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#010 最悪な一日(中編)

「深山さん、嘘ついてるよね……?」


 ――先に言っておく。

 これは俺の紛れもない本音であり、意図した言葉であり、決して誓約なんかで不本意に操られての発言ではない。

 仕方がなかった、なんて言い訳は使わない。


 俺は、どうしても確かめたかったんだ。

 それは恩着せがましいと思うけど、彼女を救うために必須だと思ったから。

 ただの仲間割れとか、いじめとかならここまで踏み込まない。

 彼女の嫌がることをしたりはしない。

 

 でも、彼女は『ログアウトできない』のだ。

 

 このゲームに閉じ込められた。

 それは明日から現実の日常を送れないことを意味している。

 学校に行けない。

 授業を受けられないから単位も取れない。

 長期で無断欠席とか、内申書はボロボロだろう。

 いや、それすら可愛いものだ。

 きっと失踪とか誘拐とか、大騒ぎになるだろう。

 警察沙汰になるだろう。

 俺がここにいると証言して、強制捜査になって……それでようやく彼女は解放されるぐらいの大ごとだ。

 当然そこまでいけば、あいつらも刑事事件の犯人ということになる。

 同時に全EOEプレイヤーから恨まれることになるかもしれない。

 ……いや。1000万円を得られる資格のあった人から、殺されかねない。

 それは当事者の深山さんや、通報者の俺に矛先が向くかもしれない。

 そもそも警察に保護されるまでの長期間このゲームにログインし続けて、彼女の肉体は大丈夫なのだろうか?

