令和総力戦研究所 2025
その部屋には、窓がなかった。
東京都千代田区永田町、内閣府庁舎の地下深く。何重ものセキュリティゲートの先に存在するその空間。壁の一面を占める巨大なディスプレイだけが、この国の惨たんたる未来を、冷徹な光で照らし出していた。
部屋の正式名称は「内閣官房 国家生存戦略研究室」。
しかし、この部屋に集められた四人の男たちと一人の女性は、自嘲と、そしていくばくかの矜持を込めて、非公式な呼称で呼び合っていた。
「令和総力戦研究所」と。
部屋の主である有馬征四郎が、テーブルの中央に置かれた無機質なマイクに向かって静かに告げた。彼は元財務事務次官でありながら、そのキャリアを投げ打ってこの極秘プロジェクトを率いることを選んだ男だった。
「第三回、国家持続可能性評価会議を開始する。奥田君、現状(AS IS)の基幹パラメータから報告を」
「はい」
チーム最年少の奥田怜奈が、淀みない早口で応じた。彼女は、民間から特任で引き抜かれた天才データサイエンティストであり、その指先一つで国家の運命を千通りにもシミュレートしてみせる女性だった。
彼女のキーボード操作に呼応し、巨大ディスプレイに映し出された日本地図が、見る者の心を折るような急峻な崖のグラフへと切り替わる。
「静かで、不可逆的なカスケード障害。人口動態の完全な崩壊です。これが、この国の全ての脆弱性の根源にあります」
奥田は、レーザーポインターでグラフの始点を示し、淡々と数字を読み上げた。
「昨年の確定値が出ました。年間出生数、68万6061人。合計特殊出生率、1.15。無論、過去最低です。今年の着地見込みは、さらに悪化して60万人台前半。一方で、死亡者数は160万人を突破し、自然減は年間約92万人。毎年、鳥取県と島根県を合わせた人口に匹敵する数が、この国から消滅しているのと同じです」
その数字が持つ絶望的な意味を、部屋の誰もが理解していた。だが、奥田は容赦なく未来(TO BE)のシミュレーション結果を突きつける。ディスプレイには、単純なグラフではなく、複雑な数式が表示された。
国家生存確率モデル (NVSM: National Viability Stochastic Model)
状態方程式: x_t = F_t * x_(t-1) + G_t * v_t, v_t ~ N(0, Q_t)
観測方程式: y_t = H_t * x_t + w_t, w_t ~ N(0, R_t)
「従来の人口推計は、もはやこの国の複雑な崩壊過程を記述できません。我々は、国家の状態を直接観測できない潜在的な変数群と捉え、ベイズ統計を基盤とする状態空間モデルを構築しました。x_tは、人口構造・経済資本・社会関係資本から成る『国家健全性ベクトル』、y_tは我々が観測できる出生率やGDPといった指標です。このモデルが示すのは、現在の『観測値』の背後で、不可視の『状態』がいかに致命的に劣化しつつあるか、ということです」
湯川道彦が、眉間に深い皺を刻んだ。彼は厚生労働省から出向してきたエリート官僚であり、このチームの中では唯一、現在の社会システムを肯定する立場にあった。
「奥田君、もう少し平易な言葉で説明してくれたまえ。我々は数学者ではない」
「失礼しました」奥田は表情を変えずに続けた。「要するに、この国は重篤な内臓疾患を抱えた患者です。体温や血圧といった表面的なデータ(観測値)だけを見て『まだ大丈夫だ』と自己判断している間に、体内の臓器(状態)は不可逆的な壊死を起こしつつある。我々のモデルは、その内臓の状態をCTスキャンのように可視化するものです。そして、そのスキャン結果がこれです」
ディスプレイの表示が切り替わる。
従属人口指数 (Dependency Ratio) = (年少人口 + 老年人口) / 生産年齢人口
