#009 最悪な一日(前編)
「ひえー……深山と香田とかぁ!? マジであり得なくない~!?」
そう叫ぶ戦士風の女性。表示の名前は『ソフィア』。
見た目は20代後半ぐらいで知的なのに、しゃべり方とのギャップが凄い。
「うっわ、うっわ……告って速攻それとか、ドン引きするわぁ……」
続いて、ゆったりとしたローブを纏っている魔法使い風の女性。
名前の表示は『OZ』。
「…………」
最後に、無言のまま神妙な面持ちでこっちを見ている、軽装の女の子。
名前の表示は『まりも』。
「鈴木、さんっ……これ、はっ……そのっ……違う……違う、からっ……」
焦燥しきった真っ青な顔で、深山さんはそんなことを口にしていた。
「……鈴木? って、あの鈴木か? お前」
完熟のグラマラスな体型と戦士風の身なりは俺を少し迷わすが、しかしウェーブ掛かった長い髪型と、少し日焼けした肌。そしてその話し方と表情から醸し出されるなんとも下品な印象は教室と変わらなかった。
「ちぇーっ、香田に一発でバレちゃったよ。なんか腹立つぅ!」
「ぎゃははっ、だからそれ無理があるってばぁ!」
ローブを被ってて少し顔が確認しづらいが、その下品な笑い声には覚えがある。
「じゃあそっちが……岡崎?」
「そ。なんか文句あるぅ? モテモテのコーダくぅん?」
ねっとりと、なんとも意味深な言い回しで笑う岡崎。
つまり、奥にいるうつむいたままのエルフ耳の女の子は――
「久保、さん?」
――こくん、と小さくうなずいていた。
「えー、なんで久保だけ『さん』付けなわけぇ?」
「コーダ、久保狙ってんじゃねーの??」
「ふえっ!?」
馬鹿か。お前たちと違うってだけだ。
これは相手の人格を認める、ある程度の敬意の表れだよ。
……まあここでケンカ売っても仕方ないので言及はしないでおくが。
「ひゃーっ、深山超かわいそーっ! 目の前で失恋かよぅ!!」
「ギャハッ、やめてあげなよぅ!!」
「――っっ……!!」
そう言われて俺の横で座る深山さんの肩が一度大きく縮こまる。
……ああ、もう……そういう質問されちゃってるんだ。
「あれれ? コーダも速攻で告らせちゃったわけぇ?」
「えー? 岡崎それマジ? つまんねーの!」
俺が特に驚いた様子を見せないことで、岡崎はその事実をすぐに察したようだった。
その調子で、ぜひ周囲へ配慮をして欲しいと心からそう思う。
「あのさぁ、香田。じゃあ深山が週に2回――」
「鈴木さんっ……!!!」
震える声を張り上げて、深山が立ち上がった。
「お願いっ……もう、もう許してっ……謝り足りないならっ……謝るから!!」
「だからもーいいってばぁ。飽きた、その会話ぁ~」
「アタシたち、そんな深山の言葉とか、どーでもいいんだよねぇ?」
「ヤバいから言ってるだけの、うわべって感じぃ?」
鈴木と岡崎がニヤニヤと互いを見ながら笑い合ってる。
酷い言葉の数々の中で……俺はもうちょっと細かいところが気になっていた。
「ゲームの中では、急に呼び捨てかよ」
「そ。だってこれゲームじゃん? 学校じゃないじゃん?」
「アタシ、そもそもどんな風に呼んでたか忘れちゃったぁ」
「えっとぉ……G姫だっけぇ?」
「ギャハハハッ、鈴木ヤバイ! アンタ天才っ!! G姫超ウケるぅ!!!」
もしかして、深山さんをゴキブリだとでも言いたいのだろうか。
『深山玲佳』という名前と一文字も合ってない。センスの欠片もなく、配慮も知性もまったく感じさせないその発想に、吐き気にも似た嫌悪感が込み上がる。
「――――っっ……!!!」
深山さんが、耐え切れず駆け出した。
鈴木たちに向かってではなく、後ろの森の中へと。
「逃げた逃げたぁ!! G姫、また逃げたぁ!!!」
それが明確な勝利と実感したのだろう。
高揚した顔で鈴木が目を見開き、その去って行く背中に罵声を届ける。
「なぁにが勝手な妄想で汚すな、だよっ、偉そうにばっかじゃねぇのっ!!! てめぇのほうがよっぽど汚ねぇっての!!!! 死ねっ!!!!」
「鈴木っ、お前、度が過ぎてるだろ! なんだよこれは!?」
俺のその問いには、興奮してる鈴木にかわって岡崎が答えた。
「――ま……ジゴージトク、ってヤツぅ?」
「お前たち突然どうしたんだよっ! ……久保さんも!!」
「っ!!」
黙っている奥の久保さんにも声を掛ける。
彼女は鈴木や岡崎とは違う『まとも』な人間だ。
だからこそ、ずっと静観していることが腹立たしかった。
「私は、別に…………」
言葉は途切れたが『関係ない』と言いたげだった。
そのまま顔を背けて、またうつむいている。
「ねぇねぇ、コーダくぅん。わかんないならミヤマ本人に聞けば? 今なら質問すれば、正直にありのままをぜ~んぶ話してくれると思うけどぉ?」