 『一週間を目途にログアウトしろ』というような警告があったはずだ。


 つまりこれは、もはや生き死に近い問題だった。

 少なくとも彼女の今後の人生に直結している。


 ――なので俺は、例え彼女から嫌われても、憎まれても、そうならないように未然に防ぐようにしなきゃいけないと思った。

 鈴木や岡崎と話して、交渉して……土下座でも何でもして、あの誓約紙に書かれた酷い内容を消してもらわなきゃいけない。


 何も聞かずに、手ぶらで鈴木と岡崎の元に戻って、事情もわからずにひたすら『消してくれ』とお願いしても、たぶん上手く行かない。

 彼女を殺す……とまでいかなくても、人生を狂わせたいと思うぐらいに憎んでる相手に、第三者の俺がどうこう言っても動くとは思えない。

 理想は、誓約の入ってしまった深山さんの代理人だ。

 第三者じゃなくて当人の代役なら、まだギリギリ、話し合いのテーブルにつく資格が俺にもある。そう思う。


 そのためには正確な情報が、どうしても必要だった。


 ――だからこれは、誓って、俺の意思だ。

 確かにさっきから自然と口が動いて言葉が出ていることは自覚している。

 本音を言いたくて言いたくて仕方ない、そんな衝動に駆られていた。


『そこの彼女とちゃんと向き合って納得いくまで本音で話して欲しい』


 あのエドガーさんのアドバイスが、俺の誓約に抵触していたのは事実だ。

 だから納得いくまで、本音で話をすべく強制力が働いている。

 それもまた事実だ。

 でも違う。


 俺は、俺の意思によって、これから深山さんを傷つける。


 それを誰かのせいにして逃げるつもりはない。

 『仕方ない』とか、そんな言い訳は許されない。

 どんなに憎まれていい。

 それでも俺は、目の前の彼女を救うと、そう決めたんだ。


「えっ、ど、どうして、質問――…………う、嘘、ついて、ないです……!!」

「じゃあ、改めて質問。意図して凄く重要な情報を隠してないか?」

「こ、香田君っ、どうしてっ……こん、なぁ……!!」

「謝らないよ。答えて」

「う、ぐっ、んあっ…………――は、ぃ……凄く重要な、こと隠して、ます」


 一度は自分の手で口を塞ぐが、そんな抵抗は数秒しか意味を成さなかった。

 やはり彼女は、彼女自身が思うほどの『すごく重要』なことを隠していた。

 これがさほど重要なことじゃないなら、こうは答えないはずだ。


「質問。それは鈴木や岡崎と和解するためには絶対に避けられないこと?」

「ふぇ……っ……は、はいっ……絶対にっ、避けられ、ませんっ……」

「質問。それはもしかして……鈴木を酷く傷つけた内容?」

「はいっ……わたし、酷くてぇ……っ……鈴木さん、を……傷つけた……っ」


 ここまでは、さっきの推論でほぼ得ていた予想だった。


「質問。俺にはどうしても話したくなかった?」

「無理っ……香田君には、絶対に……話せないっ……!!」

「この先も、ずっと話すことはなかった?」

「死んでもっ……は、話せるわけ、ない、よぅ……!!!」


 それを今から俺は、無理やりに聞き出すのか。

 気分が憂鬱にならないと言えば、嘘になる。


「改めて質問。この問題……深山さんだけで解決できそう?」

「う、うんっ!!!」

「えっ」


 その答えは、少し意外だった。

 そして……であれば、俺は無暗に彼女をこうして傷つけたことになる。

 途端、たまらない罪悪感で心が押し潰されそうになる。


「――――嘘、です…………無理……こんなの、無理っ…………」

「っ……!!」


 抵抗を諦めた深山さんが、力なくうなだれて訂正する。

 それで俺の、ここまでする動機が肯定された。


 そうなんだ。深山さんなら……。

 深山さんが自分でどうにかできることなら、絶対に正面からとっくに向き合ってるはずなんだ。

 俺がこんなことする前に、正々堂々と主張を唱えて、どんなに時間が掛かっても相手と戦ってる。

 彼女は逃げない。

 彼女は屈しない。

 彼女はどこまでも高潔だった。

 その彼女が、逃げの一手なんだ……つまりそれは、『解決できない』と彼女が強く絶望した何よりの証拠に感じた。

 さっき、過度に怯える彼女の瞳を見て、その確信に至った。


 『なぜ解決できないのか?』。

 その疑問はそんなに難しい答えじゃないはずだ。

 たぶん間違いなく、それは彼女に科せられている誓約に違いなかった。

 ……当たり前だ、そんなの!

 質問にはどんな内容でもすべて正直に答えなきゃならないなんて、無理だ。

 そんなハンデで憎まれている相手と交渉なんて、出来るはずがない。

 とっくに彼女は誠心誠意、心から何度も謝っているだろう。

 考えられる言葉すべてを尽くして、その結果で、これなんだ。

 そこから先はもう、絶望しかない。


 俺がしゃしゃり出て解決できる保証は何もないだろう。

 むしろ失敗する可能性のほうが高いかもしれない。

 ……でも。

 それでも深山さんが解決できないなら、俺がやるしかなかった。

 何か求められたら差し出すしかできないような俺であっても、それがバレてないならまだマシだ。

 生々しい話になるが、例えば金で解決できるならそういう話は代理人からしたほうがいい。変な感情が入らず、淡々と処理出来るはず。


「――深山さん。これから酷な質問を俺はする」

「い、いやぁ……っ!!!!」

「今度こそ謝るよ。ごめん。こんな無理やりな聞き方をして」

「許してぇ……お願い香田君、許してええぇっ!!!!」


 気持ちが揺らがないわけがなかった。

 こんなに嫌がってるのに、それでも問い詰める必要があるのだろうか?

