再占領
震災後、国民投票により僅差で経綸計画導入が可決され、東亜連邦が日本の主導権を握ってから1年近くが過ぎようとしていた。
俺、佐藤ユウトは、愛知県郊外に建てられた仮設住宅の簡素なベッドの上で、窓の外を眺めていた。
西暦2038年、秋。
空だけは、災害前と変わらず高く澄み渡っていたが、窓の下に広がるのは、いまだに巨大な瓦礫の山と、ぬかるんだ地面だけだった。
部屋はコンテナを改造したもので、机とベッドがあるだけだ。夕食は、共同炊事場で配給される、いつも同じ味の合成タンパク質スープと硬いパン。十三年前、いつ仕事がなくなるかという不安に胃を焼かれながら食べた冷たいコンビニ弁当と、どちらがマシだっただろうか。
今の俺の「役務」は、「第7復興労働隊」の一員としての瓦礫撤去作業だ。朝から晩まで、崩れた建物の残骸を運び出し、粉塵にまみれる肉体労働。ト連邦から経綸計画に伴って大量導入された監視ロボットが、常に俺たちの労働成果を分析している。
奴らのセンサーから逃れる場所はない。居住区にも、炊事場にも、トイレにさえ、彼らは人間の都合などお構いなしに現れる。人型ロボットという形は、人間に寄り添うためではなく、人間を監視し使役するためには最高な形態だったのだと、俺はこの一年で骨身に沁みて理解していた。
これだけ細かく監視し管理されれば、経綸計画の成果が上がるのは当然だった。
ロボットによる監視コストの大幅な低減というのも、自由意志でなく強制を旨とする経綸計画には必要な要素だったのだろう。
これらの需要を背景として、東亜連邦は今や世界最大のロボット大国だ。アニメがあるから二足歩行ロボットは日本のお家芸といわれていた平成時代が懐かしい。アシモは、あれだけ皆で笑っていたト連邦製の先行者に完全敗北したのだ。
そして、この息の詰まる監視より、もっと残念なのは、毎月25日に俺の個人口座に振り込まれる給料だった。その額は、十三年前に作られた計画書の通り、きっかり可処分所得で22万円。だが、あの巨大地震で日本の生産設備は壊滅し、円の価値は暴落した。もはや、その22万円で買えるものは、震災前の半分にも満たない。それでも給料が据え置きなのは、昔の年金でも導入されていたマクロスライドとやらのせいらしい。
この状況を抜け出そうにも、事実上選択肢はなかった。
巨大地震は、日本の産業の心臓部である太平洋ベルト地帯を直撃した。工場や港湾施設は津波によって壊滅し、生き残った企業もサプライチェーンが寸断され、倒産が相次いだ。生産設備の6割が機能不全に陥っている状況というのは、焦土と化した終戦直後の再来であった。
そして、この国難に少子高齢化が追い打ちをかける。戦後の日本は、焼け野原からでも復興できた。なぜなら、国には若く、豊富な労働力という最大の資源があったからだ。
石油や鉄鉱石などの資源の無い日本では人材だけが唯一の資源で力だと、小学生のときに先生が言っていた。
しかし、2038年の日本にその力はない。民間市場には、もはや新たな雇用を生み出す活力が残っていなかった。
少子化の果てに一体何が起こるか、俺は今更ながらに思い知らされていた。昔は物事を何も考えていなかっただけだった。何も見えていなかった。子供が居なくなるという本当の意味を、よくよく突き詰めて考えれば容易に想像できたはずだった。なぜ、十三年前に『国民基盤役務制度』が世に出てきたのか。そういう人もこの国にはきっといたのだろう。俺ですら漠然とした不安感や閉塞感は持っていた、でも俺は何もしなかった。明日への不安を抱いたまま、漫然と暮らしてきただけだ。
そして今、経綸計画で働く以外に、俺には選択肢がない。
かつては失業を恐れた。今は、際限なく上がっていく物価と、固定された給料の差額を、指をくわえて眺めるしかない。 結局、俺たちの生活から「経済的な不安」が消えることはなかった。
政府…いや、連邦が主導する統治機構は、この状況を「復興のための必要な忍耐」だと説明し、食料や生活物資は配給制でなんとか補っている。だが、その配給の質も量も、月を追うごとに少しずつ切り詰められていた。
昨日の夜、同じ居住区のタナカさんがいなくなった。夜中に、公安維持部隊の男たちがやってきて、彼をどこかへ連れて行ったという。彼の罪状は、SNSへのたった一度の書き込みだったらしい。「22万じゃ、もう何も買えない」と。
