#021 再び、あの地の果てへ
「――はぁ……」
俺は、ぼー……っと独りで校門前に立っていた。もう、15分ぐらいはこうしている。
校門と言っても朝、迎えに行った凛子の居る聖カント女子学院ではなくて俺の通う陵宮高等学校の方。
ただいまの時刻は午後10時半ほど。
凛子と車内で互いのほとんどを曝け出して認め合って。抱きしめ合って泣いて。
……あれから1時間ぐらいが経過していることになる。
俺を車で家まで送ってくれた凛子。
一度帰りたいというたっての願いで解散して、待ち合わせはここ……陵宮の校門前に決めた。
もちろん俺は凛子の学院前でもよかったのだが、こんな遅い時間に男と会ってるところを発見されたら即退学だと聞かされて。だからと言って俺の家の前では勘のいい母さんに待ち伏せされてしまいそうで……この場所と相成ったわけだ。
あの別れる時の話しぶりでは岡崎の家もここから近そうだし、待ち合わせ時間を予定より30分も遅らせているその埋め合わせでもあった。
『悪い……もうちょっと待っててくれ。車の手配が出来たら知らせるから』
『オケオケ! 待ってるよん☆』
岡崎にそんな進捗を報告して、凛子の到着を待つ。
「――お」
ちょうど遠くに、見たことのあるパステルカラーの軽自動車がやってきた。
『……と思ったら、ちょうど車が来た。学校の校門前で待ってるから』
『ほーい!』
車が俺の目の前で停止するまでに、軽く続報を入れておいた。
「ごめんなさいっ……お待たせしちゃって……!」
対向車線から来た凛子は、運転席の窓からぴょこっと顔を出して俺にそう謝る。
「……」
「……香田?」
返事もせず、無言で立ち尽くす俺を疑問に感じてか、首を傾げる凛子。
嘘だろ……おい。何だ、これは。
「香田……あの、ごめんなさい……怒ってるの……?」
「いくらなんでも、それは……可愛過ぎだろ??」
「はいっ?」
「何だよそれっ、どうしてわざわざまた着替えてるんだよっ!? しかももっと可愛くなってるしっ!? おしゃれさんかっ!? 今夜は凛子ファッションショーか!?」
「えっ!? えっっ!?!?」
「……とりあえず、乗せてっ! よく見せて!!」
「う、うんっ」
――バタンッ……と、やや乱暴気味に助手席に乗る。
「か……可愛いって……ほんとっ?」
もじもじとしてる運転席の凛子の姿を足元まで確認して、はぁー……と深いため息をついた。
上がシンプルな白いノースリーブのシャープなラインを見せる襟付シャツで、その対比としてプリーツスカートは構造が複雑。ウェストがコルセットみたいな幅のあるタイプで、大きな二段のヒダのサイドには紐によるレースアップが成されており、しかも袖からはちらりと白い細かなレースも覗き、凄く繊細なイメージを創り出している。どうやら標準装備らしいニーソックスは基本シンプルな黒系だけど、いわゆる絶対領域へと向かう袖口にはスカートと同じような繊細なレースが施されており、否応なく視線はそこへと誘導されてしまう。いやまあ延々と長文で語って何が言いたいかと言えば『もしかして殺しに来てるのかな?』と疑うほどの凶悪な可愛さだと、ただただ心から表現したいだけだ。
「……凶悪に可愛い…………頭がくらくらした……」
「またまたっ……香田、上手過ぎ~……えへへっ、でも凄く嬉しー……」
……ああ。俺にもっと語彙が欲しい。
どうしたらこの感動を端的に彼女に伝えられるのだろうか。
「……また、おっぱい揉んでくれるの?」
「そんな可愛い顔して、首を傾げながらとんでもないこと言わないでくれよ!? そこで揉んだら無限ループかよっ!?」
「ど、どしたの……香田? テンション高いけど……」
「それだけ凛子、可愛いのっ!!」
「うーっ……」
ああもうっ、ああもうっ。どうしてくれようかっ。
そうやって口を尖らせてるだけでも、抱きしめたくなってくるぞ……。
「……そんなこと言われちゃったら……言い出しづらい」
「ん? 何かあった?」
「香田の私服、初めて見て……こっちも超ドキドキしてるのにっ」
「変じゃないか?」
「最っ高っ、ですっ……!」
すっごく力説してくれる。嬉しいなぁ、こういうの。
「ありがとう。凛子の隣に立って恥ずかしくないように気を付けてみたよ」
「はあっ!?!? 香田ってたまに変なこと言うよねっ!?」
「どこらへんが」
「どう考えてもそれ、私のほうだしっ」
「いやいや、こんな超絶可愛い子とでは、こっちがプレッシャーだけど?」
「いやいやっ、こんなクールで超カッコイイ王子様みたいな人っ、並ぶだけでも村娘の私なんか、釣り合わなくて潰れそうだしっ!?」
「凛子、ちょっと眼科いってこようか?」
「香田は脳外科っ!!」
むーっ、と互いに半分ふざけた感じでにらみ合ってみた。
「はぁ…………それで。どうしてまた着替えたの……?」
「え。そのっ…………汗かいたから、シャワー浴びて綺麗にしたかったし……」
「う」
その映像を妄想してしまい、密かに絶句してしまう俺だった。
「そっかぁ……これ、可愛いかぁ……嬉しー……!」
この超絶可愛い村娘さんはそんなダメ王子様を無視してひとり、悦に入っていた。
