頓挫と経綸計画
あの夜が明けてから数日間、世界は何も変わらなかったように見えた。
俺が見つけたあのPDFファイルは、巨大な匿名掲示板の一スレッドで、真偽不明の『怪文書』として燻り続けているだけ。せいぜい、いくつかのゴシップ系まとめブログが「【ヤバすぎ】政府の極秘計画か?」などと煽情的なタイトルで取り上げるくらいで、テレビや新聞といった大手メディアは完全に沈黙していた。所詮は、ネットの海に日々生まれては消えていく無数のノイズの一つ。俺も、そう思い始めていた。
だが……。
流れが変わったのは、翌週の水曜日。調査報道で知られる週刊誌『週間文冬』の電子版が、一本のスクープ記事を放ったからだ。
『【スクープ】「年金廃止」怪文書の背後に官邸の“極秘研究会”! 本誌の直撃に厚労省U幹部が…』
記事によれば、編集部に届いた一通の匿名タレコミを元に、取材班が地道な調査を行ったという。タレコミには、例の怪文書のスレッドURLと共に、厚生労働省の幹部職員であるU氏の存在が示唆されていた。本誌がU氏を直撃したところ、彼は終始硬い表情で「そのような話は一切存じ上げません」と関与を否定したという。
しかし、記事の核心はそこからだった。
U氏本人のコメントではなく、週刊誌独自の調査によって、彼が文書の作成時期と目される期間、官邸直轄で運営されていた省庁横断的な「社会保障に関する極秘研究会」に参加していた事実を掴んだ、と報じたのだ。
この記事には、決定的な証拠は何一つない。だが、匿名掲示板の噂話に、「厚労省のU幹部」という具体的なイニシャルと所属、そして「官邸の極秘研究会」という生々しいワードが結びついたインパクトは絶大だった。これまで静観していた他の大手メディアも、「報道によれば」という枕詞を使うことで、この問題に一斉に飛びついた。
ノイズだったはずの怪文書に、生々しい血肉が与えられた瞬間だった。
ワイドショーは連日、年金制度の危機を煽ることでこの問題をトップで扱った。しかし、SNSの世界は、この国が抱える世代間の断絶を映し出す、新たな戦場と化していた。
タイムラインには、「#年金を守れ」「#姥捨て国家を許すな」といった、現在の生活基盤を失うことへの悲痛な叫びが溢れた。一方で、それらに真っ向から対抗するように、「#逃げ切り世代を許すな」「#自己責任社会からの脱却」「#年金廃止」といった、若い世代の積もり積もった怒りと、未来へのわずかな期待を込めたハッシュタグもまた、爆発的に拡散されていたのだ。
その熱狂が頂点に達したのが、『週間文冬』がスクープをした次の週の衆議院予算委員会だった。
連日の追及で憔悴しきっていた厚生労働大臣は、テレビ中継のカメラが並ぶ中、野党のベテラン議員からの厳しい追及の矢面に立たされていた。
「大臣、もう見苦しい言い逃れはおやめなさい!」
野党のベテラン議員は、『週間文冬』のコピーを突きつけながら、ねっとりとした口調で大臣に詰め寄った。
「この記事にある『官邸の極秘研究会』は存在したのか、しなかったのか! 国民皆年金の根幹を揺るがすような議論が、国民に隠れて行われていた。これは民主主義への冒涜ですよ! イエスか、ノーか!」
額に脂汗を浮かべ、明らかに狼狽していた大臣は、「い、いや、ですから…その…」と言葉を濁した後、自らの政治生命を終わらせる一言を放った。
「ですから、あの文書は政府の公式な見解を示すものでは、全くありません! …いいですか皆さん、そもそも、ああいったものは、あくまで様々な可能性を検討する中で出てきた一つのスタディケースに過ぎず、実際の国家運営は全く次元の違う話なんです。経済や社会というものは、常に予測不能な要素が絡んでくる。一つの報告書で全てが測れるほど、単純なものではない!今までも大丈夫だったじゃないですか。年金は100年安心なんです」
議場が、一瞬、水を打ったように静まり返った。
そして次の瞬間、轟音のようなヤジと怒号に包まれた。
「スタディケース!?」
「検討したことを認めたな!」
