#077a カマイタチ ~初級編~
「――……っ……っ……?」
俺は目の前に立っている凛子に小声で話し掛けるが、『?』と首を傾げて心配そうにこちらを見ているばかり。
肺の空気が漏れ出るだけで、何も伝わってないようだ。
凛子からも何かをつぶやいてくれているが、やはり聞こえない。
まるで音声が途切れたTV中継のようである。
そうしている間に。
「――あ、来た」
突然の風に包まれ、俺は声を取り戻した。
「香田……だいじょぶ?」
「ああ。残念ながらまったく大丈夫だった」
午前0時過ぎの路地裏はこの賑やかな街中において絶好の実験場だった。
周囲を巻き込むような強大な魔法でも発動しない限り、誰の目にも触れないし建物の中のように被害を心配することもない。
特に『風』の魔法使いである岡崎へと新規の魔法を創るというなら絶対に屋外であるべきだろう。
なぜなら風属性の利点はいつぞや凛子が車内で教えてくれた通り『効果範囲が一番広くて、そこそこ速くて、そのかわり威力が一番弱い』のだから。
しかも岡崎はポテンシャル値で『射程』ばかり底上げしている。
その結果、実際に確認してみたところざっと60mほど遠くまで魔法を届かせることが可能で――つまり相応の広い場所がこうして必要なわけだった。
ちなみに深山の魔法が20mそこそこの射程だから、それに比べて軽く三倍ほども長く広いことになる。
「もうっ、残念ながらって……うー……」
心配してくれている凛子には悪いが、またひとつ風魔法の弱さを確認してしまった以上はそんな感想が率直なところである。
「コーダ、苦しくなかったの?」
「たかが30秒ほどじゃ、特には息も切れないよ」
メイン通りで待っててくれていた凛子を呼び寄せ、岡崎入れて三人で新規魔法の実験を繰り返している俺たち。
今、実験したのは『俺の周囲の空気を減らす』という魔法だった。
そう。あくまで『減らす』程度。
空気を完全に無くすることは岡崎の魔力ではとても不可能だったので、苦肉の策として俺の顔を包む程度の範囲で可能な限り空気を減らしてみたわけだ。
それで酸欠になって倒れたりとかすれば攻撃としてかなり強い訳だが……実際はご覧の通りである。
被験者の俺は呼吸の難しさを強く感じたものの、効果が30秒も持たないのでは軽く息を止めるだけでなんとでもやり過ごせられる。
強いて言えば、スタミナ切れを起こして荒い息を繰り返している相手に使えば嫌がらせのようなことはできるだろうが、しかしそれもその場から一歩でも動かれてしまった途端にあっさり範囲から外れてしまう。
それを追尾することは現行の技術ではほぼ不可能。
かといって範囲をもっと広げようとすると、今度は岡崎の魔力も容量も全然足りなくなってしまう。
結果的に実用レベルでは『ん? ちょっと呼吸しづらいかな……?』と気のせいレベルにしか空気を薄くすることができないだろう。
その上で今回の実験で得た副産物としては、振動を伝えるべき空気が薄くなったことで音が伝達しにくくなった点と、気圧の低下による耳鳴りの症状、顔の張り、あと空気を抜くことで周囲の気温が多少落ちたことぐらいだろうか。
「うーん……困ったぞ、これは。想像以上の攻撃力の低さだ……」
もし深山がここにいたら、きっと嬉しそうにこの顔を眺めるんだろうなぁ……だって今、俺はここ最近で一番悩んでいるのだから。
「ねえ香田。こう、カマイタチみたいなの起こして切り裂けないの?」
凛子が不思議そうに悩んでる俺を見上げている。
「どうやって?」
「えっ!? そ、その、こう……? 真空で……??」
「うん。真空を作った。それで?」
「ご、ごめっ……もしかして怒ってる?」
「もしそう感じたのなら謝るよ。ごめん……全然怒ってない。ただ理論的な答えに辿り着きたいだけなんだ。もうちょっと付き合ってもらっていい?」
「う、うんっ」
――すまない、凛子。
全然怒ってないけど、本音を言うと少しばかり物足りないと感じてる。
深山みたいにもっとガンガン意見が欲しい。
その願いが言動に現れてしまったようだった。本当に申し訳ない。
「それで、真空でどうやってカマイタチみたいに相手を切り裂こう?」
「えっ……うー……真空だと切り裂かないの?」
「物理的に考えて、まず切り裂かないと思う。つまりそれって気圧差の境界面か、あるいは気圧の落差そのものによって物を鋭く破壊するだけのエネルギーが生じるか、という話になるんだろうけど……」
ちょっと悩んで。
「水を例えに考えると簡単かな? 凛子がプールの中に潜っているとする」
「んむ」
凛子の水着姿、見てみたいなぁ……なんて邪念は捨てておこう。
「その潜っている凛子のすぐそばの水をコップ一杯分無くすと、凛子の身体はスパッと切れたりすると思う?」