凛子は、ひとつの殻を破ったんだと思う。
自分の『できそこない』であるという、男である俺への最も大きな引け目と劣等感を曝け出し、その上で受け止めてもらえて……ようやく心の平安を少しばかり獲得出来たのだろう。
個人的には全然『できそこない』ではないと思うので、そこを重点的に否定したいのだが、それは次の良い機会まで保留としておこう。
まあ、とにかくその反動で、だ。
「香田……いつでも揉んで良いのだよっ? 良いのだよっ?」
今まで鬱積していたものが爆発したように、やたら積極的になっていた。
「今は結構でございます」
「ぶーっ……意地悪ぅ」
「意地悪とかそういう問題でもございません」
ただ俺が間違っちゃいけないのは、まだ殻を破ったばかりの雛鳥だということ。
例えば俺が一言、凛子を傷つけるようなことを伝えてしまったり……あるいは拒絶の反応をしてしまったりしたら、きっとすぐに調子は悪くなるだろう。
つまりは今、彼女は凄く頑張って、無理して立ち上がってくれているのだ。
『私はもう大丈夫だから!』と示してくれている。
その配慮も含めて……俺は心から嬉しかった。
「そうだ、凛子、改めてお弁当ありがとう。本気ですげー美味かった!」
手ぬぐいで包み直している洗ったお弁当箱を、凛子に手渡す。
中にお返しの手紙を入れているのはナイショにしておこう。
「……うん……ありがとう」
「ん?」
ちょっと笑顔に陰が見えて、気になってしまった。
「そこ……元気なくなるポイントなのか?」
「ん……罪悪感……」
「罪?」
「これ……私のこと、気持ち悪くないのかなって……確認したかっただけで……それに香田を付き合わせちゃったんだ。本当にごめんなさい」
「ああ、なるほど」
言われてみると、そんな意思の片鱗は色々な場面で垣間見れた気がする。
悪夢から目が覚めて……自分のことが気持ち悪くて仕方なくて……そんな中でお弁当を作ったことは、凛子なりの最大限の抵抗だったのだと思う。
『香田は、私なんかのお弁当を食べてくれるのだろうか?』
……それはきっと、自分が気持ち悪くないと否定するための一縷の望み。
あの早朝の連絡は、やっぱり凛子の心のSOS信号だったんだ。
俺は、お弁当を受け取れて本当によかったと思う。
「そんなのは俺には関係ないよ。すげぇ美味しかった! 作ってもらえて本当に嬉しかった! それだけ!」
「うんっ……うんっ!! 私も嬉しいっ!!」
泣きそうになってる凛子だけど、今は違う。
それを自分で笑顔に押し返す強さを取り戻している。
「ほんとに……ほんとに……香田ってさ」
「カリスマホストか?」
「くすっ。ううん…………良い旦那さんになるよねっ? 香田の奥さん、絶対に幸せになると思うっ」
まあ幼少から花婿修行らしきことは確かにさせられていたけども。
「そうかなぁ??」
それより、先に言われてしまったことを内心で凄く悔しく思っていた。
良い奥さんになるって、絶対俺のほうが先に思ってたのに。
今言っても、絶対にただのお返しに受け止められてしまいそうだ。くそっ。
「絶対そうだよっ……凄い優しいしっ……欲しい時に欲しい言葉、くれるし……包容力あるのに、でもちゃんと手を引っ張ってくれるしっ……いつも相手のことを真剣に考えてくれてて、お話聞いてくれて……ピンチにもすぐ気が付いてくれて……そして、凄い優しー……」
ベタ褒め過ぎて、むず痒い。絶対に過大評価過ぎだろう、それは。
だから素直に受け取れなくて……照れて、つい、軽口で返してしまう。
「2回、優しいって言ってるぞ?」
「もうっ! それぐらい香田が優しいのっ!!」
「はははっ、ありがとうっ」
「――~~っっ……!!!!」
「? どうした?」
「そ、そのっ……笑顔っ……だから反則、過ぎっ……」
「そう? なのか??」
よくわからないが、どうやら俺の笑顔はそれなりに凛子に対して攻撃力があるらしい。勝手に出てくるものだし、どうにも出来ないが……まあ、有り難い。
「はー……」
「どうした?」
凛子が深く息を吐くとそのままハンドルに両手をついて、うつむいたままもたれ掛かっていた。
「ねえ……困らせること、言ってみてもいい?」
「もちろんいいよ。とりあえず言ってみようか?」
「うん、あのね?」
うつむいたままの凛子の顔は見えない。
「……あと1日だけ、こうしてませんか?」
「いや、ごめん。深山をこれ以上待たせられない。今夜、行きたい」
「――……うん、だよね? 変なこと言って、ごめん」
気持ちはわからないでもなかった。
俺だって、凛子との2人きりの時間をもう1日ぐらい欲しいと思った。
だから……その言葉に対するこちら側の返事が難しかった。
「あ、岡崎かな……あの人影」
遠くにこっちへと駈けてくる女の子っぽい姿が見えた。
「香田…………ありがとう。私、もう大丈夫だから」
「そっか、それはよかった」
こっちを見ず、遠くの岡崎を眺めながら凛子が微笑んでいる。
「この2日間、本当にありがとう。きっと一生、忘れないと思う」
「……うん。もちろん俺もそうだよ」
