛子が咥えていた中華まんを指さして岡崎は叫んでいた。


「はふはふっ……この時期に珍しくて……はふっ……つい、ねっ」

「ちょっとちょーだい、サークラセンパイっ!」

「嫌よ。どうしてアンタに!」

「……ほら、岡崎。食べかけで良ければ俺の半分あげるから」


 真ん中からふたつに割って、岡崎に手渡す。


「いいのかっ、いいのかっ!?」


 無駄にキラキラな瞳。

 今、幻覚で岡崎のお尻から尻尾が出て、激しく揺れてる映像が見えた気がした。


「はぁ……香田ってさぁ」

「うん?」

「なんでもなーいっ!」


 ぷーっと頬を膨らませて、ぷいっと横を向く凛子だった。

 食べかけの半分を一気に喉に通して食べ切ると、話を続ける。


「――しかし岡崎。お前がまたここに来るとは思ってもみなかったな」

「あはは……うん、まあ。あんなこと言っててカッコ悪いけど、でもコレ地味に楽しくてさぁ、つい誘いに乗っちゃった。深山の前には……もう行けないケド」


 大事そうに両手で中華まんを持って眺めながら、岡崎がそう答える。


「仲直りしたんじゃないのか?」

「互いに言いたいこと言って……まあ、前より地味に仲は良くなったと思うけど。そうじゃなくてさ……あそこは、深山の大事な場所だってわかって。邪魔したくないっていうかぁ、そんな感じ!」

「そっか。まあ空気読めるお前がそう言うなら、それが正しいんだろ」


 そう言いながら、今度は表面がつるつるのあんまんを取り出す俺。

 とにかく腹が減って仕方なかった。

 はむっ、と大きく口を開けてそのふわふわな中華まんを咥えると。


「――っっ……!!!」


 なぜか隣りの凛子が真っ赤な顔で目を丸くしていた。


「あ……ああぁ……」

「?」


 よくわからないので流して、そのまま一気に中華まんを食べ進める。

 ガツンと来るあんこの甘さは基本的に苦手なはずだったのだが、今はどうやらこういうのを身体が求めているらしい。

 凛子のお弁当まで平らげた後だというのに、ガツガツ行ける。


「ふぅ。ちなみに岡崎……鈴木のヤツはその後どうだ? 学校、来てるのか?」

「ううん。あれから一度も顔を出してない」


 俺とは正反対に、ちびちび大事そうに食べてる岡崎。


「そっか……アイツともいつか話をちゃんとしたいなぁ」

「コーダも深山も来てないし……今日の終業式、ちょっと変な空気だった」

「あ。学校、今日までだったか」


 これでいよいよ夏休みに突入してしまったな。


「……さて。そろそろこっちは集合の時間だ。一足先に行くから凛子、待ってるよ」

「あっ、うんっ……待ってて! 超ダッシュで向かうからっ!」

「はははっ、転ぶなよ? じゃあまたあっちで!」

「うん、またっ」

「したらば~。またどこかで~、コーダ!」


 俺は小走りに倉庫――トレーラーの入り口へと向かった。


 ◇


「――お、来た来た!」

「おっそーいっ!!」

「チッ」

「ごめん。お待たせ、しました……?」


 時間をチラリと確認したが、待ち合わせの午前0時まであと20分以上はある。

 1万円を無駄にしない限りはどうあっても0時前に受付は出来ないわけだし、整理番号『18』の俺たちチームは実質さらにプラス30分ぐらい待つ必要がありそうだが……楽も含めて皆の待ちきれないほどのモチベーションがここらへんからでも伺える気がした。


「すぐにカプセル入れるんだって言ってるよお!」

「えっ」

「この異常な渋滞への特別処置で、先にカプセル入ってて0時になったら即ログインって感じらしい」

「ああ、なるほど!」


 見るとすでに先頭……と言っても俺らよりほんの数組先がすでに案内されていた。


「あの感じだと、あと10分もしないでおれたちも呼ばれそうだ」

「確かに……」


 皆が遅い遅いと言うわけだ。地味にギリギリだった。


「サーシャがアンスタック使うんだってさ。香田も便乗するかい?」


 さらりと呼び捨てだった。


「アンスタック? ごめん、実は俺、レベル10以下の初心者で……」

「ああうん、がーくちから聞いてる。だからのアンスタック。始まりの丘からの強制リジェクトのルールは知ってるかな?」

「レベル10以上のキャラが強制的に始まりの丘から飛ばされる仕組み……だよね?」

「そう。その飛ばされる先は完全なランダムなのさ。上級者は未開の地やダンジョンの深層部を期待してあえてそれで行くのが定番なんだけど、おれらみたいな帰るべき場所ホームがある人間には不都合が多くてね」

