優勝決定
8回裏。
「シールバックの守備交代と投手交代をお知らせします」
シールバック。
1番.センター、友田
2番.ピッチャー、井梁
3番.セカンド、新藤
4番.キャッチャー、河合
5番.ファースト、嵐出琉
6番.ライト、尾波
7番.サード、林
8番.レフト、本城
9番.ショート、東海林
ヒットを放った木野内であるが、ショートの東海林と入れ替え。ピッチャーは井梁で2番に入った。2点差を追いかけるわけだが、代打にはまだ地花と岡島が残っている。
ともかく、この悪い流れを断ち切るためには素質だけなら牧に太刀打ちできる奴をマウンドに上げる。
「ピッチャーは井梁!!ビハインドの状況ながら登板です!これが4人目の投手です!」
「最終戦だし、状況なんて言ってられんしな」
しかし、井梁で流れを切れるのか?
井梁は確かにシールバック内で最も優れた投手であるが、選手としては安藤や沼田にも劣る。シーズン通して制球難であった。
球速や球威が劣るとはいえ、牧はストレートをしっかりとコントロールできた選手。この差は大きい。
マウンドに上がる直前、阪東は井梁に言葉をかけた。彼が抑えても負けているという事実は変わらない。ただ、センゴクに傾いた流れを変えるための一球。
「3アウトの間に」
阪東は井梁に勝負ではなく、記録を伝える。
「このスタジアム全体を沸かせる投球をしてくれ」
キッチリ3者凡退で抑えろじゃなく。なんだその言い方は?
「自由ってことで?」
「ああ。もう、お前しか球場の雰囲気を変えられない。いや、俺を含めてお前しかシールバックを救えない」
そのプレッシャーを感じ取れるほど井梁は賢くない。ただ、井梁がしなければこのチーム全体の空気は変わらないと阪東が言っているのだ。
9月はところどころで失点。抑えとしては致命的な制球難が災いして、適正があるようでない。
「投手として、牧を越えられるのはお前しかいない。頼んだぞ」
8回裏。
センゴクは8番、前田からの攻撃。この場面で阪東はセンゴクベンチを見ていた。牧に疲れが見えてきたのは明らかだろう。となると、牧に打席が回るところで竹田が代打として出てくる可能性がある。
センゴクの守護神は屑川が務めていたが、シールバック戦で1敗をしている。さらに嵐出琉以外は左が並ぶ。そうなると、犬飼がマウンドに上がるか。嵐出琉までを屑川が、残りを犬飼が……ということもありえる。
しかし、どっちが出てこようと牧の全力と比べれば格下だ。新藤が打ち捕られた時、かなり終わったと思った。
「ボール!フォアボール!」
阪東が思考を巡らせている間に、井梁はテンポを崩して前田を歩かせてしまう。このミスは大きい。やはりシールバックの流れは悪いのだ。確実に無失点で抑えるには安藤か、あるいはケントの方が良かったかもしれない。
「…………」
2点差がある。と、思いたくはないだろう?下位打線から始まるならともかく、こっちは河合からだ。そうだろ?なぁ!
祈るというか、命令するように阪東はセンゴクベンチを見ていた。動かない場面のはずだ。お前は大エースだろ!!
「9番、ピッチャー、牧」
その確かなコールは全員が聞いた。その瞬間、スタジアム全体が祝っただろう。
「牧ーー!完投しろーー!」
「9回は三者三振で終わらせてくれーー!」
「優勝胴上げ投手だーー!」
野球ファンは熱狂するだろう。この圧倒的エースが打席に立つ意味。9回のマウンドに立つことを
「代打ではありませんね、水嶋さん」
「いけるところまで牧というのは分かります。それに前田が四球で出たからこそ、送りバントでも仕事になる」
屑川と犬飼を温存。いや、不安視していると阪東は感じていた。このペナントレースの大半、牧は圧倒的な力で完封と完投はリーグ最多を記録している。その男が1失点、しかも味方のエラーでの失点であり完封に近いものだ。
その後、わずか3アウトであっても重圧は相当なものだし、優勝を決める3アウトなのだ。抑えができるとしたら、インディーズの泉がやれるぐらいの状況だ。
牧に疲れがあっても続投させたこと。これが阪東達がつけこめる最後の隙。
「頼むぞ、井梁」
9回に牧がマウンドに上がる恐怖を一掃してくれ!(デッドボールじゃねぇぞ)
阪東の期待がどーゆうものか、まだ井梁は分かっていない。牧が投手であること、ランナーを背負った状態でのセットポジション。井梁は身体能力こそずば抜けているが、技術面ではギリギリプロレベル。
球威は落ちる。
コンッ
「牧!送りバント成功!1アウト2塁となって、ダメ押しのチャンスです!」
実況とは裏腹に解説の水嶋は、阪東のやることの答えを求めていた。この流れ、この雰囲気。どう考えても制球難のある井梁をマウンドに上げたのはミスだ。
ベテランで守護神をしていた安藤を上げるべき場面。2点差という意味を重く考えるべきだ。
牧に疲れが見えてきたとはいえ、ここでダメ押し点が入ればそこでゲームセット。3点なんてとれるわけがない。都合良く、3者連続本塁打なんて出ない。
「一体なにをする気だ?」
阪東の狙い。完全に捨て試合にしているとも思われる。井梁の球はヒットにできないが、四球となる。
「ボール!フォアボール!」
痛すぎる。1番、橋場まで歩かせてしまい。併殺打以外では回ってしまう、3番と4番。今から代えても代えなくても、やってはいけないこと。
「ああ~も~ダメだ~~」
「津甲斐!しっかりしろ!!」
「ですけど、阪東さ~~ん」
ベンチで井梁の投球をじっと見守るだけの阪東。確かにお前じゃ、キツイとは思っている。ただ試合の流れはどうできているか?今、選手達の周りを取り囲み、いろんな情報ツールで覗いている者達から来るものだ。
「…………」
ここを併殺打で乗り切っても、流れが変わるわけじゃない。井梁!それだよ!お前が持っているそのストレートを牧に見せてやれ!