何かまるで別れの言葉みたいに聞こえてその真意を凛子に確認したかったけど、もう状況が許さない。岡崎が車の脇まで駆け寄ってきていた。
「すげーっ、サークラセンパイ、やべぇ!! 大人かよっ!?」
「……まあ、少なくともアンタより1歳はね? ほら、すぐに乗りなさい」
「ほーいっ!!」
後部座席に岡崎が飛び乗った。
後ろ髪引かれる思いだけど、俺もそろそろ諦めて頭を切り替えようと思う。
「ね、香田。時間は?」
「今、午後10時45分……急げば待ち合わせの0時前には、なんとか」
「わかったわ。急ぐわよっ、捕まっててちょうだいっ!」
「おーっ!!」
いや、俺は知ってる。
「香田が……香田が乗ってるっ……香田の命……私が、握ってる……っ」
凛子の運転は超がつくほど安全で……特には捕まっておく必要が無いことを。
ぷるぷる震えながら呪文のようにそうつぶやき、車がノロノロと発進していく。
「佐々倉凛子っ……集中よ……集中……っ!」
「えーっ? マジで間に合うのこれっ!?」
「大丈夫だ。凛子なりのこの『急いでる』状態なら、なんとかギリギリ間に合うと思う」
「うっさいわねえっ、気が散るじゃないのっ! 黙ってて頂戴っっ!!」
「へーい……」
結局、途中でコンビニに寄ることも出来ず岡崎が腹減ったとうるさかったが、とにかく時間ギリギリにトレーラーとなっている倉庫に到着することが出来た。
◇
「――あ、香田孝人さん……ですよね?」
到着してすぐ。凛子の車を降りた直後、背後からそう声を掛けられる。
「え? あ、はい。香田です……初めまして」
振り返るとそこには。
「……KANAです。こんばんは~」
――KANAと名乗る彼女がお辞儀をしている時に胸へと視線が向かないようにすることが、地味に大変だった。
凄くグラマラスなボブの髪型のお姉さんが、胸元ガバッと開いてるワンピース姿で立っていた。一見しておっとりとした優しそうな空気を纏っている。
テレビのCMに出てきそうないかにも『綺麗なお姉さん』って感じ。
年齢は30前後だろうか? 完全に成熟している感じの肉体と振る舞いだ。
そして何か……こう、眺めてて不思議な違和感。
「むっ……」
ぎゅっ。
凛子が無言で俺の腕にしがみついていた。
……そう、無言だ。違和感の正体はそれか?
「今日はよろしくお願いします……」
『無言募集』だったはずなのに、気さくに話し掛けられて……こうして俺からも挨拶しちゃってる。
まあ、向こうが無言じゃなくていいなら、こっちも無理に無言にしてる必要もないか??
「あら……くすっ。大丈夫よ? あなたのステキな彼氏さん、取ったりしませんから~」
「うっさいっ……彼氏じゃないしっ!!」
KANAさんが前かがみになって、顔を俺の服へと半分埋めて隠れているような凛子に話し掛けると、凛子からはそう叫んで返していた。
……どうでもいいが、胸の谷間がやたら強調されるのでそのポーズはいかがなものかと思う。今にも零れ落ちそうだ。
「あら、そうなの?」
「うーっ……」
ああっ、凛子泣きそう! 泣きそうだっ!?
慌てて俺は会話を進めることにする。
「じゃあさっそく受付しましょう。ほら、岡崎も!」
「うぃーす!」
そういや凛子は当然として、岡崎も挨拶しなかったな。
俺だけが馬鹿正直に無警戒で挨拶しちゃっただけなのかもしれない。反省。
俺たち4人は、少しバラバラになって倉庫前のプレハブへと向かった。
「香田の、嘘つきっ……!」
「え。ちょっと待てよ。どうした凛子」
「やっぱり……おっぱい大きいほうが、いいんだっ……」
「違うって」
「違うくないじゃんっ……!」
「今、このタイミングでその言い争いはやめよう。後でな?」
「うーっ……」
わかっちゃいたが、凛子の劣等感は相当なものだ。
KANAさんみたいなプロポーションの人は、まさに宿敵そのものだろう。
もう少し言うと……あのワンピースをわざわざ選ぶっていうのは、自分のその武器を活用しようとしている意思の表れで……そこらへんが凛子にとって最も腹が立つのかもしれない。
『そんなに攻撃力あるのに、さらにオーバーキルするな!』みたいな。
「ね……香田。今、私の揉もうっ……?」
「だからなっ!?」
会話は聞こえてない……と思うけど、先頭で歩いてるKANAさんがちらりとこっちを振り返ってクスクスと笑ってる。
「私……アイツ、嫌いっ……!」
「おいおいっ」
「地味にアタシもぉ~」
「岡崎まで!」
この4人、物凄いバラバラ具合である。
「……ちなみに岡崎はどういう直感でそう思った?」
「アタシは直感前提なのかよっ……まあ、そうなんだけどさっ」
しばし口元に指をあててから。
「ん~、よくわかんないけど、たぶんあの人……大きな嘘をついてる」
「大きな嘘?」
「全然違うこと考えながら話してる感じがするって感じぃ?」
『感じ』が連続コンボしてるが、今は問うまい。
そしてその直感が正解かはわからないが、しかしたった数回の会話でそう察知して断言してしまう岡崎の察知能力を、少し信じておこうと思った。
「ログイン直後……一応注意な」
「おーけー」
「そうね……いっそこっちから背後を撃ってやろうかしら……」
