#001 この地の果てにようこそ
「――よおっ、コタコタァ。超久しぶりぃ!」
「っと!? は……原口、君か? もしかして?」
とある金曜の放課後。
高校2年の夏休みを来週末に控えた7月も中旬とあり、何処か浮足立っている教室全体の空気が少し苦手で、俺――香田孝人は手早く帰る支度をしていた。
万が一、『なあ……やっぱ皆でプール行くなら香田も呼ばなきゃダメか……?』みたいな変な気の遣われ方されたらたまったものではない。
別に露骨に虐めや迫害を受けているわけでもない。
というかたぶん教室の中の多くの人と接触を避けてるのは俺のほうで、見えないバリアみたいなものを普段から空中に展開していた。
つまりこうして誰とも挨拶せず手早く帰るのも、その一環であった……のだが。
「ぁん? 固まってどした、コタコタ? オレのこと忘れたとか言わせねぇぞ?」
「いや今……原口君か、って言っただろ」
まあ固まっていたのは紛れもない事実で、不意を突かれて背後からヘッドロックされたこの事実が俺を半分ぐらい思考停止にさせていた。
「つか、高校にもなって『君』とかやめーや。キモイ!」
「仕方ないだろ、会うの小学生以来だし……普段はそんなのつけない」
そう。目の前の彼――原口楽は小学生時代、近所に住んでいたこともあってそれなりに一緒に遊んでいた当時の友人。
こうして数年ぶりに突然再会しても、無意識に当時の呼び方が出てくるぐらいには仲が良くて……いわゆる幼馴染というやつかもしれない。
「こっち……帰ってきてたんだ?」
「おう、オヤジが急に仕事クビになってよ~。それで実家に戻ってくるとか超ダセーよなぁ?」
この学校の制服である紺のブレザーではなく、黒の学生服姿の原口がゲラゲラと豪快に笑ってるけど……ちょっとそれに付き合って笑っていいのかは判断がつかない。
「んで、廊下でお前を見かけたから挨拶してきたけどよ……何、それ?」
「ん?」
「コタコタ、ずいぶんとイメージ変わってネ? その髪、小さい頃に戻したのかよ」
「そういう原口こそ……」
原口はもっと内気で、少し言葉もたどだとしいような印象の子だった。
それこそクラスでも標的になりやすい存在で、だから俺が当時はよく面倒をみてて、誰もいないところでふたりでゲームしてたりしていた。
なのに……これがいわゆる高校生デビューってヤツだろうか?
「ちっ……昔のダチって、何かやりづれぇな」
「そろそろこれ、解いてくれないか?」
原口の背後からのヘッドロックは今現在も続いてた。
「――ちょっと……香田君が嫌がってるじゃない。離しなさいよ」
「は? 誰、お前?」
そう言いながらその女の子は俺たちの前に立ち、腕組みをしながら遠慮なく間合いを詰めて、20センチは高いだろう原口の顔を下から鋭く睨みつけていた。
「深山さん……」
「ほら、離しなさいよ。今すぐ」
このサラサラの長い髪をなびかせているどこか涼し気な彼女の名前は、深山玲佳。
この教室の中でのカースト上位に位置しているグループの中心的な存在。
スタイルは抜群、顔も芸能人みたいに整ってて、しかもこの性格。
逆説的に言えば、そりゃ教室の中心に立たないわけがない。
「あ? 何? これ、コタコタの今の彼女?」
「いや……ほとんど話したこともないけど」
「ッ!」
キッ、と何故か俺が睨まれてしまう。
……確かに『赤の他人です』というのは助け船を出してくれている相手には失礼だったのかもしれない。実際、過去にも何度かこんな調子で危ないところを助けてもらっているし。
そう。この教室は彼女に統治されていると表現しても過言ではない。
彼女の庇護下によって俺はこれといって迫害を受けるでもない日々を平和に過ごせているし、だからこそ『香田も誘わなきゃダメか?』なんてまわりに気を遣わせてしまっていることにもなっている。
基本、有り難いけど……少しばかり迷惑。という微妙な関係性の女の子だった。
だからこれは、仕方ない。
このクラスの女王でありアイドルでもある深山さんの彼氏……どころか、仲の良い知り合いのフリでさえ、嘘でもやってみろ。
明日からこの教室は俺にとって針の筵になる。
それがわからないほど頭が悪いつもりはない。
「なぁ、コタコタとの感動の再会、邪魔してくれないでくれるぅ?」
「深山さん、ありがとう。原口とは小学生からの友人なんだ」
「…………本当に? 大丈夫?」
「ああ、大丈夫」
明確にうなずいて見せると、深山さんは急にばつが悪そうに顔を少しうつむかせた。
「は? 何それ??」
「原口……違う学校の人間が突然入ってきたらこんな空気にもなるって。まわりからみたらお前はただの不審者なんだから」
