#029 節目
「――あ、エモーショナル・エフェクトか」
「ん?」
深山の待つ集合場所への帰り道。
先ほどえくれあが失禁していたことを疑問に感じてしばし考えていた俺だったが、それが能動的な行為ではなく極度の恐怖や、あるいは脱力の感情を表現した効果なのだと遅れて理解し、思わずつぶやいた。
「いや。それより……ごめん。凛子の目の前で家族に酷いことをしてしまった」
もちろん当然の報いだと思ってる。
俺は間違ってないと確信してる。
でも、感情の面はそれだけじゃない。
どんなに憎くても、家族は家族で……きっと少なからず凛子に嫌な思いをさせてしまったのは間違いなかった。
「ううん…………悪いの、お姉ちゃんだもんっ……」
『悪い』という表現はずいぶんと優しい言葉な気がした。
そんな軽い表現で済まされるようなことじゃないと思うけど……それが凛子なりのバランスの取り方だとしたら、俺が口を出すところでもない気がした。
「そっか……ありがとう」
沈む夕日を目を細めて眺めながら、そんな月並みな返事しか出来ない俺。
まるで足りないそんな言葉を補ってくれるかのようにそよぐ風が草木を揺らし、サラサラと優しい音を周囲にもたらして、手を繋ぎ並んで歩く俺たちを包んでくれていた。
「んーん。香田こそ……嫌なことさせて……ごめんね……?」
「いや、俺はスカッとした! ざまみろ!!」
嘘だった。
実は思ったより全然爽快じゃなく、むしろ憂鬱な気分だった。
もうずっと繰り返し苦渋を舐めて来た中での、初めての勝利らしい勝利なのに。
悪人を成敗した。そのはずなのに……。
こんなに苦しく虚しい気持ちになるなんて、思わなかった。
「……ん」
それは凛子も同じなんだろうか?
さっきからうつむきがちで、声が小さい。
……それはそうか。姉との対峙や決別は、きっと凛子に大きなダメージとなって蓄積されたはずなんだ。
「ね……香田」
「ん?」
「…………私、ワガママ言わない、からぁ……っ」
「うん?」
「嫌わ、ないでぇ……っ」
「どうした? 凛子?」
「香田にっ……嫌われるようなことっ……しない、からぁ……っ……」
「嫌わないよ。嫌う訳ない……どうしたの、凛子?」
「えぐっ…………な、なん、でも……ないっ…………」
「凛子。ほんとのこと、聞かせてくれる?」
「うーっ……」
涙をいっぱいに溜めて、不安そうに俺を見上げる凛子。
俺を捕まえてくれているその手も震えてて、今すぐに抱きしめてあげたい衝動に駆られた。でも、しない。そういうのは最後の手段だ。
今は、そういう力任せな対処じゃなくて、ちゃんと話し合いたい。
「こっ……香田、にぃ……嫌われると……ああ、なっちゃうんだ……ってぇ」
「あー」
そっちか。
確かに俺のあんな攻撃的な姿、凛子に見せたくないと最初から思ってた。
だから実際、深山には残ってもらっていた。
でも当事者の凛子には、対峙してもらいたかったから連れて来た。
作戦としても、凛子の協力は必須だった。
……でも、まさか実の姉だったなんて……それは完全な想定外だった。
他人よりずっと自分を重ね合わせることが容易な存在だったろうと思う。
「大切な凛子に、あんな酷いこと、しないよ?」
「……じゃあ……大切じゃ、なくなったらぁ……?」
「好きなのに、大切じゃなくなるなんて、無いよ」
「じゃ、じゃあっ……やっぱり、嫌われたら――」
「――嫌わないから」
結局、足りない俺はすぐに『これ』に逃げてしまう。
凛子を胸にしまい込んで、強く包み込む。
「不安にさせちゃってごめん」
「ううんっ、ううんっ……!!!」
ぎゅー……っと凛子も必死に俺にしがみついてくれる。
「ごめんっ、香田、ごめんなさいっ……でも、嫌いにぃ……なら、ない、でぇ」
きっと凛子なりに精一杯泣くのを我慢して、そう懇願してくれた。
「俺こそ、凛子に嫌われないように頑張るから」
「ちがっ、それっ、ちが、う……よぅぅ……っっ」
「違わない。互いにそういう気持ちでいることって、きっと大事だから」
それで少しばかり俺の言葉は震えている凛子の心に届いてくれたみたいだった。
大きく声を上げて、我慢せずに泣いてくれた。
心配性な凛子のことだから、泣いたら迷惑になって、こんなこと繰り返したらきっと嫌われてしまう――なんてこと、考えているに違いなかった。
……ああ、いっそ、先に伝えておこうか。
「どんなに泣いても迷惑なんかじゃないから。絶対に嫌わないから。むしろ本心を隠して我慢されちゃうほうが寂しいからな……?」
わんわん泣いちゃってもう返事どころじゃない凛子だけど、それでも何度も何度も首を縦に振って返事をしてくれた。
……その沢山流してくれた涙の分だけ、凛子の心が元気になるといいな。
「終わった……のかな」
凛子の泣き声が響く茜色の空を眺めながら、凛子の人生においても大きな節目が今、過ぎただろうことを実感した。
佐々倉凛子の苦悩は、この異世界の夕日と共にやがて溶けて無くなる。
涙に暮れる夜を越えた明日が晴れ渡る青空であることを、心から願う俺だった。
◇
「――おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
