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#011 最悪な一日(後編)

 ――すぅ……すぅ……。


「……」


 夕暮れから夜へとそのとばりが降りて、空が劇的に変化している頃。

 泣き疲れたのだろう深山の安らかな寝顔をぼんやり眺めながら、俺はこの先の展開を頭の中でずっと考えていた。

 もちろん鈴木たちと話をして、あの誓約の文を消してもらうように交渉することまでは、すでに俺の中で決定済みだ。


「なら……今日中にすぐ決着しなくちゃな」


 今日、俺がログアウトする予定だったように、たぶん鈴木や岡崎も今夜でこのゲームを止めてしまうだろう。

 なぜなら明日から月曜日で、授業があるからだ。

 そして最悪……というか普通に考えて、たぶん一度ログアウトしたらあいつらはもう二度とこのゲームをプレイしない気がする。それは費用もそうだし、この場所へのアクセス方法や、何より深山への嫌がらせの感情までを考慮すればむしろ必然だ。

 あいつらがログアウトすると誓約が消える可能性が無いわけでもないだろうが、現実的に考えてそんな微かな望みは期待しないほうがいいだろう。

 なぜなら、たぶん殺されて強制的にログアウトしたはずの原口の誓約は今もこうして俺の誓約紙に存在しているからだ。


「さて。責任重大、だ」


 どうしたら深山の誓約を消すことができるのだろう。

 ゲームであるにも関わらずわかりやすい選択肢が目前に現れてくるでもなくて、かわりに無限の可能性が暗闇として見渡す限りに広がっていた。


「どれが一番、可能性高いんだろうか……」


 色々な方法を考えてみた。

 心からの謝罪。リアルマネーでの和解金の支払い。詐欺。


 どういう選択肢であっていもいい。

 結果的に深山が解放されるなら、それでいい。


 いっそ開き直って、暴力で脅迫してもいい。

 言ってしまえばこれは単なるゲームで、犯罪的な暴力もPKなんて便利な言葉で片づけられるのだ。


「最弱が何を言ってるんだか……」


 3人パーティ相手にステータス最低の俺が暴力で脅迫とか、そんなの笑い話にもならない。


「……用心棒、とか?」


 代金の支払いとかどうするのかもわからないが、誰か屈強で正義感の強い人に助太刀をお願いするとか、それ自体は悪くない発想な気がした。


 真っ先に、初心者狩りを逆に狩っている様子のエドガーさんが思い浮かんだが、そこまで考えが進んで現実的ではないことに考えが至る。

 ここは初心者専用サーバーみたいな『始まりの丘』なんだ。

 つまりあの道を越えてエドガーさんが助けに来てくれるようなことは現実的にあり得ない。


「レベルいくつから規制されているんだろう?」


 ふと気になり、マニュアルを展開してざっくり確認してみる。


「……へえ」


 調べてみるものだった。

 『始まりの丘』と呼ばれる初心者専用フィールドというのはEOEの世界に5つ存在しており、それぞれ半径8キロ程度の広さなのだという。

 この始まりの丘にはレベル規制が入っており、原則としてレベル10以下しか侵入できない。

 例外として同一パーティ内に初心者が混在している場合、ログイン時のみレベル規制が解除されるが、10分以内に退去しないと強制リジェクトという処理により世界のどこかへとランダムに飛ばされることになる……とある。

 ここはアクイヌスが言っていた説明とほぼ同じだ。


「ん? 10分で半径8キロから出るとか、普通無理だろ?」


 普通に計算したら時速50キロ近くの移動速度が必要になってくる。

 つまりこれは、この世界には便利な移動魔法がある、という予測が立った。


「エンカウント・リロード……?」


 マニュアルの続きに、少しわからない記述があった。この始まりの丘ではエンカウント・リロードが通常フィールドより遅く内容に規制が入る、とある。

 この『エンカウント・リロード』ってのは何だ?