「そんな酷なこと……深山さんに直接聞け、だと?」
「だってアタシら信用されてないじゃん? 何言ったって、コーダ絶対信じないじゃん?」
それは……腹立たしいが、その通りだと思った。
例えば。
あり得ないが、例えばこいつらが、これだけのことをするぐらい深山さんから先に酷いことをしていたと仮定して。
彼女たちがその非道さを俺へとありのまま話してくれたとしても、確かに俺は言葉通りに受け取らない自信があった。
つまり、真実を彼女たちから聞き出そうとする行為自体が無意味で間違っていると、岡崎は俺へとああ見えて冷静に告げているのだ。
「ほらほらぁ、早く追いかけてやんなよ、コーダ。アタシら大人しく、しばらくここらへんで待っててやっからさ? な?」
未だ興奮してか、涙を落として取り乱してる様子の震える鈴木をなだめながら、顎で深山さんが消えた方角を示す岡崎。
「…………わかった」
俺は向こうの言い分を認めると、すぐに小走りで深山さんを追いかけた。
◇
昼間とはいえ、うっそうとしているこの森で見つけられるだろうか。
追いかけてすぐ、俺はそのことを心配していた。
マップには丸の表示がない。つまりそれぐらいには深山さんと離れてしまったのだ。
「……あ」
しかしそれもすぐに杞憂に終わる。
まだマップに表示もないのに……それほど遠くに離れているというのに、それでも俺の耳へと届くぐらいに叫び声にも近い悲痛な泣き声が森に響き渡っていた。
もちろん深山さん以外の人の泣き声かもしれないけど……しかしその泣き声に向かって走るのが、今の俺が取る当然の選択だった。
「――深山、さん…………っ!」
確信があるほどじゃなかったが、しかし『自分が鈴木や岡崎ではない』ということを背中を丸めてむせび泣いている女性へと先に知らせる必要があって、まずはそう声を掛ける俺。
途端に全身を硬直させるその後ろ姿。
「こ、香、田……く、んっ……」
それは間違いなく深山さんだった。
でもそれは、俺の知っている深山さんでもなかった。
「ぁ……あぁ……っっ……」
着ている服とか、髪の色とか……そんなことはどうでもいい。
そうじゃなくてあの印象的な澄んだ真っすぐな瞳が、そこには無かった。
「えぐっ……ど、どぉ、してぇ……?」
恐怖に濁り、自信なく視線が落ち着かない瞳。
ガクガクと肩を震わせ、大粒の涙をとめどなく落として……ここには、心が潰れそうな弱々しい女の子が独り、不安げに佇んでいるだけだった。
「どうして……って。そりゃ、心配ぐらいするよ……」
「っ……!!」
俺が一歩近づくと、それだけで飛び跳ねるように大げさに驚く深山さん。
「……大丈夫?」
「ひっ……」
俺がもう一歩近づくと……その分だけ彼女は後ずさった。
「大丈夫、な、わけ、ないっ……!!」
「深山さ――」
「は、話っ、聞いたでしょっ……!?!?」
まるで俺の言葉を吹き飛ばそうとしているみたいだった。
深山さんは絞り出すように悲痛な声を張り上げていた。
たまらず俺も立ちすくむ。
「話って?」
「鈴木にぃ……岡崎にぃ……っ!! 聞いた、でしょっ……!!?」
その問いには、ゆっくり首を振って見せてから。
「ううん……何も聞かずに来たよ。俺は何も知らない」
しっかりと丁寧に否定してみせた。
「なあ、よかったら事情を――」
「いやああああぁぁっっ!!!!!」
彼女は今度こそ確実に俺の言葉をかき消すべく声を張り上げると、そのまま両耳を押さえて走り出す。
「ちょ、深山、さんっ!?」
「いやあっ、言わないでぇ、何も、言わないでえええぇっっ……!!!!」
まるで転げ落ちるように、何度も何度もつまづきながら、深山さんが山の急な斜面を駆け下りる。
俺も必死に追いかけるけど……情けない。筋力も俊敏性も何もかもステータスで劣る俺は、なかなか追いつくこともできない。
そのまま山の斜面を下り、茂る草木をかき分け、砂利混じりの細い道に出たところで深山さんが転んで……ようやく俺は追いつくことができた。
「み、みや、ま……さんっ……!!」
「いやああぁぁ」
背後から自由を奪うように細い彼女両腕の上からその胴体を抱きしめる。
「いやぁ、いやあっ……!!」
――どんなことがあったら、深山さんほどの人がここまで取り乱すのだろう。
どんな酷いことをされたのだろう。
「大丈夫っ、大丈夫だからっ」
俺はもう、他に掛けられる言葉も見つからなくて、ただ、ただ、それだけを繰り返し彼女の耳元で精一杯に優しく伝えた。
彼女は、俺なんかのことを、好きでいてくれているらしい。
それだけを信じて、拒絶されることを恐れずに、背後から抱きしめ続ける。
――それから、ややしばらくして。
