#002 インストール
「――お。コタコタ、こっちこっち!」
「ん?」
午後10時30分。
街の郊外にある国道沿いのコンビニ前。
約束の時間、約束の場所に自転車で来た俺は、コンビニの駐輪場に自転車を置いたところで背後から声を掛けられた。
「ああ、原口、そこに――」
「あー。その髪。キミがコウダ君?」
「っ! は、はいっ」
俺と原口の間に割り込むように、巨体を揺らして見るからに年上の男の人が黒塗りのワンボックスカーから出てきた。
年齢は20歳少々……だろうか?
筋肉隆々なその体格は、見るからに柔道とかラグビーとかそっち系をやってそうだった。
「これがセンパイの清水さんっす!」
「こら原口ァ! センパイに向かって『これ』とはどーいうつもりだ!? ぁん?」
「サーセン……ついつい、ハハハッ」
「ハハッ、じゃねーよ!」
原口の襟首を捕まえて怒鳴るその姿に、すっかり萎縮してしまう俺。
「おいおい、もう時間ないからそれぐらいにしてくれよ」
「っ!?」
さらにもうひとり、背後の黒のワンボックスから男の人が出てきた。
「すまないね、ウチの清水はどうもガサツで……」
体型は真逆と言っていいほどの細身で、無精ひげを生やしているからか『清水さん』よりさらに年上に見えるその眼鏡を掛けた男の人から、やんわりとした優しい声でフォローしてもらえる。
「いえ……香田です。その、お二人とも今日はよろしくお願いします」
「うん、話は原口君から聞いてるよ。私は小林といいます。こちらこそよろしく」
「おう、歓迎するぜぇ!」
年下の俺に対しても頭を下げて丁寧に挨拶してくれる小林さん。
原口を開放するとその手の親指をビッと立てて笑う清水さん。
対照的なふたりと感じた。
「ほらほらセンパイッ、出発出発!!」
「ちっ……調子のいい」
「まあ時間もったいないのは確かだね。これ以上の挨拶は車内でやろう」
「はい」
小林さんに促されてスライド式のドアを潜り、後部座席へと向かう。
背中を押すように原口も入ってくる。
どうやら清水さんが運転席、小林さんが助手席という配置になるらしい。
◇
「――すごいところでやるんですね……?」
国道沿いのコンビニから車が出発して一時間弱。
山奥というのはさすがに語弊あるが、しかし民家もまばらな閑散とした土地をワンボックスカーは走り続けていた。
「ああ、不安にさせちゃったかな? すまないね。説明するとあと10分ほど走った先にある倉庫の中でやってるんだよ」
「倉庫ですか」
「うん、昔、冷凍食品を扱っていた大型の倉庫をそのまま再利用しているらしいよ」
「へぇ……そんな場所でこんな夜中にやるのは、やっぱり秘密だからですか?」
「いや、時間については不正解。というかそんな短時間のプレイじゃないのは原口君から聞いてない?」
「あ。一日1万円、でしたっけ……つまり丸一日のプレイって意味か」
「そう。昼夜関わらず、ずーっと行われてるんだよ?」
「帰ってこないヤツもいるって言ってるじゃん!」
たしかに。
「でもプレイ開始は我々のように午前0時の人がほとんどなんだ。それは簡単な話で、日が変わる午前0時から始めたら、そこから一日フルに遊べるだろ?」
「なるほど……」
「みんなケチ過ぎだろッ!」
その清水さんの一声で俺を除く3人がドッと沸いた。
「いやいや、1秒でも早く参加したいってことで~」
「小林は大人でつまんねぇな!」
ようやく年上ふたりの性格も把握出来てきた気がする。
「あの……改めて今日は、急にお邪魔してすみませんでした」
「いやいや、むしろこちらが感謝したいぐらいだよ。おかげ様でこうして参加できる!」
「……え?」
何かの違和感。
「おい原口! もしかしてテメェ、ちゃんと説明してないのかよっ!?」
運転席から怒鳴り声が響く。後ろ向きでもすごい迫力だ。
「え、えーと……あははっ?」
「テメェ、あとでブチ殺すから覚悟してろよ!?」
「う、うぇぇ……」
「? あの、参加できる、って」
「ああ、うん。このゲームは4人1組のチームを組んで参加する形式なんだ。だから私、清水、原口君。そして……ね?」
手のひらで丁寧に4人目の俺を示す小林さん。
「なあ原口……もしかして最初から、勧誘する気満々だったのか?」
「ははっ、ファンタジーゲーム大好きなコタコタなら、絶対確定で受けてくれると思ってさぁ!」
「それは小学生の時の話だろ……」
「でも結局、VRMMOやってんじゃん?」
「……確かに」
ぐうの音も出ない。
集合場所に向かう途中で自転車を漕いでいるその時も、どんな感じなのだろうかと胸を焦がしていたのが正直なところだ。
「でもほんと良かった。急にひとり、参加できないことになっちゃってね」
「ドタキャンとかマジありえねぇ……!」
「このままじゃ誰か通りすがりの人でもさらうしかないのかな~って悩んでたところだったんだよねぇ?」
「ガハハハッ、その時は任せろ! ガバッと得意のタックルで一気に捕まえてやるからさ!」
「うおぉ、清水センパイ超頼りになるぅ!」
「怖い怖いっ……だから、こちらこそ感謝。ね?」
「はいっ」
こういう体育会系のノリというのはいまいち馴染めないけど、基本悪い人達じゃないみたいなのは充分にわかってきたので、ずいぶんと心が落ち着いてくる。
若干ヤンキー入ってる原口に、マッチョな清水さんに、文系の小林さん。
正直外見からは『そっち系』の匂いがしてこないが、しかしVRMMO楽しむ人って、思ってたより幅広いんだなと実感した。
「……さ、もうすぐ見えてくるよ」
「おっ!」
すでに数台の車が止まっているのか、ヘッドライトの明かりが複数見えていて遠くに倉庫らしき大型の建物が浮かび上がっていた。
◇
「香田君は荷物、自分で持っておくかい?」
誘導され敷地内の指定の場所に停車したところで、正面から小林さんにそう質問された。
見てみると原口を含む3人は、車内にそのままカバンを置いていた。
「あ。はい、銀行の引き落としなら印鑑が必要だと思うんで。あと念のため現金も持って行きます」
「うん、確かに印鑑だけ持ち歩くもの変だね。ゲームする時に私物は一切持ち込めないから、手続きの後は受付でそのリュックごと預けておくといいよ」
