表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/120

#034 それぞれの孤独

『――ぅだくんっ、香田君っ……!!』


 深山の声が聞こえる……もしかして、泣いてる……?


「ぅ……あぁ……深山、かぁ」


『大丈夫っ!? ねえっ、大丈夫ならお返事してくださいっ……!!』


 ゆっくり俺は目を閉じて操作モードに入ると、すぐにソフトウェアキーボードを開いて深山とチャットを開始した。


「いや、大丈夫っていうか――」


『あっ……! 香田君っっ……!!!』


 ちらり、と暗闇に浮かぶ頭上の文字を見上げた。

 そこには当然のように中心に大きくそびえる『GAME OVER』の表示。

 うーむ……深山、盛大にやったなぁ……。


「――バッチリ死んでるけど。たぶん一瞬で消滅した」


『うあああああああぁぁぁんんんんん――っっっ……!!!!』


 チャット画面の向こうで深山がたぶん泣き崩れていた。


「あ、深山はっ? 深山はどういう状況……っ!?」


『ぐすっ…………何もない焼野原で……わたし、だけ……ですっ……』


「生きてるんだ!? はぁー……良かった……っ……!」


『全然良くないですぅっっ……ああああぁぁ――……香田君をっ……』

『香田君を……殺しちゃった、よおおおぅぅぅ……っっ……!!!』


「どんまいどんまい。一瞬で蒸発したから全然痛く無かったし!」


 まあファイアボールで怪我させるのすらあんなに嫌がっていた深山だ。

 あるいは肩を噛み千切ったスータンを種の罰として瞬殺した深山だ。

 つい殺してしまったなんてのは当然自責の念に強く囚われるに違いなかった。

 なので俺は出来る限り明るく伝えておいた。


『えぐっ……ひぐっ……ふえええぇぇぇ――……っっ……』


「しかし……あんな地獄みたいな惨劇の中で深山は助かったのか……術者は本人の魔法ではダメージを受けないってことか?」


『地獄っ、みたいっ、とかぁぁぁ……ふええええぇぇぇっっ……!!!』


「――あ、深山ごめん、もう時間ないっ!!」


 気絶していた時間が長かったのだろう。

 ふと見れば、カウントダウンはもう9まで進んでいた。


『えっ、あうっ!! あのっ、香田君、ごめ、んなっ、さいっ……!!!!』


「気にしないで。午前0時にまた凛子とそっちに戻るから、待ってて!」


『えぐっ、えぐっ……は、はぁいっ……!!!』


「じゃ、行ってく――」


 ――そこでカウンタドウンは0になった。


 ◇


「はぁ……寒っ」


 プシュウウゥ……とエアロックが解かれ、俺は狭いカプセルから抜け出た。

 この冷たい空気と素っ気ない景色で、ここがリアル側だと実感する。


「お疲れさまでした。お帰りはあちらです」

「あ。ども……」


 黒いスーツ姿の女性スタッフに導かれて薄暗い倉庫内から出口へと向かった。


「うー……気分、悪ぃ……」


 前回は深山の救出に燃えていたからあまり気にならなかったが、ぐわんぐわんと目が回っているような症状を出していて、少し気持ち悪かった。


「あ。受付、行かなきゃ」


 何度か頭を振って意識のピントを合わせると、倉庫の出入り口付近に設置されている受付に寄って、私物を回収する。


「――ではお荷物はこちらになります」

「ども。……あの」

「はい?」


 ついでに受付に座っている鋭そうなお姉さんに声を掛けた。


「不具合があるので、報告したいのですが」

「ああ、それは大変失礼致しました。こちらの用紙に可能な限り正確に不具合の内容を記入お願い出来ますか?」

「はい……ちなみにこれって対応してもらえるものなんですかね?」

「私からは何とも。勿論、可能な内容でしたら極力早めに対応致します。ただ、対応が難しい内容の場合は……お時間を頂く場合も当然ございます」

「……はい。わかりました。当たり前な質問をしてすみません」

「いえ――あら、香田様、ですか!」

「え? あ。はい、そうですが?」


 俺の記入している途中の用紙からキャラクター名の欄を見て突然そう言い出すお姉さん。


「……どうか早目のお戻りを。スタッフ一同、お待ち申しております」

「? はい」


 深く会釈をしてスタッフのお姉さんは少し慌てた風に奥の部屋へ去って行ってしまった。

 取り残されてしまった俺は、手早く視線誘導のカーソルが画面端まで行かない不具合を書き綴り、その用紙をカウンターに置いて受付を出た。


「――ふんっ……くぅ……はあ~」


 ようやく頭がしゃっきりしてきた。

 携帯の電源を入れて時間を確認すると――あれ。まだ9時を回ったぐらい。

 EOEの月の高さから夜の10時は超えていると思っていたけど、それはどうやら多く見積もり過ぎてしまったようだった。


「まあ、時間があるのは何よりだ」


 携帯からSNSのアプリを起動すると……半分は予想通り、色々メッセージが溜まってた。

 母さんからと、あとクラスの『§2A放課後会§』からも、いくつかある。

 とりあえずそれらは全部保留にして――。


『凛子、今どこ?』


 最優先で連絡のメッセージを大事な人に送った。

 嬉しいことにほんの数秒で――