ふふふ、と笑う佐々倉凛子さんは超怖かった。
◇
「――じゃあ、香田……待ってるからっ」
「コーダ、また後でな~?」
「ああ。また後で!」
受付を済ませ、あの日と同じように倉庫内の小さなハッチへとバラバラに入って行く俺たち。
「ふふふっ……良かった」
「え?」
背後でKANAさんが笑ってる。
「良かった、ですか?」
「香田さんが、人気者みたいで」
「? はあ……ども」
正直よく解らないので、適当に流しておく。
結局ずっと自覚しているこの違和感の正体も、いまいち解らずじまいだった。
月並みに言ってしまえば、ミステリアスな人だ。
「それじゃ、あたしも」
「あ、はい」
KANAさんもスタッフに導かれて開いてるハッチへと歩いて行った。
「そちらのお客様もどうぞこちらへ」
「あの……ちょっといいですか?」
「はい?」
EOEのスタッフにこちらから質問してみる。
「まず……誓約によって、ログアウト出来ない状態っていうのは運営的にアリなんですか?」
「ええ。たまにそのようなトラブルは発生しておりますが、それもルール内の駆け引きのひとつと運営側は考えております。例えばその誓約を条件とした賭けを行っているお客様も過去には実際おりました。その賭けに負けたからといって、運営側が個人を救済しては不平等になります」
「そうですか」
……諦めというより希望が持てた。
過去に前例があるってことは、凛子が言うように二ヶ月間のログインで生命の危機は訪れないことを意味していたからだ。
「あともうひとつだけ。実は俺、前回ログインの時にカーソルが画面端まで行かない不具合が発生したんです」
「申し訳ございません。不具合の報告は受付にてお願いします」
「時間無かったので、つい。ここで言われても困りますよね。すみません」
「とりあえず、どうなされますか? たぶんハードウェア側の個別の不具合で、前回と違うカプセルをご利用頂けたら解消される可能性が高いとは思われますが……それともキャンセルなされますか?」
「……もう一度やってみます。ダメだったら帰りにでも受付で報告してきます」
「では申し訳ございませんがそのようにお願いします。こちらへ」
「はい」
784……今回のカプセルの番号を確認してその中へと身体を滑り込ませると、頭上のハッチをすぐに閉じる。
『Welcome to THE END OF EARTH』
2日ぶりのEOE……期待で次第に鼓動が速くなる。
ようやく深山と会える。またあの世界へと行ける。
あの剣と魔法と誓約が織りなす、もうひとつの地の果てへ。
最弱の俺は今、再び旅立つ――
◇
ゴゥ――ン……。
鳴り響く重い鐘の音。
真っ白な世界から強引に引っ張り上げられる独特の浮遊感に包まれて。
「――ぐはっ……はあっ……!!!!」
まるで、長い長い潜水の後のような感覚。
失われていた五感全てを一気に取り戻す俺。
ひんやりした空気。視界は暗く……でも少し靄がかかっている。
「霧……?」
「あっ、コーダきたきた!」
「うーっ、先越されたぁ!!」
OZとりんこ――いや、岡崎と凛子が出現した俺の元に駆け寄ってくれた。凛子の手にはランタン的な小さな照明があって助かる。
「香田っ、会いたかったよぅ!」
「サークラセンパイ、大げさ過ぎぃ。別れたのほんの15分前っしょ?」
「うっさい、私は30分香田から離れると死ぬのよっ!!」
「うわ……彼女でもないのに、うざっ」
「…………っっ」
「岡崎。言い過ぎ」
「ふぎゃっ」
スパーンッと遠慮なく岡崎の頭を1発平手で殴っておく。
本気のグーでないだけ有り難いと思え。
「……」
「気にするな、凛子。彼氏でもない俺も、そばにいてくれると嬉しい」
「……うん」
ぎゅっ……と俺のインナーウェアの端を握ってくれた。
とりあえずは大丈夫と見ていいだろう。
「いちちっ……んで、あのエロ姉さんはぁ?」
「あ」
周囲を見回すが、霧もあってか姿が見えない。
無言募集だし、このまま別行動をしてても問題は無いのだが……いや。そういう問題じゃないな。周辺を警戒しなきゃダメだ。
もしKANAさんがレベル10以上なら、彼女がログインしてから10分間で強制リジェクトだ。それまでは警戒を怠らない。あるいはリジェクトされないほど低レベルならそれはそれで問題ないはずだ。
「はーい、ここにいますよ~」
「っ!!」
5時の方角。ほぼ真後ろからKANAさんの姿がヌッ……と突然現れる。
今、左上のマップにはその直前まで反応は無かった、はず。
混乱しながら振り返ると――
「ちょっと……香田っ、ヤバイって、あれ、ヤバイ……!!」
「うん……」
――レベル250。
それは戦慄するに充分な表記であった。
剛拳王に匹敵する、俺が知るところの最高位ランク。
初心者狩りを趣味で逆に狩っているあのエドガーさんの、軽く3倍以上の強さということになってしまう。
彼女が本気になれば、たぶん、ほんの一息ほどの動作で俺たちは……。
「うっわエッロ……確かにカナさんのそのコス、色気ヤバっ!!」
この駄犬だけは違う意味で『ヤバイ』と受け取ったらしい。
まったくこの緊張の空気を少しは――……うん?
