#076b 五度目のログイン
周囲を林に囲まれている東トレーラー。
その裏にある野ざらしの駐車場は夜の11時過ぎということもあり、時折停めに入る車両の気配以外、まったくもって暗く静かな空間だった。
「うーっ……ごめん……復帰っ!」
「お?」
照明も点けない車内で不安そうな凛子を黙ったままただひたすら抱きしめ……それから10分ぐらいが経過して、だろうか。
俺の胸の中でまるで寝ているのかと思うほど静かに甘えていた俺の彼女は、唐突にそう宣言してぴょこっと顔を上げた。
「もういいの?」
「良くないけどいいのっ……エンドレスになっちゃうしぃ!」
「確かに俺もずーっと凛子といっしょに居たいからなぁ。終わりがないか」
「ま、またそおいうこと言うぅ~!」
「ん?」
これに関しては本当にナチュラルな感想だったのだが、何か凛子の琴線に触れたみたいで、ふにゃふにゃになりながら頬を膨らまして訴えられてしまった。
「待ってる深山さん可哀想じゃんっ!」
「深山といっしょに居る時、いつも我慢してるくせにぃ」
「うーっ!!」
実はこれ、ちょっとした試金石。
深山からはもっと三人で居るのはどうかという以前の提案を受けて、ダメ元でこうしてちょっと煽ってみたのだが――
「香田、むしろもっと深山さんとイチャイチャしなきゃだめっ!」
――まったく逆効果だったみたいだ。
なぜか叱られている俺である。
「どうして」
「私なんかのこと遠慮してるのバレバレだし! 深山さんいっつも香田のこと熱い視線で見つめてて、『もっとエッチなことして欲しいな~』ってお願いしてるのわかんないのっ!?」
「してません、してません」
……してない、よね??
「しーてーるーのぉ!!」
「さっき寂しいとか言ってたくせにぃ~」
「うーっ! そ、それはそれっ、これはこれぇ!!」
「ムチャクチャだなぁ」
「こんな面倒くさい私なんかのことっ、別に――」
「――おっと」
それは言わせない。
咄嗟に凛子の唇に人差し指を当てて黙らせる。
「……何だって? ん?」
「う……うー…………そのぉ……」
「うん」
『怒っちゃうぞ~?』ってオーラを出しながらにこやかに笑って見せる。
「わ……私のこと……は……そ、そんなに気にしなくて、いいから」
ちゃんと意図が伝わっているみたいで、ずいぶんと表現がマイルドになったようだった。
「大切な人だから、気にするよ。でも、ごめん。深山のことも大切だから同じぐらい大切にしたい――……それで許してくれる?」
「う、うんっ……それっ、それがいいっ……!!」
はてさて。どこまで俺の本意なんだか自分でもわからなくなっちゃってるけど、本当に難しい選択をしたもんだなぁと改めてそう思った。
まあ欲張るならそれ相応の苦労はしないとな。
まして凛子と深山なんていう贅沢極まりないふたりを独り占めしてしまうなら、きっと曲芸レベルの難易度が求められてしまうものだろう。
それが因果応報ってヤツだ。
……まったくそれに臆する様子がない自分に、また呆れてしまう。
いつの間にかすっかり覚悟ついちゃってるなぁ、俺。
「あ、香田ごめんっ! 電話一本掛けていい?」
「ん? いいけど……席を外そうか?」
「んーん、私がちょっと外れるから、香田はここに居て?」
助手席に座っている俺の上へと重なるようにもたれ掛かっていた凛子が起き上がり、膝で立って俺を見下ろしながら微笑んでいる。
下から見上げるように眺める凛子はちょっと綺麗で新鮮で、そして少しばかり色っぽく見えた。
――バタン……。
車のドアを閉めるとすぐに凛子は携帯を取り出し、耳に当てている。
……誰と話すのだろう?