『会いた過ぎて私、エア香田と会話してる!? Σ(゜ω゜≡゜ω゜)』


「はははっ!」


 ――面白い返しが届いた。


『実はEOEから送信する方法を』

『へえ~( ^ω^)』

『……嘘です』

『うん……私、嘘、やだ』

『ごめんなさい』

『ぎゅーってしてくれる……?』

『うん、する』

『えへへ~……やった☆(ゝω・)』


 顔文字が出たから大丈夫だろうか。


『それで香田……どうしたの? ログアウトする方法、見つかったの?』


 うーむ。伝えるのは気が重いが……確かに嘘はいかんよなぁ。


『ううん、死んだだけだよ(・w・)』


 ちなみに重い雰囲気にならないよう顔文字をつけてみたが、鼻の部分の記号が見当たらなかったから『w』で代用してみた。


『え』

『は? ちょっと待って……えっ?』


 少し混乱しているみたいだったのでフォローしておく。


『大丈夫、全然痛くなかったから(・w・)』


 ……それからしばし、凛子からの反応はなかった。


「うーむ……どうしたものか」


『へえ。誰が殺したの?』


「怖っ! これ、逆に怖いって!?」


 俺は慌てて電話に切り替えた。コールひとつ目で速攻、繋がる。


「――ふぇぇ、うぇぇっ……こ、こぅだぁ……っ……死んじゃ……やだぁ……」

「ごめん。驚かせた」

「えぐっ……痛く……無かった……のぉ?」

「うん、全然。一瞬のことだったから」

「ほんとっ……ね? どしたの……っ?」

「あー」


 ちょっと何か良い言い訳がないかと脳内で探してみるけど。

 ……まあ、無理だよなぁ。

 というか隠しても後々絶対にバレると思うし、覚悟を決めよう。


「想定外に強力過ぎて、深山の魔法に巻き込まれちゃった! はははっ!」

「あ゛のっ、色ボケ発情お嬢様ぁぁ!!! 何やってんのよおおぉ!?!?」


 色ボケ発情お嬢様……酷い表現だけど、まったく否定出来ない的確さである。


「いやいや。俺が創った魔法だから、俺の責任。深山を悪く言わないでくれ」

「えっ!? 魔法を……創った、って???」

「うん。俺は戦力としてあまり貢献出来ないからね、そっちで頑張ってみようかなって昨日の研究からさらに進めて創ってみた」

「すごおおおおおいいいいっっ!!!!」


 ……無条件で褒めてくれるの、ちょっと嬉しい。

 やっぱりファンもファンで欲しい欲張りな俺だった。


「それで……!? 失敗して爆発しちゃった感じ、なのっ?」

「いや、魔法自体は成功だよ。さっき言ったみたいに大成功過ぎて、油断した」

「油断?」

「月1イベントで出て来たウラウロゴスってヤツを倒せたのは良かったんだけどね。それでもオーバーキルだったみたいで、酷いお釣りが出ちゃった」

「…………は? 何、言ってるのか、ちょっと、私、わかんないんだけど……」

「とりあえず凛子、会えないかな? せっかくだし、直接話がしたい」

「会うっっっ!!! ちょー今すぐ向かうっ!!!」

「うん、ありがとう。トレーラーの前で待っ――……って、あれ?」

「うん?」

「そういや凛子側でもう4人は揃ってるんだよね? 俺は別の3人を探さないとログイン出来ないか」

「いいのいいのっ、オカザキとかキックしちゃうからっ!」

「岡崎? 凛子が無理やり呼んだのか?」

「…………ううん。あれから何だかんだあってメッセするようになって……」

「凛子。それはダメだろ? 俺優先にしてくれる気持ちは嬉しいけど」

「うーっ……ごめんなさい」

「――……あ! 凛子は岡崎や決まってる人たちとログインしなよ」

「えっ、で、でもっ」

「早めに良かったら来て? ログイン前にふたりきりで会おう? それで凛子は納得してくれる?」

「う、うんっ、私はもちろんそれでいいけどっ……でも香田が――」

「いや。たぶんこっちはどうにでも出来そう!」


 異様な周囲の変化に気が付き始めた俺だった。


「前に言ってた妹さん……?」

「ううん。まあ来てみれば凛子にもわかるから、とにかくなるべく早くにトレーラーまで来て受付を済ませるといいと思うよ。少しでも早くのほうがいい!」

「え? う、うん?」

「じゃあ切るから。また近くなったら連絡して」

「あ、あっ、ま、待ってっ、香田、待ってぇ!!」

「……うん?」

「連絡……ありがと……嬉しかった」

「うん」

「あとっ、あと…………私も、好きですっ」

「うん?」


 ――ツー……ツー……ツー……。


 あの夜みたいだった。告白した凛子から一方的に電話が切られた。

 しかし最後の…………『も』?

 俺、告白なんてこの電話で凛子に――


「おっと。俺もボヤボヤしてられないかっ、これは!」


 俺はトレーラーの入り口前に出来つつある人垣へと駆け寄った。


「――なんだよっ、あの突然舞い降りた天使はぁ!! いや悪魔かよっ!?」

「おお……」

「――オレ見た! すげーの見たっ!!」

「おおお……」

「――ふざっけんな!! 全部美味しいとこさらいやがってっ!!」

「っ……」


 そう。予想通りにこの人垣は深山のあの一撃で瞬殺された、ウラウロゴス討伐の皆さんだった。

 ざっと見渡して数百人――いや、千に近い数字だろうか?