「うふふっ……ありがと~」
少し恥じらうように、にっこり笑うKANAさん。
まだ警戒を解除は出来ないけど……でもさっき、やろうと思えば背後から俺たちの不意を簡単につけたのは事実で、そうしてこなかったってことは……。
「なあ……PKの意思は無いということで、いいんだろうか?」
「……まあ、あのおっぱいからしたら私たちの所持品とかゴミクズみたいなものでしょうし……得られる経験値もミジンコほどの数も無いと思うから」
だからわざわざPKをする必要も無い……だろうか。
息をするぐらいの労力で得られる、ゴミアイテムと小数点以下みたいな経験値。
判断するには微妙なバランスだった。
「怖がらせてごめんね? そして孝人くんありがとう。お姉さんこんなだから、なかなか一緒にログインしてくれる人も少なくてほんとに困ってたんだ~」
まったりとした空気で微笑むKANAさん。
霧の中で佇むその姿は幻想的であり、また、不気味でもある。
いつの間にか俺の呼び方が変わってるが……いやそれより。
……あれ、何だろう? また、凄く変な違和感……何だ、これ??
「――だから、これ、お礼」
「え」
おもむろに服を脱ぎだすKANAさん。
「え、ちょっ!?」
「本性を現したなぁ、このおっぱい怪人っ!!!」
どんなだよ、それ。
「……これ、デザインが気に入ってるだけで大したものじゃないけど、孝人くんにあげます♪」
「え……あ、その」
「下着だけで歩かれると、お姉さんちょっと目のやり場に困っちゃうの~」
たぶん言葉通りじゃない。
このあまりのみずぼらしい無装備状態を気の毒に思っての進呈に感じた。
……受け取っていいものやら。
「ほら。本当に大したものじゃないから受け取って? 風邪引いちゃうぞっ」
ぎゅっ。
脱いだ上着――魔法使いのローブというより、足ほどまである黒い軍服みたいなデザインのコートを迷いもなく強引に俺の胸の中へと押し込むKANAさん。
ちなみに岡崎が言ったように上着を脱いだKANAさんは本当に色気ムンムンという感じで……リアルの時よりもっと身体のラインがはっきり出ている、いかにもファンタジー調な幾何学模様の施されたデザインのワンピース姿だった。
まったくどっちが目のやり場に困るんだかっ。風邪も引かないしっ。
「でも……KANAさんは魔法使いですよね? これ、俺の職業の『一般市民』が着られるんですか?」
「言ったでしょ? 職業やステータスに関係なく装備出来るぐらい大したことないユニバーサルなものだから大丈夫♪」
……なるほど。
戦士なら戦士しか装備できない強い専門装備とかどこのRPGでも存在するけど、それの反対の、初期の店屋とかで売ってる誰でも着られる格安のあれか。
「本当にいいんですか? 俺、そんな大したことしてないし」
「いいのいいの♪ お姉さん、その服をあときっと1万枚ぐらい買えちゃうぐらい余裕あるんだから~! えっへんっ」
胸を張って可愛らしく威張って見せてくれるKANAさん。
どうでもいいけど胸を張る時にぽよんって乳房が連動して動いてて、俺の隣にいる小柄なお仲間さんのヘイト値が物凄いことになっている。たぶん。
「ほらほら、もらってもらって」
しかし1万枚って……それ、まったく誇張じゃないんだろうな。
RPGも後半になるとインフレ起こすもんなぁ。
「……ありがとうございます。じゃあ、困っていたのは本当なので、ありがたく頂戴します」
「うんうん、素直でよろしい♪」
さっそく頂いたコートの袖を通してみた。
全面黒い厚手の生地が使われ、目立つのは大きな襟と折り返しの袖。そして連なるボタンや金属の装飾。まるで本当に軍服みたいなデザインのコートの胸元には勲章のかわりにワンポイント、鳥の小さな刺繍が施されている。
それでなくてもグラマラスな彼女があえて大き目なサイズを袖を通さず肩から掛けていたからか、俺にとってはサイズはまるでオーダーメイドで仕立てたかのようなピッタリ感で少し驚いた。
……そして遅れてムスクのような大人っぽい残り香に包まれる。
OLのお姉さんとかとすれ違う時にたまに漂う、あの高級そうな香りだ。
「へぇ、コーダそれイカスじゃん!」
「ま、まあまあ……ねっ? ふんっ、やっぱベースの香田がいいから何を着ても似合っちゃう感じよねっ!?」
凛子先輩のそれはツンデレの一種か何かなんだろうか?
「…………」
ちょっと興味が湧いてステータスを確認してみた。
『【霹靂の外衣】』。防御力は……100ちょうど。
強いのか弱いのか比較対象が手元にないのでいまいちわからないが、しかし原口のキラーエッジの攻撃力が530だったことを思い出すと、きっとKANAさんの言う通りにそこまで大した装備ではないだろうと感じた。
たぶん上級者からすると、見た目重視で重ね着基本のスキン装備に近い。
むしろそれで良かった。
やたら強いアイテムではお礼が過剰過ぎて困ってしまうし、皮肉なことに性能が低いからか、ステータス最低の俺でも重量ボーナスにマイナスつかないでくれている。
なるほど、職業を選ばないユニバーサルか……以後も俺が装備を固めるなら無理せずこのユニバーサル系で集めるべきだろうと思った。
どうでもいいが『霹靂』ってどう読むんだろう? ヘキレキ?