「そっかぁ? めんどくせーなぁ……」
「場所変えるぞ」
ガラは悪くなってるが、原口は原口とようやく自分の認識が追いついてきたらしい。
少し、昔の調子が俺の中で出てきた。
「ありがとう」
「……うん」
原口を連れて教室を出ようと深山さんとすれ違う瞬間、彼女にしか聞こえないような微かな声で感謝を告げると、それに小さくうなずいて応える深山さんだった。
◇
「――そっかぁ、かなえさんも転校してんのか……マジかっ……」
校舎を出て最寄りのコンビニに寄り、そしてそのままの流れで昔よく遊んでいたこの公園に来た俺たち。
すでに陽も沈みかけてて夕飯時となり、公園の敷地内で遊ぶ子供たちの姿は見当たらなかった。
「鳴門――さんか。よく覚えてるな……俺なんか原口がその名前を口に出すまで完全に忘れてたよ?」
「実はオレの初恋の人なんだよっ……!」
「へー」
まったくもっていらない情報だ。
正直、この会話が心底嫌でさっさと終わらせたい。
どうにも居心地の悪い俺はそれを顔へとおくびにも出さないよう、手に持っていたジュースを一気に飲み乾したりして必死に誤魔化していた。
「やべぇ! このジャングルジム、マジ懐かしすぎだろ!!」
この再会自体、特に気乗りしてなく今すぐに家に帰りたい気分だが、どうやら原口はありがたくないことに俺の真逆らしい。
当時のことを思い出してジャグルジムによじ登り、やたらとテンション高そうだった。
「ここでよくゲームしてたよなあ!」
「……ああ」
そういや最近、携帯ゲーム機って触ってないな、とふと思い出した。
今もこのポケットに入っている板状の携帯電話機に、そのポジションはすべて取られてしまった気がする。
「なあ、コタコタは剣や魔法とかのオタっぽいゲームまだやってんの?」
「オタっぽいって……お前こそ当時は、エルフとかの住む異世界に転生したいとかそんな夢みたいなことばっか言ってたろ」
「うぎゃ――っっ、ハズいっ、死ぬ――っっ!!!」
「はぁ……」
ほんと人ってのは、変わるもんなんだなぁ。
あのボソボソしゃべっててよく声も聞こえない原口さえも、数年でこうなってしまうのか。
親の都合である日突然転校した原口は、あれから色々なことがあったのだろうと勝手ながらそう思う。
自分の身を守るため、虚勢や威嚇が剣や魔法のかわりに現実として必要だったんだろう。
「……VRMMOとかなら、まだやってるけど」
たぶん、それがなんか悲しかった。
だから変わってないことを告げたくて。
嘘や虚勢を取り除きたくて、俺から『柔らかい』部分の話をしてみた。
「というか、VRMMOってわかるか? こう、ヘッドマウントディスプレイをつけて仮想現実のファンタジー世界に没入――……ああ、ヘッドマウントディスプレイの説明から必要か……」
「やべぇ」
「……ん?」
「今、オレ、バリバリデスティニーナウ!!」
「頼む、そっちこそわかるように説明してくれ」
本当に同じ高校生なのか。頭が痛い。
「なあ……EOEって知ってっか?」
「……いや? 聞いたこともないけど」
「ハッ。ネットでちょーっと調べればすぐ出てくるのにぃ? マニアで超絶話題のEOE知らない!? それで自称VRMMOやってるってかぁ? 没入ぅ?」
一呼吸で、吐き捨てるように笑われてしまった。
思わずカチンと来る。
「マジやべぇって……EOE。没入のレベルがダンチ!」
「どう段違いなんだよ? ポリゴン数か?」
「――五感すべてのフルダイブ」
「は?」
「マジ触れるんだよ……リアルで食える。匂いもある」
「いやいや、待て待て」
それは言うなれば、小説やらアニメやらでよく描かれている古典であり空想上の『真のVRMMO』だ。
でも、現実でそれは色々無理だ。
五感を支配するっていうのは簡単に言えば、脳と身体の間を繋ぐ神経を遮断しての、強制的な脳の乗っ取りを意味する。
それを実現するのは、技術的に実現可能かはさておいても、相応の施設なり処置なりが絶対に必要になってくる。
事前に外科的な手術が必要かもしれないし、それでなくても大がかりな機材も必要だろう。
現実問題としてヘルメットとかサングラスとか、そんな小物で人間の五感を直接どうにかできるわけがない。
もし出来るなら、世の中、犯罪だらけになってしまう。
銀行強盗も飛行機ジャックも強姦も似たような装置でやりたい放題だ。
あるいは別の現実問題として、排泄物はどうする? 水分の補給は?
もしくは、五感すべて奪われた人間の身の安全は?
途中で不意に電源が落ちたりしたら、植物人間になるのでは?
