禁酒宣言
「俺はもう酒を飲まねぇー」
そういう男は今、酔っ払っている。
「かーっ……。なんでカイン戦を負け越しちまうんだ。もったいねぇよな」
「木野内さん。お酒、強くないんだからその辺にしなよ。明日も試合でしょ」
「だからってー、俺が若手みたいに汗を流せってのかー!?休養だって、酒だって大事なんだよー!さっきの発言は嫁に泣きついて酒をせがんだ言葉です!」
ベテラン外野手、木野内。
本拠地の近くにある行き着けの居酒屋で夜食をとっていた。家には奥さんと子もいるが、
「最近、成績が振るわないから夕御飯はなしって……あんまりだろ~。なぁ~。体調管理をするのが野球選手の嫁の仕事だよな~」
「鬼嫁ですね」
「確かに今、7打数ノーヒット。阪東も俺をスタメンで使ってくれない。若い本城や、右打ちの千田が中心……俺とマルセドは代打や守備固めばっか」
阪東がそうした采配をしているのは本城の調子が好調を維持しているからだ。彼の5月の成績は2割9分。クリーンナップほどの打力で貢献してくれている。
「だが、あいつにはまだ経験が足りねぇ。チャンスメイクが良いところだ」
「そりゃ2番ですからね。送りバントも多いし」
「ふん!昔の俺なら今の新藤みたいに、友田を返してるわ!まだ阪東に信用されてねぇ証拠だよ」
「じゃあ、今日のチャンスで打ってくれよ。ファンも木野内の復活を期待しているんだから」
戦力外通告を受けてからの採用。しかし、実態は年俸を安くさせるためのルートに過ぎない。木野内は解雇されるまではかなりの額の年俸を持っていた。
「昔は花形のショートで4番だろ」
「林の野郎もそうだったな。あいつのポジションはサードだったが」
「シールバックファン以外に、ちゃんとした木野内ファンってのはいるはずだぜ。明日はちゃんとやってくれ」
ま、ちゃんとやれないと恥ずかしいし、怖くて家にも帰れないわけだ。俺はとんでもない嫁さんとくっついちゃったよ。
「この居酒屋も堂々と、木野内が来る店と宣伝したいからな」
「止めてくれ。俺は静かに晩酌してぇんだ。明日打てなかったら宣伝しろよ」
チャンスが来るかどうか分からない。それは若手時代の話さ。
ちゃんと実績を積んでいるこのおっさんには何回でもチャンスは来る。最近、身体が重くなってきたせいで、スイングが甘くなってしまった。
嫌だね、年波には勝てないな。このチーム最年長だしな。
「9番、旗野上に代わりまして、代打、木野内」
代打は最大の見せ場を作りもするし、決めたりもできるところだ。
スタメンも好きだが、こういった痺れる場面で使ってくれる阪東の采配は嫌いじゃない。
「若返った気分だぜ」
ツーアウトだが、東海林の二塁打でチャンスになっている。もう8回だ。3点差を付けられて、とても勝ち目があるとは言えないが。後ろは友田、尾波、新藤と続く。
俺の出塁次第じゃ、ひっくり返るかもしれねぇ。
「こいよ、若造」
お前の倍。このプロ世界で戦っているんだ。
カイン戦。12回戦。
2連敗している状況での最終戦だ。なんとしても勝っておきたい。代打に木野内を送り、友田、尾波、新藤の3人の連打で追いつくことを期待する。
相手投手は中継ぎの平石。カットボールと縦スライダーを武器とする投手。打たせて捕るピッチングが持ち味。
本来、3点差。8回。それも2アウト。得点圏にランナーがいても、怖くはない場面のはずだ。
しかし、それがそう感じない。シールバックの上位打線はそれだけ脅威。しかも、今日の先発が久慈ということもあって、2番に尾波が入っている状況。確率的に安全な打者がいない。
「ボール!」
2ストライク、2ボール。
ここまでの配球はストレート。ストレート、カットボール。ストレート。
三振は狙ってこない。平石にそんな投球はできない。
カインの守備陣を考えればカットか、縦スライダーをひっかけさせての内野ゴロ。平石のカットのキレはいいが、俺は左だ。右から入ってくる変化は幅が見極めやすい。なら、縦スライダーか?