タイムをとって伝えるべきことだったのかもしれない。しかし、それではまだ足りない。変に力むかもしれないし、狙い通りにはいかない事の方がある。
2番の庭がシュートをひっかけてサードフライに打ち捕られる。2アウトになったが、やっぱり回って来た超危険な打者。
「3番、ショート、小田」
このピンチに天才打者が打席に立つ。抑えれば流れは少し変わる。逆に抑えられなきゃ……そこまでだ。
河合と井梁は真向勝負。ストレートのゴリ押しで行く。
「ストライク!」
球速は158キロ。セットポジションながら球速も球威も牧を越えているが、
「それしかねぇよな、井梁」
小田は笑っていた。打てるという確信がある証拠。なんて野郎だ。
変化球にシュートとSFFがあっても、小田の裏をかかない限り抑えられる球じゃない。友田と違って、長打力もあるため一発なんて喰らえば即お陀仏。
そして、河合も元々変化球を好まない。ゴリ押しで行くし、井梁もリードをよく分かっていない。
捕手の受けたい球を投げるだけだ。
セットポジションから全力でストレートを投げた。その球速はついに162キロと、とてつもない速さと球威であり。
最上級のストレートをものの見事に打ち返してしまった小田の打撃能力。ライトを守る尾波のその上を行き、打球はフェンスを……
ドカアアァァッ
「フェンス直撃ーー!!162キロの剛速球を外野の後ろまで持っていったーー!」
「っ……完全なダメ押し点だな」
あわやスタンドに放り込んでいた打球。しかし、致命的であるのは確実。
2塁走者の前田がホームを踏み、その差は3点に広がりなおも3塁2塁。
この時、シールバックの選手のほとんどが諦めた。当然とも言える。このダメ押しは負けを決める一打。井梁も自分の中で最速を出したつもりだった。それでも倒せなかった、小田という天才。
「おい。それがお前の投球スタイルか?」
呆然とした状況下。タイムをとって、マウンドに駆け寄ったのは捕手の河合。チョップを喰らって、何をするという顔を作る井梁。
「お前ここまで2アウト。何で捕ったか覚えているか?送りバントと内野フライだぞ。らしくねぇな」
「な、なんだよ?」
河合は馬鹿である。井梁も馬鹿だけど、
「三振がねぇーぞ!お前の剛速球は四球じゃなくて、三振のためだろ?」
失点して呆然とする投手を鼓舞する捕手。あれ?わりと捕手をしてんじゃねぇか、河合。
「セットポジションは止めだ。お前の球速が死ぬ。3塁2塁で2アウトだしよ、ワインドアップでいつも通り投げろ。ホームスチールはねぇだろう」
「おまっ……」
「三振にすりゃ、守備陣も文句言わねぇ。さっさと1アウトをとって俺に打たせろ。俺"達"が逆転するからよ」
試合を諦めていない選手がただ1人いた。自分の打席があるからという強みがあるんだろう。しかも、ここまで……いや。河合がやっぱり、球団の中で一番成長している。去年やキャンプの時期では絶対に言わないことばかり言っていた。
今の言葉を録音しておけば良かったと井梁は思ったほどだ。
元気をもらえた良い鼓舞だった。
「……分かったよ。俺はストレートしか投げない」
ストレートにだけ全力を込める。他はホントに何も要らない。
プレイが再開する、ひとつ良い間をとったわけだが。井梁にとっては小田よりも相性が悪いであろう。
「4番、センター、徳川」
徳川が打席に立つと同時にだ、
「いったれーー!家靖ーーー!」
「ホームラン!ホームラン!」
「女キラー兼左キラーの実力を見せろーー!」
徳川の恐妻家ハーレム共を中心にセンゴクスタンドが騒ぎ出す。もはや勝った気でおり、さらなるダメ押し点を奴等は望んでいた。一方、徳川は集中できないと嫌そうな目でスタンド。特に奥様を見ていた。
左投手である井梁にとってはキツイ相手。
「小田の代わりにホームランかよ」
点差もある。ここは思い切っていくのもありだ。セットポジションからでは井梁のストレートの威力が落ちる。いっそやるか。
そー思っていた徳川を驚かせる。井梁が、この状況で当たり前のように振りかぶってきた。
「は?」
打席中、徳川が驚いた回数は2回。まず、井梁が振りかぶって投げてきたこと。それが1回目。次に驚いたのは自分の視線がいつの間にか河合の方へ向いてしまったこと。バットが少しも動かせず、……ボールを見ていた。
ドゴオオオォォッ
センゴクムードを一発でへし折った轟音。グラウンドが揺れたと感じる威力。
「あ?」
徳川は何も言えなかった。驚いて、呆然とした声を挙げただけ。
ドンチャン騒ぎをしていた徳川の恐妻家ハーレムも押し黙ってしまったほど。みんなが視線を2つに割っていた、一つは井梁。もう一つはスピード表示掲示板。
『172キロ』
は?
