#076c ただそこにいるだけで
『りんこ さんがアンスタックを使用しました。』
『効果範囲に入りますか?』
「――はい、と」
一面真っ白な光の中のような世界でそう問われ、迷うことなく応じる俺。
ログインが真っ白で、ログアウトが真っ黒というのはいかにも生と死を連想させてくれるなと改めて眺めていると、いつものように光の世界はトンネルのように筒状に歪み、遠くにEOEの世界が見えて来る。
街並みがそこに映っている。
それは具体的なログインする場所を表示しているというより、これから向かう場所をデモンストレーション風にイメージとして先にプレイヤーへと伝えてくれている……という意図に感じた。
「高井、大丈夫かな?」
高井とトレーラーに向かう途中、一応は夕飯を食いながらざっくりとこのゲームの仕組みやルール、そしてログイン前後にやるべき一連の流れを伝えたが……あまりに渡した情報が膨大過ぎて抱えきれてなかったらどうしようかと、そういう類の心配をしていた。
特に今の、アンスタックの効果範囲に入るといういきなりの質問について適切な返答をちゃんとしてくれただろうか?
もし今の問いに『いいえ』を選んだり、あるいは戸惑う間に時間切れとなったら彼だけ『始まりの丘』に取り残されてしまうことになる。
まあ俺個人で言えば正直なところ何の支障もないが、しかし高井からすると何のためにEOEまで来たのかよくわからないことになってしまう。
「ま……その時はチャットででも深山と話してもらうか……」
本人の肉声が聞けるから、それでも一応状況証拠として証明することは可能か。
可能なら物的証拠として誓約紙を実際に確認してもらうのが一番だが。
「そろそろか」
光のトンネルを抜け、俺は再びEOEの世界へと戻って来た。
◇
「ひあっ……はあっ……!!」
そういや最初は俺もそんな感じだったっけ。
やっと呼吸を確保した高井――プレイヤーネーム『TK』が床に両ひざをついて自分の胸を押さえ、荒い息を繰り返していた。
「深山は……?」
周囲を見渡すと、期待通りに宿屋の……おそらく俺が借りている部屋の中だった。
遠くから酔った人たちの喝采が聞こえる。
魔法の光に照らされている全面木製の12畳ほどの空間。
ガラスのない細かな格子の入った窓からは、夜の暗闇が見えた。
ダブルサイズほどの大きなベッドの上は無人。寝具が少し乱れている。
視線を左から右へと180度移動させ、最終的にはここへと連れて来てくれた隣の凛子と視線が合う。
彼女は可愛らしい仕草で首を小さく傾げていた。
――そう。
てっきり部屋に居るのかと思い込んでいたが、深山の姿はここになかったわけだ。
俺が戻ってきたら合流していっしょに魔法を創ろうと事前に伝えていたはずだが……どこに行ってしまったのだろう?
「はぁ……っ……深山さんのこと、呼び捨て、かいっ?」
おっと。
「まあゲームの中だからな」
ちょっと苦しいかな?
