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#023 罠、あるいは希望

「あ……どうも。こんにち、は……?」


 頭上に立つ見知らぬ小柄な女の子へと、ぎこちない挨拶をする深山。


「……」


 凛子はそれに一切反応しない。まるで銅像のようだった。


「岡崎、さんも。来てくれたんだ?」

「……まぁ」


 岡崎、ではなくて岡崎さん。

 それは例えば虐められて萎縮しているとか他人行儀になっているとかじゃなく、もっと単純に『岡崎さん』と呼ぶのが本来の深山の形なのだろうと思う。

 教室の片隅で、静かに読書していたあの頃の深山に戻っているのだ。今は。


「深山……あの。まず最初にいくつか知らせたいことと、あと確認したいことがあるんだけどさ……」

「あ、はい!」


 押し倒されたままではどうにも格好がつかない。

 そう深山に伝えてやんわりと解放を要求すると、姿勢に気が付いて彼女のほうからパッ……と離れてくれた。

 俺はゆっくり上半身を起こし、そして小さくこうべを垂れる。


「まず――……ごめん。鈴木からは会うことを拒絶されてて、話が出来てない。そして『ログアウトできない』と書いたらしい一番問題の久保は、自分のキャラクターを削除して……もう物理的に深山への誓約を消せない状態にして、逃げられてしまった」

「そっか……ううん。香田君、謝らないで……私、感謝したいの」

「深山のこと、助けられてないのに?」

「助けようとしてくれたから。……それだけで凄く嬉しい」

「そうか。そう言ってくれてありがとう」

「くすっ……お礼言ってるの、わたしのほうだよ?」

「確かに」


 互いに軽く微笑み合ってみた。


「じゃあ次に確認。深山がゲームに閉じ込められたこと……このまま警察に通報するべきか?」

「え……警察っ?」

「そう。今のこの状態はもはや犯罪だ。深山はそれに巻き込まれた」


 そう言うと、俺の頭上で立っている岡崎の肩が、一度ビクッ、と震えた。


「そこにいる佐々倉凛子さんが、深山の家に電話をしてくれている。とりあえずは『家出』ということにして、彼女の家に転がり込んでいるという設定だ。もちろん警察に通報するなら、真実を深山のご両親にも説明するけど」

「…………」


 深山はしばし、黙って地面を眺めて。


「……私が『このままでいい』って言ったら。60日間ここにいるとしたら……香田君は怒りますか?」

「まさか。俺にそんな資格は無い。深山が決めたことなら、それに従うまでだ。もしそうするなら、俺は出来る限り深山の隣にいるようにするよ。絶対に寂しい思いはさせない」

「――っっ……!!!」


 俺のその一言は、深山に物凄い安心を与えたようだった。途端に瞳が輝く。

 ……ああ、俺も心が弱いなぁ……まだ、とても信じられないけど。でも、もし深山が本当に俺のことなんかを好きでいてくれていると言うなら、『安心』だけじゃなくて、もしかしたら純粋に喜んでくれているのかもしれない。