 何となくモンスターの出現タイミングが完全なランダムではないようなイメージをこの言葉から受け受け取る。

 さっそくワード検索をしようと『エ』を入れると、候補がリストとして現れるのだが、そこでさらに気になる別のワードを見つけてしまう。


「エモーショナル・エフェクト……」


 完全に脇道に逸れてしまうが非常に気になり、そのワードから導かれるマニュアルのページへと移動した。

 とあることについて俺は確信に近いものをすでに得ており、その確認をどうしてもしたかったのだ。


 ――エモーショナル・エフェクト。

 それは感情の発露に関係する自然な身体の変化についての呼称だった。

 ざっくり簡単に言えば、汗や涙など感情に伴って自然に出てくるだろう分泌物については、人間らしいコミュニケーションを維持するために疑似的に再現しているらしい。

 そして、『ただし排出行為はできない』と記述は続いた。


「あー……それで、か」


 色々と思い至る経験がある。

 例えば、尿意・便意などはいつまでたっても来ない。

 ……まあこれについては食事してないのだから、ある意味で道理だが。

 またあるいは、嘔吐。

 目の前で原口が串刺しになった時、気持ち悪くて吐きそうな気分だったが、いくら吐きたい気持ちになっても実際の嘔吐は無理だった。


「……」


 チラリ、と寝ている深山を一度見た。

 ――そして最後に、さっきの……深山との体験。

 目の前で……あんな風にされて、正直を言うと劣情を抱いたが、無理だった。

 精神的にはたまらないほど興奮していたが、本能レベルで俺の身体がどこかでその先の行動を拒否していたのだ。

 その答えをここで得た。どんなにムラムラしても、男の欲望の塊は自然と出てくる分泌物じゃなくて、言うなれば嘔吐と同じ排出物だから『出せない』のだ。

 吐きたくて吐きたくて仕方ないのに、吐けないつらさと似たようなものがある。

 出したくて出したくて仕方ないのに、出せないなんて地獄だ。

 体内の管が詰まってしまっているような、ある種の恐怖感。

 だから身体が本能的に『そっち』を回避したがっている。


「上手に作ってるなぁ……」


 原口との一件で知ったことだが、インナーウェアを脱がすことも出来ないらしいし、性行為に対する予防が徹底している。

 普通のものでは満足出来ないような超廃人向けのアングラなゲームのわりに、不釣り合いなほど健全だと思う。

 まあそこが自由になっちゃうと違う趣旨で集まる人たちも出てくるだろうし、必然の処置ではあるが……ただ行為を規制するだけではなくて、そもそも『そういう行為を身体が回避したがる』方向へと導く方法は正解に思えた。


「しかし、これは『分泌物』かよ……ずるいだろ」


 自分の指先を眺めてぼやくと、そのまま指を舐めてみる。残念ながらもう何の味もしなかった。


「ん……つばは分泌物。でも――」


 ――ぺっ。


 そのまま出てきた唾を吐き出そうとするが、音がするだけで手のひらには実際には飛んでこなかった。なるほど、こういうことらしい。


「あぁ……いかん、深山のこと、ちゃんと考えなきゃ」


 頭を抱えて深く反省。

 切り替えると、ひとつの可能性としてとある行為についてを模索する。


「――微妙なところ……かな」


 いくら考えても明確な答えは出そうになかった。

 なので、安直ではあるが経験者に聞くのが手っ取り早そうだ。


「ブックマークって使えるのかな」


 操作モードからブックマークを開く。

 当然ながら唯一登録してある『エドガー』の名前をアクティブにする。

 するとソフトウェアキーボードが開き、『to』の項目に自動で『エドガー』という名が入力される。

 これでささやき状態のチャットが可能、ということだろう。


「――突然すみません。夕方お世話になった香田です」


 音声入力で話しかける。


『ああ、さっきの』


 思っていたよりずっと早くに返事が届いてくる。ほぼタイムラグがないその速度に内心で舌を巻いた。


『あのお嬢ちゃんとはちゃんと話し合ったかい?』


「……それはもう、本当におかげさまで」


 まるで皮肉を言っているみたいだな、これ。

 しかし本当におかげさまなのだ。


『そうかいそうかい、それはよかった。それで?』


「あ、はい……ひとつ、簡単な質問をしてもいいですか?」


 軽い挨拶程度だったのか、エドガーさんは俺の言い回しを特に気にも留めていない様子で話の本題を促していた。


『ああいいぞ、といいたいところだが……』


「え」


『実は俺からも簡単な質問がある。情報交換と行こうじゃないか』


 つまり向こうからの質問に答えたら、向こうも答えてくれるということだろう。

 ……でも正直、俺にはその期待に応えられる自信はまったくなかった。

 何せ、ズブの素人なのだから。

 百戦錬磨と言えるほどなのかはわからないが、しかしエドガーさんがレベル相応のEOE経験者なのは間違いないわけで、そんな人に今さら有益な情報を提供できるとは到底思えない。