 あと2時間ほどで午前0時になることもあり、このまま速攻ログインするために入り口前でたむろしている状態のようだ。


「――あの、すみません!!」

「あ?」


 騒然としていることもあり、大きな声で見知らぬ人たち全体に声を掛けた。


「野良ログイン相手募集してます。誰か午前0時以降に一緒に入りませんか?」


 こうして誰よりも先に切り出した俺はたぶん、深山の正体もあの魔法の存在も知っているから冷静だったのだろう。

 あと何より初心者だから怖いものなしだったのだろう。

 でも――


「あ。おれ!」「私もぉ!」「はいっ! 入る!」「はいはい!」「行く!」


 ――やはりというか、声を掛けると超入れ食い状態だった。

 もう倉庫の前はライブの会場みたいに人混みでグチャグチャだし、パーティのメンバーを探して集まるのも大変な状況になりつつある。

 普段はリアルバレに警戒しているEOEプレイヤーもこの時ばかりは緊急事態なのか、そんなこと言ってられないようだった。


「じゃあ手を上げた先着順ということで! そこの人とそこの人と、あと――」

「おい、香田ぁ! もちろんオレ様だよな!?」

「…………原口」


 まさかここで再会するとは。

 あの討伐の中に居たのか……。


「なぁ? コタコタァ!?」

「いいよ、じゃあ最後に原口で。残りの人はすみませんが、互いに隣りの人同士で相談して決めてください!」


 まるで超熱心な婚活パーティみたいな雰囲気で、ドッと集まって見る見る間に即席ログインチームが目の前で次々に決まっているようだった。


「あのおっ、お兄さん!」

「うん?」

「初めましてぇ。『サーシャ』でーす!」


 ピンク色でフリル満載で……え。背中に羽までつけてる子が挨拶してくれた。

 二番目に手を上げてくれた目の前の女の人だ。

 ちなみに密かに俺より年上に見えるけど、お兄さんって……まあ、問うまい。


「あ。ども。香田です」

「おれは『ヨースケ』、選んでくれてサンキュ!」


 こっちは一番先に手を上げてくれた人。俺より長身で筋肉質な人である。

 爽やかにバレーなんかやってそうだ。


「…………チッ」

「こっちは『がーぐち』。俺の――」


 やや少し抵抗があったけど。


「――俺の幼馴染だ。こう見えてシャイなんだ、許してやってくれ」

「違ぇよ! ふざけんなっ!!」

「……じゃあ何だ?」

「オレの名前は『が~くち★』だっ!! 濁らねぇよ!!」

「あ、ああ……そう、だっけ」


 俺が考えてたポイントと全然違うところでキレてた。

 原口楽はらぐちがくで『がーくち』か。

 ああ……ぐちに掛かってるんじゃなくてがくの『く』に掛かってるのか。

 どうでもいいことに思案してしまう俺。そういう性分なんだから仕方ない。


「よろーぉ!」

「少しの間だけどさ、よろしく!」

「……あぁ。すまんけどヨロシク頼むワ」


 少し意外だった。普通に頭下げて挨拶してる原口。


「――んだよ、おぃ?」


 俺の前でやりづらそうだ。


「とりあえずこの4人でトレーラーの受付前に一度行こう。誰か仕切って整理券みたいなの配ってるみたいだ」

「はあーい!」

「OK!」

「勝手に仕切ってんのお前だろ!」


 すっごい即席チームだなぁ。

 戦ったら意外と強かったりして。


「ねえねえ、パンクなお兄さんは職業なにっ? サーシャは治癒師だよお!」

「……」


 整理券をもらうための列まで出来てる。

 ……あの整理券って、本当に意味あるのかなぁ?


