悪役は一人でいい! 短編版
イーリス・エル・カッツェは、悪役令嬢である。
思い出したのは中等部の三年になったばかりの先日のこと。どおりでわがまま放題やりたい放題な生活を送ってきたものだと、彼女はそれまでのことを理解した。
生まれ変わる前の彼女は、稀代の悪役好きであった。
好きな言葉は悪。好きな色は黒。好きなキャラクターはDIO様。好きな最期は高笑いしながら自爆。
悪がとことん大好きな、とても濃い彼女である。悪役令嬢、いいじゃないか。是非ともやり遂げてみせようと、そう意気込んでいた。
この世界がゲームの舞台であることはわかっている。そして、イーリス・エル・カッツェがそのゲームの悪役令嬢であることもわかっている。
幸いというべきか、彼女がたどる結末は学園追放のみ。その後家からも追放されたことが示唆されていたが、少なくとも家が没落したり、国外追放になったということはなかった。
この国で生きることは出来るのだ。平民として暮らすくらいならば出来るだろうと、彼女は考えていた。
だが、問題点が一つだけある。
悪役令嬢となるのはいい。それが目的だ。
学園追放されるのもいい。平民となるのも問題ない。稀代の悪役となれるならば、そんなのは些細な事だ。
問題はそういったことではない。それはイーリス自身に関わるものではないのだ。
もっと言うと、世界全体に関わる問題である。巨大な悪が、世界を破壊せんと目論んでいるのだ。
それは、魔を支配し、魔物を使って世界を破壊しようとしている。
それは、魔族を統べ、人族を駆逐するべく巨大な力で戦争を広げている。
そう、巨大な悪。即ち、魔王である。
◆
イーリスの記憶には、「今日の天気は晴れのち恋」というゲームの記憶があった。
主要キャラクターに人気声優を起用し、キャラクターの細かい心情描写、引き込まれるストーリー、美麗なイラストなど、様々な要素が話題を呼び、人気作となったゲームである。
もちろん生まれ変わる前のイーリスも、そのゲームにのめり込んだ。様々なグッズを買ったし、イベントにも参加した。彼女の趣味とはかけ離れたゲームであったが、そんな彼女でも引き込まれるほどに面白かったのだ。
しかし、それは普通のアドベンチャーゲームであった。選択肢を選び、その結果好感度が増減し、エンディングが決まるという普通のゲームであった。
戦闘パートなんてないし、ゲームの中でヒロインが戦うシーンもない。
しかし、マニュアルを読めばその世界に魔法が存在することもわかるし、剣と魔法が戦う手段であることもわかる。
そして、魔物がいることもわかるし、ヒロインのアリス・イル・ワンドが高等部に入学する少し前に、魔王が討伐されていることもわかる。
魔王が討伐されていることもわかる。
そう、この世界には魔王がいる。そして、イーリスが中等部にいる現在、魔王は未だに健在なのだ。
世界は魔王の脅威に怯えている。世界中が魔王を倒そうとしているようだが、世界の足並みは揃わない。
物語通りならば、魔王は約一年後に討伐されるはずだ。だが、イーリスは魔王を倒すために攻め込んでいるという話は聞いたことがないし、そんな動きも国は見せていない。
もしかしたら勇者が召喚されるのかもしれないが、そんな存在はゲームに出てこなかった。勇者がいるのならば、攻略対象として出てきてもおかしくない。
ならば、魔王はこの世界の誰かが倒したのだろう。しかし、誰が倒したのか、皆目検討はつかない。
この国の若き剣聖か、隣国の魔術王か、武術界の生きる伝説である拳王か、旅に出ている放浪の聖騎士か、最強と名高い神剣の覇王か。
どれも有り得そうで、だがそれぞれの国が簡単に実力者を手放すとも思えない。
誰が魔王を倒すのか。考え続けて一ヶ月ほど経過したが、全く答えは見えてこない。