野党議員が鬼の首を取ったように叫び、記者席では一斉にフラッシュが焚かれた。大臣は、自らが何を口走ったのかをようやく悟り、血の気の引いた顔で立ち尽くしていた。「公式方針ではない」と否定しようとするあまり、文書が「検討用の資料」として実在することを、全国中継の場で認めてしまったのだ。
大臣はカッと目を見開き、顔を真っ赤にして反論した。
「違う、全く違う! 私の発言を、悪意をもって捻じ曲げるのはやめたまえ!」
彼は机を叩き、続ける。
「私は、仮に! そのような資料が存在したと仮定して、一般論を述べたに過ぎん! それを捉まえて『認めた』とは、あまりに乱暴なこじつけだ! 詭弁も甚だしい!」
それは、事実上の「自白」だった。
そして、それはやがて、世代間の分断を浮き彫りにする、醜い内戦へと発展していった。
世論は、もはや一つではなかった。そこでは、未来への希望と過去への固執が激しくぶつかり合っていた。
俺は、仕事をしながらも、常にノートパソコンの片隅でニュース速報やSNSのタイムラインを追い続けていた。デジタルの内戦。世界が、リアルタイムで書き換わっていく。その目撃者であることが、恐ろしくもあり、どこか興奮を伴う感覚でもあった。
その夜、俺は『激論ライブ!日本の深層』と名付けられた討論番組を見ていた。しがないフリーランスの俺にとって、ネットと真夜中のテレビだけが娯楽だった。画面の中では、白髪の著名な政治評論家、大滝氏が、いつものように腕を組みながら、したり顔で語っていた。
「馬鹿げていますよ。年金を廃止し、公務員を半減させる?こんなものは社会主義、いや、共産主義の悪夢です。我が国が先人たちの努力で築き上げてきた社会契約を、根底から破壊するテロ行為に等しい」
司会者が、スタジオの空気を引き締めるように頷く。そして、パネリストの一人、災害危機管理が専門だという鈴木教授に話を振った。
「鈴木先生、この制度には有事の際の事実上の国民動員という側面もあるようですが。ひとたび災害が発生してしまえば、地域の雇用は危機を迎えますから」
鈴木教授は、白髪の温和な顔つきで、静かに語り始めた。
「ええ。皆さん、平時の財政論ばかりに目を奪われていますが、この制度の真価は、むしろ有事にこそ発揮されます。明日、もし、三十年以内に70%以上の確率で発生すると言われる南海トラフ巨大地震が起きたら、どうなるか。今の日本には、数百万の被災者を救い、国家機能を維持しながら、復興を担う人的資源を即座に動員する仕組みが存在しません。この制度は、国家存亡の危機に対する、保険となりうるのです」
しかし、その冷静な警告も、大滝氏の「いたずらに国民の不安を煽るべきではない!」という一喝にかき消されてしまった。司会者は慌てて話題を変え、番組に初めて呼ばれたという、若手の経済学者、田中准教授にマイクを向けた。
「田中先生は、経済学の観点から、この杜撰な財政計画をどうご覧になりますか」
司会者も、大滝氏も、彼が当然、批判の側に立つものと信じて疑っていない顔だった。しかし、田中准教授の口から出たのは、全く逆の意見だった。
「鈴木先生の災害への備えという視点は極めて重要です。しかし、仮に地震が来なくても、我々は既に『静かなる国難』の只中にいます。それが、人口減少による決定的な国家の衰退です」
田中准教授は、スタジオの冷ややかな空気を物ともせず、続けた。
「この制度の核心は、財源論ではありません。国民全員に最低限の所得と働く機会を与えることで、縮小し続ける国内の消費を底上げし、停滞した経済を内側から再起動させることにあります。そして、『失敗しても大丈夫』というセーフティネットが、若者の起業や挑戦、結婚や出産を促し、社会全体の活力を生み出すのです。この改革を拒絶するということは、痛みを伴う再生ではなく、緩やかで確実な衰退を選択するということです。我々が今、楽な道を選べば、数十年後、我々の子供たちは、活力を失い、貧しくなった国で生きていくことになるでしょう」