「はいっ!」
「うっし……気合い入ってきたぜぇ」
車のキーについているボタンを押してドアのロックをしながら、清水さんがニヤリと笑っている。
「ははっ。じゃあ、行こうか」
俺たち4人は、闇夜に浮かぶ大きな倉庫の入り口へと向かった。
「――うおおおっっ……テンション上がってくるうぅ!!!」
まずは倉庫の前に別途用意されたプレハブ小屋の中で、引き落とし先の指定や守秘義務の書類などの記入を済ませた俺たち。
次に案内されるまま倉庫内にようやく入って荷物を預け、不思議なほど細い通路を抜けて暗く広い空間に出たところで、待ちきれない様子だった原口が両手の拳を突き上げてそう叫んでいた。
「こら……原口君。しーっ……」
「っとっとと!!?」
本当に静かにしなきゃいけないらしい。実際、声の大きい清水さんは鋭い眼光を原口にくれてやるだけで黙っている。
俺も気をつけなきゃ……。
「……」
こうして待っている間、俺たちの前の組……数十メートル先でスタッフの話を聞いている様子の4人組をぼんやり眺めてて、とあることに気が付いた。
「へぇ。女にもこんなヤバイのに手ぇ出す物好きがいるんかい?」
原口がぼそりとつぶやく。
そう。正直それは俺も思ったところだった。
かなり暗いが、たぶん前の組は女性が4人だったように見えた。
「ふん。あの体格では相手にもならんだろ。全身を使うEOEでは己の身体能力が重要だ」
「あはは……それ、遠巻きに私を否定してないかい? 清水」
たぶん、俺もそっちに含まれるので一緒に苦笑い。
原口は……昔はともかく今は俺より運動神経高そうに見える。
バスケとかやりそうな俊敏性を感じさせる体型だ。
「その調子でぜひ鳴神もひとつ頼むよ」
「あの化け物は別枠だ……」
ムスッと露骨に不機嫌になる清水さん。
なんとなく昔、その『鳴神』って人にボコボコにされたのかな、なんて想像した。
「ぉ……」
どうやら前の組の受付が終わったらしい。
4人組の姿が奥へと消えて行って、今度は俺たちが手招きされる。
「……っ……」
寒い。奥に進むにつれ、温度が一気に下がっていく。
もしかして、冷凍倉庫としての機能がまだ生きているのか?
熱帯夜とまでは言わないものの7月の夜だからこの冷気も心地よいぐらいだが、しかしあと10分もしないですぐに震え上がりそうでもあった。
「……?」
なんとなくハチの巣を連想した。
倉庫の壁には、六角形のタイルのようなものがびっしりと敷き詰められており、その光景はとても独特だった。
「――ようこそ、どうぞこちらへ」
背後にある倉庫の扉が閉まり、俺たち4人の前に年齢30前後の落ち着いた雰囲気を持つ女性が姿を現す。
特に防寒具は着けておらず、黒のスーツ姿なのはプロ意識を感じさせた。
「さあお寒いでしょうから、その560番台から順次お入りください」
「おうっ」
「また後で」
「コタコタ、また地の果てでな!」
「お、おう? ……えっ」
さっきタイルと思っていた六角形の『それ』は、フタのようなものだった。清水さん、小林さん、原口、と順次ひとりずつがそれぞれのフタを開けて中へと入っていく。
「さあお客様、あなたも」
「あ、はい」
六角形のフタを開け、1メートルも無い幅の水平方向に延びる筒の中へと足から身体全体を滑り込ませていく。
――バチンッ……。
横たわる形になった俺の頭上のフタが閉まる。
同時に、狭い狭い空間の天井――俺の目の前が明るく光った。
『まずはハッチのロックを確実に行ってください』
『ハッチがロックされるまでは、この状態が続きます』
どうやら目の前のそこは、画面らしい。
そんな文字が浮かび上がり、具体的なロック方法も図解で説明が入る。
「……こう、か」
金具をひねると、ガチャ……と重い金属音が鳴って密閉性が高まった気がした。
『ロックしました。以後、内側からのみロック解除が可能となります』
なるほど。地味にこれは大切だ。
もし本当に原口が言うところの五感フルダイブ型のVRMMOを実現するというのなら、これぐらいの絶対的な安全性は欲しい。
何せ五感がすべて使えなくなるんだ。人としてこんなに無防備な状態はない。
「おっ」
遅れて、頭の左右から適温の送風と共に静かなヒーリング系のBGMが流れてくる。
つまりここは、超せまいカプセルホテルのような空間なのだろう。
『Welcome to THE END OF EARTH』
「ジ・エンド・オブ・アース……ああ、それでEOEね」
タイトル画面を目にして、俺は初めて正式名称を知ったことになる。
さてさて、どんなことになるのか……1万円分、楽しめるといいのだが。
『ようこそ、THE END OF EARTHの世界へ』
『(※以後、EOEと呼称致します)』
ナレーションの音声入りでテロップが入る。
どうやら事前のマニュアル的なものが始まるみたいだった。
『注意事項:本ソフトウェアは開発中のため、意図せぬ動作及び――』
『その結果を必ずしも保証するものではないことを――』
『同意できない場合は直ちにご退場を――』
「ああ、はいはい」
どうせ違法ギリギリのコンテンツなんだ。今さら権利とか主張されてもなぁ。
さすがにそれなりのリスクは覚悟しているつもりだ。
長々と続く注意事項にうんざりしながらも、一応全部に目を通す。
プレイヤーの自主性を尊重するからGMが直接ゲーム内に現れて介入することは無いとか、ゲーム内でのトラブルは基本的には管理側が関与しないとか、自己責任だとか、姿勢が放任気味なのはいかにもアングラっぽいなと感じたぐらいで、あとは正直ごくごく当たり前な内容ばかり。
『実際に死んでも知らん』みたいなうさん臭い文章もなくて肩透かしだった。
むしろ『当運営が全責任を持ってお客様の身体の安全と保護をお約束します』と手厚く主張していたぐらいだ。
しかし『どのような個人・団体・企業・組織からのいかなる圧力にも屈せず』とは……また随分と前のめりに熱く語ってるな。
裏社会なりのプライドというか、思想みたいなものをそこに感じた。
あと強いて言えば『健康上の理由から一日に複数回の再ログインはお断り致します』という感じの一文が少し引っかかったぐらいだろうか?