深山の元に戻る頃には、もう完全に日は暮れて夜の帳が降りていた。
凛子が置いていったランタンを片手に、深山が静かに立って待ってくれていた。
「深山さーんっ、大成功っ!!」
「きゃっ……凛子ちゃん、それほんと? 上手く行ったのっ?」
「うんうんっ、えくれあ土下座して謝ってたよぅ! ざまぁ♪」
……ま、それは嘘ではないか。
深山の胸の中に飛び込んではしゃいでる凛子を眺めていると、なんだか自然と微笑んでしまう。
「香田、凄かったんだよぅ~!! 超カッコ良すぎっっ!!! いやぁ、この凛子さんも流石に惚れ直しちゃったよぅ」
最近、ちょっとわかってきた。
ああいうテンションの時の凛子って、無理して頑張ってる時なんだなあって。
「な……なんだよぅ……香田、ニヤニヤしてぇ~!」
「別に。可愛いなって」
「か、かわっ、いいって……ぇ!? ダメっ!!!」
「だめなんだ?」
「もったいないもんっ」
よくわかんない理論展開だった。まあ面白いからそれでいいか。
「香田君……お疲れさまでした」
「ありがとう。うん、確かに疲れたかも」
「ご飯~? お風呂~? それとも深山さんっ?」
「どれも無いから」
「超ふかふかだよぉ? ほら、香田もちょっと触ってみ?」
深山の胸の中でそんな無茶振りをして、引き続きはしゃいでる凛子だった。
「……」
「……っ」
いや……触らないよ?
真っ赤な顔の深山と不意に視線がぶつかって、思わず苦笑いの俺。
「あ。もっと明るくしようか」
「おーっ、あっかるーい♪」
SSの副産物である輝きの効果を夜の闇の中で試してみた。
暗い中だとさすがに直視出来ないぐらいに明るく感じる。
リアル世界の物で例えるなら、これは40Wの電球ぐらいかな。
「ポップしたのを触らず宙に放ると……やっぱりその場で浮いたままなのか」
正確には、ポップさせた手から1mほど離れた瞬間その場で停滞する……という感じだろうか?
この現象は凛子の唇を奪った時に確認している。
あの時、興奮してた俺は誓約紙を放り投げて喜んだが、その間ずっと宙に浮いていたのを思い出して、これに応用してみた訳だ。
「それは『フロート』って言って簡単に奪われちゃう状態だから注意ね?」
「そうか。寝る時や離れる時は面倒がらずに必ずアイテム欄にしまうようにしなきゃな」
この宙に浮く現象って、触るだけで消える誓約の文と同じで、やっぱり交渉事のための特別な機能に思えた。『取って付けた不自然な感じ』と言い換えてもいい。
具体的には『譲渡』のためだろうか?
交渉は接近しての手渡しが危険な場合とかも多いだろう。
そういう時に宙に置いてから離れて、相手が近づいて受け取って……なんて引き渡しの工程が可能となりそうだった。
まあ軽いアイテムひとつなら地面に置いても問題ないが、例えば金塊が30個とかなら、重さの発生しないポップ状態での受け取りにかなりの意味が生じる。
あるいは液体のような、地面に置くのが難しい物とかもあるだろう。
「ランタンと合わせて違う角度から照らすと、闇が消えて良い感じだな」
「うん!」
深山も自分のアイテムが役立って嬉しいみたいだ。
あと、やっぱり人間って光が好きなんだとこういう時に実感する。
凄く安心する。心に余裕みたいなものが湧いてくる。
「でもランタン、たぶん今夜……あと8時間ぐらいで切れちゃうと思うよ~?」
底の部分に油の量を示すメモリがあるらしい。
そこを片目を閉じて確認しながら凛子が教えてくれた。
「えっ、凛子ちゃんごめんなさい、沢山使っちゃった!」
「のんのん。ランタンってのはこうやって使うためにあるからいいのっ。むしろ今夜か明日ぐらいで使い切っちゃって?」
「……高くないの?」
「んー。まあ昼間倒したイーバリルの爪を交換所に持って行けば、6E.になるはずだから、それで4時間分ぐらいは油買えると思う。そんな感じ?」
それは油が高いのか、爪が安いのか。
「そっか……それなら爪、剥ぎ取っておけば良かったなぁ。何が価値あるのか初心者の俺にはさっぱりだ」
「ふふーんっ」
「おお!?」「いつの間に!?」
凛子の手からはたぶんイーバリルの爪らしき物がポップされる。しかも次々と合計8個も。ああ、あのモンスターは多足生物だから爪もザクザクなのか。
「きゃー凛子ちゃん先生ステキ~♪」
「さっすが凛子先生! 我らパーティの頼れる柱!!」
「ふふふふ――んっっ!!」
もはや自分の身体の最高到達点が鼻の頭じゃないかってぐらいに高々として、ドヤ顔を連発している凛子先生。
しかし深山もああ見えてノリが良いよなぁ。すぐに黙って深刻な空気にしてしまう俺からすると深山の存在は非常に助かるし、正直に言って少し羨ましい。
「ちなみにモンスターをアクティブ選択して詳細ステータス表示させると、剥ぎ取りで得られるアイテムの一覧出てくるから最初は確認しておくといーよっ?」
「へえ~」「なるほど……」
そういや倒すことばっかりで、モンスターのステータスとか確認してる余裕が今まで一度も無かったことに今さら気が付いた。
「ねえねえっ、香田! そんなことより深山さんの誓約はどうなのっ!?」