「えーっ、無視ぃ!?」

「えっ。パンクってもしかして俺っ?」


 この髪でそんなこと言われたのは初めてだ。

 ――あ、いや。

 凛子の学院前で声を掛けて来た桜と呼ばれていたあの子からも、ワンポイントメッシュとか言ってくれてたっけ。

 もちろん凛子も深山もこれが好きだって言ってくれてるし……。

 どうも最近、急に肯定的に表現してくれる人が現れて、戸惑ってしまうなぁ。


「えーと。デフォルトの一般市民です」

「うっそ、一周回って超カッコイイしそれ!!」

「驚いた……おれ、初めて一般市民選んだ人と会ったよ」

「サーシャもお!」


 確かアクイヌスもそんなこと言ってたっけ。

 まあ、キャラひとつしか作れない有料ゲームのEOEじゃ、そうだよな。

 普通はどう考えても慎重に吟味して有効そうな職業を選ぶだろう。


「ヨースケさんは?」

「ハハハッ、ヨースケって気軽に呼び捨ててくれよ! おれは鍛冶師さ!」

「武器とか作る、あの鍛冶師ですか……意外で驚きました」

「敬語もいらんいらん! 歳もさほどかわらんだろ?」

「あ、ああ」


 鍛冶師か……体格的に絶対、近接ファイターだと思ってた。


「ねえねえサーシャ、魔法少女のステッキみたいなの欲しいわあ~!」

「ではぜひクロードの南にある俺の露店『バリカタ』に来てご注文下さいませ」

「あら。サーシャのホームもクロードよん? サーシャの魅力で安くしてねぇ」

「ハハハ、参ったなぁ。デートしてくれたら半額にしてあげるよ!」


 おー、凄い。

 よくもまあそんなこと言えるものだ。俺の性格からすると絶対にあり得ない。

 最初、高井っぽい気取ったタイプの人と思ってたけど、もっとカラッとしてて、ここまであっけらかんとしてると悪い気がしない。

 こういう傷つくことが怖くない人って、同性として憧れるぐらいだ。


「えーっ、どうしよっかなぁ?」


 サーシャさんもまんざら悪くないみたいだ。


「がーくちは盗賊だっけ?」

「んだよ……気軽に話しかけてくんなよ……」

「そっちから強引に入ってきたくせに」

「チッ……」

「頼むよ我らのアタッカー!」

「サーシャが回復してあげるからぁ」

「盗賊にアタッカーさせんなっ!!」


 確かにバランス悪い。まともに攻撃出来るキャラが原口ぐらいしかいない。


「ははははっ!」

「……ムカつくぜ。ログインしたら覚えてろよ……?」

「ああ、それで強引に入ってきたわけだ! なるほどね!!」

「…………なんかお前、この一週間で変わったか……?」

「え」


 『一週間』。

 そう言われて俺は心底驚いた。ああ、確かに一週間だ。

 原口から誘われて……この倉庫に入ったあの時からたった一週間しか経過していないこの事実は、かなりの衝撃だった。


「そっか、一週間か」


 なんて濃密で思い出深い一週間だろう。たぶん一生忘れない。

 最初はつらいばかりで。苦労して。

 それから大切な人たちと心を通わせて。

 いつの間にかEOEの世界に夢中になって。

 ……泣いて。笑って。怒って。胸を苦しくして。

 こんなに必死に考え抜いた一週間なんて、俺には今まで存在しなかった。

 これまでの人生って何だったんだろう? 何をやってたんだろう?