「社会保障の基本構造です。我が国の現在値は0.98。生産年齢人口一人が、ほぼ一人を支える『肩車型社会』が目前です。NVSMによる予測では、社人研の中位推計をベースにしても、十五年後の2040年には、この指数は1.15を突破。生産年齢人口一人当たりのGDPが現状維持でも、国民負担率は理論上70%を超えます。経済活動は停滞し、社会保障は機能不全に陥る。国家という共同幻想が、維持できなくなるのです」
「待ってくれたまえ。政府は異次元の少子化対策を……」
「湯川さん」奥田は湯川の言葉を遮った。「異次元の対策とやらの効果も、パラメータに織り込んでいます。フランスやスウェーデンの成功事例を最大限好意的に解釈し、日本の社会構造に適応させた場合のシミュレーション結果です。結果、出生率の上昇は最大でも0.05ポイント。年間出生数にして三万人の増加です。年間92万人の減少に対して、三万人の増加。それは『対策』ではなく、統計上の誤差です。焼け石に水という言葉すら、生ぬるい」
「1941年のデジャヴですよ、有馬さん」
歴史学者である東山史郎が、重々しく口を開いた。彼の役割は、この国の過去の失敗から、未来の教訓を導き出すことだった。
「あの夏、旧総力戦研究所が出した結論も、冷徹な数字の積み重ねでした。日米の石油備蓄量、鉄鋼生産能力、船舶建造能力の差。彼らは国力の非対称性から『日本必敗』を導き出した。しかし、東條首相はそれを『机上の空論』だと一蹴した。なぜか。すでに開戦するという『空気』がすべてを決めていたからです。データは、意思決定の材料ではなく、結論を正当化する道具に過ぎなかった。今、我々が直面しているのも同じ病理です。人口動態という不都合なデータから目を逸らし、『まだやれるはずだ』という希望的観測、現状維持という名の『空気』が、この国を支配している」
「その通りだ」
ごつごつした拳をテーブルに置き、唸るように言ったのは、飯田熊治だった。陸上自衛隊の特殊作戦群出身で、危機管理の専門家としてこのチームに加わっている。その眼光は、常に最悪の事態だけを見据えているようだった。
「若者がいない国は、自分自身を守れない。東山先生の言う『空気』に浸っている間に、国家の物理的な基盤が崩れ落ちている。奥田君、2040年時点での自衛官、警察官、消防官の充足率予測を」
「はい」と奥田が応じると、ディスプレイには衝撃的な数字が並んだ。
『2040年 公務員充足率予測(対2025年定員比)』
・自衛官:65% (昨年度採用実績、目標の51%)
・警察官:72%
・消防官:68%
・インフラ維持管理技術者(公営):55%
「これが現実だ」と飯田は吐き捨てた。「敵は外国だけじゃない。三十年以内に発生確率70%以上と言われる、南海トラフ巨大地震。そんなものが直撃して、この人員で何ができる? 数千万人の被災者を前に、救助する側の人間が圧倒的に足りない。国土交通省の推計では、2050年までに国土の二割が無居住化する。指揮系統は麻痺し、物資は滞り、広大な国土は見捨てられる。法治国家の皮が剥がれた人間が最後に何をするか。俺は世界の紛争地帯で嫌というほど見てきた」
その重圧に耐えかねたように、湯川が再び反論した。
「……しかし、飯田さん、それはあまりに極論です。我々には、世界に誇る社会制度と、国民の良識がある」
その言葉を聞いた奥田は、初めて、嘲笑とも憐憫ともつかない表情を浮かべた。
「湯川さん、その『良識』とやらを、定量的にシミュレーターに入力できますか? あなた方が二十年かけて作り上げたその『防災計画』も、インプットしました。結果は同じ。チェックメイトです。なぜなら、計画を実行するための人的リソースが、人口減少によって、既に計画策定時の七割以下にまで目減りしているからです。あなたの言う『良識』は、空腹と絶望の前では、一日ももたない」
それでも、湯川は納得しない。
「……しかし、奥田さん、シミュレーションでは、AIやロボット技術の指数関数的な進化の影響が低く見積もられているのではないですか? 労働力不足は、技術が解決する。それが現代の常識のはずだ」
その言葉に、奥田は冷めた声で答えた。