一日1万円と定額なら、再ログインぐらい自由にさせろよと思う。
遠巻きに『面倒だから何度も出入りすんな!』と言ってるのだろうか。
だとしたら、まあ、一度出たら戻れない映画館と似た感じだ。
――プシュウウウッッ……。
「わっ、ぷっ!?」
白い煙のようなものが左右から顔に吹きかかる。
……なんだこれ?
驚いたけど、アトラクション的なドキドキのほうが上回る。変な笑いが出てきそうだった。
『ではこれよりEOEへダイブするためのインストールを開始します』
『準備が整うまでの間、チュートリアルをどうぞご覧ください』
「お、きたきた!」
EOE初心者の俺としてはここは集中ポイントだった。
……っていうかどんな世界設定なのかも不明なまま、来ちゃったからな。
原口の感じからして魔法と剣の、典型的なファンタジーな世界らしいが。
『■はじめに』
『EOEは世界初の本格フルダイブ型VRMMOとなります』
『よって基本操作はすべて身体を動かす形での実行となります』
『ジャンプなら実際にジャンプを』
『攻撃なら実際に狙う相手へと武器を握って攻撃を行ってください』
『なお、この状態を基本の<アクションモード>と呼称します』
「ふむふむ……当たり前なんだけど、新鮮だなぁ」
小説とかアニメとかの空想の物語はさておき、現実のVRMMOってのは単にヘッドマウントディスプレイを被って、剣を模したコントローラーなりを握るだけだ。
実際に手に剣を握って戦えるなら、没入感が段違いなのは間違いない。
どうやら殴ったらその手ごたえまでフィードバックされるようだし、そういうのは冷めないためにも非常に大切だ。
『■システム関係の操作について』
『EOEはログアウト、チャットの開始、ステータスの確認等』
『実際の行動では表現出来ないシステム関係の操作については』
『視線誘導によって行うことが可能です』
『これを<操作モード>と呼称します』
「まあ両手に武器とか持ってたら、操作できないもんな」
『3秒以上、両目を閉じることにより操作モードが開始となります』
『左上にはマップと体力等のステータス表示』
『右下には各種アイコンが展開して表示されます』
『なお操作モード上で1時間以上の放置または3秒間以上目を』
『閉じることで、通常のアクションモードへと戻ります』
目の前の画面には実際のゲームのスクリーンショットらしきものが現れ、右下や左上に矢印がふわふわ動いて、説明が始まる。
「おおぉ……思ったより……リアルだぞこれ……!!?」
まだ動いていないただのスクリーンショットだが、しかし見たこともないぐらいの高レベルなグラフィックにテンションがいきなり跳ね上がる。
『視線の動きによりカーソルは追従して移動し、片目を閉じる動作』
『……いわゆるウィンクを行うことでアクティブ状態となります』
『これを<アクティブ選択>と呼びます』
それ、ウィンク上手く出来ない不器用な人にとっては大変な仕様だな。
『……では実際に行ってみてください』
『(※現在はアイコンのみの表示となります)』
「へっ?」
一瞬、意味がわからなくなる。
遅れて理解して……ゆっくり目を閉じて試してみた。
「す、すげーっ!? 何、これ! どうなってんの!?」
網膜に映像を直接投影しているのだろうか?