「うー…………全然しない気がっ!」
「だよね? そっちに引き寄せられるぐらいのことはあるかも知れないが、せいぜいそれが限界。つまり真空で切り裂くことはたぶん不可能だと思うよ」
「それ、世にある風の魔法ほぼ全否定じゃん!?」
「まあそこは空想のファンタジーだから……」
「でもここもゲームの中じゃん!?」
「これは物理だから」
「うーっ……」
そもそもにおいて真空というのは『何もない』なのだから、その空間を作りだすことはできてもそこから先の操作は不可能だ。
風の魔法は『空気』を操るのであって、『何もない』空間の位置を操れるわけがない。
だからおそらく凛子が思い描く『カマイタチ』みたいな真空の帯状のものが敵に襲い掛かり、スパッと切り裂く――みたいなのはそっちの観点でも技術レベルで到底無理なのである。
さっきの、敵の周辺にある空気を減らす魔法が追尾できないのもまったく同じ理由。
まあ逆に言うと、ファンタジー的な表現における『虚無』なんて属性がもしあればそれは実行可能なんだろうな。
「真空はやめよう。どうやら燃費が酷く悪いみたいだ」
「そーなのぉ? どして?」
「おそらく全方向に対して隙間なく気圧を押し返す膨大なエネルギーが必要になるからだ」
「ふーん??? へぇー……」
わからないことをわからないまま受け止める、頓着しない岡崎はその説明だけでわからないなりに納得してしまった。
それってすごく良い長所だと思うけど、しかし追及し研究する場面ではどうにも話が進まなくて困ってしまうな。
「凛子のイメージで行くなら、真空にするんじゃなくてむしろ空気の塊をすごいスピードでぶつけるべきなんだろう」
「あ! ビュッと鋭い風!」
「そう、そっちなら結果的に『カマイタチ』に近いことができるかもしれない」
「「おーっ!」」
凛子と岡崎が揃って期待の声を上げてくれる。
実験自体はほぼ失敗だが、おかげで次への光明が見えた。
「それはお安いのぅ?」
「ぷっ……ああ、きっとずっとお安い。さっきのプールの例えで行こうか。プールの中からコップ一杯の水を抜いて、その抜いた空間へとプールの水が入り込まないようにするのはいかにも大変そうだろ?」
「……ってゆーか、普通に考えて無理じゃネ?」
「そうだな。魔法がない現実の場合だと入り込まないように隙間のないカプセルみたいな物質的な壁を作らなきゃその虚無の空間を維持できないだろう。水圧が強いならさらに耐久性も求められる」
「うんうんっ」
俺が両手で小さな空間を包み込むようにしてカプセルをイメージさせると、凛子は『すごくわかりやすい!』って感じで力強くうなずいてくれた。
「対して、コップ一杯の水を勢い良く噴き出すというだけなら、全方向を隙間なく包むなんて面倒で難しい条件もまったく必要なく、シンプルに一方向へと可能な限り高速で移動させるという指示を出すだけだ。風の魔法は移動速度がそこそこ早いという性質もあるから、属性としてもこれにマッチしているだろう」
「うんっ、確かに……!」
「……」
「こ、香田……? やっぱり何か、怒ってる……?」
「えっ!? ああぁ……ごめん。ただ悩んでるだけだから。勘違いさせて本当にごめん」
真剣に頭を下げると凛子――となぜか岡崎までシンクロしているみたいに両手をバタバタさせて『とんでもない』と否定してくれていた。
「というわけで、次は空気の弾丸のようなモノを試してみよう。たぶんこれが風として一番攻撃力の高い魔法となるはずだ。ふたりともそこでちょっと待っててくれ」
「へーい!」
俺は近くの壁に寄りかかりながら座り込み、自分の誓約紙aの辞典みたいな束を取り出した。
深山と築き上げた魔法のノウハウをすでに岡崎にも移植している。
具体的には、魔法の宣言時に俺の誓約の記述を参照するようすでに岡崎の誓約紙へと書き込んである。
だから根本的な構成の見直しでもしない限り、魔法の追加や修正はすでに俺の誓約紙への記入作業だけで成立する仕組みなのだ。
これをプログラム用語にならって『処理分割化』と俺は呼んでいる。
「……あの、香田?」
「ん?」
俺に寄り添うように凛子が隣に座って……そして俺の肩にもたれ掛かる。
あれ? 岡崎の目の前なのに珍しいな。
「どうかした? さっきの気にしているなら……もう一度ちゃんと謝りたいけど」
「ううん、ううん。違う」
まるで顔を埋めるみたいに、俺の肩口に頬ずりを繰り返す凛子。
「私……これから未ちゃんのとこ、行ってくるね?」
「こんな夜中に、未のところに? そういやアイツって――」
「――まだ、ダンジョンの中に居るの」
「おいおい……」
ダンジョン内で死んだら全部パァになるって、ちゃんと伝えたよな?