「湯川さん。もちろん、技術的特異点に関するパラメータも、我々のモデルには組み込まれています。ですが、その結果は、あなたが期待するような銀の弾丸ではありませんでした。三つの致命的な制約があるからです」
彼女はディスプレイを操作し、三つのグラフを並べて表示した。一つは右肩下がりの「国内総需要」、二つ目は急増する「対外技術ライセンス支払額」、そして三つ目は「社会インフラの脆弱性指数」だった。
「第一に、AIやロボットは労働力にはなっても、消費者にはなりません。彼らは住宅ローンも組まなければ、子供の教育費も払わない。生産性がいくら向上しても、それを消費する人間がいなければ、経済は国内市場の崩壊という形で窒息死します。数千万人の高齢者を、少数の富裕層と無数のロボットが支える社会。それは国家ではなく、巨大な介護施設です」
「第二に、そのAI基盤技術のほとんどは国産ではありません。社会の隅々まで海外製のAIとロボットを導入するということは、そのライセンス料や基幹部品の輸入によって、毎年数十兆円規模の国富が海外に流出し続けることを意味します。我々のモデルでは、技術依存によって経常収支は急速に悪化し、日本は労働力を補う代わりに、生殺与奪の権を外国の巨大テック企業に握られる、技術的植民地と化します。AI産業は機械学習の観点から、人が吐き出すデータ量が多い国、つまり人口が多い大国が有利なのです。人口が急速に減っている日本が主流になるのは、非常に難しい」
「AIまで、その根源は人口ですか」湯川が小さい声でつぶやく。
「そして第三の制約です」と奥田は、危機管理の専門家である飯田に視線を送った。「それは、システムの脆弱性です」
飯田が、その言葉を引き継いだ。「そのロボットとやらを動かす電力はどこから来る? AIを支えるデータセンターを冷やす水は? 南海トラフが直撃し、数週間にわたる大規模停電が発生した時、君の言うハイテクな救助ロボットは、ただの鉄の塊になる。俺が言っているのは、そういう事態だ。危機管理の要諦は、最も弱い環を想定することにある。そして、技術に依存すればするほど、その環は電力網や通信網という、極めて脆弱な一点に集約されていく」
「では、どうしろと言うんだ!」湯川が、悲鳴に近い声を上げる。「年金をこれ以上カットしろと? 消費税を三十パーセントに上げろと? そんなことをすれば、国民が暴動を起こす!異次元にでも逃亡したい気分だよ」
「そうですね。私も異世界に転生して、貴族のお嬢様にでもなりたいですよ。この現実から逃げられるものならね」
奥田は、キーボードを叩きながら、『国民不満度指数』と名付けられたグラフの赤い線が危険水域を突き抜ける様を見せた。
「消費税を5%引き上げても、国家破綻が先延ばしになる期間は、わずか18ヶ月。年金支給額を10%カットしても、24ヶ月。どちらも、実行した瞬間に内閣は倒れ、改革は振り出しに戻る。我々は、もう打つ手がない袋小路にいるのです」
「だから、もう小手先の改革では意味がない」
それまで沈黙を守っていた有馬が、低い声で言った。
「我々が今、議論すべきは『延命治療』の方法じゃない。我々の分析が示す結論は一つだ。この国の戦略的選択は、『成長』か『衰退』かではない。それは、より危機的な、持続可能な国家への『管理された移行』か、社会基盤の崩壊を伴う『無秩序な崩壊』かの二者択一であるはずだ。そして我々は、そのための社会システムを再起動する方法を提示する」
有馬は立ち上がった。その声には、覚悟を決めた者だけが持つ、静かな響きがあった。
「それが、この『研究所』の設立趣旨だ。我々の任務は、政治的に実現可能な計画を立案することではない。法や前例、あるいは常識といった、あらゆる制約条件を一度全て取り払い、この国家が『生存』するための、唯一の、純粋に論理的な解を導き出すこと。――奥田君、新しい思考実験を始めよう。国民を『納税者』や『有権者』としてではなく、『人的資源』として再定義した場合、この国の未来はどう変わる?」
その一言が、流れを変える。