もがき続けていた彼女はようやく観念したように強張った身体を緩めて、一度大きな息を空へと漏らした。
「嫌い、にぃ……ならない、でぇ……っ……」
絞り出すように、そう彼女が言った。
「うん。嫌いにならない……絶対にならないから」
「……ひぐっ……えぐっ……嘘、つきぃ……っ……」
泣きながらそんな言葉をつぶやく深山さん。
今の事情も知らないし、そもそも深山さん自身のこともよくも知らない。
だから彼女のその批判は客観的に考えて、もっともだと思う。
つまりそんな客観的な見解で批判ができるぐらいにはようやく彼女も自分の心を取り戻せたみたいで、内心、少し安堵した。
「嘘に、しないから……」
俺は短く、そう返事する。
「…………ぅん」
ようやく呼吸も収まってきた彼女が小さくうなずいて、背後から抱きしめている俺の腕にそっと手を添える。
ようやくこれで、事態は収束した。
「――なぁ、お嬢ちゃん……無事に解決ってことで大丈夫かい?」
「ひうっ!?」
「っ!!」
そんな俺たちふたりを遠巻きに見ている男がいたことに、今、この瞬間ようやく気が付いた。
「その男はお嬢ちゃんの恋人って解釈で、大丈夫かい?」
「っ、い、いいえ……違いますっ!」
泣きながら不必要なほど強く否定する深山さん。
「――わたしが、一方的に好きになってる人、ですっ…………だからっ、大丈夫、ですっ……!」
律儀にそんな返事をしていた。
遅れてこれが、彼女の誓約による強制力だと理解する。
「そっかそっか……許してとか、来ないでとか、さっきから凄い声で叫んでるから、オジさん本気で心配しちゃったぞ。こんな異世界でまできて痴話喧嘩なんて勘弁してくれよ」
ボリボリと気まずそうに頭をかいて愚痴る中年の男性。
「すみま、せん……」
「なあ、お二人さん。悪いこと言わないから、あと数歩、後ろに下がっておいたほうがいい」
「え?」
足元を見る。
数歩、というのはちょうどこの道の境目辺りだった。
「ここは『始まりの丘』の境界線だ」
その中年男性の言わんとしていることがそれだけで少し理解できた。
「そこから先は……上級者うじゃうじゃ、ですか……」
「い~や、それはちょっと違う」
「?」
「初心者狩りをするやつらなんて、中級者とも言えねぇよ」
「……たしかに」
罠である可能性も少しあるが、今までいたところが『始まりの丘』という初心者専用サーバーのようなところだというのは、疑いの余地もない事実だ。
だから後ろに数歩下がることのリスクはさほどないと踏み、言われた通りに深山さんを抱きしめたまま、数歩下がる。
「よーし、OK。ついでにもうしばらく、黙ってそのままでいろ」
「……どうしてですか?」
「片想いのお嬢ちゃんが、地味に嬉しそうだ」
「へ?」
胸元の彼女を見ると……顔を赤くしてうつむいていた。
「いいねぇ、青春! ヒューヒュー」
「茶化さないでくださいっ」
そう言いながらも、内心、すごくこの男性に感謝している俺だった。
この人が現れた途端、空気がガラリと変わって……あんなに追い詰められていたはずの深山さんが凄く落ち着いている。
これが大人の余裕ってヤツかぁ……と変な敗北感を抱いたりしたのはここだけの秘密だ。
「あの……ありがとうございます、『エドガー』さん」
「いやいや、礼には及ばんよ『香田』クン。これは趣味みたいなモンだ」
「趣味?」
「困ってる初心者にアドバイスして、ドヤ顔するつまらない趣味さ」
はっはっは、と自嘲気味に笑う『エドガー』さんのレベルは画面表示上だと80。たぶんこの世界のそれなりの上級者と思っていい数字だろう。
職業もキャラメイクの時に見たことが無い『風迅剣士』だ。
「いつもそこで道越しにアドバイスしてるんですか?」
「あぁ、いや、ふだんはここらへんで初心者狩りを阻止してる。今も俺の背後には、君たちを狙おうとしてる連中が山ほど押し寄せてるぞ?」
「……っ」
俺たちと道をはさんで反対側にある繁みの先は見えないけど、その殺意だけは届いてきそうで思わずたじろいてしまった。
「そんな山ほど……ですか」
「まあ、あんなに大騒ぎしてたら、なぁ?」
「ぁ、ぅ……」
それでなくても顔を赤くしてた深山さんが、さらに真っ赤になっていた。
俺の腕の中に顔を沈めて隠れてるのがちょっと可愛い。
「まあここは近日、『ラストクエスト』っていう月1の定期イベントが発生するポイントだから、それに向けて今から待機しているやつらも多いのさ」
「エドガーさんは大丈夫ですか? そういうのって逆恨みを買いませんか?」
「え? ははっ、俺の心配をしてくれるとはこりゃ有り難い。そりゃ日々、争いの毎日だよ。いつの間にかこんなレベルまで上がるぐらいにはな?」
改めて思う。