全員が黙った。歓声はなかったし、
「ナイスボール!」
そう言ってくれたのは捕手である河合。ただ1人。
「おいおいおいおい!」
打者の徳川もこれには焦った。タイムをとろうと思っていたのに、忘れてしまったほどだ。今の球、まったく見えなかった。ただ速いだけじゃねぇ。
井梁が投げるストレートはグングン加速する。最速であると同時に最速を維持している時間の長さ。
ドゴオオォォッ
『173キロ』
「ス、ストライク!ツー!」
「お、追いつかねぇのかよ……」
牧が最強の投手だと思っていた。だが、それは総合力としてだ。こいつはヤバ過ぎる。170キロ以上を出せるとかじゃねぇんだ。たかが10キロアップと思って、打てるだろうと思った6秒前の自分がアホだ。
ドゴオオオォォォッ
『計測不能』
「ストライク!!バッターアウト!!」
スピードじゃねぇ。全部だ。ノビも、重さも、スピードも。ストレートという誰でも投げられる球種の極致にいる。完全なボール球だったのに振っちまった。
どこにボールが来るのか、リリースポイントから見ても分からないほど、速くて、怖くて、目が追いつかなくてやべぇ。
井梁は消える球をとても単純に実現しているストレートを投げている。
「徳川3球三振!!最後の球はなんと計測不能!!しかし、前人未到の170キロ越え!!つまり、人を超えた投球です!!」
その大記録と圧巻の投球は
「173キローーー!?」
「最後の球なんて、計測不能だったぞ!!」
「人類最速だ!!」
井梁が1失点したという事実をもみ消し、シールバックが3点差という現実的に見ても重すぎるリードがあることを感じさせないほどの出来事であった。
シールバックの選手達も盛り上げて井梁を讃える。
「さすが最速投手!!」
「やったじゃねぇか井梁!!」
「メジャー挑戦前にこの記録かよ!」
全力で投げた球だった。井梁自身もまさかこの大舞台で自分の最速を出せるとは思わなかった。徳川との真剣勝負。否、ストレート勝負を挑むためだけの直球を放った。
それがあの結果だった。何も考えず、自分のストレートだけを信じていた。
「おーーし!反撃だ!絶対に勝とう!!」
先ほど、チャンスを潰してしまった新藤だったが、ここで声を出してチームを引っ張った。井梁が記録を作り、流れを持ってきたのだ。負けたくないという闘志が再び、チームに宿ったのは確かであった。
阪東の狙いは的中した。負けてしまうという嫌な気持ちが吹っ飛んで、点差が広がっても勝とうという気持ちがあればいける。一番大切な闘争心をチーム全体が得たのは大きい。
8回表と同じく。先頭打者がとても重要だ。最終回。
チームメイトのほとんどが河合の変化に気付いている。特に今日の河合はいつもと違うのに動きがノッている。プレッシャーとかじゃなく。本当の4番っぽい感じがする。
「4番、キャッチャー、河合」
「打てーーー!河合ーーー!」
新藤が自分の代わりと思って、河合に声援を送った。もう新藤にはチームメイト信じるしかすることはなかった。
河合が打席に入る前のこと、牧と橋場はマウンドで打ち合わせをしていた。
せっかく、優勝投手という大きな看板を背負うところだというのに、井梁の剛速球によって小さくされてしまった。
牧はあの3球だけで、井梁と自分が同格に近いものだと察してしまった。
「このままじゃ終われない」
8回まで1失点。試合の結果のみを考えれば牧の方が遥かに優れている。選手という見解なら100人中100人がそう答える。しかし、ピッチャーであり大エースと呼ばれる男だ。1番の投手でいたい気持ちは誰よりも強い。
「河合、嵐出琉、尾波。骨のある打者だ。こいつ等を、絶対に仕留める」
声に闘志というより殺意が篭っていた。
打たせやしない。絶対的な力の差で落とす。三振を狙っている証拠だ。気持ちを汲み取ってやるリードを行なう橋場だ。牧の要求をこの場で呑んだのは当然のことだった。
そのやり取りをキッチリ聞いているわけではないが、大方そうであろうと阪東はベンチ内から察していた。阪東が投手であり、捕手もこなしていた経緯から100%の回答だった。
「嵐出琉、尾波。それから……地花!」
林のところに入る代打、地花も呼ぶ。
牧を攻略するための作戦。8回裏で見せた牧の変化と、井梁が作った流れで打てる作戦。河合に伝えないのは4番打者であり、自分勝手にやっていいと阪東が認めているから。
あいつの心配はしない。なにせ、4番だ。逆に打者として作戦を授けたらプライドが傷付くだろう。力勝負で良い。
「河合が出塁するという前提だが、牧を崩す作戦を教える」
「あ、あの牧を崩す作戦!?」
「兆候が見えたからメドが立った」
阪東の作戦とは、
「狙うのは牧のチェンジアップだ」
「!チェンジアップを!?」
多彩な変化球を持つ牧に対して、球を絞るというのは難しい。しかし、阪東は現在確認されている変化球の中で、カーブとムービングファストはもう投げないと判断していた。
「今の牧は井梁の投球で大分熱くなっている。三振を狙っている」
阪東の言葉にやたら説得力を感じると3人は思っていた。
「8回表、友田に対してのカーブが外にスッポ抜けていた。それから千野、新藤に対しては1球も放っていない。牧はあの時点でカーブが失投する可能性があると判断し、カーブは絶対に使わない」
それとほぼ同じ理由で、精度がスライダーやチェンジアップと比べて甘い、ムービングファストも使わない。
「9回表で来る球は、ストレートとスライダー、チェンジアップの3種だけしかないことを頭に入れておけ」
「はい!」
「それから」
とはいえ、ストレートもスライダーも、チェンジアップも9回なのに十分に扱えるレベルの球だ。その中で狙い球をチェンジアップに絞る理由。
「お前達は十分な強打者だ!」
阪東自ら鼓舞して、その真意を伝える。
「ストレートとスライダーだけで真向勝負できるほど、牧の肝は据わっていない!必ず、逃げのチェンジアップがくる!それを必ず狙い打て!!お前達が牧をマウンドから降ろすんだ!」
「うっす!!」
全力投球をし始めたのは6回。そこからストレートを多様し始めた。その球速は150を常に超えていて、ノビもあるとくれば打ちづらい。
よっぽど、ストレート打ちに自信がなければ打てない。新藤ですら打てなかったのだ。
牧は自信を持って、ストレートを投げただろう。三振を意識するあまり熱くなった配球だ。打者は読んでいなかったが、得意な球が来たからこそ手を出したのは当然だった。