「えっと……ではエドガーさんから質問どうぞ」


『いや、まずは君の質問に俺が答えよう』


「え、いや。それは……筋が通らないというか……」


『香田クンは情報聞いたらそのままブロックでもする予定なのかい?』


「いえっ、そんなことはっ」


『なら、キミからでいい。それはこっちからの質問の深度にも関わることだ』


「深度、ですか?」


『そう。深いところまで突っ込んだ質問なら、こちらも相応に突っ込んで質問するってことさ』


「なるほど……そして先に謝ります。すみません。そこまでディープな質問じゃないです。というかほとんどのプレイヤーが知っているようなことです」


『はっはっは、そうか。初心者だもんな? OK、わかった。それで?』


「はい――……」


 一度、唾を飲んで覚悟を決める。

 これから得られる情報は、この先の俺と深山の未来に大きな影響を与えるからに違いないからだ。


「――死んだら……ゲームオーバーになったら、どうなりますか?」


 そう。これがひとつの可能性。

 深山が自ら死を選びゲームオーバーとなることで、自動的にログアウトされることになるかもしれない、という可能性を俺はずっと頭の片隅で考えていたのだ。


『なるほどなるほど。初心者らしい質問だ。あえて意地悪なことを言うが』

『それは実際に体験してみるのが一番手っ取り早くないか?』

『もうすぐ今日も終わるぞ?』


「その……そこに物凄いリスクを感じるから、安易にできなくて……だからこそのこの質問なんです」


『まあ深くは詮索しないさ。俺が聞きたいのはその情報じゃないからね』

『それでゲームオーバーになったら……という質問の意図だが』

『それはつまり、現実の肉体や精神に影響があるか、という質問か?』


「あ、それも確かに確認したくはありますが……意図はそれじゃないです。もっと単純に、どんな画面になって、どういう処理が行われるかという質問です」


『先に俺の勘違いから回答しておくと、少なくとも肉体的な影響はない』

『トラウマになっているヤツはいるが、それもそこまで深刻じゃない』

『ゲームオーバー後ってのは、まあ、悪い夢を観た後みたいなもんだ』

『……それでどんな画面、どんな処理、か。不思議な質問をするんだな』


「すみません。ゲームオーバーになる前に可能な限り正確に知っておきたくて」


『いや、かまわんよ……そうだな、まずは画面から』

『死亡の瞬間、画面はブラックアウトして一面の暗黒となる』

『そして画面中央に<GAME OVER>の文字が現れて――』


「……っ」


 思わず身構えてしまう。


『<ログアウトしますか?>という確認が画面に出てくる感じだ』


 俺はその情報を聞いた瞬間、深くため息を落としてうなだれてしまった。

 これはつまり、深山は死を選んでもログアウトすることはたぶん無理だろうという事実の証明になる。

 普通に考えれば誓約の強制力によって自ら能動的にログアウトする選択を選ぶことは不可能だろう。

 もちろんゲームオーバー後は誓約の範囲外になる可能性も一応あり得るが、そうじゃなかった場合のリスクを考えると、とても試してみる気にはなれない。


 そして。

 そろそろ俺も、意識して考えないようにしていた事実に目を向けようと思う。


「――その選択はもしかして、承認ウィンドウを呼んでの最終決定ですか?」


『ん? どうだったかな……あぁ。いや、そういう処理じゃないなぁ』


「どういう処理ですかっ?」


『……えらく細かいところを気にするね、香田クンは』


「重要なことなんです! それで、決定はアクティブだけなんですか?」


『ああ。ただのアクティブ選択で決定されたよ』

『言うなれば自動で表示されるあの確認画面が承認ウィンドウなのだろう』


 はぁー……と息が漏れた。

 もしかして、真っ暗な画面で他に何かをすることもできないし、視線誘導が誤作動する心配も無いから念入りな確認は必要ないということなのだろうか?

