第五話 目覚めの大騒動
次の日。
スクエア亭の二階にある部屋の一室で、トライは激しい頭痛と共に目が覚めた。
「あいたたた……。参ったなぁ、昨日はちょっと飲みすぎたかしら?」
ドラム缶を滅茶苦茶に叩いたような音が、頭の中で響き渡っている。酷い二日酔いだ。
しばらくボーっと天井を眺めていたトライだったが、ふと自分が昨日と同じ格好をしているのに気がついた。どうやら、酔っ払ったまま着替えもせず寝てしまったらしい。
ハァ……。こんな姿、お姉ちゃんに見られたら、ぶっ飛ばされちゃうわ……。
はだけた肌をシーツで隠しながら、トライはしつけに厳しい姉のことを思い出し、思わずブルブルと身震いをした。
今、何時だろう……。
窓を見ると、カーテンの隙間から漏れる日差しは明らかに強かった。どうやら、朝では無いことは間違い無さそうだ。
気だるそうに頭を抑えながら、着替えようと重い体をベッドから起こす。とその時、トライは自分の胸辺りに妙な圧迫感を感じた。視線を落とすと、自分の胸が思いっきり鷲掴みにされているのが見える。トライは自分の両手を見た。
……私の手はここにある。と言うことは、この手は私の手じゃない……。
ゆっくりと胸を掴む手の先へ視線を動かすと、隣で寝ている少年と黒猫の姿が見えた。バッツとペケである。
「そんなにマシュマロは食べられへんわ~。それよりも、ラーメンを持ってきてんか~ムニャムニャ……」
バッツは、トライの胸を揉みしだきながら、ワケの分からない寝言を言っている。
トライの顔が、サーッと赤くなっていく。そして次の瞬間……。
「ぎゃあああああああっっっ!」
酒場中に彼女の悲鳴が響き渡った。
「ななな、なんや! なんや!」
「火事ニャ! 火事ニャ!」
トライの叫び声に、バッツとペケはベッドから飛び起きた。
寝ぼけているペケは、叫びながら二足歩行でぐるぐると部屋中を走り回っている。その姿を見たトライは、顔をますます引きつらせた。
「ね、猫が、しゃしゃしゃ、喋った~!」
「ど、どうかしましたか! トライさん!」
ステアが、何事かと慌てて部屋に飛び込んできた。
「あ、あんた誰よ! なんで私の部屋で一緒に寝てたワケ? なんで猫が喋るワケ?」
怒りと恥ずかしさと驚きと、その他もろもろの感情で顔を真っ赤にさせ、トライはシーツで胸を隠しながらバッツを睨みつけた。
だが、そんな彼女の剣幕など気にした様子も無く、バッツは大きなあくびをすると、眠たそうに瞼を擦った。
「ふぁ~あ……。姉ちゃんに自己紹介をするのは、これで三度目やで? ワイの名はバッツ。でもってこいつはペケ。昨日危ない所を助けてやった、恩人の顔を忘れたんか?」
「お、恩人?」
トライは、きょとんとした顔を見せた。
「昨日、お客様と揉めた私とトライさんをバッツさんが助けてくれたんですよ。覚えてないんですか?」
ステアが、昨日あった出来事を説明した。
だが、酒に酔っていて昨日のことなど全く覚えていないトライは、戸惑うばかりだ。
「ワイは嫌だって言うたのに、無理やり姉ちゃんがワイを部屋に連れ込んだんやで? 朝まで一緒に飲み明かそうってな」
「わ、私があなたを部屋に連れ込んだ、ですって?」
嫁入り前の女とは思えない、自分のはしたない行動を恥じたトライは、顔を真っ赤にさせながら俯いた。こんな話、彼女の姉が聞いたら、間違いなく拳が唸るに違いない。
「でもま、結局姉ちゃん一人で飲んで大騒ぎして、先に酔い潰れとったけどな。ホンマ、酔っ払いには敵わんわ」
首をすくめながら、バッツは呆れた表情を見せた。
「そ、そうだったんですか。何も無かったんですね、良かった……」
何故か、ホッとした表情を見せるステア。
そんなステアを見て、バッツは「?」を浮かべる。
腕組をしながら、トライはうーんと考え込んだ。
私がこの子に助けられたですって? 昨日のことは、よく覚えていないけど……、こんなちんちくりんな少年に、私が助けられるシチュエーションなんてあるのかしら?
