12 ユングフラウのアスラン
メリルは東南諸島連合王国の大使館へは何度も来たことがあるから、いつものように竜舎がある裏庭に着地する。
『メリル、休んでおけ。行ってくる』
そう一声掛けてアスランは壁にフワリと飛び上がる。風の魔法を使えば、壁など問題では無い。
竜が裏庭に降りたので、警備の兵が走ってやった来たが、アスランは外に飛び降りた後だ。
「さて、ユングフラウの街は何か面白い物があるかな? 母上と祖母に土産でも買うか」
アスランは傲慢に見えるが、女には優しい面もある。ただし、ヒューゴ王の第一夫人や後宮の女は別だ。母に害する奴を女とは認めない。
なるべく大使館から離れた方がゆっくり見学できるだろうと、アシュレイは賑やかな商店街を探す。こんな時は妙に勘が鋭く、ユングフラウ一の繁華街に着いた。
「なかなか賑やかだな。農業ばかりかと思っていたが、華やかなドレスなども多いようだ」
ユングフラウはファションの都とも言われているのだ。だが、東南諸島連合王国の王族や大商人の妻はこんなに露出の多い格好はしない。
「香水なら良いだろう」
色とりどりのガラスの小瓶に香水が詰めて売っている。アシュレイは匂いを嗅いで、母上には優しい薔薇の香りを、祖母にはスッキリした柑橘系の香りを選ぶ。
「しまった。荷物持ちがいないのか」
常に侍従や護衛を連れて歩いていたアスランは、手に香水の瓶が入った小袋を持って歩くのが面倒だとぼやく。
「一旦、メリルの所に帰るか」
軽い香水瓶でも持ち慣れない物なので、アスランは持て余す。
「だが、大使館に帰ったら捕まるかもしれない。それは面倒だ」
アスランは公園へ向かい芝生の上に立つ。
『メリル! 来てくれ!』
大使館の竜舎で寛いでいたメリルは『アスラン? 何かあったのか?』と驚いて飛び立った。公園の芝生に座っているアスランを見つけてホッとする。
『やぁ、メリル!』
アスランはメリルが来てくれて嬉しそうだが、メリルはそれどころでは無い。安堵したが、何故呼び出したのか気になる。
『何か緊急事態なのか?』
メリルに詰問されて、アスランは拙いと焦る。他の誰に叱られても「ふん!」と素知らぬ顔をしているアスランだが、メリルには素直だ。でも、流石に香水瓶を持って歩くのが邪魔だったからとは言い難い。
『悪い! 休んでいるのに呼び出して、少し北部まで飛んで欲しいのだ』
メリルは何か変だと思うが、絆を結んで無いので心までは読めない。
『北部? ローラン王国か?』
アスランは、それも良いかもしれないと頷く。きな臭いローラン王国はルドルフ皇太子にカザリア王国のシャーロット姫を嫁に貰うのだ。これまで国境線付近にある鉱山を巡ってカザリア王国とは小競り合いが絶えなかったが、これで西部の安全は確保できた。後は東南部のイルバニア王国に狙いを定めるだろうとアスランは考えていた。
『あのゲオルク王は信用できない。だが、ユングフラウの街は呑気なままだ。流石に陸路での小麦の輸出は止めるだろうが……。そうだな、北の砦までで良いか』
ローラン王国にも一度行ってみたいが、どうもゲオルク王が好きになれない。帝国を復興させるとか誇大妄想狂的なプロパガンダを掲げるなど、糞爺より酷い王だと日頃から毛嫌いしている。生理的に無理なので、近づきたく無いアスランだ。
『北の砦まで行ったら、何処かで泊まらないといけない』
メリルだけなら往復しても平気だが、アスランの体力を心配する。
『北の砦に着いてから考えよう!』
アスランを乗せてメリルは北の砦を目指して飛ぶ。その北の砦にはイルバニア王国の竜騎士が大勢詰めているのだが、そんな事を知らせるのを忘れていたメリルだ。
普段は、東南諸島連合王国の竜騎士を乗せてローラン王国の王都カルディアに行く途中なので立ち寄ったりしない。それにイルバニア王国の竜騎士も、他国の大使館への竜の行き来を咎めたりもしないからだ。
『あれが北の砦だ!』
豊かなイルバニア王国の田園地帯を飛んで、少し眠たくなっていたアスランは、メリルの言葉で北の砦に注目する。
「あまり丈夫そうな砦では無いな……それに国境線の川は馬で無くても人でも歩いて渡れるだろう」
護り難い砦だと、アスランはもっと良い場所に砦を作れば良いのにと考える。
『北の砦を飛び越して、少し先のバロア城まで行ってくれ』
北の砦からもローラン王国のバロア城が見えた。どの程度の城なのかチェックしておこうとアスランは考えたのだ。
「大した城では無いな。私ならあの山から防衛壁を伸ばして長城にするが……ゲオルク王は北の大陸全土を自分の手にしたいから考えたりしないのだな。馬鹿だ!」
従兄弟のゲオルク王を信用して、おっとりと構えているイルバニア王国にも呆れるが、自国が攻め入る事ばかり考えているローラン王国も馬鹿にする。
『メリル、帰るぞ!』
反転して北の砦を飛び越そうとしたが、怪しい動きと認識されて竜騎士が待ち構えていた。
「ここはイルバニア王国の北の砦だ。何用があって竜で行き来するのか」
アスランは他国の竜騎士如きに自分の行動を指図されるつもりなどない。
『メリル、逃げれるか?』
『ふん、誰に聞いているのだ』
冷静に対処すれば良いだけだが、アスランはそんな真似はしない。一目散に飛び去る。
イルバニア王国の竜騎士は優れている。だが、竜に乗っているのが子供だと分かり、油断していた。
『止まれ!』と命じて、止まるぐらいなら最初から逃げ出さない。
メリルも他の竜に負ける気はさらさらない。全速力で飛び続ける。その上、アスランは風の魔法で追いかけて来る竜に突風を送りつける。
竜は魔力の塊のような存在なので、突風ぐらいは平気だが、乗っている竜騎士を心配して避けてスピードを落とす。
『もう追いかけて来ないな。メリル、少しゆっくりで良いぞ』
もう見える範囲には竜騎士はいない。アスランも少し冷や汗をかいた。
『ここまで来たら大使館に帰った方が良い』
北部の町にもメリルは泊まった事があるが、寝ている最中に北の砦の竜騎士に捕まりたくない。
『大使館かぁ。仕方ないな』
大使館には駐イルバニア王国の大使がいる。名前は確かフラナガンだ。
メリルにも全速力で飛ばして無理をさせたし、アスランは認めないがくたくただ。
メリルが東南諸島連合王国の大使館の裏庭に降りた時には、すっかり日は暮れていた。アスランは夜間飛行は初めてだったが、メリルは経験豊富だ。
『メリル、ご苦労だった。休んでおけ』
竜を労っている内に、フラナガン大使が走ってきた。
「アスラン王子、いったい何をされているのですか? 突然来られたかと思うと、何も言わずに出て行かれて心配しておりました」
アスランは疲れていたし、大使の相手などしたい気分ではない。
「メリルに少し餌をやってくれ。私も食事がしたい」
大使相手に偉そうに命じるアスランだ。一瞬、幼い王子に命じられて呆気に取られたフラナガンだが、竜舎の舎人に餌の用意をさせて、アスラン王子の後を追いかける。