「うん。私、このままでいい……60日間ここにいるから、警察への連絡はしないでくれると嬉しいです。両親にも……良ければこのままがいいです」

「それでいいのか? 深山?」

「たまには……そういうのもいいと思うの。ズル休みって感じかなっ? 半年間もベッドで寝ていたことのあるわたしにとっては、二ヶ月間なんて平気平気!」


 少し困ったように笑って見せる深山。


「俺が心配することじゃないけど……お金は? 単純計算で60万円掛かることになるけど……」

「うん、たぶんそれは大丈夫」


 そう即答出来る深山というか、深山の家ってやはり凄い。

 例えば深山の親のクレジットカードを深山が使っていると仮定しても、普通、月に30万円もよくわからない支払いがあれば大騒ぎになるだろう。

 あるいはすでに深山玲佳個人の口座にそれだけの金額を支払えるだけの預金があるのだとしても、それはそれで凄い話だ。


「わかった。じゃあそれで行こう」


 これで目的のひとつは達成。

 すぐに次の目的に移ろう。今回、やるべきことがあまりにも多い。


「――岡崎」

「っ!!」


 俺は頭を上げ、話を振る。


「深山に、言うことがあるんだろ?」

「……うん」


 ぎゅっ、と自分自身の手を握る岡崎。

 隣に腰掛けている深山も、ぎゅっ……と俺の新しく装備されたコートをたぶん無意識に掴んでいた。

 きっと岡崎だけじゃなくて、深山も同じぐらいに怖いのだろう。


「その」


 察するに、岡崎も岡崎なりに言いたいことはあるのだろうと思う。でもそれは別の話だと理解もしているようで。


「ごめん……悪かった、なっ、て」


 顔を横へと逸らしながらも、ぽつり、ぽつりと謝罪の言葉を口にした。

 何かちょっと足りない気がしないでもないけど、俺が口出しするところでもないかなと黙って静観する。


「……ううん。わざわざ来てくれて、ありがとう。消してくれるんだよね?」

「うん……アタシは大したこと、書いてないけどさ……」

「うん。でもありがとう」


 どこまでも真っすぐに相手と向き合う深山と、すぐに逃げる岡崎。

 態度のコントラストが浮き彫りになっていて観察する側としては少し面白い。

 これで一応の和解。

 でも正直、全然足りない。


「なあ岡崎……せっかくの機会だ。言いたいことちゃんと全部伝えておけよ」

「え?」

「で、でもさっ」

「凛子。部外者の俺たちはちょっとそこら辺でデートでもしてようか?」

「するっ!!」


 凄い勢いで凛子が手を上げて同意してくれた。


「名前、呼び捨て……」

「深山」

「え、あ、はいっ!」

「岡崎の話、聞いてやってくれ」

「……はい」


 そう言い残すと立ち上がって裾を払い、凛子を手招きしてからどこへともなく俺たちは歩き始めた。


「互いのわだかまり……少しでも解消されるといいんだけどな」

「ね、香田! どこっ? どこにデートするっ!?」

「んー。まあ、そこの木の下でごろ寝?」

「いいじゃん! それっ!」


 ……いいのか、それで。


 ◇


「きゃほ――いっ!!」

「うわっと!?」


 木の下で俺が腰掛けた瞬間、紛れもないフライングボディプレスを浴びせてくる凛子選手。完全に不意を突かれた俺はどでーんっ、と背中から倒れてあっけなくスリーフォール負けを喫した。


「んんんん~っっ、香田の感触ーっ!!!」


 ……まだ試合は続行しているらしい。そのままチョークスリーパーに移行する凛子選手は頬をすりすり寄せてまったく謎の行動に出ていた。

 まるでこれじゃ可愛らしいハグみたいじゃないか。


「――む。あのおっぱいの匂いがするっ……」

「ま、まあ……この服、元々KANAさんのだし」

「脱いで?」

「え」

「ぬーいーでぇーっ!!」

「わかったわかったっ」


 抱き付かれたままジタバタされてはかなわない。

 アイテム欄から『霹靂の外衣』をしまうと――


「んんんんん~~っっ……香田の匂い~っ!!」


 改めてすりすりと頬ずりを繰り返してくる。

 なんかびっくりするほど上機嫌だ。


「あー……幸せー……まさか最後にもう1回、チャンスあるとは思わなかったよ~っ」


 すりすりすりすりっ。

 さらに行為はエスカレートして、存分に頬どこか全身を俺に擦りつけて味わってくれる凛子。


「……」


 プロレスだ。プロレス技だから、これはっ。

 落ち着け俺!