 ……俺自身も不安で不安で。

 だからここまで、こんなにも沢山のことを考えた。

 そうやって理詰めで『俺は間違えていない』と確信しなきゃ、無理だった。

 そろそろ俺も観念しよう。

 長々と考えることを、ここで止めると――


「深山さん、これで最後の質問だ。俺に黙っていたその『凄く重要な情報』ってどんな内容なんだ? そのすべてを俺に細かく説明してくれないか?」


 ――最後の秘密の扉を開け放つ、そんな呪文を唱えた。


「あ、ぅ…………あ……ぐっ、い、いや、ぁ……っっ……」


 彼女が自分の頭を抱えて抵抗する。

 頭を振り回し、何度も何度も声をあげ、荒い息を吐いている。

 驚くほど彼女の抵抗は凄まじく、数十秒が経過しても、答えが出てこない。


「……」


 俺はただ、静かに抵抗を続ける彼女を見届けるしかできなかった。

 今さら撤回できない。優しい声を掛けられない。

 俺は、彼女の加害者なのだから。


「…………――質問……、され、たの…………」


 それからさらに数分が経過して。

 消衰しきった彼女の口から、淡々と言葉が紡がれる。


「質問? どんな内容?」


「色々なことを、根掘り葉掘り聞かれちゃって……あはっ……わたし、凄く困っちゃった……鈴木や岡崎や久保のこと、どんな風に思ってるか……本人たちに直接聞かれて」

「……酷いこと、言っちゃった?」

「わたしはそう、思ったけど…………でも」

「でも?」

「笑ってた……ちょっと、嬉しそう、だった…………なんだ、その程度かよって安心してる、みたいだった……」

「……そっか。裏表のない深山さんらしいね」

「――わたしらしい、って何……?」

「え」


 それは、自動的に話をさせられている感じじゃなかった。

 深山さんの、感情が乗った言葉が俺へとナイフのようにギラリと向けられる。


「孝人君は……わたしのなに、を知ってるの……?」

「……そうだね。軽々しくわかったようなことを言って、悪かった」


 下の名前で呼ばれたことを、俺は内心凄く驚いた。


「違うの、違うっ! そうじゃなくてっ……隠してたのは、わたしでっ……!」


 彼女はもう、半分錯乱状態に思った。

 心の壁が崩れてきてしまっている。

 止めるべきなのだろうか?

 ……いや、強制力が発動した後はもう俺の意思も関係なく、最後まで説明するまでたぶん止められないだろう。


「汚いのっ、わたし、本当は汚く、てぇ……っ……!!」


 汚い。あるいは汚れてる。

 何度か出ている、たぶん今回の核心の言葉。

 いったい、これだけ真っすぐな深山玲佳の何が汚いというのか。

 1年の時にいじめられていた相手に対しての本音ですら、当人に笑われてしまうほど大した憎悪の感情も持ってなかった彼女の、どこが汚いというのか。


「――次に、好きな人は誰だって……そう質問されたの」

「そんなの即答だった。香田孝人君だって、わたしはすぐに答えた……今、ここに孝人君がいて……それで追いかけて来たって、みんなに説明した」

「ずっと誰かに話したくて……でも言えなくて……だからむしろわたしはどこか喜んでたぐらいなの。女の子同士で恋の話とか、憧れてた」


 正直ここまで聞いて、まだ俺はまったく先の展開が見えなかった。

 よくある女子高生のよくある秘密の話の延長上じゃないか。

 どうしてここから……ああなってしまう?