学園で授業を受けていても、日課の素振りをしていても、婚約者を打ちのめしても、近所の拳王をボコボコにしても、山一つを魔法で吹き飛ばしても、答えは見えてこない。
世界はいつも通りであり、魔王はいつも通り世界を侵略している。人族と魔族の争いは、激化する一方だ。
イーリスは悪役令嬢を目指している。しかし、同時に貴族である。悪役令嬢だからといって、民を犠牲にしようなどとは思っていない。イーリスは、ヒロインをいじめ、そして断罪されるという正当なる悪役令嬢を目指しているのだ。
このまま世界が滅ぼされては、悪役令嬢などなれるわけがない。しかし、世界を救おうという勇者は現れず、強者も重い腰を上げようとしない。
……仕方ない、動こう。
イーリスは覚悟した。誰も動かないのならば、ワタクシが動くしかない。片手間に魔王を吹き飛ばし、平和になった世界で悪役令嬢として断罪されるのだ。
チラリと自室の壁に目を向ける。そこにあるのは、遥か古代より受け継がれる神剣アラストール。選ばれし者しか扱えないその武器は、現在イーリスを主として認めていた。
「往きますわよ、アラストール」
呼び声に応え、神剣がイーリスの手に収まる。その瞬間に発せられた莫大な神気は、国中の精霊を活性化させ、最強が動き出したことを魔王に知らしめた。
「さあ、覚悟しなさい。ワタクシが本当の悪を教えてあげますわ」
神剣の覇王が動き出した。彼女を止めることは、誰にも出来ない。
そして、半年後。
「グハ……まさか……こんな小娘に我が……」
「世界に悪は一人でいいのです」
イーリス・エル・カッツェ。悪役令嬢を目指している覇王は、魔王討伐を果たした勇者となった。
そして、彼女は物語の舞台である高等部へと進学する。
◆
「どうして……」
高等部にある寮の一室で、イーリスは嘆いていた。
自分は悪役令嬢として相応しい行動をしたはずだ。なのに、何故……。
彼女には分からない。悪であろうとする彼女には分からない。分からないから、彼女はもう一度自らの行動を思い返すことにした。
悪役令嬢となるために、魔王を討伐した彼女。その後、何事もなかったかのように高等部に進学し、何事もなかったかのようにヒロインであるアリス・イル・ワンドと出会った。
数ヶ月も経つと、イーリスの婚約者である王子のカイル・エル・バハームドとの仲も順調に進展しているようだった。時折睦まじく歩いている姿を見かけたし、親切(?)な令嬢がイーリスに教えてくれたりもした。
いい頃合いだろう。ならば、悪役令嬢として行動あるのみ。
「ちょっとよろしくて?」
悪であるなら、孤高であれ。自らの座右の銘に従い、一人でアリスに話しかけたイーリス。イーリスに話しかけられると思わなかったのか、アリスは彼女を見上げたままぽかんとしている。
「……ちょっと?」
「ひゃ、ひゃい!」
ビクリと震え、大きく返事。そんなに怖かったのだろうか。傷つきそうになるも、悪役令嬢としてはいいことだと思い直し、イーリスは前向きに受け取ることにした。
「少し、よろしいかしら?」
「はい! なんなりと!」
悪役令嬢と言えばヒロインを脅すこと。人気のない空き部屋で、イーリスはアリスに冷たい視線を向けていた。
「最近、ワタクシの婚約者であるカイル様と仲がよろしいようですけれど」
婚約者と言うが、イーリスは婚約者のカイルとそれほど仲がいいとは思っていない。
何というか、カイルはイーリスに対してよそよそしいのだ。どこか遠慮しているようで、話す時も敬語を崩さない。友人と話す時は、大口を開けてまるで平民のように笑いあっているのに、だ。
「はい! 同好の士として仲良くしていただいています!」
しかし、アリスはカイルと親しくしているという。何故なのかはわからなかったが、まあこれは好都合だろう。このまま仲を深めてもらえれば、イーリスは悪役令嬢として断罪されるのは間違いない。