ふとそんな興味を抱いて眺めていると――
「……あ……こんばんは。夜分遅くにすみません。佐々木です……はい」
――すごく大人っぽい口調の凛子がそこに居た。
自分の身体をぎゅっと抱きしめるようにして、少し首を傾げて垂れた髪を横に流す、『佐々木』と名乗った俺の知らない凛子。
「ええ……変わらず元気にしてます……いえ、そんな。友達とすごしているだけで……くすっ。はい、むしろ不謹慎ですが楽しいと感じているぐらいですから。ええ、どうかお気になさらず」
ああ、そうか。
今もこうして定期的に深山のお母さんに連絡して、状況を伝えてくれているんだ。
すっかりここらへんは凛子に任せっきりで……もはや懸念すらしていないことを自覚した。
「……はい。伝えておきます……え? いえ……すみません、それはちょっとできないのですが――」
その話しぶりから、深山のお母さんとある程度の信頼関係を築いていることが伺える。信頼してもらえるってのは、警察沙汰にならないためにも大切なことだし……きっとそれより凛子としては、純粋に深山のお母さんを安心させたいと考えているのだろうと思う。
話し方がとても丁寧で優しくて、そしてすごく頼もしい。
たぶん電話越しの向こう――深山のお母さん側からしたら、20歳以上の社会人のようにこの『佐々木』さんのことを推察していることだろう。
この年上の友人の住まいは、たぶん独り暮らしのアパート。
そこに転がり込んできた家出している深山とふたりで暮らしながら、相談に乗ってこうして仲介してくれている優しいお姉さん……という感じか。
うん、その佐々木さんは、とても良さそうな人だ。
「そういや……こっちもやっておかなきゃ」
俺も俺で思い出し、携帯をポケットから取り出した。
『姉さん。トレーラー前は混雑しているし人の目もあるから時間と場所を変えたい。午後11時50分に、登録窓口のプレハブ裏で落ち合おう』
そうメッセージを送ると、ほんの数秒で変なマスコットみたいなキャラが親指を立ててるスタンプが送られてきた。
林檎に手足がついている感じのこの変なキャラ……そういやEOEマッチの非公式掲示板『イーマチ』でもアイコンにしていたな。
どうやらお気に入りなのだろう。
――ピコン。
「ん?」
またしても着信。今度はメッセージだった。
『孝人くんとお話したいけど我慢してるお姉ちゃんを褒めてください♪』
……こんな甘えん坊だったかなぁ?
いや、意外とこういうところもあったか。昔は。
神奈枝姉さんは初期型と後期型ではずいぶん違うので、いまだにこういう部分で戸惑ってしまう。
『ありがとう。今、人と会ってるので配慮助かるよ』
『きゃーっ、お姉ちゃん感謝されちゃって嬉しい♪♪♪』
怖ろしいほど瞬時に返ってくるメッセージ。この尋常ではない速さ……サイバーな世界みたいに電子の世界と脳を直結でもしているんじゃないかと思わず疑いたくなってしまうレベルである。
「あと30分もすればすぐに会えるのに」
でもスタンプじゃ収まらずメッセージ送りたいって思ってくれたその心の動きを想像すると、やっぱりちょっと嬉しいや。
テレ隠しに携帯の画面表示を消してポケットに突っ込むと、視線を凛子へと戻す。
……やたら恐縮している感じで深山のお母さんとまだ電話をしていた。
どうやら生活費とか振り込みたいとかそういう話をされて困っているみたい。
確かにもう二週間になるのだし、まあ迷惑を掛けている側の親としてそういう話の流れになるのも必然だろう。
その気持ちだけは痛いほど俺にも理解できる。
「振り込みたい、ねぇ……お!」
改めて車内を見渡し、凛子の可愛らしいショルダーバッグが運転席側に無造作に放置されていることに気が付く俺。
「どれどれ」
もちろん中を見たりはしない。そうじゃない。
俺は助手席の目の前にあるグローブボックスからいつぞや隠し入れておいた封筒を取り出し、その中身――現金20万円をそのショルダーバッグの中に捻じ込んでおいた。
はっはっはっ。これでは受け取りを拒否できまい!
振り込めない詐欺、破れたり!
後は何か口実を見つけて、その代金や報酬って体にしてしまえば完璧だ。
そして『その代金は先払いしておいたからね!』なんて――
「――……んん?」
凛子の可愛らしいショルダーバッグを元の位置に戻した俺は、開きっぱなしのグローブボックスを閉めようと向き直り、それに気が付いた。
たぶんさっき、封筒を取り出す時に引っかけてしまったのだろう。
『ビックリカメラ』と書かれた紙袋が半分垂れ落ちるような感じでグローブボックスから飛び出していた。
「前、こんなのあったっけ――おっと!?」
元の位置に戻そうとしたら、逆さまになっていたみたいでむしろ中身が床に落ちてしまった。
慌てて俺は拾い上げて――固、まる。
「…………」
あまりのロリロリしい絵柄にめまいを覚えた。
いや、こういうのも別に嫌いじゃないけどさ??
そうじゃなくて……これを凛子が持っているというその事実が強烈だった。
思わず無意識にパッケージ裏に踊る煽りの文字を読み上げてしまう俺。
「…………お兄ちゃん、大好き過ぎて……死ん、じゃう……?」
「ふぎゃああああああああっっ!?!?!?」
電話を終えた直後の凛子が、助手席側の窓の外で叫んでた。
◇
「――ほ、ほんとだからねっ」
「わかってるって」
繰り返し繰り返し未から頼まれたおつかいだと何度も説明している凛子を引き連れて、待ち合わせの場所へと向かう俺。
……あのいたずら好きのバカ妹め!