「皆、びっくりしてた……あり得ないって、笑われた……」

「ははは……うん、俺でもそんな反応かもしれない……」

「――どう、して?」

「え」

「わたしが孝人君のこと、好きなの……憧れるの、そんなにおかしい?」

「……うん、おかしいと感じた。不釣り合いだと客観的にそう思う」

「わたしが汚い、から……?」

「違う、全然違う。そうじゃない……俺が見劣るから。深山さんの隣に座るには、俺はふさわしくなくて、あり得ないから」

「勝手に……そんなこと、言わないでっ……!! 孝人君、カッコイイよ!? 優しいよっ!? ステキだよ!!」

「……うん、ありがとう。まだ信じられないけど、嬉しいよ」

「――皆、それがわかってなくて……あぁ、でも、わかってしまうと、皆、孝人君のことが好きになってしまうから、それでいいのかなぁ……」

「ははは……ありがとう」


 深山さんは、半分寝ているような感じになっていた。

 心が離反しすぎてある種の逃避の果てなのかもしれない。


「それでね……それ、で――……っっ…………い、いやあっっ!!!」

「っ!?」


 また、突然の拒絶反応。


「やだあっ、やだよぅ……話したく、ない、よぅ……!!!!」

「ごめん……聞かせて欲しい」

「嫌われ、たく、ない……よぅ……っっ……」

「嫌わない。約束する。むしろ嫌われるのは俺のほうだろ?」


 まだ、俺のことを好きでいてくれていることが、素直に驚きだった。


「許してぇ……許してっ……やだっ、やだあっ……!!!」


 何度も嫌々と首を振り回して、取り乱していた。

 俺へと手を伸ばす。

 俺はそれを受け止めることぐらいしかできなかった。


「孝人、くぅん……嫌いにっ……なら、ない、でぇ……っ……」

「絶対に嫌わないから。約束する」


 俺の手を掴んで……それで彼女は最後の心の鍵を解き放った。


「――鈴木、さんに……質問、されたの……」

「うん」


 力なく彼女が、笑う。


「孝人君、で……」


 しばしの沈黙。


「してる、のかっ……てぇ……」


 あまりに想像もしてない話になって、一瞬、意味がわからなかった。


 そこからは堰を切ったように深山さんからの赤裸々な告白が強制的に垂れ流された。

 好きな男性――俺、に対して抱いている劣情とそれに伴う行為のすべてを曝け出す。

 いや。正確にはその赤裸々な告白は当時、鈴木からの尋問によって強制的に聞き出されてしまった内容への説明だった。

 あまりに過激でプライベート過ぎるその告白内容。

 俺の脳は彼女の言葉を理解することを拒否していた。


「どんな風にしてる、かっ、聞かれて、わたしは――」

「もういいっ、もういいって!!」

「わたしっ、直接触れ――」

「深山、もういい、深山っ!!」


 俺も俺で無我夢中だった。

 強引に彼女の口の中に手を突っ込んで黙らせようとしても無駄。

 完全に俺の手のひらの肉に彼女の歯がめり込み、骨まで到達する。

 そこまでして妨害する俺の手を排除し、告白は細部に渡り最後の最後まで続けられてしまった。

 誓約の強制力は絶対だと改めて思い知らされる。


「うああああぁぁぁぁあああ――――っっ……!!!!」


 すべての告白を終え、深山玲佳が顔を覆って泣いている。

 まるで赤ん坊みたいに顔をぐしゃぐしゃにして、泣いている。


「…………」


 俺は……放心状態だった。

 人の秘密を聞かせてもらうことの罪の大きさに、愕然としていた。

 まったく想像力が、足りてなかった。

 自分が犯してしまった罪の深さで、何も考えられなかった。

 そんな俺に――


「こ、こぅと、くぅんっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいいいっっ!!!」


 ――叫ぶように、深山さんが謝罪してた。

 なんで、深山さんが謝る??

 まったく俺は……理解、できなかった。


「こうとくんっ、こうとくんっ、許してぇ、許してええぇぇ……!!!!」

「深山は悪くない! 何も悪くないっ!!」

「汚いっ、わたし、汚い――っっ……!!!!」

「そんなことないって! 深山はキレイだ!!」


 言葉だけじゃ足りないと思った。

 強引に抱きしめて、それを体現する。


「嫌ぁっ、こうとくん、汚れるっ、いやぁ!! ごめんなさいっっ!!!」

「汚れないからっ!! 全然汚れないからっ!!」

「ひあぁぁっ……許し、てぇ……汚して、ごめんな、さぁいっ……!!」

「こんなの普通なことだからっ!!」

「許してぇ……っっ……汚い妄想でぇ……勝手に汚してぇ……!! こんなの、こんなのっ許されない……っ……絶対に、許されないのっっ……!!!!」

「――――っっ……!!」


 汚い妄想で、勝手に汚す。

 ふと、どこかで聞いた下りだと感じた。


『てめぇのほうがよっぽど汚ねぇっての!!!! 死ねっ!!!!』


 ……違う。これじゃない。

 確かにこれは、鈴木の台詞で、きっと深山からの告白を受けての罵声だろう。

 でも違う。

 もっともっと前に、どこかで俺は――


『そうじゃない。勝手な想像で誰かを汚すのが好きじゃないの』


 ――あ。

 俺が接点持ちたくなくて、教室で寝ているフリをしていた時の、あの会話。

 それでようやく、全てが繋がった。


『なぁにが勝手な妄想で汚すなだよっ、偉そうにばっかじゃねぇのっ!!!』


 涙ながらに叫んでた、鈴木の言葉がもう一度蘇る。

 それで確信した。


「深山は、鈴木に、自分の汚い部分を重ねて見ていたんだな……」

「――――っっ……!!!!」


 まともな言葉にもならない悲痛な声。

 嗚咽を漏らし、ぐしゃぐしゃに顔を歪めて深山が再び号泣する。


「自分に対する不快感を……軽蔑を、鈴木に当てちゃった。それがわかった鈴木は……そりゃ怒るよね……清く正しいこと言ってる本人がそれかよ、って」

「ごめ、ん……な、さ……っ……えぐっ……ごめっ……!!」

「でも、ちゃんと謝ったよね?」


 うんっ、うんっ、と何回も何回も深山はうなずいて見せてくれた。


「うん。今回は深山も悪かった。間違ったことは言ってないけど、でもその言葉は鈴木に向けられていたわけじゃなくて、本当は自分への屈折した批判で……そんな自分勝手な感情に、鈴木を巻き込んだという意味合いは否定できない」