「わたしの?」
「ん? 深山の誓約? 突然どうした」
「私の誓約をちょちょーいって消してくれたみたいに、深山さんのあの酷いのも消せないの!? 私、ずーっと気になってて……!」
「っ……!!」
「あー」
凛子は自分のことだけで大変だったというのに、とっくにそのことに気が付いて密かに心配していたらしい。
強引なこの話題の振り方も、いよいよ待てなくての割り込み方に感じた。
「先に言っておくと、たぶん無理」
「えーっ!?」「……うん……まあ、そうよね……」
そして被害者である深山自身も当然と言うべきかとっくにその可能性には気が付き、そして凛子の誓約を消した理屈について正しく理解していたようだった。
「……でも、何もせずに諦めるより、色々と試すだけ試してみようか」
「は、はいっ」
「香田、がんばれーっ!!」
「頑張る要素ってあまりないけど……じゃあ深山、誓約紙出してもらえる?」
「はい……」
深山が神妙な面持ちで誓約紙をポップして俺に向ける。
「――ん?」
俺はその内容を確認して、ふたつの意味で驚いた。
「深山さん、どんだけ香田とエッチなことしたいのーっ!?」
「え? ぁ、あ――っっ!!!!!!」
じゃあ……そっちの『驚き』から片付けますか。
えーと。最後に深山の誓約紙の内容を確認したのはいつだっけ?
……それこそ鈴木や岡崎と交渉に向かう前までさかのぼるのか。
俺の知らない間に、深山の誓約紙には新たな記述が書き加えられていた。
『香田君に、えっちなお誘いをしない』
『香田君に、えっちなお願いをしない』
『えっちなことをしない』
……強烈である。読んでて頭がクラクラしてくる。
よっぽど深山はあの日の夜のことを後悔しているんだろうなぁ……。
俺は内容を確認して無かったが、凛子と深山で互いの誓約紙を見せ合った時に特に反応無かったことを考えると……つまり今日の日中にこれを自分で書き加えたということだろう。
句点の無い仮の登録状態から察して、もしかして俺が色々と実験していたあの暇な時に書いていたのだろうか?
どうでもいいが、ひらがなで『えっち』と書く辺りに深山なりの抵抗というか、卑猥にならない努力……みたいなのものが伺えて少し可愛い。
「ち、ちがうのっ、これっ、ただの消し忘れでっ……!!!」
深山……否定するべきはそこじゃないと思うんだ……。
あぁ、だめだ……正直まともに深山の顔すら見られないぞ、俺。
「じゃあ消して香田に『えっちなお願い』しちゃうのっ?」
「し、しませんからあっ……!!!」
涙目で叫ぶ深山。
ああ……まだ強烈過ぎて直視出来ない。
「香田君、違うの!! これ、香田君をそういう目で見てるわけじゃなくてっ、期待とかしてなくてっ、ただ、念のためっ、香田君に迷惑掛けないように――」
「もういい。もういいから深山……少しだけ黙って」
「あ、ぅ……」
否定すればするほど、深山の本音が透けて見えてきて、伝わってきて、たまらない気持ちになってしまう……。
こんな綺麗な深山が――……だから。俺も。そこから離れろ。な?
「香田君に……幻滅、されたくないだけ……だったのにぃ……」
今にも泣きそうに瞳を潤ませて、ぎゅっと自分のスカートを握る深山。
……ああ、俺でも言える言葉は見つかった。深山から教えてくれた。
「もちろん幻滅とか、してないからな……? 深山の気持ちは知ってるし……俺も、ほら、その――」
「ま、待ってぇ!!! だめっ、それ以上、だめぇ……っ!!!!」
「――え」
「お、おかしく、なっちゃうからぁ……っ……!!」
「……う、うん……」
何がどうおかしくなっちゃうのか良く分からないけど、とにかく深山の必死さは痛いほど伝わってきた。
「とりあえず……幻滅とかしてないから。安心してくれっ」
「は、はいっ……!!!」
「はぁー……もぅさぁ、深山さん~?」
「えっ……?」
「そういうのもういいから、さっさと香田と早く子作りしてくんないっ? それは深山さんにしか出来ないんだから、本当に頼むよぅ??」
なんかキレ気味に凛子が睨んで、とんでもないことを言ってる。
「こ、こづ……っ!!」
「……」
この話題、消極的だが俺はノータッチで行くことに決めていた。
実は何を言っても凛子を傷つけてしまう袋小路なんだと理解してしまったのだ。
無理に否定すれば凛子を追い詰める上に厳しい現実を目の当たりにさせてしまうし、肯定すればしたでやっぱり凛子を嫉妬させて悲しい思いをさせてしまう。
強いて言えば、凛子のこの無茶苦茶な論法の『しっくり』いく関係図を正面から否定する良い代案が俺から提示出来ない限りは、こうやって黙認する形でやんわりと肯定するのが、唯一俺に出来ることだった。
「ほら、そこで香田も悶々としてるしっ?」
「黙ってやり過ごしてるだけだから、俺の努力をぶち壊さないでくれっ」
「だって香田も言ってたじゃん! 深山さんと――」
「――凛子。デリケートな問題だから、ほどほどにな? ……深山が可哀想だ」
ちょっと実力行使気味に、凛子を抱き寄せる。
「うーっ」
「あ、あははっ……」
わかってる。わかってるって。
この件、凛子にとってもデリケートな問題だよな?