MMOって、色々な目的でプレイしている人がいるんだな、と。
「ま、そんなことで。もし丘を出たいならどこか場所を改めたほうがいい。今、そこから出ると俺も君たちをカバーしきれないかもしれない」
「いえ……ここが境界線と知らなかっただけです。ありがとうございます。俺たちはこのまま引き返します」
「ああ、それがいい。君に多少の興味も湧いているが、それは機会があればそこから出る時にでも話すとしよう。もし出る時に困ったら連絡でもしてくれ」
「はい……!」
ふと思いつき、操作モードからエドガーさんをアクティブにして『フレンド申請』を選ぶ。
……しかし承認ウィンドウが必要で、実行できなかった。
めげずに今度は『ブックマーク』を選んでみる。
……こっちは他人に干渉する行為ではないからか、承認モードを介さず即座に登録することができた。
「ははっ、ありがとう。じゃあ俺もブックマークしておくよ」
大げさにウィンクをして笑うエドガーさん。
特に知らせが来ないことから察して、やはりブックマークというのは個人的なユーザー登録機能であり、それ以上の意味はないらしい。
つまり、俺の視線の動きだけで『ブックマークしている』というがバレたということでもある。
上級者を相手にすることの意味を、少しだけ理解した気がした。
「お世話になりました。ではこれで……」
俺が会釈をすると、胸の中の深山さんもそれに倣った。
エドガーさんは片手を小さく上げてそれに応えると。
「最後にひとつ、先輩としての老婆心からアドバイスしておくよ」
「え?」
一度は背を向けようとしていたその動作を休止させて振り向く。
「香田クン。そこの彼女とちゃんと向き合って納得いくまで本音で話して欲しい。少しでも疑問に思うことや反論があるなら、良い機会だと思って互いにトコトン話すといい」
「え、あ、はい……」
どうやら先輩ってのは『ゲームの』ではなく、『人生の』ことのようだった。
「遺恨っていうのはね、時間と共に固着して、やっかいになるものだ」
そう言い残して、エドガーさんから去って行った。
「……」
「…………」
取り残された形の俺たちは、自然と見つめ合っていた。
それがテレ臭くて視線を外すと、そのまま深山さんを解放した。
「……離さないで」
そう言いながら、解放されたはず深山さんのほうから俺の腕を取り、そのまま胸にしまい込む。
「ごめんなさい…………もう少し……」
「う、うん」
互いにうつむいたまま、背後の山へと俺たちは無言で戻って行った。
◇
深山さんは、ずいぶんと落ち着いてくれていた。
会話が弾むようなこともないが、表情はいつの間にか柔らかく変化している。
登りづらい斜面の時も、俺の腕を開放しようとはしない。
……そろそろ俺も余裕が生まれてきて……肘の辺りから伝わる深山さんの胸の感触に、内心ドキドキしていた。
「納得いくまで本音で話して欲しい……か」
去り際、エドガーさんに言われたことがやたらと心に引っかかっている。
確かに俺は『大丈夫、大丈夫』となだめることに終始していた。
それも大切なことだけど――
「香田君」
「あ、うん」
――どう切り出そうかと思案していると、深山さんから話しかけられた。
「その…………あぁ、もう。何から話せばいいのか、わかんないけど……まず、その、ありがとう……」
「それは、何についてかな」
「追いかけてくれて、ハグしてくれて……大丈夫って言ってくれて……全部」
「う、うん」
「だから、何を話せばいいのかもまとまってないぐらいなんだってば……感謝の気持ちだけでも、先に受け取ってよ」
「うん……じゃあ、どういたしまして」
「ん」
横に並んで、どこか明確に目標があるでもなく歩いている俺たち。
深山さんはさっきから視線をこちらに向けようとしていない。
……まだ本調子じゃない、ってことなのかな。
「ここら辺で、一度座ろうか」
「うん……」
あれから10分は歩いたしもう大丈夫だろう。
深山さんの声を聞いて集まるのは外側の初心者狩りだけとは限らない。
例えば興味本位で、始まりの丘の初心者も寄ってくるかもしれないと考えてのこの移動だったが、それは杞憂のようだし少し広い草原に出て見晴らしもよくなったので、俺たちは横たわる巨木の幹に腰掛けて休むことにした。
座る時に少し転びそうになったのに、それでも俺の腕を決して離さない深山さんだった。
「あの、深山さ――」
「待って!」
――言葉を制されてしまった。
戸惑いながらも続きを無理やりに飲み込む。
「ごめん、待って……わたしからちゃんと話すから。香田君から質問されちゃうと……わたし、余計なことまで話しちゃうかもしれない」
「ああ、そっか」
その質問される怖さは、俺には計り知れない。でも、納得はできた。