「それでアンスタックというのを使う?」

「早いとこ、最初から始まりの丘ではなくって、それぞれの登録してるホーム内の自由な場所に戻るっていうアイテムよぅ。ちょーっと高いけどお、サーシャ使うことにしたから便乗してあげてもよろしくてよん?」

「ホーム設定……やってないです」

「ハハハ、始まりの丘では意味無いもんな?」


 まあそもそもその設定にはやっぱり承認が必要そうで、そういう意味でも無理そうだ。不具合のレポート出してからほんの数時間で対応してくれるわけないし、今回も引き続き承認出来ないと考えるほうが自然だろう。


「ちなみにホーム設定してない場合はどうなるんだろ?」

「サーシャとヨースケのホーム『クロード』の街に便乗して飛ぶのよぅ」

「だから誘ってみたんだけどさ? 街、興味無いかい?」

「うっ」


 それは地味に魅力的な誘いだった。


「凄く魅力的ですが……始まりの丘には俺を待ってる仲間がいるので辞退します。ありがとうございます」

「おっけおっけ! 気にしないでねえ?」

「……あれ? じゃあそのお仲間さん、ここにいるんじゃないのかい? まあリアルの連絡方法無いなら、探すのも苦労しそうな混雑状況だけどさ」

「え?」

「始まりの丘は、例の『ジェノサイド姫』の一撃で壊滅らしいけど?」

「…………っ」


 もう、どこから質問していいのかよくわからない一言だった。


「壊滅って……もうそもそもあの場所が存在してないって意味ですかっ?」

「うーん。何せ誰も確認してないからどれぐらいのことになってるかわからないけどさ……噂だと、ただの焼野原になってる可能性が高いな」

「可能性じゃねーよ! 事実だ事実っっ! オレは始まりの丘を挟んだ反対側に居たんだ……わけもわからず真っ白になって一瞬でログアウトとか……糞がっ。マジで頭にくるっ……ぜってぇー見つけ出してその『ミャア』とかいうふざけたヤツをブッ殺す!!」

「ハハハ。また焼野原が増えるだけだからやめておきなよ。ウラウロゴスを一撃でほふるような相手だよ?」

「背後から忍び寄ってブッ殺すっ!!」

「……」


 うわぁ……深山、色々大変だぁ。

 焼野原なら隠れる場所もないし、これは戻ったら考えないとマズイかも。


「あの……ちなみに『ジェノサイド姫』って」

「ああ、もしかして香田もがーくちと同じで巻き込まれた派? 突然どこからともなく現れて、ラストクエストのボーナスモンスター『ウラウロゴス』を一撃で殺したお姫様のことさ。まあ、皆でここで集まってる間についたあだ名のひとつで、本当のキャラ名は『ミャア』だという話だけど」

「あ~殲滅天使ミャア様ぁ! サーシャそういうの憧れるわあ!」

「そ……そうですかっ」


 確かに2~3時間だけ一ヶ所に待たされているこの微妙な時間と状況は、被害者同士集まって深山のしでかしたことを熱く語り合いながら情報交換するにはもってこいの環境だ。


「サーシャもあの最強魔法『シルバーマジック』欲しいわ~っ!」

「ハハハッ、使うのに魔力容量どれだけ必要なんだろうな、あれってさ」

「…………」


 1600です、はい。

 案の定だが、深山が意地になってつけたあの『オールアラウンドゲート・イン・ザ・サークルドラゴン』は定着してなかった。まあそりゃそうだ。

 奇しくも――……いや、本当に『奇しくも』なのか?

 必然的に最初に宣言した『シルバーマジック』が定着してる。

 それって、もしかして……深山の狙い通りだったのでは……?