 姉が死んで、妹から拒絶されてからのこの数年は特にスカスカで……。

 抜け殻のまま停滞していたみたいだった。


「――なあ、原口」

「オイッ! 気軽にポンポンとリアルネームで呼ぶなっ!!!」

「いや…………がく。ありがとう、EOEに誘ってくれて」

「――……っっ……」


 無自覚で幼い当時の俺の振る舞いは、確実に原口楽という男の子の劣等感を刺激して、心を酷く傷つけていた。

 でも、あれたけのことをされた以上、『ごめん』と謝るのも違う気がした。

 だから柔軟性に欠く俺は、こんな形でしか気持ちを表すことが出来なかった。


「糞がっ」


 不器用な俺たちの会話は、それだけで終わった。

 そういや糞、糞って下品な表現、元は原口――いや、楽の口癖だったっけ。

 俺の中でも定着しちゃってて、実はたまに出てくる。

 凛子や深山の前で出さないように改めて気を付けなきゃな。

 相手からすると、こんな下品に聞こえるのか。


「はい、次のお客様どうぞ!」

「あ」


 いつの間にか整理券配っている列の先頭だった。

 そして気が付く。配っている人はあの受付の鋭そうなお姉さんだ。


「あ、稲本さんだあ、なら安心だねぇ!」


 サーシャさんも気が付いたらしい。

 つまりこれは公式の整理券のようで、やはり並んで正解ってことだ。


「あら、山田様。はい、緊急の整理券です」

「公式がリアルバラすなっての! つーか山田って呼ぶな!」


 山田サーシャさんがキレてる。

 どうやら長い付き合いみたいだった。


「香田様もどうぞ」

「あ、ども」


 受け取ると、手書きで大きく『18』と書かれている。

 EOEのゴム印みたいなのが押されてるから、ねつ造の危険はなさそうだけど……数字の加筆とか勝手にされないかとそれについては勝手に心配してしまう。

 まあ四の五の言ってられないか。

 こうして初動早かったから混乱してないけど、放置されてたら今頃は大混乱だったろう。


「じゃあ整理券も受け取ったし、時間まで散会しようか? 番号『18』だし、午前0時ちょうどにここに集まるぐらいで大丈夫だと思う」

「だから勝手に仕切んなっつーの!!」

「ほーい!」

「OK! またね!」


 軽く手を振って俺たちは一時散会した。

 とりあえず保留にしていた件もあるので、トレーラー前から離れて携帯を取り出した……うん? 凛子からメッセージがいくつか届いてる。


「? 何かあったのかな?」


 結局、また凛子を優先してしまう俺だった。


『あと30分で着きます!(`・ω・´)』

『あと20分ぐらいっ! ああ、この信号長いーっ(ヽ´ω`)』

『あと10分っ!!! Σ=====c⌒っ゜ω゜)っ』


「あれ。思ったより早い」


 ちらっと画面端の時間表示を確認すると、午後10時過ぎ。

 最後のメッセージが送信されたのが3分前だから、あと数分で凛子到着である。


『着いたら真っ先に受付に行って!』

『今、大混乱で午前0時からの整理券を配ってるから!』


 ――とりあえずこれでよし、と。……うん? もう返事が。


『やだああああぁぁぁ。先に香田と会うううぅぅ・゜・(ノω`)・゜・』

『っていう運転はどうした? 危ないから返事しなくていいから!』

『信号で止まってるもん(´;ω;`)』


 あーあ。泣き顔来ちゃった。

 しかし凛子が連れて来た他の3人のこともあるし、ここは心を鬼にして。


『受付終わったら、凛子と会うの楽しみにしてるよ(・w・)』