無理にこれ以上高井へと取り繕う必要も感じなかった俺は、訂正することなくそのまま話を進めた。
「あれ? 姉さんもついて来なかったんだ?」
次に姉さん――KANAさん、の姿もないことに気が付いた。
たぶんそれは、ランク三位のアジトにランク一位が出入りすることは変な誤解を周囲に与えることだと危惧しての判断だろうと思う。
付け足すなら、あえて『始まりの丘』に出て、そこから強制リジェクトでランダムにどこかへと飛ばされることを楽しんでいるかもしれない。
空中を移動できるような人なら、どこへ飛ばされてもさほどの苦ではないだろうしな。
ちなみに俺が逆の立場だったなら、むしろ無理やりに理由つけてでもKANAさんのアジトへとついて行って可能な限り探りを入れるだろう。
「和――いや、TK。ちょっと待っててくれ、連絡する」
「ああ、了解! チャットだねっ!?」
全身を白い鎧で覆っているいかにも騎士風の冒険者、レベル1の高井が例によって奥歯を見せて笑っていた。
本当にもうとっくに吹っ切れているのだろうな。
特に緊張する様子もなく、嬉しそうに――
――ピッ。
「おっと」
俺が連絡するより先に、深山からチャットが飛んできた。
ログインの知らせを確認したのだろう。
『香田君、おかえりなさいっ……!』
「ああ、ただいま」
視線入力によるメッセージ送信だと面倒だし、このまま音声入力によるチャットを続けるために俺は手で軽く『ごめん』という感じのジェスチャーを部屋に居るふたりに見せ、そのまま部屋をひとりで出た。
『どうでしたっ?』
「おかげさまで色々収穫があったよ。後でゆっくり話すね」
『はい!』
深山からすると現実世界に戻っていた俺に対して少しぐらいは思うことがあるだろうに、それをおくびにも出さず明るい返事をしてくれる。
そんな思いやりのある彼女を曇らせるのは少し気が重いけど……。
「ごめん。深山にひとつお願いがあるんだ」
やっぱり俺は、迷わず伝えることにした。
『お願い……ですか? もちろん香田君からなら、どんなことでも!』
「高井と会ってくれるか?」
『――え……?』
途端に露骨なほど声のトーンが落ちていた。
俺は可能な限り、高井にとって不利にならないよう必要最低限のことだけ伝えることにする。
「深山のことを心配して、高井がEOEまで来ている。俺が連れて来た」
『…………』
返事はないけど、話を続ける。
「もう二週間も深山はこっちの世界に閉じ込められているだろ? あっちの世界ではかなりの大事になってきている。だからクラスを代表して高井を俺が選んで連れて来た」
『……はい』
「すでに高井には、久保たちの手によってこのEOEへと深山が閉じ込められていることは伝えてある。久保からの反発を抑え込むために『事故』と仮に説明しているけど、深山がそれに我慢できないならもちろん本当のことを伝えても良いよ?」
『ううん……事故にしてくれてありがとう、香田君』
以前から極力大事にしたくないという意思を見せていた深山は迷わずそう答えてくれた。素直に、ありがたい。
「深山が今、どこに居るかはわからないけど……今から俺たちの部屋に来ることは可能か? もちろん俺は席を外すよ」
『ちょっと待ってください』
「? ああ……」
2~3分ぐらいだろうか。しばしの間があってから。
『高井に……岡崎の部屋で待って、って伝えて欲しい』
まるで一瞬、別人かと思った。
そうじゃなくて深山さんが俺へとそう伝えた。
「岡崎の部屋? ……わかったよ」
なるほど。
俺の前ではなく――そして二人きりの空間にもしたくないってことか。
だから今のしばしの間で中立的な岡崎に確認を取って同席してもらうという、そういう流れにしたのだと理解した。
そしてそれはリスクを抑える賢明な選択に思えた。
「じゃあ、高井にこれから伝えるね」
『香田……君』
「うん?」
『わたし……その……香田君のこと――…………ううん、何でもない』
「うん」
俺は決して『高井がこれから告白するよ』なんて伝えてない。
だから深山もその確認はおかしいと理解して引っ込めた。
ここの部分について、俺は深山に何も告げない。
間違っても『俺とつきあってるのは秘密にしてくれ』なんて言わない。