確かに右下に四角い箱状のアイコンが現れる。
そして視線で誘導される光の玉。これがカーソルってことだろう。
「じゃあ試しに……ステータス――って、そりゃそうか」
『-------』
『-------』
『-------』
『-------』
……という感じで、ブランク状態が延々20項目以上に渡って表示されていた。
『■承認ウィンドウ』
『変更・実行するためには、設定する項目をアクティブにした状態で』
『カーソルを右上または左下の視野限界まで移動させてください』
『ENTER/CANCELという<承認ウィンドウ>が表示されますので』
『どちらかを選び、以上で意思の決定となります』
『(※チュートリアル中、承認ウィンドウは表示されません)』
まあチュートリアル中に装備やらステータスやら勝手にいじられたら進行上、不都合があるのだろう。『ENTER/CANCEL』の承認ウィンドウが表示されているスクリーンショットが目前に現れて、わかりやすく流れだけを説明してくれた。
『■ゲーム進行』
『EOEは自由度の高いゲームのため、どのようなプレイも可能です』
『モンスターの討伐に限らず、技術開発・アイテムの発見等でも』
『経験値が得られます。また、設けられている各種イベントは』
『参加自由であり、プレイ上、必須となるものは一切ございません』
「へぇ……アイテムの発見でも経験値か」
少し珍しい。これはレア掘りが捗りそうなシステムだ。
あるいは露店用にコツコツアイテム作ったりしても経験値が入るのか。
嫌いじゃないよ、そういうの。
『■ゲームオーバーについて』
『体力が0になり死亡した瞬間、ゲームオーバーとなります』
『ゲームオーバー後は原則としてそのまま強制ログアウトとなります』
『当日中の再プレイまたは再ログインは不可能となりますので』
『安易に死亡なさらないようご注意ください』
「あー良かったぁ、リアルで死ぬデスゲームじゃないんだぁ~」
半笑いで思いっきり棒な台詞を口にする。
もはやこれはVRMMO初プレイ時の、古典的なお約束ボケだった。
というか現実的に考えて、ゲーム内で死んだらリアルでも死ぬとか、それはさすがに人の身体を預かる企業としては不備が酷過ぎる。
わざとじゃないなら、二重三重の安全対策ぐらいしろと言いたい。
『■その他』
『その他の細かな操作・設定・ルール等に関しましては』
『ゲーム内のマニュアルアイコンをアクティブにしてご参照ください』
ざっくり切り捨ててきた。
まあ正直そんな長々とやられても困るので、これでいい。
「お?」
ここでBGMがガラッと変わって、リズミカルでアップテンポなものになる。
『――以上がEOEの基本的な概要となりますが』
『特に独自性の高い誓約システムについて別枠にてご説明いたします』
「……誓約システム?」
目前の画面に、一枚の白い紙が浮かんでクルクルと回転を始める。
その紙の背面には古代の世界地図のようなデザイン画が施されていて、まるでファンタジー世界の古文書みたいな雰囲気があった。
『アイテム欄の最初に、このような1枚の紙が収められています』
『このアイテムを<誓約紙>と呼びます』
『誓約紙の裏面には重要な個別のID番号が記録されており』
『キャラクターが複数のID番号を保持している状態、あるいは』
『ひとつもID番号を保持していない状態は運営上認められません』
『よってこの誓約紙は偽装やねつ造、または自らの破棄あるいは』
『他人から奪うことが一切出来ない特殊な固定アイテムとなります』
『なお、燃やす等の破壊が行われても即座に元の状態へと戻ります』
「……」
いまいち意図というか、流れがつかめない。
まあとりあえず捨てることも出来ない大切な紙、と。
『誓約紙には、自由に文字を用いて情報を追加することが出来ます』
『この追加された情報は<条件の不成立>が発生していない限り』
『即座に誓約として登録されます』
『登録された誓約は、入力した本人以外、削除することが出来ません』
『そしてこの誓約紙に登録されたすべての内容は――』
……ん?
『――所有者本人に対してのみ、絶対の強制力を発生させます』
所有者本人に対してのみ絶対の強制力って……どういうことだ、これ?
つまり自分限定で自分に命令できるってことか?
……それ、一体何の意味があるんだ??
『以下の場合、追加された情報は無効となり該当部分が消滅します』
『(※これを<条件の不成立>と呼びます)』
『・追加された情報が所有者の死へと導く内容の場合』
『・追加された情報が所有者には実行不可能な内容の場合』
『・追加された情報が所有者にとって意味不明な内容の場合』
『・すでに登録されている誓約と重複する情報が追加された場合』
『・すでに登録させている誓約と矛盾する情報が追加された場合』
『・すでに登録させている誓約を否定する情報が追加された場合』
『・すでに登録されている誓約の一部分が改変された場合』
『・誓約として登録された時から数えて60日が経過した場合』
大半が当たり前過ぎることをわざわざ書き並べている印象だった。
だから何なのか、正直さっぱりだ。
『ですので、例えば』
『空を飛べる……と追加されても実行不可能のため無効となります』
「あ~、なるほど!」
ようやく意図が掴めた気がする。
いわゆるこれは、リアル版の指示機能だ。
例えば『俺は<耕す>と叫ぶとその場で土を耕し、そこに所有している種を植え、水を適量やらなければならなくなる』と書いておけば「耕す!」と叫ぶだけでそれが何度でも実行されるという仕組みだ。
そしてもし所有している種が尽きたら、実行不可能だから無効になる。
――いやいや、待てよ?