だから『いっそのこと、さっさと終わらせたい』んだよな?
踏ん切りをつけるために、つい、乱暴な論調になっちゃうんだよな?
でも――
「――苦しくても、無理やりは良くない。互いに傷つけることになるぞ?」
「…………うん。ごめん、なさい」
素直に俺の胸の中で謝ってくれる凛子だった。
「よし、じゃあ一件落着ってことで、深山の誓約を消せるか試そうか」
小さな凛子の身体を俺の膝の上に乗せながら、強引に話題を修正した。
「ね、香田……やっぱり、消せないの?」
「どうだろ。実は思ってたより少し可能性があるかもしれない」
「えっ」「え!」
ふたりは同時に期待の驚きを見せた。
ぬか喜びにさせてしまうかもしれないけど、気持ちを切り替えさせる目的で言えばその効果は絶大だった。
「深山さんの、深山さんの消して欲しいっ!」
特に凛子からのその言葉は、強く俺の服を握るその手と共に痛いほど気持ちが伝わってくる。『自分だけ助かってる』ということに引け目を凄く感じてるのだ。
「ダメだったらごめん。深山、少し誓約紙に書き加えてみてもいい?」
「は、はいっ! もちろんです!」
――さて、それでもうひとつの『驚き』の件。
いや。これは俺が理論立てて考えていれば驚くまでもなく、必然。
『ちゃんと』考えて無かっただけの話でKANA先生に怒られてしまいそうだ。
『・ミャアからの魔法は、自由に受け取れる』
『・ミャアは質問には事実を正確に話して、全部説明しなきゃいけない!』
『 』
『・ミャアはログアウトできないw』
……以降に続いている『えっち』関係を除いた、現在の深山の誓約紙の正確な状況はこんな感じになっていた。
やはり『ミャアは質問に沈黙つかって逃げれない』というあの一文は岡崎が書いたものだったということで間違いがない。
その部分が空白になっていたのだ――そう、空白!
「深山。まずは……俺の誓約の適用から入力するね」
「はいっ」
『香田孝人の誓約紙から実行可能な既知の誓約が適用される』。
この一行を深山の誓約紙の最後の一行に登録して。
「なあ、邪魔になるから深山が入れた誓約を消しても良いか?」
「……は、はい……!」
『香田君に、えっちなお誘いをしない。』と、文末に句点を入れて、俺の登録で上書き。そんな感じの処理ですぐに指先で触れて深山の書いた『えっち』な誓約文をひとつ消した。
すると誓約のログアウトできないとする一文の前後はこんな感じになる。
『 』
『・ミャアはログアウトできないw』
『 』
……そう。前後に空白を作ることが出来たのだ。
当然、俺は――
『{』
『・ミャアはログアウトできないw』
『ただし、香田孝人から許可された場合はその限りではない。}』
――こんな感じで無理やり全体を一行とみなす入力をするつもりだ。
「……あー……ダメ、か。ごめん」
「え」「……うん」
『{』
『・ミャアはログアウトできないw』
『ただ_』
早々にここでカーソルが止まってしまう。
考えられる理由はふたつ。
すでに登録されている文に対して、『文末に<}>が書かれるまでを入力中』と改めてみなすことがシステム的に許されないことかもしれない。
あるいはもっと単純に、久保が入力してすでに登録された文に対して、俺が追記することが不可能なのかもしれない。
……後者かな?