「外に出たら効率悪いから、可能な限り潜ってるって」
「そっか……さすが効率の鬼となる重度のゲーマー。徹底してる」
「だから、役に立ってくる」
『役に立つ』という表現にちょっと違和感を抱いた瞬間――
「私、ここに居ても……役に立てそうにないしっ」
――そう眉を下げて微笑みながら、俺の内心の疑問へと回答してくれる凛子だった。
ああ……足りないなぁ、俺。
そりゃ凛子が勘付かないわけないか。
『ごめん』と謝るのも違う気がして上手く言葉が出てこない。
「ありがとう」
「ちょ、まっ――……んんっ」
凛子が人前でこういうことするのあまり好きじゃないのはわかってるけど、でもこれしか今は方法が思いつかなくて、気持ちを込めてほんの軽くだけど凛子の唇を奪った。
「も、もおっ……!!」
「ごめん、つい」
「つ、ついってぇ……こんなにしてもらったら、しばらくお願いできないじゃん……!!」
顔を真っ赤にして凛子が勢い良く立ち上がった。
「え? さっそくもう行ってくるのか?」
「うんっ……未ちゃんひとりだと心配だしっ!」
未は決して無謀な冒険をするタイプじゃない。
むしろ効率の鬼としては死亡リセットによる経験値ロストなんてものは最も危惧するリスクのひとつに違いないわけだし、確実に倒せる敵を相手にセーフティな場所でしか狩りはやらないと思う。
「頼むよ。未の背中、守ってやってくれ」
でもそうじゃなく、未の『狂戦士』という職業自体が危ういのだ。
簡単に言えば傷を負えば負うほど強化されるというそのロマン溢れるスキルは『ピンチにメチャクチャ強い』と解釈することもできる。
ただし『想定している敵に対しては』という一文をそれに加わえたい。
例えば100の体力があったとして、95のダメージぐらいまでは耐えられる――いや、耐えたいと考えてしまう。
連発できないスキル発動だし、せっかくなら最大の効率をもって発動したいと考え、仕組みとしてどうしてもギリギリまで耐えたくなってしまう。
だがもしそんな時、想定外の敵からたった5のダメージをポコンと背後から食らってしまうだけで……もうおしまいなのだ。
これがおそらく『狂戦士』の危うさ。
受けたダメージをそのまま蓄積し、後に攻撃力として一気に解放できるという強さの代償として、まるで限界まで膨らませる風船のように想定外のアクシデントにめっぽう弱いのだ。
だから未が自分のスキルをいかんなく発揮するためには、背後を守る仲間が必須。
もう少し言えば近接戦闘をしている未の動きを邪魔しない、小回りの利くロングレンジの相棒が相応しい。
まさに凛子は、未にとっての理想的なパートナーというわけだ。
「あいあいっ、じゃあ行ってきます!」
それを充分に理解している凛子は客観的に考えて、ここでこうして好きな人をただ眺めているより、危ういそっちに行くことを自分から選んだ。
さすがチーム内一番のEOE経験者で――
「――お姉さんだなぁ」
「ほへっ!?」
よっぽど意外な一言だったみたいで、目を丸くして驚いていた。
「頼りにしているよ」
「えへへへー……うんっ、任せて! 行ってきまーすっ!」
凛子は最後にぶんぶんと手を振って、元気にそのまま路地裏の狭い道を駆け抜けて行った。
「にししっ」
最後の最後までその可愛い背中を見送っていると、取り残されていた岡崎にそうやって笑われてしまう。
「何だよそれ?」
「べっつにぃ? ちょーっとうらやましー……って感じぃ?」
からかうようにニヤニヤ笑っている岡崎の顔と……そしてその『うらやましい』って言葉の裏側にちらりと見えた人物のことを考え、俺は少しばかり気持ちが沈んでいた。
岡崎が大切にしている存在――鈴木麻美。
彼女が転校したことを、おそらく岡崎はまだ知らない。
一瞬それを告げようか悩んだけど……。
「ほらほらコーダァ、まーだーぁ?」
「……わかってるわかってる! 今、用意するからっ!」
今ここで伝える必然性をまったく感じなく、静かに引っ込めた。
これが片付いたら……いや。岡崎が次にログアウトするタイミングになったら、そのことは改めて告げようと思う。
「なあ岡崎」
「へい!」
個人的に親しかった様子の岡崎になら、鈴木は新しい連絡先を伝えている可能性もあるだろう。それならそれで問題がない。
「今の内、この魔法の名前でも考えておいてくれ」
「お~っ、名前っ!! アタシが決めていいのかっ!?」
――もしそうじゃないなら。
その時はきっと探し出すことは困難だろう。
その時はきっと酷く岡崎は悲しむことだろう。
ならば彼女が気に病む時間をいたずらに長くしても、意味はない。
「そりゃ、お前のためだけの魔法だからな?」
もうすっかりとこの仲間のことを心から心配している俺だった。