『運転気を付けて来てね』


 ――全然鬼じゃなかった! やっぱり凛子に甘い俺だった。

 速攻で凛子からメッセージがさらに届いてきてるけど、あえて開かない。

 どうせすぐに会えるし、このままだとマジで運転危ない。


「気が重いが……母さんにも」


 今度はいくつか届いてる母さんからのメッセージを開いた。

 基本スタンプばかりのやり取りだから、相変わらず怒りに狂ってるやつとか、首を傾げてるやつとかそんな絵柄がいくつも並んでいたのだが、最新の今日のは珍しく文字による文章が打ち込まれていた。


『あれから深く悩んでいたのだけど……やはり母さんが間違ってました』


「……うん?」


 この前置きはヤバいな。さすがに放置が過ぎただろうか。

 今さら、『人助けでも、やっぱり外泊は許しません!』なんて言われたらどうしようか……と悩み、読み進めるのに数秒の時間が必要だった。


『母さん、やっぱり孫の顔が早く見たいわ』

『遠慮なく出しておきなさい』


「…………日本が、危ない」


 中年の主婦層がやたら性に対して厳しいからこそ、日本という性について放漫な社会はモラルがそこそこ良い感じに守られている側面があると思うんだ。うん。


「しかし、遠慮なくって……」


 あの夜、深山が誓約に操られる形で強制的に赤裸々な告白をさせられたことを自動的に連想してしまった。

 深山の妄想の中の『考人君』はかなり強引なキャラらしく、それこそ深山の意思も関係なく遠慮なしに――いや、待て、俺。その思考は止めろ。な?


「勘違いするな……俺っ……」


 『そう思う』ことと『実際にそうする』ことには大きな隔たりがある。

 例えば『殺してやりたい』なんて憎い相手に思うことも多いだろう。

 でも『実際に殺す』のかというと、決してそうじゃない。

 深山のあの赤裸々な告白も同様だ。

 あれは誓約で無理やり言わされただけで、本来は一切口外されないはずの秘密の本音。

 それを俺が知っちゃったから……もう少し言えば、そういう行為が一切出来ないEOEという安全なゲームの中だから、深山はあんなにも赤裸々なお願いを素直にしているだけだ。

 開き直って無防備な深山は過激な妄想をそのまま口にしてくれていたけど、きっと実際にログアウト出来て教室に戻れば……冷静になれば事情は自ずと変わってくる。

 互いに意識するかもしれないが、そう簡単にモラルや常識という壁は超えられない。

 清く正しい深山さんは、きっと学生の立場でそんな無責任なことなんか出来ないだろう。

 というかそこまで難しく考えなくても、リアルだと恥ずかしいだとか、現実に戻ったら吊り橋効果が切れて俺への恋みたいな感情も冷めたとか、自分を捧げるのは惜しいだとか、そんな考えが訪れるに違いない。

 あるいはもし深山がEOEそのままで俺に迫って来ても、俺の方がこんな感じで尻込みや心変わりするかもしれない。


「いや…………本当に尻込みするのかなぁ……俺」


 あと遅くても50日余りで深山がリアルに戻ってくる。

 ――その頃は夏休みも終わって……残暑の続く9月頃……かな。

 汗に吸い付く、夏の制服の白いブラウス。

 帰り道、夕立ちにあってびしょ濡れのまま軒下に逃げ込むと、冷たいって深山が俺の左腕にしがみ付いてきたりして。

 そしてそのまま見つめ合い、切なげな深山が俺の手を取ってあの制服のスカートの中へと――


「――だああああっ!?!?」


 どんだけ妄想逞たくましいんだよ、俺っ!