「お前じゃパワーが足りてねぇーんだよ!!」
4番、河合は怒りのフルスイングで牧の左を強烈に抜くライナーを放った。その速さはレーザービームの如く。フェンスへと突き刺さった一撃。
「河合!最後の反撃の口火をきる、弾丸のセンターオーバーのツーベース!!簡単に終わらせない!そーいった打撃です!!今日2安打!!」
反撃の準備が整った。
「俺の打つ仕事は終わったぞ。キッチリ、あと3人。ホームを踏もうぜ」
牧のストレートは確かに速かったが、制球が少し乱れ始めていた。やはり体力の限界が近いのだ。河合に打たれたことで牧も少し凹んだだろう。冷静さが売りなくせに、井梁に対抗しようとしたところをつけこんだような形。
「5番、ファースト、嵐出琉」
もし、2点差であれば80%ここで継投をしただろう。牧の限界が見えており、併殺チャンスもない状況。一発が出れば同点になるのだ。3点差という安全圏が牧の続投になった理由だ。
河合サン、チャンスメイク。
嵐出琉。今日は四球が1つだけと、新藤に次いで仕事をしていない。阪東の指示通りチェンジアップを待つ。河合に打たれたショックに逃げるという、理想的な部分が見え始めた。
「一つ、訊いて良いですか?」
「なんだ?」
ネクストバッターサークルを離れ、尾波が阪東のもとへ行って確認をとった。
「牧が強気に、ストレートとスライダーで勝負するという可能性もあるんじゃないんですか?」
尾波には不安があった。牧が逃げるという心理が少し読めないからだ。阪東が言っていたのは一般論みたいなものだ。
「本来、牧が万全だったらこれは打てる手じゃないんだ」
「え?」
「今の牧は隠してはいるが、相当アップアップだ」
同じ投手であり、スライダーを投げられる阪東。疲れがピークに達する場面で、スライダーを投じる。これはカーブを失投したから投げないという理屈とほぼ同じである。
「スライダーは指の感覚と握力が特に重要だからな。俺もヘトヘトで疲れている時、スライダーを投げたくはない。抜けスラという言葉をよく聞くだろ?」
熱いくせに繊細な性格がある。カーブが抜けて封印したところを見て、握力と指の感覚がなくなってきていると見ていい。今、ほとんど牧が頼れるのはストレートとチェンジアップ。
嵐出琉への3球目に投じられたのはスライダー。
「ボール!」
8回までは鬼のようなキレであったが、今の嵐出琉に対してのスライダーは随分とキレるポイントが早く。嵐出琉もついていかなかった。
「くっ」
スライダーを見切られると苦しくなる。ストレートで力押しでいきたいが、河合にさっき一発を喰らった。投げられる球は、
「チェンジアップだけだ」
阪東の予言どおり。4球目に投じた低めのチェンジアップ。スライダーと比べればまだかなり使えるこの球であったが、嵐出琉は待っていたと機に豪打。
三遊間を鋭く抜くヒット。
「再び牧から連打!3塁1塁!!低めに決まったチェンジアップを強く引っ張ったーー!」
友田の当たりももう少し高ければホームランにしていた。次も読んで打ったというのにシングルヒット止まり。牧のチェンジアップは相当良いボールだ。
「ストライクには投げないかもしれないが、打てるならそのチェンジアップを打て!いいな、尾波!」
「了解!」
チェンジアップはこれで3度、ヒットにされている。牧がこれで嫌がってくれれば、スライダーで勝負という目もあるが、左打者の尾波だ。
すっぽ抜けも怖いし、コントロールできずに尾波に当ててしまう可能性もある。そうなればノーアウト満塁。牧が降りるのは当然のことだ。
だが、こっちは四球じゃ困る。点差を少しでも詰めて降板させるのがベスト。だから、尾波にボール球でも良いからチェンジアップを打つように指示した。
「この場面だ。河合のホームインは仕方ないにしても、できるなら2塁でアウトをとろう」
「ああ!1アウト、1塁なら後続は大分楽だしな!」
「それで行こう!」
「牧!しっかり、1アウトだからな!」
内野陣が牧を上手に宥めて作戦も決めた。その作戦は阪東には分からなかった。とりあえず、熱くなった牧を抑えるという円陣と判断した。
「おし!」
ボールでも良いから、チェンジアップを打つ!
尾波の狙いは牧と橋場には分からなかった。先頭打者の河合がストレートを打ち、続く嵐出琉がチェンジアップを打った。狙い球がどちらなのか、センゴク側が決められないのは当然だった。
スライダーは嵐出琉に軽く見切られた。左の木野内にも打たれてるし、初球じゃ使えない。ここは緩いチェンジアップから入って、ストレートで押すのがベストか?嵐出琉に打たれたが、低めの良いボールだったんだ。自信持っていいんだぞ!
橋場は、チェンジアップを低めのボール球になるように要求した。
打たれた直後で同じ変化球を続けるというのは、投手の自信回復を狙った意味でもあった。
「!」
初球から狙い球のチェンジアップが来たことで、尾波が無様に手を出したのは当然。振った瞬間にボールだと気付くマヌケっぷり、打った瞬間。アウトになるまいと、全力で走った。
「尾波、引っ掛けたーー!!ショートに高くバウンドして上がった!」
「ゲッツーをとれるか!?」
ピッチャーの横だった。この内野ゴロで河合も嵐出琉も、次の塁へと向かった。打球は死んではいないがバウンドが高く非常に面白いところだった。
パシィッ
「2塁は」
ショートの小田。ボールを掴んでから、後続のためにも2塁で殺そうとした。自分の守備能力にも絶対の自信があった。その一瞬、2塁の方へ体を向けた。
しかし、嵐出琉の方が早く2塁を踏む。グラブトスなんてことをギャンブルでしなくて良かった。
「孜幡!」
2塁を少し見るという僅か過ぎる、この動作の間。そして、そこから一塁への送球までの動作に尾波が数歩走れたという事実があった。この土壇場で、記録には残らないがこーいったプレイが痛すぎる結果を生む。
パァァンッ
一塁を駆け抜けた尾波に下された判定は、
「セーフ!!」
どよめく場内。牧が膝を突いて、悔しすぎる表情をつくり。小田もまさかこんなことになるとは思っていなかった表情だ。
「タイムリー内野安打ーーー!!牧から3連打!!」
「まだノーアウトだぞ!押せ押せ、シールバック!!」
センゴク守備陣が。しかも、内野の要である小田のミスという誰も想定していない展開!!
