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国民基盤役務制度  作者: 喰ったねこ
完結編
36/41

過去への追憶

国民投票まで、あと一ヶ月。2046年、晩春。


日本社会は、奇妙な二重構造を呈していた。表向きは、『国民基盤役務制度』の継続を前提とした日常が粛々と続いている。政府系メディアは「安定か、混乱か」という単純な二元論を繰り返し、システム継続への「賛成」を暗に誘導していた。


しかし、水面下では、「微かなる亀裂」が、無視できない深さへと広がっていた。インターネットの深層部では、検閲AIとのイタチごっこが繰り広げられ、「#自由という名の病」「#システムからの解放」「#灰色の日々を終われ」といったハッシュタグが、生まれては消え、消えては生まれることを繰り返していた。


佐藤ユウトも、その変化を感じ始めていた。データセンターの同僚たちの間で、以前は考えられなかった会話が囁かれるようになったのだ。 「なあ、投票、どうする?」 「……決まってるだろ、賛成だよ。面倒はごめんだ」 「でもよ、俺たちの子供や孫の代も、ずっとこのままなのかね……」 その声には、諦めだけでなく、微かな疑問と不安が混じり始めていた。


ユウト自身も、無関心ではいられなくなっていた。彼は夜、自室で古い端末を使い、政府の監視をかいくぐってアンダーグラウンドなネットワークに接続するようになっていた。そこには、忘れかけていた「自由」の残滓ざんしを求める声が、確かに存在していた。


活動の中心となっていたのは、やはり二つの世代だった。 一方は、東山史郎のような、震災前の社会を知る知識人層や引退した老人たち。彼らは、直接的な行動は取れないものの、過去の記録や文学を通じて、「失われた自由」の意味を静かに問い直していた。東山の執筆する『有馬首相記(仮)』の一部とされる文章が、匿名でネット上にリークされ、静かな反響を呼んだ。「我々は、パンと引き換えに何を失ったのか」と。


もう一方は、二十代を中心とする若い世代だった。彼らは子供の時からシステムによる管理が当たり前だった。しかし、それ故に、AIによって最適化された人生に疑問を感じ、「自分自身の物語」を生きたいという渇望を抱いていた。彼らは、摘発のリスクを冒しながらも、監視ロボットの死角を選んで集まり、古いロックミュージックを聴き、禁じられた海外の映画を鑑賞し、そして「システムの外」について語り合った。


彼らの動きは、まだ小さく、非力だった。しかし、その存在は、有馬政権にとって無視できない「ノイズ」となりつつあった。



首相官邸。白洲二郎は、最新の世論動向分析レポートを手に、有馬征四郎に報告していた。 「総理。依然として『賛成』が圧倒的多数ですが、ここ数週間で『反対』および『態度未定』の層が、予測モデルの許容範囲を超えて微増しています。特に、若年層と高齢層の一部で、反システム的な言説への共感が広がっている兆候が見られます」


有馬は、眉一つ動かさなかった。 「……誤差の範囲だ。国民は、最終的には現実を選ぶ」 彼は、奥田怜奈のシミュレーションの最終予測値――反対票が最大でも35%程度に留まるという数字――を信じていた。


「しかし、総理」白洲は続けた。「懸念すべきは、新国軍内部の動向です」 「飯田君か?」 「いえ、彼自身は依然として忠誠を…少なくとも、表面上は示しています。問題は、彼の下にいる、元・独立派の将校たちです」 白洲が示したデータには、彼らが訓練の合間に、部下の兵士たち(徴集された若者たち)に対し、「システムの外」の価値観や、かつての「自由な日本」について語っているという、監視システムによる報告が記されていた。


「彼らは英雄であると同時に、危険な思想の伝播者にもなり得る、ということです」白洲は指摘した。「国民投票を前に、彼らの影響力を放置するのは危険かと」


有馬は、初めてわずかに表情を曇らせた。飯田たちを登用したのは、彼らの実戦経験とカリスマ性を利用するためだった。しかし、その「魂」までは、システムで管理しきれていなかった。 「……泳がせておけ」しばらくの沈黙の後、有馬は命じた。「だが、監視は強化しろ。投票後に、改めて『選別』を行う」


有馬は、国民投票という「儀式」によって、自らのシステムが国民自身によって追認されることを確信していた。そして、その後に、最後の「不純物」を排除するつもりだったのだ。



投票日まで、あと二週間。 街には「確かな未来へ『賛成』を」というプロパガンダポスターが溢れる一方で、夜の闇の中、監視ロボットの目をかいくぐって貼られる、小さな「NO」と書かれたステッカーが、わずかに増え始めていた。 声なき声が、確かに集まり始めていた。それが、灰色の宰相が築き上げた巨大なシステムに、どれほどの意味を持つのかは、まだ誰にも分からなかった。

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