100%一切俺の思惑なんか介入させず、思ったまま深山には高井へと率直な話をして応えて欲しいと思ったから。
正しいのかもわからないが、これが俺なりの高井への誠意のつもり。
そして後から深山に罪の意識を抱かせたくないという配慮のつもり。
「深山、本当にごめん。負担を掛けさせる」
『あはっ……香田君、心配してくれてありがとう』
それは決して『相手の告白を断ってくれ』みたいな前提が込められた言葉ではない。
そうじゃない。俺は決して忘れちゃいけない。
深山は誓約によって『質問には何でも答えなきゃいけない』という非常に弱い立場にある人なのだ。
だから自然と頭が下がる。負担を強いていることに謝りたくなる。
そして同時に、それでも高井と会うという決断をした深山の意志の強さに対して尊敬を感じる瞬間でもあった。
例え岡崎が同席であっても……相当にリスキーには違いない。
「じゃあ、高井と話し終わったら教えて」
『うん……お願い。香田君とゆっくり話したいようなわたしになってると思う、たぶん』
「わかった。待ってるよ」
そう最後に告げると俺から操作モードを閉じてチャットを終了させ、踵を返して元の部屋へと戻った。
「お待たせ」
「おお……どうだったんだい? 深山さんはっ?」
凛子と軽い世間話でもしていたらしい高井が鎧をガチャガチャと鳴らしながら駆け寄ってくる。
「上の階の301号室に行って待っててくれ。そこに今から向かうらしいよ」
「わかった! ありがとう香田……行ってくるよ!」
そんな風に感謝されて俺の手なんか握られてしまうと、本当に俺はどう返せば良いのかさっぱりわからなかった。
◇
「――こっちこっちっ!」
チーム内最高の敏捷性を誇る凛子に引っ張られて、スタミナも何もかも最低な俺は今にも転びそうになりながら夜の街を走り抜けていた。
「おいおい、待ってくれっ……俺は、敏捷性最低だから……!」
宿屋に面するメイン通りは午前0時過ぎだというのに人通りがやけに多い。
さすがは週末という感じだ。
活気があってちょっとしたお祭りのようだった。
「いったいどこへ……あれっ?」
ちょうどすれ違う形で、小さく手を振る女の子と目が合った。
大きな帽子のつばでほとんど顔も見えないけど――いやむしろだからこそ確信する。今のあれって、深山だ。
これから岡崎の部屋に向かうのだろう。ちょっと名残惜しそうにちらちらと何度か振り返りながら、そのおかしな帽子を被っているやたらスタイルの良い女の子は人混みの中へと消えて行った。
「はい、到着!」
「到着って……」
凛子が立ち止まった位置で辺りを見回すが……特に何もない。
石畳の地面に茣蓙を敷いた露店などが散見できる、いつもの街の風景だった。
「私、ここで待ってるからっ」
必死に息を整えようとしている俺の背中を軽く押し、ニコニコと笑って凛子は建物と建物の隙間みたいなところへと俺を向かわせる。
「…………? あれ? ここって――」
ようやくこの場所を思い出した。確かに見覚えがある。
あの日は平日の夜でメイン通りにも大勢の人は歩いてなかったけど……。
俺は笑顔で見送っている凛子へと一度振り返ってから、道の整備もされていないその路地裏へと潜るように入って行った。
「――……」
別に、そんな大層なモノはそこになかった。
凛子が何か意味あり気に勿体ぶった感じで『ないしょ』と言いながら連れて来るものだから、思わず変な期待をして身構えていたらしい。
衝撃のシーンとかそんな感じでも一切なく。
「あ、コーダ。やっほ~!」
岡崎が俺の誓約紙の束である白い四本の柱に寄りかかりながら、笑顔で手を振っていた。それだけの話である。
「え、お前」
「迎えに行けなくて、ごめんごめん~!」
にしし、とバツが悪そうに笑いながら自分の頭を掻いている。
……それで一番最初に思い浮かんだ情景は、夕暮れ迫る学校の自転車置き場だった。
いつぞやもこんな感じで、俺の帰りをじっと待ってくれていたっけ。
「岡崎」
「ほ?」
「サンキュ」
参ってしまった。
全然頑張ったアピールされないもんだから、俺も大げさに感謝できない。
いつも嫌がらないから……だからせめてもの感謝の形として、そのショートヘアの頭の上に手を置いて気持ちを伝えることにする。