 とにかく、これで深山と同様に俺もログアウトできない、という最悪の事態は免れたらしい。


 実はこれも、頭の片隅でずっと考えていたことだった。

 その事実と向き合えなくて、試してすらいないが……ゲーム中の選択モードからログアウトのアイコンを選択しても、たぶん俺はログアウトすることができない。

 冷静に考えれば、同日に再ログインができないEOEにおいて、ログアウトするなんていうそんな重要な決定に承認ウィンドウが必要無いわけがないのだ。

 そんなの薄々気が付いていた。

 それを『なんとかなるだろう』なんていうよくわからない希望的観測へと思考を逃がして過ごしていただけのことだった。


「……」


 でも、素直には喜べない。

 結局は深山の件は何も解決には至っていない。


「……どうしてログアウトするか、なんていちいち確認するんですかね……もし『いいえ』を選んでも生き返れるわけじゃないんですよね?」


 ほとんど無意識に、やり切れない怒りをぶつけるだけの愚痴のような質問を口にしていた俺だった。


『ああ、EOEでは現在のところ生き返りのアイテムや術は確認されないな』

『それはたぶん、残されたパーティへのメッセージのやり取りのためだろう』


「ああ……なるほど。死んでもチャットで話すことは出来るんですね……。つまりそれは、死んでもゲームオーバーの画面のまま、ログアウトしないで延々とチャットできるって――」


 ――と言い掛けて、戦慄が走る。

 もしかして、深山が死んだら、チャットしかできない?

 ログアウトもできず、ただ暗闇の中で延々と……いや、永遠に。


「……っ」


 それは『ログアウトできない』という今の状況よりもっと深刻な事態だ。

 二ヶ月間で誓約は解除されるような説明を聞いた。

 だからさっきの『永遠』というのは少し大げさだが、しかし最長で二ヶ月間もの長期に渡って暗闇の世界に幽閉され続けるなんて、正気を失ってしまうほどの残酷な状況だ。

 少なくとも俺だったらとてもじゃないが、3日と精神が持たないだろう。


 ――つまり、絶対に深山のキャラクターが死ぬことは、許されない。


 この事実に到達できただけでも、エドガーさんと話して本当に良かったと思う。

 この人へと、出来る限りのお礼をしなきゃいけないだろう。


「ちなみに……誓約紙に書かれた内容って、ログアウト後も残ってますか?」


『ああ。書いた二ヶ月後まで勝手に消えたりはしないな』


 最後に念のための確認もしておいた。これで確定だ。


「ありがとうございます。俺の質問は以上です。では次はエドガーさんの質問を下さい。初心者ですが可能な限り全力で答えます」


『はっはっはっ。その気合いはありがたいが、そんな大層な質問じゃない』

『というか、あんな誰でも知ってるような情報で高望みはできないな』


「いえ……少なくとも俺にとっては、これ以上ないぐらいに有意義な情報でした。だから遠慮なんてしなくていいです」


『そうかい? じゃ、少しお言葉に甘えて踏み込んだ質問をするが――』

『もしかして<編集作業>の使い道に、見当がついたのかい?』


「えっ?」


『具体的な方法については黙っててかまわんよ』

『ただ、あのスキルに使い道があるのか否か、その事実だけ聞かせてくれ』


「その……編集作業、って何ですか?」


『……まあ、そうだよな。ゲームオーバーしたこともない初心者だものな?』


「すみません……」


『いや、こちらこそ山を掛けて悪かった』

『ちなみに<編集作業>ってのは一般市民固有のジョブスキルのことだ』

『自身の詳細ステータスから確認してみるといい』


「え。あ、はい……」


 エドガーさんが情報を得るターンのはずが、結局、俺へのレクチャーになってしまっている。

 申し訳ない気持ちになりながら、言われた通りに一度ソフトウェアキーボードを閉じて詳細ステータスを広げた。


「……ああ、これか」


 多数あるステータス情報の中から『職業:一般市民』と表示されているその下にある『ジョブスキル:編集作業』の項目をアクティブにしてみた。


「何だ、これ??」


『【編集作業】』

『所有している複数枚の誓約紙は<書物>としてまとめることが出来る』

『まとめた書物の内容は所有者による誓約としてそのまま全て適用される』

『一度まとめた書物内の誓約紙は以後、切り離すことが出来ない』

『書物内の誓約は60日を経過しても条件の不成立とならず消滅しない』


 ……これは、どう解釈すればいいのだろう?