そして何より五感全部を持ってかれたりしたら、それは絶対に人として、おかしくなってしまう。
そんなの麻薬と何もかわらない。
そんな商品、国が認めるわけがない。
「……冗談だろ? それ、頭イカレてるだろ?」
「ギャハハハハッ、ウケる! それマジウケるっ……!!」
「は?」
「ぷはっ……やっぱコタコタ、頭いいじゃん? そう! コンセプトってマジそれっ」
ひーひーと腹を抱えてひとしきり笑うと、そのままジャングルジムの頂上まで登って両手を広げる原口。
「そういう頭イカレているヤツらの行きつく先がEOE。どんなリスクあろうがいくら払おうが『あっち』の世界に行きたいジャンキーのための、最後の地の果て」
「……」
「アレはマジでヤバイ……癖になっちまうっ……心の麻薬みたいなもんだ」
どうやら、冗談で言ってるわけではないようだった。
「なあコタコタァ。これ、興味無ぇ?」
「……」
「エルフの姉ちゃんのおっぱい、鷲掴みしたくネ?」
「……」
「マジでリアルに手から炎を出したりさ、剣と剣をぶつけ合って戦ったりしてみたくネ?」
「…………興味ない、と言えば嘘になる」
「だろぅ!?」
「でも……それ、確実に裏の違法モノだろ?」
「まあマジな話すると、運営はマトモな会社とかじゃ無ぇよ」
「だろ――」
「けど、違法でも無ぇよ」
「――……え?」
「そんな法律、まだ無ぇの! ま、絶っっっ対にあれマジでマジでヤバイから、バレたらソッコーで禁止になると思うけどさぁ」
そしてまた下品にゲラゲラ笑いだす原口。
本音を言おう。その笑い方は凄く嫌だ。癇に障る。
「だからマジで、今だけのチャンス。今夜だけのラストチャンスッ」
「今夜だけ……?」
「そ。ぶっちゃけ今夜のためにオレ、この街に戻ってきたみたいな感じだし!」
「……つまり、それが遊べるのはこの街だけってことなのか?」
「いんや、全国に5つあるってよ。トレーラー」
「トレーラー……それが、プレイする施設の名前か?」
「あぁもう! なあさ、コタコタ。もう面倒だ。とりあえず今夜一緒に来いよ、な? マジでさぁ!」
ジャングルジムの上から片手を、俺に差し出すようにして原口が笑う。
「説明聞くよか、一度やってみればいいじゃん? 別に怖く無ぇって!」
「……」
その手を眺めながら、思案してしまう俺。
「なぁ、ところでコタコタってカードもってんの?」
「カード?」
「そ。クレジットカード」
「いや、学生だし普通に持ってないが」
「マジかよ……あ~でも、銀行引き落としもイケたか!」
「……もしかして値段が高いのか?」
「いんや超~安いぜぇ? なんと一日フルでプレイして1万っ!」
それって安いのか?
……いや、カラオケだって一日中歌ってたらそんな値段で収まらないのだから、安いと言えば安いのか。払えないわけでもない。
「ちなみにオレら初心者は絶対無理だけど、上手いヤツらは実質タダで遊べるようになるってさ!」
それって、ゲーセンにある格ゲーの連勝みたいな感じだろうか。
「しかし、支払いがカードか銀行引き落としのみなのか」
「さすがに銀行口座ぐらいあるっしょ?」
「週2でバイトしてるから一応あるけど……そういう意味じゃなくて、違和感というか……」
「イワカン?」
「違法スレスレなのに、現金払いじゃないのかよ?ってさ」
「へ? そりゃそうだろ?」
「なんで?」
「だって、一度あっち行っちゃったらリアルに帰って来ないヤツらばっかじゃん?」
「……」
ある意味で納得した。
そして『帰りたくない』と思うほどのリアルさというのを想像して、軽く恐怖した。
「な? マジ来いよ! 色々教えてやるし、センパイに紹介してやっから、そのままウチのパーティ入ろうぜぇ? なぁ!?」
話を聞いて、俺は確かに恐怖した。そもそも話が、全体的にキナ臭い。だから――
「…………わかった。何時にどこに向かえばいい?」
「おっ、いいねぇ! 決まりぃ!!」
――だからこそ俺は……自分の興味を抑えることが出来なかった。
ここ数年の停滞したような毎日に飽き飽きしていたのが本音だ。
だから一度だけ、体験してみよう。違法スレスレの麻薬みたいな世界というものを。
「ハハッ、この地の果てにようこそ……!」
ジャングルジムのてっぺん、夕日を背にして満足げに笑う原口だった。
はじめまして。中村ミコトと申します。
星の数ほどある作品群の中で本作、『この地の果てにようこそ』に触れて頂きありがとうございました。
いかがでしたでしょうか? ……と問えるほどまだ何も始まってませんね。
これは作者側の勝手な願望になってしまいますが、第一章の終わりまででこの作品のノリや描きたいことが見えてくる形にできていると思いますので、よければそこまでしばしの間お付き合い頂けると幸いです。
(そして合わなければそこら辺でバッサリ切ってやってくださいませ!)
さてさて。では引き続き#002をどうぞお楽しみください。