「ピッチャー交代をお知らせします。牧に代わりまして、犬飼。ピッチャー、犬飼」
そして、散々苦戦させられた牧をマウンドから降ろすことに成功したシールバック。中5日と、1日早く投げさせなければ体力も持ったことだろう。井梁への対抗心、大エースたる矜持で踏ん張ろうとしたが体が限界であり、さらにピンチを作っての降板。
「ナイスピッチングだったぞ、牧ーーー!」
「全国シリーズで完封してくれー!」
ファンの声援がとても悔しく感じる牧。
「くそ……くそっ」
相当、心に残るノックアウトであった。
牧は悔しがるだけだ。もう降りた以上、次の投手をどうやって崩すかだ。ノーアウト、2塁1塁。残り2点差。左対左になるが、そんな小細工は力で突破するしかない。
「林に代わりまして、代打、地花」
牧が地花の前で降板してくれたのは大きい。まだ牧に余力があったら、後続じゃとても打てない。
ここは地花にヒットを期待したい。できれば
「地花!」
阪東は自ら選手にアドバイスを送って打席に立たせる。投手交代によって、また一から準備のしなおし。
「右方向!犬飼のカットボールに注意しろ」
一番怖いのはゲッツー。尾波の当たりは幸いにもバウンドが高く、小田の動作ミスもあってヒットになっただけ。あの流れが続くとは思えない。狙ってやれるものじゃない。
「三振をとれる球はスライダーしかない。当てにはいくなよ!振れば必ず当たる球しかないんだからな!」
地花は引っ張る打球を打てる。そして、足もある。
ここは中途半端に打つ指令ではなく、強く振らせること。地花の次、本城の方が器用な打撃ができる。人には人の、個性をやるべきだ。
「プレイ!!」
試合再開。
「代打の地花ですが、ここは8回表でみせた送りバントという可能性もありますでしょうか?水嶋さん」
「あの時とは後続の打者が違う。それに2塁1塁での送りバントはかなり難しい。簡単に1アウトを敵に与えてしまっては流れが切れてしまう。強行で、最低限の進塁打を狙うべきでしょう」
代打で登場した地花。一段と今日の空気は重たいものだった。
そりゃ試合に出たいと思ってベンチで待機していた。しかし、いざでると心臓を掴まれているような重圧がする。
一発出ればサヨナラ。
「っ」
そんな欲は出すな。繋ぐ事が優先される仕事。その上で
「ストライク!」
左の犬飼から出したということは確実に左打者の本城にも、犬飼が投げるということだ。ここで狙い球を絞り、初球から打てば本城が得られる情報は少ない。ヒット以外のミスをした時はこっちのダメージしかない。
"右方向"、"当てにいかない"、"振れば当たる"
初球のストレートは厳しく決まった。牧にも負けていない球速とコントロールだ。調子は良いみたいだ。
「うっし」
2球目もストレートで押してくるか?まだ見逃せるカウント、甘い球だけを絞っていこう。外角は無視だ。
できるだけ犬飼に球を投げさせて、目的の仕事をするのが俺の役目。2塁1塁じゃなく、3塁2塁にすれば本城が決めてくれる。つーか、決めろ!友田になんかに決めさせるなよ!
地花のチームバッティングは優秀であった。ここでヒットのみを考えていたら、後が続かなかった。ファールで粘り、カウント2-2。犬飼の持ち球であるカットボール、スライダーにもついていった。
この大舞台で犬飼はまったく甘い球を投げてくれない。しかし、地花も粘ってみせて、仕事をする。いずれ自分がスタメンで活躍するために、
「打ち上げたーー!ライト方向だ!」
「これは……」
ゲッツーにはさせないと地花がボールの下を叩いた結果だった。
「犠牲フライになるぞ」
理想形とは言えなかったが、ライトフライ。ライトの孫一が捕球すると同時に嵐出琉は3塁へと走り、キッチリと進塁。
「上出来上出来!」
「よくやったぞ、地花ーー!」
1アウトを謙譲するも、3塁にランナーを置いた状況。ここで打席に立つのは本城。地花がベンチに戻る前に本城に伝える。
「今日の犬飼は失投なんかしねぇぞ」
そんなことしか情報をくれないのかと、本城はライバル候補にムッとした顔をみせた。
「お前の次だって知っているからさ。ちゃんと、お前の打席は見た。ありがと。僕で決めてくるよ」
新藤と河合。その次期候補に本城と地花の姿があるように思えた。二人は間違いなく、この先大きな打者となり、チームメイトとなる予感がある。
本城はスタンダード。阪東からの指示も、"決めて来い"の一言で終わってしまった。そうじゃなきゃ。
「尾波に盗塁をさせないんですか!?阪東さん!一気に本城に決めさせましょう!」
「津甲斐監督。焦っちゃいけない。決められたら苦労しないさ」
尾波の足は速いが、盗塁は上手い方じゃない。それに犬飼は左、クイックも牽制も上手い部類だ。無論、尾波の盗塁を警戒している。その方が投球に制限は掛かる。
「ボール!」
地花とは違い、ボールから入った犬飼。その投球は尾波を警戒しながらのものだ。さっきは2塁1塁で、仕掛けられる手がエンドランぐらいであった。
3塁1塁という形は様々な仕掛けができる形だ。警戒心が高まるのは当然であった。本城は理を展開していく。
犬飼の球種を洗い出し、選択を絞っていく。犬飼に落ちる球はないが内外の出し入れ、球威とキレ、絶妙なコントロールでアウトを重ねる。
キィィンッ
「ファール!」
地花からもらった犬飼の7球が活きる。本城の打撃が早くも犬飼に適応している。
「ファールで粘ります。本城!」