 正直まったくわからない。

 どうやら素直にエドガーさんへとその考えを伝えるしかなさそうだった。


「……何ですかね、これ」


『はっはっは。質問してるのは俺のほうだったんだけどな』

『そう。まったく使い道が見えてこないだろう?』


「ええ。例えばページ毎に誓約の内容を適用する・しないと使い分けられるなら『交渉用』『戦闘用』みたいな感じで切り替えの応用も利きそうですが……」


『へえ。誓約紙一枚で書ききれないほど膨大な量のアイディアがあるのか?』


「……いえ。たぶん一枚で充分そうです」


『だよな。複数ページにする必要性が正直あまり感じられない』

『強いて言えば今話したように、一枚じゃ収まらないほど』

『誓約に膨大なアイディアがある人向け、ぐらいか』

『――しかし、そもそもにおいて、だ』

『香田クンは今、複数の誓約紙を持っているのかい?』


「え。いえ、一枚だけですが――……あ、増やせない!?」


『そう。誓約紙ってのは固定アイテムだから他人から奪うことは不可能だ』


 ゲームを始める前にあったチュートリアルでも、『誓約紙は偽装やねつ造、あるいは破棄することや奪うことも一切出来ない固定アイテム』だとはっきり説明していたことを言われて思い出す。

 何なら後でマニュアルを読み返してもいいが、まず間違いないだろう。


『つまり、ページも増やせないのに編集作業などというスキルがあっても』


「――完全な死にスキル、ですね」


『ああ。そういうことになる』

『そんなスキルがある以上、何か増やせる方法があるのかも知れないが』

『もしページが増やせたとしても、利点どころか』

『むしろ不利になる可能性が高いだろうしな』


「不利、ですか?」


『香田クン自身が誓約紙を一枚しか所有していない以上、方法はさておき』

『誰かから貰うなりで新たに入手しなければページは増えないだろう』

『それはすなわちかなりの確率で』

『誰かに科せられていた負の誓約を、受け取ることにならないか?』

『あるいは悪意を持った誓約を意図的に入れ、渡す可能性は無いか?』


「あっ」


『当然、受け取った側は書いた本人ではないから、消すこともできない』


「もっと言えば切り離すことも出来ない……つまり何らかの方法で一度受け取ると、もう二度と捨てたり返却したりも出来ず、誓約から逃れられない?」


『もうほとんど呪いに近いな、それは』


「……同じこと考えました……」


 ――いや、こんなことディスカッションするだけ無意味に思う。

 やはり明記されている通り、誓約紙の受け渡しなんて不可能だろう。EOEの誓約システムがほとんど機能しなくなってしまうことを意味している。

 もしそれが許されるというなら、何か都合の悪い誓約が入ったら他人に与えて逃げてしまえばいい理屈になってしまうわけだ。


『他に可能性があるとしたら、無記入の新品を購入するってところか』


「誓約紙が販売されているって、聞いたことありますか?」


『いや、まったく』


「……ですよね」


 そもそも必要性すらまったく見出せてない現状、これ以上考えても馬鹿馬鹿しいのが本音だ。


『だからまあ、ステータス低い上にそんな死にスキルを持つ一般市民を』

『あえて選んだ香田クンにちょっと興味を抱いたわけだ』

『なにかこのスキルの使い道でも思いついたのか?……ってな』


「いやこれは……ははは……ただの事故というか、トラブルというか……」


『キャラメイクに夢中になり過ぎてタイムアップにでもなったのかい?』


「まあ、大体そんな感じです」


『ふむ……まあ多くは問うまい』


