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国民基盤役務制度  作者: 喰ったねこ
独立編
29/41

日本核危機

官邸の執務室は、東亜連邦からの核恫喝どうかつという究極の圧力によって、張り詰めた空気に支配されていた。モニターには、24時間という冷酷なタイムリミットがカウントダウンされている。


しかし、その中心に座る有馬征四郎の表情は、依然として能面のように変わらなかった。


「……総理、どうされますか」 白洲二郎の声には、隠しきれない緊張が滲んでいた。「連邦は本気です。彼らは、この屈辱的な敗北の代償を、どんな形であれ日本に支払わせるつもりでしょう」


有馬は、端末に表示された奥田怜奈からの極秘報告――タチバナ研究所で『理論上は可能』とされる核兵器開発の進捗状況――を一瞥し、そして無視した。たとえそれが完成していたとしても、数発の原始的な核爆弾が、連邦の巨大な核戦力に対する抑止力(MAD)にはなり得ない。あれは、最後の悪あがきのためのカードに過ぎない。


「白洲、ただちに全世界に向けて緊急声明を発表する」 有馬の声は、静かだったが、その内容は世界を震撼させるに十分だった。


「第一に。我が国は、東亜連邦による核の脅しには断固として屈しない。我が国は、主権国家として、自衛のためのあらゆる手段を行使する権利を有し、またその能力も保有している、と」


それは、明確な核保有宣言ではなかった。しかし、「あらゆる手段」「能力」という言葉は、聞く者すべてに、日本が秘密裏に核武装している可能性を強く示唆するものだった。限定的であれ報復を受けるかもしれない――その疑念の種を、連邦指導部の心に植え付けるための、計算されたブラフである。


「第二に」有馬は続けた。「我が国の独立と安全は、同盟国との強固な安全保障体制によって、完全に担保されている。我が国に対するいかなる攻撃も、我が国と同盟国への攻撃と見なし、断固たる報復措置を取る用意がある、と」


白洲は息を呑んだ。有馬は、合衆国からの正式な言質を一切待たずに、一方的に「同盟の復活」と「合衆国の核の傘」を勝手に宣言したのだ。


「総理、しかし、合衆国がこれを認めなければ……」 「認めるさ」有馬は、初めてかすかな笑みを浮かべたように見えた。「いや、否定できない、と言うべきか」


彼は立ち上がり、窓の外――未だ復興途上にある東京の街並みを見下ろした。 「東亜連邦は、我々に24時間の猶予を与えた。それは、電池に続く、こちらの隠し玉を警戒しているからだろう」


有馬の計算はこうだった。 合衆国にとって、選択肢は二つ。有馬の宣言を否定し、日本を見捨てるか。あるいは、沈黙または曖昧な肯定によって、事実上、日本に対する「核の傘」に入ることを追認するか。


前者は、東亜連邦を増長させ、東アジアのパワーバランスを完全に崩壊させる。さらに、日本が持つ『明石計画』の全情報という、喉から手が出るほど欲しいカードを永遠に失うことになる。


後者は、多少のリスクはあるものの、そのリスクは驚くほど小さい。更に、東亜連邦を牽制し、アジアにおける影響力を回復させ、そして『明石計画』の情報を手に入れるチャンスを得る。


「合理的に考えれば、答えは一つしかない」 有馬は、湯川との回線を開いたあの瞬間から、合衆国が取るであろう行動を正確に予測していた。


緊急声明が発表されると、世界は驚愕と混乱に包まれた。東亜連邦は「日本の狂気の沙汰だ」と非難したが、即座の核攻撃には踏み切らなかった。有馬のブラフ(日本の核)と、合衆国の沈黙(=核の傘の黙認)という二重の壁が、彼らの行動を躊躇させたのだ。


ワシントンD.C.では、湯川とスティーブンスが、ホワイトハウスの報道官による緊急記者会見を見守っていた。 「……我が国は、日本の主権回復宣言を留意する。東アジアの平和と安定は何よりも重要であり、いかなる一方的な現状変更の試み、特に核による威嚇は断じて容認できない。我が国は、同盟国と共に、地域の安定維持に引き続きコミットしていく」


それは、有馬の宣言を明確には何も肯定しない、極めて外交的な表現だった。しかし、否定もしなかった。そして、「同盟国」という言葉を使い、「核による威嚇」を名指しで非難した。 その意味するところは、誰の目にも明らかだった。


「……やられた」スティーブンスは、天を仰いだ。「有馬は、我々を完全にチェス盤の駒にした」 湯川は、静かに頷いた。有馬は、東亜連邦の核の脅威という絶体絶命の危機を、自らの外交的勝利へと完璧に転化させたのだ。


有馬は、東亜連邦と合衆国という二大国を天秤にかけ、日本という国の存続を賭けた、瀬戸際のブラフに勝利した。


しかし、本当の戦いはこれからだった。麻痺した東亜連邦がいつ回復するか。合衆国が「誠意」として何を要求してくるのか。そして何より、この「独立」を、国民自身がどう受け止めるのか――。


灰色の宰相の、次なる一手は、まだ誰にも見えていなかった。

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