「ありがとうございます。とても気に入りました」
「はい、どういたしまして~」
ぽやぽやと優しく笑うKANAさん。
さっきまで警戒していたのが申し訳ないぐらい、向こうは無防備だった。
「あと。礼儀正しい孝人くんのこと、お姉さんは大変気に入りました!」
「え」
手を叩き、矢継ぎ早に次の会話へと移行するKANAさん。
「ひとつだけ、何~でもお願いを聞いてあげます♪」
「はいはーいっ、それ、エッチなお願いもですか~っ!?」
「んなっ!?」
「岡崎、お前黙れっ」
「うーん……それはお姉さん、ちょっと困っちゃうかなぁ」
「うー……もっとはっきり断りなさいよぅ」
凛子が噛みつきそうな勢いで唸っているその横で、俺はちょっと考えて。
「――いえ、結構です」
「あら」
迷いを断ち切るように、そう辞退した。
「そこまで手厚くしてもらうのは、不自然です」
「そう? 迷惑だった?」
「迷惑じゃないです。お気持ちは嬉しいですが、過剰で釣り合わないだけです。それに今、KANAさんにこれ以上何かをお願いしたい用件もありません」
「そう」
しゅん……としょげるKANAさんは――
「じゃあ、押し売りしちゃいましょう♪」
――めげることを知らない、鋼の意思を持つ人のようだった。
思い切りがいいというか、さっきから切り替えがめっちゃ早い。
おかげでこの人の感情が追いかけられない。
忘れてた。このぽややんとしたお姉さん、こう見えてこのエグいEOEの世界でたぶんかなりの上に位置しているような人だった。
今までどれだけの裏切りや騙し合いを経験してきたのか、計り知れない。
『その上で』こうしてぽや~っとしてられるって、それはもう普通じゃない。
「――……プロトコル<エントリー>」
KANAさんが右手を高く掲げて、そんな宣言を放つ。
俺たち3人は否応なく無意識に身構えてしまう。
あの姿は……どこかで見た気がした。
「あ」
そう。アクイヌスが俺のユニークアイテムを奪った時と、似ていた。
「スレイヴ<KANA>はマスター<香田孝人>からの命令を、一度だけどのような内容であっても従わなければならない。ただし、スレイヴの身体及び精神または所持する金品に対し著しい損害がもたらされる場合に限り、スレイヴはこれを拒否することが出来るものとする。……以上♪」
「え……?」
その宣言のような言葉の内容は、まるで誓約みたいだと思った。
あと思ったのは、この人の言葉の奥から伺える頭の回転の速さ。
決して早口ではないけど、さっきから凄くスムーズに滞ることなく言葉を紡いでいる。だから切り替えの速さも相成って、話の展開が体感よりずっと速い。
「それじゃ、さっそく……プロトコル<エンター>」
――パァァ……ッ。
掲げている彼女の右手から淡い光が弾けて……それで終わった。
「……?」
別に何も変化は無い、と思う。
「ふふっ。もう実質的に成立しちゃってるのだけど、せっかくだから孝人くんもやってみませんか?」
「やってみる……?」
「よかったら孝人くんの誓約紙を出してみて?」
「え……いや、それは」
「大丈夫。お姉さんは触れたり一切しないから、怖くない♪」
一歩ちゃんと後ろに下がってくれるKANAさん。
絶対に手が届かないような充分な距離を取ってくれたので……言われた通りに誓約紙をポップしてみた。
当然、読まれないように誓約紙の裏面側をKANAさんへと向けている。
「……?」
例の、原口が入力した気が滅入る誓約の文章があるぐらいだった。
他に何も変化は見当たらない。
「じゃあ……右手を掲げて、プロトコル、エンター、って言ってみて?」
「香田、ちょっと……それは危険な気がする」
それは確かに俺もそう思う。
「岡崎。お前はどう感じる?」
「ほへ? アタシ? なんで??」
「直感でいいから」
「ん~? 別にいいんじゃね? さっきの宣言もコーダが損しそうな内容じゃなかったしぃ?」
「馬鹿ねっ、それが罠かもって言ってるのよっ!?」
「確認。凛子はこの『プロトコル』っていうの、知らないんだよな?」
「私……知らない。こんな儀式みたいなの、見たこともない」
「そっか」
なら俺は――
「ごめん凛子。ちょっとやってみようと思う」
「香田っ!?」
――興味が勝った。
だって俺、特に失うものも無いし。