「えぐっ、ん…………そう、だと、思うっ……!!」

「うん……失敗しちゃったな? なるほど、深山でも失敗することはあるんだ? 確かに俺は、深山のこと全然わかってなかったかもしれない。ごめん、勝手に深山を神様みたいに祭り上げて……それは居心地悪かったよね……」

「ひぐっ、えぐっ、ひっく……ふえぇっ……!!!」


 ずっとずっと、深山玲佳はそうしてきたのだろう。

 俺だけじゃない。

 まわりほとんどすべての人から、勝手に高潔で清く正しい姿を押し付けられて。

 その皆からの期待をどうにか応えようと無理して頑張って、頑張って……。


「つらかった、よぅ……っ……!!!」


 ……こんなに矛盾だらけになって、問題を抱え込んで、ボロボロになっていた。


「深山は頑張ったなぁ……凄いな……偉いよ」


 俺が深山へと手を伸ばすと……一度、びくっ、と震えて身を強張らした。

 それからゆっくりゆっくり、その綺麗な髪に手を置いて、撫でる。


「ふぇ、ふええぇぇ……っっ……っ……」


 ここにいるのは、クラスの中心で清く正しく演じていた強気の深山さんじゃなかった。

 誰にも本当の自分を見せられてなくて苦しんでいた、深山玲佳という不器用で真面目なだけの優しい女の子だった。


「わたし……きた、なく……ないっ……?」


 まるで幼児みたいに怯えた瞳で心配そうに俺を見上げる深山。

 安心させたくて、安心させたくて……俺の心は張り裂けてしまいそうだった。


「ああ。汚くないよ、全然。凄く普通なことだよ」

「……っ……!」


 そのままゆっくり、深山の横へと並ぶように俺も寝そべる。

 不思議そうにじっ……と俺を見つめる、深山の濡れた瞳。


「好き……です……っ」


 なんでこんな簡単なことに、気が付かなかったんだろう?