「スピードにはついていっている。外の球をよく見て選びよる。なかなかやる打者だ」
犬飼がとれるストライクは限りがある。1つ、振り遅れを狙うストレート。2つ、外へ逃げるスライダー。それだけだ。どれも完成されているが、持っている武器が少なすぎる。
「打たせて捕るタイプの投手は打者に粘られると困るんだよな」
「どーいうことでしょうか、水嶋さん」
「手を出すべき球と、出さないべき球を見極められている」
変化球を簡単に、名もなく分けるとしたら。横に曲がる変化。縦に落ちる変化。そして、ゆっくりと来たり速く来る前後の変化である。
「カットとスライダーは似た曲がり。犬飼はスライダーとストレートしかない。それでも奴が一流の中継ぎであるのは、3種が完成されていると褒めてやる」
ただ投手としては完成されていても、配球面では異常に難しい投手ではある。
「しかし、いくら凄いからといってもストレートとスライダーしかない。犬飼は左打者に対して優位ではあるが、基本のみの攻めしかできない。典型的な外の出し入れだけ」
「本城のファールはやや中にきたボールばかりですね」
「良いところを見ているな。本城はきっと、インコースを張っている。狙いより遠くに来るボールはとにかくカット。遠すぎればバットを止めている。それが外に逃げるスライダーと十中八九読んでいる」
中から内に投げればやられると、バッテリーにプレッシャーをかけて外中心の配球にさせている。その配球にさせるだけでも効果的面。打者からすればストライクかボールかの判断はつきやすくなる。
「もし、犬飼がチェンジアップやフォークといった、スライダーと違う変化球があればこう単調にはならなかった」
水嶋の解説は正しい。犬飼の球はタイミングがとりやすく、ボールの軌道も分かりやすい。外の出し入れのみに追いやる配球にさせる本城の粘り。
スライダー以外の変化球があれば、本城はあっさりと三振か内野ゴロを打っただろう。
足のある尾波が一塁にいることもあって、犬飼の根負けが早かったのも理由としてあった。
「ちぇっ、決められなかったよ。地花」
バットを転がし、一塁へと歩いていく本城。公言どおりにいかなかった。
「フォアボール!!本城、2-2から5球粘り、四球を選んでみせました!逆転の走者が出ましたーー!1アウト、満塁!」
最後は犬飼がストレートを遠くに外したような球だった。投げられる球がないという状況をよく現した四球であった。
これで決定することはゲッツーがない限り、天才である友田に打席が回ることが確定した。さらに1打出れば同点は堅いという状況。
「9番、ショート、東海林」
ショートを守る東海林がそのまま打席に入る。
「代打はいいんですか!?阪東さん!」
「残りは岡島しかいないしな。足もあるし、巧打もある。東海林に賭けるのがベストだろ」
2番に入っているのがピッチャーの井梁だ。そこには絶対に代打を入れたいが、岡島の次に打てそうなのがショートの日向、……次に福岡か。東海林とどっこいどっこいだ。
東海林の代打に岡島を出して万が一、失敗。あるいは、1点しか返せずに2アウトになれば友田はどう考えても敬遠される。
それなら岡島を代打として残し、友田の敬遠は危ないと相手に迷わせるのが吉良。1アウトとられても良い状況と、1アウトもやれない状況ではできる打撃が違ってくる。東海林や日向達には重過ぎる。できるなら普通にスタメンを固定していた。
「ふーっ」
やれやれ参るよな。ここまでよく辛抱強く、1軍に残ってくれたゴールデンルーキー。新藤のバックアップと代打の役目をよく果たしてくれた。そう言ってやりたいのに、こんなチームの勝敗に掛かる場面で出さざるおえない状況がくるかもしれないとはな。
「岡島」
東海林の打席の結果次第でどーゆう動きになるかは分からない。双方のベンチ、この緊張感ある満塁かつ2点差で振るべきタクトを予行練習していた。
「ピッチャー、犬飼に代わりまして、屑川。ピッチャー、屑川」
友田は両打ちであるが、残りの代打を含めれば右打者が珍しく偏る。
センゴクはここで守護神、右の屑川を投入する。非力の東海林を力で抑えるには適任だ。ゲッツーが理想。しかし、一歩間違えてエラーすれば首に手が届いてしまう。
2点差というアドバンテージを感じさせないシールバック打線は異様だ。
「プレイ!」
東海林は必死に喰らいついた。自分もシールバックの一員。実力差があるとはいえ、この舞台で自分のスイングをした。シールバックの勢いがプラス思考に働いた。足が震えて見逃し三振もありえそうな、緊張した時だ。
「上がったーー!これは、セカンドフライになるか!」
しかし、相手がいるものだ。屑川も残り2アウトを必死にとりにいく。当たり前だ。152キロのインハイへのストレートを打ち上げさせる。
「アウト!!2アウト!!」
ランナー動かず、2アウト満塁。打席には友田、牧からも1安打を放っている。
「長打が出れば逆転もありえる展開」
「1本出れば確実に同点。決めてくるのが、シールバックだ」
水嶋も、阪東も。この状況で友田を封殺する手が浮かんでいた。満塁であるが、2点差という状況だ。そして、シールバックの代打は岡島しかいない。
2塁走者は足のある尾波。内野安打を決めたあの足なら、ヒットで十分帰って来れる。内野安打以外は同点と決めるべきところ。
できるか?センゴクベンチ。この状況、このムードの中で、勝ちに拘れるか?