「あの学年トップめ……腹黒ではないが、しかし意外と策士だな」


 『香田マジック』を阻止しておいて本当に良かった。


「うん? 何?」

「あっ、いやっ! そ、それよりっ……ヨースケ、は、どうして鍛冶師に?」


 見知らぬ人を呼び捨てに……しかも下の名前でなんて、抵抗感バリバリだ。


「どうしてって? 急に何だい?」

「いや……スポーツやってる、よね? なら普通、身体使う職業かなーって」


 無理やりな話の運びだが、深山から話題を逸らす。

 それはそれで気になっていたことでもある。


「香田くんの『一般市民』のほうがずーっと気になるけどお?」

「たしかにな!」

「え。いや俺は……」


 ちらりと楽を見てから。


「……キャラメイク、色々こだわってたら時間の経過忘れてて……登録間に合わなくて、強制的にデフォルト設定にさせられちゃっただけ」

「えーっ!! じゃあ名前も本名とかっ!?」

「は、はいっ」

「ハハハッ、香田はさ、しっかりしてそうで意外とドジなんだなー!」

「……否定は出来ない」


 深山の魔法があんなに強力だなんて想定してなかった俺は反省しきりだった。

 ファイアボール160発分……どころじゃなかった。

 軽く見積もってもさらにその10倍以上。もしかしたら100倍を超える途方もない桁違いの威力が出ていたかもしれない。

 ……帰ったら、すぐに火力の調整しなければ。


「ちなみにおれの鍛冶師になった理由は、単純に自分の欲しい武器や防具が全然見当たらなかったからさ!」

「どんなのが欲しかったの?」

「ああ。重量制限無視の、性能超特化型っ! こう、メガトンハンマー! って感じの一撃必殺系!!」

「…………それ、本当に装備して持てるのか?」

「ハハハ! だからうちの露店はいつも閑古鳥が鳴いてるのさ!!」


 ヨースケって人のことが段々わかってきた気がする。

 ほんとMMOって色々な目的でプレイしている人がいるなぁ。


「……あれ? でも最初から鍛冶師を選んだんじゃないのか?」

「鍛冶師は派生の上級職業なのよん」

「ああ、風迅剣士とかみたいな?」

「そう。元はただの戦士。そこからハンマーばっかり使ってたら剛力戦士。んで、さっき言ってた不満があって武器系のアイテムクリエイト繰り返してたらレベルアップの選択項目にレアな鍛冶師が出てきてね、じゃあいっそ、そっち行ってみようかなーってさ!」

「なんだ、アタッカーいるじゃないですか!」

「ハハハッ、まあね。もう戦士じゃないから装備制限が激しいけど!」


 人に歴史あり、という感じだ。

 話を聞いている限りだと、結構なベテランプレイヤーなんだろうなぁ。


「そうか。香田はそのまま始まりの丘に戻るか……じゃあ、爆心地のすぐ近くにログインできるのかな」

「まあ、必然的にそうなると思うけど」

「もし爆心地近くに黒い『アダマンタイト』という鉱物が落ちてたら俺に売ってくれないか? 10gで100E.は出す」


 たぶんそれは大盤振る舞いな値段設定だ。


「それってどんな……?」

「ああ。超高温・高圧力の中で生まれるダイヤモンドの親戚みたいなヤツで、巨大な爆発の中心地で極わずかに取れる時がある。ダイヤモンドよりちょっと重たくて不透明な分、硬度そのままなのに粘り気があって熱と衝撃に強い。刃先なんかに使うと性能が段違いに跳ね上がるのさ」

「へぇ」

「もし金銭にそこまで魅力が無いなら、オーダーのオリジナル武器や防具と物々交換でもいい。金銭よりさらに2倍の価値分までクリエイトしよう!」


 つまりそれは、鍛冶屋に行くと提示した金銭に応じた武器や防具がクリエイトされる仕組みなのだと、間接的に理解した。


「わかった。ログインしたら探してみるよ」

「OK、交渉成立だ。誓約紙に書けないのが残念だ」


 はははっと互いに笑い合う。

 EOE経験者なら誰でも感じるだろう現実世界でのジレンマだった。


「あ……そういや俺、筋力のステータス最低でロクな装備が持てないんだけど」

「筋力最低!? おれだったら泣きたくなる設定だな……まあそれはそれで縛りが面白そうだ。喜んで重量制限の限界に挑戦してみせるさ!」

「まあ心配する前に、そんなレア鉱物、本当に見つかるかわからないけどね」

「まさに捕らぬ狸の皮算用だな!」


 また互いに軽く笑う。

 見知らぬ人とずいぶん気楽に話せるなぁと俺は自分で少し驚いた。

 このヨースケって人の性格もあるけど……たぶん大きいのはやはりEOE。

 共通の話題があるってのは、ここまで人との距離を狭めるのか。


「香田くんの、筋力最低って装備の幅かなり厳しそうねえ?」

「まあたぶん想像の通りかと」

「香田はまた極端な話だが……しかし作り手側としては、もっと多くの人に俺のメガトン級の武器を持ってもらいたいんだよなぁ。選択の幅が狭くなる重量制限って、もっとどうにかならねーのかなぁ?」