上手く使えば、剣術のコンボなんかも組み立てられるかもしれない。
必殺技の名前を叫べば自動でオリジナルコンボが発動……ヤバイ。面白そうだ、この機能。
「上手く考えてるなぁ」
『自分限定』『実行可能のみ』というのがいい。
もし対象が何でもアリになっちゃうと一気に糞ゲーだ。
『<死ね>と言ったら相手は必ず死ぬ』とか成立するなら、本気で酷い。
『――お待たせしました。いよいよインストールが完了です!』
「おっ!?」
自由度の高いマクロの説明でテンション上がっているところに、上手い演出だ。早く色々試してみたくてたまらなくなってくる。
『これから、アナタの分身となるキャラクターを作っていきましょう』
『まずはキャラクター名からご指定ください』
『キャラクター名はデフォルトではご本人様の氏名となっております』
『個人情報保護のため、特別な意図が無い限りはご変更を推奨致します』
そりゃまあ、そうだ。
さっそく名前の項目が画面の中央に出てくる。
文字入力のキーボードもあるが、どうやらこのマイクの形をしたアイコンをアクティブにすれば音声入力も可能っぽい。
「エメンタール」
……なんか口にすると凄く恥ずかしいが、これが小学生から続く俺のもうひとつの名前だ。文句ならこれを命名した人に言ってくれ。
『次は身長と体重となります』
『こちらも実際のお客様の体型を基にデフォルトを作成しております』
『どうぞデフォルトより自由にご調整ください』
『顔の造形など基本テクスチャーは変更不可能なため、個人情報保護を』
『重視されたいかたは、髪色・年齢設定の項目を大幅にご変更ください』
『なお、異性への変換は不可となっておりますので予めご了承ください』
「ぷっ……ネカマプレイ禁止か、いいな」
元々そういうプレイが趣味じゃない俺としては、笑いたくなる。
まあ真面目に設定を考えるなら、威圧や索敵を考えたら身長はめいっぱい高くていいだろう。
体重は……どうしようか。あまりガリガリでもマイナス補正入りそうだ。
年齢は肉体が一番完成されてそうな25歳ぐらいにしよう。
「まあ、こんな感じ?」
視線誘導のカーソル操作も思ったより直感的で、特に違和感も無くサクサクと設定作業が進む。
『次に職業を決めてください』
「きたきた!!」
間違いなくこれが、キャラメイクのメインイベントだ。
デフォルトの『一般市民』から『戦士』、そして『魔法使い』『神官』へと項目のアクティブをコロコロ変えてステータスの変化などを確認してみる。
ざっと見たところ、選択できる職業は全部で20種類ぐらいありそうだ。
「うーん……」
ステータスの項目は平均的なRPGよりちょっと多い。
あと、『サブステータス』というのが独特かな。
例えば戦士を選ぶとサブステータスの項目には『武器重量・チャージ速度・命中率・威力・コンボ性能』などの項目が並び、魔法使いなら『効果範囲・詠唱・射程・威力・魔力容量』などの項目が並んでる。
そしてどうやらそれぞれの項目に、所持しているポテンシャル値30を、最低0から好きに割り振りしていいということらしい。
つまり同じ武器を使う戦士でも、細かく連打できるキャラも作れるし、当たれば糞痛いキャラも作れることになる。
ここまでの自由度があるのは面白いと思う。
「今回は……魔法使い系だな」
というのも、ベテランとのパーティ前提だからだ。
ソロなら戦闘の燃費が良くてひとりでも安定感のある戦士系だろうけど、パーティだと初心者の前衛はただの足手まといになりがちだ。
ならば安全なロングレンジから弱い攻撃でもチビチビ当てたり、あるいはサポートに徹したほうが遥かに貢献出来る。
なのでポテンシャル値は射程と範囲に手厚く割り振って、あとは体力と魔力容量に少し盛れば失敗は無いだろう。
仕上げとして、個人的に好きだから『炎・水・風・土・光・闇』とあるエレメンタル属性の中から炎に偏らせると、名称は『赤魔法使い』へと変化した。
「――よし、まあこんなもんかな」
上部中央のカウントダウンし続けている数字は、言うまでもなく残された制限時間だろう。
残り30秒を切った辺りで妥協して、まとめることにした。
服装は古風なデザインをベースに黒と赤で統一して、これで守備寄りの炎の魔法使い『エメンタール』の誕生である。
『全項目を設定しましたら、画面端までカーソルを移動し』
『ENTER/CANCELの承認ウィンドウより最終決定を行ってください』
「ほいほい、と」
視線を動かして画面端へとカーソルを動かす。
動かし――……うん?
「え? あれ??」
承認ウィンドウが出てこない。
……というか、たぶん画面端までカーソルが行かない。
画面端より一回り内側でカーソルが見えない壁みたいなのに引っかかって、それ以上には動かないのだ。
「……えーと?」
『あと10秒です』
「っ!? ちょっと! 待て! 待てっ!!」
『あと5秒です』
「お、おいっ!?!?」
『あと3……2……1……』
「待てよ、ふざけるなぁ!!!」
『ゼロ――……』
ゴゥ――ン……と重い鐘の音が鳴り響き、世界が真っ白になっていく。
同時に、全身へと包むように強烈な冷気が襲い掛かり、条件反射的に息が止まる。
『最後に注意事項となります』
『これより肉体を保全するため、低温処置を行います』
『この処置により肉体は一時的な仮死状態となり』
『食事および水分の補給、排泄物の処理が長時間不要となります』
『ただし健康上の観点から1週間以内でのログアウトを推奨致します』
は? 何、を、いまさらそんな――
『では、ぜひ異世界の冒険をご満喫ください』
『この地の果てにようこそ』
意識が、遠く――
◇
「――――……ぶはああぁぁ……っっ……!!!!」
やっと……やっと、息が出来た……死ぬかと思った……っ。
俺はその場でしゃがみ込み、背中を丸めて荒い呼吸を繰り返す。
「おーおー、コタコタやーっと来たぜぇ~」
「はははっ。カウントダウンのギリギリまで粘っちゃったのかなぁ?」
「ま、キャラメイクする最初はそんなもんだろ」
今はこっちの世界でも夜なのだろうか?
暗闇を切り裂くように背後から光が差し込み、あの3人の声がしている。
「――は? 何? コタコタもしかして名前デフォ!?」
「けほっ……ごほっ、は、はい……?」
「うーわぁ、マジあり得無ぇ~! リアルネームでプレイとかドン引きっすわぁ」
「というか……ね」
「……おい。ケンカ売ってんのか、それ」
ようやく呼吸が整ってきて、俺は首を傾げて振り返った。
「はい?」
3人はイメージ通りで一発でわかった。
筋肉隆々の清水さんはたぶん戦士とか騎士辺り。
小林さんは魔法使いか召喚術士。
そして原口はどこからどうみても盗賊系だ。
……すげぇ。リアル過ぎてこれがゲームとはとても――
「一般市民んんんっっ!?!?!?」
「びっくりした……私、デフォルト職業は初めて見ましたが……」
「え? え??」
「はぁ――…………っっ……」
怒りを抑えるのに必死という感じの清水さん。
あ、いや『剛拳王』さん。
ネーム表示と並んでるステータスがたぶん凄い。レベル260とある。
「――え? 俺、赤魔法使い、だけど……」
もしかして……いや。やはりというべきなのか。
最後、承認ウィンドウで最終決定してなかったから……だろうか?