その上で『すでに登録させている誓約を否定する情報が追加された場合』というマニュアルに記載の条件にも抵触していると考えるのが自然に思えた。
「くそっ、『w』も文末認定とかネットスラングに理解あり過ぎだろ!」
念のため『w。』と文末に直接句点を入れてみる努力もしたが、案の定、拒否されてしまい愚痴が零れてしまう。
何となく久保のせせら笑いが聞こえて来た気がした。
「香田君、ありがとう……もういいから」
「期待させるだけさせて、こんな結果でごめん」
「ううん。ちょっとホッとしてるぐらいだから気にしないで?」
「え?」
「実は、もうちょっとだけ……こうして居たいかなって、そう思ってたのっ」
照れくさそうに笑う深山。
その言葉が本当かどうかは、まだちゃんと話すようになって日の浅い俺にはわからない。わからないけど……たぶん気を遣ってくれているのは間違いなかった。
「ありがとう」
「ううんううんっ、わたしこそ、本当にありがとう、香田君っ」
感謝し合う俺たちだった。
結局は当初の予想通り、無理という事実を確認するだけで終わってしまった。
「ね……香田。じゃあ今日はもうこれでおしまいなの?」
膝の上の凛子が俺へと見上げながら、ちょっと不思議な質問をしてきた。
少し寂しそうな声。
……そうだな、今日という凛子にとって大きな節目となったこの記念日を、こんな残念な後味の中で終わらせるのはダメだな。
俺は首を左右に振ると、少し不自然なぐらいに微笑んで提案する。
「ううん。あと8時間ぐらいでランタン消えてしまうらしいし、もうひと仕事しておきたいけど、いいかい?」
「はいっ」
「イェッサー、ラスボスッ」
お返しに、嬉しそうにニッコリ笑みを浮かべて敬礼してくれる凛子だった。
◇
そういうわけで、さっそく作業開始。
まずはぐるっと半径1mほどの円を描くように草を毟り、露出した地を起こす。
次にその円の中に枝やら燃えそうな物をあまり山積みにしないように組んで。
「ファイア!」
「おーっ」
深山の魔法で着火。
魔法の燃焼自体は数秒で収まるが、燃えやすい枯れた枝はその短時間でも実在の火を発生させていた。
あとは周囲に延焼しないよう気を付けながら枝を定期的に入れて行けば、簡易な焚火の完成である。
――ジャジャーン。
「ん?」
なんか久しぶりに聴いたぞ、この効果音。
画面下部の表示を確認すると――
『通知:ミャア・香田孝人・りんこ はアイテムをクリエイトした!』
「「「あははははっ」」」
3人シンクロして笑ってしまう。
『マイクロ・キャンプファイア』とでも名付けておこう。
「いや~、別に寒くないけど、でもやっぱりこういう火の暖かさっていいな」
「うん、ホッとする……」
「サツマイモ欲し~っ!」
焚火を囲って、俺たちはちょっとテンション高め。自然と心が躍る。
「これなんかどうかな?」
「おーっ、ポランの実っ!」
そう言いながら深山が手のひらからオレンジぐらいの大きさの殻が硬そうな赤い実をポップさせると、凛子は両手を上げて大喜びする。
「美味いの?」
「えへへ。ぼちぼち、かなっ?」
ぼちぼちなのかよ。まあそれでも何か嬉しいけど!
そもそも俺たち腹が減っているわけでもないし……つまり完全に気分の問題だ。
「投入してみまーす!」
「おう」「わくわくっ」
深山が焚火の中にその実を入れてみた。
「……」「……」「……っ」
3人でなんとなく注目してしまう。
――パァンッ!!
「きゃっ!?」「うおっ!!」「ひあっ!?!?」
あの見るからに硬そうな殻が破裂したのか、想像もしない爆発音が突然訪れて3人同時にひっくり返ってしまった。
「み、深山、出して!」
「えっ、わ、わたしっ!? 杖、燃えちゃうよぅ!?」
「ちょあーっ」
戸惑ってる深山に代わって凛子が武器で火の中のポランの実を串刺しにして、素早く取り出す。
「ってそれ、俺のダガーか!?」
「あー!!」
凛子もとっさにアイテム欄にある武器を適当に出しただけみたいで、自分で驚いていた。
「その……えと。何かこう……締まらないけど……お返し、します」
「お、おう。確かに」
ポランの実が剣先に刺さったまま、俺に返還されるあのダガー。
凛子は深々と頭を下げてしっかりと謝る。
「本当に……すみませんでした」
「いや、もう気にするな」
「うんっ……!」
むしろこれが奪われて……だから俺と凛子は今、こうしている。
ふたりを結んでくれたと考えたら感謝したいぐらいだ。
よし、原口のこともついでに許してやろう。
俺も何か悪かったな、原口……あー、いや。楽だっけ? あいつの下の名前。
「ふーっ、ふーっ!」
剣先の実に息を吹きかけて冷ましてる凛子を眺めながら。
「……深山も、下の名前で呼ぶほうがいい?」
「えっ、きゅ、急に、どうしたのっ……香田君」
「いや。初めて凛子と会った時、気にしていたみたいだったし」
「あぅ…………聞こえてた、んだ?」
気まずい感じにうつむく深山。いや、玲佳?