「話す前に、俺からもひとつ」
「うん」
俺は迷うまでもなく、躊躇なく誓約紙を手のひらの上にポップさせた。
「俺も、面倒な誓約があるんだ。これ、読んで欲しい」
「……うん、わたし気になってた。それ」
俺の誓約紙の一文を指さす深山さん。
「――『求められた物はすべてを差し出す』……酷いね、これ」
「ははっ……深山さんも会ったことのある、あの原口につけられてしまった」
「差し出したの?」
「ああ。所持金も装備も何もかも」
「……すごい」
「え?」
「全部持っていかれて……仲間に見捨てられて。独りで、それでも戦ってここまで生き抜いてる香田君、すごい」
「お、おう」
何か異常に恥ずかしくなってしまった。
自分は凄いんだと誇張することみたいに思えて、自分で武器作ったり、レベルが上がらないこととか、そういう続きを言い出せなくなってしまった。
「……でも、どうして?」
「どうしてって?」
「どうして、わたしに……これ、見せてくれるの?」
「それはもちろん深山さんが見せてくれたから――……あ。いや、少し違うか」
「?」
「深山さんの隣に座るためには、必要なことだろ?」
「そ、それっ……殺し文句、過ぎっ……」
カァ~……っと途端に真っ赤になる深山さん。
惚れたら負け、なんて言葉をふと思い出した。
こんな些細な言葉ひとつで、そんなに真っ赤になってしまうんだなぁ。
嬉しくもあったが、それは、俺が今まで異性の誰かを本気で好きになったことがないという事実も同時に証明していた。
「ね……これは?」
「あぁ」
『2028年7月14日の日曜まで、何があってもログアウトしない。』
……りんことの一連のことを思い出して胸を少し痛くした。
「このゲームで初めて出来た友達とケンカしてさ……自分から言った約束を果たそうと思って、書いてみた。まあ、正直意味はないと思うよ」
「ううん……意味、あると思う」
「ある?」
「これを見る度に、頑張ろう、って気持ちになる」
「……うん」
俺が書き残したその意味を、正しく理解してくれていた深山さんだった。
「――そういう訳で俺は、求められると断れない誓約がある。深山さんにはそれをあらかじめ理解しておいて欲しいんだ」
「あれ……?」
小さく首を傾げる深山さん。
「無我夢中だったからちゃんと覚えてないけど……さっきわたし、『何も言わないで』って言っちゃった……でも香田君、普通に話してる」
「あー……」
ぽりぽりと頬をかいた。
「どうなんだろう……俺自身、確信が持てないけど……色々と『そう』ならない理由は思いつくよ」
一度、今までの経験から導き出された考えを事前に脳内で精査してみる。
……うん、間違いないと思う。
「まず、命令としての不明確さがあるのかな?『何も言わないで』では少なくとも俺の中では『何かを求められた』とは受け止めないと思う。せめて『何も言わないで欲しい』ぐらいは必要……かな」
「そんなに違うの?」
「うん、俺的にはね。たぶん『欲しい』という言葉は俺の中で強い。その時初めて『差し出す』イメージに繋がる。『言わないで』だけだと禁止や抑制にしかならない」
そこまで言って、もうちょっと本質に迫ることができたので補足する。
「そもそも禁止や抑制は、引っ込めるものであって『差し出すもの』じゃないと解釈もできるね。だから構成要素が足りなくて不成立になるのかも」
「うん、すごく納得できたけど……まだ、違う可能性があるの?」
さっき冒頭で『まず』と言ったことをちゃんと覚えてくれている深山さん。話が横道に逸れなくて非常に助かる。
「もしかしたら、こっちの要素のほうが強いかも。とりあえずその深山さんからの言葉を聞いて俺は別の意味に解釈していた」
「え? これ、違う意味になるの?」
「深山さんの伝えようとした話の趣旨は『質問しないで』だったんじゃないかな。少なくとも俺はあの言葉を聞いてそう解釈していた。だから『言葉を発する』という行動自体に対する誓約には、俺の中でなり得ないのかも」
「ああ……! うん、その通りだと思う……」
つまりこの誓約ってのは、所持している本人の解釈によっては、書いた他人の意図とは別の意味として機能する可能性があるってことだ。
ただ同時に、言葉の解釈っていうのは自動的に行われるものだから、思い込みや勘違いでもない限り、都合よく歪められるものでもない。
あるいはその言葉の意味を忘れたことにするのも不可能だろう。
ミャアを演じていた深山さんが『考えない』と自分を命令してもダメだった時のように、『忘れよう』と考えるほど、むしろそのことを意識してしまうわけだ。
「あと、今はすでにその効果は解消されていると思う。なぜなら一度、深山さんは俺の前から姿を消したから」