「……」
正直、言葉も出てこない。
「……ねぇ、マジどうします? これ?」
「いやはや参ったねぇ……ま、とりあえずフレンド登録してみよう。もしかしたらユニークアイテムが凄いのかもしれないし」
「へいへい」
小林さ――……いや、レベル130の『アクイヌス』さんが右下へと視線を送り、それから右上へと送る。
後ろの原口ことレベル14の『が~くち★』も似たようなことをやっている。
――ピロン、ピロン、ピロン……。
「っ?」
右下に点滅している部分がある。
慌てて3秒間、目をつぶると……。
『フレンド登録が3件来ています。承認しますか?』
「……あ、ありがとう、ございます……」
慌てて3つとも項目をマニュアル通り、アクティブ選択にして――
「…………ぅ……」
やはり、視線誘導のカーソルをどうやっても画面端に運べない。
なので承認ウィンドウが出て来ない……つまり、その、登録が出来ない。
「えと……そのっ……」
「何やってんのっ? チュートリアルちゃんと読まなかったのかよ!?」
まごついてる俺の姿を見て、明らかに苛立ちを隠せない原口。
「チッ……もういい、アクイ。さっさと進めろ」
「えーと……これ、本名だよね? 呼んじゃうけど許してね? 香田君。アイテム欄ぐらいは確認できるかい……?」
「え。あ、はい、たぶんそれはっ……」
チュートリアルでステータスの確認は出来た。
つまり内容をただ確認するだけなら可能ってことだろう。
俺は慌てて再び操作モードを展開すると、右下のアイコンからアイテム欄を開いた。
「……開きました」
「うん、ありがとう。その中に光ってるアイテムがひとつだけあると思うけど確認出来るかい?」
「はい……これですかね?」
「ははは。それは私には見えないからわからないや。とりあえずそれは、ユニークアイテムと呼ばれている超レア品。初ログインで必ず支給されるものなんだ」
「へぇ……ちなみにどんな効果なんです?」
「ユニークって呼ばれるだけあってね、全部違うんだよ。系統として似たものは多々あるけど、でもまったく同じものは今のところひとつも確認出来てないかな」
「ああ、なるほど。だから最初にまずは確認なんですね……じゃあさっそく見てみます」
「おい、頼むぜコタコタァ。ここでワンチャン活かしてくれよぅ?」
それはこっちこそ願うところだ。
少し緊張しながら、カーソルを光るアテムに合わせる。
「……」
「どう?」
「…………『サムイレイザー』って書いてます、けど。すみません、たぶんこれ……ハズレ、です……」
ため息が自然と漏れる。
「いやいや、わからないじゃないか。詳しく聞かせてくれないかい?」
「だって……その。一文字、消せる消しゴムみたいで……」
「うん?」
覚悟を決めて、読み上げる。
「サムイレイザー」
「所持者の誓約紙に書かれた文章の内、一文字だけ消すことが出来る。ただし記号は消せない。文章が無意味となってしまう文字は消せない。他者の誓約紙の文字は消せない。連続して文字を消した場合、古い順から消した文字が順次復活する。合計して4文字を消した時、このアイテムは消滅する……」
やたらルールが細かい上に、限定的だ。
というか――
「はぁ!? 何その超ゴミ!?!?」
――ぶっちゃけ、言われても仕方ないと俺も思った。
だって、チュートリアルの説明では『登録された誓約は、入力した本人以外、削除することが出来ません』とあった。
肝心なところだから丸暗記してるし、間違いない。
これは裏を返せば、入力した本人は好きにいつでも消せることを意味している。
だからつまり、このレアアイテムは本当にゴミだ。
誰でも自由にやれることなのに、わざわざ限定的に細かいルールの中で一文字だけしか消せないのだ。
それでも一瞬だけ、調整や編集に便利かとも思った。
でもよくよく考えれば、何かを修正したいなら一度全体を消してから修正した内容で改めて入力し直せばいいわけで……結局は、その手間の数秒間ぐらいを、たった4回だけ省けるぐらいの意味でしかない。
「なあ……剛拳王、コレどう思う?」
「アナザーではない。よって不要だ」
「ははっ、君ならそう言うと思ったよ」
「……」
結論は出たらしい。目の前が真っ暗になる。
今日は1日ただのお荷物で、迷惑しか掛けられないとか……。
「はぁー……しゃーない。コタコタァ~、EOEのセンパイであるオレがひとつ、とっておきの裏技を教えてやるとしようかぁ」
「裏技……?」
「試しにコタコタの誓約紙を表に出してみ? 相手に渡せない固定アイテムだから、ただオレに見せるだけでいい」
「え。ああ……出来るかなぁ……」
自信喪失の俺はそれも不可能なんじゃないかと疑ったが、そのアイテムをアクティブにするだけでアイテム欄から手元に出現した。
「あ? ふつーに出来るじゃん? ほれ、それでこれをこうすると――」
「……?」
原口は、俺が手に持つ誓約紙の表面を指で軽くなぞる。
すると――……遅れて文字が浮かんだ。
「――じゃーん! なんと、こんなことも出来るんだぜぇ?」
「?」
手元の誓約紙を確認した。
『求められた物はすべてを差し出す。』
「…………え」
「ギャハハハッ、コイツ馬鹿過ぎて超ウケるんですけどぉ!?!? マジウケるぅ!!」
いったい……何が?