俺のPCの件といい……後でとっちめてやらねばなるまい……。
「んむ?」
「ん? 何?」
「香田……顔、真っ赤?」
「――え、いやっ……ははは」
うーむ。あの動画からまだ脱却できてない情けない兄だった。
「お、香田! こっちこっち!」
「あ……和彦」
呼ばれてそちらへと向くと、少し先にあるプレハブの裏で手を振っている高井が見えた。
「遅いぞ!?」
「むしろまだ早いぞ?」
現在は11時40分過ぎである。
「おや、そちらが恋人の――」
「ああ。俺の大事な人。佐々倉凛子さんだ」
「っ……!!」
目を丸くして驚いている凛子だった。こらこら、なぜそこで驚く。
「あはっ、よろしく佐々倉さん! 僕は香田の親友の高井和彦だよ!」
おい、いつ親友になった。
むしろ一時間後には『宿敵』ぐらいになりそうだぞ?
「ふんっ……よ、よろしく頼むわ」
あ。そういうキャラになるんだ?
俺の腕からパッと離れてなぜかふんぞり返る凛子先輩が面白い。
このまま飽きることなく一日中観察してられそうだった。
「――あらあら。お姉ちゃんもしかして遅刻しちゃった?」
「はあっ!?」
最後に神奈枝姉さんが現れて……凛子が吠えた。
「ちょ、ちょっと香田!? どういうこと!! どうしてまたこのおっぱいが、またここにいんのよっ!?」
「どうって――」
ぽりぽりと思わず頭を掻いてしまう。
高井が目の前にいるけど……まあいいか。
「改めて紹介するよ。俺の姉さんの香田神奈枝」
「あら……今は鳴門神奈枝よぉ?」
「いいから! 話をわざわざややこしくしてどうするのっ!」
「だってそこって、お姉ちゃんには決して外せないところなのよ? 孝人くんのことプロポ――」
「――だーかーらっ!!」
慌ててその唇を手で覆って閉ざす。
高井と凛子の視線が妙に冷たい。
「うーっ……な、なんなのかしらっ、このモヤモヤした気持ち……! 香田のお姉さんですかっ、よろしくお願い致しますっ……!!」
半ばヤケクソ気味に頭を下げて改めて挨拶する凛子。
「ぼ……僕は……高井。高井和彦ですっ! 香田の親友やってます……!」
そんなポンポンと親友連呼してフル活用しないでくれっ。
まあ俺も俺で高井を利用しまくってるから強くは言えないが……。
「はぁい、よろしくね~♪」
まるで児童向け番組の優しいお姉さんみたいな笑顔でそう返事している神奈枝姉さん。
いや前言撤回しよう。その有り余るムチムチボディで児童向けはないな。
「そういや姉さん。車は?」
さっきまで駐車場に居たわけで、もしあの高級車が入ってきたらエンジン音だけでも一発で気が付きそうだった。
そもそも今、俺たちとは反対方向から歩いて来てたしな。
「え? ――ああ。近くにある別荘を買っておいたから、お姉ちゃんはそこに車を停めているのよ」
……トレーラーって定期的に場所を移動していると聞いたことがある。
そもそも姉さんはつい最近まで違うサーバーをメインにしていたこともネットで調べて知っている。
つまりその別荘、ただの仮の宿ってことだ。
まったくもって贅沢な話過ぎて、コメントが出てこないぞ。
「ふふふっ。孝人くん、今度お泊りに来ちゃう?」
「来ません、来ません」
「えーっ、たまには姉弟水入らずも良いじゃないのぉ~?」
「今さっき『鳴門』って名乗ってませんでしたっけ!?」
「孝人くんのいけずぅ~!」
まあ一応姉さんへフォローを入れるとすれば、その別荘とやらも防衛処置のひとつと解釈はできる。
ログインしているその最中に車を荒らされたりの可能性があるのだろう。
嫉妬による嫌がらせなど普通に考えられるランク一位って大変だ。
今、何もない林の方角から出てきたのもたぶんその関係で、おそらく別荘から林を抜けてこの裏口の敷地内へと入ってきたのだろう。
……近くに寝泊りできる宿がある、というのも素直に羨ましいや。
「じゃ、そろそろ行きましょうか」
「え? 行くって……トレーラーに? まだ15分以上――」
「――大丈夫。お姉ちゃんにお任せあれ♪」
その得意げなウィンクが操作モードの決定みたいに見えてしまった。
◇
「――ほおおぉぉ……!!」
トレーラー内部の冷凍庫の中みたいになひんやりした空気の中、カプセルが積み重なっている――まるでミツバチの巣みたいな独特なロケーションを見て高井が感動の声を上げていた。
「ねっ?」
「……うん、まあ」
結論としては特権使いまくりだった。
もう最初から驚愕だったが、倉庫裏にある関係者以外立ち入り禁止なEOE事務所へと神奈枝姉さんは迷わず入って行った。
そしてそのまま運営の人と交渉。