「あまり調子に乗らないでくださいませんか? ワタクシにも見過ごすことの出来る限度というものがありますわ」
「いえ、滅相もありません! イーリス様の不快になることなど何もしておりません!」
「……そう、その言葉、神に誓って言えますの?」
「もちろんです! イーリス様に誓って本当です!」
「そうですか。その言葉、信じますわよ?」
「光栄です! イーリス様!」
自分に誓う必要はないとイーリスは思ったが、多分間違えたのだろう。自分は誓われるような存在ではないと、イーリスは思った。
警告をしたことで、もしかしたらアリスとカイルが接触することがなくなるかもしれないとイーリスは思ったが、どうやら世界はストーリーを進めるようだった。
翌日も、アリスとカイルは仲睦まじく話していた。何やらカイルが嫉妬しているようにも見えたが、おそらく気のせいだろう。
都合がいいとイーリスはほくそ笑む。これで悪役令嬢として、本格的に行動出来るのだ。
その日より、アリスへの容赦のないいじめが始まったのだった。
魔法の授業で――。
「あら、ごめんなさい。暑そうだったのでつい水の魔法を」
「大丈夫です! 涼しくなりました! むしろイーリス様に出会えて心が熱くなってきました!」
剣術の授業で――。
「大丈夫かしら。ごめんなさい、わざとじゃないのよ? ちょっと手加減が難しくて」
「わかっています! イーリス様に手ほどきをしてもらえるなんて、至上の喜びです!」
掃除の時間に――。
「そんなボロボロの教科書いらないわよね? ワタクシの方で処分させていただきましたわ」
「ありがとうございます! イーリス様に処分してもらえて、教科書も本望でしょう!」
出会い頭に――。
「不快なゴミね。視界にも入れたくないわ」
「ありがとうございます!」
休日の買い物を終えて――。
「いい鞭が手に入ったのだけれど」
「お願いします! ぶってください!」
ストレス発散に――。
「この雌豚!」
「ブヒー!」
本心を知るために――。
「解唖○天聴!」
「愛します! 一生どこへでもついていきます!」
学園を襲ってきた賊を倒すのと一緒に――。
「オラオラオラオラオラ!」
「もっと激しく!」
邪神を滅ぼすのと一緒に――。
「メド○ーア!」
「刺激的に!」
隣国の軍隊を蹴散らすのと一緒に――。
「約束された勝○の剣!」
「ありがとうございます!」
思い返し、清々しいほどの悪っぷりだと感心するイーリス。
だが……。
「どうして断罪されないのかしら……」
悪役令嬢として、アリスのことをいじめてきたはずだ。言葉で、剣で、魔法で、その体を、心を、精神を、いじめ抜いてきたはずだ。
しかし、どういうわけか断罪されない。イーリスの婚約者であるカイルにも、イーリスの所業は伝わっているはずだ。ならば、婚約者に相応しくないとカイルが行動してもおかしくない。
婚約破棄と断罪。既にそれらが起きていても、おかしくないのだ。
「どうしてかしらねぇ……」
彼女には分からない。悪であろうとする彼女には分からない。
イーリスは悪であろうとする。しかし、イーリスは悪にはなれないのだ。勇者となった彼女が、悪であることを世界が許すはずがないのだから。
覇王勇者は、世界に正義の英雄として認められているのだ。
イーリス・エル・カッツェ。彼女は今日も、悪を目指して迷走し続ける。
「今日もイーリス様に罵ってもらいました!」
「何!? ボクはそんなことされたことがないぞ!」
「最近、よく私と話してくださるんです。それに、色んなご褒美までハァハァ」
「クッ、何故だ、何故だイーリス! 婚約者であるボクにはそんなこと一切してこないじゃないか! 何故こんな変態娘に!」
「やめてください、寒気がします。イーリス様以外にそんなことされるとか死んだほうがマシです」
「本当に失礼だね、君……」