わけが、わからない。
「原口、お前――」
「ほらよ、所持金を全部出せよぉ」
「――は?」
その言葉を俺自身が意味するより先に、アイテム欄から手元に初回ボーナスで与えられていた所持金すべてがポップされていた。
「はーい、ご苦労サーン! センパイ、どーぞ!」
ニヤニヤと笑いながら、ゆっくり原口が……俺の手元から、その所持金の納められた布の袋ごとを奪い取り、背後の小林さんに手渡していた。
「んじゃ次はそのゴミみたいな装備もどうぞ~出して出してぇ」
「――……っっ……」
俺の意思なんて、まったく必要がなかった。
本当に全自動的に、すべての着用していた装備も瞬時に脱がされ、改めて手の上へと再出現している。
何よりそれを、俺は阻むことも拒否することも一切出来ない。
今は指先ひとつ自由に動かせず、ただ、眺めることしか許されない。
「センパーイ、このゴミいりますぅ?」
「はぁ……いらないよ。ガクチはどうしてそんな真似するんですか?」
「超スカッとするからぁ!!」
「やれやれ……」
原口の横に払うような蹴りで、俺の差し出した両手から装備一式が地面へと転がり落ちる。
「って。おいおい、まだこれが残ってんじゃねぇかよ!? おら、全部を脱げよぉ!?」
笑いながら俺の白いインナーシャツを引っ張る原口。
ゴムみたいに不自然に伸びている。
「ガクチ。下着・ズボン等の装備項目に無いベースウェアは剥奪不可能ですよ? そんなことが可能なら、この高尚な素晴らしい世界が単なるポルノコンテンツになってしまいますからねぇ」
「チッ……つまんねーのっ!! じゃあいいや――」
原口が異様に輝く目で右手を天へと突き出し、そして振り下す。
「ほぉらよぉ、<ハイプレス>……!!!」
――ゴアッッ……!!
目の前の、俺の装備一式が唸りを上げる見えない何かによって一瞬で潰され、あっけないほどに四散する。
「うっわ、脆っ! マジでゴミッ!! ガキのオモチャかよこれっ!?」
またゲラゲラと下品に笑い出す原口。
そこまでされて、ようやく、感情が追いついてきた。
その悪意の連続を前にして、沸々と怒りが込み上がってくる。
「原口っ、お前っ……!!!」
「はーい、なーんですかぁ??」
「こんなこと……どうしてっ!!」
「はぁ? お前が嫌いだからに決まってんじゃん?」
「原口……」
「最初にそれだ。おい、香田ぁ……こっちが『コタコタ』なんて必死にあだ名で呼んでんのに、なーんでてめぇは何年ダチで付き合っても苗字呼びなわけぇ? 必要以上に近づくなって言いたいわけか、それぇ?」
「……」
誰に対しても苗字呼びで固定している俺は、正直、そんなことを意識したことはなかった。
「なぁさ、オレ、覚えてんだよねぇ? 持ってないオレにゲーム機貸す時、決まってお前ってさぁ、『これで遊んでいいよ』って言うんだよなぁ?」
「それが――」
「どっから目線だよおいっ? 『いいよ』ってなんだよその許可ぁ!? 本当は相手したくないけど可哀想だから一緒に遊んであげるってかぁ!?」
「それはただの子供なりの言い回しだろ……別にそんなつもりは……」
「なぁんだよ、自覚無しかよっ!? タチ悪ぃなあ!! 高校生のお前ってば小学生のオレ様より頭悪ぃんじゃね? 空気読めて無ぇんじゃね??」
「…………そうか、そう受け取ったなら、謝るよ。悪かった」
「イラネー、超イラネー! 別にそんな上辺の謝罪なんて一切欲しく無ぇよ!!」
「じゃあどうしてこんな――」
「だぁ~から、頭悪すぎぃ!! おい、香田ぁ。今度はオレ様から一緒に遊んであげてるんですけどー!? オレ様が許可するからEOEで遊んで『いいよ』って言ってんだよ! なぁ、これって有り難いんだろ? 泣くほど超嬉しいだろぉ??」
「――……っっ……」
言葉が出ない。
ここまでのむき出しの憎悪、生まれて初めて体験した。
「ほらよぉ、もっと差し出せよぉ!」
「もう何も……無い……」
「いーんだよ、こっちに差し出すのはその顎だよ。顎出せよ顎ぉ!!」
「は――……ぶぐぅっ……!?!?」
無防備に差し出された俺の顎を待ってましたと言わんばかりに真下から蹴り上げる原口。
「ギャハハハハッ、ほらもういっちょ出せや、顎ォ!!」
「あぐっ……うぅっ……!!!!」
今度は真横から叩きつけるように殴られる。
カッ……と噴き出てくる感情で全身が熱い。
じんじんと染み込むような痛みに、めまいがしてくる。
……これ……ゲーム……なん、だよな?
なんだ、なんだなんだ、なんだこの痛みはっ……!?
