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国民基盤役務制度  作者: 喰ったねこ
完結編
39/41

灰色の碑文

(以下は、歴史家・東山史郎(当時85歳)が遺した未完の草稿『有馬首相記』(仮)より抜粋)


彼は善人ではなかった。


有馬征四郎という政治家を、後世の歴史家はどのように評価するだろうか。少子化や巨大地震、厳しい国際情勢といった国難から日本を救い、独立を回復させた英雄か。それとも、憲法を踏みにじり、国民から自由を奪った独裁者か。おそらく、その両方の評価が、矛盾することなく彼の碑文には刻まれるのだろう。


二〇四六年、初夏。国民投票を目前に控え、日本は彼が発動した情報戒厳令によって、異様な静寂に包まれていた。彼は、国民自身に『国民基盤役務制度』という名の、自らが築き上げた「システム」の是非を問うという、最後の仕上げに取り掛かろうとしていた。


それは、民主主義的な手続きというよりも、国民自身に「共犯者」としての自覚を促すための、冷徹な儀式となるはずだったのだろう。自ら選んだ安定という名のシステム。その選択の重みが、今後のいかなる反論をも封じ込めることを、彼は計算していたに違いない。


彼は、国民が「賛成」を選ぶことを、奥田怜奈のシミュレーションによって確信していたのだろう。国民投票とは、彼にとって勝利宣言のための、予定された舞台装置に過ぎなかったのかもしれない。


しかし、彼がその舞台に立つことは、永遠になかった。


国民投票のわずか三日前。演説途中に有馬征四郎は凶弾に倒れた。享年八十一。犯人は元・独立派の青年だと発表された。犯人は一度は逮捕されたが連行中に狙撃され死亡。永久に語る口を持たない。


ただ、逮捕直後の自供によれば、システムによって家族を「懲罰役務」に送られ、絶望の果てに凶行に及んだのだという。


だが、真相は闇の中だ。青年を狙撃した犯人は捕まっていない。独立派残党による復讐か。有馬の強権支配を恐れた旧体制派の陰謀か。あるいは、用済みとなった「駒」を消した、さらに巨大な力の介入か。私には、もはやそれを知る術はない。


灰色の宰相は、自らが国民に最後の審判を問う、その直前に、この世を去った。死によって、彼が国民投票の結果を見ることは叶わなかった。


確かなのは、その突然の死が、彼が作り上げたシステムを揺るがすどころか、むしろ強化したという事実だけだ。


後継者には、腹心であった白洲二郎が即座に指名された。新たな首相代理(後に正式に首相)となった白洲は、憔悴した表情ながらもテレビカメラの前で毅然として語った。 「…有馬総理の遺志を継ぎ、我が国は断じてテロには屈しない。総理が最後に望まれた、国民自身による国家の未来の選択――国民投票は、予定通り実施する」 彼は、有馬の死を殉国へと昇華させ、国民投票を「有馬の遺志」と「テロに対する国民の意思表示」へと巧みにすり替えた。


結果は、歴史が示す通りだ。 圧倒的な「賛成」票。国民は、指導者を失ってもなお、あるいは失ったからこそ、自らの意思で「自由」よりも「管理された安定」を選んだ。


白洲政権は、国民からの「信任」を背に、有馬が遺した『国民基盤役務制度』を、さらに盤石なものとして継承した。


今やそれは制度を超えて『国民基盤役務体制』と称しても間違いはあるまい。


どこまでも民主主義ではなく、どこまでも自由主義ではなく、どこまでも共産主義でもない体制。そして、そのすべての要素を含んでいるが、データとシステムによって決定され駆動される体制。そこには、あの人口ボーナスの時代には確かにあった、自由民主主義や共産主義の懐かしい理想も無ければ、独裁者が抱く野望への激烈な熱すらもない。

生存を目的として、あぶれたものを、いや社会が必要とするものを、システムが役務へと再配置する体制。失業も老後も服役すらもない体制。そして、国民投票によって選ばれた体制。


社会は、灰色の安定の中へと、さらに深く沈んでいった。人々はパンを与えられ、役務を与えられ、そして思考を停止した。かつて青年たちが抱いた「自由」への渇望も、飯田熊治という男が燃やした「独立」への情熱も、もはや遠い過去のノスタルジーでしかない。


有馬征四郎は、国を救ったのかもしれない。しかし、その代償として、我々は何を失ったのだろうか。彼が遺し、そして国民が選び取ったこの「灰色の豊穣」の中で、我々は本当に生きていると言えるのだろうか。それを問う事は、ある意味非常に難しい。


近年、国連は人類の減少予測を出して、しきりに警告するようになった。


人類種が生まれて以来、増加を辿ってきたそのベクトルが、近いうちに初めて逆転するのだという。そして、この日本は数十年も前から、人口減少の最前線に位置づけられていたし、今でもそうだ。若者は減り、高齢化率は40%にも迫ろうとしている。


老いた個体が若い個体の数を上回る世界。これは、人類史よりも途方もなく長い、何十億年という生物の歴史の中でも初めて起こり得た現象ではないのか。


まさに生物としての根本的な条件が変化する、その時代に我々は生きている。これは人類にとって、今まで当たり前だと考えていた全ての前提条件を覆す、初めて経験する状況と言えよう。


私や有馬が、あの研究所で議論したのは、それをどうやって克服し、社会活動を維持するかということだった。

そもそも、普遍的価値と言われる、民主主義などの西欧由来の価値観は、普遍的なものなのだろうか。前提条件次第で変わるものを普遍的といっていいのだろうか。そして今、人口の増加から減少へと人類生存の前提条件が大きく変わろうとしている時代に、その価値観を以て判断することに何の意味があるだろうかと、私は思う。


有馬は『国民基盤役務制度』の導入を、恐るべき周到さでついに成し遂げた。その結果として、人口減少下でも日本社会は機能しているように見える。


あの時あの研究所で私達が議論した『国民基盤役務制度』と、現在のものは全く異なるものだ。役務への参加は国民の自由意志、任意だった。それが、経綸計画を経て導入された現在の制度では、参加は強制であり義務となっている。


今となっては、鬼籍に入った有馬にその部分を再修正する気があったのかどうかはわからない。しかし、その変質した『国民基盤役務制度』が確実に、少子高齢化に悩まされているこの国に根付いてしまったことは間違いないだろう。


歴史家として、私にできることは、ただ記録することだけだ。善悪の判断は、未来の世代に委ねるしかない。 だが、これだけは書き残しておかねばなるまい。


彼は善人ではなかった。むしろ目的の為には謀略を張り巡らし自国民すら虐殺した大罪人だろう。しかし、彼という存在を必要とし、そして彼亡き後も、彼が遺したシステムを選び続けたのは、彼が生きた時代であり、そして何よりも、我々国民自身だったのかもしれない、と。


(草稿はここで途切れている)



ここに、日本における国民基盤役務体制は確立した。


東亜連邦の経綸計画とともに、人口減に悩むアジア諸国でそれは普及し、権威独裁主義とも自由・民主主義とも異なる、人類未踏の人口減時代に生まれた新たなる国家体制として、歴史に刻まれることになった。

「国民基盤役務制度」は、国側のマクロな少子高齢化対策でしたが、次は個人としてのミクロな少子高齢化対策を描いた小説「不良債権世代」を連載してます。


「続編1 不良債権世代」投稿済

https://ncode.syosetu.com/n3962li/


「続編2 ????」投稿予定

https://ncode.syosetu.com/n2120lj/

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