「あ。命令した人がいなくなると、リセットされちゃうんだ……?」
瞬時に理解する、やはり頭の良い深山さん。
「うん。じゃあ改めて言うよ。安易に俺に求めないで欲しい。俺の意思とは関係なく、すべてを差し出してしまう」
「……」
「深山さん?」
明確に、彼女の様子がおかしかった。
「……それ、わたしにだけは、言っちゃダメなことだったと思う」
「え――」
一瞬、りんこのことを俺は思い出していた。
笑顔を交わして……仲間になったと思った瞬間の、裏切り。
あの時の悲しさが不意に蘇り、胸の奥がチクリとした。
また俺は、あの痛みを味わうことに――
「す、好きな人に何でも求められる状況って…………それ、わたし……つらい」
「――はい?」
頭を抱えて本気で悩む深山さん。
深い深いため息を吐き捨ててる隣で、俺は目が点になっていた。
「香田君は……例えばわたしに何でも命令できる力があったら……どうする?」
「深山さんのことを……?」
「そう。何でも好きに命令できる絶対的な力」
「――……っっ……」
一瞬にして、よからぬ想像を脳内に広げていた。
あぁ……もう、言語化することもはばかられるが……こう、深山さんが俺の命令で泣きながら服を一枚ずつ脱ぎ捨てて、最後には俺の目の前で股を――
「あはっ……そんな例えは意味ないか。香田君はわたしのこと、別に――」
「――だああああぁぁあああっっっ!?!?」
「きゃあっ!?」
絶叫して、俺は強制的に妄想をシャットダウンさせた。
お、恐ろしい……とんでもないっ!!!
「えと……大丈夫?」
「大丈夫っ! そ、それでっ!?」
「だ、だからっ……その……ね? 香田君に……こ、これはただの例えよ!? ただの例えだけど。もし、キスしてほ――」
「――例えでも、ストップ」
「は、はいっ……!!!」
深山さんの唇に手を当てて、言葉を遮った。
たぶん彼女から『例えだ』と慎重に言ってくれたから大丈夫なんだろうけど、でも、念のためそれは防ぐべきだと思った。
なぜなら、俺自身が都合よく意味を捻じ曲げる可能性が……。
「…………」
「……」
彼女の唇が、微かに動いて……チュ、と俺の手のひらへと触れていた。
それは何かを話そうとして不意に触れてしまったのか、それとも意図して押し当てたのか。俺にはわからなかった。
「わたし…………大変、だっ……」
「お、おう」
――ダメだ、会話を変えよう。
「じゃあ、そろそろ深山さんの話……」
「え、あ…………はい」
顔色が途端に変わった。少し紅潮してた頬はすっかり血の気が薄れ、視線は溺れるように下へ下へとゆっくり沈んでいく。
「――最悪」
「え?」
「こんな話、した後にわたしの話をするなんて……最悪だ……」
意味はわからない。でも、遮る気にもならない。
その宣言は踏ん切りをつけるための一種の呪文のようなもので、最悪だとわかっていても話すことはすでに彼女の中での決定事項のように思えたからだ。
「……」
「黙ってくれててありがとう……うん、ちゃんと話すから、聞いてて」
ようやく俺は、深山さんとあの3人とに何があったのか、知ることができそうだった。
あれだけ拒んだ内容なのだ。俺も心して聞く覚悟が必要そうだった。
「えっと……どこから話すといいのかな……長くなるし……」
「深山さんさえよければ、最初からでもいいよ」
「うん……そうする――」
それは確かに長い話だった。
俺と原口を追いかけて、あの公園で話を聞いてしまったところから始まった。
EOEという存在を知ってすぐに調べて……無理やりにあの3人を、週末面白いところがあるからと誘って4人で夜に出発したこと。
特に久保さんが本当は嫌そうにしていたこと。
向かうタクシーの中で、鈴木が実は隠れゲーマーだと知ったこと。
そこから話は、さらに細かくなる。
改めて公式ページでゲームの情報を詳しく仕入れた後。鈴木からの提案で、パーティにはそれぞれの明確な役割が割り振られることになった。
鈴木が防御に特化した、いわゆるタンク役として敵からの攻撃を一手に担う。
岡崎が攻撃役。遠距離からのアタッカーとして魔法の攻撃力に特化させ。
ゲームをしたことのない久保さんがフォローと回復役。俊敏性を特化させて。
最後に深山さんが、リーダーとして全体のコントロールをしながら指揮を執る。
……そういう話だったらしい。最初は。
ここで、深山さんからアイディアが『生まれてしまった』。
深山さんは自分もあまりゲームが得意ではないから……ということで、攻撃に特化した岡崎へ、魔力を供給するプール役を買って出たのだ。
つまり他のすべてを切り捨てて、魔力の容量に特化させるという作戦。
魔法撃ち放題なんて最高、とすぐにこのアイディアは受け入れられた。
