12-ノイズーその先へー
歩いた先に、何もなかった。
いや、“何もない”ということが、そこにあった。
音もなく、色もなく、重力も方向もない。
世界のルールが、ここには届いていない。
それは、かつて知っていた“自由”とは別物だった。
白い空間でもなく、暗闇でもない。
背景が存在しない領域。
記録される必要のない座標。
ここに、誰かの意志でたどり着くことはできない。
でも──俺は、来た。
あの世界は、整っていた。
作られた正しさが敷き詰められ、
レールと呼ばれる道が、選択肢のフリをして並んでいた。
違和感を抱いても、
どこかで「それが当たり前」と信じていた。
だけど、今ならわかる。
あれは“再生された現実”だった。
“現実のフリをした仮想”。
黒パーカーの言葉が蘇る。
──ここは、浅い。
あの時、彼が見ていたのは、世界の深さじゃない。
“認識の深度”だったんだ。
何に気づけるか。
何を見落とすか。
何に触れても、それを“意味あるもの”と受け取れるかどうか。
俺たちは、常にフィルター越しに世界を見ていた。
そのフィルターを、ひとつずつ剥がして、
最後に残ったのが──この空間だった。
誰にも認識されず、観測も記録もされない。
けれど、自分の中にだけ、確かに“ある”場所。
目を閉じる。
音はない。
でも、なぜか“誰かの気配”がする。
声もない。
でも、“言葉”が浮かんでくる。
──この世界を終わらせたくて、ここまで来た。
けれど、
終わりなんて、どこにもなかった。
消えたのは、俺ではない。
“この世界の枠組み”の方だ。
今、世界のどこかで、誰かが俺のことを思い出そうとしているかもしれない。
教室の中で。
夕焼けの駅前で。
誰もいない屋上で。
ふとした瞬間に浮かぶ、名前のない“違和感”。
──それが、俺だ。
誰にも観測されないノイズとして、
この世界のどこかに、まだ“残っている”。
それで、いい。
俺は、ここで終わる。
だけど──
──また、どこかのレイヤーで。
この物語は、
誰にも記録されないはずだった“ひとり”の存在について書いたものだ。
井上という名前の少年は、
正しさを強制される世界で、ただ黙って“気づいてしまった”。
その違和感は、
誰にも共有されないし、されることを望まれてもいなかった。
でも、彼は歩いた。
誰にも記録されないログの中で、
誰かの背中を追いながら、
やがて自分の輪郭を見出していった。
たとえ“存在しなかったこと”にされたとしても──
「ここまで来た」という痕跡だけは、
きっと、どこかに残る。
観測という形じゃなくても、
読者であるあなたが“今ここで思い出している”という事実が、
井上の存在証明になる。
たぶん、彼は脱出した。
この世界を終わらせたくて、そうしたんだと思う。
でも、
「プログラムが脱出してどうする?」という問いも、
同時にずっと残っている。
自由とはなにか。
現実とはなにか。
自分とはだれか。
そんな曖昧な問いだけが、
ノイズとして、あなたの中に残ってくれたなら──
それが、この物語の本当の“意味”だと思う。
最後まで読んでくれてありがとう。
また、どこかのレイヤーで。