「――ん? 最後?」

「だって、深山と会うと……もうこういうの出来ないじゃん?」

「ああ、なるほど」

「それにしても、深山ってさ……」

「うん?」

「――なんでもありませーんっ!!」

「ぐえっ」


 実は凛子の締め付け自体は大したことないけど、俺はふざけた調子で大げさに苦しそうにしてみせる。


「うりうりうりっ」


 嬉しそうに凛子はぐりぐりと――……むぅ。


「――はむっ」

「ふきゃあああっ!?!?!?」


 明らかに露骨におっぱいを押し付けてきてるのに気が付いた俺は、逆襲として凛子の耳たぶを甘噛みしてみせる。

 効果てきめん、途端にバッと離れる凛子だった。


「な、なにっ、をっ!?」

「はははっ。そこに可愛い凛子がいるなら、仕方ない!」

「――っっっ……!!!!」


 口をぱくぱくさせて顔を真っ赤にさせたまま凛子が動きをフリーズさせていた。

 よし、完全勝利……危ないところだった。すぐ近くに深山がいるというのに、あのままじゃまた凛子のこと可愛く感じ過ぎて夢中になってしまうところだった。


「……座って、いい?」

「え」

「香田のお膝の上」

「あ。うん……どうぞ」


 上半身を起こしている俺の元に再び戻ってくると、そのままちょこんと膝の上に腰掛けてくれる凛子。

 いつぞやみたいにおっぱい揉むのが目的じゃないからか、互いの顔が見やすいように凛子の右肩を俺に見せるような、90度時計回りにした座り方にしていた。表現が難しいな……このまま凛子の背中と足の裏に俺が手を回せばお姫様抱っこが出来そうな姿勢、ってことでいいのだろうか。


「えへへ~……最後だから、最後だからっ」


 そんなことを凛子は謎の言い訳として口にしていたが、果たしてそれはどうだろう。正直、俺としてはこれを最後にする気は一切無いのだが。


「……うん。これ、しっくりくる感じっ」


 どうやら俺という椅子の正しい腰掛け方を発見したらしい。

 お気に召したようで何よりだ。

 俺としても背を向けられたら顔が見えないし、真正面だと密着度が高すぎていけないことを連想してしまって落ち着かないし、とても良好だ。


「ほどほど良い感じ、というヤツだな」

「香田って前もその言い方してたよね? もしかして口癖?」

「いや……哲学みたいなものかな」

「へえ。詳しく聞きたいなっ?」

「いや、そんな改めて説明するほど大した話でもないけど」

「いいじゃん……私、香田のことなら何でも知りたいよっ?」


 じっ……と真剣に見つめる凛子の瞳。

 俺はこの健気な瞳に弱い。


「これは元々父さんからの受け売りなんだけどね……世の中の物事には大抵、ほどほど良い感じの収まりの良い場所があると思うんだ。人間関係のやり取りでいうところの『落としどころ』に近い感じかな」

「うん……なんか、わかる気がする。実際それがこの座り方の『しっくり』くる感じだし!」

「そうだね。ほかにも色々なところにその『しっくり』はあると思う」

「例えば?」

「凛子はきっと、手を繋ぐ時は、決まって俺のこの右手にだと思う」

「えっ。そんなの当たり前じゃん!?」

「ところが人によっては左手でないと『しっくり』こない人もいる。面白いよね……きっとそこには心理とか経験とか色々な要素が絡んでるんだと思うけど、結果として人それぞれでこの『しっくり』とくる『ほどほど良い感じ』というのは全然違うんだ」

「そっか……香田はそのほどほど良い感じの探究者なんだっ?」

「はははっ、いいね、探究者か。気に入った!」


 そう、探究という言葉は今の俺にとても『しっくり』くる感じがした。

 さっきは哲学なんて自分で言ってたけど、学問として確立できてるほど俺の中で定着してないし、答えも導けてない。

 探し求めて研究しているその途中だから、確かに探究者だ。


「だから、凛子と俺のほどほど良い感じの場所を……もっと見つけたい」

「あうっ…………殺し文句、過ぎるよぅ……」

「ダメ?」

「ダメじゃないけど……困っちゃう、よぅ」


 ふと思う。どうして困るのだろう?