 無垢な澄んだ瞳は、幼さの証だった。

 真っすぐに逸らさない瞳は、逃げることを選べない不器用さの証だった。


「ありがとう」


 震える深山を胸にしまい込むと……それで最後の防波堤は決壊したようだった。

 深山はまたわんわんと泣き出して、自分から俺の胸の中へと深く顔を埋める。


「好き……好きっ……」


 そしてそのまま、何度も何度も無我夢中になって俺の首筋にキスを繰り返す深山。

 いや、キスというよりもはやそれは『舐めている』という感じだった。


「んっ……んんっ……んっ……」

「ははっ……くすぐったいよ」


 俺からは何もしない。

 子供のようになって甘えて来る深山にすべてを委ね、好きにさせてあげた。


 心の負担は想像を絶するレベルだったのだろう。

 それからしばらくして深山は泣き疲れたのか、すぐに眠りについていた――


 ◇


「――おい……そろそろ復帰しろよ……深山ぁ……」

「…………」


 目の前に、巨大なおまんじゅうみたいなものが存在していた。

 名づけるなら深山まんじゅうか。


「おーい……もう日が暮れるぞぉ?」


 深山は、自分の魔法使い用の装備であるマントを使って中に隠れていた。

 俺も風邪が酷い時に頭から毛布を被るけど……まあ、あんな感じだ。


「可愛い深山ちゃーん」

「がわいぐないもんっ……!!!」


 涙声で唐突に反論する深山。もちろんまんじゅう状態のまま。

 ……さっきからずーっと、あんな感じである。


「……」


 参ったなぁ。

 完全に降参の俺は他の手立ても思いつかず、自分の頬をぽりぽりとかく。


「……ん? ――すんすんっ……」

「ちょ、ちょおおおっっ、匂い嗅がないでぇぇ――!?!?」

「うおっ」


 ようやくまんじゅうの中から深山が飛び出してくれた。


「いや……なんか……癖になる感じで、俺、嫌いじゃ――」


 ――どばどばどば……。

 顔を真っ赤にしている深山がすかさずアイテム欄から食料アイテム『水筒』を取り出し、強制的に俺の手首から先を凄い勢いで洗い流す。


「……ぺろ」


 お返しに俺は水に濡れているその中指を舐めて見せた。


「ふきゃあああぁぁ――っっ!?!? や、やめてええっっ!!! だめぇっ、き、汚いようっっ!!!!?」

「ううん、全然汚くないよ……?」


 俺はいたって真面目に答えた。

 冗談っぽいやり取りだけど、でもたぶんここは凄く重要だと思った。

 実はさっきから俺は、深山を前にしてこれをやって見せたかったのだ。

 言葉だけじゃなく、行動でそれを証明したかった。


「あ、ぅ……あぅ、あうぅ……っ……」


 ガクガク震えて涙をぼろぼろ落として、顔から湯気が出そうなぐらいこれ以上なく真っ赤な深山が、再びまんじゅう状態へと戻っていった。


「ううぅー……死ぬ……死ぬぅ……っ」


 俺は生まれて初めてこの表現を使うんだが……深山って意外と『ひょうきん』だと思う。普段の生活の中でまず口にすることのない単語だが、他に相応しいものが出てこないんだから仕方ない。

 あんな酷いことがあった後なのに、意外と明るい空気でびっくりしてしまう。たぶんそれって深山なりの配慮で……だからそれに便乗しない手はなかった。


「まあ……気持ちはわかるけどさ……こう、俺も夜中に変なテンションになっちゃって、ポエムみたいなの書いちゃってさ、翌朝読んだ時にすげぇ後悔したし」

「そんなのと一緒にしないでよおおっ!?!?」

「お」

「あっ……!」


 一瞬、上半身がまんじゅうから飛び出したが、目と目が合った瞬間にシュッとまたしても元に戻ってしまった。


「あああぁぁぁああっっ……ばかだ、わたし、ばかだあああっっ!!!」


 まんじゅうの中で、悶えて叫んでる。


「もうしない……絶対にしないっ……絶対にもうしないんだからあっ……!」


 それはそれで……その、少し残念だ。うん。

 あの時の素直に甘えて来る深山、すごく可愛かった。


「違うのっ、あれ、違うのーっ……!!! こ、こうっ、気持ちが、ふわぁ……ってなっちゃってぇ……っ!! 寝ぼけたみたいになっちゃってぇ……!!!」

「ああ、そういうのあるよね、わかるわかる」

「テキトウな相槌打たないでぇ――っ!!!」

「おっ」

「はひっ……!!」


 またしても一瞬だけ顔を出した深山。


「おーい……そろそろ観念して出ておいで~」

「ううぅ――っ……!!! 先立つ不孝、お許しくださいぃ……っ!!!」

「死ぬなーっ、大丈夫大丈夫! 全然平気っ!」


 そろそろ本気で勘弁してもらいたい。ため息が漏れる。


「おーい……深山さーんっ」

「今さら『さん』とかそんな他人行儀な呼び方に戻さないでぇぇ……っ!!」

「は、はいっ」


 ……いや。改めて思うが、あの心がぐちゃぐちゃな状態から、正直よくここまで回復してくれたとそう思う。

 深山は今も潰れそうな自分の心に耐えて、極力普通な応対をしてくれている。

 俺は確信する。

 号泣してて病弱で清楚可憐なイメージとは裏腹に『深山玲佳は強い』。

 凄い。心から尊敬する。

 さっき俺は『汚す』と表現した。

 そう。もし俺が深山の立場で。

 好きな人に対して強制的にあんな極めてプライベートな劣情の告白をさせられたら、自尊心が傷ついて……自分が余りにも汚物のように思えて、心が潰れてしまっているだろう。

 少なくともきっと耐え切れず、どこかに逃げ出してしまうに違いなかった。

 でも、深山は今もこうして逃げずに目の前に居てくれている。

 それどころか、ちょっとふざけたような反応をわざとして、深刻にならないように気遣ってくれている。

 無かったことにしたり逃避したりせず、ちゃんと向き合い、どうにか笑い話にして、羞恥心に潰れそうな本当の自分と上手に折り合いをつけようとしているんだ。

 だから、凄い。彼女は本当に凄い。徹底的に褒めてあげたい気分だ。


「じゃあ……玲佳?」

「ひうっ!? は、早いからっ、それっ、まだ早いからあっ!!!」

「そ、そうですか……」


 だから彼女の気が済むまで、トコトン付き合おうと思う。

 今の俺にできることは、それぐらいなのだから。



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