灰色の豊穣
西暦二〇四五年、秋。日本が独立を回復してから、三年以上の歳月が流れていた。 かつて瓦礫の山だった都市は、驚異的なスピードで再建され、ガラスと鋼鉄の新しいビル群が空に向かって伸びている。街角には緑が戻り、人々は真新しい公共交通機関で移動し、役務センターは日々の労働を淀みなく国民に割り振っていた。
タチバナ研究所が生み出した超高性能全固体電池は、国内の電力網を完全に安定させ、計画停電という言葉は死語となった。それは同時に、無数の監視ロボットとAI管理システムを、24時間365日稼働させるためのエネルギー源でもあった。
『国民基盤役務制度』は、この国の隅々まで浸透していた。失業という概念は消滅し、全ての国民は最低限の衣食住と「役務」を国家から与えられている。飢える心配はない。家を失う恐怖もない。その代わり、どこで働くかという個人の自由はシステムによって最適化されていた。
それは経綸計画の影響を独立後の今もなお色濃く残し、有馬が作成した当初案にはあったはずの役務参加の自由は、現在の『国民基盤役務制度』では完全に消失していたのだ。
佐藤ユウトは、五十五歳になっていた。 あの日、台湾の地獄から生還した彼は、「国防役務」への従事を免除され(戦闘経験者としては不適格と判断され)、現在は都内の大規模データセンターで『国民基盤役務制度』のサーバー群を監視する役務に就いていた。
かつてのフリーランス時代のような、明日の仕事を心配する不安はない。毎月決まった日に、生活するには十分だが、贅沢をするには足りない給料が振り込まれる。六畳一間のアパートではなく、国から割り当てられた規格品の集合住宅の一室が、彼の住処だった。
窓の外には、整然と区画整理された街並みが広がる。夜になれば、全ての窓に同じような明るさの照明が灯る。かつて彼が見下ろした、夜光虫の死骸のように不揃いな光が乱舞する東京とは、全く違う景色だった。
(これで、よかったのだろうか)
時折、そんな思いが胸をよぎる。しかし、彼はすぐにその問いを打ち消した。あの震災後の地獄を知っている世代にとって、この管理された安定は、否定しがたい「豊穣」に他ならなかったからだ。
飯田さんたちはどうしているだろうか。新国軍の中枢で、今もこの国を守っているのだろうか。独立後、彼らと連絡を取ることは禁じられていた。
街角には、青い光を放つ監視ロボットが静かに巡回している。人々は、その存在を気にも留めない。空気のように当たり前の風景となっていた。人々は、スマートフォンの個人端末に表示される、AIによって最適化された日々のスケジュールに従って、黙々と生きている。そこに、かつてのような怒りや絶望はない。ただ、灰色の平穏があるだけだった。
◆
都内の一角にある、古いが手入れの行き届いた書斎で、老いた歴史学者がペンを走らせていた。東山史郎、八十五歳。彼は、有馬政権から公式な編纂事業への参加を要請されたが、それを固辞し、自らの手でこの時代の記録を綴ることを選んでいた。タイトルは、まだ決めていない。『有馬首相記』と仮に呼んでいるだけだ。
(独立を回復させた英雄か。それとも、憲法を踏みにじり、国民から自由を奪った独裁者か……)
ペンを持つ手が、老いからくる微かな震えを見せる。有馬征四郎。独立を達成し、国民に最低限の生活を保障した「救国の英雄」。しかし同時に、憲法を蹂躙し、個人の自由をシステムの下に従属させた「独裁者」。歴史は、彼をどう裁くのだろうか。
東山の脳裏には、独立後の有馬が見せた、一切の妥協を許さない国家運営の姿が焼き付いていた。彼は、東亜連邦という外部の脅威を排除した後、その矛先を国内の「非効率」と「不安定要素」へと容赦なく向けた。旧来の価値観、地域ごとの慣習、そして何よりも、個人の自由という名の「揺らぎ」。それら全てが、彼が設計した完璧なシステムにとっては克服すべき障害でしかなかったのだ。
(歴史は繰り返すのかもしれない)東山は思った。(強大な力によって達成された秩序は、常に人間の予測を超えた反作用を生んできた。有馬は、外部の敵を沈黙させた。だが、彼がこれから真に直面するのは、より根深く、声なき抵抗――国民自身の心の中に宿る、失われた『自由』への渇望ではないだろうか)
その予感は、社会の表面的な安定の下で聞こえ始めていた、小さな、しかし無視できない「軋み」とも呼応していた。 役務の割り当てに対する不満。画一的な生活への倦怠感。システムによって管理されることへの、声にならない反発。それらはまだ、巧妙に管理され、大きなうねりとはなっていない。
だが、東山は感じていた。有馬自身も、この「灰色の豊穣」が、最終的な答えではないことを理解しているのではないか、と。
最近、永田町では奇妙な噂が囁かれ始めていた。 有馬首相が、近々、『国民基盤役務制度』の是非を問う、国民投票を実施するのではないか、と。 独立から数年を経た今、国民自身に、この国のあり方を改めて選択させる。それが、あの灰色の宰相が描く、最後の仕上げなのかもしれない。
東山はペンを置き、窓の外を見た。空は高く、青く澄み渡っている。だが、その空の下で生きる人々の心の色は、まだ誰にも分からなかった。