「ごめん。泣かないで?」

「うーっ……」


 素直に凛子は俺の胸に顔を埋めてくれる。

 お礼に凛子の頭を撫でて返す。


 しばらくそのままでいて。


「――あっ! 忘れてたっ」

「っ!? ど、どうしたっ」


 ガバッとおもむろに顔を上げて叫ぶ凛子だった。


「……」

「……?」


 凛子はそのまま黙ってしまう。


「作戦練ってるからちょっと待ってて……時間掛かるから、香田は何かしてて」

「何の作戦やら」


 面白そうなので問わずに大人しく待つことにしよう。

 やること山積の俺の予定だが、とりあえず――


「……よし」

「?」


 ――とりあえず、凛子をブックマークしておいた。

 深山のあの話から察するにログインも知らせてくれるらしいし、エドガーさんの時にすでに気が付いたが、マップ表示の凛子の位置を示す色も水色から白色に変化した。

 ついでにマップ端にある深山と岡崎らしき水色もアクティブにしてブックマークしておく。

 フレンド申請出来ない俺にとってはブックマークは超重要そうだった。


「あ」


 そうだった。本当に今でもフレンド申請――というか、承認ウィンドウを呼ぶことは出来ないのだろうか?

 つまり画面端へとこのカーソルを――


「――……」


 ――ダメか。なんとなくそんな予感はしていたが、やはり視線誘導でのカーソル移動は画面端より一回り内側で見えない何かに引っかかって止まってしまう。

 つまり、引き続き重要な決定は何ひとつ出来ない無力な俺だった。


「ハードウェアの不具合じゃないってことかぁー……」


 原因はもっと複雑そうで、げんなりしてしまう。


「ご主人様、どうなされましたか……?」

「うん?」


 違和感――なんて生易しいものじゃない。

 バリバリ珍妙な声が聞こえてきて、俺の膝の上の可愛い子を見ると。


「っ!?」


 もっと可愛くなっていた。

 あぁ……落ち着いて、正確に表現しなければ。

 いつの間にか弓師の見慣れたあの装備から、紺色の落ち着いたドレス姿に変身していた凛子だった。


「そ、それ??」

「はいっ……私、色々と服は持っておりまして」


 にっこり屈託のない笑顔を見せながら。


「一番メイドっぽい感じになるよう、頑張ってコーデしてみました。いかがでしょうか、ご主人様っ」


 とてつもない破壊力を秘めた呼び方で俺へと返事をする凛子だった。

 カチューシャのかわりに小さなティアラ。エプロンのかわりに白いレースの施された半袖のブラウス。そしてその下には紺色のドレス。

 あと決して忘れない黒のニーソックス。

 ……メイドかっていうとちょっと苦しいけど、良いところのお嬢さんっぽさは充分に出ていた。というか細かなこと論ずる必要もなく、凶悪に可愛い。


「ご主人様……お気に召されませんでしたか?」

「何、を、唐突……にっ??」

「いえ。怖れながら、『後でするから』と事前に申し上げておりました」

「――あ」


『うー……香田。私も後であれするからっ』


 KANAさんからの『ご主人様』の一言に、そんな反応を凛子がしていたことを今さらだが思い出した俺だった。


「ほ、本気でするとはっ……」

「ご主人様~♪ なんなりとお申しつけ下さいませっ」


 この娘、ノリノリである。


「はははっ、可愛いなぁ!」

「……ご主人様? 何か冗談として軽く流そう、などと思っておりませんか?」

「だって、冗談だろ?」

「いえ、至って真面目ですが何か」

「……真面目って」

「こちらをご覧ください」


 そう言いながら自らの誓約紙を手のひらにポップさせる凛子。


『<りんこ>はご主人様である<香田孝人>専属の召使いである』


「――っ……!?」


 なんか意味不明な一行が追加されてますけど……。


「さ、ご主人様。何なりと申しつけ下さいまし♪」