湯川は息を呑み、東山は歴史的な瞬間に立ち会うかのように目を細め、飯田は初めて興味深そうな表情を浮かべた。
奥田の指が、猛烈な勢いでキーボードの上を踊り始める。
「面白い……最高に面白い仮説です、有馬さん。やってみましょう」
彼らは、それから七十二時間、ほとんど不眠不休でシミュレーションと議論を繰り返した。
まず、奥田が年金、医療、介護、雇用保険、生活保護といった、既存の社会保障給付の全てを、シミュレーター上で「解体」した。百兆円を超える巨大な歳出が、一旦ゼロになる。湯川は青ざめた顔でその画面を見ていたが、何も言わなかった。ここは、現実から切り離された実験室なのだ。
次に、この国の生存に必要な戦略的インペラティブを定義した。
1.ラディカルな少子化対策:教育の完全無償化、父親育休の強制等。
2.戦略的移民:年間30万人を目標とする計画的受け入れと統合コスト。
3.国土のグランドデザイン実行:「コンパクトシティ」へのインフラ再編。
4.非対称な安全保障:省人化・無人化技術への重点投資。
「しかし、これらを実行しようとすると、パラドックスに陥ります」
奥田が新たなシミュレーション結果を示した。
「ほとんどの改革は全て、初期段階で莫大な財政出動と、労働力を必要とする。しかし、今の日本にはその両方がない。改革の果実を得る前に、国家が財政的・社会的なショックに耐えきれず、崩壊する。比較的有望なのは移民受け入れですが、これも政治的には非常に困難でしょう。欧米の失敗もありますので」
「ならば、その前提条件をまず創造するしかない」と有馬は言った。「改革を実行するための、社会基盤そのものをだ」
「『給付から就労へ』。国家が保障するのは、金ではない。仕事そのものだ」
有馬のアイデアが、具体的な形を取り始める。
「ただの公共事業では、かつての失敗を繰り返すだけだ」と東山が釘を刺す。「それに、国民一人ひとりの権利として、これを位置づける必要がある。国家に奉仕する『義務』ではなくね」
「権利、ですか」湯川が訝しげに呟く。「しかし東山さん、先ほど我々は既存のセーフティネットを全て解体した。その状況で『仕事に就く権利』を提示されても、国民に選択の余地はない。事実上の強制、論理的な徴用ではありませんか。まるで、徴兵制、いや徴公務員制度だ」
その的確な指摘に、奥田が口を開いた。
「湯川さん。それは、違います」
彼女はディスプレイに新たなグラフを表示した。個人の経済状況と行動選択の相関モデルだ。
「我々は、国民に銃を突きつけて強制するのではありません。国家が提示するのは、あくまで選択肢です。一つは、私達が新たに設計する、労働と最低限の生活を保障する公的な役務。もう一つは、民間市場で仕事を探して、今まで通り働くこともできます」
彼女は続けた。
「この制度は、あくまで任意参加です。しかし、我々のシミュレーションが示すのは、既存の社会保障が失われた世界では、失業者や困窮者の6割以上が、民間のブラック企業より、自らの意思でこの制度を選択するだろう、ということです。国家が強制するのではない。個々人が、自分の暮らしを守るために国を利用するという最も合理的な判断を下すしかありません。我々は、そのための受け皿、巨大な方舟を建造するだけです。もし、これを強制してしまったとしたら……」
「自由と民主主義の我が国で、それはない」
有馬が奥田の話を切った。
「そうですね」そう言って奥田はそのまま口を閉じた。
「国家に奉仕する『義務』ではなく、国家を利用する『権利』か……」東山が深く頷いた。「それならば、呼称は穏やかであるべきだ。『国民基盤役務制度』。これでどうでしょう。国民の生活『基盤』を支えるための、公的な『役務』」
その言葉が、制度の根幹を決定づけた。奥田の指が、その制度の具体的な数値を弾き出していく。
「基礎月給の算出根拠です」
ディスプレイに、新たな数式が表示された。
基礎月給 (S_active) = C_BLI(R) + C_SPI + alpha * (I_avg - C_BLI(R))