 エドガーさんからしたら、一般市民な上にレベルアップもしてなくて装備も無くて、俺はさぞかし不自然なプレイヤーに見えたことだろう。

 遅ればせながら、あの時、妙に親切にしてくれた理由も理解できた気がした。


『そうかそうか。相分かった。感謝するよ』


「いえ……期待に応えられずすみません」


『まあ何かその編集作業に使い道が見つかったらいつでも知らせてくれ』

『その時は俺からも可能な限り有益な情報を提供することを約束する』


「……エドガーさんって、たしか<風迅剣士>ですよね?」


『ん? <一般市民>じゃないのになぜそんなに興味があるのかって?』


「ええ、まあ」


 しばし、間があって。


『……EOEの謎は全部解きたいんだよ』

『ま。つまるところ、この世界が気に入ってるってことさ』


 ニカッと奥歯を見せて笑っているエドガーさんの顔が思い浮かぶようだった。


『じゃあな、また呼んでくれ』


「え。あ、はい!」


 俺の返事を待たずにそれでチャットは一方的に終了した。


「――……さっきの、あの人?」

「えっ」


 声に振り返ると、いつの間にか目覚めていた深山がじっと俺を見つめていた。


「ああ……エドガーさんとちょっと話してた。起こしてごめん」

「ううん。気にしないで」


 ようやく心に平穏が訪れてくれたのか、深山の声はとても穏やかだった。

 さっきみたいな、無理やりに明るく振る舞っている感じとも少し違う。


「……」


 さて、どうしたものか。

 エドガーさんに確認した限りでは、深山に死んでもらって強制的にログアウトにするという離れ業は通用しないことがはっきりしてしまった。

 つまりどうあっても、鈴木たちとの交渉は免れないってことだろう。


「……孝人君? あ、いえ……香田君」

「わざわざ言い直さなくていいけど」

「ごめんなさい……だって…………馴れ馴れしい、かなって」

「じゃあ俺も『深山さん』に戻すべき?」

「やぁんっ!!」


 いらぬことを連想しそうだから、どうかそんな色っぽい声を出さないで欲しい。


「深山、がいい……お願い、そう呼んで?」

「じゃあ俺もせめて『香田』って呼び捨てにしたらどうだ?」

「いや。香田君は……香田君だから」

「地味に勝手だよな、深山は」

「むー……」


 ちょっとした違和感。

 深山の中ではどうやら『くん付け>呼び捨て』というルールみたいだ。

 俺が深山のことを呼び捨てたことは親しくなったことの証みたいなものなので、これじゃ真逆になる。

 ……いや、憎むべき原口や鈴木や岡崎のことも呼び捨てなわけで、これは俺のほうが矛盾しているというか、ルール整備が成されていないだけなのかな。


「じゃあ、どうしてさっきは俺を下の名前で呼んでたんだ?」

「も、もうっ……! 質問、してるぅ……!!」

「あ。ごめっ」


 イカン。どうしても普通に会話してしまうなぁ……。


「ううぅ~……っ……」


 ぷるぷる震えてる深山。

 どうやら話したくない様子で、凄く申し訳ない。


「こ、香田君と……そのっ、こ、恋人同士、になってる想像してる時……妄想の中でずっと……そう呼んでたから…………わたしの中で定着しちゃってて」


 どんな妄想なのか正直を言うと物凄く興味があるけど……もちろん聞けない。


「じゃあやっぱり『孝人』でいいんじゃないか?」

「良くないよぅ…………だって、それ、勝手なわたしだけの……距離感だもん。香田君にとっては、わたしはまだ、少し話したことのあるクラスの女子なだけで特に何かあった、親しい間柄じゃ――」