 凛子が猫か何かだったら、今頃しっぽがたしたしと楽しそうに暴れていることだろう。そんな爛々とした輝く瞳で俺を見上げていた。


「じゃあおっぱい触らせて」

「……それは召使いを喜ばせるだけでございます。趣旨と異なります」

「じゃあご褒美ってことで」

「恐縮ですが、私、まだ何もご褒美を頂くようなことをしておりません」

「むう」


 まあ結局、中身はいつもの凛子なわけだった。


「……なあ。召使い的にはご主人様の膝の上に乗ってていいのか?」

「す、すみませんっ……大変失礼致しました!」


 ハッと気が付き、慌てて立ち上がる凛子。


「申し訳ございません。ご主人様」


 深々と頭を下げていた。

 あまりにも真剣に謝るものだから困ってしまう。


「あの」

「うん?」

「おしおきとか……あるのでしょうか?」

「ど、どんなだよっ!?」

「ご主人様を……舐めてご奉仕する罰とか……?」

「ないないっ」

「うーっ……」

「素が出てるぞ、偽メイド」

「だってぇ……つまんない~!」


 調子に乗ってるな、この偽メイド。


「じゃあご希望通りおしおき。とりあえず俺の横にもう一度座りなさい」

「はいっ!」


 飛び跳ねるように俺の横の草原の上へと座る凛子。

 スカートがふわりと舞って、眩しい太ももがちらりと見えて思わずドキッとしてしまった。


「それでそれでっ!?」

「おいこら」


 そのまま小柄な凛子を乱暴に押し倒す。


「メイドの癖に、口が成ってないぞ?」

「――っっ……も、申し訳ございません」


 いかん。ちょっと楽しい。

 無茶振りして、このまま困らせてやりたい気分になってしまった。


「そうだな、おしおきだ」

「はいっ……!」


 俺はいかにも演技臭く、ニヤリと笑い。


「お前の恥ずかしい部分を出せ。俺様がはむっとしてやる」


 たぶん凛子が言われて一番困ることを言ってやった。


「そ、それはぁ……っ……ご、ご主人様、お許しくださいっっ……」


 真に迫る良い反応。

 なんだか演劇をしている気分になってきた。


「うるさい。お前に選択権なんか無いんだよ。それとも主人に逆らう気か?」

「っっ……!!!」


 押し倒されている格好の凛子の上に伸し掛かり、顔を近づけて囁く。


「ああっ、ご主人様に、そんなっ……汚いこと、させられませんっ……!!」

「つべこべ言うな。ご主人様の命令は絶対なんだろ?」

「ご主人様の、命令っ……!」

「そうだ。いいからほら――」

「は、い……ご主人様の命令……なら……仕方ない……です」

「――え」

「……その、本当に……良いのでしょうか……」


 顔を赤らめ、うっとりとした瞳の凛子はそうつぶやくと。


「ご、ご主人様ぁ……恥知らずで……申し訳ございませんっ……」


 ゆっくり、凛子は腰を浮かせて。


「はむっとしてぇ…………私の、ここ……ご主人様に――」

「ちょ、ちょっと待てっ!?」

「――ふ、ぇ?」


 もじもじとしながら何やら大胆なポーズを取りそうになっている凛子を慌てて取り押さえ、凛子を正気に戻させる。


「これ……お芝居、だよなっ??」

「えっ……ご主人様……だめ、なの?」

「えっと。念のため誓約の文、消しておいてくれる……?」


 もしかしてそれが影響してるかも、と思った。


「…………??」

「凛子? 大丈夫か??」

「え。えっ? あ、あれっ……!?!?」


 両手を顔に当てて、凛子が目を丸くしている。


「凛子、本当に大丈夫か……?」

「――……っっっ……!!!!」


 さらにさらに顔を真っ赤にして、涙目になって。


「だめーっ!! だめっ、絶対にだめーっ!!!」


 突然正気になる凛子だった。


「こ……香田……私に……何か、したっ?」

「してないっ、してない!」