C_BLI(R): 地域別最低生活費指標 (Basic Living Index)
C_SPI: 社会的関係資本維持指標 (Social Participation Index)
alpha: 再投資インセンティブ係数 (Re-investment Incentive Coefficient)
「アクティブ期の基礎月給22万円。この数字は恣意的なものではありません。統計局の家計調査から算出した、単身世帯が都市部で最低限の文化的営みを維持しつつ(C_BLI)、将来への僅かな自己投資も可能になる(alpha)可処分所得の中央値です。民間市場への復帰インセンティブを削がないよう、平均賃金よりは低く設定してあります」
「シニア期の15万円は、年金制度の実質的な代替です。高齢者が地方の生活拠点へ移住することを前提とし、その地域の平均生活費と予防医療費を合算して算出しました。労働による健康寿命の延伸効果で、将来的な医療費を約12%抑制する効果も見込んでいます」
そして、運命のシミュレーションが始まった。
奥田が、静かにエンターキーを叩く。
ディスプレイ上で、日本の未来が再計算されていく。
赤黒い壊死の色が、少しずつ薄れていく。右肩上がりに天を突き刺すようだった国債残高のグラフが、緩やかに、しかし確実に下降を始める。奥田が、興奮を抑えながら数値を読み上げた。
「国家機能維持率、災害発生後一年時点……旧モデルでは17%だったものが、新モデルでは85%に到達! 動員可能人員の増加がクリティカルに効いています」
「財政収支は……信じられない……」湯川が呻いた。「単年度で14兆円の改善効果。プライマリーバランスが、5年で黒字化する……」
そして、これまであらゆるシミュレーションで、十五年以内に必ず表示されていた『CHECKMATE』の文字が、どこにも見当たらなかった。
部屋は、深い沈黙に包まれていた。
それは、安堵の沈黙ではなかった。自らが生み出してしまったものの、そのあまりの不気味さと過激さに、誰もが畏怖しているかのようだった。
彼らは、確かにこの国を救うための、唯一の設計図を描いてしまったのだ。だがそれは、戦後日本が七十年以上かけて築き上げてきた制度――年金制度、公務員制度、自己責任の原則――その全てを根底から覆す、劇薬中の劇薬でもあった。
やがて、有馬が口を開いた。
「……レポートを作成する。これまで我々がシミュレートしてきた全てのデータを、付属資料として添付しろ」
彼の指示に、湯川が初めて、力なく頷いた。
ディスプレイには、真っ白なファイルの表紙が映し出される。カーソルが点滅し、一行のタイトルが打ち込まれていく。
『【極秘】新時代の社会基盤に関する基本構想』
その文字を、奥田怜奈は、まるで自分の罪状認否書でも見るかのような、絶望と、ほんのわずかな達成感が入り混じった表情で見つめていた。
彼女は、この部屋にいる誰よりも若く、それゆえに、この設計図が実現した未来を、最も長く生きなければならない世代だった。
彼女は、ほとんど無意識に、隣に座る有馬に問いかけていた。
その声は、深夜の静寂に、奇妙なほど大きく響いた。
「有馬さん……我々は、パンドラの箱を、開けてしまったんじゃないでしょうか」
有馬は、ディスプレイに映るタイトルから目を逸らさずに、静かに答えた。
「そうかもしれん。だが、奥田君。1941年の研究所は、敗北という絶望だけを報告した。我々は違う。我々の日本にはもう、箱の底に『希望』しか残っていなかったのだよ」
その言葉が、肯定なのか、それともさらに深い絶望の吐露なのか、奥田にはそれが痛い程わかっていた。
1941年の研究所と、やはり我々も同じなのではないかと。
シミュレーションの結果は、あくまで『実行』できればという仮定の話にすぎないのだから。
徴兵ならぬ徴公務員制度とも揶揄される『国民基盤役務制度』。
それは、戦前に存在した総力戦研究所を模して極秘裏に内閣官房に作られた、国家生存戦略研究室の発案だった。
15日深夜2時に第3章を投稿する予定です。