「それで、玲佳、がいい?」
「――っっ……う、ううんっ……呼ばれるとドキッとするけどっ……やっぱり、わたしは『深山』が、嬉しい……です。そう呼ばれるの、好きで」
少しばかりしどろもどろになって、身を捩ってる深山。
まあ本人がそう言うなら、やはり深山でいいのかな。
「おーっ!?」
「うん? 凛子、どうした?」
「何か、めっちゃいい匂い!!!」
「……ほんとだ」
「あ。アイテムクリエイト来ました! くすっ……『ポラポラ焼き』だって!」
すでに誰かがまったく同じものをクリエイトしていたってことだろう。
深山は表示されているアイテム名を読んでくれた。
「食べてみよっ? ねっ?」
「そうだな。あ、あちち……っ!!」
俺は剣先から凛子が冷やしてくれた実を手にすると、栗みたいに硬い殻を裂いて中からホクホクの湯気立つ実を取り出した。
思ったより果汁たっぷりで、手から滴り落ちるぐらいだった。
「はい、まずは深山から」
「えっ、わ、わたしっ!?」
「そりゃそうだよ。採ってきて、クリエイトまでしたんだから。はい、熱いからこのまま食べて。あーん」
「あーっ、ずるいーっ、香田にあーんしてもらうのずるいーっ!!」
「次は凛子にあげるから」
「やーっ、最初がいいっ!」
まったく末っ子は、これだから。
「くすっ……じゃあ凛子ちゃんから、どうぞ?」
「やたーっ!!」
「ダーメッ。はい、深山。あーん?」
「うーっ!!!」
「え。えと……いいの?」
「いいの。これは深山が先に食べる権利がある。そうだよな、凛子?」
「うー……ごめんなさい……」
「次は凛子だから」
「んーん……次は香田が食べて? 熱いの剥いてるしっ、ご主人様だしっ……」
ふーふーしてくれたのは凛子なんだけどな?
でも『我慢しろ』と迫った手前、素直に次は俺が頂くことにしよう。
「うん。じゃあ深山。はい。熱いから気を付けて」
「は、はい……えと……その……あ、あーん……?」
はむっ。
俺の手から意外と豪快に食べてくれる深山。
「――っっ!! 甘~いっ♪♪」
「ほう」「へえ!」
「焼きリンゴみたいっ。はむっ、はむっ……」
夢中で差し出された自分の分を俺の手から食べている深山。
猫舌ではないみたいで、特には熱そうにしていない。
「焼き凛子?」
「むーっ!」
そんなちょっとした冗談を言ってると。
――んちゅ……ちゅっ。
「うおっ、とぅ!?」
「あ……ごめん、なさい……ついっ」
そんなに美味しかったのか、俺の指先までしっかり舐める深山だった。
なんというか……その。舌の動きが、ちょっとエロかった。
「むむむむむむ――っっっ……!!!!」
いやそれは単に、俺の心がエロいだけか……。
「そんな夢中になるほど美味しかった?」
「え、ええ、凄いのっ。こんな味、生まれて初めてでっ……!」
「へえ……どれ」
我慢出来ず俺も殻の中の実を取り出して頬張ってみた。
「え」「あっ」
なんかふたりして驚いているようだった。
俺の食べ方、変だったのかな――いやいや、それどころではない!
何だ、この味!? 確かに焼きリンゴを彷彿とさせるけど、あそこまで実が柔らかくなくて、タケノコみたいなシャキシャキ感がある!
甘いけど、しつこくない上品な感じ……杏子? いや、キュウイっぽい酸味も――ああ、形容し難い。まあつまりはこれが『ポラン』の味ってヤツか。
「ふーむ……なるほどぉ……」
結局俺も、自分の指先まで舐めてしっかりと味わってしまった。
別にお腹は減ってない……減ってないけど『何か』は確かに満たされた。
やっぱり美味しい物を食べる幸せって軽視出来ないな、と痛感する。
「あ、ああぁ……っっ……!!!」
「――――っっっ……!!!!」
ん?
ふたりともワナワナと身体を震わせてやたら大げさに――……あ。
「あ、ごめん」
何に対してかよくわからないけど、とりあえず謝罪しておいた。
遅れて俺もカーッと頬が急に染まって行くのを自覚する。
よくある缶ジュースとかの可愛らしい間接キスとかのレベルじゃない。
深山の唾液を味わうように、舐めまくってしまった……。
「うが――っっ!!! 香田っ、私もっ!!!!」
「お、おうっ」
「はむーっっ!!!!」
「痛ぇっ!?!?」
まったくエロくない感じで俺の指ごと実を味わう凛子先生でした。
「はいっ、舐めてっ!! 香田、指、舐めてっ!!!!」
「……はい」
まるで噛まれた傷口を舐める気分である。
「は、はうあっ!!!」
……それでいいんだ?