ストレートはカットだ。縦スライダーに張って、東海林を返して2点差にしてプレッシャーを与えてやる。
木野内の読みは経験や理を元にしている。それはこのくたびれた身体でやっていくための技術であった。
「!?」
カットボールだと!この捕手、裏をかくリードをしやがって!
全盛期は凄かった。昔の俺の方が凄かった。自慢しても、今の子には通じない。
嫁もこの惚れた部分を忘れかけてしまいそうだ。ちょくちょく快音を残してやらねぇと、捨てられてしまう。
テレビ越しじゃ鈍くてダサい音として残るかもしれない。一度振ったバットは中途半端に止めない。バットを振り切りながら、打球をコントロールする。
「ピッチャー、横!!抜けるか!!ショート野尻、追いつかない!!」
打球は強くないが、転がした方向がヒットコース。しかも、内野を抜けるオマケ付き。これがプロで培った木野内の技術力だ。
センター前ヒット。打球が弱かったこともあり、東海林は一気にホームまで駆け抜けて2点差に詰め寄った。
「阪東さん!代打采配、見事ですよ!」
「決めたのは木野内だ。彼を褒めろ」
「このまま、追いつけー!頼むぞ、友田ー!」
しかし、カインの監督である渥美が大胆な手を打ってくる。
なんと抑え投手であるトニーをこの場面で投入してきたのだ。中継ぎの層が薄い中でこの強攻策をとるのはあまりに大胆。
3連勝が大事と、彼女の気持ちが伝わってくる。
「さぁ、抑えてよ。トニー」
いかに友田が天才といえど、10割打者ではない。キレのあるスクリューを引っ掛けさせられ、3アウトとなる。カインのピンチは逸した。
「だが、チャンスはないぞ」
8回裏のカインの攻撃は7番から。9番に抑えのトニーが入っていることで代打もないだろう。渥美監督はこの2点差を護り切る考えだ。守備能力が高い8番、高崎にも代打を出さなかった。
2点差。リリーフエース。磐石のはずだ。いかに強力な打線といえど、2点はとられない。
2番、尾波。この打者を出さなければカインの勝ちの確率は上がる。
「実力勝負だ」
打ってくれと、願うよう見守る阪東。守ってくれと、願うよう見守る渥美。
勝負は……。
「アウト!ゲームセット!!」
尾波、新藤。共に凡退。河合がヒットで出塁するも、続く嵐出琉が凡退し、ゲームセット。
投手力が良いと、さすがの打線でも超えられなかった。
そして、シールバックはこの日、カインに2位の座を明け渡してしまった。
「ふがいねぇよなー!友田も尾波も新藤も……俺がグチグチ言えば良かったか?今日、十割打者の俺が言うべきだったか?」
「木野内さん。あんたは1打数1安打、1打点でしょ?しなきゃ代打の意味がないよ」
「うるさーい!今日は勝てる試合だったろー!くそー!」
身体を動かすのがやっとなこの年。
せっかく活躍したのに敗北したとあっちゃ、誰も覚えてないだろう。
「当たりも渋かったですね……強いて言えば地味かと」
「うるさーい!裏かかれても、ヒットにした技術に着目しろー!」
「木野内さんが裏かかれていたなんて視聴者には分かりませんよ」
自分は主役共を支える脇役であるのは知っている。もうこんな年だって、何べんも言い聞かせている。しかし、少しくらいは……
「まぁ、もしシールバックが勝ってもお立ち台は木野内さんじゃないでしょう。勝ち越し打の人です」
「わ、分かってる風に言うな!」
チャンスの期待に応えた選手にも注目して欲しい。あと、2回はお立ち台に上がって嫁にも、ファンにも叫んでやりたい。
「はぁー、なんで俺はこうなっちゃったかな」
「ところで家に帰らないんですか?」
「チームを勝たせなかったら飯と寝床抜きだってさ。さっき電話したらそう言われた。代打で活躍したのにー……」
木野内。4日ぶりに嫁の飯と、嫁がついでくれる酒が恋しくなった。