「誓約とかっ」

「俺、アナザーとか持ってないし!!」

「でもっ、でも、今、ふわー……ってなって……!!!」

「もう一度言う。念のため……凛子が入れたあの誓約、消しておいてくれっ」

「は、はいっ」


 ふたりして気まずい空気を感じながら、少し距離を外して背を向け合った。

 ちらりと背後を見ると、首を傾げながら凛子があの誓約を消している。


「なんだろ……これ、なんだろ……っ」


 すっかり正気に戻っている凛子が困惑して口元を手で覆っていた。

 てっきり誓約のあの一文が消えないトラブルか何かかと思ったが、誓約紙からはすでに消えている。

 ではなくて、さっきの自分に対して戸惑っているようだった。


「なあ、その……さっきはどうしたんだ?」

「ひうっ、あ、えとっ」


 声を掛けると背中を伸ばして震え上がる凛子。


「違うのっ、これ、違うくてっ!?」

「……どう違うんだ」

「こうっ、香田がご主人様ならっ、し、仕方ないかなって!?」


 もはや言い訳としても成立していない気がする。


「……恥ずかしいところ、はむっとしていいって?」

「だめっっ、絶対にだめだからっっ!!!!」


 両手をぶんぶん振り回して全否定を繰り返す凛子。


「雰囲気っ……ただの、雰囲気だからっ!!!」

「……そうだな。ごめん、俺も変な雰囲気に呑まれて暴走したかも」

「うんうんっ、そう! そうなのっ……!!」


 涙目で力説している凛子が何か可哀想になって助け舟を出して上げた。

 もちろん本音としては『雰囲気、ねえ?』という感じなんだけど……。


「雰囲気っ、怖い……雰囲気っ」


 いそいそと服装を元の弓師の装備に戻す凛子。

 あ……ちょっと残念。あれ、すげえ可愛かったのに。


「凛子。ちょっと散歩してくる」

「え、あっ……」


 俺の意図を理解してくれたのか、『私も!』とは言わないでくれた。

 ……というか凛子のほうもちょっとそういう時間が必要に感じたのだろう。


「――はぁっ……EOEだからっ……服、脱げないからっ……」


 ひとりで夜の草原を歩き、悶々としてる自分に言い聞かせる俺。

 元々それは重々承知しての、ただのお芝居だったのに。


『はむっとしてぇ…………私の、ここ……ご主人様に――』


 凛子のさっきの言葉が頭の中でぐるぐると無限再生を繰り返していた。


「あぁ……落ち着け、俺」


 今度リアルで会った時、この話を蒸し返してお願い出来ないかな……とか。

 EOEでは排出も出来ないわけで、この悶々としたの、どうすればいいんだよ……とか。


「あー……月が綺麗だなぁ……」


 ――結局、こうして無理やり思考停止するしかない俺だった。

 少し肌寒く、さっきしまったコートを再び出して袖を通し、夜空を見上げた。

 リアルより3倍ぐらい大きな月。だから当然ながら月の光も3倍以上明るくて、こうして凛子のランタンから離れてても、歩くには特に支障ない程度だった。


「はぁ……まだあのふたりは、話してるのかな?」


 マップを確認すると、白い丸がふたつ、ずっとあの位置で動かないまま。

 もし深山と岡崎が罵り合っているのだとしても……それでもじっくり話すことが出来てるなら良いことだと思う。

 きっと話し合いが終わったらチャットなりで呼ばれるはずで、今はこのまま引き続きそっとしておこう。


「じゃあ……話しますか」


 気分転換も兼ねて、次にやるべきことを今のうちにやっておこうと思った。

 幸いというべきか凛子からも離れている今が、好機といえば好機かも知れない。


「……KANAさん、か」


 実は少しばかり気が重い。しかし、これも必要な手順だ。

 とりあえず操作モードからソフトウェアキーボードを展開し、チャットの宛先にその4文字を入力して。


「こんばんは……先ほどは、ありがとうございました」