ネット検閲システムに引っかかったらしい。
もし有罪となれば、行き先は決まっている。原発の廃炉作業など過酷な「懲罰役務」だった。考えただけで、背筋が凍る。ト連邦で変質した国民基盤役務制度『経綸計画』は犯罪者に刑務所で惰眠を貪らせるほど生易しいものではないからだ。ロボットによる監視で今や牢獄は不要なのだから、社会に損害を与えた犯罪者には、一般人以上に働かせて損失を回復させるという恐るべき合理性がそこにはあった。
その噂を隣の男から小声で聞いた時、俺は何も答えられなかった。ただ、自分の部屋に戻ると、震える手でスマートフォンを取り出し、古いSNSのアカウントを全て削除した。
この新しい世界で生きるためのルールは、ただ一つ。文句を言わず、働いて、雀の涙ほどの価値しかない給料をもらう。
この容赦ない統制は、最悪の状況に陥った国を成り立たせるための必要悪なのだろうか。
以前の、将来への不安はあったが、好きなものを食べられた自由な日々が懐かしい。
だが、あの巨大地震が、全てを変えてしまった。この瓦礫の山の中では、これが最善なのだと誰もが諦めている。
食料があって生きていられるだけまだましなのだと、48歳のオレは自分に言い聞かせるしかなかった。ト連邦のマークが描かれた、配給食糧が俺の手の中にある。いくら文句を言ったところで、連邦の援助、経綸計画がなければ、この老いて壊れた国が成り立たないというのは、誰が考えても明白な事実だったからだ。
◆
京都、嵐山。しんと静まり返った料亭の個室で、衆議院議員、有馬征四郎は、庭の紅葉を静かに眺めていた。あの震災から一年。代議士と同時に、東亜連邦の「最高顧問」という肩書を持つ彼は、国民から「ト連邦最大の協力者」と罵られていた。
向かいに座る歴史学者、東山史郎が、重い口を開いた。
「有馬君、君に、連邦から首相就任の打診があったというのは、本当かね? …まあ、彼らにとっては当然の人選だろうな。あの『経綸計画』の元となる構想を作り上げた、『令和総力戦研究所』の所長だった君は、誰よりも制度を理解している」
噂は、東山の耳にも届いていた。有馬は、表情を変えずにゆっくりと頷いた。
「ああ。断る理由もない」
「何だと!?」東山は思わず声を荒げた。「本気で、彼らの傀儡になるつもりか!」
「傀儡か。良い響きだ」有馬は自嘲気味に笑った。「だが、彼らは日本の復興に必要な、莫大な資金とリソースの提供を約束してくれた。背に腹は代えられんよ」
東山は、何かを思い直したように、少しだけ声のトーンを落とした。
「…なるほどな。GHQ占領下の吉田茂か。国民に売国奴と罵られながら、その実、日本の独立のために戦う、と。そういう腹づもりかね?」
東山の目に、わずかな希望の色が浮かぶ。しかし、有馬はその期待を、氷のように冷たい一言で打ち砕いた。
「東山先生、あなたは歴史家だが、夢想家でもあるらしい」
彼は、庭の紅葉に視線を移した。
「馬鹿げた夢は見ない方がいい。 我々がすべきことは、感傷やプライドを捨て、この国を効率的に延命させることだ。国民を飢えさせない。ただ、それだけだ。独立? そんなものは、とうの昔にこの国が自ら捨て去った選択肢だよ」
その言葉に、東山の顔から表情が消えた。目の前にいるのは、かつて国を憂い、共に未来を論じた友ではない。ただ、現実という名の盤面の上で、最も生存確率の高い場所へと駒を、感情を殺して動かすだけの男だった。
しばらくの沈黙の後、有馬は、まるで事務連絡のように口調を変えた。
「ところで東山先生。研究所が解体された後、奥田君から何か連絡は?」
「…いや、一度もないが。なぜ彼女を?」
「経綸計画をさらに効率化、つまりバージョンアップさせるため、どうしても彼女の協力が必要らしい。連邦の上層部からの『お願い』だ。もし成功すれば、日本へのリソース割り当てを増やすと約束してくれた」
有馬は、淡々と続ける。
「ご存知の通り、震災による悪性インフレは深刻だ。日本の生産設備の4割が破壊され、サプライチェーンの寸断により更に2割が機能不全に陥っている以上、供給をすぐに増やすことはできん。国民を飢えさせないためには、連邦からの追加援助が不可欠なのだよ」
「……」
東山は何も答えず、懐から一枚、小さく折りたたんだ紙を、テーブルの上に滑らせた。
次回6話。第一部の最終話となります。2025年9月20日 2:00に投稿予定