屑川と橋場はベンチからのサインを確認。確率を考えればやるべき場面。屑川はマウンドに上がる前に、投手コーチから伝えられた。
サインを出したのはベンチからだ。絶対にこれ以降の後始末はベンチ達が責任をとること。この責任というのが、現場にいるようで現場にいない人間には重過ぎる重責。
「私でもそうする」
水嶋は解説者だ。オーディエンスというわけではない。橋場が立ち上がる。
「2アウト満塁!しかし、橋場が立ち上がっている!!まさかこれは……敬遠か!?友田との勝負を避け、1点差にする決断をとりました!!」
タダで相手に得点を与えるという行為。ブーイングもあるだろう。しかし、退くという勇気。勝ちを得るための罵声は承知した。友田と戦い、万が一同点になれば流れはもうセンゴクには傾かない。
恐怖を知ること、その立場にいるということは
「勝負しろーー!」
「友田と戦えーーー!」
野次を飛ばす者共よりも、彼等は本当に生き死にの手前で戦っている。
恐怖を知る。知ったからこそ、退いたのがセンゴクの判断。ここで戦えという馬鹿は状況に混乱したか、本当の馬鹿であるだけ。もう首が絞まっていることをよく理解したセンゴク側。
多くの人間はその恐怖を見もせず退くものだ。この敬遠には恐怖を知ったからこその、逃げるという魂が込められている。
「フォアボール!」
「友田!!敬遠!3塁走者の嵐出琉がホームイン!!1点差!1点差までシールバックが詰め寄りました!なおも満塁です!」
スタジアムのほとんどがシールバック側を応援していた。
しかし、この敬遠の素晴らしさに驚嘆とした者もいる。吉と出るか、凶と出るか。
「辛いのー。この試合を決める局面をたくせるのが、ルーキーとはな」
「水嶋さんには友田の敬遠についてどう思ってみてましたか?」
「野球の根源は"ゲーム"よ。優勝が決められる場、少しでも勝率がある選択をとるべき場面。どちらもやれるだけの手を打った。あとはどーゆう結末がでるかだけ」
采配を振るう時は決心しろ。
「いいな、初球から。思い切りいけ」
責任をとるということは、自分を信じたということ。自分のやってきたことをちゃんと正しくする必要がある。その罰は受ける覚悟はある。
「代打、岡島」
高卒ながら、代打として、新藤のバックアップとして150試合。一軍と帯同していた。頼れる右の代打屋として、シールバックのありがたいメンバー。
セカンドだけでなく、サードも守った。攻守共に一軍でしっかりと出番を作っていた。
「新藤と尾波、林がいなければレギュラー争いもできた。逸材だ」
打力だけなら十分にこの決定的場面に立つ資格が岡島にはある。ルーキー。若さを武器に、思い切りの良さが目立っている。
ここで決めると、屑川の気迫はビシビシ伝わっていた。格上であり、年上である。なめられてはいけない。マウンドに立つこと、上から打者を見下ろすこと。
雄叫びと共に投げられるボール。
「うおおぉっ」
初球からストライクをとれるか?自信のある球を投げられるか?
「っ!」
阪東は言っていた。
友田は敬遠される。それがもっともセンゴクにとれる最良の作戦だ。
この場面なら投手の屑川もそれを重々承知するはずだ。しかし、投手として敬遠という行為は屈辱以外、何者でもない。
『熱くなって投げる球が、ストライクに来るかどうかは賭けだが、屑川の第一球。渾身のストレートをフルスイングして仕留めろ。思い切り振れ!』
多彩な変化球を持っている屑川。ノーコンという面も含めれば的を絞るのは困難。この1球しか、岡島に勝ち目はないと阪東は信じた。
岡島がこれまでどおり、この打席に立てる資格を思い返せば行くしかない。
カァァァンッ
「初球攻撃ぃぃっ!!」
実況の声が裏返る。屑川のストレートがミットに収まればボールであった。
「三遊間!!」
しかし、球が上ずっていた。岡島のフルスイングは綺麗にボールをその上から叩き、ライナーとなって弾き飛ばした。屑川のストレートに力負けしていない打球。
屑川も打球の方向を、ひんやりした表情で追っていった。飛んだコースはヒットゾーンだ。
ショートの小田は反応できた。そして、飛び込んだ。岡島の打球に追いつける身体能力は才能と練習を重ねた者にしかできない動き。
グラブには打球を一度、当てることができた。
ポーーンッ
「フェアッ!」
打球はレフトに届かず。小田の横へ、グラウンド内に転がった。小田はすぐに打球を掴んだ。あと1アウトが一つだけだ。どこでも良い。
だが、本城も友田も。次の塁への進塁はほぼ確定的な位置にもういた。全力で送球するべきところは1塁のみ。小田はそれがよく分かっていた。
パァァンッ
今度は小田のプレーにミスはなかった。このプレーは万が一の逆転を防いだ、確かなファインプレー。
「セーフ!!」
「シールバック!!追いついたーーー!代打、岡島のタイムリー内野安打!!いや、しかし!小田が止めなかったら、一打逆転でした!凄まじい攻防!!」
「あれが抜けんとはな。さすが、最高のショートだ。恐るべき守備範囲」
逆にもう少し、ショートに寄った打球であればセンゴクが勝っていた。
同点に追いつかれたという流れから、サヨナラを防いだというセンゴクにわずかに傾いた流れ。
「まったく。なんつー、試合。そして、引きだよ」
この回、先頭打者だった河合がネクストバッターズサークルに入った。この流れで逆転できないというのは、もしかするとこいつのせいかもしれない。岡島や本城には悪いが、やはり役者が違っている。
「お前でセンゴクの息の根を止めてやれよ」
流れが中立に戻された。ここで逆転しなければ負けるかもしれない。センゴク側からしたら、1点で勝てるのだ。
「3番、セカンド、新藤」
まさか、同点という場面で新藤に回るとは本人も予想してはいなかっただろう。
8回表はやっちまった。しかし、そんなミスをした記憶など。今の打席にはない。あるのは、決定打を放つこと。
敵に傾きかけた流れをしっかりと切る。そーいう打者だ。
「……………」
岡島に打たれ、屑川も闘志こそ魅せるが、動揺しているのは確かだ。
初球は打たない。打ち頃にはまず来ない。
新藤の理はこの決定機で冷静に働いている。投手心理、状況の確認。全てを頭の中で網羅し、正確に計算している。それができなければ3番にいる資格はない。
「ボール!」
岡島とは格が違う。新藤だからこそ、センゴクバッテリーが慎重に動いたのは事実。ここでストライクを容易にとれたら苦労しない。失投が許されない。まともにいけない。
精神的にタフな状況を要求される場面。
「ふ-っ。ふーっ」
「はーっ、はーっ」
新藤はどんな球でも打つ。バッテリーを疑心暗鬼にさせる。平然と見逃しているなら、手の内ようがあるのだが。ボールの見極めが鬼。
審判のストライクゾーンに、新藤は完全に合わせた。絶対にボール球には手を出さない。内と外、高低を活かした投球術がまるで使えない。
「ボール!」
「くっ」
ノーツー。ギリギリのボールだというのに手をまったく出さない。ストライクがとれないだけでボディブローのようなダメージが来るバッテリー。押し出しなんてできるわけがない。
真向勝負をするか?