それも『誓約紙』のルールを斜め読みしたからこそのアイディアだった。
つまり、供給できるかも定かではそんな作戦は不確かで成立しない。
しかし行動に関わることであればそれをルール化できると読んだ深山さんは、『魔法を渡すことができる』と書けばそれを実行できると踏んだのだ。
もしかしたらタンク役の鈴木や、回復役の久保さんも魔法を受け取って撃てる可能性がある。それは最高だとタクシーの中で相当盛り上がったらしい。
ここら辺から、悲劇というか……事件は始まる。
キャラを制作してログインして。実際に魔法を渡そうと誓約紙へと深山さんがそれらしき一文を書き込むと、それは途端に消え去ってしまった。
何度書いても消えてしまう。
書き方が悪いのでは?と鈴木が言いだして、試しに鈴木が書き込むと、確かに深山さんの誓約紙にはその文章が残った。
しかし現実は思ったようにはならず、どんなに実行しようとしても魔法を仲間に渡すことはできなかった。
つまり、ただ、魔力の容量だけ馬鹿みたいにデカいだけで攻撃力は髪の毛の先をちょっと焦がすぐらいしかないという、ゴミみたいな魔法使いが誕生してしまったことになった。
それでなくても魔法使いは、魔法という絶大な恩恵を得るために筋力や俊敏性などその他の能力が著しく低く設定されており、この瞬間から深山玲佳は、このパーティの明確なお荷物になり下がっていた。
自分から誘っておいて……しかも深山さん自身のアイディアでのこの失態。
彼女の表現はずいぶんと自らを卑下していて、この時の正しい状況というのは正直わからないが、少なくとも冷ややかな扱いを受けていただろうことは間違いない。
そこで鈴木が言いだした。
罰ゲームとして深山さんの誓約紙に、それぞれひとつずつ命令を書こう、と。
それで許してあげる。もうイジるようなこともしない、と約束されたという。
深山さん自身も酷く引きずっていて、これじゃゲームを皆で純粋に楽しめない、と心配していたのでむしろ喜んでその提案に乗ったという。
そして……悪意の塊のような、あの誓約の数々が誕生してしまった。
誰がどれを書いたのか、深山さんには把握できていないらしい。
罰ゲームらしく、目をつぶるように言われたようだった。
まあ正直、誰がどれを書いたのか、その想像は軽くつくけども。
……目を開けて、彼女の澄んだ瞳がその誓約紙の内容を映した瞬間を想像して、俺は吐きそうになった。
その信じがたい内容の数々を見て、彼女はどう思ったのだろう。
彼女はそこらへんについて、明確な表現を避けていた。
俺も聞き出そうとは思わなかった。
とにかく、そこからの彼女たちからの執拗で攻撃的な言葉の数々は、深山さんの心を深く深く傷つけたようだった。
思い出すことも難しいらしい。大まかな概要を話すだけで、その大きくて綺麗な瞳から、大粒の涙が何回も零れ落ちていた。
……それらを聞きながら、俺は、怒りに我を忘れそうだった。
そうして耐え切れなくなった深山さんはパーティを抜け出て、本来の目的だった俺を探して、ひとりで6時間以上、ずっと彷徨っていたらしい。
仮眠が可能なほど平和な『始まりの丘』ではあるが、しかし何度かパッシブモンスターと遭遇したぐらいで戦闘を回避できたのは不幸中の幸いだと思う。
「――香田君を見つけた時……すごく救われた、気がしたの」
「ははっ……救われたのは、俺だけど……」
取り繕うように、冗談としても中途半端な言葉を口にして、何とか明るい方向に持っていきたい俺は軽く笑った。
「はい……以上、ですっ!」
無理やりにまとめて、そして深山さんは無理やりに笑ってみせてくれた。
「……うん」
完全に聞き手にまわっている俺からは、それ以上のことは口にしない。
とてもその先は聞けない。だから、俺は自分の心の中で模索した。
形容しがたい、違和感。
つまり俺は、正直こんな説明だけでは全然理解できなかったのだ。
あいつらの、あの、憎悪に満ちたあんな感情までは繋がってこなかった。
「鈴木や岡崎に……あんな風に憎まれてたなんて……わたし、全然わかってなくて……わたし、抑圧させていたんだな……」
それは向こう側の勝手な感情としては、その通りだと思う。
でも、正しいのは深山さんだ。
悪態を指摘して、それを止めさせることは抑圧とは言わない。注意と指導だ。
いくら鈴木や岡崎がどんなに愚かしくても、それは自覚していたはずだ。
だから最終的にはあんな『友達ごっこ』を演じて迎合していたんだろう。
つまり、気に食わなかったり、腹の中では憎んでたりという逆恨みの感情はあったのかもしれないが……果たして、時が過ぎた後の今となっては、そこまでの爆発力は生まれるのだろうか?