顔を赤く染めている凛子の反応がちょっと面白い。
「……」
まあ内心、凛子の唾液も口にして……これはこれでかなりドキドキしてるけど、それは秘密にしておこう。この面白い雰囲気が凄く気に入っている。
「ちょ、ちょっと……そのっ……お、お手洗いにっ」
深山が真っ赤にゆで上がってこの場をダッシュで立ち去って行ってしまった。
いや、それにしてもお手洗いという逃げ出す口実は酷いだろ。一切出るものが無いのに。
「はむ、はむっ」
「……何やってますか、凛子先生」
再び俺の指を勝手に咥えて舐めまわしている凛子だった。
「香田の……味わってます。えへへっ」
「別に、直接味わえばいいんじゃないかな……? もうキスしてる、わけだし」
さすがの俺も照れてしまう言い回しだったが、なんとか噛まずに言えた。
「だ、だめっ!!!!」
「……どうして」
なんとなく理由は察した。
「もったいないしっ……!!!!!!」
はい、ビンゴ。
「いいじゃん? 恋人だし?」
「やーっ、ご主人様ぁ!! ご主人様がいいのーっ!!!」
むう。見るからに調子良くなっているのに、そこは変わらないのか。
「じゃあもう、ちゅーはしない?」
「うーっ!!!」
口を尖らせて相変わらず可愛い不満の表情を見せてくれる凛子。
涙目なのがまた最高に良い。
「ちゅーは……その。特別な時、だけっ……」
「毎日が特別だけど?」
「だめーっ!!! そんなのもったいないよぅ!!!!」
「減るもんじゃないだろ?」
「減るーっ!!! すっごい減るようっ!!!!」
手をぶんぶん振り回して反論してる凛子が、面白くて愛しくて仕方ない。
「いつか……香田とちゅーしても……ドキドキしなくなるなんて……ヤだ……」
あー。やっぱり可愛い。
『可愛い』で殺す気か、俺を。
「泣くな、泣くな。そんなことで泣かないでいいから」
「そんなことぉ……? えぐっ……香田っ……にとってはぁ……そんなこと、なのかも、知れない、けどぉ……っ!!!!」
「悪かった。全然『そんなこと』じゃなかったな? これ、言葉のあやだから」
「うー……っ……でも私……絶対に『そんなこと』なんて言わないもんっ……」
まあつまり間接的にそういう発言をした俺の中の価値観を批判してるようだ。
ポロポロ涙を落として、手の甲でごしごし拭う凛子。
もう仕方ない。実力行使で軽くお姫様抱っこをすると――
「ふきゃっ!?」
――俺の膝の上へと招待することにした。
「泣き止むまで、こうしていい?」
「…………そしたら私……ずっと泣くけど……っ?」
「確かに」
頭に手のひらを置いて、ぽんぽんと軽く愛情を表現すると。
「お願い。俺が悪かったから、泣き止んで」
「っ」
頬に落ちる涙を一滴、口に含んでみた。
「う、うー…………ど、どして?」
「うん?」
「どして……香田って、そういうの、ふつーに出来るのっ……?」
「??? おかしい?」
凛子が言う通りに、今のはそんな特別意識してなくて『ふつー』にやったことなので、素直にその疑問を口にするしか出来なかった。
「そんな高校生、いないよぅ……カリスマホスト過ぎだよぅ~……」
「久しぶりにそれが出たな」
「ハイパーカリスマホストだよぅ」
「まさかそれ、今後定番化しないだろうな??」
「ぐすっ……もっと長いほうがいい?」
「よくない」
「じゃあ……何がいい?」
「えー」
普通に『香田』でいいのに。
「……じゃあ、ご主人様……??」
「うんっ……!」
あ。喜んでくれた。正解を引いたらしい。
「ご主人様~っ、私のご主人様ーっ……!!」
「じゃあ、仲直りのぎゅーをしよう」
「ぎゅーっ……♪」
上機嫌になった凛子が涙もまだ枯れてないのにニコニコの笑顔で俺の首に手を回し、顔を寄せてくれた。
まあこうして、たわいもない一幕は決着したのであった。
「おーっ、深山さん、こっちこっち!」
「ん?」
「えっ」
いつの間にか帰って来ていた深山を見つけたらしい凛子が手招きしている。
「ここに来て、いっしょにぎゅーって、しよっ?」
「あ、いえっ……わたしは……そのっ」
「遠慮すんなってばぁ!」
嫉妬深いくせにやたら深山を誘うよなぁ、凛子は。
スポーツのフェアプレー精神みたいなもんだろうか?
「……一応、俺の意思も汲んで欲しいのだが」
「深山さんとエッチしたい香田は黙っててっ」
「ぐっ」
はい、それを言われるとぐうの音も出ません。
「ほらほら、こっちこっち!!」
「えと……あはは……っ……こ、困っちゃう……」
右往左往している深山。
数秒に一度はこっちをチラチラ見てる。
「深山さんっ!! 愛人なんでしょっ!?」
「は、はいっ」
改めて思うけど、無茶苦茶である。
そんなの成立するわけがないのに。
「こ……香田君……ごめんね……?」
「謝らなくていいけど」
なんかやたら恥ずかしい。
「じゃ、じゃあ、わたしは……これ、でいいですっ……」
「っっ!!!」
――ぎゅっ……。
深山が俺の空いている左腕へとしがみ付くように抱きしめてくれた。
とてつもない柔らかい何かが、俺の二の腕辺りを包み込んで……。
「……」
いや、おかしい。
やはりおかしいって、これ。
「うーっ……」
「おいおい、誘ったの凛子だろっ?」
そしてやはり露骨に不満そうな膝の上の凛子であった。
「だってぇ……香田、深山さんのふわふわおっぱい……超喜んでるしぃ……」
「っっ!!?」
「……」
ノーコメントで。
「くそぉ、くそぉ!」
投げやりに凛子もぐりぐり俺の顔面に押し当ててくれたりする。
……そんなことしていいのか? また嬉しくて、はむっとしちゃうぞ?