いや、岡島に許した安打が脳裏に浮かんでできるもんじゃない。
「どの選択が正しい」
シンカーだ。屑川!この球種はペナントでもそう投げてはいない。情報が少ないはずだ。ストライクゾーンでの勝負が難しいなら、前後で勝負する。緩急を活かして新藤を内野ゴロで打ち取る。それしかできない。
橋場の選択は逃げるように変化球を進める。ストレートを嫌っているのは新藤も、計算に入っていた。ストレートを嫌って何を投げるか?屑川には色々な変化球がある。もうくじ引きのような感覚。同時に逃げ。
振らずにして、新藤は罠を張る。
十中八九、緩い球からストライクゾーンに来る。
シンカーを読めるわけじゃないが、似た変化球で絞れる。タイミングさえあえば多少、芯から外れていても力で内野を突き破る。それが新藤には出来る。自分への信頼。卓越した理も含めて、
渾身の一撃と、退いてしまった投球。比べるまでもなく。結果は決まった。打球はもうすでに
「右中間真っ二つ!!3塁、2塁、2人帰ったーーー!」
「まだ終わらないぞ!岡島もホームへ突っ込んでいる!」
「徳川!返球する!間に合うか、間に合わないかーー!」
どのみち、この1点以降は必要のないものだ。勢いで来た。
「セーフ!!」
「新藤!今度は決めたーーー!走者一掃の、タイムリーツーベース!!この回6得点で逆転ーーー!シールバック、未曾有の大逆転!!」
終わったのだ。この長い長いペナントレースを、
「河合!!ダメ押し弾!!新藤を歩いて帰す、ツーランホームランでトドメを刺したーー!打者一巡の8得点!」
打撃高騰。
シールズ・シールバックは最終戦その9回表。大エース牧から3連打を放ち、その後は細かく選手達が繋いでいき、逆転に繋げる。そして、1点では終わらずに敵の戦意を打ち砕くまで浴びせる猛攻。
今年、優勝した理由を教えてくれる猛攻をこの最終戦でやってのけた。
裏にセンゴクの攻撃が残っているという印象を打ち消してしまう、打撃偏重過ぎる打線。
「ゲームセット!!」
「優勝はシールバック!終われば9-4の圧勝ーーー!」
ガッツポーズする、勝利マウンドに上がっていた安藤。ついに念願のペナントレース優勝。敵地でやる胴上げ。歓喜の時間。
「よくやったぞーー!」
「最高の試合だったぞーー!」
全ての場所からの祝福の時だった。みんなが励ましあって、喜び合っていた。
「やったな、河合!今日はお前のおかげだ!いや、ペナントレースを制することができたのは4番がお前だったからだ」
「いいとこだけもらいやがってよ、新藤め……」
新聞やテレビで大きく取り上げられることとなる、3番新藤と4番河合の綺麗なハイタッチ。この2人が中心となった打線であるのは間違いない。
そして、その2人を抜擢し、ほぼ固定させた男。
「阪東さん!胴上げっすよ!胴上げ!」
「シールバック一番の立役者!!」
ベンチ内の人間が全員、グラウンドに飛び出しただろうと思っていたが。その輪の中に
「阪東さん?」
「!……おい、阪東の奴はどこにいったんだ?」
「見た奴はいねぇのか!?」
監督として、全試合の指揮を執っていた阪東孝介の姿はどこにもなかった。
およそ、2ヶ月と少しの間。
投稿していたこの作品ですが。まだ回収し切れていない伏線を残したまま、完結という形をとらせてもらいます。
個人的な事情で申し訳ありませんが、
かなり楽しく執筆できた作品で、思い入れと愛着も書いていく内に湧いてきてしまい。ペナントレースで起きていた別の出来事、またその中で起きた事件。
さらにはこの後に控える、すんごいラスボスとの全国シリーズ(7試合)があるわけですが。細かく書きたいことと、書いていて熱くなる展開にしたいというのが、一部完結という形を選ぶ結果になりました。
阪東さん、どこ行ったのよ…………。
今年中にしっかり書いて、もう一回続編を投稿したいです。なるべく秋ごろには書き終えようと思います。
そのためにはそれなりの準備期間が膨大に必要だと感じているので、キリの良いペナントレース優勝という部分で一旦、この手を止めます。投稿ペースが区々ですと、自分自身も辛いのと思い切って書き辛いのです。
ところどころ、モデルになった選手やパワ○ロ的な部分が出てきました。野球は好きですが、そこまで詳しくないのでちゃっちーとこも出してますが、
少しでも楽しんで頂ければ嬉しい限りです。
ではまた、よろしくお願いします。