 KANAさん宛のささやきチャットを開始する。


『あらあら、こんばんは~。孝人くんからすぐに連絡貰えて嬉しいわぁ♪』


 すぐに返信があった。


「さっそくですが、プロトコルを使用します」


『さっそく? ちゃんと考えた? 一度しかお願いは聞かないぞっ? 良かったら命令する前にどんな内容か、予め聞かせてくれないかしら?』


「……では念のため確認しますが。なぜ、期限を区切らなかったんですか?」


『と、いうと?』


「とぼけないでください。半永久的な命令も可能ですよね? あの内容だと」


『まあ……あたしったら、うっかり!』


「絶対嘘だ……」


『えーっ、お姉ちゃん、嘘ついてないぞぉ?』


「絶対からかってますよね?」


『もうっ……じゃあどうして嘘つかなきゃいけないの~?』


「――俺を試してる」


『あら。男の子っぽくて、カッコイイ声♪ その根拠は?』


「簡単です。出会う人全員にそんなことやってたら、KANAさんの身体がいくつあっても持たないから」


『……つまり?』


「俺に何か特別な思惑や罠があるのかなって、疑ってます」


『ん~。残念ながら40点ぐらいしか上げられないかなぁ?』


「少なくともハズレではないって解釈で、いいんですよね?」


『うふふっ……そういう強引な感じ、嫌いじゃないぞっ』


「……どうも」


『それで? わざわざそれを事前に確認するってことは……もしかして、本当のことを全部話せ~みたいな怖い命令が来ちゃうのかしら?』


「たぶんそっちが罠な気がしてます。その先の意図までは不明ですが」


『あらあら、それはとっても興味あるわ。どうしてそう思ったか、よかったらその内容を教えてくれる?』


「わざと怪しませてますよね? 俺や自分の呼び方をコロコロ変えたり、謎めいたことを言い残したりして」


『そう。孝人くんは、疑い深い男の子なのね?』


「助けて頂いてるのに、すみません。そういう性分です」


『うん、とってもステキよ。ぜひそのままでいてね?』


「許してもらえたみたいで嬉しいです」


『さてさてそれで? どんな命令になっちゃうの?』


「……ひとつだけ情報が欲しいです。俺の大切な仲間で……誓約で苦しんでいる人がいて、それを助けてあげたい」


『――4回』


「え? 4回……?」


『今ので3回に減っちゃったわ。あと3回、命令なんて使わなくても質問に答えてあげちゃいます♪』


「…………なるほど」


 しばし逡巡したが、つまるところこのチャットで交わした質問回数の差がその3回だと答えに行き付く。

 つまりKANAさんが俺に対して多く質問した回数分だけ、今度は返答してあげるという意図と受け取った。

 もしそこまで見越して途中からあんなに多く質問してくれていたのだとしたら……とんでもない化け物みたいな人と話していることになりそうだ。


『先に言っておくけど……孝人くんが命令した分だけ孝人くんに返っちゃうとか、倍返しとか、そういう罠や仕掛けはプロトコルに無いですからねっ』


「……すみません」


 どうやら警戒してるのバレバレだったみたいだ。


『さ。そういうわけで、KANAお姉ちゃんのなぜなにお返事コーナーっ♪ さっそくどうぞ~!』


 調子が狂うなぁ……ほんと。

 雰囲気がぽやぽやしてて、掴みどころがないというかなんというか。


「……では1つ目。俺の仲間が誓約で苦しんでます……『アナザー』というものの入手方法、あるいは持っている人なんかの情報がぜひ欲しいです」


『あらあら……びっくり。いきなり凄いの飛んできちゃった!?』


「ご存じありませんか?」


『そうねぇ……うーん。お姉ちゃんのスリーサイズや性癖ぐらいの質問と思ってたから、甘く考えてたわ……うーん』


 その質問はいいんだっ!?