 っていうか何その設定!? ベタベタな古典過ぎだろっ!?

 頭を抱えて深いため息を落とす。


「いかんいかん……せめて凛子で想像しろよ、俺っ」


 凛子か。凛子なら……どんな感じなんだろう?

 猛暑で出歩きたくないと、俺の部屋に遊びに来たりしそうに思えた。

 そのままクーラー効いた部屋の中でマンガなんて読んでいっしょにゴロゴロとしてて。

 ねえねえ、コイツ何考えてんの?とかマンガのページを指さして俺の背後から伸し掛かってくる。

 俺が気にしないふりして普通に返事していると、もっともっと胸を押し付けて、身体を密着させてこちらの反応を楽しんでくる。

 そして意識してたまらなくなってきたところで背後からあのひんやり冷たくて小さな手を伸ばし、俺の――


「――いや、やはりどっちでもダメだっ……妄想やめっ……」


 こんな人だかりを目の前にしてこれ以上興奮したら、ただの変態である。


「……そうだ。母さんにメッセっ……」


 火付け役のことをようやく思い出した。

 ムラムラしててたまらないこの気持ちを逃がすために、謝罪でもしてよう。


 『ごめん。まだまだ時間掛かりそう』

 『とりあえず一週間後ぐらいには一度帰るから』


 正座して泣いて手を合わせているスタンプも送っておく。

 ……まあ夏休みだし、これで許してくれそうな気がした。

 その頃には……孫の顔は無理かもしれないけど、恋人の顔ぐらいなら母さんに見せられるかもしれない。


「恋人、かぁ」


 なんだか正直良く解らなくなってきてしまっていた。

 俺は凛子を選んだつもりだったけど、凛子からそれは嫌だって拒否されて。

 3人がいいって言って。強引なことは弱い凛子に出来なくて。

 深山も深山で愛人でいいなんて言ってて。強く求められてしまって。

 ――いや、その隠していた本音を誓約で無理やりこじ開けてしまって。

 つらい境遇の中で無理してる強い深山のこと、放っておけなくて。


「はぁ」


 節操無いのは重々承知だけど……俺も、3人のままのほうが何かバランス取りやすい感じがして来たのも、正直なところだった。

 そりゃ俺も男だし……あのふたりがそれでいいって言ってくれるなら、甘えて本能のまま、ふたりともを愛したい気持ちがあった。

 というかもう、実質そんな感じになってしまっている気がする。


「いいんだろうか、これ……」


 つまるところ、倫理観というか、俺の道徳観念がなかなか許してくれてない。

 今もこうして良心の呵責で悩んでしまっている。

 残念ながら「ふはははっ、ハーレム最高!」とか言えるメンタルを持ち合わせてない。

 ……だってそれは俺の『良い感じ』から随分離れているからだ。

 あるいは幼少から姉に叩きこまれた花婿修行の教えからも外れてるからだ。


「……懐かしいなぁ」


 さっき、久しぶりに姉のことをちらっと思い出して、それで連想してしまった。

 もうすっかり『無かった』ことになってしまっている我が香田家。

 食卓テーブルに姉さんの席はもう無い。誰も話題にしない。

 まるで忽然と存在が消滅したかのように。

 だから俺自身もまた自然と心に蓋をしていた。

 誰かに尋ねられても、説明する気力も現実と対峙する勇気も生まれて来なく、どこかに転校して今は知らないって、そう逃げるように処理していた。


「生きてたら……今頃、えーと……21歳か」


 そんな歳になっても、まだ竹刀を振り回していただろうか?