「ほら、おかわりだよクズ。もう一度ここにその顎だせや。この剣で貫いてやるからよぉ」
興奮でヨダレを口元で垂らしながら、原口が腰から刃渡り50センチほどのダガーを抜く。
「――……っっ…………」
恐怖で声が出ない。
あんなので貫かれたら、と考えるだけで気がおかしくなりそうだ……。
全身が震えて動かない。
動かないはずなのに……ゆっくりと俺は再び、顎を静かに伸ばして、原口へと無防備に差し出していた。
「ゲヘヘヘッ、たまんねぇ……たまんねぇなぁ、おい!?」
「はあ……たまらないのはこちらです」
「ふへ……?」
俺の顔面へ、突然、赤い雨が降り注ぐ。
「――ガッ、ガ、ハァ……ッッ!?!?」
俺は、わけがわからなかった。
いやそれはたぶん、目の前の彼のほうがずっとその思いが強いだろう。
「さすがにそろそろ見るに堪えられませんでした。ありがとう、剛拳王」
「ふん……潮時だろ、コイツも」
「ですね。賞味期限切れです」
「……」
目の前の原口の胴を真上から貫く、大剣。
清水さんのブロードソードが原口の肩から臀部に向けてを貫通し、胴体を串刺しにしていた。
「な…………ん、で……ぇ…………っ?」
腹膜が破れ、原口の中にある真っ赤な内臓が、目の前に落ちてくる。
「さっき『ブチ殺すから覚悟してろ』って言ってただろ」
「ま。正義のない哀れみは解体の母である……ってヤツかな、これ?」
「っ――……っ……」
最後まで手に持っていたダガーを手から滑り落とし、目の前でピクピクと痙攣を繰り返す原口。
そしてその痙攣が収まる頃……鈍い光を放って、その亡骸は塵のように瞬時に散り散りになって宙へと舞って行った。
「はぁ……すまないね。彼、復讐したいって言ってて仕方なくてさ。ここまではお膳立て頑張ってくれた報酬ってことで付き合ってあげたけど、もうそれもおしまい」
「ふぐっ……か、はぁ…………っ……!!」
嘔吐まではいかない。
――いや、もしかしたら、システム的に吐けないのかもしれない。
ただただ猛烈な吐き気にだけ襲われて、前かがみになって悶える俺。
「大丈夫かい? EOEはそういう痛みがほぼそのままだから、つらいよねぇ」
「ぐ、ぁ……っ……原口はっ!?」
「はい?」
「原口はっ……どうなって、ますか……っ!?」
「うん? ご覧のようにもう死んだけど」
「リアルのですっ……!! アイツ、まさかっ――」
「あははっ……すごいね君。そこで彼の心配しちゃうんだ?」
「――いや……だって……人が死ぬのはっ……」
「大丈夫。死んでないよ? 全然ピンピンしてるはず」
それを聞いて、無意識にだけど胸を撫で下ろす俺。
確かに小林さんに言われた通り、この反応はおかしいのかもしれないが……。
「――ま。文字通り『死ぬほど』痛かっただろうけどね。一定以上の激痛はリミットが掛かって抑えられるけど、それでも背中から串刺しになる痛さって、一体どれぐらいなんだろうねぇ?」
そう言いながら、にっこり笑う小林さん。
ある意味で、さっきの原口なんかよりずっと……狂気を感じた。
「むしろ彼については、これから先の心配をしたほうがいいかも」
「……え?」
「どうやって帰るんだろうね? 来た道だと街まで30キロじゃ済まないし、貴重品は全部車の中だし、徒歩はさぞかし大変だろうなぁ」
「えと……それはつまり、帰りは車に乗せない……ってことですか……?」
「いやいや。私たちもそこまで鬼じゃないさ? 可愛い後輩だしね?」
まったく歪まない小林さんの笑顔。
「ただ私たちってさ。クラウン取るまでは、もう帰らない予定だから」
「クラウン……?」
「ふふふ。初心者の君はあとでゆっくりとマニュアルでも読むといいよ。きっと今後のことの勉強になると思う」
「アクイ。無駄話はそこまでだ。そろそろ強制リジェクトくるぞ」
「ああ、もうそんな時間なのかい……残念」
ほぼ放心状態になっている俺へと、術者の服装をしている小林さん――いや、アクイ、が屈むように顔を覗いてくる。
「改めてありがとう、香田君。心から感謝申し上げるよ? おかげで私たち、こうして良い場所から再ログインできたんだからね?」
「……」
「あと、先に謝っておくよ。すまないね? きっと香田君も帰りは大変になっちゃうだろ? アドバイスしてあげると、待ち合わせた元の街とは逆方向の、北の最寄り駅までなら20キロぐらいで行けるから」
「…………」
「今回はそのお詫びとお礼ってことで、特別に見逃してあげよう。本当は出血大サービスなんだよこれ? クラウンのライバルはひとりでも多く減らすべきだからね。あるいは、ひとりでも多く経験値を差し出す下僕を増やすべきなんだ」
「………………」
「でも幸いに……っていうとさすがに語弊があるのかな? まあ不幸中の幸い、ならオーケーかな? うん。ほら、君ってステータス最悪の一般市民で、しかもレベルも最低。装備も粉々になってしまった。だから戦力にもライバルにもなり得ない。うん、やっぱりこれはラッキー!」
「……」
「だから特別に見逃してあげる。さ、私たちのことは気にせず存分にEOEをこれからの丸1日、満喫しておくれよ! リジェクトって言ってね、私たちは高レベルだから同じチームでもこの『始まりの丘』に長くいられなくって、強制的にどこかに飛ばされちゃうんだ。だから、これでさよならなんだよ」
「…………」
「アクイッ!」
「はーい」
一方的なアクイのおしゃべりは、それで終わった。
――いや、そう思った。
「……ん? ああ、これ、残ってたのかい」
足元に転がる俺の装備品の破片の中から、四角形の小さな光る品を摘み上げる。
「名称は『サムイレイザー』だっけ。アナザーじゃないけど、でも色々使い道ありそうだよね? 悪くない、うん。安心して? ゴミなんかじゃないよ? どうしてガクチはこれの価値がわからないかなぁ? まあ、そういうわけで、せっかくだし私のコレクションの中に入れておくよ」
そう言いながら摘み上げたその手を真上へと伸ばす。
「――……ストレージ<エントリー>」
すると黒い煙のようなものが渦を巻いて現れ、まるで生き物のようにアクイの指先にある俺のアイテムだけを吸い寄せて飲み込む。
「それじゃね、香田君。もう会うこともないだろうけど、お達者で~」
「……来るぞ!」
最後に清水……いや、剛拳王がそうつぶやいた瞬間、ふたりはふたつの光の矢となって並んで地平線の彼方へと真っすぐに飛んで行った。
「――はは……は……」
自然と涙が込み上がってきた。
「何、だよ……これ……何だよ……お前たちっ……勝手、だろ……っ?」
どうやらこの世界で泣くことは許されるらしい。
「何なんだよおおぉぉ……っっ……!!!!!!」
俺は握りこぶしを作ると、地面へと力任せに叩きつけた。
大した音も鳴らず、地面が揺れるでもなく。
ただ、ただ、無力なこの拳が痛かっただけだった。