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国民基盤役務制度  作者: 喰ったねこ
占領期編
25/41

開戦と義勇軍

2042年、夏。東亜連邦による台湾侵攻の日は、目前に迫っていた。


独立派が潜む関東山地の隠れ家では、重苦しい絶望が空気を支配していた。ラジオから流れる国際ニュースは、台湾海峡に集結する東亜連邦軍の圧倒的な戦力を、連日報じている。


最前線である金門島は、数週間前から大陸からの送水管を止められ、深刻な水不足に陥っていた。海上封鎖による兵糧攻めが続き、島は完全に孤立している。だが"連邦"の狙いは、この小さな島ではなかった。この島を生かさず殺さず無視し、開戦と同時に一気に台湾本島を叩く――そのための軍事展開は、すでに完了していた。


「……台湾が落ちれば、終わりだ」 飯田熊治は、地図を睨みつけながら吐き捨てた。「連邦の『新秩序』は完成し、日本の独立は永遠に失われる。我々は、ここでただ朽ち果てるのを待つだけになる」


その時、佐藤ユウトが監視していた暗号通信チャットに、『ミスター・スミス』からの緊急指令が入った。それは、彼らの運命を根底から覆す、あまりにも無慈悲な提案だった。


<東亜連邦の台湾侵攻は、もはや避けられない。貴殿らに、最後の『取引』を提案する。義勇軍として台湾へ渡り、我々の代理として戦え>


隊員たちの間に、激しい動揺が走る。 「ふざけるな! 我々を代理戦争の鉄砲玉にする気か!」 「だが、このままここで死ぬよりは……」 議論が紛糾する中、スミスからの通信は続いた。


<これは命令ではない。取引だ。我々は貴殿らを台湾へ送り届けるルートを確保する。そこで得られる戦闘データは、我々にとって計り知れない価値がある。見返りとして、もし貴殿らが生き延び、そして台湾が持ちこたえたなら、我々は貴殿らを日本の『正統な抵抗勢力』として公式に認め、支援を約束しよう>


それは、悪魔の契約だった。だが、彼らに残された唯一の希望にも見えた。 飯田は、長い沈黙の末、決断を下した。 「……行くぞ。合衆国の犬になるためじゃない。日本の独立のため、ここで東亜連邦の力を削ぐ。それが、我々に残された唯一の戦いだ」


一週間後。飯田とユウトを含む独立派の部隊は、スミスから指定された九州南部の寂れた漁港にいた。彼らを待っていたのは、魚と油の匂いが染みついた、数隻の古びた漁船だった。ユウトが乗船した船の船長は、日に焼けた顔に深い皺を刻んだ寡黙な男で、彼らの素性も目的も一切尋ねなかった。ただ、前金として渡された金の延べ棒の重さを確かめると、短く「乗れ」と言っただけだった。


船倉に積まれていたのは、最新鋭の装備ではなかった。木箱に無造作に詰められていたのは、使い古され、ストックには無数の傷がついた合衆国製の中古M16アサルトライフルと、数発の旧式対戦車ミサイルだった。彼らは、正規の同盟軍ではなく、使い捨ての駒として扱われている。その事実が、武器の冷たい感触と共に、全員の心に重くのしかかった。


漁船団は、夜の闇に紛れて東シナ海の荒波を越えた。数日後、彼らは真夜中の台湾北部の海岸に密かに上陸した。彼らは、台湾軍の特殊作戦司令部に「軍事顧問団」という名目で組み込まれ、即座に最も絶望的な戦場へと送られた。台湾北西部、敵の上陸主力部隊を正面から迎え撃つ、沿岸防衛陣地。そこは、生きて帰ることを想定されていない、捨て駒のための場所だった。


◆


飯田とユウトを含む独立派の義勇軍は、台湾北西部の沿岸防衛陣地で、悪夢そのものを体験していた。彼らが潜む塹壕は、絶え間ない沖合からの艦砲射撃で巨大な地震のように揺れ続け、コンクリートの破片と乾いた土が雨のように降り注いでいる。ここは、死を待つだけの場所だった。