 くるりと宙に舞うポニーテール。

 懐かしくて懐かしくて、目が細くなる。

 もう泣かないけど……胸は今でも苦しい。

 今年の命日も、またあの海岸にひとりで行こうと思う。

 やっぱり早朝がいいだろうな。人がいなくて気持ちが整う。


 ――ピコン。


「ん」


 メッセージの着信を知らせる効果音で、現実に引き戻された。

 うーん……独りでいると、色々と考えが廻ってしまうなぁ。

 命日が近いからだろうけど、まさか姉さんのことまで考えるなんて。


『香田、今どこっ!? 整理券もらった!』

『お。早いな。整理券は何番だった?』

『56だけど……それで香田、どこにいるの??』


「もうっ、そんなことどーでもいいからぁ……!!」


 携帯を片手に叫んでる凛子の背中が遠くに見えた。

 見れば岡崎と……見知らぬ男女とも一緒。

 『じゃあ』なんて軽く挨拶をしてその男女は去って行った。

 あっちも野良のログイン目的な即興チームみたいだな。


「……」


 ちょっとホッとしている俺だったりして。

 あの男、少しモテそうな雰囲気だったしなぁ。


「サークラセンパイ、アタシもちょっくらおしっこ!」

「もう、アンタねぇ……まったく。少しは女子高校生らしい振る舞いをなさい! いっしょにいると私が恥ずかしいわ……」

「へーい」


 へえ。凛子は岡崎とふたりだとそっち側になるんだ?


「あ」


 くそっ……相変わらず勘が良い!

 背後から驚かしてやろうとしていたのに、何気なく振り返った岡崎と目が合ってしまった。


「ん?」


 ぱちんっ、とウィンクをする岡崎。

 ……ああ。黙っててくれるのか。気が利くじゃないか。

 俺はお言葉に甘えてそのまま凛子の背後に近づく。


「んで、サークラセンパイ。コーダに会ったら何て言ってやるんだっけ? 甘えんな、だっけぇ?」

「そう。『こっち運転中なのにメッセ、ガンガン飛ばすんじゃないわよ!』ってそろそろ叱っておかきゃダメね。香田、ああ見えて甘えん坊なのよねぇ……私がちょっと離れるだけで、10分刻みでちょくちょく送ってくるんだから本当に困ったものよ? はあ~! 本当に困ったものだわぁ!」

「……」

「……」


 岡崎とアイコンタクトを交わす。


『面白いからもっとやれ』

『うん』


「えーっ? でもでもぉ、サークラセンパイってばEOEでコーダに超甘えてたじゃん? 『30分会えないとぉ、凛子寂しくて死んじゃうのぅ!』って」

「はい……? ふざけないで。岡崎、アンタ寝ぼけてたんじゃないの? 別に私自身は香田と一ヶ月ぐらい会えなくても全然大丈夫ですけどぉ……??」

「……」


 うーむ。後の展開を想像すると超楽しい。しかしこれ以上は危険かな。

 そろそろ止めてやらないと、凛子、大泣きしちゃいそうだ。

 ……まあそれでも嘘つきさんには、ちょっとお灸を据える必要はあるだろう。

 俺は凛子のすぐ背後でメッセージを打ち込む。


『凛子……甘えてばかりでごめんな』

『一ヶ月ぐらい、凛子と会わないようにするよ』


 ――ピコン。ピコン。


 俺ではない。

 目の前で握りしめられている凛子の携帯がメッセージ着信で鳴ったのだ。


「あぁ、もう香田、返事遅すぎよぅ!」


 ニヤニヤとしながら凛子が携帯の画面を見て――


「――…………っっっっ…………!!!!」


 背後からでもわかるぐらい、全身を震わせていた。

 そして数秒後、ようやく『そのこと』に気が付いたのか、慌ててキョロキョロと周囲を見回して。


「……っ!!!!」

「やあ。そういうわけで一ヶ月ほど――」

「――やああああああぁぁぁぁんんんんんっっっ!!!!!」


 全部言う前に俺の背中にしがみついて、わんわん泣き出してしまう凛子。

 岡崎が手を振って見送る中、そのまま人のいない駐車場まで凛子を引きずるように立ち去る俺だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