だって本当に憎いなら、一緒に遊んだりしない。
急なお願いに応じたりしない。
つまりある程度は深山さんのことを許していたはずなんだ。
「――あ、久保……!」
「えっ」
俺の一言でビクッ、と深山さんが肩を震わせる。
「……いや、ごめん……独り言」
「う、うん……え、えへへ……びっくり、した……っ」
その仮定の場合、久保さんの動機がよくわからない。
鈴木と岡崎が怖かったから、同調した……?
そういうのも無くはないと思うが、ちょっと苦しいとも思った。
「……」
さすがにそこまでエスカレートしたら、止めないか?
例えば……深山さんを追いかけて3人で探していたらしい。
『もう放っておこうよ』なんて言って、それを阻止はできないだろうか?
あるいは『体調が悪いから』とか言って、久保さんだけログアウトできないだろうか?
「……っ……」
俺は慎重に、あの瞬間を思い出す。
……そう、確かに深山さんを発見した時、彼女はこう言った――
『どうしたんですか、鈴木さん』
――と。
そこには、それなりの積極性が見て取れないか?
そして連動して思い出す。
『って、うっそうっそ、マジでっ?』
そもそも久保さんが尋ねたのは、そんな鈴木の反応に対してだった。
俺と深山さんが一緒にいることは、そんなに彼女たちにとって意外なことなのだろうか?
だって、たぶん話しぶりから察するに、深山さんの好きな人が俺だと強制的に告白させられているはずだからだ。
もしかして『俺と接点を持つためにEOEに皆を誘った』という事実は彼女たちは把握してなかった、ということだろうか?
つまり、俺がEOEにいることに、『出来過ぎだ!』と驚いた?
「……違う」
その推論は、たぶん違う。
俺の存在を確認してこなかった。香田孝人なんて名前、疑うまでもないとは思うが、それにしても『マジであの香田なのか?』ぐらいの反応が自然だろう。
『ひえー。深山と香田とか!? マジであり得なくない~!?』
『うっわ、告って速攻それとかドン引きするわぁ』
――実際は、こんな風な反応だった。
俺と深山さんが一緒にいることを非難するばかりだ。
どうしてそんなに非難する?
好きな人と一緒にいることが、なんでそんなに意外でドン引きなんだ?
そして、どうして鈴木は『死ね』とまでそれを見てエスカレートした??
興奮して泣いて言葉が出ないほど震えるって、どんな状態だ?
それって本当に、いじめて快楽を得ている人の反応か?
違和感。とてつもない違和感。
大切な部分と思った。
だから慎重に、出来る限り正確にあの時の鈴木の言葉を思い出す。
『なにが勝手な妄想で汚すなだよ、偉そうにばっかじゃねえの!!』
『てめえのほうがよっぽど汚ねえっての!! 死ね!!』
――確か、大体こんなことを言っていた。
全然違和感が収まらない。むしろ膨らむばかりだ。
何だろう、さっきから、どこがそう感じさせるのだろう?
「……汚い、か」
「っっ……!!!!」
思わず口に出してしまっていた。
まったく意図してなかったが、その言葉に深山さんが過剰な反応を示していた。
いつもはあれだけ屈することなく正面から戦う、強い深山さんがこんなに弱っているなんて、今でも――
「あ」
――それで俺の、違和感の理由が明確になった。
考えたくなくて、だから俺は無意識に『そこ』を避けて思考していた。
だからどんなに考えても理屈に無理があって、違和感ばかりが残った。
つまり――
「深山さん、嘘ついてるよね……?」
俺は本音そのままに、彼女へと質問した。