岡崎が言うように今のところ俺に害を成すような情報も見当たらない。
何より単語の羅列がプログラムっぽくて、ワクワクしてしまう。
「プロトコル<エンター>……!」
右手を掲げて言い放った。
瞬間、右手の先から淡い光が弾けて。
「……うん?」
連動して、左手にポップしている誓約紙も輝いた。
『◆プロトコル◆』
『スレイヴ<KANA>はマスター<香田孝人>からの命令を、』
『一度だけどのような内容であっても従わなければならない。』
『ただし、スレイヴの身体及び精神または所持する金品に対し』
『著しい損害がもたらされる場合に限り、』
『スレイヴはこれを拒否することが出来るものとする。』
『◆以上◆』
「「えっ!?」」
隣りで覗いてる凛子と一緒に声を出していた。
そう。KANAさんが宣言したあの言葉が、そのまま俺の誓約紙に記載されていたのだ。
「はい、これであたしは孝人くんの一度限りのスレイヴです。ご主人様~、何でも命令してくださいまし~♪」
「うー……香田。私も後であれするからっ」
「張り合おうとするなっ」
内心ちょっとドキッとしてしまったのを凛子へのツッコミで誤魔化す俺。
「他人の誓約紙への干渉……もしかしてこれ、噂のアナザーってやつですか?」
「その質問が、孝人くんの命令?」
「あ、いえ、そういうつもりじゃなかったですが……では命令ってことで」
「くすっ……意地悪なこと言ってごめんね? いいえ、アナザーじゃないわ。だって孝人くん自身がエンターして受け入れてくれた内容でしょ?」
「あ、なるほど……つまりこれって、自分の誓約紙に相手からの言葉を記載する裏技とかなんでしょうか?」
「それも命令?」
「あ……もう終わってたか。すみません」
「いいえ。一連の質問とこちら解釈しちゃいます。ですから有効。……裏技……うーん。ちょっと違うかな~? これは公式が設けたルールじゃないの。外部の人間が後から追加したスペル」
「外部の人間が後から追加した……?」
「そう。これを『クラフテッドスペル』って呼んでるわ。きっと誓約紙に約束事を記入する時、相手に触られたくなくて先人が工夫して創った呪文じゃないかしら?」
「あ。なるほど……」
信用置けない相手と誓約によって何か長期に渡っての取引する時、確かに現行のルールだけだと支障が発生する。
もし自分自身が誓約紙に文章を入力したら、いつでもそれは消去できてしまえるから、相手は信用出来ない。
逆にもし相手が自分の誓約紙に文章を入力するなら、事前に話していた内容と違う内容を書かれてしまう恐れがある。消すことも出来ないから信用出来ない。
結果的に絶えず誓約紙が見える状態での短期の取引しか難しくなってしまう。
でも、この『プロトコル』ならその問題をクリア出来る。
「プロトコル、エントリーで事前に誓約紙に入力する内容を提示出来る……?」
「そう、正解♪ そしてエンターで誓約該当者はその内容を登録出来ます。エントリーから30分以内に宣言しないと無効になっちゃうから気を付けてね?」
「はい……なるほど。便利だなこれ。説明を受けるのにKANAさんへの命令を使っちゃったけど、それで余りあるほど有益な情報をもらった気がする」
「くすくすっ。それで最後に――」
「え?」
「――……プロトコル<ラン>」
KANAさんが片手を上げてそう高らかに宣言する。
「エンターした全員がこうしてプロトコル、ラン、と宣言することで記載されている該当の誓約が初めて実行されます♪」
「……うん?? それってつまり……」
「はい。まだご主人様は命令を使ってないってことになりますね~?」
つまり出血大サービスしてくれたってことか。これ。
「装備から情報まで……すみません」
「いえいえ。これからゲームを始める初心者さんにアドバイスするのも、上級者の務めですから♪」
不思議とこのぽややんとしている……でも頭の回転が速いお姉さんがこのゲームのカースト上位にいることは納得できた。
きっとこのKANAさんのまわりには、こんな感じでお世話になったいっぱいの人で溢れている。支えている人がきっといる。
実際スレイヴなんて拘束が無くても、いつか俺もこの借りを返したいと思えた。
……この廃人ばかりのPK上等なギスギスの世界で、それを成立させるのは凄いことじゃないだろうか?