「理想論だ!」大滝氏が声を荒げた。「年金を廃止するなんて、若者に媚びを売る無責任なポピュリズムだ!」
スタジオの空気は一気に険悪になり、司会者は「CMのあと、まだまだ議論は続きます!」と叫んだが、CMが明けると、その話題に触れられることは二度となかった。二人の教授が提示した未来像――「突然の破滅」と「緩やかな衰退」。その両方から、世間は意図的に目を逸らした。
議論は、常に年金問題という一点に集約された。
ワイドショーは連日、杖をついた老人たちの怒りの声を報じた。彼らの主張は、シンプルで、力強かった。「私たちは、国を信じて保険料を払ってきた。その約束を、今さら反故にするというのか」と。
それは、誰にも論破できない正論だった。たとえ、その約束を守った先に、国そのものの破綻が待っているとしても。
あらゆる世論調査で内閣支持率が危険水域まで急落したのを受け、総理大臣が官邸で緊急の記者会見を開いた。無数のフラッシュの中、疲れ切った表情で演台に立った総理は、まず深々と頭を下げた。
「はじめに、先日の国会審議における厚生労働大臣の発言が、国民の皆様に多大な誤解と混乱を招いたことに対し、内閣総理大臣として深くお詫びを申し上げます。本日、私は、事態の責任を明確にするため、江藤大臣を本日付けで更迭いたしました」
ざわめく記者たちを制するように、総理は用意された原稿に視線を戻し、やつれた声で続けた。
「その上で、改めて明確に申し上げます。一部で報道されております、年金制度の廃止などを検討したとされる文書について、政府として関知しているものでは一切ございません。我が国が世界に誇る国民皆年金制度は、今後も、政府が責任をもって、断固として守り抜くことを、ここに改めてお約束いたします」
再び、深々と頭を下げる総理の姿が、画面いっぱいに映し出される。
「……結局、何も変わらないのか」
俺は、吐き捨てるように呟いた。一人の大臣のクビと引き換えに、この国の未来に向けた議論の可能性が、完全に断たれたのだ。
日本という国は、未来のための痛みを伴う改革ではなく、現在を生きる多数派の平穏を、選択したのだ。俺はノートパソコンを閉じ、二人の教授の言葉を思い出していた。「我々は、備えを忘れている」そして「緩やかで確実な衰退を選択する」。その二つの予言が、不吉な二重奏のように頭の中で鳴り響いていた。
◆
それから、一年半が過ぎた。
2027年の冬。あの騒動もすっかり過去のものとなり、人々は忘却という名の鎮痛剤の中で、以前と変わらない日常を生きていた。俺もまた、同じ六畳一間のアパートで、代わり映えのしない仕事を続けている。
その日も、夕食のコンビニ弁当を片手に、ニュースサイトを眺めていた。すると、国際ニュースの欄に、小さな、しかし無視できない見出しが目に飛び込んできた。
『ト連邦、新国家戦略「経綸計画」を発表。全国民への生涯就労保障を柱に』
俺は、箸を止めた。
記事の内容は、俺が読んだあの文書と瓜二つだった。東亜連邦は、長年懸案だった若者の失業問題と、来るべき人口減少社会への備えとして、この制度を国家の根幹に据えることを宣言したのだ。
記事に添えられた映像には、統一されたデザインの作業服を着た大勢の国民たちが、巨大なインフラ建設や、広大な砂漠の緑化プロジェクトに、整然と従事する姿が映し出されていた。
背筋が、凍るような感覚に襲われた。
俺たちが拒絶した未来を、あの国は拾い上げたのだ。
民主主義という名のブレーキを持たない彼らは、国家の生存というただ一点のために、アクセルを躊躇なく踏み込んだ。俺は、いつか来るかもしれない「最悪の事態」と、もう既に始まっている「緩やかな衰退」の両方を想像し、言いようのない恐怖を感じていた。
あの文書は、破滅か再生かの設計図ではなかったのかもしれない。あれは、ただの未来予知だったのだ。そして、俺たちは、その未来が別の国で実現していくのを、ただ指をくわえて見ていることしかできないのだ。
2025年9月17日2:00 4話を投稿予定。