「はむっ」
「ふきゃっ!?!?」
あ。つい本能で勝手に。
◇
「――うー……もう午前0時になっちゃう~!」
3人でそんなよくわからない組体操みたいなことをしばらくしてると、凛子が突然そう言って立ち上がった。
「ん? よくそんなのわかるな?」
「ほら、お月様っ」
頭上にある現実より3倍ぐらい大きな月を指さす凛子。
「……月?」
「あれが真上に来ると、午前0時なのっ」
「へえ~!」
なるほど。
だとすると今は23時とかそれぐらいってことになるのか。
「はいっ、佐々倉凛子、残念ですがログアウトしますっ!」
「え。り、凛子ちゃん、帰っちゃうのっ!?!?」
それには俺より深山が目を丸くして叫ぶように反応していた。
「うん……えへへ。今日は香田からいっぱいステキなのもらったし、夜は深山さんに譲りますっ」
「そ……そんなっ……」
それは演技じゃなくて、本気で狼狽しているようにすら見えた。
「実はそのぉ……お金もちょっとヤバくてねっ? 私はバイトと交互で、2日に一度ぐらいしかログイン出来ないんだっ」
日給1万円のアルバイトとか、学生できつくないか?
……あ、いや。お小遣いぐらいあるか。週に3日のログインとかなら確かに学生のバイトでも成立するかも。
頭の中で、全寮制で暮らしているなら月5~6万円ぐらいは最低でもお小遣いが出て、アルバイトはたぶん時給1000円ぐらいで、4~5時間は――とか、軽く凛子の財政事情を予想で計算してみたりした。
「あっ」
深山も似たような計算でもしたのかもしれない。
そうつぶやいて、それ以上は言えない感じだった。
「あの……香田君は?」
「え、俺? とりあえず深山のレベルが上がって、ひとりでも安全と思えるまで……10日間ぐらいかな? それまではこのままEOEで深山の隣りに居たいと思ってる。それ以降は凛子と同じような状況になりそうだ」
「……嬉しいです。でも、香田君もどうか帰ってもらえませんか?」
「え? 深山?」
正直、深山からそう言われてしまうとは思ってもいなかった。
「香田君、授業あるもの……」
「いや、それを同じクラスの深山が言うか?」
「わたしは……仕方ないもの」
「俺は単位全然余裕だから。親にもすでに了解取ってるし」
「で、でもっ……お金、そんなにわたしのために負担掛けられないっ」
ちょっとため息を落として。
「こら、深山」
「は、はいっ!」
「俺はただ、EOEの世界を存分に楽しんでるだけだけど? これ、深山のためじゃないし?」
「――……っっ……!!」
「勝手に必要以上の恩義を感じないでくれ。俺は俺なりに楽しんでるよ?」
「…………うん。ごめんなさい……」
「はいっ、香田のツンデレ頂きましたっ!!」
空気を読んでか、凛子がふざけた調子で会話に割って入ってくれた。
……なるほど。ツンデレさんの心理がちょっと理解出来た気がしたぞ。
「そっか……香田、深山さんをお願いねっ」
「ああ。凛子こそ本当に助けてくれてありがとう。やっぱり凄く助かったよ」
「ううん……香田のお願いだし……もう、深山さんとも友達だしっ!」
「あ……うんっ!」
『ねー?』なんてふたりで声を合わせていた。
不思議な関係性だなぁ。
「……でも香田君……本当にいいの? 例えば凛子ちゃんと交互に……とか」
「いやまあ、そんなポンポン気軽に死にたくないしなぁ。それも本音」
「あっ」
先日、久保に撲殺された時のことを思い出した。
……確かに『死ぬほど』じゃなかったけど、あれは嫌だなぁ。やっぱり。
「死んじゃ、ヤっ!!」
トラウマがあるからか、それには凛子がより強く反応していた。
「いやいや、そうしないとログアウトできないし!」
「じゃあずっとログインしててっ……!」
「無茶言うなよ」
「うーっ……私が香田の口座に振り込むからぁ……」
「絶対に断るっ」
凛子はほんとに一歩間違えると、全てを貢いじゃうタイプに思える。
だからそれだけは絶対にダメだ。
「じゃあ……お願いします」
「うん?」
「私のいない時にっ……痛く無い方法で……どうかお願い、しますっ」
「そんな深刻な顔しないでくれよ……困ってしまう」
たかがログアウト、なんだけどなぁ。確かに物騒極まりない。
……うーん。この件はちょっと一考が必要かな。
「とりあえず10日間はその予定も無いから安心してくれ」
「う、うんっ」
気を取り直してくれた凛子が、無理やりに笑ってくれる。
それは別れの時間が迫っているからに違いなかった。
「じゃ、私……そろそろ帰る――ううん、行く、ねっ? 明後日の更新日には必ず戻ってくるからっ」
『こっちが帰る場所だから』。
凛子はそう言いたいようだった。
「うんっ、凛子ちゃん、いってらっしゃい……!」
「ああ。凛子、ここで待ってるから」
まず最初に深山が小さく手を振った。
俺も追って手を振ると、凛子はブンブンと大きく手を振り回して――
「行ってきま――すっ!!」
――最後は心からの笑顔を振りまき、光の粒子となって目の前から凛子がその小柄な姿を消した。