「KANAさん……ひとつ、嘘ついてますよね?」
「あら、そう? ふふっ。それはどんな……?」
「KANAさんがお願いしたら一緒にログインしてくれる人、絶対にたくさんいますよね?」
「うーん……どうかな? みんな忙しいし、お願いしてみないとわかんない♪」
ちょっとふざけてみせるKANAさん。
「それで命令……何か思いついた?」
「はい。ひとつ相談してみたいことがあります」
「うーんっ、ちょっとわくわく――あらっ、いけないっ!」
「え?」
「うぇーんっ、残念♪ もう10分が経過しまーす!」
「あっ」
それでようやく、口調とは真逆な彼女の展開の速い話ぶりの真意に気が付く。
この10分間で装備から知識、さらには命令という名のアフターサポートまで一通り与えてあげようと、詰め込めるだけ詰め込んで話してくれたのだ。
……だとすると、感謝しかない。
たぶん彼女はエドガーさんと同じ、皆のためにEOEの環境を整えてサポートする側の人間なんだ。
「ばいばい孝人くん。今度こっそり、その名前で登録した理由をこのお姉ちゃんに聞かせてね?」
「え?いやそんな大層な理由じゃなくて……」
「エメ――」
――そうKANAさんが言い掛けたところで、姿が光に溢れ、そのまま光の矢となって霧が晴れつつある夜空の向こうへと飛んで行ってしまった。
「おー、たぁーまや~!」
「アンタって馬鹿ね、ほんとに」
チャットで追いかけて会話も続けられそうだけど……今はまあ、いいか。
いつでも話そうと思えば話せるのだし、後で具体的に相談しようとも思ってる。
「馬鹿馬鹿ってマジうっさいよ、ちっぱい!」
「はあああっ!?!?」
「こら岡崎。大切な凛子の悪口を言うなっ」
「――っっ……!?!?」
うわっ……とドン引きしている岡崎はさておき、凛子への効果は絶大みたいだ。
ぐいっと背後からその小さな身体を抱き寄せると、顔を真っ赤にして硬直してるのが、可愛い可愛い。
「凛子も凛子で、岡崎のこと、そこまで言える立場じゃないだろ?」
「うー…………ごめん」
「はい、岡崎に対して謝って」
「……ヤ。こいつ、仲間を裏切るヤツだもん」
「たはは……うん、アタシ、馬鹿でいーや……実際馬鹿だし」
岡崎なりに相当反省しているっぽかった。
「ふんっ、じゃあいいわよっ……ちっぱい許してあげるわ。実際小さいし……」
「そうなの?」
「ヤっ……香田は、やだぁっ……意地悪言わないでぇ……!!」
「岡崎の前っ、岡崎の前だからっ!」
たぶん凛子にとって、『普通』の姿でいることより優先度高いってことなんだろうけど、それにしてもむぎゅーって抱き付いて甘えてくる凛子を見られちゃうのは、何だか俺のほうが恥ずかしかった。
「フッ。俺様の凛子を悪く言うな――……とか言ってる段階で、どーかと?」
「いや俺そこまでキザな言い回しをしてないしっ!?」
前回、この地に降り立った時とはずいぶん違うなぁと思う。
あの時は悲しくて、怖くて、痛くて……あとは怒りばかりだった。
まだその影は残り、怒りの火も燻っているけど……今はそれだけじゃない。
「さ。そろそろ深山のところに行こう。きっと待たせてる」
「おーっ! 深山待ってなさ~いっ!」
「…………うん、そだね」
三者三様の感情を胸に秘めているようだった。
「さて……」
ここまで急いで来たというのに、不思議なぐらい気が重い俺は無理やり自分に命令するように操作モードに入って、ソフトウェアキーボードを展開する。
『to ミャア』。
宛先を入力すると。
「……?」
こっちを見上げている凛子と視線を合わせた。
どうやら意味は通じてないらしい。まだまだ以心伝心には程遠いな。
『深山、起きてる? ごめん遅くなった』
そう入力する俺。
途端に――
「香田、くぅんっ……!!」
「へっ!?」
背後から俺を呼ぶ声。
振り返ると――
「うわっ、み、深山ぁ!?」
――すでに目の前に駆け寄る深山がいて、そのまま抱きしめられてしまった。
「香田君、香田君っ、香田くぅんっっ……!!!!」
不意を突かれたこともあり、凄い勢いでそのまま草むらの上へと押し倒される形になる俺。
「会いたかった……会いたかった、ようっ……!!」
深山の、上品な花束を連想とするフローラルな香りに包まれる。
深山と触れている全身のあちこちから、柔らかい感触が伝わってくる。
そして俺の顔に触れる、深山のサラサラとした髪先。
真っすぐな、透き通る宝石のような綺麗で潤んだ瞳を正面から目にする。
……あの深山玲佳が目の前にいる。そのことを強く実感した。
「ごめん、寂しい思いをさせ、た」
「ううんっ、ううんっ……えへっ……迎えに来てくれたから、大丈夫っ」
そう言って笑う深山から零れた涙が、俺の頬の辺りへと落ちた。
「よく……俺が来たこと、知らせる前にわかったね……?」
「香田君のこと……わたし、こっそりブックマークしていたから。ログインの知らせ、受けて……急いでここまで来たの……っ」
そう言いながら、もっともっと実感が欲しいと身体を細かく擦り寄せてより身体を密着させてくる深山。
特に胸の辺りから服越しに伝わってくる押し付けられた深山の乳房の柔らかさがあまりに圧倒的過ぎて、矛盾するようだが意識しないように意識するのがやっとだった。
「……そっか。それは、良かったっ」
もぞもぞと身体を捻じり、その艶めかしい太ももを俺に擦り付けて。
「香田……くぅんっ……」
「ちょ、深山、待って! 待って!!」
再会の雰囲気に酔ってしまっているのか、うっとりしている深山が潤んだ瞳を細めながらゆっくり顔を近づけてきて、思わず肩を掴んでしまう。
「あっ……ご、ごめんなさいっ……つい、わたし…………そのっ、こう、気持ちがふぁー……とっ……香田君の気持ちも考えないで、ごめんなさいっ!」
「いや、それもそうだけどっ……深山、周りもちゃんと見ようかっ?」
「え?」
ぱちっ、とその大きな目をもっと丸くして、4つん這いになって俺を押し倒しキスを迫ろうとしていた深山は、改めてゆっくり顔を上げた。
そこには苦笑いするしか出来ない様子のふたりが立っていた。
「………………あ、あはは……は」
「ねぇ、アタシやっぱ帰っていいっすか? なんか超幸せそうな感じだしぃ?」
特に目がまったく笑ってない凛子先輩が超怖いです……。
「あ……どうも。こんにち、は……?」
それに対してぎこちない挨拶をする深山だった。





