10-観測の境界
朝と夕が同時に存在するような光の中で、
俺は静かに歩いていた。
誰も俺を見ていない。
名前を呼ばれることもない。
記録にも残らない。
でも、気づいている。
それは、“見られていない”ということじゃない。
“観測されていない”ということだ。
この世界は、
目に映るものを“現実”と定義している。
そこに何があるかよりも、
誰かがそれを「見ているか」が優先される。
だから──見られなければ、存在しない。
それが、この世界のルールだった。
なのに。
放課後の校門で、
ふと誰かとすれ違った。
ほんの一瞬。
相手の顔は見えなかった。
服装も覚えていない。
けれど、その人物が、
“俺の方を見た”気がした。
ありえない。
もう俺は、この世界から“外れている”。
誰にもログされず、誰の観測範囲にも入っていない。
でも──確かに、見られた。
目が合ったわけじゃない。
ただ、視線のゆらぎが触れた。
それだけで、何かが微かに揺れた。
その瞬間、
自分の足元が急に鮮明になった。
色が戻り、影が伸びる。
一瞬だけ、“観測された側”に戻った感覚があった。
誰だ。
誰が、今の俺を見た?
振り返った時には、もう遅かった。
人混みの中に、その人物は紛れていた。
だけど、脳裏には映像の残滓が残っていた。
──白石拓海。
確証なんてない。
けれど、そうとしか思えなかった。
この世界のどこかで、まだ“ノイズ”を探している存在。
俺と同じ、“揺れ”を経験した奴。
あいつなら、
まだ俺を“観測できる側”にいるのかもしれない。
そう思った瞬間、
胸の奥に、小さな火が灯った。
希望と呼ぶには、あまりに儚い。
でもそれは確かに、“誰かに見つけられる可能性”だった。
記録されない俺。
忘れ去られる俺。
でも──まだ、完全に消えたわけじゃない。
観測の境界は、
いつだってゆらいでいる。
そのゆらぎの中で、
もう一度だけ、何かを選べる気がした。