この状態だと午前0時に相当な混雑が予想され、列を待っている間に身の危険を感じるからログイン装置のカプセル内に先に入れて欲しい……という感じの主張内容。ただちにではなく午前0時と共にログインであれば、と条件付きでその了承をすぐに得ていた。
確かに深山の魔法で大虐殺があったあの夜の大混乱時も整理券を配った上に時間より先にカプセルに入って待機したという過去があるから、そこまでイリーガルな処置でもないのだろう。
――でも正直、あんまり気持ちが良いものじゃなかった。
こういうのってフェアじゃない。
それなら熱帯夜の中で長時間待たされるのだし、体力がない女の子とかから優先してログインさせたほうが理に適っていると思う。
……でも結局は『身の危険を感じる』という姉さんの主張も否定できず、結局俺はちょっと不満を抱きつつもその軍門にこうして下ったわけだ。
「そういや凛子」
「ほへ?」
初心者の高井から順にカプセル内へと誘導されているのを眺めながら、隣に立っている凛子へと問う。
「岡崎はどうした?」
凛子はさっき、寂しかったと訴えていた。
それはほぼ凛子がこうしてログアウトしてきた理由そのものだろう。
でもよくよく考えたら、その前段階があることに気が付いた。
俺は岡崎にだけ依頼した。
だから何らかの意図的な連絡を岡崎側から凛子宛にでもしない限り、こういう展開にはなり得ないってことなのだ。
それに妙な疑問を感じる。
あの岡崎が頼まれ事を途中で放棄するような、そんなマネをするとはとても――……くそ。俺の中でずいぶんと上がってるなぁ、岡崎の株!
「……会いに行ってあげて」
「会いに……?? どういう意味?」
「秘密」
「えー」
くすっ、と優しく凛子が小さく笑ってる。
「きっと岡崎、香田の驚く顔が見たいと思うからっ」
そう言い残すと手招きに応じて凛子もカプセルへと軽い足取りで向かった。
「あ。凛子、アンスタック持ってるよな?」
「ほいほいっ、お任せあれっ!」
ちゃんとここに来た理由を察している様子の凛子は、いつもみたいに海軍式の敬礼をしてから手を振り、カプセルの中へと入って行った。
そう、これが岡崎にわざわざログアウトして迎えに来てもらおうとした俺の意図。
ホーム設定ができないレベル1の俺は、選択の余地もなくあの焼野原である『始まりの丘』からスタートになってしまうわけだ。
そこからクロードの街まで全力疾走でも――それこそあの日、かわりの武器をわざわざ買いに行こうとした凛子じゃないが、一日掛かりでの移動が必要そうなのである。
そのタイムロスは余りに大きい。
贅沢だけど、ホーム設定をしている場所へと転移できるアンスタックを使って俺も街へと連れて行ってもらうべきなのだ。
そして改めて思う。
俺はやっぱり、気軽にログアウトしてはダメな人間なんだって。
「岡崎も……泣かせちゃったなぁ」
最後に俺もカプセル内に入っていつもの画面を眺めながらつぶやいた。
俺にほぼ痛みがないとしても、やっぱり仲間が目の前で惨たらしく死んでしまうというのはあまりに相手に負担が掛かってしまうようだった。
一番気にしないタイプと思った岡崎でも、あれだった。
「だからといって……痛覚100%で死にたくないしなぁ」
誰かに迎えに来てもらうのもそうだし、高級品であるアンスタックを消費してしまうのもコスト的にバランスが悪い。
だから俺は実行可能ではあるが、しかしそう安易に今後ログインできそうにない。
――いや、もうしない。
数日後に迫る大会で優勝して、深山を救う何らかのルールを公式に認めさせる。
そして深山と共にログアウトして……それでおしまい。
もうEOEにログインしなければこんなことで悩む必要は以後なくなる。
「お」
『Welcome to THE END OF EARTH』
画面には見慣れたその表示が現れ、否応なしに鼓動が高鳴った。
白い煙のようなものがカプセル内に立こもり、ログインへの準備が着々と進んでいく。
早く早く、と心がうずく。
早く戻って、みんなと会いたい。
新規魔法を早く創りたい。それで大会で絶対に優勝するんだ――
「――……もうEOEにログインしない、ねぇ……?」
さっきそう考えていた手前、自分でそれを指摘するのも何だが……あまりに説得力のないこの態度に失笑してしまいそうだった。
こんな調子で、本当に足を洗えるのだろうか、俺は?
『ようこそ、THE END OF EARTHの世界へ』
――そして俺は、熾烈な狂騒劇の開幕となる五度目のログインを果たした。





