閑話:墓なき親
その問題は、巨大地震がこの国を叩き壊すずっと前から、テレビの特集や週刊誌の見出しとして、ありふれた不安の形をとって存在していた。
――墓を継ぐ者がいない。増え続ける、無縁仏。
その言葉を目にするたび、千葉の公営団地で暮らす佐藤健一と恵子の胸には、東京で暮らす一人息子の顔がぼんやりと浮かんでいた。
決定打となったのは、2027年の夏にかかってきた一本の電話だった。山形に住む健一の兄嫁からで、案の定、先祖代々の墓を「墓じまい」するという知らせだった。子供たちは誰も生まれ育った自分たちの故郷に戻る気はない。ましてや、そこからさらに山深く入った土地にある墓石のことなど、彼らの人生の設計図には存在すらしないというのだ。
その夜、夫婦の食卓は重い沈黙に支配された。テレビのワイドショーが、異次元の少子化対策の失敗と、過去最高を更新し続ける国の借金について騒ぎ立てている。健一は、まるで自分たちの未来を要約されているような気分だった。
「…俺たちの墓も、いずれはそうなるんだろうな」
呟きに、恵子は答えられなかった。
ユウトはもう三十代後半。フリーランスという仕事は不安定で、結婚の気配もない。優しい息子だが、墓を作ったとしても、息子の代で終わってしまうのではないか。
それなのに、一旦墓を作ったら、数百万の高額な建立費用と決して安くはない年間管理費を払い、年に数回、電車とバスを乗り継ぎ、一人で墓石を磨くのだ。その姿を想像すると、恵子は胸が締め付けられるようだった。それは、息子に背負わせるべきものではないはずだ。
その日から、夫婦の静かな模索が始まった。本屋の「終活」コーナーに足を運び、樹木葬、永代供養といった選択肢を一つひとつ検討した。だが、どれも根本的な解決にはならないように思えた。形を変えただけで、結局は墓という場所がある。
「墓を継ぐものがいない」という一点において、これらの選択肢は不完全に思えた。
ある日、健一がインターネットで見つけてきたのが、『ゼロ・アッシュ・サービス』だった。遺骨を千数百度の高温で焼却し、完全にガス化させて大気中に還す。物理的な質量をゼロにする、というそのコンセプトに、二人は衝撃を受けた。
「お骨が、跡形もなくなるなんて…」
恵子の声は震えていた。だが、健一の言葉は静かだった。
「形がなくなっても、あいつが俺たちのことを覚えていてくれれば、それでいいじゃないか。いや、むしろ、縛るものが何もなくなるからこそ、あいつは自由に俺たちのことを思い出せるのかもしれないぞ」
それは、一つの救いに見えた。息子を、家や墓という物理的な重力から解放する。その日、夫婦は、自分たちの人生の終え方を静かに、しかし固く心に決めた。
やがて2030年代に入ると、行政が管理する無縁仏の数が限界を迎え、その処理に『ゼロ・アッシュ・サービス』が導入されるというニュースが、ワイドショーを賑わせるようになった。
◆
運命の歯車が狂ったのは、2037年5月10日。南海トラフ巨大地震は、日本社会に残されたわずかな体力を、根こそぎ奪い去った。
健一と恵子は幸いにも生き延びたが、その後の世界は地獄だった。国民投票を経て、この国は事実上、東亜連邦の管理下に置かれた。復興という大義名分のもと、社会のあらゆるものが効率化の名で再編されていく。
父・健一が老衰で亡くなったのは、そんな混乱が続く2038年の春だった。悲しみに暮れる間もなく、恵子は仮設住宅の集会所で、市役所の役人から説明を受けた。
『復興非常事態における遺骨の取り扱いに関する特別措置法』。
それは、夫婦が十年前に下した個人的な決断が、国家レベルの強制力を持った現実として目の前に現れた瞬間だった。
「…甚だ遺憾ながら、国土の大部分が被災し、リソースが極端に制限される現状では、新規の埋葬や納骨堂の維持は不可能です。つきましては、継承者のいないご遺骨は、国が管理する施設にてガス化処理を…」
役人は、生存者を支えるための苦渋の選択なのだと、何度も頭を下げた。
周囲の老人たちからは、嗚咽や怒声が漏れた。しかし、恵子の心は不思議なほど静かだった。ユウトは未婚で、労働隊員として全国を転々としている。どう考えても「安定した継承者」ではない。
突き詰めて考えれば、遅かれ早かれ、この道しか残されていなかったのだ。
彼女は、差し出された同意書に、夫と自分の名前を記した。それは国の非情な決定を受け入れたのではなく、自らが選び取った最後の選択を、改めて確認する儀式だった。
◆
その秋、母の死の報せを受け、ユウトが千葉の仮設住宅に辿り着いた時、そこに母の亡骸はなかった。係員から渡された小さな遺品箱の中に、彼は母の筆跡で書かれた一通の封筒を見つける。
ユウトへ。
これを読んでいる頃には、お母さんもお父さんのところへ行った後でしょうね。驚かせてごめんなさい。
ずっと昔、あなたに迷惑をかけないよう、私たちのお骨は空に還してもらうと、お父さんと二人で決めました。
あの地震の後、国も同じことを決めたようです。周りの人たちは泣いたり怒ったりしていたけれど、お母さんは、これで良かったのだと思いました。私たちの個人的な願いを、国が最後に叶えてくれたのです。
だから、これは強制されたことではありません。あなたを重荷から解放してあげたいと願った、私たちの最後の選択です。
あなたの人生を、あなたのために生きてください。
母より
手紙と共に、二枚の『完了通知書』が滑り落ちた。父と母の人生の終着点は、そのあまりに軽い紙片に集約されていた。
ユウトは、外へ出た。空は、災害前と変わらず高く澄み渡っている。
少子化という静かな、しかし抗いようのない社会の変化。それは、家や墓という「しきたり」を過去のものにした。災害は、その変化を十年、二十年、一気に加速させたに過ぎない。
両親は、その非情な現実を誰よりも早く受け入れ、息子への想いという形に昇華させたのだ。
ユウトは、秋の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。継ぐことも守ることも叶わぬ自分を、その事実ごと赦すように。両親の優しさが、この透明な大気に満ち満ちていた。