 そこで言葉が途切れて……深山が顔を真っ赤にさせていた。

『何かあった親しい間柄じゃない』と否定しようとして、たぶんさっきの一連のことを思い出してしまったのだろう。

 まあ……あんなお手伝いまでしてもらって、『何もなかった』というのも確かにそれはそれでおかしいかもしれない。


「じゃあ俺も『玲佳ちゃん』って勝手に呼べば、お互いさまで万事解決か?」

「全然だめだよう!?」


 ちょっとふざけてみせて、会話を逸らしてみた。

 『あのことは気にしないで』とか俺から直接的に言及するのも逆に深山を追い込みそうで、これしかなかった。


「えっと。そろそろ本題に入ろうか」

「え?」


 少し考えてから、自分の誓約紙をポップさせて。


「――今から俺は、本音だけで話す」

「っ!」


 音声入力で宣言するように深山の目前で、誓約紙へと文章を入れた。

 本音で話す時、こうして誓約紙を見せながら伝えることは何より説得力がある。

 誓約紙にはこういう使い方もあるのだ。

 ……いや、むしろ本来はこういうのが正しい使い方な気がする。


「深山玲佳は、嘘を言いません。これから全て本心で話します」

「え」


 深山も俺にならって似たような内容の誓約を入力していた。


「ね……これで、対等」

「ありがとう」


 まるで裸同士で向き合っているような気分だった。

 一時的とはいえ、究極的に互いを信頼し合う関係性がここにあった。


「……震えてる?」

「えへ……うん、ちょっとだけ…………わたし、また孝人君に変なこと言わないかなって心配してる」

「やっぱり本心では下の名前で呼びたがってるじゃないか」

「やだ……さっそく失敗っ」


 舌を出してふざけて見せているけど、深山はやっぱりまだ震えていた。

 そりゃそうだ。深山は俺の何百倍も本心を曝け出す恐怖を知っているのだから。


「深山を安心させたい」

「うん……嬉しい。凄いね、その言葉が本心だって絶対に信じられるって」


 つまり俺の言葉にそう喜んでくれていることもまた真実だということだ。

 確かに凄いことだと俺もそう思った。


「深山を守りたい」

「わたしも……孝人君に、守られたい」


 俺たちの間で、少しだけ熱っぽい視線が交わされる。


「じゃあ、本題……いい?」

「うん」


 俺は一度ゆっくり深呼吸して。


「深山に掛けられたその酷い誓約を、消したいと思ってる」

「ん……ありがとう。嬉しいです」

「だから深山の代わりに、鈴木や岡崎たちと俺から交渉したい」

「ぅ……」


 少し抵抗している深山。でも。


「うんっ……本当はっ……助けて、欲しいっ……孝人君に助けて欲しいっ……」


 深山が抱えていただろう遠慮や躊躇なんて一撃で吹き飛んで、いきなり本音の返事が届いてきた。これだけでも本音で話し合うことにした意味がある気がした。


「あっ、ご、ごめんなさいっ……!!」

「え?」

「わたし……『欲しい』なんて言っちゃった……孝人君に、要求しちゃった」

「ああ。別にいいよ、気にしないで」

「でもっ、それじゃ強制的に――」

「うん、きっと強制力は働くんだと思うけど、でも返事は変わらないかな。もちろん助けるよ。だってこれは俺からお願いしていることなんだから」

「――違う、のっ、違う」

「うん?」


 深山らしくなく顔をうつむかせながら、つぶやく。


「違う……これ、ただのわたしの身勝手なわがまま」

「そうなの?」

「強制力なんかじゃなくてっ……孝人君の言葉で聞きたかった……孝人君の心からの言葉で『深山を助けたい』って……聞きたかっただけ。ごめんなさい」

「ああ、なるほど」


 本当に心が裸みたいだった。

 そんな些細で可愛いワガママ、きっとこの誓約がなかったら聞くことも出来なかったんだろうなと思う。


「子供みたい……恥ずかしい」

「深山、可愛い」

「っ!!」


 ついつい、俺も本音が出てしまった。

 途端にバッと顔を上げる深山だった。


「え、えっ……も、もう1回っ……!」

「あ。いや、これはっ、そんな些細なことに反省している深山が、その」

「もう1回、言って?」

「う…………深山って、可愛い」

「――――~~っっっ……!!!」


 顔を真っ赤にして喜んでくれる深山が本当に可愛い。


「顔を真っ赤にして喜んでくれる深山が本当に可愛い」

「あ、あぅ……ううっ……」


あ、いや、待て、俺。


「あ、いや、待て、俺」

「えっ」

「ヤバイ、ちょっとストップ……中止、これ中止、なんか止まらなくなってる」

「やぁんっ!!!」

「そんな色っぽい声を出さないでくれっ」