「それなら、誰でも高い攻撃力の武器ばかり装備してしまうんじゃないか?」

「そうでもないわよお? 扱いやすさや敏捷性への影響を考えると、むしろ軽さに重点を置くプレイヤーのほうが多いと思うわあ」


 まあ、当たらなければどんな重い一撃も無駄になるのは事実か。


「うーん……明日は更新日だが……誰か重量制限に手を入れてくれないかねぇ」

「ま~鳴神がトップな限りは無理じゃないのお? あの人、交渉やグループ関係の整備にしか興味なさそ~だしぃ」

「ソラテスもただの誓約マニアで有名だもんなぁ。はぁ~。誰か風穴開けてくれないものか!」

「そこで殲滅の天使ミャア様の光臨よお!」

「いや彼女って魔法使い系だから、武器の重量制限とかそもそも興味ないだろ?」

「あれだけ魔法極めたら今度は武器って考えもアリじゃないのう?」

「……アリだ! それだ!!」


 ベテラン同士の会話は知らない名詞やルールのオンパードで、さすがになかなかついて行けない。唯一聞きなれた単語で気になったのは……。


「明日、更新日でしたね。そういえば」


 凛子も確かそんなことを言っていた。

 というか、だからこその、あのラストクエストだった。


「もしかして香田は更新日のメンテ初めてか?」

「あ、はい」

「じゃあびっくりするかもね~? うっふふっ」

「何かあるんですか?」

「教えなーいっ。せっかくの『びっくり』が減っちゃうじゃない!」

「まあ月に一度のお楽しみってヤツさ。今のこの混雑ぶりはジェノサイド姫の虐殺だけじゃなくて、更新日だからってことで普段あまり遊んでないプレイヤーも集まってきてるんだろう」

「なるほど……」


 どうやら少なくとも『何か』はあるようだ。

 更新メンテは普通、ゲームプレイ不可能になるもんだけど……EOEではどうやらログイン出来るってことらしい。


「楽は更新日、ログインしたことあるのか?」

「ねぇーよ……前回の頃は、まだ真面目に授業受けてたし……」


 おいおい。今は受けてないのかよ……って、それは俺もか。


「――はい、次の組の方~……『18』番をお持ちのお客様~!」

「お!」「あっ」「きたっ」「うっしゃあ!!」


 いよいよ俺たちが呼ばれて、さっきまで不機嫌そうだった楽まで気合いの雄たけびを一緒に上げていた。

 そういや誘われた初日もやたらテンション高かったよな、あいつ。

 どうやら本当にこのゲームにハマってるらしい。

 それがわかっただけでも俺としては少し嬉しかった。

 ……単に、俺へと復讐したかっただけの演技じゃなかったんだなーって。


「お待たせしました。では、こちらへ」


 荷物を預けた俺たちは、薄っすらと寒い倉庫の奥で積み重ねられた……まるでハチの巣みたいなカプセルの山へと導かれる。


「……更新日か……どんな感じだろ?」


 ワクワクが止まらない。

 この先の地の果てで、深山が待っている。凛子とも会える。

 また魔法を創れる。無限の可能性が待っている。


「ハマってるのは、お互いさまだな……こりゃ」


 俺も無意識に握っていた自分の両手を眺めて、苦笑いを漏らす。


「それじゃ香田、誘ってくれてありがとう!」

「香田くーん、またどこかでえ!」

「ああ……また、地の果てのどこかで」


 指示されるまま横並びで各自、小さなカプセルの中へと入って行く。

 ハッチを締めてロックを掛けると、もう見慣れたあの画面がすぐに現れる。


『Welcome to THE END OF EARTH』


 ――そうして俺は、波乱の幕開けとなる三度目のログインを果たした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