「暇をさせちゃったな」
「別にぃ?」
まるで誰にでもできる普通なことだろうって感じで、キョトンとしている岡崎。
確かにそこにいるだけなんて、誰にでもできることだけど――いやいや。少なくとも俺には無理だ。
24時間丸一日、そこでひたすら落とし主の帰りをただ待つだけなんて……とてもじゃないけど飽きっぽくて気の短い俺には、よほどの覚悟がないとできそうにないと思ってしまった。
妙案と思っていたけど……そっか。
この死に方もこんなにまわりに迷惑を掛けちゃうんだなぁ。
もう反省しきりだ。
「助かったよ」
「でっしょお? 誰か勝手にいたずら書きとかされちゃったらコーダ、マジで困るっしょ? ……だから迎えに行けなかったの、許してくれる?」
「そりゃ、もちろん。岡崎から凛子に迎えに行くようお願いしたのか」
「にしし! まぁね。テキザイテキショー、ってやつぅ?」
参った参った。
俺的には内心こんな感じで結構感動してかなり感謝してるんだが、上手くそれを岡崎に伝えられる術がない。
何かお返しを――……ああ、ひとつだけささやかなお返しがあるか。
「なあ岡崎」
「へぃ?」
「……岡安がすげぇ会いたがってたぞ? たまには連絡してやれよ」
「うへっ、マジでぇ!? っていうかなんでコーダが岡安のそんなこと知ってんのさっ!?」
「昨日、みんなでカラオケに行った」
「ちょーっ!?!? なにそれぇぇぇ!! アタシも行きたいーっ!!!」
「じゃあログアウトして、岡安たちと行って来たらどうだ? 途中で解散だったから向こうも不完全燃焼だったと思うぞ?」
こんなことぐらいしかお返しを思いつかない俺だった。
「あー…………今はいい。アタシ、やることあるし」
「やること?」
「ひとつでもレベル上げたい。アタシも、深山のこと助けたい」
強い意志がはっきりと伝わってくる迷いのない瞳。
ずいぶんと遅れたけど……あの時。放課後の教室で泣いている岡崎の頭にこうして手を置いて――許して本当に良かったと、自分の判断の正しさを心から強く確信した。
「あれ? そういや深山って……?」
「ん? どったのさ」
「さっき、深山といっしょに行かなくて良かったのか?」
推測ではあるが、たぶん今さっきまでここに深山が居たのだろう。
それはきっと俺の誓約紙と岡崎への護衛のため。
「? アタシ深山からは『部屋貸して』ぐらいしか言われてないよぅ?」
「そっか……ありがとう」
どうやら深山玲佳という人は、俺が想像していたよりさらにもっと真っすぐな人だったらしい。高井とふたりきりで会うつもりのようだった。
『質問には何でも答えなければならない』という誓約がある限り、精神的な部分で彼女には相当なリスクがあると思う。
Uターンして追いかけようかとも一瞬考えたけど……それも違うか。
深山本人がそれを意図して選んだのだから、後は委ねよう。
つまり深山もまた、高井に対して彼女なりの最大限の誠意を見せようとしているわけだ。
「あっ、そうだコーダ! ねえねえアタシのレベル、あれからさらに1つ上がったんだよぅ?」
「――……え? どうやってだ?」
ここに一日中いたというなら、それは地味にミステリーである。
「時間あるし、ずーっと呪文唱えてた! こんなんでもちょびっとずつ経験値って貰えるんだねぇ!? これならアタシでも、できるできるっ!」
それこそ10や20どころじゃないだろうな。
この24時間、ひたすら容量がゼロになるまで魔法を撃って回復してを繰り返してコツコツと経験値を稼いだのだろう。
「凄いぞ、岡崎!」
「ま、まぁね? アタシだってやればできるしぃ!?」
俺のこんな言葉にも有頂天になって素直に喜んでくれる岡崎。
「実は編み物とか得意じゃないのか?」
「いやぁ……それがアタシ、超不器用でぇ……」
「なるほど」
もうちょっと褒めてあげたかった。
もう少し何か――……ああ、そうだった。
「なあ岡崎。もう少しだけ時間良いか? 眠くないか?」
「にしし……全然!」
俺にはもうひとつだけ、お返しの方法があったことを思い出した。
「じゃあ即席で悪いけど、今からすぐに創ろうか」
「へ? 何を?」
「岡崎のためだけの、特別な魔法を」