「色っぽいっ!? わたし、孝人君から見てそう感じてくれてるのっ?」

「うん、もちろ――だああっっ、もうメチャクチャだぁ!! ストーップ!! ヤバイ、この展開はヤバイってぇ!!!」


 はぁはぁと肩で呼吸しながら慌てて誓約紙へと指を走らせる。

 まあ実質的に無意味だからいいのだが、ついでに今日までログアウトしないという書き初めみたいなあの誓約も消してしまうぐらいの慌てようだった。


「やだぁ!! 孝人君の本音もっと聞きたいっ!!!」

「落ち着け深山……こんなの続けていたら、またあとで激しく後悔することになるぞ?」

「うっ……そ、それはぁ…………」

「な? また恥ずかしい告白とかしちゃうぞっ!?」


 先に言っておくと、もう誓約の強制力は俺に働いてないが、これは本音だ。

 100%、深山を気遣っての発言だということをここに誓おう。

 なので――


「したい……告白、したいっ」

「え」

「孝人君にっ……も、もっと、エッチな恥ずかしい、こと……聞いて欲し――」


 ――正直、この本音の発言は完全に想定外だった。

 慌てて自分の右手で自分の口を塞ぎ、左手で誓約紙に指を走らせてる深山。


「…………っ」

「……」


 この沈黙が、つらい。

 深山は完全に俺に背中を向けて、固まっていた。


「あはっ……あはは……っ……」


 ぎこちない笑い声が聞こえてくる。


「あはは……?」

「あははっ、はははっ……」


 涙をいっぱいに溜めて湯気が出そうなぐらい顔を真っ赤にさせている深山。

『姫』と皆から呼ばれるほど気品高く、いつも涼し気な様子で立つ教室の彼女はもうどこにも存在していないかのようだった。


「あああぁ――っっ、も、もう香田君に、わたし完全っに、変態とか思われてるようっ!!」

「いや決してそんなことはないけど……なんなら、もう一度誓約を――」

「も、もう結構ですっっ」

「――……はい」


 本音トークの空気は、もう深山のキャパをとっくに越えちゃったみたいだった。冗談っぽく流すことが出来ている今のうちに止めておくのが賢明だろう。


「っ……」


 あ、いや。

 それは俺も同じか。


 『もっとエッチな恥ずかしいこと、聞いて欲しい』。

 さっき深山が口走りそうになった言葉を頭の中で補完して繰り返し反芻はんすうし、ゾクゾクとした快感のようなものを得ている俺だった。

 きっとこれは疑似的な感覚なのだろうけど、それでも心臓の音がうるさい。

 頭がクラクラしてくる……まるで麻薬のような異様な興奮状態。


 ――ああ、そうだ。これはきっと麻薬だ。心の麻薬。

 原口のあの表現は言い得て妙だった。

 もっと深山の本音が聞きたい。もっと自分の本音を曝け出したい。

 そんな衝動が心の奥底から湧き出て、俺を蝕んでいく。

 ギリギリさを求めるような凄く危うい快楽。

 こんなの、癖になりそうだった。こんなの麻薬以外の何物でもない。

 止めなきゃいけない。


「うううぅ――っっ……今日、今日は……わたしの人生で最悪の日だぁ……」


 たぶんそれは間違ってないだろうと俺もそう思う。

 だから、頭を切り替える。


「……うん。もう終わらせよう、その最悪な一日を」

「っ!」


 こんな気の毒な深山を助けてあげたい。

 それは紛れもない本心だった。


「これからすぐに交渉してくるよ。上手く行くかはわからないけど……失敗しても、どうか許して欲しい」

「ううん、ううんっ……気にしないで……香田君がいなかったら、わたしきっと、交渉なんてすること自体もできないと思うから」

「深山は、ここで待ってて。その意味はわかるよね?」

「うん…………全部筒抜けになっちゃって、足を引っ張るだけだものね?」

「それもそうだけど……それ以上に、深山の心をこれ以上傷つけたくない。深山の気持ちを守ってあげたい」

「え」


 思っていたよりキザっぽい台詞になっちゃったので、真っすぐな深山の視線からついつい逃げてしまう俺だった。


「もし交渉が成功して……深山の誓約を消すことになったら、呼ぶから」

「……お願いします」


 妙に恥ずかしくて仕方なく、視線を空へと逸らしたまま立ち上がる俺。

 見上げる空はすっかり暗くなり、星が瞬いていた。


「じゃあ、行ってくる」

「うん。無理しないでね……」


 そのまま深山を置いて森の中へと歩き出す俺。


 ――後で少し後悔することになった。

 別れ際ぐらい、深山の顔をもっとちゃんと見ておけば良かった、と。



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