 ……いや、凛子に殺されるから考えないようにしよう。うん。


『まず、きっと孝人くんが考えているよりアナザーというのは万能なアイテムではないことを教えてあげる』


 KANAさんの話しぶりは、今までより少し真面目な調子だった。


『少なくともあたしは、無条件で相手の誓約の内容を書き加えたり、消せたり出来るアナザーは見たことも聞いたこともないわ。必ず厳しい条件や重たい代償なんかがついてまわるの』


「安易に相手の誓約を操作出来たら……ゲーム、壊れてしまうわけですか」


『そうね。その上で存在が貴重。現在、EOEで確認されているアナザーはあたしが把握している限りで6つ。その中で現存しているのはたぶん3つ』


「3つ……」


 想像より厳しい数字だった。


『そして……ここからが大事なのだけど、孝人くんはアナザーを使用するだけに見合うものをきっと支払えない』


「それはレベルなんかの条件や、あるいは代金っていう話ですか?」


『それ、2つ目の質問として受け取るわね』


「あ、はい」


 出血大サービスを連発しているKANAさんにしては珍しく辛いジャッジ。

 ……でもたぶんそれでも破格の返答なんだと思う。

『アナザー』っていうのはもはや都市伝説みたいなこの世界に3つしか現存が確認されていない超レアアイテムなわけで、本来はこんな質問で得られるような安い情報じゃない。それは確実だ。


『お返事としては……半分だけ不正解。あたしが知っているアナザーの使用代償はどれもレベルやゲーム内通貨を必要としてないわ。どれも酷い内容だけど、でも孝人くんがそれらを支払うことは現実的に可能』

『――ではなくて、その代金がリアルマネーという意味なら正解。きっと孝人くんは支払えない』


「……」


 ここでその金額を聞いたら質問になってしまう俺は黙ってしまう。

 支払えないなら聞くだけ無駄だ。


『所持している人に1回使用してもらうだけで……そうね。たぶん2000万円を下回ることは無いんじゃないかしら?』


「2000万円っ!?」


 俺のその沈黙を見かねてか、相変わらずサービスしてくれたKANAさん。

 でもその感謝も忘れてしまうほどに金額のインパクトが凄まじかった。


「いや……だって、このゲームの総合イベントで1位を取ると1000万円ですよね!? その1位を2回分とか――」


『ええ。たった2回分じゃない?』


「……っっ」


 あっさりと返されてしまう。


『例えばいつも1位と2位を争っている人が、それで確実にライバルを蹴落とせるなら? 以後、安定して1位を獲得出来ることを意味するわよね? そんな人物からすれば……たぶん2000万円は、安い買い物』


「無茶苦茶だ」


『まあEOEなんて廃人の集まりですもの~』


 そう突き放すように笑うKANAさんの声も、どこか悲し気だった。


『あるいはログアウト出来なくされちゃうことを<ロック>と呼ぶのだけど、そんなことされちゃった人がもし会社の重役とかで、大事な商取引が出来なくなっちゃったりとか、家庭が崩壊しそうになっているとかなら……それぐらいの財産を支払ってでも回避したいと考えるのが、ある意味で普通よ』


「……まさに、俺の仲間が、それです」


『そう……ロックされちゃったんだ。それは大変ね。どうしてもその人を助けたいの? たった60日間、我慢するだけで解放されるのだけど?』


「たった60日、じゃないです……っ! たった、なんてそんなことはない!」


『そうなの?』


「そうですよ……家族には心配されて……1日に1万円も支払わされて。もしかしたら警察沙汰になるかもしれない! 学校の単位だって――」


『――じゃあ、孝人くんは支払えるの?』


「いや、その……リアルマネーの2000万円は物理的に無理だけど……。でも代償として俺でもし支払えるものなら、支払ってでも、助けてあげたい」


『そう? その言葉に嘘は無い?』


「――え?」


『さ。じゃあ3つ目の質問をして? <それはどういう意味ですか?>って』


 このチャットをしている画面の向こう側で……KANAさんはどんな顔をしているのだろう。俺はふと、そんなことが気になった。



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