水平線の向こうを埋め尽くす、東亜連邦の巨大な揚陸艦隊。 空を蝗害のように覆い尽くす、無数の自律型攻撃ドローン。 そして、砂浜を蹂躙する、蜘蛛のような形をした水陸両用の戦闘ロボット。


「撃てーっ!」 飯田の怒号が、爆音の合間に響き渡る。ユウトは、渡された中古のM16を固く握りしめ、ただ引き金を引くだけの肉の塊と化していた。照準を合わせる余裕などない。弾丸がどこに飛んでいくのかも分からない。撃たなければ、思考が恐怖に飲み込まれてしまいそうだった。


台湾兵たちが撃ち放った対戦車ミサイルが唸りを上げて飛び、戦闘ロボットの一体を火球に変える。だが、その爆炎の中から、さらに二体のロボットが姿を現し、搭載された機関砲で塹壕を蜂の巣に変えていく。それは英雄的な抵抗ですらなかった。ただ、巨大な鉄槌の前に、叩き潰されるのを待つだけの、一方的な蹂躙だった。


無線からは、各所の防衛線が突破されていく絶叫と、司令部からの「持ち場を死守せよ」という空しい命令だけが、ノイズ混じりに響き渡る。ユウトの隣で機関銃を撃っていた若い台湾兵が、ドローンからの正確な射撃に頭を撃ち抜かれ、声もなく崩れ落ちた。温かい血が、ユウトの頬を濡らす。


もう、終わりだ。


弾倉を交換しようとしたユウトの手が、止まった。意味がない。次の弾倉を撃ち尽くす前に、自分もあの兵士のようになるだけだ。飯田の怒号も、もはや遠い世界の音のように聞こえる。


恐怖は一周して、奇妙なほどの静けさを心にもたらしていた。


ああ、俺の人生も、ここまでか。フリーランスとして這いずり回り、テロリストに仕立て上げられ、最後は異国の土の上で、名もなき兵士として死ぬ。


馬鹿馬鹿しい。ユウトは、M16を下すと、塹壕から、ただ空を見上げた。金属の蝗で埋め尽くされた、灰色の空を。


次の瞬間、世界は沈黙した。


悪夢のような喧騒が、まるで映画の音響が不意に断ち切られたかのように、嘘のように途絶えた。 空を覆っていた無数の攻撃ドローンが、操り人形の糸が、一斉に切れたかのように推進力を失い、ただの鉄の塊となって雨のように降り注いだ。砂浜に殺到していた戦闘ロボットは、関節をロックさせたまま硬直し、奇妙なオブジェのように立ち尽くす。沖合の揚陸艦隊からは、原因不明の黒煙が何本も立ち上っていた。


「……何だ? 攻撃が、止んだぞ……?」 塹壕の中の誰もが、何が起きたのか理解できずにいた。生き残った兵士たちが、恐る恐る塹壕から顔を出す。


だが、地獄はそれで終わりではなかった。


艦上で、あるいは海岸で呆然と立ち尽くしていた東亜連邦の兵士たちが、我に返ったように動き始める。指揮系統が沈黙した中、彼らは部隊を再編しようと、個人用の通信機に必死に呼びかけた。生き残った戦車の乗員は、予備のバッテリーで照準システムを再起動しようと試みた。


その瞬間、第二の波が訪れた。


兵士たちの耳元で、腰に下げた端末で、あるいは銃の照準器で、一斉にバッテリーが爆発した。閃光と共に、構成物が爆散する。周囲の機器を破壊し、兵士たちの肉体の一部を吹き飛ばしていく。断末魔の悲鳴が、沈黙したはずの戦場に響き渡った。


ユウトは、塹壕の縁から、そのあまりの光景に言葉を失った。 飯田は、微動だにせずその様を睨みつけていた。そして、彼の脳裏に、数週間前に調べた、あのありふれたバッテリーのことが、不意に蘇った。


だが、そんなはずはない。 あれは、ただの電池だったのだから。 彼らの頭の中では、まだ何も繋がっていなかった。ただ、理解を超えた現象が、自分たちの知らないところで、世界の運命を根底から覆してしまった。その事実だけが、冷たい現実として横たわっていた。

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