トライは訝しげな表情で、チラリとバッツを見た。
年は十四か十五くらい。まだあどけなさを残したこの少年は、どう見ても自分より若い。
……それに、私は昨日酒場にいたハズ。なんで、こんな子供が酒場に居るワケ? だいたい、未成年はお酒を飲んじゃいけないのよ。……まぁ、私も未成年だけどさ。
と、その時、トライの足を何者かがツンツンとつついた。
視線を足元にやると、ペケがやぁと片手をあげているのが見えた。
「もしかして、オイラの事も覚えて無いのかニャ? なんだか悲しいニャ……」
二足歩行で歩き、悠長な人間の言葉を喋る足元の黒い猫。その姿に、トライは何か引っかかるモノを感じた。
……この光景って、前にも見たような気がする……って、
「あああっっっ!」
叫びながらトライは、足元のペケをひょいと掴み上げた。
「思い出した! あなたはペケ! でもって、あなたは……」
トライは、バッツを指差した。
「ペケの使い魔バッツ!」
「誰が使い魔やねん!」
満足げに頷いているペケを殴り飛ばし、バッツはトライにツッコミを入れた。
そうだ、思い出したわ。昨日、私はボルシチたちとトラブって……。
トライはチラリとバッツを見た。
バッツは、アホ面構えて鼻を穿っている。トライは額からタラリと汗を流した。
……信じられないけど、この子に危ない所を助けてもらったんだっけ……。
昨日のことが、段々とトライの脳裏に蘇ってくる。
見た目は幼い少年だが、強力な魔宝具を操る魔宝使いバッツ。
ハンターの間でも、そこそこ実力があることで知られているボルシチ一味を軽く手玉に取り、あっと言う間に撃退したあの実力は間違いなく本物だわ……。あの場に居た、他のハンターたちもみんな面を食らっていた。一体、この子は何者なのかしら……?
と、そこまで考えたところで、トライはハッとした表情を見せた。
「あーーーーっ! そうだ、今日はミラノ遺跡の解禁日じゃない! 今何時? 何時?」
ステアの肩を揺さぶりながら、トライが問い詰める。
ステアは、かっくんかっくんと首を振りながら答えた。
「え、えっと……ちょうど今、お昼を回ったところですね……」
「ぎゃーーっ! もう開会式が始まってるわ! この日のために、三日前から準備してきたって言うのに、他の奴らに先を越されちゃう! こうしちゃいられないわ!」
乱れた髪も直さず、トライは寝起きの顔のまま、慌てて部屋から飛び出して行った。
ポカーンと口を開きながら、ステアはトライが出て行った扉を見つめている。
「い、忙しい人ですね……」
「ほんと、落ち着きの無い姉ちゃんや。あんな慌てて、怪我でもせんとええけどな」
肩をすくませながら、バッツはおどけた顔を見せた。そんなバッツを見て、ステアはクスリと笑った。
「あ、そうや。昨日はラーメンどうもご馳走さん。なかなか美味かったで」
出発する準備をしながら、バッツはステアに向かってパチリとウィンクをした。
バッツと目が合ったステアは、思わずボッと顔を真っ赤にして俯く。
「わわわ、私の方こそ、ききき、昨日は危ないところ、たたた、助けて頂き、あああ、ありがとうございまする~!」
自分の気持ちを悟られないよう、俯きながら誤魔化すようにぶんぶんと手を振りまくるステア。そのあまりにもあからさまな態度に、ペケは気がついたのか、ニヤリと嫌らしい笑みを浮かべた。だが、当の本人であるバッツは気がついていない様子。一人ワハハと大笑いしながら、「ええねん、ええねん」と手を振り続けている。
「あんなの、ワイにとっては朝飯前や。何も気にせんでええで。それよりも,アンタに大きな怪我が無くて良かったわ」
ステアは上目遣いでバッツをチラリと見た。バッツは、ニコニコと優しい笑みを浮かべている。その屈託の無い笑顔を見て、ステアはますます顔を赤らめた。
「えっと……、バッツさんも、これからミラノ遺跡に向かうんですよね?」
「そうや。あそこには、ぎょーさん珍しい魔宝具が眠っとるって噂やからな。ワイは、それを手に入れるため、この国にやってきたんや」
そう言って、バッツはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
ステアは、精一杯の勇気を振り絞り、バッツを見つめニコリと微笑んだ。
「が、頑張って下さいね! わ、私、バッツさんのこと、応援していますから!」
「ハハハ。ありがとさん。ほな、ワイらもそろそろ行ってくるわ」
バッツは、部屋の片隅に置いてあるパンパンに膨れた馬鹿でかいリュックを背負うと、そのまま部屋の出口へと歩き始める。そのリュックの上に、ペケがひょいと飛び乗った。
「忘れ物は無いかニャ?」
「ワイにそんな抜かりがある訳無いやろ」
「とか言って、この間も宿屋に大事な魔宝具を忘れたのは、どこの誰だったかニャ?」
「……知らん」
そんな会話をしながら、バッツとペケは部屋から出て行った。
見えなくなったバッツたちに向かって、ステアは叫ぶ。
「私、応援していますから! 帰ってきたら、またラーメン食べに来てくださいね!」
「期待しとるで~」
下の階から、のんきなバッツの声が聞こえてきた。
ステアは満面の笑みを浮かべると、キュッとエプロンを締め、パタパタと部屋から出て行った。どうやら、今日の夜も忙しくなりそうだ。